五胡十六国南北朝を語るスレ21
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE >>535
そもそも周や漢ではそれなりにあった気がする複字姓の存在感が漢人王朝や中共の漢族に継承されてなさそうだしな
なんか相性が微妙なのかもしれん、漢文と複字姓が… >>537
単に司馬炎が暗君で佞臣の讒言鵜呑みにしただけの悲劇のような >>540
次男相続の天命を作ったのが司馬懿と司馬昭であり
佞臣の讒言しか信じられないような状況を作ったのは他ならぬ司馬炎自身なのが皮肉
統一してからの乱痴気はもはや言うまでもないが、即位前の経歴も即位〜統一までの実績も中々酷い
そりゃ粛清せざるを得ないくらい輿論が司馬攸に靡くわと そういや
前秦の苻氏とか
西秦の乞伏氏とか
後秦の姚氏とか
春秋戦国時代の最終勝者と同じ国号なのに
なんで国姓を「嬴」に改めなかったのか 夏王朝の王様の弟が匈奴の祖先になったとか無理あり過ぎる設定 >>536
西晋の範囲であれば福原啓郎『西晋の武帝 司馬炎』(白帝社)がよくまとまってるし電子版で読める
でも東晋の範囲をカバーしてる書籍は思い浮かばないな… 秦は地域名でもあるから採用する意味はあるだろうけど姓はあんま関係ないし…特別名乗る価値のある字でもないだろうし… >>543
桀王の息子に夏后淳維がいた
夏が滅びると淳維は一族を率いて北の地に亡命した
この淳維こそ匈奴の先祖だという 氏はともかくとして姓って改められるのか?
それに姓って普通男性は名乗らないし
始皇帝の「嬴政」表記はいつももにょる 未だに歴史本や雑誌なんかで見る「韓王韓王信」表記に比べれば 王侯の姓を表記ないし呼称しまくる現象はチャイナ産の古代歴史モノでも流行ってますね
個人的にはこまかいことは別にええやんって感じなんだけど
今や三国志系をぶっちぎって中国史モノの頂点に君臨するキングダムの斉王、王建王は作品が偉大過ぎるだけにちょっと気になる >>543>>547
西周の武王の曾祖父の古公亶父の長男・太伯の末裔が開いた国が日本だと言うのも、かなり無理がある設定だな。 >>542
宇宙大将軍様に
なんで国姓を「劉」に改めなかったのか
と言うぐらいの失言 >>543
劉淵の先祖が(匈奴に降嫁させた)前漢の公主だった、
と比べると? フン族=北匈奴説
柔然=アヴァール説
信憑性ある? 柔然「ヒャッハーwwwww」
北魏「おのれ蛮族め!」
劉宋「あれはお前らの昔の姿やで…」 趙宣之をググってみると
何故かナイツ塙が先頭に出てくるのな… 創作で菩薩皇帝をイケメン(内面含めて)&有能に描くとその後の劣化ぶりが無残になる典型
https://i.imgur.com/aR1230c.jpeg 創作は人気商売である以上イケメン化はやむを得ないが…
チャイナ美男子=背中に垂れるロン毛から離れられないのは何故なのか…
そこに肖像画と冠があるじゃろう? 60位で亡くなってたら南朝最高の名君として称えられたろうに長命過ぎて晩節を汚してしまった >>562
清・乾隆帝「68歳で死んだ朕は丁度よかったのか。」
南宋・高宗「55歳で譲位した朕も丁度よかった。」 最初の皇帝「十全老人並みに碌なこと書かれてないのにもうちょっと長生きしてればとも言われる朕」 菩薩皇帝どうなんだろうな
後継者争いで結局国はボロボロになってそうじゃない?
宇宙大将軍が引き金か菩薩皇帝の死が引き金かの違いで >>562
48歳で亡くなってる苻堅の晩節汚しはもっと悲惨
蕭衍は捨身始める前に昭明太子に帝位譲って
思う存分仏教信仰してれば 隻眼の皇帝ってこの時代の蕭繹と苻生くらいか?
ふたりとも強烈なコンプレックスの持ち主よね 孫権、司馬炎、李隆基
晩節がアレなのはやっぱこの3人かな
そして海陵王は石虎の生まれ変わり 蕭衍は死因餓死なのが凄いわ
何もなければ100近くまで生きてそう 梁の皇帝は餓死に圧死に溺死にろくな死に方してないな >>569
孫権司馬炎は反乱起こされてないしマシな方なんじゃ
つか二宮の変はそれこそ東晋時代なら陸遜が建業まで兵を出して孫権を隠居させるか土下座させてたはず
なんだかんだ言っても家臣の頭をきっちりと抑え込んでたのはさすがよ >>568
元祖独眼竜・李克用は即位していなかったか。
息子の後唐の荘宗・李存勗によって太祖と追合されてはいるが。 >>575
田中芳樹「奔流」のコミカライズ
原作とかなりキャラは変えてる >>568
蕭繹と苻生との後世での評価が雲泥の差で泣ける
苻生は蕭繹みたいに本の虫になっていれば…
いつの世も酔っ払いには厳しい世界 >>577
苻生の記録は不自然なほど少ないうえに残っている記録も改竄された疑いがあると指摘されているんだよな
洛陽伽藍記に「苻生は思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった。暴君という汚名を着せられてしまっている」という評価が載っている 苻生は軍事面での功績が大きすぎて度を超えた!暴虐に書くしかクーデターの正当性ができなかったんだろう 陳舜臣先生も「苻生の暴虐エピソードは盛られ過ぎ」とか指摘してたな 一方で仏教保護してるのに洛陽伽藍記でも暴虐を否定して貰えない石虎…
クズ貴族なのに何度も洛陽伽藍記に登場する石崇… 苻生の治世中、前秦は一度も侵略行動を起こしていないんだよな
敵に攻め込まれたら返り討ちするという程度で、捕虜を穴埋めにすることはなかった >>577
內積猜忍,外崇矯飾とか言われるし書の五厄に数えられるし割と散々じゃない?
顔之推くんはなんか褒めてたけど焚書をどう思ってたんだろう >>577
內積猜忍,外崇矯飾とか言われるし書の五厄に数えられるし割と散々じゃない?
顔之推くんはなんか褒めてたけど焚書をどう思ってたんだろう 「俺は沢山の書物を読んで学んだのにこういう状況になってるじゃねえか!!」←焚書
なんか現代にもこういう人いそう ローマ帝国時代は下級兵士や庶民までも文字を読めたが、西ローマ滅亡後で文字が読み書き出来たのは教会の神父だけ
中国は西晋が滅んで五胡十六国時代になっても漢族知識人は勿論五胡も読み書き出来た
この違いを説明出来る人いる? >>587
身内で争うとか胡族を呼び込むとかした後の末路を史書から学べなかったのか ・五胡は漢民族ありきの国家運営にかまけたのに対し、西欧は酋長制を更に階層化しただけの閉鎖的社会が続いた
・政治と文学が混濁している中国に対し、ローマは政治と文学が乖離(むしろ衆愚化の道具)していた
・中国は文明に依存するプロパーの人数が桁違いに多いが、ローマは雑多な民族の集合体で共通のイデオロギーがなかった
・中国は域内の統一が至上命題であり文化圏の包含に勤しんだが、ローマはベネチアやビザンチンとして逃げ延びた
大体こんなとこか
改めて考えると、不必要な機能は消滅するという自然の摂理によるとこが、東西を大きく分けたな
識字が統治に必要なビザンチンでは、当時の記録からして割と識字率は良かったようだ ・中国が製紙の発達により文章の伝達や保存が可能な紙が大量に生産されたのに対して、
西欧はエジプトから輸入していたパピルスが途絶えると、製造に限界がある羊皮紙しかなかった。 藩校や寺子屋みたいな教育施設があったから日本は江戸時代の識字率が高かったという
清はそれまでの王朝と同じく上流階級や金持ちは老師を家庭教師として雇ったり、その人の元へ通ったりとするが、庶民は放ったらかし…その結果が今の簡体字
朝鮮も同じくで、ハングルも世宗が漢字を読めない庶民向けに作ったもの >>592
しかもそのハングルすら普及しきらず20世紀でもローカル文字が20種類以上あったとかいう修羅の国だからな
不完全に写した結果文体が変わったアルファベット派生よりも酷い 空白の4世紀
邪馬台国が30程の国を支配(宗教的権威で統治)→大和王権による統一国家(武力で支配)
墳丘墓→巨大な前方後円墳
戦乱が終わり環濠集落も姿を消す
弥生時代にはいなかった牛や馬の登場
中国の歴史書にはあるが、記紀では存在しない邪馬台国
騎馬民族征服王朝説?
邪馬台国が大和王権に進化?それとも大和王権が勃興して邪馬台国を併合した?
そもそも邪馬台国は九州?近畿? >>594
DNA解析で否定されてるもんをいつまでこの基地外は嘯くのだろうか >>588
>>590
むしろ地中海と周秦漢とかいう地勢も気候も隣接地域・勢力も違う二つの世界の割りに大差ないんじゃないか、という気もする
西ローマ滅亡後の西欧を大雑把にチャイナに当てはめると西域とか南越とか内蒙古になりそうだし >>596
それどころか西欧が五胡、アナトリアが東晋てな具合の地勢よ
唯一の国家という思想が厳格だった中国と、そもそも征服地だらけで他国という存在がありふれた(がゆえに支配の及ばない地域を容認した)ローマ帝国っていう差がデカい
仮にローマ帝国でユダヤ教が勃興してたらチャンコロになってただろうが、ギリシャから多神教ラーニングしてたのが功を奏した
あと倫理コードや行動ルーチンは東西を問わず文明レベルに応じて一定のタイミングでアップデートされてるから
文明発展への阻害がなければ地勢の差はそこまで影響を及ぼさない
(五大欲求や枢軸時代を参照) >>584
書の五厄込みで王夫之とか司馬光とか儒者からの評価散々だな蕭繹
でも侯景倒した分込みで何之元とか虞世南とか
孫呉系貴族からの評価マイルドになってる感が カールの戴冠(西ローマ帝国の復活)や神聖ローマ帝国とか見てると中世でもローマの権威はしっかり残ってるかなと
ビザンツ帝国については滅亡したその日まで自称は「ローマ帝国」だった >>598
そりゃ先祖の行為を見習う+中途の偉業を引き継ぐのが孝として尊ばれる世界にあって、先祖の行為をリバースエンジニアリングできなくする焚書は非難されて然るべきよ
(見習うべきものがない=どん詰まり)
アレキサンドリア図書館と知恵の館の焼失は、そうでもない世界だった+ヴァカチンとユダヤにとって都合いいから近代まで許されてたがな 【悲報】スレタイ、ホラッチョだった【南北朝はジョガイジョガイ】 >>576
「奔流」は漫画化するのには良いチョイスだと思うわ
主人公の陳慶之をはじめキャラ立ってる人物ばかりだし
メインの話である鍾離の戦いも漫画映えすると思うわ 鍾離の戦いは南北朝最大の戦いだからもう少し注目されてもいいかな
北魏の元英、楊大眼や梁の韋叡、曹景宗などの武将は >>599
国家の重心をあまり南に移さなかった五胡北朝隋唐みたいなヤツじゃね?フランク王国は >>605
時代を問わず南北分かれてる時は武力的には北側が圧倒していて南は局地戦で戦術的な勝利はおさめられるけど基本圧迫されるという理解でいいのかな? 大規模な戦役の割に鍾離の戦いの知名度が低いのは
この戦いが歴史を大きく変えた戦いじゃないからって気がする
負けた側の北魏もこの戦いが原因で衰退したわけでも無いし勝った側の梁も勢力を大きくしたわけでも無いしな 淝水の戦いは文字通り歴史を変えた戦いだからな
もしも前秦が勝利したら天下統一が成って歴史が大きく変わった可能性が高かった >>608
参合坡みたいに後の趨勢を決めてしまったような戦いではなく、大規模な衝突ってだけだとね
北魏梁両国の趨勢を語る上で外せないイベントだったらしょっちゅう語られるだろうけど
この時代で語られるのはあくまでも国の存亡とその趨勢だからね >>611
どの時代でも国の存亡の可否はデカい
この時代に限った話でも、勝率や戦果なら石勒より石虎のが上だが
石虎は敵を滅ぼす大一番の戦いで敗北(劉曜,慕容恪)するのに対し
石勒はいくら負けても復活するし大一番では勝つところから
石勒のが強く感じるのと似てる 秦、新、西晋、隋
短命の統一王朝
一番まともなの秦か? 秦はChinaの語源になってる説なので・・・
しかし秦(Qin)、新(Xin)、晋(Jin)、清(Qing)なので
実は南朝陳(Chen)がChinaの語源ではないかと思えてくる 秦は「初めて中華を統一した事」自体前代未聞だったしな >>615
あれで中華世界の枠組みが出来上がったからな
その功績のデカさは始皇帝ペルシャ人説や呂不偉ユダヤ説といったもんが出るのでも分かるとおりよ
短命統一王朝の中で抜群のハズレは西晋だろう
秦(前漢)、新(後漢)、隋(唐)と違い、思想を換骨奪胎した中長期的統一王朝が現れなかった
後継といえる東晋なんて、反西晋イデオロギーに傾いた時に強く、親西晋の時は惰弱て散々な推移ののち劉宋以降の腐敗体制に行き着いたってオチだし 炎「だってぇ、名族とかいううるせえ奴らが言うこと聞いてくれないんだもん」 始皇帝の事業は今で言ったらEUを統一国家にするくらいの偉業やからね >>617
まあ西晋は後漢~曹魏の延長国家とも言える 皇帝がうるせえから言うこと聞かなくていいよう河内司馬氏が名族代表として担ぎ上げられた
っていう事情を炎はマジでわかってなさそうなのがなぁ
後漢曹魏だけでなく、前漢太祖と武帝の遺した呪いまで引き継いでる王朝って感じ >>614
古代と現代では同じ漢字でも発音が異なっているから現代の発音で考えても、あまり意味がないと思う >>616
蛮族にヒャッハーされて中原から追われて南遷という点では
西晋は北宋と大して変わらないのだが
素人目にも西晋と北宋は全然別物にしか見えないのが(ry 西晋(に限らんけど)は皇帝しのぐ権力握る→ヒャッハーなパターン何回やってんねんっていう
諸葛亮みたいなやつの方が特殊って誰かいってたけどそうだよねってなる >>623
あんだけ謙譲した霍光すらも最終的に族滅したって前例が響いてる
即座に逃げる、殺される、段階的に逃げる、簒奪するの選択肢しか残されなくなって、西晋の場合は大多数が簒奪をゴールラインに示した結果、終わりなき闘争に行き着いた
唯一それを否定した乂(越は簒奪の大義名分がないため除外)もスタートラインが恵まれてた甘ちゃんに過ぎない 桓玄がとっとと簒奪したのは
パパの桓温が禅譲しようとして周りに時間稼ぎさせられて
タイムオーバーになったのを反面教師にしたからだろうな >>624
霍光は海昏侯を廃した前科があり、親族が宣帝の許皇后を毒殺してしまったから、死後に族滅されたのは自業自得だったりする
史書では海昏侯が暗愚荒淫だからやむなく廃したとあるけど、実際のところは海昏侯が霍光の言いなりにならないほど聡明であり、海昏侯の側近が霍光を除こうとしたからだという説が浮上している >>625
焦った結果軍功が足りないまま簒奪しちゃって結局破滅するのホンマ… >>626
まあ嫁毒殺が響いてるわな
でも許皇后の産んだ子(元帝)が宣帝が遠ざけてた儒者や士大夫を重用して結果としては王莽さんの簒奪コースになるんだから歴史のピタゴラスイッチ感半端ない >>627
なんだかんだ言っても
劉裕→長安奪還
蕭道成→劉帰藩の反乱鎮圧
菩薩皇帝→東昏候を弑逆
これと比較すると明らかに武功が足りてないんよな
劉牢之も勝手に自滅しただけだし >>628
あの馬鹿については太子の頃から分かっていたのに廃せられなかった
これが霍一族への恨みの大きさを間接的に表してもいるわけだしな
法の人とされる宣帝の行った“情の裁決”ってのがどれだけ重くのしかかってくるか、人の性を感じるわ >>623
諸葛亮は晴耕雨読のニートから仕事の虫で過労死
中華歴代皇帝でも偶に仕事の虫は居れど
それなりに権力弄んだり珍味楽しんだり後宮でヒャッハーしたりで人生楽しんでる
諸葛亮に関しては部下の仕事迄自分で裁決し
粗食で嫁舞祭組と人生何が楽しいのかわからん
五胡南北朝どころか中華のは歴史上ほぼ皆無の
変態中の変態なので特殊どころか唯一無二の変態 そういや誰か作家が諸葛亮を「三国志演義では清廉潔白で仕事に忠実で暗愚な皇帝に尽くした
忠臣中の忠臣として描かれてるけど珍しく不思議なことに実際の人物も概ねそういう人物だったらしい」
みたいに評してたのがいたな、司馬だったか >>629
とはいえあそこからすぐ滅ぶのはわけわからん
劉裕がおかしいでいいのか >>633
甲家の権益を侵すとどうなるかの見せしめみたいなもん
国自体の権限やリソースが弱いから、甲家に担がれる≒激強リソースが加えられる劉裕のが遥かに強かった 考えてみたら六朝トップの孫呉も初期は孫堅孫策の武勇ありなとこあったし、しょっちゅう人殺してる描写のある孫策も(直接殺人をやった描写が正史三国志にあるの孫策くらい)地元豪族には丁寧な態度とってるから腕っぷしの強いチンピラをインテリが神輿として担ぎ上げるのは六朝のテンプレかと想像される
(初代でインテリ層は菩薩皇帝くらいだし) >>634
まさかとは思いますが、この「甲家」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか
あなたの病気は悪化しています
あり得ません。専門家の意見を聞くまでもないことです >>631
苦役で自身が傷つくことを誇りに思ってる異常者(おそらく情報提供者は徐庶)だからな
儒教的な視点からも常道を外れてる特異な存在
>>635
漢自体が、お山の大将をインテリがおだてて暴力装置に使ったとこから始まってるからな
自由には責任を伴うって言葉と、それに対するゴール(責任取らずに自由を行使する立場)は昔から真理であるというのを知らしめている
こう考えると王敦王導はエグい両建て成功したなって感じ