五胡十六国南北朝を語るスレ21
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE >>592
しかもそのハングルすら普及しきらず20世紀でもローカル文字が20種類以上あったとかいう修羅の国だからな
不完全に写した結果文体が変わったアルファベット派生よりも酷い 空白の4世紀
邪馬台国が30程の国を支配(宗教的権威で統治)→大和王権による統一国家(武力で支配)
墳丘墓→巨大な前方後円墳
戦乱が終わり環濠集落も姿を消す
弥生時代にはいなかった牛や馬の登場
中国の歴史書にはあるが、記紀では存在しない邪馬台国
騎馬民族征服王朝説?
邪馬台国が大和王権に進化?それとも大和王権が勃興して邪馬台国を併合した?
そもそも邪馬台国は九州?近畿? >>594
DNA解析で否定されてるもんをいつまでこの基地外は嘯くのだろうか >>588
>>590
むしろ地中海と周秦漢とかいう地勢も気候も隣接地域・勢力も違う二つの世界の割りに大差ないんじゃないか、という気もする
西ローマ滅亡後の西欧を大雑把にチャイナに当てはめると西域とか南越とか内蒙古になりそうだし >>596
それどころか西欧が五胡、アナトリアが東晋てな具合の地勢よ
唯一の国家という思想が厳格だった中国と、そもそも征服地だらけで他国という存在がありふれた(がゆえに支配の及ばない地域を容認した)ローマ帝国っていう差がデカい
仮にローマ帝国でユダヤ教が勃興してたらチャンコロになってただろうが、ギリシャから多神教ラーニングしてたのが功を奏した
あと倫理コードや行動ルーチンは東西を問わず文明レベルに応じて一定のタイミングでアップデートされてるから
文明発展への阻害がなければ地勢の差はそこまで影響を及ぼさない
(五大欲求や枢軸時代を参照) >>584
書の五厄込みで王夫之とか司馬光とか儒者からの評価散々だな蕭繹
でも侯景倒した分込みで何之元とか虞世南とか
孫呉系貴族からの評価マイルドになってる感が カールの戴冠(西ローマ帝国の復活)や神聖ローマ帝国とか見てると中世でもローマの権威はしっかり残ってるかなと
ビザンツ帝国については滅亡したその日まで自称は「ローマ帝国」だった >>598
そりゃ先祖の行為を見習う+中途の偉業を引き継ぐのが孝として尊ばれる世界にあって、先祖の行為をリバースエンジニアリングできなくする焚書は非難されて然るべきよ
(見習うべきものがない=どん詰まり)
アレキサンドリア図書館と知恵の館の焼失は、そうでもない世界だった+ヴァカチンとユダヤにとって都合いいから近代まで許されてたがな 【悲報】スレタイ、ホラッチョだった【南北朝はジョガイジョガイ】 >>576
「奔流」は漫画化するのには良いチョイスだと思うわ
主人公の陳慶之をはじめキャラ立ってる人物ばかりだし
メインの話である鍾離の戦いも漫画映えすると思うわ 鍾離の戦いは南北朝最大の戦いだからもう少し注目されてもいいかな
北魏の元英、楊大眼や梁の韋叡、曹景宗などの武将は >>599
国家の重心をあまり南に移さなかった五胡北朝隋唐みたいなヤツじゃね?フランク王国は >>605
時代を問わず南北分かれてる時は武力的には北側が圧倒していて南は局地戦で戦術的な勝利はおさめられるけど基本圧迫されるという理解でいいのかな? 大規模な戦役の割に鍾離の戦いの知名度が低いのは
この戦いが歴史を大きく変えた戦いじゃないからって気がする
負けた側の北魏もこの戦いが原因で衰退したわけでも無いし勝った側の梁も勢力を大きくしたわけでも無いしな 淝水の戦いは文字通り歴史を変えた戦いだからな
もしも前秦が勝利したら天下統一が成って歴史が大きく変わった可能性が高かった >>608
参合坡みたいに後の趨勢を決めてしまったような戦いではなく、大規模な衝突ってだけだとね
北魏梁両国の趨勢を語る上で外せないイベントだったらしょっちゅう語られるだろうけど
この時代で語られるのはあくまでも国の存亡とその趨勢だからね >>611
どの時代でも国の存亡の可否はデカい
この時代に限った話でも、勝率や戦果なら石勒より石虎のが上だが
石虎は敵を滅ぼす大一番の戦いで敗北(劉曜,慕容恪)するのに対し
石勒はいくら負けても復活するし大一番では勝つところから
石勒のが強く感じるのと似てる 秦、新、西晋、隋
短命の統一王朝
一番まともなの秦か? 秦はChinaの語源になってる説なので・・・
しかし秦(Qin)、新(Xin)、晋(Jin)、清(Qing)なので
実は南朝陳(Chen)がChinaの語源ではないかと思えてくる 秦は「初めて中華を統一した事」自体前代未聞だったしな >>615
あれで中華世界の枠組みが出来上がったからな
その功績のデカさは始皇帝ペルシャ人説や呂不偉ユダヤ説といったもんが出るのでも分かるとおりよ
短命統一王朝の中で抜群のハズレは西晋だろう
秦(前漢)、新(後漢)、隋(唐)と違い、思想を換骨奪胎した中長期的統一王朝が現れなかった
後継といえる東晋なんて、反西晋イデオロギーに傾いた時に強く、親西晋の時は惰弱て散々な推移ののち劉宋以降の腐敗体制に行き着いたってオチだし 炎「だってぇ、名族とかいううるせえ奴らが言うこと聞いてくれないんだもん」 始皇帝の事業は今で言ったらEUを統一国家にするくらいの偉業やからね >>617
まあ西晋は後漢~曹魏の延長国家とも言える 皇帝がうるせえから言うこと聞かなくていいよう河内司馬氏が名族代表として担ぎ上げられた
っていう事情を炎はマジでわかってなさそうなのがなぁ
後漢曹魏だけでなく、前漢太祖と武帝の遺した呪いまで引き継いでる王朝って感じ >>614
古代と現代では同じ漢字でも発音が異なっているから現代の発音で考えても、あまり意味がないと思う >>616
蛮族にヒャッハーされて中原から追われて南遷という点では
西晋は北宋と大して変わらないのだが
素人目にも西晋と北宋は全然別物にしか見えないのが(ry 西晋(に限らんけど)は皇帝しのぐ権力握る→ヒャッハーなパターン何回やってんねんっていう
諸葛亮みたいなやつの方が特殊って誰かいってたけどそうだよねってなる >>623
あんだけ謙譲した霍光すらも最終的に族滅したって前例が響いてる
即座に逃げる、殺される、段階的に逃げる、簒奪するの選択肢しか残されなくなって、西晋の場合は大多数が簒奪をゴールラインに示した結果、終わりなき闘争に行き着いた
唯一それを否定した乂(越は簒奪の大義名分がないため除外)もスタートラインが恵まれてた甘ちゃんに過ぎない 桓玄がとっとと簒奪したのは
パパの桓温が禅譲しようとして周りに時間稼ぎさせられて
タイムオーバーになったのを反面教師にしたからだろうな >>624
霍光は海昏侯を廃した前科があり、親族が宣帝の許皇后を毒殺してしまったから、死後に族滅されたのは自業自得だったりする
史書では海昏侯が暗愚荒淫だからやむなく廃したとあるけど、実際のところは海昏侯が霍光の言いなりにならないほど聡明であり、海昏侯の側近が霍光を除こうとしたからだという説が浮上している >>625
焦った結果軍功が足りないまま簒奪しちゃって結局破滅するのホンマ… >>626
まあ嫁毒殺が響いてるわな
でも許皇后の産んだ子(元帝)が宣帝が遠ざけてた儒者や士大夫を重用して結果としては王莽さんの簒奪コースになるんだから歴史のピタゴラスイッチ感半端ない >>627
なんだかんだ言っても
劉裕→長安奪還
蕭道成→劉帰藩の反乱鎮圧
菩薩皇帝→東昏候を弑逆
これと比較すると明らかに武功が足りてないんよな
劉牢之も勝手に自滅しただけだし >>628
あの馬鹿については太子の頃から分かっていたのに廃せられなかった
これが霍一族への恨みの大きさを間接的に表してもいるわけだしな
法の人とされる宣帝の行った“情の裁決”ってのがどれだけ重くのしかかってくるか、人の性を感じるわ >>623
諸葛亮は晴耕雨読のニートから仕事の虫で過労死
中華歴代皇帝でも偶に仕事の虫は居れど
それなりに権力弄んだり珍味楽しんだり後宮でヒャッハーしたりで人生楽しんでる
諸葛亮に関しては部下の仕事迄自分で裁決し
粗食で嫁舞祭組と人生何が楽しいのかわからん
五胡南北朝どころか中華のは歴史上ほぼ皆無の
変態中の変態なので特殊どころか唯一無二の変態 そういや誰か作家が諸葛亮を「三国志演義では清廉潔白で仕事に忠実で暗愚な皇帝に尽くした
忠臣中の忠臣として描かれてるけど珍しく不思議なことに実際の人物も概ねそういう人物だったらしい」
みたいに評してたのがいたな、司馬だったか >>629
とはいえあそこからすぐ滅ぶのはわけわからん
劉裕がおかしいでいいのか >>633
甲家の権益を侵すとどうなるかの見せしめみたいなもん
国自体の権限やリソースが弱いから、甲家に担がれる≒激強リソースが加えられる劉裕のが遥かに強かった 考えてみたら六朝トップの孫呉も初期は孫堅孫策の武勇ありなとこあったし、しょっちゅう人殺してる描写のある孫策も(直接殺人をやった描写が正史三国志にあるの孫策くらい)地元豪族には丁寧な態度とってるから腕っぷしの強いチンピラをインテリが神輿として担ぎ上げるのは六朝のテンプレかと想像される
(初代でインテリ層は菩薩皇帝くらいだし) >>634
まさかとは思いますが、この「甲家」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか
あなたの病気は悪化しています
あり得ません。専門家の意見を聞くまでもないことです >>631
苦役で自身が傷つくことを誇りに思ってる異常者(おそらく情報提供者は徐庶)だからな
儒教的な視点からも常道を外れてる特異な存在
>>635
漢自体が、お山の大将をインテリがおだてて暴力装置に使ったとこから始まってるからな
自由には責任を伴うって言葉と、それに対するゴール(責任取らずに自由を行使する立場)は昔から真理であるというのを知らしめている
こう考えると王敦王導はエグい両建て成功したなって感じ >>639
ジェンガの達人
関わったもんをボロボロにしながら美味しいとこを持っていったり生き残る能力が高い
宣帝なんて人間不信の小僧のお気に入りになったおかげで、政治センスないのに事実上の君臣最高位の録尚書事だからな
その後も州大中正制定や子孫の皇帝廃位&惨殺&筆曲げ強制、同族殺し、清談の腐敗、贅沢のための我尽などで全方位壊してるあたりマジで凄い
悪貨が良貨を駆逐した 酷い言われようだが
司馬氏は元々軍事系の家系なのに
『司馬法』『史記』『子虚賦』『続漢書』『史記索隠』『資治通鑑』
などの文学史学系で結果を残した事は同じ軍事系の琅邪王氏よりも優れる 司馬氏は居るのに
司空氏とか司徒氏とかほぼ聞かないのは謎 >>645
司徒とか司空なんていうのが置かれるようになった頃には単姓がデフォだし
そこら辺と並べる大司馬は司馬氏のルーツではない >>645
司空は古来から存在する複姓だが元代には蒙古人や色目人も名乗るようになったので明代になると唐や宋や杜といった単姓に変える者が多かったので中国では少なくなった。
却って唐末の黄巣の乱を避けて新羅に移住して帰化した者の子孫は司空の姓のままだったので現代の韓国や北朝鮮にも複姓としては比較的多く存在する。
2000年に韓国で行われた調査によると司空は133位の約4300人で韓国の複姓では南宮(約18000人)・皇甫(約9100人)・諸葛(約4400人)に次いで4番目に多く、現代の韓国でも財務部長官を務めた司空壱や大邱高等裁判所長を務めた司空永振や韓国プロ野球の斗山ベアーズに在籍した司空よう(火編に華)といった人物がいる。 呉三桂が李自成よりドルゴンを選んだ理由とは
同じ漢民族とはいえ下賤出身者に従うくらいなら、辮髪にして異民族に従った方がマシってことか
てか五胡の髪型ってどうなん?漢族みたく総髪?それとも蒙古や女真みたいな辮髪?
北魏までいくと絵画を見る限り漢服総髪になってるけれど >>648
南匈奴あたりはもう漢人と区別つかない格好してたんじゃね
劉淵ファミリーあたりはエリート士大夫の格好してたろうし 戦国趙の武霊王辺りから漢人も胡服着たりして
文化融合し過ぎて漢人も胡人もあまり違い無さそうな
とはいえ近代のチャイナドレスは満服なので
漢胡に完全に染まってない文化も残ってたり 霊帝は確か胡服(半袖短パン)好んでて(ソースは後漢書五行志)大臣たちがそれに追従して真似したとか草なんだな
北斉時代に漢人が鮮卑の貴族に媚びて琵琶習ってるのを嘆いたた顔之推=センセイもお嘆きになろう 胡服は西洋に伝わった一方
漢服であるほぼ絶滅で残念
まあ機能性考えると残当 >>656
この時代を最終的に完結されたのが十全老人様と考える見方もあるw 漢族「夷狄が中原を支配する資格なんてねーよww」
雍正帝「舜は東夷の人だったし、文王も西夷の人。徳があれば夷狄でも中華たりえるんだお!はい、論破」 >>629
これみると桓玄も北伐すれば良かったのにと思ったが
武功の為に北伐しても桓玄が姚興相手に勝てたかというと謎
桓玄こいつ王敦と同じ内弁慶の臭いしかしないからな 慕容部とかは徳こそが大事、徳があれば蛮夷だろうが関係ない論を展開するのに
劉淵の「俺は漢の血もひいてるから俺こそ漢の正当後継者」論はやはり強い >>662
その慕容部から「徳など実にくだらなくて生温い。民は法と刑罰で律するべきだ」という苛烈な法家思想の庶人天王を輩出したんだから皮肉なもんだ >>662
慕容部は漢民族を家畜化してる段階で既に徳を騙る筋合いないのがポイントよ
現代の資本家や古代のパトリキ、豪族らとさして変わらない
そんで前秦への降伏後の分裂を見るに上っ面だけだったというのも証明されてるのが何ともスイート >>662
人徳云々は劉淵も「禹王は西戎、文王は東夷だ。出自は関係なく徳をもっていれば聖王になれるのだ」つっとるから
ただ劉淵は漢王朝の義弟ポジションに加えて本人がエリート士大夫だから説得力が段違い >>662
どちらの論もわかるがどちらも天下統一できなかった
で「朕は天子なのに自由がない」という恐妻家が天下統一するとは
泣ける >>666
旦那の楊堅よりも(十二大将軍の中で11位)嫁の独孤氏(八柱国5位)の方が身分が上なんだ
悔しいだろうが仕方ないんだ >>668
事実「二聖」と言われてるんだ
旦那より身分上でしかもオヤジの独孤信は楊堅のオヤジの楊忠の上司なんだ
さらに宰相の高熲のオヤジも独孤信の家人で独孤姓を名乗ってた時期もあるほどなんだ
これで調子こかなかったらどうかしてるんだ 高熲て本貫から高歓の同族と思われるのに
北斉皇帝貴族と違い奢侈乱行の気が無いという
渤海高氏の一族としては珍しい変態 今電子化された福原哲郎「西晋の武帝 司馬炎」を読み直したけどやはり嫡流や直系が途絶えすぎよな
司馬師→男子が産まれずに司馬昭の息子(司馬攸)が祭祀を継ぐ
賈南風→男子産まれないのに愍懐太子司馬逸と揉めて殺害し結果としては司馬倫に決起させる口実を与える
司馬逸→3人しか男子作れずその息子3人も二人は倫に殺されて残り一人も302年に病死
こんな有様じゃ公権と私権の区別もできず「あいつが専権振るえるのになんでオレが……」と吹き上がる連中が出まくる(それかそれを煽る側近)わな にしても倫太郎の勘違いぶりはなあ、文字も読めねえくせに・・(曰く「全部孫秀のせい」) 強化版司馬倫の司馬穎さん
なまじ人材も人望もあるせいで取り返しのつかない事をしてしまう >>673
軍事力欲しさにフリーの劉淵GETしたはいいが酷使したのは致命的だわなぁ
次点でいい子ちゃんの司馬乂に政治させなかったことか
司馬穎は単なるノータリンなら良かったんだが、行動力と出世欲がカンストしてるから手に負えない >>672
同じ無学文盲でも武陵王司馬晞は桓温が忌避するほどの剛毅な猛将だったにもかかわらず謙虚な人柄で褒賞を与えられても決して受け取らなかったのになぁ… >>675
倫と違って識字障害とかなんじゃないのん? >>671
司馬氏は嫡流直系は断絶気味だが
傍流は蝗の如くなので
石勒が滅しきれないぐらいの司馬氏王族数多 魏呉蜀どこにもいる諸葛氏
西晋や五胡十六国・南北朝では大人しくしてるね 五胡十六国時代でそれなりに有名で事績がある諸葛氏
諸葛長民しか思い浮かばない 孔明の養子の孫・諸葛顕は東晋の時代まで存命で王羲之と交流があった 東晋初めまでの諸葛氏は名士な感じなのに、東晋末の諸葛長民は粗野で野蛮な軍人って感じ
この頃は弘農楊氏もそんな感じになってるけど 諸葛長民はアレ過ぎて諸葛氏のどの系譜からも外されてるが
諸葛亮の子孫の可能性もあるのを考えるととても楽しい 要するに五胡十六国時代になると諸葛氏は華北が所轄ではなくなる、ということだな >>686
おーい山田くん、>>686の座布団全部持ってって! 丞相の孫が粗暴な軍人って王鎮悪が真っ先に思い浮かんだw >>688
むしろ仲達の子たる司馬倫が文盲かつ粗暴という >>689
司馬倫は司馬懿が死ぬ前後に生まれたガキって説もあるからな
ろくに教育されてないからこそ周囲の助言が必要不可欠になり、転じて御輿に使われてる
これは後の司馬穎と似ていて、担ぎ手と正統性の違いで比較的長生きできた
対して司馬熾は政権強奪や劉聡へのおフェラ豚っぷりを見るに、曲がりになりにも独学してたのが逆効果になった例だろうな 七男司馬駿が232年生まれで炎が236年生まれだから年下も十分あり得る