【第三の眼】松果体を鍛えてみる 8【チャクラ】
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>>600
ものを見る時に目で過集中とかしすぎてない?
あと普段は怒らなくても怒る時は火のように怒ったりはない?
ついでにこだわる時はかなり凄くこだわったりはない? >>649
うーん全部当てはまってる気がしますが、場面によっては違うこともありますし。
何か感じられましたか? >>650
肝臓悪い人に多い感じがしたからです
本職が東洋医学やってる家系なのですが
ちと離れててもなんとなく
わかる時があるので聞いてみました
良ければお近くの漢方薬局とかで相談されると良いかもですよ
放置すると骨盤とかも狂うかも?
まあ、それはそれで経験豊かな人生を歩めるかもだけど もっとも
東洋医学での「悪い」は西洋医学での「悪い」とはまた傾向が違うので
とりあえず長生きや健康を目指す上では無視してもそんなにデメリットはないかも?
でも多分ですけど肝臓を「良く」すると
疲れにくくなるし
考えに柔軟性が出ますよ >>652
>>653
ありがとうございますm(__)m
肝臓悪いのですか
疲労は目に出ます
思い当たりがあり肝臓にいいサプリや漢方はチェックしていました
購入してみます
重ねてありがとうございますm(__)m >>654
こちらこそ、丁寧にお返事ありがとうございます
654さんの未来がより良いものとなりますように! >>655
ありがとうございますm(__)m頑張ります https://www.yurubossa.com/syoukatai-daisannome/
古代文明の王族ーエンリルとエンキの子孫
アヌンナキが授ける聖なる松ぼっくり
エテンの蛇ルシファーがアダムとエヴァに授けた知恵の実
ヘルメスの杖ーケーリュケイオンと不老不死
ビーストナンバー666がアージューニヤを意味する
ホルスの目/プロヴィデンスの目を開眼させた者が
ピラミッド33階段の頂点に君臨して世界の王となる 肉体労働に日々の訓練に、と体力と気の消費をしすぎると気を上げる気すら枯渇し鬱も生じると思う
そういう時、瞑想で気をあらゆる空間からチャージできるようになれるといいですね?
能力者の方はチャージ方法を習得されてる
大体、宇宙か惑星からって聞きます 悩んでる方は日々、生活の維持、自身の問題取り組みに気を消費し枯渇状態で、それゆえ精神は迷妄・疲労困憊されてるから、もうその状態では自力でどうできにくい
だから力ある人に相談し救われたいのだよねきっと いつも思うのがアントニオ猪木氏のお言葉「元気があれば何でもできる」
ただこれってテクニックじゃないね
テクニックで気をチャージできれば万人がチャージできるようになるね だってさそもそも環境や状況などによりその元気が作り出せる状態ではないんだからさ そんな陥ってる人は
最もそんな小手先よりも
きちんと飯を食ったり運動したり眠ったりして
よく自分を整えることの方が最優先な気もする 確かに小手先・・・
ただその十分な環境が心身共に揃わないんだってさ
色々事情が絡んでいらっしゃるからね
お寺とかホテルとか一時避難できるところがあるといいとは思いました スレチでした
申し訳ございませんでしたm(__)m >>666
本来は逃げる先は割とあるけど
知識が行き届いてなくて困っている人は確かにいますね
でもそのような人ほど
宗教やオカルトなどに逃げ先を求めると
益々搾取されそう
松果体を鍛えると共に前頭葉や他の脳も鍛えてライフハック的な知識をも得たいものです 欲や悪意で間違った価値観を植え付けようとする輩が多すぎるよなあ 松果体はただの受信機
大事なのは宇宙に在る互助的な無限愛
感じるなければ始まらない
授かりたい気持ち・感謝の心・自立飛躍の精神
これら進化を促す気持ちへシフトしなければ
それ相応の能力は降りてこない
言い換えれば無限の力を獲る覚悟だ 松果体が活性したら、どうるのか?想像するしかないけど、
動物とかは、元気で、雨にぬれても平気。でも、5年ぐらいで、それがきつくなってきたら、死んじゃう。
それに近い感覚になるかもしれないな。 マズローの5段階欲求、色々使えていいね
愛についても対応してそう
アニマアニムスの発達の4段階とかね
4段階に達すると中性度が増す
崇高な愛 マズローの5段階ってチャクラや3界にも対応してるでしょう
だから各チャクラや3界の波動や周波数がどんな感じかを知る目安になる 全てを捨てて無限の力が手に入らなかったら報われないなぁ >>674
要するに無敵の人になれるってことかと思ってた 【ゲンダヤ文明/マトラクティル・アート文明】
・古代マヤ碑文に記載される
・76万年前に存在した地球最初の文明である
・その文明は2万5千年間継続した
・第三の目を基調とした超能力・精神文明である
・その時代、2つの巨大大陸が存在した
・中央国家は聖王アーラン神が統治した
・男性のみに第三の目が発現した
・女性には第三の目は無かったが子宮にテレパシー能力が付随した
・男性はアカシックレコードを知識の源泉とした
・女性はテレパシーで天上界の神々と交信できた
・第三の目は超能力を発動した時だけ開眼した
・第三の目の色は6種類あり、それぞれ異なる人種・異なる国に所属した
・中央国家は絶え間ない周辺蛮族からの攻撃に曝されていたが、その都度、超能力を発動して撃退した 気力体力を極限まで使うと生命の原理かなんなのか、謎のパワー(底力?)がわくと、かなり行が進んだ方から伺ったことがありますm(__)m
そうすると一段階進むそうです
苦行や修験道などにのそれを狙った行法がありそうだと思いました
皆さんは実践しようと思いますか?
私は仕事があるので仕事中倒れたらと気になりますが、やるべきか否か、修行者としての姿勢を自問する毎日です ただそこで思ったのが、自身の苦しみの中で利他を実践できるかどうか
もしそこで実践できたのならその利他の心はそれに比例し他者に届く強い力を持つのではと考えます 中庸(ほどほどに)と釈迦もおっしゃってます
釈尊が具体的にどんな修行したのかわさりませんけど
でも空腹時って確かに嗅覚が鋭くなったりしますから断食行とか水行って気の流れ良くなる気がしますよね ご意見恐れ入ります
断食行しかしたことないですが、軽い断食でも気の通りがよくなりますね
そういえば落合陽一氏が枯れ果て出がらしになるほどに全力されているの思い出しました
年に何回か倒れるようで・・・
しかし健康が維持される中で励もうと思います むしろ12−15年周期の厄年概念ですよ
これは脳が一定期間で思考が同じ決定になるせいで
生活や仕事環境を変えて新たな思考へシフトし治す時期です
その1年は大変ですがやがて脳内はVerUPし進化し
物事の判断に柔軟性や俯瞰度が増す時期です
私は自他共に視えますが大概の人はその自分では解りません
限界突破とは体力精神力よりも脳の体験からくるデフラグであり
むしろ力を抜く技術であり合気の解釈と思われます
日頃から使っていないシナプスを使うと厄年は来ませんので そうでしたか
今お釈迦様の教えを習っていますが、苦しみの捉え方・対処法が現代社会の価値観・捉え方と全然違うのですよね
そんなやり方でも新たな思考にシフトできてるのかな 能力者勉強会
https://discord.gg/XbAHrS8msm
能力開発をしています、興味ある方はこちらでやり方をお教えします。 マズローの欲求段階の上の欲求が悟りを開いた修行者や聖者方の"欲求"なのですね
そこを私のような凡夫が目指すから苦しいのでしょうね
まず生存、安全、帰属、承認欲求を滅するために出家
その欲求を目指す気持ちは菩提心として尊ばれます
聖者方は高次から俗世に降りてこられるから、それらが満たされなくても苦しくないのですよ
例え暴力をふるわれ自身の生存、安全が危ぶまれたとしても加害者へ慈悲の感情が生まれるのです >高次から俗世に降りてこられる
それゆえ、私のような凡夫は下の段階が満たされなければその上の欲求が生じませんが、聖者方は、生存、安全の欲求が満たされなくても容易その上の段階の欲求が生じるのです >凡夫が目指すから苦しい
だから社会の価値観と照らし合わせるとお釈迦様の教えの実践はそれとは違う方向へいくのですね
精神は苦しみ、体は衰え、人が求める欲求・幸せは満たされず、周りから理解されない 生存、安全、帰属など下の欲求が満たされてからはじめて上の欲求が生じ、その維持ができる成り立ちは随分と脆いと常々感じていたので、下の欲求を超えるためのお釈迦様や聖者方の教えとその実践方法は、やはりそれよりも強固で確かなものであると改めて思いました こちらでマズローの欲求段階の存在とそのご解説を頂けていつも感謝していますm(__)m
ありがとうございます 人間社会は5段階欲求を満たすことで進化する方向性を持ち、お釈迦様や聖者方の教えは5段階欲求を満たさせずそれを超えることで進化させる方向性を持っているのだな、きっと
だから進化の先は同じでもその両者のアプローチの違いに違和感を感じてたんだな そう考えると人類は文明によって欲求段階を高めていき進化する流れなのでしょうね
人類は宇宙人から管理されてるとも聞きますので、きっと宇宙人由来の教えに属するのでしょう
お釈迦様の教えの流れとは違いますね >>697
良い指摘だね、マズローは晩年に超越欲求というものを提示したのだが
これの解釈の仕方によっては仏教と同じ世界観が見えてくる。
よく仏教の六道とマズローの五段階欲求の類似性が指摘されるのだが
仏教の方は六道輪廻といって上位欲求に達しても満たされずに
ぐるぐる循環すると考える。
マズローの方もいたような考察をしていて、欲求の充足による欲求の進化は
蓋然的で絶対的ではないと考えていたようだ。
たぶんマズローは晩年に欲求はその充足で進化するのではなく
欲求を体験理解してより良い存在の形を求める知恵で進化すると気づいたのでは。
だから超越欲求という概念がどうしても必要だった
既存の五段階の上に乗せてしまったが、この欲求は欲求の充足によって
達成される他の欲求とは別次元。
この辺を進めると仏教の知恵や仏性の考え方につながってくると思う。 >>700
>超越欲求
なるほどですね!
もし5段階欲求と六道輪廻を重ねるのでしたら、超越欲求は仏教でいえば欲界からの解脱の境地に相当しますね 文明を考えていないか考えて生きているかの俯瞰度の大きさの問題。
お前ら先進国のボケ庶民より文明非接触の非科学民の方が宇宙を理解している。
俺が如何に宇宙摂理が大事で 梵我一如にこだわるかが理解できまい 愛が私のメッセージだ
あなたもそれをメッセージにすればいい
愛は私の彩り、私の風土--
わたしにとって、愛こそただひとつの宗教だ
ほかのすべては屑にすぎない
ほかのすべては、心をかき回す夢にすぎない
osho 俯瞰というのは具象的な拡がりだけでなく
抽象化の方向性もある。
仏教以前、具象的俯瞰の最高位に位置するのがアートマンだった。
具象的俯瞰にはヒエラルキーがあるからね。
仏陀はアートマンを空という法則性に変えて抽象的俯瞰を説いた。
だから中道であり煩悩即悟りになる。
マズローの五段階欲求に当てはめると具象的俯瞰が拡がっていく方向と同時に
欲求構造の抽象的俯瞰によりその世界観そのものから抜けだす方向性も出てくる。
マズローが晩年に「超越欲求」を示唆したとき果たしてどちらを念頭に
おいていたのだろうね。 >>704
きっと立体的なお話なのでしょうね
普通の書物にある解説は平面的かもしれないです >抽象的俯瞰
>具象的俯瞰
なんか立体的なものを、奥行きを感じました
このような理解に至れる方は少ないのでは
元々の才能か、本格的な修行をしない限り・・・
だから学者は到達できないかも
苫米地さんは学者でありながらできてるのかもだけど 自分は心の課題を乗りこえられるか否かはその時の調子の良さに左右される
これもヒエラルキーの構造によるものかな
乗り越えたと思っても調子によっては振り出しに戻るからね
一方で落ちて上がり落ちて上がりを繰り返す右肩上がりの成長グラフもあるけどね
いずれにしても地道に訓練すればいいのかな 幽体、霊体という区別がある、どちらも肉体を超えたエネルギーの拡がりに
乗せた自我なのだが体感的には
幽体はエネルギーの拡がりを肉体で使用しているのと同じ感性で捉える。
五感も思考も肉体の属性のままで波動の世界を受け取り展開させる。
これに比べて霊体は、エネルギーの拡がりを受け止める側の感性も波動化している。
五感も垣根がなくなって波動属性に統合されて感じられる。
丹光の出現はその感性ベースが出来たことを意味する。
思考も波動になる、言葉やイメージも使うのだが
それはインデックスのようなもので、その下に波動情報が
積み重なっていて波動思考で拾い上げる、直観思考の進化した形。
この幽体とは異なる波動性に対する親和性を一言で表すと「空の悟性」
この辺が幽体と霊体の違い、個人的見解が含まれるが。
まぁ、この辺は巷でもなんとなく文系的表現で言われているが
実はエネルギー場構造に明確な違いがある。 幽体は球状、エネルギーの流れが内側に向かって閉じている。
霊体はトーラス(ドーナツ状)上位次元とつながり外部と交流している。
球状は、肉体の時の意識と五感の感覚そのままで精神エネルギーの世界を体験する。
トーラスだと外部の認知と同時に自己の受容体もそれに合わせて変容していく。
精神エネルギーの世界を目指す人の動機の多くは「現実世界より自由度が高い」
から、でも自分はそのままでいたい、そういう人が多いようだね。
でも、自由度が高くなるとそれに合わせて成長=自己変容しないといけない。
精神エネルギー界での成長とはその基本原理である「空」を自分の感性として
取り入れるか否かでそれが出来るとエネルギー場がトーラス状に進化していく。
願望成就や超能力獲得を目的にした幽界スピリチュアルも今までは自由だったの
だけどね、今は人類が種として霊体以上の段階に進化しようとしている。
成長の意思がないとおいて行かれるよ、ただ、方向転換しようとしても
幽界ロジックと霊界ロジックの見分け方は難しい、どちらも言葉で表現するしか
ないからね、覚者か詩人か区別がつかなかったりする。
それは自分に対しても言える、そしてその判断のための目安が一つある。 >自分のままでいたい
まさに
自我を捨てるその概念もすらもないのかも 巷のスピリチュアルは文明がある前提で進化を進めるので欲界の範囲内にとどまると思います 才能や縁などがない場合、巷のスピリチュアルでは涅槃にはいけないと思われる 本当に苦しくて欲界ともう縁を切りたいと心底思わない限り、人は現状に甘んじるかと思います
そうやって意識の階層が成り立っていますしね
それに成長には試練が伴いますから、皆挑戦しません 巷のスピリチュアルは霊的指導者としてはお釈迦様や聖者方よりずっと落ちるんです 瞑想とかがメインだけど補助トレとしてクスリ絵てのがいいらしい
クスリ絵じゃないけど万華鏡瞑想とかあったなあ
百均で万華鏡買ったけど結局一度もせずに何処か行ってしまったけど へえ、クスリ絵って初めて知ったけど曼陀羅そっくりだね >クスリ絵
チャクラにも似てそうだね
>>710
>サイキック
サイキック能力は幻想世界でしか使えないものであってそれ以上の世界では必要ない能力だと、同じことおっしゃるマスターがいらっしゃいました クスリ絵を開発された先生、スピリチュアルな方ですね
先生の公式ホームページのクスリ絵のマンガ、興味深かったです
ありがとう トーラスは球と違って中心に穴が通っている。
この穴が何に由来するのかというと、それは重心線。
エネルギー場が重心線に完全同調すると球からトーラスに進化していく。
ヨガで言うとクンダリーニの上昇、仙道だと真通の段階。
ただ、エネルギーの上昇はトーラス構造の形成に伴う現象の一つに過ぎない。
重力の受容構造の中心である重心線は、重力作用と抗重力作用の止揚で形成される。
これを上から見てトポロジー的に簡略図示化すると太極図になる。
それを相転移で三次元化するとヨガのピンガラ、イダー、スシュムナー或いは
仙道の任脈督脈図に対応していく。
さらに四次元化するとトーラスになる、可視的な表現では三次元立体になるが
あの曲線はエネルギーの流れと同化した空間の曲がりを表しているので四次元から
の俯瞰図になる。
だから気の進化のためのワークのプロセスは、表層の意識を消して体性感覚で
重力線の持つ太極構造に同調する、すると外部の気とつながり太極の気が
内部で循環し始める=クンダリーニ、真気発動。
これはエネルギーではなく、エネルギーと空間の融合した上位構造。
体内を循環しながらまず重心線に沿って柱を作る。
これがドーナツの中心で、空間でありエネルギーの柱でもある。
最初に太極の気の引き込みと同調に成功したら、後は自動的にトーラス
の形成まで行く、トーラス場が完成してその場に完全に意識が同調したときに
出現するのが丹光、この時には気の場もそれを受け止める感性も相互変容
している、光はトーラス構造の反映でエネルギーであり空間であり情報でもある。
受容する方の感性も変容していて既存の五感を超えた感覚と意識と無意識が
融合した変性意識で光を受け止めている、それが本当の内的光、丹光体験。
これらのプロセスはある肉体的特徴の変化を伴うのでそれで判断できる。 ここだけの話だけど電子は原子を中心に円回転なんてしていない
どう周っているかは究極のスパイラル振動 >>722
スパイラル振動がなにを示してるかは分からないけど
電子が核のまわりを円運動してないなんて化学選択してる高校生以上はみんな知ってると思う
電子雲とか習ったじゃん >>723
逆に銀河はどう回転してるか解る?
電子も銀河もトーラス回転してる
していないものは存在すら出来ない。
無に逆らえないからだよ・・・
その中心に無限(最大有)が全て接続されている
こういうマトリックスが理解できるかね? あっ、人間の意識側からの変化を書いているのでその辺よろしく。
もともとの構造を意識が移動しているだけかも知れない。
少なくともそう感じる現象があるということで。 >>721
>体性感覚で重力線の持つ太極構造に同調する
私はこれはサマタ瞑想でできてると思います
>柱
柱もたぶん・・・
柱はどなたかが肛門に力を入れるとところてんのような圧迫・押し出し感があるとおっしゃってました
ある方は鉄の棒
それらと同じ感覚なら・・・
>丹光
これはまばゆい光はまだ未経験で、輝きのないマットな光の回転しか見えないです
チャクラかな
輝く光まで進めたいですね
段階を分かりやすく感謝です までもそうだな、目的とその行法メニューが一般的なものと違うから経るプロセスが違うのかな
それか単にまだ段階に進んでないか 普通ヨガでも仙道でも気エネルギーの強化を主目的として行をやる。
そうではなく、太極構造の認知の深化→トーラス場の形成と拡大
→気の多面的側面(エネルギー、空間、情報)のバランスの良い認識
の別方向もある。
まず、想念の想起を減らして無念無想に近い状態に持っていく、すると
身体の深部感覚=体性感覚に意識が乗る、体性感覚の本質には重力同調がある。
この感覚には重力作用(求心性)と抗重力作用(遠心性)の均衡があって
求心性質(陽、熱エネルギー)は下方向、内側(陰の方向、陰行)して蓄積
遠心性質(陰、エントロピー)は上、外側(陽の方、陽行)して排出
の太極図になる、体性感覚は体感的太極図、これに意識を乗せる。
それで色々考察してみたのだが、たぶんここに分岐点がある。
無念無想に近くなって言語とイメージ想起が薄くなると体性感覚が前面に
出てくる、ここでそのまま体性感覚に意識を乗せてしまうと
意識を囲い込む感覚のままで移行するから、気の求心的性質だけ認知してしまう。
つまり気=陽気だと認知してそのように展開する。
言語とイメージ想起が薄くなって潜在意識が出てきたとき、それを追いかけるのは
論外だが、それを無視して体性感覚の方に意識を移しても完全に乗せることは
出来ない。
ではどうするのかというと、意識を散らしながら体性感覚に乗り換えていく。
言語とイメージ想起が薄くなって潜在意識がチラホラ出始めたら
どこにも焦点を当てないようにしてそれらを眺める、するとそれらが
ゲシュタルト崩壊しはじめる、それを維持するとそれらが抽象化して
光の破片のように感じ始める、この時意識は枠組みを持たないまま体性感覚に乗る。
意識の枠組みを外さずに太極の気の陽気とだけつながると熱感覚と
振動や突き上げなどの動性主体の現象になる、仙道やヨガはこちらのようだ。
意識の枠組みを外しながら移行できると、快感や光感、多幸感が主になる。
リラックス系の瞑想やるとこちらへ行くようだが、その前に潜在意識の展開に
引っかかることが多いようだね。 多分それが光体験とかワンネスと呼ばれる境地だと思いますが、ただこの境地はサマディの段階でいえばとても初歩の段階であり、エベレストに例えるとそれは1mmくらいの高さにしか達してない段階と言われています
それにも関わらず勘違いをし悟ったと解脱したと教祖となろうとする人が多いそうです うん、そうなんだ、でもね、これからは「一般人」のレベルが
そこへ行こうとしている、ということなんだ。
そしてたとえ山に1ミリも登らなくても正しく関心を持つ層が増えたら
天辺まで行く人間も増えるだろ、そういう時代になっている。
それから独りの優れた教祖が皆を引き連れていく、という構図自体が
時代遅れだから、心配しなくて良いよ。 <源>が目的地だ--。それらは別々のものではけっしてない。<源>だけが目的地でありうる!自己本来の源に帰り着いたとき、人は生が与えうるいっさいのものを、生が与えようとしているすべてのものを達成する。
(osho) 意識の枠を超えて気(すべて、太極構造のフラクタル)に乗ることで
瞑想以上の個を超える拡がりにつながる、ここの形が大切なのだが
これが重視されることは少ない。
きちんと乗ると正しい内的光&ワンネス体験を経て後、丹光を上位次元媒体として
使えるようになる。
ただ、この仕組みは人類の種の集合的無意識に保存されていて、個としては暗黙知
の身体感覚の領域にあり、進化の時期が来ないと発動しないようになっている。
だが時期が来て発動すると、泳いだり、自転車に乗るように多くは自然に出来る
ようになる。
今がその時期で、つぼみが一斉に開くような変化に伴う身体的特徴は頭頂部が
柔らかくなって頭頂がとがってくる。
これはプロセスが正常に進んで意識が太極フラクタルに乗る準備ができると
蝶形骨が振動してそこを中心に上位次元構造とつながるから。
この状態になると松果体が自然に開いてくる、ここは個人的努力でなく
ごく一部の人を除いては種としての進化の時期が時期が来ないと開花しない
ところだったんだね。
個人的努力で頑張っている人は進化の流れに身をゆだねると上手くいくよ
その方が太極フラクタルに正しく乗れる。
このことについてはネットで調べても触れている人がいなかったのだが
少し前に上げられたYouTubeで「覚醒している人のたった一つの身体的特徴」
というタイトルでヨガの人が同様の趣旨の事を言っていて、それに対して
コメント欄に自分にもそういう変化が起きているとの声が寄せられていたので
安心したよ、皆きちんと進化している、頑張れ〜。 そうですね
頭頂部のとんがりはスピリチュアルな人の特徴とは聞いたことあります >>734
これが真理だとして、今まで痛恨のミスで逃したチャンスも含まれるのだろうか 一般的傾向としては知られていたがここ1年
特に半年位前から変化が加速している。
今まで色々試して何もなくブランクあった人も再トライすると違うかも。
ただ個人的努力より進化の波に乗るという方向性になると思う。
まだスピ界隈でもあまり言われていないが皆が認知すれば普通になる かも。
つれづれにヒントになりそうなことをカキコしようと思うが
そういう方向性なのでガチの努力派は気に食わないだろうけど
あまり絡んでこないでね。 まず頭の骨のコンディションが気の進化の状態を表している、のでそれを確認。
両方の手の平を後頭部に当てて人差し指で後頭骨の下縁を触る。
ここが左右バランスよいと身体及び精神の陰陽のバランスが取れて
太極の気とつながっている。
左右のバランス以前にデコボコしているときは、気の流れが悪く後頭骨が
固い、その時は額からイキを吸い込み、中心で止めて後頭部に向けて吐く。
この意識的呼吸を行うと後頭部が緩み後頭部の左右どちらかが下がってくる。
そうしたら下がっている方に首を回すか傾けるかして後頭骨下縁のバランスを整える
これを維持したまま自然呼吸を行い呼吸を意識で観察する。
呼吸が一旦大きくなって落ちついたら後頭骨の歪みがリセツトされているので
首を元に戻してもバランスは崩れない。
後頭骨を整えると骨盤や股関節付近の骨格も同時にそろって両内くるぶしに
重心が落ちる、普段でも内くるぶしの重心を意識すると後頭部のバランスが
活性化する。
これでヘソから下までが真通(上位次元の引き込み)する。
腹部回りの気を鍛えている人はこの辺整っていると思うよ。
次は蝶形骨と横隔膜を整える、首から上まで真通させると蝶形骨が活性化する。 ガチの努力派って私のことかな
でも自分はその進化とは別の流れだから気にくわないことないよ
皆さまの更なる進化と豊かな繁栄をお祈りしています >>738
>進化の波
その人類の進化はやはり宇宙人が司ってるのですかね?
スターチャイルドとかいいますよね
それともインド占星術と関係あるかな
人類への影響は星の運行が関わっているのでしょうか
その大きな力と影響力を無意識ではなく肌で感じたいですね 宇宙人の方々のことは知りませんが、まず人類という種の進化形態としての
平均的な気の構造レベルというのがあって、今までは比較的胸のチャクラまでは
普通に生活していても気が上昇しやすくなっていたのがさらにコロナ以降
喉から額のチャクラまで何もしなくても上昇するようになっている。
それを蝶形骨が受け止めで振動、さらに上位次元構造を頭頂部付近に引き込むから
頭頂付近が半物質半霊化する、自覚できる身体的特徴として頭がセルロイド製の
人形の頭のように柔らかくなる。
両手で包み込むように触ると毎日形が変わるのが判る。
そして先端が尖ってくる、波動が高くなると頭を包み込んでいる手の感覚も
なくなって空間に溶け込んだように感じる。
自覚していなくても起きる人には起きていて
そのうちに自覚できる感性の変化として表に出てくる
この変化を受け入れるかどうかがさら進むかの岐路になるようだね。
この蝶形骨の活性化が松果体の本格的開花の必須自要件だと思うが
皆、あまりこういうことは言わないね、なんかちょっと集中したら
光が視えておめでとう、みたいなのが多いね。
蝶形骨が活性化すると後は松果体も自然に開くのだが、自覚的に
プロセスを進める場合、この状態になると目をつぶると自然に円い輪が見えてくる。
まぁ、この状態にならなくても見える場合もあるのだが
この状態(蝶形骨の活性化)を経て見えた輪っかは本物。
これを後頭骨に意識を向けながら眺めるように見る、やがて輪っかは光化して
全身を包み込み内的光、ワンネス体験をする。
これが意識が幽体から霊体に移った体験でエネルギー場構造も球状からトーラスへ
進化していく。
これが前レスで書いた潜在意識をゲシュタルト崩壊しながら太極フラクタルに乗る
プロセスと同じモノなのだが、あれは自力でこちらはナビがついている。
こちらの方が楽で安全。
丹光の出現は霊体ボディの中心の把握に重なっていく。
そのうち後頭部に意識を散らしているのに自然に前方に焦点が結ばれて
視覚的な光が出現する、これが丹光で肉体と上位次元を結ぶ媒体になる。 >気の構造レベル
気道の通りとも言えますかね
確かに言われていますね
その気が体のどの部位まで上がるかが、マズローの欲求段階とも対応して目安になりますね
>コロナ以降
なんでだろう
今までと同じように娯楽で気を発散(有漏)できないからだろうか 仏縁なき衆生は救いがたし
仏道がダメなら自然の進化の流れに乗って開花の道へ
カルマも何でもそのままで良い
それは取るに足らない小さなこと 大いなる進化の流れが全ての人の味方になりますようにお祈り致します 覚醒は未だに出来てないけど、真理の法の知識と肌感覚で世の誘惑に惑わされないくらいまでになったかな・・・
一時的に魅了されるけどその時間が以前より短くなってきてる
でも世にある魅力的なものも本物でエネルギーが強い
そのエネルギーを使う流派もある
その場合そのエネルギーに修行者に求められる清らかさなどは問われない >>746
カルマを満たすそんな必要はどこにもない。あなたがただ醒めるということだけで、突然すべてのカルマははがれ落ちてゆく。ただ一瞬の強烈な覚醒のもとに、すべての過去は消え失せ、ごみくずと化す!
(osho) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています