(男声)多田武彦を賛美する(だけじゃない) 2
前スレの発言番号が950を超えたので立てました。
日本の音楽界にとって多田武彦(作品)の意味はなにか・・・
つまるところ、自分にとってタダタケってなんだ?
そして「タダタケ」はたそがれてゆくのであった。
そう、美しく・・・・・。
あれは男たちの胎内回帰ではなかったのか?
いや・・・・ ある程度トシをとった方を相手にする場合、
あけすけにモノをいうよりも、遠まわしにいったほうがいい場合もある。
そういう漏れもいいトシなのだが・・・・
どっちかというと、「凝り固まった人」はウザイなぁとは思うのだが、
ご自身に気がついてもらわないとね。 豚切だけど、何年か前に中学混声の全国で、
熊本大学附属中が混声版の「わがふるき日の歌」引っ提げて登場した時は嬉しかったな。
演奏もすばらしかったし。
指揮者の確かな選曲のセンスに敬服。 「わがふる」は、いいねえ。
何度もこの曲を取り上げる合唱団も多い。
信長さんの「故郷.里の秋.みかんの花咲く丘」
あたりの曲は、音程をしっかり取って、声の支えも充分じゃ
ないとなかなか上手く聴こえない。(発声悪いと映えない)
と言うか、声の良さだけが目立つ歌でもある。
昔の歌のように、声を出せばすべてドカンと響き渡るような
音も使われていない。
しかし、ときどき和音が決まる場所があるだけでも良いとしなけりゃね。
でも、センスの良さが若者に受けるのでしょう。
わからん、わからんばかりじゃ困るときもある。
そんなときは、少し考えるだけで判る場合もある。 おっさん、氏ねよ。
自分の経験だけでモノを語るな。 両方とも、ご本人たちだけが一人合点しておられるようですな。 それじゃ、あなたの経験とやらを、お聞かせ願いたい。 下手な文章を書いて寄せて
あとで少し考えて責めて行く
それは、最初小さなこえでテノールを歌い
最後はバスでドカント歌う如く。
おっさんを馬鹿にする奴らうざいよ!!
ってか馬鹿にしてる奴らなんなの?
さからったレスしかできないのか、と思う
んだが・・・・。
かなりおかしいだろ・・・。常識的に考
えて・・・。誰がおかしいかは明瞭かと思わ
れますよ。 >365
いまどきの発声って、どんなのですか?
文にするのは難しいでしょうが・・・ >>376
まぁまぁ、そうムキになりなさんな。
でも40年というと、「蛙」世代かな。
>>374
はい、そうです。すいませんです。(微笑)
なにせトシヨリなもんで・・・・
そういう漏れは「わがふる」世代。 >>379
ほんとは、ベルカント唱法(いまどき)
と言いたいです。が
「浅い発声」のこと。
話は、変わるんですが、
男も40過ぎると、年を意識しだすようです。
その辺の年齢の方が、自分はあたかも老人と違うぞ!
とばかりに、騒ぎ立て差別を行なう風潮があるようですが、
自分も「おっさん」の仲間入りしたことを、早く自覚しませんと、
「お子様ランチ」のようになり。
大人の食べる「トロ定食」が食えなくなるなんてこともあるかも知れない。
年齢のことを騒ぎ立てる者こそ、今自分が立っている場所がわからないのでは
ないのか、年齢に対する劣等感を抱いているのではないかと
分析してみた。
まあ、とにかくご老人になった暁には、さぞかし大事にされることでしょう。
「おっさん」と言う言葉をつかうお方は、一人しかいないのに
「おっさん」と書く「おっさん」は、かなりおかしな「おっさん」だ。
難しいだろう?
「蛙」って
「やなぎの葉に、雨蛙を乗せて流して遊ぶ」あの歌のことかな。 蛙 この蛙ですか。
ttp://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/1957/ >>382
昔、トシヨリの弊害だなんだかんだと他人事でいっていたものが、
だんだん自分のものになっていくという怖さ、あるよねぇ。
気づかなくなって怖くなくなるのがいちばん怖いのだが。
で、ここはなんのスレだったっけ(<をい) (男声)多田武彦を賛美する(だけじゃない) 2
トシヨリといえば、私の伯母さんが、他界した。
なぜか、3人もの伯母が他界した訳なんだ。
1番上の伯母が、102歳、次が100歳、その次が98歳
これは、仏年齢なんだが。
残されたのは、私の母85歳だけ。
私の伯母さんの歳と比較すれば、私なんか未だは鼻たれ小僧ですわ。
じゃあこのスレに、集まる者は、年・齢・的・には未だ子供ですわ。
それで、タダタケ先生は、75歳
まだ青年ですわ。
今年指揮していただいた、大中 恩先生は確か82歳
まだまだ矍鑠としていてお若い。
それで、タダタケの作品は、なかなか良い作品が多い気がする。
男声合唱を語るには、タダタケ作品無しには、語れないと結んでおこう。
慣れない日本語書くのに疲れた。
どこからタテに読もうかな。先に追記しておくことにする。
次回は、天国と地獄について書いてみることにしようか。
>>389
ほう、「棺桶入る寸前まで『合掌』するスレ」か。
坊主と亡者が集いそうだな・・・。 >>390
ふむ、では日本古来の宗教音楽「声明」について語りましょうか。 >>388
畑中良輔先生も、足取りは少しおぼつかないが、指揮壇上の立つと
「違う」んだそうな。そもそも指揮者ってそういう人種かも。
出身大学合唱団の作曲家別演奏リストを作ると、とびぬけて多いのが
タダタケ作品、というのは事実。ただ、団体としては下手だった昭和
40年代の演奏のほうが、一種「思いつめた気分」が横溢していて
最近になるに従って「冷静」になっていくのが面白い。
うちの現役だけかな。
あと、タダタケ先生は企業人として充実していた時期に、
作曲家としても充実していたような気もするが、如何?
我々一般人と感性が近いのがなによりの魅力という気がする。
>>389「棺桶入る寸前まで『合掌』する
人間死ぬまで勉強なんて言葉がある。
最近では、65歳定年制の法令が平成25年に制定される模様だ。
人間死ぬまで働くことが健康の秘訣とか、思ったりもしている。
それで、死ぬまで「好きな合唱が出来たら」本望だとか、、、、。
合唱団の先輩方を見ていると、そのように感じるし、
事実、そのようになっている。
>>391
「声明」
は、口伝のようなので、なかなか文章での表現は難しいのかも知れない。
現代のいろいろな表現記号を使用すれば可能なのかもしれない。
私の知らない世界ですからね。
>>392
「畑中良輔先生」といえば、ラジオで歌声をお聞きしたことがありますね。
しかし未だ一度もお会いしたことは、ありません。
やはり、タダタケ先生の作品が多いですか、やはりね。
「理性でコントロールすること」が善のように言われますが、
確かに、作品に品性の向上が現れる上においては、良いことなので
しょう。
でもね、勢いで歌うのも素の人間を表現する、もっとも人間らしい
表現法なのかもしれない。
これは、決して悪いものでは無いと思いますよ。
人は、充実する時期には、なにしても上手く行くようですね。
彼の作品は、沢山の人に歌われましたからね。
かの、ゲーテの詩集も読む人と見事なまでの感性が一致があるからこそ
多くの人々に愛読されるのでしょう。
「声明」って口伝の世界・・・だと思うけど、
現代になって、また違った方面から見られるようになって、ま、面白いことになったわけ。
それもこれも、今までの「西洋古典音楽」が書き尽くされたような状況から考えて
そもそも「合唱」って何?という問いかけというか、探求心があると思います。
勢いで歌う って作曲家がそれを想定する場合もありますね。
特に学生団体の委嘱作品の場合。
なにせ学生さんから「勢い」を取ると何が残るか、という問題もあるしね。(極論?)
最近、柳亭痴楽のことをよく思うのですが、
まぁ、漏れが物心つくころにはすでにその活動は最終期だったのですが、
それでも記憶に残っている独特の調子は、当時の日本語のリズムにのっとった名調子
だと思います。現在の日本語のリズムではすでに完全な再現は不可能かもしれません
が、話術スタイルを真似する落語家は多いように思います。
林家三平が「破壊者」として名を残すのとは対照的に、痴楽は時代に溶け込んで
いったのかもしれません。
タダタケもそうなるかな?
「柳亭痴楽」
懐かしいね。
私が、小5,6の頃かな?
柳亭痴楽は、良い男、日本一の良い男から始まるくだりで、、、ね。
あの頃は、植木等(クレージーキャッツ)の「スーダラ節」がその
少し後かな。
当時私は、柳亭痴楽の物まねやってました。
彼の最盛期でしたかね。
ほんとは、その頃から漫才師に憧れてました。
合唱のデビュー曲は、「禁じられた遊び」「森へ行きましょう」中3
でした。
「林家三平」さんも楽しい人でした。
彼は歌も上手で、良子さんの歌をよく歌ってましたね。
彼は、お客様を巻き込んでのあの素晴らしい芸を我々に
見せてくれました。
昔、静岡で合唱やってたころの指揮者の話ですが、
もし家が火事になったらなにを持って家からでるか?
彼は、それは、「メサイア」の楽譜だ!と言ってました。
それは合唱のバイブルであると。
ちょうどそのときメサイヤの練習やってましたがね。
それでは、日本における男声合唱の「バイブル」と言えば、
「タダタケの作品」であると言われるくらい、彼の作品は
半世紀にわたり歌い続けられてい訳です。」に繋がって
しまった。
追伸、思い出した。
柳亭痴楽
痴楽つずりかた教室
「私は、あなたを、あいうえお
だから手紙を書きくけこ、、、、、、。
、、、ナイフでさしすせそ?
いつの間にか独り言をぶつぶつ言う方が住み着いているね 「バイブル」そこまでいわないかな・・・・
西洋古典音楽で「バイブル」とか「ほんもの」とかいうと
直 バッハになってしまうと思うのだが。
短絡的ではあるが、
イエズクリステ→聖書
クリスチャンであり合唱指揮者であれば、
教会で聖書、教会の合唱隊の指揮者の譜面台の上にメサイアの楽譜
全能の神を褒め称える作品であればなおさらのこと。
メサイアには、合唱の原点とも言われる「マドリガル」
の様式もふくまれているようだが、合唱音楽の全てが凝縮されている
かのような錯覚が、このような話に展開するのであろうか。
神がかりな話は、短絡する傾向が見られるが、、、、。
で、タダタケは?
タダタケ無しには、日本の男声合唱は語れない時代となりました。
混声組曲「富士山」は、名曲です。
蒔いた種が芽を出す頃です。
日本の混声合唱は、タダタケ無しには語れない時代が到来しつつあります。
女声合唱は、どうなんでしょうか。 >>402
あのう、それ昭和のハナシじゃないんですか?
それも40年代の・・・・・・
少なくともその書き方だと・・・・・
{いきなりガッと}のスレに、混声の富士山は男声からすると物足りない編曲
云々・・・とあったような。 >>402 ついでに・・・・
頼むから、飲酒酩酊しているような文書、書かないで。
こっちまで目が回ってくるわ。 >>0000000403=>>00000000404
文章の一部を読まず、全体を見てください。
いずれの年代であっても、事実は事実。
君たちは、物を見るのにななめに見てはいないか?
このスレのひとは、そんな人が多い。
へビは、自分はまっすぐだと思っているが、実は「しっぽ」が
曲がっていたりすることもある。
追伸(連続投稿すまソ)
>>403
{いきなりガッと}のスレに、混声の富士山は男声からすると物足りない編曲
云々・・・とあったような。
どこかな? だから その書き方では・・・なんだわ。
むしろ「今でも、タダタケなしには日本の男声合唱は語れません」と書いたほうが
まともなハナシなのよ。
我々が学生時代、自分たちもほかの合唱団と一緒にやってきたものは、いったい
なんだ?と思ってしまう。それは別にものを見るのにななめに見たわけでも
なんでもない。
混声合唱の邦人作品については良く知りませんけど、もともと作曲家がたくさん
いた上に、精精いくつかの組曲と編曲ものをあげてもどのくらいのポジションに
なるのか、ワタクシには判りません。少なくとも高田三郎よりはタダタケのほう
がステイタスは低いと思うよ。
{いきなりガッと}のスレについては、ご自身で探してください。
確か「もうすこし負荷の高いことしてもいいのでは」的な文章だったと思う。
で、お願いだから、あっちに茶々はいれないで。
だから その書き方では・・・なんだわ。
むしろ「今でも、タダタケなしには日本の男声合唱は語れません」と書いたほうが
まともなハナシなのよ。
「今でも」は失礼だと思う。
一部の人が、認めようとしないから書いたまでです。
50年の歴史で認められてもいいと考えたからです。
{いきなりガッと}のスレについては
思い出してみると
混声の「富士山」は、男声の「富士山」と比べて、
男声の「富士山」を歌われた方が編曲の和音が違う
とか言われ、混声の「富士山」に対して否定的
であったことに対してコメントしただけです。
勘違いしないで下さいね。
追伸{いきなりガッと}のスレについては
思い出してみると
混声の「富士山」は、男声の「富士山」と比べて、
男声の「富士山」を歌われた方が編曲の和音が違う
とか言われ、混声の「富士山」に対して否定的
であったことに対してコメントしただけです。
勘違いしないで下さいね。
「根拠の無いことを」
ああだ、こうだ言うのはおかしいと思う。
こりゃ相手にしないほうがよさそうだな。
シェールな世界を堪能するとしよう。
>>402
混声合唱については「タダタケ無しには語れない時代は過ぎ去った」と言わざるを得ない。
ピークは組曲「京都」かと。
今や多田武彦より1世代も2世代も若い作曲家(新実、木下、松下、信長 etc...)の時代だろう。
女声合唱については、もうタダタケの時代は来ないと思う。ピアノの使い方があまりにも古い。
今や合唱曲におけるピアノは、三善晃、鈴木輝昭、荻久保和明らの手によって「伴奏」から卒業している。
>>410
ここ、おっさん(自然無能)がセンズリこくスレッドだから。そうじゃない人向けのスレッドの話をこっちに持ち込むべからず。 女声合唱については、もうタダタケの時代は来ないと思う。ピアノの使い方があまりにも古い。
今や合唱曲におけるピアノは、三善晃、鈴木輝昭、荻久保和明らの手によって「伴奏」から卒業している
ア.カペラは、どうなんだろう。
タダタケのピアノ伴奏曲は、想像できない。 >>412
タダタケはアカペラの女声合唱曲を書いてない。ピアノ付きのみ。
もっとも、日本人作曲家がアカペラの女声合唱曲が書くようになってからまだ歴史が浅い。
松下耕や木下牧子や高嶋みどりあたりの、それこそタダタケの次以降の世代の話だから、しょうがないだろうけど。
今年「白き花鳥図」の女声合唱+ピアノ伴奏バージョンの譜面が出版されたばかりだから、ご興味があるならどうぞ。 >>412
元々、タダタケの混声・女声合唱曲については
ご自身でどういう曲があって、どういう曲を聴いて、どういう曲がとても素晴らしくて
といったハナシから始めれば、話がこじれなかったんじゃないの。
「これは素晴らしい」という感想をけなすんじゃなくて、
「もっと素晴らしいものがあるような気がする」的な言い方をこっちも心がけて
いるつもりなんだけどね。
男声合唱におけるタダタケブランドのシェアは、確実に下降線をたどっているのは
事実でしょう。昔はそれこそ寡占状態だったのが、他の作曲家の作品が増えて、
演奏の機会も増えてきたからね。だからいわばトラディショナルな演奏より、
よほどの「再発見」的な演奏というか蘇演でもできれば、ああいう書き方をして
もいいと思うよ。
>>414
フォロー感謝します。
「白き花鳥図」は、混声で歌いました。
印象は、「美しい曲」
また、幻想的な要素もあります。
1.黎明
スピード感があり、ウェットな感じの美しい作品
2.白鷺
数珠かけ鳩の美しさ(メロディーと和音の美しさ) 空に杏の葉は匂い
〜空に杏の葉は匂いまでの展開の素晴らしさ。
3、 白牡丹
幻想的な美しさ
4、鮎鷹
音が上下する緊張感が必要な曲(難しさばかり印象に残る)
この曲は、相当歌いこまないと表現が難しい。
5.柳鷺
テノールがソロを受け持つ曲
落ち着いていて実にすばらしい、フィナーレにふさわしい曲
(イメージは、白色)
この組曲は、音色が豊かで、歌いながらものすごい音色が体感できる
美しい曲だと思う。
詩の
美しさもすばらしい。
三善晃
といえば、混声で「嫁ぐ娘に」歌いました。
あの作品も、ほんとに美しい曲でした。
ものすごく音色を感じる曲でした。
低音もバスが低い Fまであり、上手く歌えば
すごくダイナミックな演奏が楽しめます。
「窓を閉ざしても木々の葉はささやきかけ、こころには火がともっている。」
こころのともし火が見えるかのように美しい「詩」と「旋律」
あれは、昭和45年ころかな、演奏会には作詞者の高田先生
がお出でになりました。
あの頃は、コンクール全国大会(一般)で上位でしたね。
あれから後に、海外で合唱団が賞を頂いたんですね。
>>416
柳鷺って、あんた歳いくつ?
ちなみに女声版「白鷺」に独唱はない。 >>418
息子があなたより、少し年上。
初演が多い合唱団にいたようですね。
指揮者が勉強熱心でしたから、
当時未だ歌われていない作品を
取り上げることが多かったんです。 >>417
アンカー間違えました。すまソ
「白き花鳥図」は、別のところで7年くらい前に歌いました。 むかし、私の近所に「宮永武彦」と言う名の画家が住んで居ったが、
タダタケは、絵を書いたりするのであろうか。
ちなみに、私はこのスレで「恥をかいとるが」
そろそろ恥を書かないようにしようと考えているところだ。
最近合唱から遠ざかっているから、歌でも始めることとしようかな。 定期試験終了まで学級閉鎖。但教員のみ出校することあり。
今度歌うのに鐘鳴りぬの詩の意味が戦争に行くという事くらいしか解らん!!
誰か詳しく教えてください。 うちの学校の音楽の教師が持ってる或る合唱団が、
タダタケの新作のアイヌのなんとかっていう曲の初演を昨日したらしい
身近にこんな大きな存在があるとは知らなかった&聴きたかった >>426
たぶん>>274でしょ。その演奏会の最終ステージが、清水脩作曲「アイヌのウポポ」。 清水修作品も演奏頻度が少なくなってきた、ということか。
↑清水脩のまちがい。
「月ピ」だけがこの人の作品じゃないよ・・・って言わないといけない
時代なのかしら・・・・タダタケファンに対しても。
清水脩
ttp://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/chorus/1133594599/l50 >>430
「存在そのものがタダタケ批判」氏に荒らされないことを祈る。
タダタケの音楽は50年後も今のように演奏され続けているでしょうか・・? >>432
今のように減少傾向が続いたら50年後はどうなるんでしょうね。
成長の見込み薄し。
第一、「敵」にすらしてもらえない可能性高し。
「存在そのものがタダタケ批判」氏に荒らされないことを祈る。
あはは、もう荒らされちゃったあと。
結果、その人に対する嫌悪よりも、タダタケ作品に対する嫌悪が強く残っちゃった。
意図してやったのかな・・・・ そういった人は、タダタケを心から好きでは無い方かも知れない。
「、、、にも拘わらず」の確固たる精神が大事。
人の意見に左右されるような日和見なことではいけない。
もっとタダタケを分析しよう。
そして、良いところを探して応用しようではないか。
改めてピアノで弾いてみると、意外な凝った和音とかありますよねメジャーセブンスとか付加六とか。
ただゆだんするとフツーの三和音になっちゃう。
>>444
わいわいわいらいらららいららわいわいわいらいらららいらら
わいわいわいわいわいわいらいらららいらららいらららいらら
>>445
なにをいまさら >>446
たぶん「緑深い故郷の村で」の三曲目のほうじゃね? 「緑深い故郷の村で」は春日しか知らないなあ
この〜老いたる女と〜♪ >>447
しどたいらおんせんでしょ。北村協一先生が最後にステージで振ったアンコール曲。 >>442
トルミス というお題が出ているようだが、
エストニアと日本とでは、合唱音楽に対する位置づけが大分違うとも思う・・
・・・・とまぁCDを買って聴く前に書いてみる。 「白鷺」と書いたつもりが、古い文献から引いてきて
自分でもあまり意識せずに書いていた。「というかコピペ」
「柳鷺」
>>454
>>416を参照するもよし。
上記文書を書いた人がお嫌いならば、また聞くもよし。 おなじ攻略方法ですか。
類似のスレは、荒れてますね。
真剣に歌えば誰でも良い歌い手。
そしてタダタケを歌えば、最高の歌い手となる。 詩人の北原白秋先生は、彼の詩に作曲する人に対して
たいそう厳しかったらしい。
彼の詩を忠実に音楽で表現できる人にしか曲を付けさせなかったらしい。
しかし、山田耕作先生にだけは安心して作曲を任せていたと聞いた。
また山田耕作先生も自分の作品を歌わせる人に対して相当指導も厳しかった
らしい。
だが、先生は、美空ひばりだけには、「自由に歌いなさい」と
言っていたらしい。
ところで、山田耕作先生の作の上には、竹冠がつくのだが、
これは、ご高齢になられた時、髪の毛が薄くなられ、
それを、防ごうと「ケ」を上に二つ付けたとか、
どこかのホームページに書いてあった。
ところで、タダ先生は、歌い手に厳しいのであろうか?
先生の合唱講習会等では、理論的なこと、実践的なノウハウを
披露されているところを拝聴した限りでは、理論的にももかなり高度に
要求されるところがあるような気がする。
良い曲は、良い歌い手と良い曲が揃ってはじめて世に出て
そして歌い広められると思う。
だから私たちは、良い歌い手にならなくては、、、、、、、。
かわずらに秋の日差しはまぶしく溢れ
そよかぜが吹けばひかりたちの鬼ごっこ