五胡十六国南北朝を語るスレ21
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>494
北朝鮮も李氏朝鮮のことはボロクソに言っている。
その一代前の高麗のことは南北統一の際は高麗連邦共和国としようと韓国に提案したくらい高く評価しているが。 趙匡胤は柴栄の下でどんどん出世するんだからすげぇわ
あのおっさんちょっと仕事出来ないとすぐキレるんだもん >>496
すぐキレるのは趙匡胤も大概なんで
受け継がれるパワハラスピリッツ >>495
順治帝「前代は悪、前々代は転じて正義」 >>486
そういや苻堅の一族の嫁貰ってるの結構多いな
色白で美人確率高い慕容氏なら嬉しいのだが
苻堅の一族の美人度が気になる… >>499
ブサイクだとしても別に妾作ればいいからへーきへーき
独孤皇后「舐めるなッ!オスブタッ!」→妾を撲殺
北条政子「舐めるなッ!オスブタッ!」→妾の家に放火
まあこんなパターンもあるんやけどなブヘヘヘヘ >>499
パパの苻雄は醜形貌頭大而足短
あまりにも酷い 独孤伽羅はパパが容姿に優れてるみたいだから本人も美人だったはず
美人で優秀で気が強くて嫉妬心も強い嫁さん
楊堅何が不満だ 国をNTRのは難しくはない
しかし、上司の娘と過ごす夜ほど恐ろしいものはない
と言ったとか言わないとか・・・・ 法事でお経を見る機会があって
「梁天子」というワードがあったから気になって調べてみたら
やっぱ梁の武帝のことなのな 正信偈は正確にはお経ではないらしい
曇鸞は北魏〜東魏の人らしい 中国の専制の元祖は始皇帝の秦だけど、ロシアの専制の元祖はビザンツ?それともジョチ・ウルス?
ルーシ諸国の頃はそこまで強権的ではなかったし インドは始皇帝が現れなかった中国って感じがする
マウリヤ朝とムガル帝国以外殆ど分裂状態だし >>505
武帝のことと知っちゃうと急にありがたみがなくなるなあ >>508>>510
中華料理店でフランス料理出せと言われても叩き出されるだろ >>513
ID:mEUD2pXEOはフランス料理店に、わさび醤油を持っていって使った北大路魯山人のような奴だろ。 フランスの太陽王ルイ14世の最も好きな調味料は醤油
なのでルイ14世は中華(胡族)の王とも看做せる >>511
というか過剰なまでに仏教推進してたのも事実だしな
あの石勒石虎ですら仏図澄を重用するほどだし 世界三大料理
中華料理とフランス料理は分かるがトルコ料理?ケバブ? >>519
儒教は前提として漢民族以外クズ(夷狄)というのがネック
んで頂点は皇帝(無論漢民族の)って決まってる以上、それを覆せるロジックがないと正統性が損なわれる
恩寵の逆説や前提知識の差でのマウントも厄介
それに対して仏教は民族に対して平等で広めやすく、異民族間の共通のイデオロギーとして使えるし
漢民族の文化に対しての防波堤にもなれる
惜しむらくはそれを異民族ではなく漢民族(菩薩皇帝)が体現して大失敗したとこだろうか ビックコミックで朱のチーリンというのが始まってた
主人公は姜維なんだけど重要人物として同年輩の羌族の姚宇というのが出てくる
ひょっとして姚萇のご先祖様だったりして
ちなみに一話目の冒頭に儒教による漢民族と異民族の区別が書かれてた
話変わって馬超って羌族の血が流れてるとされてるけど末裔はどうなったんだろ? 姚弋仲の父親の柯回が伐蜀に従軍している
都督隴右諸軍事のケ艾の節度下だろうね
晋書載記だと戦功で鎮西将軍になってるらしいがさすがに嘘だろう >>507
曇鸞は浄土宗の開祖なのに日本ではほぼ無名・・・
達磨(ダルマ)は日本では有名なのに曇鸞と同時期の
南北朝時代の人なのは日本人ほぼ知らないという・・・ >>516
ゲルマン系の諸王国(アリウス派)は全て滅んだが、フランク王国(アタナシウス派)だけは生き残った
五胡十六国の中でもっとも漢化した北魏が華北を統一した
少数の民族が圧倒的多数の他民族を支配するにはやはり郷に入れば郷に従うしかない
ヴァンダル王国や元朝はどちらも内輪揉めが酷く、更に現地の文化を軽視した支配体制だから短命だった(アタナシウス派弾圧、科挙廃止) >>522
そういえば姚一族って後秦滅亡後どうなったんだろ
一部は北魏に逃れ出世したみたいだし今でも子孫いたりするのかな 姚弋仲南安赤亭羌人也。其先有虞氏之苗裔,禹封舜少子於西戎,
世為羌酋。其後燒當雄於洮罕之間。
現代中国で姚姓は51番目に多い姓で約570万人
呉興姚氏(姚察etc...)と南安姚氏(姚弋仲etc...)
の子孫が多いらしいので今でも傍流なら確実に子孫居そう >>532
51番手で570万人って・・・・
日本一の佐藤さんでも180万人だぞ・・・・ >>533
日本より中国は姓のバリエーションが少ないからな
帰化で新しい姓を手軽に造り出せる(玉鷲など)のが特殊っていうのもあるが 諸葛、司馬、公孫、慕容
改姓で拓跋は元、完顔は王になってるけど
半島人も元は日本人みたいに複字姓だったが、新羅あたりから中国真似て単字姓になった 中公新書から
「殷」
「周」
「隋」
「唐」
は出版されているんだが
「晋」
は出ていないんだな。
入手が容易で(絶版になっていない本で)晋(特に東晋)の通史となるとどれがいいんでしょ? 司馬の攸ちゃんはみればみるほど微妙な立場だな
炎と司馬衷の丁度間ぐらいの年齢だし
どうあがいても粛清かクーデターしか道がなさそう >>535
そもそも周や漢ではそれなりにあった気がする複字姓の存在感が漢人王朝や中共の漢族に継承されてなさそうだしな
なんか相性が微妙なのかもしれん、漢文と複字姓が… >>537
単に司馬炎が暗君で佞臣の讒言鵜呑みにしただけの悲劇のような >>540
次男相続の天命を作ったのが司馬懿と司馬昭であり
佞臣の讒言しか信じられないような状況を作ったのは他ならぬ司馬炎自身なのが皮肉
統一してからの乱痴気はもはや言うまでもないが、即位前の経歴も即位〜統一までの実績も中々酷い
そりゃ粛清せざるを得ないくらい輿論が司馬攸に靡くわと そういや
前秦の苻氏とか
西秦の乞伏氏とか
後秦の姚氏とか
春秋戦国時代の最終勝者と同じ国号なのに
なんで国姓を「嬴」に改めなかったのか 夏王朝の王様の弟が匈奴の祖先になったとか無理あり過ぎる設定 >>536
西晋の範囲であれば福原啓郎『西晋の武帝 司馬炎』(白帝社)がよくまとまってるし電子版で読める
でも東晋の範囲をカバーしてる書籍は思い浮かばないな… 秦は地域名でもあるから採用する意味はあるだろうけど姓はあんま関係ないし…特別名乗る価値のある字でもないだろうし… >>543
桀王の息子に夏后淳維がいた
夏が滅びると淳維は一族を率いて北の地に亡命した
この淳維こそ匈奴の先祖だという 氏はともかくとして姓って改められるのか?
それに姓って普通男性は名乗らないし
始皇帝の「嬴政」表記はいつももにょる 未だに歴史本や雑誌なんかで見る「韓王韓王信」表記に比べれば 王侯の姓を表記ないし呼称しまくる現象はチャイナ産の古代歴史モノでも流行ってますね
個人的にはこまかいことは別にええやんって感じなんだけど
今や三国志系をぶっちぎって中国史モノの頂点に君臨するキングダムの斉王、王建王は作品が偉大過ぎるだけにちょっと気になる >>543>>547
西周の武王の曾祖父の古公亶父の長男・太伯の末裔が開いた国が日本だと言うのも、かなり無理がある設定だな。 >>542
宇宙大将軍様に
なんで国姓を「劉」に改めなかったのか
と言うぐらいの失言 >>543
劉淵の先祖が(匈奴に降嫁させた)前漢の公主だった、
と比べると? フン族=北匈奴説
柔然=アヴァール説
信憑性ある? 柔然「ヒャッハーwwwww」
北魏「おのれ蛮族め!」
劉宋「あれはお前らの昔の姿やで…」 趙宣之をググってみると
何故かナイツ塙が先頭に出てくるのな… 創作で菩薩皇帝をイケメン(内面含めて)&有能に描くとその後の劣化ぶりが無残になる典型
https://i.imgur.com/aR1230c.jpeg 創作は人気商売である以上イケメン化はやむを得ないが…
チャイナ美男子=背中に垂れるロン毛から離れられないのは何故なのか…
そこに肖像画と冠があるじゃろう? 60位で亡くなってたら南朝最高の名君として称えられたろうに長命過ぎて晩節を汚してしまった >>562
清・乾隆帝「68歳で死んだ朕は丁度よかったのか。」
南宋・高宗「55歳で譲位した朕も丁度よかった。」 最初の皇帝「十全老人並みに碌なこと書かれてないのにもうちょっと長生きしてればとも言われる朕」 菩薩皇帝どうなんだろうな
後継者争いで結局国はボロボロになってそうじゃない?
宇宙大将軍が引き金か菩薩皇帝の死が引き金かの違いで >>562
48歳で亡くなってる苻堅の晩節汚しはもっと悲惨
蕭衍は捨身始める前に昭明太子に帝位譲って
思う存分仏教信仰してれば 隻眼の皇帝ってこの時代の蕭繹と苻生くらいか?
ふたりとも強烈なコンプレックスの持ち主よね 孫権、司馬炎、李隆基
晩節がアレなのはやっぱこの3人かな
そして海陵王は石虎の生まれ変わり 蕭衍は死因餓死なのが凄いわ
何もなければ100近くまで生きてそう 梁の皇帝は餓死に圧死に溺死にろくな死に方してないな >>569
孫権司馬炎は反乱起こされてないしマシな方なんじゃ
つか二宮の変はそれこそ東晋時代なら陸遜が建業まで兵を出して孫権を隠居させるか土下座させてたはず
なんだかんだ言っても家臣の頭をきっちりと抑え込んでたのはさすがよ >>568
元祖独眼竜・李克用は即位していなかったか。
息子の後唐の荘宗・李存勗によって太祖と追合されてはいるが。 >>575
田中芳樹「奔流」のコミカライズ
原作とかなりキャラは変えてる >>568
蕭繹と苻生との後世での評価が雲泥の差で泣ける
苻生は蕭繹みたいに本の虫になっていれば…
いつの世も酔っ払いには厳しい世界 >>577
苻生の記録は不自然なほど少ないうえに残っている記録も改竄された疑いがあると指摘されているんだよな
洛陽伽藍記に「苻生は思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった。暴君という汚名を着せられてしまっている」という評価が載っている 苻生は軍事面での功績が大きすぎて度を超えた!暴虐に書くしかクーデターの正当性ができなかったんだろう 陳舜臣先生も「苻生の暴虐エピソードは盛られ過ぎ」とか指摘してたな 一方で仏教保護してるのに洛陽伽藍記でも暴虐を否定して貰えない石虎…
クズ貴族なのに何度も洛陽伽藍記に登場する石崇… 苻生の治世中、前秦は一度も侵略行動を起こしていないんだよな
敵に攻め込まれたら返り討ちするという程度で、捕虜を穴埋めにすることはなかった >>577
內積猜忍,外崇矯飾とか言われるし書の五厄に数えられるし割と散々じゃない?
顔之推くんはなんか褒めてたけど焚書をどう思ってたんだろう >>577
內積猜忍,外崇矯飾とか言われるし書の五厄に数えられるし割と散々じゃない?
顔之推くんはなんか褒めてたけど焚書をどう思ってたんだろう 「俺は沢山の書物を読んで学んだのにこういう状況になってるじゃねえか!!」←焚書
なんか現代にもこういう人いそう ローマ帝国時代は下級兵士や庶民までも文字を読めたが、西ローマ滅亡後で文字が読み書き出来たのは教会の神父だけ
中国は西晋が滅んで五胡十六国時代になっても漢族知識人は勿論五胡も読み書き出来た
この違いを説明出来る人いる? >>587
身内で争うとか胡族を呼び込むとかした後の末路を史書から学べなかったのか ・五胡は漢民族ありきの国家運営にかまけたのに対し、西欧は酋長制を更に階層化しただけの閉鎖的社会が続いた
・政治と文学が混濁している中国に対し、ローマは政治と文学が乖離(むしろ衆愚化の道具)していた
・中国は文明に依存するプロパーの人数が桁違いに多いが、ローマは雑多な民族の集合体で共通のイデオロギーがなかった
・中国は域内の統一が至上命題であり文化圏の包含に勤しんだが、ローマはベネチアやビザンチンとして逃げ延びた
大体こんなとこか
改めて考えると、不必要な機能は消滅するという自然の摂理によるとこが、東西を大きく分けたな
識字が統治に必要なビザンチンでは、当時の記録からして割と識字率は良かったようだ ・中国が製紙の発達により文章の伝達や保存が可能な紙が大量に生産されたのに対して、
西欧はエジプトから輸入していたパピルスが途絶えると、製造に限界がある羊皮紙しかなかった。 藩校や寺子屋みたいな教育施設があったから日本は江戸時代の識字率が高かったという
清はそれまでの王朝と同じく上流階級や金持ちは老師を家庭教師として雇ったり、その人の元へ通ったりとするが、庶民は放ったらかし…その結果が今の簡体字
朝鮮も同じくで、ハングルも世宗が漢字を読めない庶民向けに作ったもの >>592
しかもそのハングルすら普及しきらず20世紀でもローカル文字が20種類以上あったとかいう修羅の国だからな
不完全に写した結果文体が変わったアルファベット派生よりも酷い 空白の4世紀
邪馬台国が30程の国を支配(宗教的権威で統治)→大和王権による統一国家(武力で支配)
墳丘墓→巨大な前方後円墳
戦乱が終わり環濠集落も姿を消す
弥生時代にはいなかった牛や馬の登場
中国の歴史書にはあるが、記紀では存在しない邪馬台国
騎馬民族征服王朝説?
邪馬台国が大和王権に進化?それとも大和王権が勃興して邪馬台国を併合した?
そもそも邪馬台国は九州?近畿? >>594
DNA解析で否定されてるもんをいつまでこの基地外は嘯くのだろうか >>588
>>590
むしろ地中海と周秦漢とかいう地勢も気候も隣接地域・勢力も違う二つの世界の割りに大差ないんじゃないか、という気もする
西ローマ滅亡後の西欧を大雑把にチャイナに当てはめると西域とか南越とか内蒙古になりそうだし >>596
それどころか西欧が五胡、アナトリアが東晋てな具合の地勢よ
唯一の国家という思想が厳格だった中国と、そもそも征服地だらけで他国という存在がありふれた(がゆえに支配の及ばない地域を容認した)ローマ帝国っていう差がデカい
仮にローマ帝国でユダヤ教が勃興してたらチャンコロになってただろうが、ギリシャから多神教ラーニングしてたのが功を奏した
あと倫理コードや行動ルーチンは東西を問わず文明レベルに応じて一定のタイミングでアップデートされてるから
文明発展への阻害がなければ地勢の差はそこまで影響を及ぼさない
(五大欲求や枢軸時代を参照) >>584
書の五厄込みで王夫之とか司馬光とか儒者からの評価散々だな蕭繹
でも侯景倒した分込みで何之元とか虞世南とか
孫呉系貴族からの評価マイルドになってる感が カールの戴冠(西ローマ帝国の復活)や神聖ローマ帝国とか見てると中世でもローマの権威はしっかり残ってるかなと
ビザンツ帝国については滅亡したその日まで自称は「ローマ帝国」だった >>598
そりゃ先祖の行為を見習う+中途の偉業を引き継ぐのが孝として尊ばれる世界にあって、先祖の行為をリバースエンジニアリングできなくする焚書は非難されて然るべきよ
(見習うべきものがない=どん詰まり)
アレキサンドリア図書館と知恵の館の焼失は、そうでもない世界だった+ヴァカチンとユダヤにとって都合いいから近代まで許されてたがな 【悲報】スレタイ、ホラッチョだった【南北朝はジョガイジョガイ】 >>576
「奔流」は漫画化するのには良いチョイスだと思うわ
主人公の陳慶之をはじめキャラ立ってる人物ばかりだし
メインの話である鍾離の戦いも漫画映えすると思うわ 鍾離の戦いは南北朝最大の戦いだからもう少し注目されてもいいかな
北魏の元英、楊大眼や梁の韋叡、曹景宗などの武将は >>599
国家の重心をあまり南に移さなかった五胡北朝隋唐みたいなヤツじゃね?フランク王国は >>605
時代を問わず南北分かれてる時は武力的には北側が圧倒していて南は局地戦で戦術的な勝利はおさめられるけど基本圧迫されるという理解でいいのかな? 大規模な戦役の割に鍾離の戦いの知名度が低いのは
この戦いが歴史を大きく変えた戦いじゃないからって気がする
負けた側の北魏もこの戦いが原因で衰退したわけでも無いし勝った側の梁も勢力を大きくしたわけでも無いしな 淝水の戦いは文字通り歴史を変えた戦いだからな
もしも前秦が勝利したら天下統一が成って歴史が大きく変わった可能性が高かった >>608
参合坡みたいに後の趨勢を決めてしまったような戦いではなく、大規模な衝突ってだけだとね
北魏梁両国の趨勢を語る上で外せないイベントだったらしょっちゅう語られるだろうけど
この時代で語られるのはあくまでも国の存亡とその趨勢だからね >>611
どの時代でも国の存亡の可否はデカい
この時代に限った話でも、勝率や戦果なら石勒より石虎のが上だが
石虎は敵を滅ぼす大一番の戦いで敗北(劉曜,慕容恪)するのに対し
石勒はいくら負けても復活するし大一番では勝つところから
石勒のが強く感じるのと似てる 秦、新、西晋、隋
短命の統一王朝
一番まともなの秦か? 秦はChinaの語源になってる説なので・・・
しかし秦(Qin)、新(Xin)、晋(Jin)、清(Qing)なので
実は南朝陳(Chen)がChinaの語源ではないかと思えてくる 秦は「初めて中華を統一した事」自体前代未聞だったしな >>615
あれで中華世界の枠組みが出来上がったからな
その功績のデカさは始皇帝ペルシャ人説や呂不偉ユダヤ説といったもんが出るのでも分かるとおりよ
短命統一王朝の中で抜群のハズレは西晋だろう
秦(前漢)、新(後漢)、隋(唐)と違い、思想を換骨奪胎した中長期的統一王朝が現れなかった
後継といえる東晋なんて、反西晋イデオロギーに傾いた時に強く、親西晋の時は惰弱て散々な推移ののち劉宋以降の腐敗体制に行き着いたってオチだし 炎「だってぇ、名族とかいううるせえ奴らが言うこと聞いてくれないんだもん」 始皇帝の事業は今で言ったらEUを統一国家にするくらいの偉業やからね >>617
まあ西晋は後漢~曹魏の延長国家とも言える 皇帝がうるせえから言うこと聞かなくていいよう河内司馬氏が名族代表として担ぎ上げられた
っていう事情を炎はマジでわかってなさそうなのがなぁ
後漢曹魏だけでなく、前漢太祖と武帝の遺した呪いまで引き継いでる王朝って感じ >>614
古代と現代では同じ漢字でも発音が異なっているから現代の発音で考えても、あまり意味がないと思う >>616
蛮族にヒャッハーされて中原から追われて南遷という点では
西晋は北宋と大して変わらないのだが
素人目にも西晋と北宋は全然別物にしか見えないのが(ry 西晋(に限らんけど)は皇帝しのぐ権力握る→ヒャッハーなパターン何回やってんねんっていう
諸葛亮みたいなやつの方が特殊って誰かいってたけどそうだよねってなる >>623
あんだけ謙譲した霍光すらも最終的に族滅したって前例が響いてる
即座に逃げる、殺される、段階的に逃げる、簒奪するの選択肢しか残されなくなって、西晋の場合は大多数が簒奪をゴールラインに示した結果、終わりなき闘争に行き着いた
唯一それを否定した乂(越は簒奪の大義名分がないため除外)もスタートラインが恵まれてた甘ちゃんに過ぎない 桓玄がとっとと簒奪したのは
パパの桓温が禅譲しようとして周りに時間稼ぎさせられて
タイムオーバーになったのを反面教師にしたからだろうな >>624
霍光は海昏侯を廃した前科があり、親族が宣帝の許皇后を毒殺してしまったから、死後に族滅されたのは自業自得だったりする
史書では海昏侯が暗愚荒淫だからやむなく廃したとあるけど、実際のところは海昏侯が霍光の言いなりにならないほど聡明であり、海昏侯の側近が霍光を除こうとしたからだという説が浮上している >>625
焦った結果軍功が足りないまま簒奪しちゃって結局破滅するのホンマ… >>626
まあ嫁毒殺が響いてるわな
でも許皇后の産んだ子(元帝)が宣帝が遠ざけてた儒者や士大夫を重用して結果としては王莽さんの簒奪コースになるんだから歴史のピタゴラスイッチ感半端ない >>627
なんだかんだ言っても
劉裕→長安奪還
蕭道成→劉帰藩の反乱鎮圧
菩薩皇帝→東昏候を弑逆
これと比較すると明らかに武功が足りてないんよな
劉牢之も勝手に自滅しただけだし >>628
あの馬鹿については太子の頃から分かっていたのに廃せられなかった
これが霍一族への恨みの大きさを間接的に表してもいるわけだしな
法の人とされる宣帝の行った“情の裁決”ってのがどれだけ重くのしかかってくるか、人の性を感じるわ >>623
諸葛亮は晴耕雨読のニートから仕事の虫で過労死
中華歴代皇帝でも偶に仕事の虫は居れど
それなりに権力弄んだり珍味楽しんだり後宮でヒャッハーしたりで人生楽しんでる
諸葛亮に関しては部下の仕事迄自分で裁決し
粗食で嫁舞祭組と人生何が楽しいのかわからん
五胡南北朝どころか中華のは歴史上ほぼ皆無の
変態中の変態なので特殊どころか唯一無二の変態 そういや誰か作家が諸葛亮を「三国志演義では清廉潔白で仕事に忠実で暗愚な皇帝に尽くした
忠臣中の忠臣として描かれてるけど珍しく不思議なことに実際の人物も概ねそういう人物だったらしい」
みたいに評してたのがいたな、司馬だったか >>629
とはいえあそこからすぐ滅ぶのはわけわからん
劉裕がおかしいでいいのか >>633
甲家の権益を侵すとどうなるかの見せしめみたいなもん
国自体の権限やリソースが弱いから、甲家に担がれる≒激強リソースが加えられる劉裕のが遥かに強かった 考えてみたら六朝トップの孫呉も初期は孫堅孫策の武勇ありなとこあったし、しょっちゅう人殺してる描写のある孫策も(直接殺人をやった描写が正史三国志にあるの孫策くらい)地元豪族には丁寧な態度とってるから腕っぷしの強いチンピラをインテリが神輿として担ぎ上げるのは六朝のテンプレかと想像される
(初代でインテリ層は菩薩皇帝くらいだし) >>634
まさかとは思いますが、この「甲家」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか
あなたの病気は悪化しています
あり得ません。専門家の意見を聞くまでもないことです >>631
苦役で自身が傷つくことを誇りに思ってる異常者(おそらく情報提供者は徐庶)だからな
儒教的な視点からも常道を外れてる特異な存在
>>635
漢自体が、お山の大将をインテリがおだてて暴力装置に使ったとこから始まってるからな
自由には責任を伴うって言葉と、それに対するゴール(責任取らずに自由を行使する立場)は昔から真理であるというのを知らしめている
こう考えると王敦王導はエグい両建て成功したなって感じ >>639
ジェンガの達人
関わったもんをボロボロにしながら美味しいとこを持っていったり生き残る能力が高い
宣帝なんて人間不信の小僧のお気に入りになったおかげで、政治センスないのに事実上の君臣最高位の録尚書事だからな
その後も州大中正制定や子孫の皇帝廃位&惨殺&筆曲げ強制、同族殺し、清談の腐敗、贅沢のための我尽などで全方位壊してるあたりマジで凄い
悪貨が良貨を駆逐した 酷い言われようだが
司馬氏は元々軍事系の家系なのに
『司馬法』『史記』『子虚賦』『続漢書』『史記索隠』『資治通鑑』
などの文学史学系で結果を残した事は同じ軍事系の琅邪王氏よりも優れる 司馬氏は居るのに
司空氏とか司徒氏とかほぼ聞かないのは謎 >>645
司徒とか司空なんていうのが置かれるようになった頃には単姓がデフォだし
そこら辺と並べる大司馬は司馬氏のルーツではない >>645
司空は古来から存在する複姓だが元代には蒙古人や色目人も名乗るようになったので明代になると唐や宋や杜といった単姓に変える者が多かったので中国では少なくなった。
却って唐末の黄巣の乱を避けて新羅に移住して帰化した者の子孫は司空の姓のままだったので現代の韓国や北朝鮮にも複姓としては比較的多く存在する。
2000年に韓国で行われた調査によると司空は133位の約4300人で韓国の複姓では南宮(約18000人)・皇甫(約9100人)・諸葛(約4400人)に次いで4番目に多く、現代の韓国でも財務部長官を務めた司空壱や大邱高等裁判所長を務めた司空永振や韓国プロ野球の斗山ベアーズに在籍した司空よう(火編に華)といった人物がいる。 呉三桂が李自成よりドルゴンを選んだ理由とは
同じ漢民族とはいえ下賤出身者に従うくらいなら、辮髪にして異民族に従った方がマシってことか
てか五胡の髪型ってどうなん?漢族みたく総髪?それとも蒙古や女真みたいな辮髪?
北魏までいくと絵画を見る限り漢服総髪になってるけれど >>648
南匈奴あたりはもう漢人と区別つかない格好してたんじゃね
劉淵ファミリーあたりはエリート士大夫の格好してたろうし 戦国趙の武霊王辺りから漢人も胡服着たりして
文化融合し過ぎて漢人も胡人もあまり違い無さそうな
とはいえ近代のチャイナドレスは満服なので
漢胡に完全に染まってない文化も残ってたり 霊帝は確か胡服(半袖短パン)好んでて(ソースは後漢書五行志)大臣たちがそれに追従して真似したとか草なんだな
北斉時代に漢人が鮮卑の貴族に媚びて琵琶習ってるのを嘆いたた顔之推=センセイもお嘆きになろう 胡服は西洋に伝わった一方
漢服であるほぼ絶滅で残念
まあ機能性考えると残当 >>656
この時代を最終的に完結されたのが十全老人様と考える見方もあるw 漢族「夷狄が中原を支配する資格なんてねーよww」
雍正帝「舜は東夷の人だったし、文王も西夷の人。徳があれば夷狄でも中華たりえるんだお!はい、論破」 >>629
これみると桓玄も北伐すれば良かったのにと思ったが
武功の為に北伐しても桓玄が姚興相手に勝てたかというと謎
桓玄こいつ王敦と同じ内弁慶の臭いしかしないからな 慕容部とかは徳こそが大事、徳があれば蛮夷だろうが関係ない論を展開するのに
劉淵の「俺は漢の血もひいてるから俺こそ漢の正当後継者」論はやはり強い >>662
その慕容部から「徳など実にくだらなくて生温い。民は法と刑罰で律するべきだ」という苛烈な法家思想の庶人天王を輩出したんだから皮肉なもんだ >>662
慕容部は漢民族を家畜化してる段階で既に徳を騙る筋合いないのがポイントよ
現代の資本家や古代のパトリキ、豪族らとさして変わらない
そんで前秦への降伏後の分裂を見るに上っ面だけだったというのも証明されてるのが何ともスイート >>662
人徳云々は劉淵も「禹王は西戎、文王は東夷だ。出自は関係なく徳をもっていれば聖王になれるのだ」つっとるから
ただ劉淵は漢王朝の義弟ポジションに加えて本人がエリート士大夫だから説得力が段違い >>662
どちらの論もわかるがどちらも天下統一できなかった
で「朕は天子なのに自由がない」という恐妻家が天下統一するとは
泣ける >>666
旦那の楊堅よりも(十二大将軍の中で11位)嫁の独孤氏(八柱国5位)の方が身分が上なんだ
悔しいだろうが仕方ないんだ >>668
事実「二聖」と言われてるんだ
旦那より身分上でしかもオヤジの独孤信は楊堅のオヤジの楊忠の上司なんだ
さらに宰相の高熲のオヤジも独孤信の家人で独孤姓を名乗ってた時期もあるほどなんだ
これで調子こかなかったらどうかしてるんだ 高熲て本貫から高歓の同族と思われるのに
北斉皇帝貴族と違い奢侈乱行の気が無いという
渤海高氏の一族としては珍しい変態 今電子化された福原哲郎「西晋の武帝 司馬炎」を読み直したけどやはり嫡流や直系が途絶えすぎよな
司馬師→男子が産まれずに司馬昭の息子(司馬攸)が祭祀を継ぐ
賈南風→男子産まれないのに愍懐太子司馬逸と揉めて殺害し結果としては司馬倫に決起させる口実を与える
司馬逸→3人しか男子作れずその息子3人も二人は倫に殺されて残り一人も302年に病死
こんな有様じゃ公権と私権の区別もできず「あいつが専権振るえるのになんでオレが……」と吹き上がる連中が出まくる(それかそれを煽る側近)わな にしても倫太郎の勘違いぶりはなあ、文字も読めねえくせに・・(曰く「全部孫秀のせい」) 強化版司馬倫の司馬穎さん
なまじ人材も人望もあるせいで取り返しのつかない事をしてしまう >>673
軍事力欲しさにフリーの劉淵GETしたはいいが酷使したのは致命的だわなぁ
次点でいい子ちゃんの司馬乂に政治させなかったことか
司馬穎は単なるノータリンなら良かったんだが、行動力と出世欲がカンストしてるから手に負えない >>672
同じ無学文盲でも武陵王司馬晞は桓温が忌避するほどの剛毅な猛将だったにもかかわらず謙虚な人柄で褒賞を与えられても決して受け取らなかったのになぁ… >>675
倫と違って識字障害とかなんじゃないのん? >>671
司馬氏は嫡流直系は断絶気味だが
傍流は蝗の如くなので
石勒が滅しきれないぐらいの司馬氏王族数多 魏呉蜀どこにもいる諸葛氏
西晋や五胡十六国・南北朝では大人しくしてるね 五胡十六国時代でそれなりに有名で事績がある諸葛氏
諸葛長民しか思い浮かばない 孔明の養子の孫・諸葛顕は東晋の時代まで存命で王羲之と交流があった 東晋初めまでの諸葛氏は名士な感じなのに、東晋末の諸葛長民は粗野で野蛮な軍人って感じ
この頃は弘農楊氏もそんな感じになってるけど 諸葛長民はアレ過ぎて諸葛氏のどの系譜からも外されてるが
諸葛亮の子孫の可能性もあるのを考えるととても楽しい 要するに五胡十六国時代になると諸葛氏は華北が所轄ではなくなる、ということだな >>686
おーい山田くん、>>686の座布団全部持ってって! 丞相の孫が粗暴な軍人って王鎮悪が真っ先に思い浮かんだw >>688
むしろ仲達の子たる司馬倫が文盲かつ粗暴という >>689
司馬倫は司馬懿が死ぬ前後に生まれたガキって説もあるからな
ろくに教育されてないからこそ周囲の助言が必要不可欠になり、転じて御輿に使われてる
これは後の司馬穎と似ていて、担ぎ手と正統性の違いで比較的長生きできた
対して司馬熾は政権強奪や劉聡へのおフェラ豚っぷりを見るに、曲がりになりにも独学してたのが逆効果になった例だろうな 七男司馬駿が232年生まれで炎が236年生まれだから年下も十分あり得る >>691
むしろ炎よりひと回り以上下の可能性も十分にある
宗師(八達起源の司馬氏の年長者)の立場に他の家の子孫ばかり選ばれてるとこからも、少なくとも司馬亮以降の司馬懿直系<他の系列の息子や孫世代って年齢層なのが分かるが 司馬炎=236年生
司馬倫=不明(240年生説あり)
司馬懿の6男司馬榦、7男司馬駿が232年生なので
司馬懿の9男司馬倫が司馬炎と同年代の可能性は高い
司馬懿の子供全員字が「子*」なのは面白い その司馬懿の兄弟の字も全部「◯達」だしな
なんか拘りでもあったのか? 蕭衍の子供が次男以降は世○なのに蕭統だけ徳施なの気になる 宇文泰の子共も字が〇〇突なのに3男の宇文覚だけ陀羅尼
これは世子だからかな 元帝・司馬睿の子の字は『道○』
明帝・司馬紹の子の字は『世○』
成帝・司馬衍の子の字は『○齢』
簡文帝・司馬昱の子の
孝武帝・司馬曜の字は『昌明』
司馬道子は字も同じ『道子』
孝武帝の子の
安帝・司馬徳宗は字も同じ『徳宗』
恭帝・司馬徳文は字も同じ『徳文』 どんぐりで書き込めない
のはある意味五胡十六国時代よりも酷い >>698
劉備に憧れてるかどうかは分からんが劉禅に懐帝と諡を贈ってるし
蜀漢をある程度は意識してたのは事実だろうな そら献帝劉協にも蜀漢が贈った諡号である「愍帝」って読んでるからな ファッションとしても、そういうのをやるくらいには当時から劉備と蜀漢って人気あったのね その割には劉備の子孫はほぼ族滅に追い込む劉淵一味… >>703
そら「兄(漢王朝)の仇である曹氏司馬氏を弟(匈奴)が討つ。司馬氏は懐帝(劉禅)に虜囚の恥辱を与え漢王朝の社稷を絶えさせた。その恥辱を晴らす」って建前だから当然曹氏司馬氏に滅ぼされた蜀漢の劉備は持ち上げますわ >>704
???「証人は消せ、為政者の鉄則だ!」 >>705
その割には曹操を高評価する劉淵一味(石勒除く)… 漢好きなのは劉淵だけじゃないのか
と思うぐらい旧漢皇族劉一族虐殺したり
わざわざ漢名乗ったのに漢捨てて趙になったり 石勒の高祖リスペクトも底辺から這い上がった高祖劉邦への共感もあるけど、それ以上に匈奴漢の正当な後継政権アピールと考えられる ゲルマン人はローマの文化に染まらなかったが、キリスト教はすんなり受け入れた
五胡は中華文明や儒教にアレルギー反応を起こしたが、仏教はすんなり受け入れた
一神教と多神教の違いはあるけど何か通ずるものがありそうだ 漢趙は劉淵とそれ以降みたいな
劉聡くん素行悪すぎる >>712
あれは西晋の腐敗貴族の真似してたんじゃないのん?
劉淵の後見人的な立場の王渾の息子の王済も皇帝に人乳で育てた豚食わせたりと大概な奴だったし、ああ言う連中の振る舞いばかりみてたらそら悪影響受けるわな
だいたい恵帝にしてから雑に退位させられて復位しても一服盛られて死亡とかなんだから劉聡からしたら「まあこいつら雑にあつかってもいいか」的なムーヴになるんや というか漢族の悪習を廃止するどころか真似してしまう時点で(ry
スレチだが後唐も遼も金も元も清もやらかしたしな 中華文明という名のブラックホールに取り込まれていく人々・・・・ 子貴母死で外戚の専横は防げたが、皇族同士の血で血を洗う争いとか北魏からもろに中華王朝的弊害が出てくるね…
>>714
清は明を反面教師にして宦官を重宝しなかったのが功を奏した
あと太子密建で皇位継承争いを防いだのも良き
清に暗君なし 話の流れぶった切ってしまって恐縮だけど今発売中のビッグコミック
チーリン 魏延と郭淮が登場
宗像教授 鉄勒・丁霊の考察
こんなかんじ 武闘派公家はやはり藤原隆家、北畠顕家、一条房基の3強なんよな >>716
宦官って皇帝から権力を奪おうとする輩への防波堤だからな
宦官=悪ではなく、皇帝と挑戦者(外戚、官僚、貴族、宗教指導者など)の抗争で国が荒れるのが悪よ
清はとにかく満州民族の結束でそれを防ぎ続けたのが功を奏したし
衆愚化した明の功績にただ乗りできたのもデカい >>712
劉淵は血が匈奴なだけで中身はバリバリの士大夫だからな
生まれと漢民族ロジックを使いこなしたからこそ、漢永続論に則って行動してる
劉聡はそこら辺の知識が欠けてたからキン準反目の原因になったし、劉曜に至っては「趙王石勒」を認めないために国号変えたりと、漢民族ロジックをかなぐり捨ててる それこそ高祖リスペクトで「石勒よ堂々と趙の王と名乗れ」と言えば良かったんや >>720
「西晋の武帝 司馬炎」を読み直してみるとやはり曹丕が宦官の政治任用を禁止にしたのはアカンかった
士大夫の支持を取り付けるためとは言えあれじゃ皇帝が手足縛られてるようなもん >>720
趙高「せやね」
十常侍「まったく」
黄皓「はい」
宗愛「そうよ」
王振「ふむ」
劉瑾「うぃ」
魏忠賢「うむ」 >>724
チミら挑戦者として皇帝侵食しとるんやで(ニッコリ) 日本だと天皇は最悪島流し程度だけど、中国だと皇帝でも外戚・宦官風情に普通に容易く殺されてるからな
あと敗れた者の逃亡先だが、北のモンゴル高原や、東の朝鮮・日本に逃げるのはよくいても、
西のチベットやカザフスタン方面や、南のベトナムに逃げるのはあんまりいないんだよな >>720
結束なんてないよ
八旗は堕落して使い物にならんくなってたし、満州族でさえ満州語を話せなくなるほど漢化していた
清は順治と三世の春という皇帝ガチャ4連発大当たりがデカいよ >>724
黄皓ってそいつらと並べられるほどの大した悪でも無いだろ >>728
劉禅と姜維の対立の板挟みになった連絡役だからな
演義ベースだと絶対悪扱いだが、正史だと詰め腹切らせるだけのロジックもない奴だった >>728
>>729
単純に阿斗ちゃんからしたら自分の言うとこ聞きそうでなおかつ仕事できそうだつただけやからね 馮太后、則天武后、西太后
北魏・唐(鮮卑)、清(満州)
胡族王朝では女傑が出る法則 西太后は女傑なれど軍事費を自身の浪費に使う等
清朝で珍しく一二を争えるほどの無能ぶりのおかげで
日本は日清戦争勝利できたのはありがたい
写真のおかげで美人に程遠い橋爪功(渋沢栄一)系BSが
後世に語り継がれるのか可哀想だが
逆に馮太后や則天武后を写真で見たかったのはある >>732
漢族王朝の皇后は後漢の光武帝の陰皇后や明の洪武帝の馬皇后ら女傑と言うより良妻賢母タイプが多いな。
たまに前漢の呂后のような例外もいるが。 呂后ってある時期まで良妻賢母である時期以降はっちゃけたイメージがあるけど
読んだ創作物の影響かな 古今東西
佞臣・奸臣だと思われたのが実は諫臣・忠臣だったり
その逆だったりするしな 石虎「いくら何でも盛られ過ぎだろ」
海陵王「だよねー」 残虐非道な暴君とされているのに洛陽伽藍記で「思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった」という真逆な評価をされている苻生 石虎の息子はなんでことごとくクレイジーなんだ
それをはるかに超えるヤバイ奴に滅ぼされるけど 姚弋仲だっけ?
石虎に「お前の教育が悪いから息子は争うし庶民は苦しんでる」ってはっきり言ったの >>740
そう
石虎に必要だったのは姚弋仲みたいに対等に渡り合える奥さんだった
後継者問題も、頭パーな奥さんによる二転三転と、強引な手段でしか収拾しない石虎の合わせ技によるとこがデカく
子供も教養を覚えない上で強引な手段を見習った結果ズタボロ 石虎の最初の夫人郭氏は石勒が仲人をしただけあって賢婦と名高く、石虎も一目置くほどだった
しかし、側室の鄭桜桃(どういうわけか美少年とされることも)が讒言したため、郭氏は無実の罪で誅殺されてしまった
もしも郭氏が生きていたら、石虎の死後わずか数年で滅亡することはなかっただろう 石虎もそれほど暴君じゃないだろうけどな。
在命中に国が滅びてないからね。 それどころか荒廃が蔓延して弱小国家しか産まれないor外敵にかっさらわれるっていう腐敗国家テンプレにならず、うまく遺産を取り入れた前秦前燕が繁栄して雌雄を決したわけだからな
曲がりなりにも死後まで国土を戦場にすることはほぼなく、賊も蔓延らせなかったのが功を奏してる >>743
始皇帝と同じで死後数年も持たず国崩壊して滅亡なので
自身の治世は恐怖で国を保っただけの暴君扱いされても致し方ない >>738
苻生と同じく仏教保護したのに洛陽伽藍記でも擁護してくれなかった石虎… 秀吉に似てるよね。石虎
後継者問題の失敗。
土木工事を起こしたこと。
大規模な戦争など。 >>746
石虎と苻生は親子以上の年の差なのに
治世の時期は数年しか離れてないのは意外 ジャニーズの騒動とか見てるとどれだけ巨大な帝国を築き上げても独裁権力者が没してしまえば一気に崩れ落ちるくらい脆い状態になるんだなって思った >>750
儒学者の前でそれを言ってのけた庶人天王って色々すごすぎる 孫皓、司馬衷、石虎、劉c、蕭宝巻、高緯、宇文贇、陳叔宝
北も南もやべーのばかりで劉禅が相当マシに見えるな・・・ >>752
単なる暗君の先代を倒したものの、石虎を真似してハイパー暴政をしいた李寿も忘れずに 暗君:ただの無能
暴君:能力はともかく迷惑な存在
ひでえ君主ってのはこの二つに大別できるだろうな
前者の代表はやはり晋恵帝衷、ただこれは歴史に埋もれたのも多い、あとここで必ず上がる万暦帝って実はかなり微妙なんだよなあ、一応ここに分類されるが。とにかく何も出来なかった連中だな。
後者の代表は始皇帝や武帝の類だろうな、我らが虎吉もこっちに入るだろう。勃勃も当然ここ ここで菩薩皇帝ってよく見るけど正しくは皇帝菩薩だったような気も >>750
ただし徳なき法は世界を腐らせる
資本主義も科学的共産主義もまさにこの道を辿ってる 庶人天王「徳とかいう甘っちょろい考えが人を腐らせ犯罪に走らせる。だから周公旦は役立たずな徳を振りかざして裏切られて泣き言を抜かすのだ。この乱れた世こそ人を法と刑で律しないといけない」
さすが、犯人を拷問なしの尋問するのが生き甲斐で、十日に一回は裁判長として法廷に立っていただけある 庶人天王様…
『魏書』では「庶民大王」
『晋書』では「庶人大王」
でどれが正しいのか禿げそう >>757
皇帝大菩薩vs宇宙大将軍
東映まんがまつりかな? >>760
少なくとも、天子を騙っていい器ではない、と判断されていたのは伺える 『晋書』も庶人天王には「父母兄弟によく仕えたが逆境を過ごし、文武の官の地位を保全し、自身の輝きを隠して仇敵を殺害した。自分を罰して高慢になることの危うさを避け、身のこなしが軽い乱世の好人物であった」と好意的なんだよな >>760
『晋書』は唐の太宗の貞観22年(648年)に完成しているので太宗の諱の世民を避諱して「庶人大王」と記したのだろう。
他にも『晋書』は唐の高祖の祖父の李虎の諱の虎を避諱して石虎を字の石季龍と記している。 >>765
崑崙奴はインド〜東南アジアの肌の黒い人種を指すから
アフリカーナとは限らない フビライの絵に黒人が描かれてるね
オスマン帝国では黒人の宦官を使っていたようだ
黒人奴隷でいえば西欧諸国の悪行が有名だが、アラブ世界でも黒人奴隷を使っていた
去勢させたからアラブ人と黒人の子孫がいないだけ モンゴル系が故地に残ったものもいるのに対し、テュルク系はマムルークとして全て中東世界に移動してしまった
この違いは何だろう? 王莽「今日からお前は『匈奴単于』ではなく『降奴服于』だ。あともう王ではないから金の印も回収、代わりに木の印を使え」
匈奴「あ゛あ゛?」(反乱) そして下句麗
鮮卑については元から字面がかなりアレなんでこれ以上は下げようがない 大蒙古国皇帝奉書
朝廷「蒙古って…モンゴル人達ちゃんと意味分かって使ってるのかな?」 ちなみに今のモンゴル人に蒙古って書くとめっちゃ嫌がる
蒙古タンメンもダメ ソ連のお情けで独立させてもらった三等国のくせに生意気だな Chinaは良いのになんで支那はダメなん?同じ意味だけど 777ラッキー
西欧では666はサタンの数字、日本では4は死と音が同じだから不吉とされたが、中国でもそういう縁起の悪い数字あるの? >>778
そりゃ暗くて古い=時代遅れって意味だからな
ダウン症のダウンてのも、実はモンゴロイドのこと指してるし
未だにそういうのが罷り通ってるのが現実 漢民族は長子相続が基本原則だが、遊牧民は必ずしもそうではない >>777
中国でも四は死と同じ発音(スー)だから縁起の悪い数字とされていて、ホテルなどで801、802、803、805と4を飛ばして番号付けしているところもある。 >>771
貴様~!柔然を「蠕蠕(ぜんぜん)」や「芮芮(ぜいぜい)」と言い換えた太武帝を愚弄する気か~! >>782
台湾が四を避けてるのは知ってた(九は特に何も)けど中国でもそうか 武廟六十四将に高長恭がないだと⁈
他の時代・他国の将に比べても見劣りしない活躍はしてると思うんだが… >>783
柔然「ヒャッハー」
北魏「蛮族め」
劉宋「それお前らの昔の姿だからな…」 >>784
マカオのカジノにも4番台が無いところがあるから中華圏に共通して四は演技の悪い数字のようだ。 宦官って
1 志願者
2 罪人
3 異民族の捕虜
の3パターンだけど、
3について高麗・朝鮮人、契丹人、女真人、モンゴル人、ベトナム人、チベット人は聞くが、は日本人の宦官は全く聞かないな
白村江の戦い、元寇、倭寇、朝鮮出兵など中国の捕虜になった日本人も結構いるのに 西晋が異民族の傭兵で、唐が節度使で滅んだ轍を踏まないよう
明は全て漢民族99%の国軍でモンゴル人や女真人の傭兵はいなかった? >>788
孝文帝@北魏「怒らないでくださいね。あんたらって中華名乗ってるけど最初の皇帝は親の名前もよくわからず読み書きもできない腕っぷしだけが強いだけのチンピラじゃないですか」 >>791
土木の変の戦死者見る限り本人漢人でも親父や祖父がモンゴル人とかは普通におる >>794
それって降伏した帰化したモンゴル人やその子孫でしょ
野生のモンゴル人や女真人を明代中後期で傭兵として用いたことはあったのかなと まぁそれ言ったら五胡も西晋の段階でちょこっと漢化してるか >>798
不要な能力は消えていく、というのは科学的に証明されてる真理よ
文学でシノギを得なきゃ暮らせない世界であれば必死に覚えるが、それがなくても暮らせるなら覚えない
無学な貴族層が存在するのは西晋以降の腐敗のバロメーターでもある なんか>>795公を見ていると、虎吉とかが全盛期の冉閔(当時の石閔)ってこう何かあるたびに「スレ違い」って言いながら悶々としていたのかなあ
と想像出来てなんかえらく惨めに思えてきたw 司馬一族は無能でも政治力は何故かあるからタチ悪い
謝安を追いやった司馬道子とか 『魏書』島夷劉裕伝では、バクチで財産を使い果たしてしまい、
字もほとんど読めずに周囲から呆れられ、借金も返さずすさんだ生活をしていたとしている。 (国史事件からも分かるけど)鮮卑族ですら漢字読めるのに >>804
『魏書』だから信憑性が怪しいけど、劉裕は貧しい出自から無学で字がほとんど読めなかった、とある
また、劉穆之から「字が下手なら一枚の紙に六、七文字くらいの大きさで堂々と書けば良い」とアドバイスされたことから、かのナポレオンと同じく悪筆疑惑がある ありがとう
教養が無いのは疑わないけど魏書かー罵詈はフカしてそうだな
有名な字下手話でも一応書けてるし全くダメってことはないんじゃないかね 皇室に生まれた意思疎通はできる軽度知的障害や発達障害とかどう生きてたんだろ >>808
王義之さんの居た時代だから字の上手い下手はかなり重要だったと思う
悪筆は文盲レベルの批判があったかも
今でも重要と聞くね >>809
世話係がいるだろ
というかおまいらが知ってるパターンだろ >>809
東晋の安帝なんか弟がヤングケアラーだったな >>784
日本では残さずに食べることが、中国では少し残すことがマナーだけど、台湾はどっちなん? >>813
宴席料理なんかでは中華と同じで少し残す
総菜料理(自分が好きな量と種類を頼むセミセルフバイキングみたいなあれ)の時は
出来る限り残さない、多く残したら持って帰る 明も日本と同じくスペイン・ポルトガルと交易あったのになんで鉄砲を大量輸入しなかったんだろう?(紅夷砲という大砲は輸入してた)
アレ使えばモンゴルだろうと女真だろうと長篠の戦いでやられた武田騎馬軍団みたく蜂の巣に出来たのに >>815
作家の陳舜臣が『日本人と中国人』で書いていたが昔から中国人は日本人に比べて個人的な修練による練達を必要とする武器より、あまり扱いが複雑でない武器の使用をの好んでいたそうだ。
例えば古代から中国で使われていた大型で複数人による扱いを必要とする弩は中国で多様されたが、日本では既に奈良時代に中国から伝えられていたのに日本では弓に比べ、あまり使われず僅かに途轍もなく大きい物を表す”超弩級”という言葉が残されているくらい。
つまり中国と日本での弓と弩との扱いの違いが明末に、それぞれ鉄砲と大砲に置き換わったと言える。 >>815
そもそも鉄砲に騎馬軍団が突っ込んで壊滅とか創作やぞ (超)弩級ってドレッドノート級の略で戦艦の話じゃなかったか 鉄砲より弓の方が扱いが難しいってアンゴルモアで習った ライフル銃出るまでの銃とクロスボウってどっちが精度高かったん >>822
少なくとも安土桃山の頃には、ライフリングない銃>>>>>>>>>>>>クロスボウだったのは判明してる
使うための道具一式さえあればクロスボウの出る幕はないんだろう
五胡十六国でも、コンポヂットボウが使えない勢力の苦肉の策みたいなのが弩だし >>823
さんきゅう
あんまりまっすぐ飛ばないのかクロスボウ 弩は春秋から火器出るまで重装騎兵ぶち抜ける主力兵器じゃん
複合弓の苦肉の策ってのはどっから出てきたのか知らんが弩級といい変な妄想湧き過ぎやろ 後秦を滅ぼして長安を陥落させた劉裕が真っ先にやったのは、捕らえた姚興の娘を妾にして大っぴらに寵愛した事だった
それを聞きつけた謝晦は血相を変えて「人心定まっていないうちに滅ぼした国の公主を無理やり妾にするのは徳に悖る行為です」と諫めた
劉裕はハッと気付くや姚興の娘を解放したのだった
後に、唐の朱敬則は、劉裕はこのように徳に悖る行為をしたから、国を長く保つ事が出来ず功臣の子孫が貴顕として残っていないのだと論じた 劉裕は長安攻略したのはいいけどその後はグダグダすぎて清々しすらある
仲間割れの末赫連勃勃にいいようにやられちゃって >>826
朱敬則君さあ李世民様の前でもそれ言えるの? >>825
つまり軽騎兵が主になるこの時代では資源の無駄遣い…とw >>830
×重装騎兵"だけに"有効
◯重装騎兵"にも"有効
春秋からずっと使われてるって言ってんだろ
無駄遣いなら戦車や戈みたいにとっとと廃れてるよ
あと慕容部とか禿髪部は早くから鉄騎使ってるけどどの時代のこと?スレタイわかる? >>831
ボウガンはバカでも使えるから残ってるんだろ
んでご自慢の鉄騎をぶち抜くボウガンの話まだか?
あと何故「鉄騎」なんてワードになってるかも理解してるか?
まじで呆れる
こういうのがしたり顔で「超弩級」とか広めるんだろうな 兄貴の李建成さんはボロクソに書かれながらなんだかんだ優秀ではあったみたいな感じなのに
弟の李元吉君は嫁さん奪われた上にボロクソのままなんだけど >>833
簒奪などがあった場合、ボロカスに貶す相手と共に、称える相手も居ないといけない。ただ貶すだけでは支持されんからな。
前者は元吉、後者が健成及び親父ってわけ。この選び方は結構絶妙だと思う
劉裕が失敗したのはこのあたりじゃねえかな、とも思うが >>833
李建成の娘(聞喜県主李婉順)と天可汗さんが仲良かったってのもあるんじゃ
天可汗さんは建成の息子は全滅させたけど娘は殺さず親代わりとなって嫁入りさせてる
ちなみに李婉順は漫画「長歌行」の主人公のモデルでもある >>834
劉裕はバック(王氏とか謝氏)が前王朝をリスペクトする意味がないって意向だったからな
罪家のくせに権益潰して皇帝集権考えた桓氏、太守クラスが関の山なのに勘違いして西晋以降やらかしまくった司馬氏に対し、リスペクトなんてする気概もなかっただろう
それで信望得られなくても責任は皇帝持ちっていう心持ちの影響は少なくない あの3000年の歴史が認める悪の中の悪、悪王の中の悪王レジェンド紂王でさえ本人は時々微妙に評価されてる
それなりに大きな役割を果たした人の全否定徹底ってのは案外難しいのでは?李淵に関してはなんと言っても王朝の開祖だし
(ソ連のように)創業者の悪口を許したり信仰を捨てた体制は終了のようなことを現代中国大陸の覇者も昔言ってたそうな
まあ李建成さんは本人と男系が皆殺しにされて十分ボロクソだけどね… >>837
紂王暴君説は捏造された疑いが強くなっている
孔子の弟子でもっとも優秀とされている子貢も「彼の悪行は言うほどではなかったが、悪をなしたために悪評全てが彼の責となったのだ」と疑問を呈している
それどころか人を生贄に捧げる儀式を残酷だと廃したのは紂王だったのが最近発掘された甲骨文字の文献から明らかになった
甲骨文字の文献から紂王は暴君どころか心優しい性格で精力的に政務をこなす勤勉な王だったのが判明している
あれ?なんか苻生が洛陽伽藍記で「思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった」と評価されているのと似ているような… ちょうど、北周(季蜀)北斉(曹魏)梁(孫呉)の勢力なんだなぁ
https://i.imgur.com/lt7ViiF.jpeg
(三国志14PK追加シナリオ「235年1月 秋風越えて」より) >>838
暴君に仕立て上げるテンプレみたいなのがあるんだろうな >>841
子貢は弁舌だけでなく政治家としても極めて優秀で「史記」貨殖列伝に載るほどの資産家だった
死後、西南財神・端木賜という道教の財神として広く祀られた
司馬遷も「史記」仲尼弟子列伝で圧倒的に長い記述で紹介している
その才能は師である孔子をも上回るとされ、当時から孔子の弟子で一番優れている者として真っ先に挙げられるほどだった
最愛の弟子が顔回なら、最優秀の弟子は子貢といっていい >>832
極東の島国だと…
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A9#%E6%97%A5%E6%9C%AC
スレチになるのでリンクだけでも >>836
ただその皇帝の皆様が揃ってアレなのはどうなんでしょうね、劉宋って・・・・ 『南史』を編纂した李延寿は「劉裕は後継体制が不備なままわずか2年で崩御した。このため劉宋は短命になった。悲しいかな」と評している
南宋の葉適は『習学記』で「劉裕は名将であったが、長安を短期間で失陥する失態をやらかし、晋の二帝を簒奪の末に弑殺した。なんら恥じる事がなかったのはいかがなものか。劉裕を誤らせた劉穆之の責任は極めて重い」と非難している
『三十国春秋』を編纂した梁の武烈世子蕭方等に至っては「劉裕は、怨みに報復するとはいえ、些細な過ちを許す度量に欠ける。君主としていささか狭量なのでは。これでは短命に終わっても当然だ」と切り捨てている 劉裕の晩年は安禄山のように体調悪くて己の死期を悟ってたんじゃないの?と思う
息子がまだ若いから、自分がやれる事はやって息子に受け継がせたかったけど寿命が持たなかったようにみえる >>846
葉適先生は劉穆之がどんだけ嫌いなんだよ 数世紀にわたって繁栄した大帝国は
始祖が軍事・政治・健康・後継者に恵まれてこそ成立しえたな >>848
九錫にこだわったあたりが癪に障ったのか、食い道楽だったのが気に入らなかったのか・・・
寧ろ劉穆之の死で軌道修正が効かなくなった、って方が正解じゃないかなあ、と思う 隋は2代目が35歳で継ぐの結構理想的なムーブな気がするな >>848
葉適先生も好悪に正直なところは好感持てるが史家としては(ry
清史以降AIが編纂するようになったら好悪差し込まなくなるのは少し寂しい >>852
司馬史観じゃねえけど、人が意思を持って作ったものって妙に説得力持ったりするからね >>853
魏収先生「では、私の渾身の傑作『魏書』も説得力があるのですな!あなたの伝記を特別に無償で素晴らしいものにしますよ」
李百薬先生「ゴホゴホ…。駄作と叩かれたそれがしの『北斉書』も説得力があると…。ゲッホゲホ…。風邪薬飲まないと…」
裴松之先生「当然であろう!『三国志』は俺の注釈があってこそだからな!ただし、賈詡と陸遜、テメーらゴミクズはダメだ!」 >>853
意思を持って作ることで生まれる不完全性こそが、後世での伸びしろになるからな
完璧だとそれ以上は求められないことで誰も触れず見捨てられ消滅するし
単純な能力不足での不完全性はケレン味がなく心を束縛できない
内容をある程度知った上でキャッチーな脚色をすることへの需要や魅力は、スポーツ賭博のハンデ師に近いものがある >>856
まあ都市伝説とか陰謀説の根源はこれなんだよな
この時代もそういう不完全な魅力の集合体だしな
実際の虎吉やボーボー、文宣帝がさわやかナイスガイだったかもしれんしw >>838
甲骨文字でも擁護されない夏桀王…
洛陽伽藍記でも擁護されない虎さんに似ている 甲骨文字を使った人たちが桀王を擁護する理由無くね? >>859
寧ろ甲骨文字を使った殷人からすると前代の夏の最後の桀王が暴政していなければ、殷が取って代わる正統性が無くなるから尚さら擁護できないな。 何千年も前から紂王は言われるほどひどくないんじゃね?って言ってる人が居るのが面白い
煬帝が再評価されてる所もある感じか >>862
画一的な情報統制への反発ってのもある
ネットワークが発達したから、思考能力のある人間は、押し付けられてる正義や常識を疑う機会が増えた
そこに伝統的手法(昔の寓話や史書に現代への非難を込める)が加わることも少なくない 紂王は桀王のパクリ
マリーアントワネットは司馬哀のパクリ >>867
崔暹の未亡人李氏の話の事じゃね?
そういや直江兼続は上杉鷹山公が名誉回復するまでは
奸臣扱いで高洋と変わらんぐらいの低評価だったような >>847
石製ベッド壊さなくても数年寿命が伸びる姿は想像できない劉裕
洛陽長安陥して興奮してそのまま鬼籍入りしてた可能性も >>869
そのほうが南朝の中流〜下流にとって幸せだったというのが皮肉よな
劉裕以上に使いやすくて暴力と従順さを兼ね備えたラジコンガイジが見当たらんから、権益より改革って勢力が盛り返す希望が持てる 果たして東晋が存続することで劉宋や南斉より優れた統治が行われただろうか・・・?
・・・いやどっちも“優れてはいないだろ”は置いておいてw >>872
そいつらなら仮に統一しても短期で瓦解して再び分裂状態に戻るだろうな。 前秦は苻堅王猛コンビの後継次第な気が
結果論として苻堅の寛容さ緩さは批判されがちだけど、隋みたく族滅しまくってヘイト満タンになって息子(煬帝)がつけ払われてる場合もあるし 苻堅の息子たち残党を率いてよく戦ったけど政治力はありそうな感じでもないしな
あの王猛の孫にも政治力酷い奴いるけど 結果論でこの時代なら北魏系統が正解なのだが
北魏初期に武川鎮系統が天下統一するとか予言者でもわからないだろう 北魏、遼、金、西夏、清は漢化してしまったが、元だけそうならなかったのはなぜだろう?
だからこそ百年も続かなかったんだろうけど >>878
元(蒙古)の場合は南宋を征服する前に西アジアの先進文明に接していた為、先進文明は中華文明しか知らなかった鮮卑・契丹・党項・女真(満洲)と違い中華文明を相対的に見ることができたので漢化を抑えられたから。 >>876
それどころか
代とかいうその他大勢の弱小勢力が(以下略 >>879
あとは生活において中華に依存する必要がないってのも強み
統治者側が少数で生活を多数派の異民族に依存すると、接触するごとに影響を受けてしまい、最終的に飲み込まれる
欧州が欧州たり得るのも、そうなるまえに征服地で殺し尽くしたり傀儡に間接支配させて欧州の文化を保ったから 元は江南を失陥したら速攻で終わったな
あと皇族同士の争いが西晋と並ぶほど酷い 元は国家運営しても基本的にシステム化された収奪しかしてないからな
収奪する相手の真似なんてする訳がない イスラム帝国もオスマン帝国もペルシャ人官僚使ってなんとかなってて、元もペルシャ人(色目人)を用いていたがダメやったね >>884
そういや某所で「秦の官僚制はペルシャの盗作だ」って言説を見たのを思い出した ローマ人「文明良いよー」
ゲルマン人「ウホホホww何それ美味いの?w」
神父「神を信じなさい。さすれば救われます」
ゲルマン人「はい」
漢族「文明良いよー」
五胡「ウホホホww何それ美味いの?w」
僧侶「仏を信じなさい。さすれば救われます」
五胡「はい」
洋の東西を問わず蛮族は文明を拒否するけど、神仏はあっさり受け入れる法則 >>883
ゲルマン諸国家はアリウス派であり殆ど滅んだ
フランク王国だけはアタナシウス派に改宗して現地のローマ人を支持を得たから唯一生き残りそれがフランスに繋がっていく
郷に入れば郷に従えってことだな >>889
そもそも宗教自体が
殿様の命令を聞かない連中に殿様以上の存在を作って言う事聞かせるための物だしな >>882
西晋は皇族同士の争いで混乱したあげくに北西から匈奴族の漢に攻められて南東に落ちのび東晋となった。
元も皇族同士の争いで混乱したあげくに南東から漢族の明に攻められて北西に落ちのび北元となった。
どちらも南東と北西の違いはあれど皇族同士の争いで混乱したあげくに異民族に攻められて落ちのびた先で延命したのは共通している。
ただ東晋は劉宋に簒奪されるまで曲りなりにも100年存続したが、北元は藍玉が率いる明軍にブイル・ノールの戦いで大敗し、わずか20年で滅んでしまった。 北元て後金に滅ぼされる1635年迄続いたのでは
東晋も二王三恪で502年迄零陵王として存続してる 武家のトップが京都を本拠地にすると堕落して弱体化するね
平氏政権も室町幕府も >>879
イルハン朝はイスラム化したけど、ジョチウルスはキリスト教化しなかったし、元朝は漢化しなかったね >>898
イルハンはグルジアのアホの負債を背負った状態でスタートだから、最初から財政破綻してた
そこで現地民に頼らざるを得ず同化ていう>>881に近いパターン
近隣のジョチは最有力家系+財政しっかりしてた上、間接的な関わりを貫いたから、モスクワに裏切られるまでかなり丈夫だった >>897
2代約30年で滅亡と考えると成漢よりも下の五胡十六国平均未満レベル 隋や豊臣は短命だったが、唐や徳川幕府は長期安定政権になったね >>902
日本の三英傑を中華の皇帝に擬えると五代・後周の世宗(柴栄)が織田信長、北宋の太祖(趙匡胤)が豊臣秀吉、北宋の太宗(趙匡義)が徳川家康とよく言われる。
尚、明の太祖・洪武帝(朱元璋)は一人で日本の三英傑に匹敵する事業を成した傑物だと作家の堺屋太一は高く評価している。 脱線しまくってるので話戻すが
五胡の中で
突厥可汗国やオスマン帝国を築いた突厥や
モンゴル帝国を築いた蒙古になれそうなのいたか? >>904
あの頃は寒いから誰もモンゴル平原に居たくなかったんだよ・・・・ >>904
石勒石虎とか赫連勃勃とか
もう少し軍隊多くて漠北を拠点にしていれば可能性あるが
哀しいかな中華に染まってしまったのでなれなかった >>906
漢民族にも異民族にもコアな部分で譲歩をした胡漢融合であるとこは、その後の勢力には見られない特殊性があるからな
後継に失敗せず民草の考えも妥協に傾いてたら、割とまじでユーラシアに跨がる先進国家ができてたと思う 赫連勃勃の子孫は消えてしまったのかと思ったら赫連子悦とか南北朝期に出てきてるんだな
慕容氏は慕容紹宗、慕容三蔵は知ってたけど
五胡時代のようなパワーはないけど南北朝の動乱期に再び活躍が見られる
今に残る慕容姓や赫連姓は彼らの子孫なんだろうね うろ覚えだが慕容氏は涼のどっかで皇后になってたりで謎
天竺から嫁貰った方が近いぞ >>910
いや、北朝の代表国家北魏であるんだが
拓跋珪(道武帝)の皇后が慕容宝の娘だよ
そこから文成帝までは后妃は苻氏、慕容氏、赫連氏、沮渠氏、馮氏、劉(匈奴)氏ありで
五胡各国のメンバーがが勢ぞろいだよ
後宮の様子を想像するだけでも面白いわ ひとつの民族に対して女子供含め皆殺しっていうのは案外少ないからな
大規模にやってたのは英米くらい
あのナチスすら女子供は労働力や国力として丁重に扱ってた 五胡は通婚重ね過ぎて皆親戚で
現代欧州王室よりも親等近すぎる >>913
AGOの反面教師とユダヤ蚕食によって薄まったからな
それと五胡の場合は主流家系が頻繁に変わるから、悪影響(いとこ同士や甥おば婚による遺伝子プール枯渇、悪性遺伝子のホモ化)が出にくく、欧州より大分ましに思える 金、西夏、西遼、ホラズム、アッバース朝、大理、南宋など
モンゴルに抵抗した国は悉く滅ぼされたが、高麗だけ見逃されたのはなぜ? 拓跋嗣の母は匈奴系劉氏なので北魏は女系で匈奴でもある
拓跋国家って鮮卑ばかりが強調されるけど匈奴系も多く含んでいる
河南元氏全体だと五胡のるつぼ >>911
中華版ドラマ大奥とか北魏舞台で作れそう 日本や朝鮮には宦官の制度は輸入されなかったな
てか宦官なんて百害あって一利なしだし普通に女官使えばええやん 西欧だけでなくアラブでも黒人奴隷を使役していたが
白人と黒人のハーフがいるのにアラブ人と黒人のハーフがいないのは
黒人奴隷を去勢させていたため
オスマン帝国では黒人の宦官がいた ビザンツ帝国にも普通に宦官いるぞ
しかも自宮するものが絶えなかったから禁止令何度も出してた 外戚政治は…と思ったら摂関政治こそ外戚政治そのものじゃないか
外戚の専横を防ぐシステムってのは日本では考案されなかったな
楊堅の例とか子貴母死制度とか平安貴族たちは知らなかったはずはあるまいに
皇后とその他側室というわけじゃなく、皇后と中宮の実質複数の皇后並立とかも
藤原道隆に北周の知識があったのかとか、興味は尽きない 日本では武士が、西欧では騎士が力を持ったけど、中国朝鮮では尚文軽武で武人階級がとことん貶められてるんよね…
儒教の影響か 中国朝鮮だと中央が政治だけでなく軍事も独占していて権臣が皇帝国王を弑殺とか珍しくもないけど、
日本は各地方に力を持った大名が多くいるからもし天皇が暗殺されるようなことがあれば有力大名に上洛されて誅殺されるのは必定だからな
後醍醐天皇暗殺未遂事件とかあったがあれは例外中の例外
将軍クラスでいえば義教とか義輝とかやられちゃってるけどね >>921
宦官って言ってみれば外戚や権臣に権力をおびやかされた皇帝の最後の懐刀みたいなもんだから、藤原氏とか言う外戚が大勝利した日本にはそら根付きませんわな その最後の懐刀にぶっ刺されてる皇帝がゴロゴロいるわけだが >>918
朝鮮は中国から宦官の制度が輸入され存在した。
韓国の歴史ドラマによく出てくる内侍(ネシ)と呼ばれる緑色の官服を着た者がそれで、李氏朝鮮では自国で使用するだけでなく明や清に輸出もしていた。
越南も中国に支配されていた時代に宦官の制度が輸入され独立後も近代まで使用され続けた。
女真(満洲)の金や清も本来は宦官は存在しなかったが中国を支配することになり当時の中国では消滅していた家内奴隷に代わる存在として宦官を使用し、やがて後宮が拡大していくにつれ宦官の使用が急増した。
日本は『日本書紀』の雄略天皇(5世紀末)の頃に”官者”という宦官を指す記述があるので古代には中国から宦官の制度も輸入されたと考えられるが、日本が律令制度を取り入れた時期の唐の刑罰に宮刑(去勢する刑罰)が無く、また遊牧民族が存在しない日本では去勢技術が未発達だったので宦官の制度は定着せず廃れたと考えられる。 貴族官僚宦官丸ごと殺った朱全忠はやっぱすげぇ奴だなw そのスレ的には子貴母死が一番優れているということでいいのかな
私情で骨抜きにされたせいで国が傾いたわけだし 江戸時代になると追い腹は禁止になった
忠臣二君に仕えずも江戸時代から
戦国時代は二君三君に仕えるのはざら 中国史だと司馬一族や劉裕みたいに簒奪するのが普通であり、むしろ諸葛亮みたいに忠義を貫くって方が珍しいのよ >>927
国家元首から隷属民まで
一匹残らず駆逐しないと意味ないわ カルタゴ人は全てローマ人の奴隷になったというけどどうなんだろうね? >>935
その筋ではローマ背乗りしたとのこと
スキピオがハンニバルと同じように粛清対象になり失脚したのも納得いく え?
ローマ人って殲滅されたの?
(こんなでっかい餌放り込んで終了はないだろw) ローマ人が死滅したのが正しいなら
鄴人も死滅しているだろう 西はゲルマン人と
東はギリシャ人と混血したろ
ついでに漢族も鮮卑と混血しただろ 漢族×五胡=漢族
漢族は数学でいうと0(ゼロ)みたいなもんだ 信長が義元に負けたり美濃攻略に失敗した世界線だと、毛利が東進して京を抑えて天下取ってた?
でもあの輝元じゃ心配だな… イギリス人
ケルト人+ローマ人+アングロサクソン人+ノルマン人
フランス人
ケルト人+ローマ人+フランク人+ノルマン人
スペイン人
ケルト人+カルタゴ人+ローマ人+ゴート人+アラブ人
イタリア人
ローマ人+ゴート人+ヴァンダル人
ロシア人
スラブ人+ノルマン人+モンゴル人 間違えた
イタリア人
ローマ人+ゴート人+ランゴバルド人 >>932
周公旦の時代の人からすると
どうしてこうなった 周公旦の時代ってキッチリ放伐した上で前の王朝についてあること無いこと悪評をでっち上げて自分らの正当性を後世に伝えろってことかな 庶人天王「役に立ちやしない徳を振りかざして刑律を軽んじた周公旦などカス」 周礼が秦漢以降にまでどういう影響を与えたかというのは多くの学者が研究している
共通しているのは権力行使の制限を明文化した事でルールの詳細の維持ではなくて支配者と官吏達がルールに基づいた行動をするという考えができた事が重要だという点
特に軍権、軍事裁判権に関する職制は秦、漢、魏、晋以降六朝随唐まで根強く残った 周公旦の75世孫や77世孫が清の五経博士になっとる
本人死後に慕容熙に息子殺された庶人天王は周公旦を笑えないだろう それでも庶人天王はブレないと思う
清々しいほど女性関係に淡白で、身内への情よりも法律や刑罰を重んじる、苛烈な現実主義者だから
刑罰が重すぎるという訴えも「君達が法を犯さなければいい話だ。たとえ私が法に反したら、私は私に迷わず極刑を下す。私はその覚悟でいる」と一蹴したという恐ろしい逸話があるほどだし レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。