(男声)多田武彦を賛美する(だけじゃない) 2
関学グリーの百周年記念CD入手したんだが、組曲「雨」の4曲目が「十一月にふる雨」だった。
久しぶりに聴いたわ。81年のライブなので音はちょっとアレだけど。 >>759
でも「昭和の関学」やね。
最近コンクールに出ているのとは別の合唱団(団体としては同じだけど)。
平成の関学OBに聞いたら、「十一月にふる雨」も「年の別れ」も知らない
ようだね。 >>760
その2曲は封印された事情が事情だから、関西ではまず演奏されないんではと。 違いない、残念ながら。
でも本当は「王の宮居」も、その「・・の小屋」も等しく濡れにけり、
という曲だから、本当は差別ではないと思うのだが、言葉狩りにあって
いるとしか思えない。
あるいは、昨今の公園のホームレスさんを揶揄したと思われたか。
曲自体はいいんだけどね・・・
油断するとデモ行進で歌うような感じになるので注意だけど。 >>760
「年の別れ」はグリークラブアルバムに載ってるのにね。
>>762
「どんな人にもあまねく」という趣旨はいいとしても、その例に身分の違いをもってくること自体が差別を肯定しているという考え方もある。
ちなみに封印された事情は作曲者側の自主規制。 クラシックヲタクからすると、多田作品ってずいぶん なるい 感じがする。
西洋古典音楽の形式と、日本の新体詩(?)の融合、っていうのは確かに
凄いと思うけど、西洋古典音楽の、肉食民族を連想させる激烈なものが、
かなり後退しているように聴こえるからね。 その辺、清水脩作品は独特のものがあって、作曲家の権謀術作?の能力
の違いがわかるような気がする。
「永遠不滅」の作品なんてない。というのがクラシックヲタクの共通認識。
時代時代でカメレオンのように変身できる作品が生き残る。
タダタケの一応演奏様式の変遷はあったというが、半世紀もったのは
たいしたことなのだ。 いまさらながら柳河をやろうと思っているんだが、
現地である柳川に最近行った俺としては、歌のイメージが
くずれた感じがする。特に詩が。
多田が作曲した当時とはまるで違うよね。
ウナギの蒸籠蒸しが美味かったのは良かったが。 >>767
多田武彦氏ご本人は旅行嫌いで、柳河や小樽には出かけたことがないそうな。
(ソース:ただたけだけコンサートvol.3のCD) 「雪と花火」に見る世界って、バブル以降はどうなったのかな・・・・ ●●●ケネディ大統領は何故、死なねばならなかったのか?●●●
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爺どもがいる。言論は自由だが。 脱糞したらヘソ下まで出るようになりました。上から見下げるような屈み方が良い感じです。 男声20人で富士山することになったけど大丈夫やろか
まあ練習日は100日ほどあるけども OB六連の 尾崎喜八はよかったぞ。だいぶ解釈が違ったが ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ 多田武作品の現在の需要状況は、コンクール、コンクールで明け暮れた
人々が、ふと、タダタケを歌いたくなるパターンがあるようです。
私も同じ思いです。でも、タダタケ作品はつきつめると難しいと思います。
数多くの歌い込みが必要だと思います。 詩人の北原白秋先生は、彼の詩に作曲する人に対して
たいそう厳しかったらしい。
彼の詩を忠実に音楽で表現できる人にしか曲を付けさせなかったらしい。
しかし、山田耕作先生にだけは安心して作曲を任せていたと聞いた。
また山田耕作先生も自分の作品を歌わせる人に対して相当指導も厳しかった
らしい。
だが、先生は、美空ひばりだけには、「自由に歌いなさい」と
言っていたらしい。
ところで、山田耕作先生の作の上には、竹冠がつくのだが、
これは、ご高齢になられた時、髪の毛が薄くなられ、
それを、防ごうと「ケ」を上に二つ付けたとか、
どこかのホームページに書いてあった。
ところで、タダ先生は、歌い手に厳しいのであろうか?
先生の合唱講習会等では、理論的なこと、実践的なノウハウを
披露されているところを拝聴した限りでは、理論的にももかなり高度に
要求されるところがあるような気がする。
良い曲は、良い歌い手と良い曲が揃ってはじめて世に出て
そして歌い広められると思う。
だから私たちは、良い歌い手にならなくては、、、、、、、。 https://youtu.be/X5ra1a1xSX4
雪中の葬列 『木下杢太郎の詩から』
大逆事件、黒枠事件など戦前の暗部を
歌った曲だそう。 凡竜はひまわりを好かない
紫陽花のゆれる乳房に坐って深深と
空気を吸うのが好きである 学生時代に「雪明りの路」を歌ったんだけど、
伊藤整がヤリチンだと知ってから曲の印象が変わってしまった。