慈悲の瞑想について
これを各項目ごとに、わき上がる感情を観るという方法がある
慈悲の瞑想はサマタと言われているが
これをヴィパッサナーで観ると言う事を、してみる

言葉で誘導された感情が出てきたとき、それを止めて、観て焼いてしまう
と言う事を続けると、

どの言葉においても、感情が沸き立たず、同じように唱えることが
できる事に気がつく

言葉はよく観れば、空虚であると感じると同時に

色々な自分の言動を観たとき

本当に大切にして

良く気がついて使わなければならない

と言う事に気がついてくると思う。