五胡十六国南北朝を語るスレ21
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>913
AGOの反面教師とユダヤ蚕食によって薄まったからな
それと五胡の場合は主流家系が頻繁に変わるから、悪影響(いとこ同士や甥おば婚による遺伝子プール枯渇、悪性遺伝子のホモ化)が出にくく、欧州より大分ましに思える 金、西夏、西遼、ホラズム、アッバース朝、大理、南宋など
モンゴルに抵抗した国は悉く滅ぼされたが、高麗だけ見逃されたのはなぜ? 拓跋嗣の母は匈奴系劉氏なので北魏は女系で匈奴でもある
拓跋国家って鮮卑ばかりが強調されるけど匈奴系も多く含んでいる
河南元氏全体だと五胡のるつぼ >>911
中華版ドラマ大奥とか北魏舞台で作れそう 日本や朝鮮には宦官の制度は輸入されなかったな
てか宦官なんて百害あって一利なしだし普通に女官使えばええやん 西欧だけでなくアラブでも黒人奴隷を使役していたが
白人と黒人のハーフがいるのにアラブ人と黒人のハーフがいないのは
黒人奴隷を去勢させていたため
オスマン帝国では黒人の宦官がいた ビザンツ帝国にも普通に宦官いるぞ
しかも自宮するものが絶えなかったから禁止令何度も出してた 外戚政治は…と思ったら摂関政治こそ外戚政治そのものじゃないか
外戚の専横を防ぐシステムってのは日本では考案されなかったな
楊堅の例とか子貴母死制度とか平安貴族たちは知らなかったはずはあるまいに
皇后とその他側室というわけじゃなく、皇后と中宮の実質複数の皇后並立とかも
藤原道隆に北周の知識があったのかとか、興味は尽きない 日本では武士が、西欧では騎士が力を持ったけど、中国朝鮮では尚文軽武で武人階級がとことん貶められてるんよね…
儒教の影響か 中国朝鮮だと中央が政治だけでなく軍事も独占していて権臣が皇帝国王を弑殺とか珍しくもないけど、
日本は各地方に力を持った大名が多くいるからもし天皇が暗殺されるようなことがあれば有力大名に上洛されて誅殺されるのは必定だからな
後醍醐天皇暗殺未遂事件とかあったがあれは例外中の例外
将軍クラスでいえば義教とか義輝とかやられちゃってるけどね >>921
宦官って言ってみれば外戚や権臣に権力をおびやかされた皇帝の最後の懐刀みたいなもんだから、藤原氏とか言う外戚が大勝利した日本にはそら根付きませんわな その最後の懐刀にぶっ刺されてる皇帝がゴロゴロいるわけだが >>918
朝鮮は中国から宦官の制度が輸入され存在した。
韓国の歴史ドラマによく出てくる内侍(ネシ)と呼ばれる緑色の官服を着た者がそれで、李氏朝鮮では自国で使用するだけでなく明や清に輸出もしていた。
越南も中国に支配されていた時代に宦官の制度が輸入され独立後も近代まで使用され続けた。
女真(満洲)の金や清も本来は宦官は存在しなかったが中国を支配することになり当時の中国では消滅していた家内奴隷に代わる存在として宦官を使用し、やがて後宮が拡大していくにつれ宦官の使用が急増した。
日本は『日本書紀』の雄略天皇(5世紀末)の頃に”官者”という宦官を指す記述があるので古代には中国から宦官の制度も輸入されたと考えられるが、日本が律令制度を取り入れた時期の唐の刑罰に宮刑(去勢する刑罰)が無く、また遊牧民族が存在しない日本では去勢技術が未発達だったので宦官の制度は定着せず廃れたと考えられる。 貴族官僚宦官丸ごと殺った朱全忠はやっぱすげぇ奴だなw そのスレ的には子貴母死が一番優れているということでいいのかな
私情で骨抜きにされたせいで国が傾いたわけだし 江戸時代になると追い腹は禁止になった
忠臣二君に仕えずも江戸時代から
戦国時代は二君三君に仕えるのはざら 中国史だと司馬一族や劉裕みたいに簒奪するのが普通であり、むしろ諸葛亮みたいに忠義を貫くって方が珍しいのよ >>927
国家元首から隷属民まで
一匹残らず駆逐しないと意味ないわ カルタゴ人は全てローマ人の奴隷になったというけどどうなんだろうね? >>935
その筋ではローマ背乗りしたとのこと
スキピオがハンニバルと同じように粛清対象になり失脚したのも納得いく え?
ローマ人って殲滅されたの?
(こんなでっかい餌放り込んで終了はないだろw) ローマ人が死滅したのが正しいなら
鄴人も死滅しているだろう 西はゲルマン人と
東はギリシャ人と混血したろ
ついでに漢族も鮮卑と混血しただろ 漢族×五胡=漢族
漢族は数学でいうと0(ゼロ)みたいなもんだ 信長が義元に負けたり美濃攻略に失敗した世界線だと、毛利が東進して京を抑えて天下取ってた?
でもあの輝元じゃ心配だな… イギリス人
ケルト人+ローマ人+アングロサクソン人+ノルマン人
フランス人
ケルト人+ローマ人+フランク人+ノルマン人
スペイン人
ケルト人+カルタゴ人+ローマ人+ゴート人+アラブ人
イタリア人
ローマ人+ゴート人+ヴァンダル人
ロシア人
スラブ人+ノルマン人+モンゴル人 間違えた
イタリア人
ローマ人+ゴート人+ランゴバルド人 >>932
周公旦の時代の人からすると
どうしてこうなった 周公旦の時代ってキッチリ放伐した上で前の王朝についてあること無いこと悪評をでっち上げて自分らの正当性を後世に伝えろってことかな 庶人天王「役に立ちやしない徳を振りかざして刑律を軽んじた周公旦などカス」 周礼が秦漢以降にまでどういう影響を与えたかというのは多くの学者が研究している
共通しているのは権力行使の制限を明文化した事でルールの詳細の維持ではなくて支配者と官吏達がルールに基づいた行動をするという考えができた事が重要だという点
特に軍権、軍事裁判権に関する職制は秦、漢、魏、晋以降六朝随唐まで根強く残った 周公旦の75世孫や77世孫が清の五経博士になっとる
本人死後に慕容熙に息子殺された庶人天王は周公旦を笑えないだろう それでも庶人天王はブレないと思う
清々しいほど女性関係に淡白で、身内への情よりも法律や刑罰を重んじる、苛烈な現実主義者だから
刑罰が重すぎるという訴えも「君達が法を犯さなければいい話だ。たとえ私が法に反したら、私は私に迷わず極刑を下す。私はその覚悟でいる」と一蹴したという恐ろしい逸話があるほどだし レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。