一般人がおおよそ合唱に抱いている、
愛とか希望とか生きる喜びとかを歌うというイメージの需要と、
合唱人から見ても、一般向けでかつ誤解されずに
合唱をアピールできる合唱曲としてうまい事当てはまるのでしょう。

>>110
牧子や信長が世間に認められる合唱のイメージになるには、
最初に出た『日本の(一般人の)合唱の民度』が高くならないとですねぇ。
合唱人の次の目標としてのワンステップでしょう。

>>111
1962年に日本ビクターからの委嘱。
当時佐藤氏は東京芸大専攻科生。
全曲一度に完成されたもので、
先に1曲作られた月ピ形式ではない。


で、かなりスレ違いな方向へ脱線させてしまったので・・・。
いつだったかトリビアで『寒ブリのうた』が取り上げられた時、
「はい、確かに・・・」といつも専門家が言うのは誰がやったの?
そして「実際に聞いてみた」の後はどこかが演奏したの?