第九の「喜びの歌」はインチキか?

「ものづくり」こそ、世界的インチキの象徴
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/43/287.html
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/C2/04/09.html
「特許」という概念は普通の人には理解しにくい。
この「特許」こそ、文字が示すように、権力者の「許可」だった。
古代から封建時代、帝国主義時代そして資本主義・共産主義まで、
権力者は、新発明を許さなかった。
新発明は、ある種、権力に対する「謀反」だった。
だから、発明者は、権力者に直ちに許可を求めないと命さえ危うい。
だが、権力者は、その発明を全て無条件で差し出すか、完全な子分にならない限り、
独自の商売など絶対に許さなかった。莫大な「金づる」を許すはずがない。
しかし、時代とともに、庶民の理解が必要になってきた。
そこで、「特許制度」が考えだされた。
届け出たものは、権力者との協議で条件が折り合えば「個人の権利」として与えられた。
だが、ある権力者は、ここに大きな「罠」を仕掛けた。
つまり。特許の申請は競合することもある。だから、・・・・。
「あ、そうですか。これまでの届け出と重複していないか調べた上で許可しましょう。
調査が終わるまで待機してください。」
・・・・その後・・・・・
「残念でしたね。あなたの発明は、数日前に別の○○さんから先に出されていました。
次の発明を頑張ってください。」
※※実は、この話はでっち上げで、申し出人の特許を、日付をさかのぼって
仲間の人間での「特許申請」に偽造したのだ。
この種のインチキ特許管理体制は瞬く間に世界的ネットワークとなり、今日まで続いている。
このインチキ特許制度を祝った「歌」こそ、第九の「喜びの歌」だった。