J・マーフィーの成功法則はまさに超能力!part2 [無断転載禁止]©2ch.net
真実はいつも一つ!!ていうが、逆だよ。
事実は1つだがその人にしっくりとくる解釈を入れた真実はいくつも存在する。
事実をどう記述するのか、の中に真実はある。
自分なりの真実とは自分軸で自分なりに回収できる記述に変えること。
ポジティブとは自分に都合よく、という意味ではなく
自分が主体的に事物に関わり合う姿勢ではないかな。
と、生産的なことを考えていると長く感じるな、これって別マーフィ?。 書いてることをストレートに解釈するとのほほんと何もせずいいこと考えてるだけで成功すると読めちゃうけど実際はそうじゃないよなあ もう一つのマーフィは認知バイアスについての法則で
簡単に言うと「最悪の結果を認知するとその通りになる。」
これは航空技術者である作者が事故などのパニック状況から引き出した
観察に基づく一つの考察なんだが
二つのマーフィには共通点がある。
それは認知が現実を引き寄せる、というもの。
しかも正反対で、それぞれ認知による上昇と下降の機微に触れている。
この二つのマーフィを結びつけると面白そう。
ポジティブな方は現実がついていけば続けることも可能だが
一旦途切れてしまうと反動で、「最悪の可能性を認知して」
もう一つのマーフィの法則に嵌ってしまいそう。
そのためにはむしろ「最悪の事態を想定して」
「そこから抜け出す道をいくつも想像しておく」
東洋ではこれを「平常心是道也」という
心の穴とかデコボコが埋められた状態、道が平坦だとまっすぐ前を向ける。
ポジにもネガにもバイアスをかけるのではなく
まっすぐにみる、これ大事だよね、これこそ本当のポジティブ という説どう? 努力が苦行であるかどうかて言うのは大きいんだよな
苦行やった奴は自分の努力や成功を声高に宣伝してマジウザい
俺の仮説では無意識を使うとそれほど苦労ないか、ラッキーで
成功できるはず。人との繋がりとかは努力とか関係ないからな
まあ人脈作りに精を出す努力(笑)をする人間もいるんだろうけど
まあ生きてく上で努力するなんて当たり前だから
いちいち大声で言うようなことじゃないし、成功者の言う努力は成功のことを
指すようだし、ある人にとって学校の勉強のことを指して
それ以外のことを一切見ようとしないゴミ。趣味の努力や読書は見えないのかねw
俺はゲームがうまくなる努力をしたぞ。血の滲むような努力をした
楽器もそうだ 神社行っても何も起こらんし、何があるってわけでもないよな
建物があるって言うそれだけ マイナスなことを考えるなと言われると考えてしまう
プラスなことだけ考えろと言われると悪い雑念が入ってしまう
無理 >>521
言葉の定義の問題だけど
ふつうは記述する人の数だけ事実(fact)があって
そのうち真なる一つのものが真実(truth)と呼ばれる
だから「真実はいつも一つ」が正しい
「真実」の意味で「事実」を使う人もいるのでごっちゃになることはよくある >>528
逆だな、事実は実際に起きた現象で事実は1つ。
それに対して真実は納得できる解釈をされたもの。
この納得できる解釈を皆で共有できる、などと考えるから
事実と真実の境界線が曖昧になる。
事実は現象として一つだけだが、真実はそれを受け取る視点によって
無数に存在する、そう解釈した方が語義的にも正しくないかい。
複数の人がある現象を見てその現象と違うことを事実として
述べたのならそれは事実誤認で、それを修正したら正しい事実。
ただ、皆が確認した事実に対してそれぞれの立場から自分の解釈を
述べたのならそれはそれぞれの真実と言えないか。
事実誤認の修正を真実としているが、それだったら新事実では。 常に自分にとっての真実とは何か、それを考え続けるだけで人間は賢くなる。
例えばコップ丁度半分に水が入っているとする。
これを三分の二入っていたとか、三分の一しか入っていなかった、とするなら
それは事実誤認で事実ではない。
事実はコップ半分の水ということで、事実は1つ。
この事実を共有して、その半分を「まだ半分」「もう半分」と認識したなら
それがそれぞれにとっての真実。
だから物事は事実をキチンと把握して同時に自分にとって真実とは何か
つまり事実に対しての納得のいく解釈をすると、事実と真実を同時に把握する
立場に居ることが出来る。
真実の真をまことと読むと何がまことか、という主観的整合性の入った事実となる。
もし真を本当のという意味で解釈すると、それはたんなる事実に過ぎなくなる。
どちらがわざわざ真という言葉を使うのにふさわしいのか、判るだろ。
事実を誤認のままで放置したり、自分なりの真実を見ようとしなかったり
事実と真実を混同したり、真実の独立性を認めず他人に押し付けたり
または他人の真実を咀嚼せず受け入れたりすると
事実とは何か、真実とは何かも判らなくなり
思考停止したり同調圧力に巻き込まれる。 ポジティブシンキングとは、事実をキチンと受け止めた上で
肯定的、主体的に記述して自分にとっての真実にすること。
真とは自分にとってまこと、だから肯定的、主体的思考になる。
この作業を自分が関わるすべてのことに行う。
普段からこれをやっていると、ネガティブな事象が起きても
既存の真実群に吸収することが出来る。
普段から生きること、社会との関わり方、未来への指向などを
自分にとって真実化していれば、例えば試験に落ちるようなことが起きても
ゴールに向かっての途中経過と考えて出直す、他の選択肢を選ぶ良い機会だと考える
等を自然に行うことが出来るが
事実の積み上げしかないと、次は必ず受かる
と根拠なき確率の改変=事実のねじ曲げに縋ることになる。
こういうやっつけポジティブシンキングがまかり通っているが
普段から自分にとっての真実とは何か、という思考を積み上げていると
ネガテイブ事象を自然に積極的思考に吸収させることが出来る。 まあ言葉の定義の問題だね
そう思うならそう思っておけばよい 少し説明すると、例えば、3人に何日か星の観測をしてもらったとする
一人は「星は東から西に移動する」と言う
一人は「星はある星を中心にぐるっと回る」と言う
一人は「中には逆行する星がある」と言う
これらはどれも再観測可能な客観的な事実(facts)だ
真実(the truth)は、自転と公転、それに見ていた方角に違いがあったということで、一つ構造として描ける
真実を「それぞれの人にとって本当のこと」と定義すれば、「真実は一つじゃない」ということになるし(そのときは上記の「事実」と「真実」は逆)
「客観的にも本当のこと」と定義すれば「一つ」になる
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%9F ★『ワールドメイトの先祖供養の凄さ』
http://worldあmatefan.blog119.fc2.com/blog-entry-525.html
★『ワールドメイト会員のメリットと絶対的な幸福』
http://worldあmatefan.blog119.fc2.com/blog-entry-523.html
★『巷の「霊能者」「スピリチュアリスト」が知らない神様や龍神の話』
http://worldあmatefan.blog119.fc2.com/blog-entry-510.html
★『イカサマ霊能者や偽者スピリチュアリストに要注意』
http://worldあmatefan.blog119.fc2.com/blog-entry-409.html
★『【龍粋社】天妙龍啓 (天川龍一) さんって凄そうですけど実は』
http://worldあmatefan.blog119.fc2.com/blog-entry-331.html
※URLの「あ」は抜く。
具体的で素晴らしいことを述べてるのは和魂だけだな。そこらの霊能者やスビリチュアルリストよりマトモだわ。なによりこいつのシンクロニシティはマジで神懸かってる。ワールドメイトってほんとは凄えんだな。 あなたが思う事、考えることがあなたなのです
良い思い、良い考えを選択しましょう
良い種を蒔きましょう
願いが叶ったと想像して感謝しましょう
潜在意識はやり損ないません
わくわくしながら、気楽にのんきに待ちましょう
素敵なコート、、キャデラック、壁にかけられた医師免許、売家の立て札はすべてあなたのものです 自分、これはおかしいなと思う話を聞くと対処策を考える癖があるんだけど
だいたい想定通りにそれが起きるのは、そのことを考えるのがネガティブ思考だからだろうかと最近悩んでいる