「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊」ということが昔からいわれた。
八連隊は大阪、九連隊は京都であり、日露戦争で出兵のたびに惨敗を繰り返したところから、冷やかされたのである。
第二次大戦のインパール作戦のとき、ラングーンの兵站病院では、「安倍隊の者はあとまわし」といわれたという。
安倍隊は第五十三師団で京都出身の兵から成り、弱くて足手まといになり、病院でもつまはじきされていたわけだ。
(樋口清之・奈良県出身)