五胡十六国南北朝を語るスレ21
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777ラッキー
西欧では666はサタンの数字、日本では4は死と音が同じだから不吉とされたが、中国でもそういう縁起の悪い数字あるの? >>778
そりゃ暗くて古い=時代遅れって意味だからな
ダウン症のダウンてのも、実はモンゴロイドのこと指してるし
未だにそういうのが罷り通ってるのが現実 漢民族は長子相続が基本原則だが、遊牧民は必ずしもそうではない >>777
中国でも四は死と同じ発音(スー)だから縁起の悪い数字とされていて、ホテルなどで801、802、803、805と4を飛ばして番号付けしているところもある。 >>771
貴様~!柔然を「蠕蠕(ぜんぜん)」や「芮芮(ぜいぜい)」と言い換えた太武帝を愚弄する気か~! >>782
台湾が四を避けてるのは知ってた(九は特に何も)けど中国でもそうか 武廟六十四将に高長恭がないだと⁈
他の時代・他国の将に比べても見劣りしない活躍はしてると思うんだが… >>783
柔然「ヒャッハー」
北魏「蛮族め」
劉宋「それお前らの昔の姿だからな…」 >>784
マカオのカジノにも4番台が無いところがあるから中華圏に共通して四は演技の悪い数字のようだ。 宦官って
1 志願者
2 罪人
3 異民族の捕虜
の3パターンだけど、
3について高麗・朝鮮人、契丹人、女真人、モンゴル人、ベトナム人、チベット人は聞くが、は日本人の宦官は全く聞かないな
白村江の戦い、元寇、倭寇、朝鮮出兵など中国の捕虜になった日本人も結構いるのに 西晋が異民族の傭兵で、唐が節度使で滅んだ轍を踏まないよう
明は全て漢民族99%の国軍でモンゴル人や女真人の傭兵はいなかった? >>788
孝文帝@北魏「怒らないでくださいね。あんたらって中華名乗ってるけど最初の皇帝は親の名前もよくわからず読み書きもできない腕っぷしだけが強いだけのチンピラじゃないですか」 >>791
土木の変の戦死者見る限り本人漢人でも親父や祖父がモンゴル人とかは普通におる >>794
それって降伏した帰化したモンゴル人やその子孫でしょ
野生のモンゴル人や女真人を明代中後期で傭兵として用いたことはあったのかなと まぁそれ言ったら五胡も西晋の段階でちょこっと漢化してるか >>798
不要な能力は消えていく、というのは科学的に証明されてる真理よ
文学でシノギを得なきゃ暮らせない世界であれば必死に覚えるが、それがなくても暮らせるなら覚えない
無学な貴族層が存在するのは西晋以降の腐敗のバロメーターでもある なんか>>795公を見ていると、虎吉とかが全盛期の冉閔(当時の石閔)ってこう何かあるたびに「スレ違い」って言いながら悶々としていたのかなあ
と想像出来てなんかえらく惨めに思えてきたw 司馬一族は無能でも政治力は何故かあるからタチ悪い
謝安を追いやった司馬道子とか 『魏書』島夷劉裕伝では、バクチで財産を使い果たしてしまい、
字もほとんど読めずに周囲から呆れられ、借金も返さずすさんだ生活をしていたとしている。 (国史事件からも分かるけど)鮮卑族ですら漢字読めるのに >>804
『魏書』だから信憑性が怪しいけど、劉裕は貧しい出自から無学で字がほとんど読めなかった、とある
また、劉穆之から「字が下手なら一枚の紙に六、七文字くらいの大きさで堂々と書けば良い」とアドバイスされたことから、かのナポレオンと同じく悪筆疑惑がある ありがとう
教養が無いのは疑わないけど魏書かー罵詈はフカしてそうだな
有名な字下手話でも一応書けてるし全くダメってことはないんじゃないかね 皇室に生まれた意思疎通はできる軽度知的障害や発達障害とかどう生きてたんだろ >>808
王義之さんの居た時代だから字の上手い下手はかなり重要だったと思う
悪筆は文盲レベルの批判があったかも
今でも重要と聞くね >>809
世話係がいるだろ
というかおまいらが知ってるパターンだろ >>809
東晋の安帝なんか弟がヤングケアラーだったな >>784
日本では残さずに食べることが、中国では少し残すことがマナーだけど、台湾はどっちなん? >>813
宴席料理なんかでは中華と同じで少し残す
総菜料理(自分が好きな量と種類を頼むセミセルフバイキングみたいなあれ)の時は
出来る限り残さない、多く残したら持って帰る 明も日本と同じくスペイン・ポルトガルと交易あったのになんで鉄砲を大量輸入しなかったんだろう?(紅夷砲という大砲は輸入してた)
アレ使えばモンゴルだろうと女真だろうと長篠の戦いでやられた武田騎馬軍団みたく蜂の巣に出来たのに >>815
作家の陳舜臣が『日本人と中国人』で書いていたが昔から中国人は日本人に比べて個人的な修練による練達を必要とする武器より、あまり扱いが複雑でない武器の使用をの好んでいたそうだ。
例えば古代から中国で使われていた大型で複数人による扱いを必要とする弩は中国で多様されたが、日本では既に奈良時代に中国から伝えられていたのに日本では弓に比べ、あまり使われず僅かに途轍もなく大きい物を表す”超弩級”という言葉が残されているくらい。
つまり中国と日本での弓と弩との扱いの違いが明末に、それぞれ鉄砲と大砲に置き換わったと言える。 >>815
そもそも鉄砲に騎馬軍団が突っ込んで壊滅とか創作やぞ (超)弩級ってドレッドノート級の略で戦艦の話じゃなかったか 鉄砲より弓の方が扱いが難しいってアンゴルモアで習った ライフル銃出るまでの銃とクロスボウってどっちが精度高かったん >>822
少なくとも安土桃山の頃には、ライフリングない銃>>>>>>>>>>>>クロスボウだったのは判明してる
使うための道具一式さえあればクロスボウの出る幕はないんだろう
五胡十六国でも、コンポヂットボウが使えない勢力の苦肉の策みたいなのが弩だし >>823
さんきゅう
あんまりまっすぐ飛ばないのかクロスボウ 弩は春秋から火器出るまで重装騎兵ぶち抜ける主力兵器じゃん
複合弓の苦肉の策ってのはどっから出てきたのか知らんが弩級といい変な妄想湧き過ぎやろ 後秦を滅ぼして長安を陥落させた劉裕が真っ先にやったのは、捕らえた姚興の娘を妾にして大っぴらに寵愛した事だった
それを聞きつけた謝晦は血相を変えて「人心定まっていないうちに滅ぼした国の公主を無理やり妾にするのは徳に悖る行為です」と諫めた
劉裕はハッと気付くや姚興の娘を解放したのだった
後に、唐の朱敬則は、劉裕はこのように徳に悖る行為をしたから、国を長く保つ事が出来ず功臣の子孫が貴顕として残っていないのだと論じた 劉裕は長安攻略したのはいいけどその後はグダグダすぎて清々しすらある
仲間割れの末赫連勃勃にいいようにやられちゃって >>826
朱敬則君さあ李世民様の前でもそれ言えるの? >>825
つまり軽騎兵が主になるこの時代では資源の無駄遣い…とw >>830
×重装騎兵"だけに"有効
◯重装騎兵"にも"有効
春秋からずっと使われてるって言ってんだろ
無駄遣いなら戦車や戈みたいにとっとと廃れてるよ
あと慕容部とか禿髪部は早くから鉄騎使ってるけどどの時代のこと?スレタイわかる? >>831
ボウガンはバカでも使えるから残ってるんだろ
んでご自慢の鉄騎をぶち抜くボウガンの話まだか?
あと何故「鉄騎」なんてワードになってるかも理解してるか?
まじで呆れる
こういうのがしたり顔で「超弩級」とか広めるんだろうな 兄貴の李建成さんはボロクソに書かれながらなんだかんだ優秀ではあったみたいな感じなのに
弟の李元吉君は嫁さん奪われた上にボロクソのままなんだけど >>833
簒奪などがあった場合、ボロカスに貶す相手と共に、称える相手も居ないといけない。ただ貶すだけでは支持されんからな。
前者は元吉、後者が健成及び親父ってわけ。この選び方は結構絶妙だと思う
劉裕が失敗したのはこのあたりじゃねえかな、とも思うが >>833
李建成の娘(聞喜県主李婉順)と天可汗さんが仲良かったってのもあるんじゃ
天可汗さんは建成の息子は全滅させたけど娘は殺さず親代わりとなって嫁入りさせてる
ちなみに李婉順は漫画「長歌行」の主人公のモデルでもある >>834
劉裕はバック(王氏とか謝氏)が前王朝をリスペクトする意味がないって意向だったからな
罪家のくせに権益潰して皇帝集権考えた桓氏、太守クラスが関の山なのに勘違いして西晋以降やらかしまくった司馬氏に対し、リスペクトなんてする気概もなかっただろう
それで信望得られなくても責任は皇帝持ちっていう心持ちの影響は少なくない あの3000年の歴史が認める悪の中の悪、悪王の中の悪王レジェンド紂王でさえ本人は時々微妙に評価されてる
それなりに大きな役割を果たした人の全否定徹底ってのは案外難しいのでは?李淵に関してはなんと言っても王朝の開祖だし
(ソ連のように)創業者の悪口を許したり信仰を捨てた体制は終了のようなことを現代中国大陸の覇者も昔言ってたそうな
まあ李建成さんは本人と男系が皆殺しにされて十分ボロクソだけどね… >>837
紂王暴君説は捏造された疑いが強くなっている
孔子の弟子でもっとも優秀とされている子貢も「彼の悪行は言うほどではなかったが、悪をなしたために悪評全てが彼の責となったのだ」と疑問を呈している
それどころか人を生贄に捧げる儀式を残酷だと廃したのは紂王だったのが最近発掘された甲骨文字の文献から明らかになった
甲骨文字の文献から紂王は暴君どころか心優しい性格で精力的に政務をこなす勤勉な王だったのが判明している
あれ?なんか苻生が洛陽伽藍記で「思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった」と評価されているのと似ているような… ちょうど、北周(季蜀)北斉(曹魏)梁(孫呉)の勢力なんだなぁ
https://i.imgur.com/lt7ViiF.jpeg
(三国志14PK追加シナリオ「235年1月 秋風越えて」より) >>838
暴君に仕立て上げるテンプレみたいなのがあるんだろうな >>841
子貢は弁舌だけでなく政治家としても極めて優秀で「史記」貨殖列伝に載るほどの資産家だった
死後、西南財神・端木賜という道教の財神として広く祀られた
司馬遷も「史記」仲尼弟子列伝で圧倒的に長い記述で紹介している
その才能は師である孔子をも上回るとされ、当時から孔子の弟子で一番優れている者として真っ先に挙げられるほどだった
最愛の弟子が顔回なら、最優秀の弟子は子貢といっていい >>832
極東の島国だと…
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A9#%E6%97%A5%E6%9C%AC
スレチになるのでリンクだけでも >>836
ただその皇帝の皆様が揃ってアレなのはどうなんでしょうね、劉宋って・・・・ 『南史』を編纂した李延寿は「劉裕は後継体制が不備なままわずか2年で崩御した。このため劉宋は短命になった。悲しいかな」と評している
南宋の葉適は『習学記』で「劉裕は名将であったが、長安を短期間で失陥する失態をやらかし、晋の二帝を簒奪の末に弑殺した。なんら恥じる事がなかったのはいかがなものか。劉裕を誤らせた劉穆之の責任は極めて重い」と非難している
『三十国春秋』を編纂した梁の武烈世子蕭方等に至っては「劉裕は、怨みに報復するとはいえ、些細な過ちを許す度量に欠ける。君主としていささか狭量なのでは。これでは短命に終わっても当然だ」と切り捨てている 劉裕の晩年は安禄山のように体調悪くて己の死期を悟ってたんじゃないの?と思う
息子がまだ若いから、自分がやれる事はやって息子に受け継がせたかったけど寿命が持たなかったようにみえる >>846
葉適先生は劉穆之がどんだけ嫌いなんだよ 数世紀にわたって繁栄した大帝国は
始祖が軍事・政治・健康・後継者に恵まれてこそ成立しえたな >>848
九錫にこだわったあたりが癪に障ったのか、食い道楽だったのが気に入らなかったのか・・・
寧ろ劉穆之の死で軌道修正が効かなくなった、って方が正解じゃないかなあ、と思う 隋は2代目が35歳で継ぐの結構理想的なムーブな気がするな >>848
葉適先生も好悪に正直なところは好感持てるが史家としては(ry
清史以降AIが編纂するようになったら好悪差し込まなくなるのは少し寂しい >>852
司馬史観じゃねえけど、人が意思を持って作ったものって妙に説得力持ったりするからね >>853
魏収先生「では、私の渾身の傑作『魏書』も説得力があるのですな!あなたの伝記を特別に無償で素晴らしいものにしますよ」
李百薬先生「ゴホゴホ…。駄作と叩かれたそれがしの『北斉書』も説得力があると…。ゲッホゲホ…。風邪薬飲まないと…」
裴松之先生「当然であろう!『三国志』は俺の注釈があってこそだからな!ただし、賈詡と陸遜、テメーらゴミクズはダメだ!」 >>853
意思を持って作ることで生まれる不完全性こそが、後世での伸びしろになるからな
完璧だとそれ以上は求められないことで誰も触れず見捨てられ消滅するし
単純な能力不足での不完全性はケレン味がなく心を束縛できない
内容をある程度知った上でキャッチーな脚色をすることへの需要や魅力は、スポーツ賭博のハンデ師に近いものがある >>856
まあ都市伝説とか陰謀説の根源はこれなんだよな
この時代もそういう不完全な魅力の集合体だしな
実際の虎吉やボーボー、文宣帝がさわやかナイスガイだったかもしれんしw >>838
甲骨文字でも擁護されない夏桀王…
洛陽伽藍記でも擁護されない虎さんに似ている 甲骨文字を使った人たちが桀王を擁護する理由無くね? >>859
寧ろ甲骨文字を使った殷人からすると前代の夏の最後の桀王が暴政していなければ、殷が取って代わる正統性が無くなるから尚さら擁護できないな。 何千年も前から紂王は言われるほどひどくないんじゃね?って言ってる人が居るのが面白い
煬帝が再評価されてる所もある感じか >>862
画一的な情報統制への反発ってのもある
ネットワークが発達したから、思考能力のある人間は、押し付けられてる正義や常識を疑う機会が増えた
そこに伝統的手法(昔の寓話や史書に現代への非難を込める)が加わることも少なくない 紂王は桀王のパクリ
マリーアントワネットは司馬哀のパクリ >>867
崔暹の未亡人李氏の話の事じゃね?
そういや直江兼続は上杉鷹山公が名誉回復するまでは
奸臣扱いで高洋と変わらんぐらいの低評価だったような >>847
石製ベッド壊さなくても数年寿命が伸びる姿は想像できない劉裕
洛陽長安陥して興奮してそのまま鬼籍入りしてた可能性も >>869
そのほうが南朝の中流〜下流にとって幸せだったというのが皮肉よな
劉裕以上に使いやすくて暴力と従順さを兼ね備えたラジコンガイジが見当たらんから、権益より改革って勢力が盛り返す希望が持てる 果たして東晋が存続することで劉宋や南斉より優れた統治が行われただろうか・・・?
・・・いやどっちも“優れてはいないだろ”は置いておいてw >>872
そいつらなら仮に統一しても短期で瓦解して再び分裂状態に戻るだろうな。 前秦は苻堅王猛コンビの後継次第な気が
結果論として苻堅の寛容さ緩さは批判されがちだけど、隋みたく族滅しまくってヘイト満タンになって息子(煬帝)がつけ払われてる場合もあるし 苻堅の息子たち残党を率いてよく戦ったけど政治力はありそうな感じでもないしな
あの王猛の孫にも政治力酷い奴いるけど 結果論でこの時代なら北魏系統が正解なのだが
北魏初期に武川鎮系統が天下統一するとか予言者でもわからないだろう 北魏、遼、金、西夏、清は漢化してしまったが、元だけそうならなかったのはなぜだろう?
だからこそ百年も続かなかったんだろうけど >>878
元(蒙古)の場合は南宋を征服する前に西アジアの先進文明に接していた為、先進文明は中華文明しか知らなかった鮮卑・契丹・党項・女真(満洲)と違い中華文明を相対的に見ることができたので漢化を抑えられたから。 >>876
それどころか
代とかいうその他大勢の弱小勢力が(以下略 >>879
あとは生活において中華に依存する必要がないってのも強み
統治者側が少数で生活を多数派の異民族に依存すると、接触するごとに影響を受けてしまい、最終的に飲み込まれる
欧州が欧州たり得るのも、そうなるまえに征服地で殺し尽くしたり傀儡に間接支配させて欧州の文化を保ったから 元は江南を失陥したら速攻で終わったな
あと皇族同士の争いが西晋と並ぶほど酷い 元は国家運営しても基本的にシステム化された収奪しかしてないからな
収奪する相手の真似なんてする訳がない イスラム帝国もオスマン帝国もペルシャ人官僚使ってなんとかなってて、元もペルシャ人(色目人)を用いていたがダメやったね >>884
そういや某所で「秦の官僚制はペルシャの盗作だ」って言説を見たのを思い出した ローマ人「文明良いよー」
ゲルマン人「ウホホホww何それ美味いの?w」
神父「神を信じなさい。さすれば救われます」
ゲルマン人「はい」
漢族「文明良いよー」
五胡「ウホホホww何それ美味いの?w」
僧侶「仏を信じなさい。さすれば救われます」
五胡「はい」
洋の東西を問わず蛮族は文明を拒否するけど、神仏はあっさり受け入れる法則 >>883
ゲルマン諸国家はアリウス派であり殆ど滅んだ
フランク王国だけはアタナシウス派に改宗して現地のローマ人を支持を得たから唯一生き残りそれがフランスに繋がっていく
郷に入れば郷に従えってことだな >>889
そもそも宗教自体が
殿様の命令を聞かない連中に殿様以上の存在を作って言う事聞かせるための物だしな >>882
西晋は皇族同士の争いで混乱したあげくに北西から匈奴族の漢に攻められて南東に落ちのび東晋となった。
元も皇族同士の争いで混乱したあげくに南東から漢族の明に攻められて北西に落ちのび北元となった。
どちらも南東と北西の違いはあれど皇族同士の争いで混乱したあげくに異民族に攻められて落ちのびた先で延命したのは共通している。
ただ東晋は劉宋に簒奪されるまで曲りなりにも100年存続したが、北元は藍玉が率いる明軍にブイル・ノールの戦いで大敗し、わずか20年で滅んでしまった。 北元て後金に滅ぼされる1635年迄続いたのでは
東晋も二王三恪で502年迄零陵王として存続してる 武家のトップが京都を本拠地にすると堕落して弱体化するね
平氏政権も室町幕府も >>879
イルハン朝はイスラム化したけど、ジョチウルスはキリスト教化しなかったし、元朝は漢化しなかったね >>898
イルハンはグルジアのアホの負債を背負った状態でスタートだから、最初から財政破綻してた
そこで現地民に頼らざるを得ず同化ていう>>881に近いパターン
近隣のジョチは最有力家系+財政しっかりしてた上、間接的な関わりを貫いたから、モスクワに裏切られるまでかなり丈夫だった >>897
2代約30年で滅亡と考えると成漢よりも下の五胡十六国平均未満レベル 隋や豊臣は短命だったが、唐や徳川幕府は長期安定政権になったね >>902
日本の三英傑を中華の皇帝に擬えると五代・後周の世宗(柴栄)が織田信長、北宋の太祖(趙匡胤)が豊臣秀吉、北宋の太宗(趙匡義)が徳川家康とよく言われる。
尚、明の太祖・洪武帝(朱元璋)は一人で日本の三英傑に匹敵する事業を成した傑物だと作家の堺屋太一は高く評価している。 脱線しまくってるので話戻すが
五胡の中で
突厥可汗国やオスマン帝国を築いた突厥や
モンゴル帝国を築いた蒙古になれそうなのいたか? >>904
あの頃は寒いから誰もモンゴル平原に居たくなかったんだよ・・・・ >>904
石勒石虎とか赫連勃勃とか
もう少し軍隊多くて漠北を拠点にしていれば可能性あるが
哀しいかな中華に染まってしまったのでなれなかった >>906
漢民族にも異民族にもコアな部分で譲歩をした胡漢融合であるとこは、その後の勢力には見られない特殊性があるからな
後継に失敗せず民草の考えも妥協に傾いてたら、割とまじでユーラシアに跨がる先進国家ができてたと思う 赫連勃勃の子孫は消えてしまったのかと思ったら赫連子悦とか南北朝期に出てきてるんだな
慕容氏は慕容紹宗、慕容三蔵は知ってたけど
五胡時代のようなパワーはないけど南北朝の動乱期に再び活躍が見られる
今に残る慕容姓や赫連姓は彼らの子孫なんだろうね レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。