五胡十六国南北朝を語るスレ21
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE 唐の時代に『史記』の注釈書である『史記索隠』を著した司馬貞は本貫が河内郡温県であることから晋の皇族の末裔といわれている ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 >>2
20以下のdat落ちはないんじゃない?
以前荒らしが大量にスレ立てて既存スレ流される事件はあったはずだけど 中華で明らかに文明文化が後退した時期ってあった?
スレタイの時代ですら仏教伝搬やら色々あったけど >>9
中国に仏教が伝来したのは後漢の明帝の時代
明帝の弟である楚王劉英は中国で初めて仏教を信仰した事で知られる
あまり知られていないけど後漢の桓帝も熱心な仏教徒だった
後漢末に笮融が熱心に布教したことにより江南地域を中心に仏教が広まっていき、三国志最悪の暴君と悪名高い孫皓も仏教に帰依していた
この事から笮融ははっきり言って大悪党にもかかわらず中国に仏教を広めた功労者と評価されている 陳舜臣の小説では南北の二大危険人物として「北の呂布、南の笮融」と呼ばれていたな 実は呂布と笮融よりも裏切りがひどいのが劉備だったりする
呂布が「劉備こそ信用ならんのだ!手懐けたつもりだろうが今に後悔するぞ!」と叫び、程昱が「劉備は信用なりません。いつまでも殿の下風にいると思えませぬ。殺しておしまいなさい」と忠告したのは有名な話
果たして、曹操は劉備に裏切られて死ぬほど後悔する羽目になる 虎吉といい、中国で仏教を広めた人間は悪人ばかり
まあ玄奘もある意味狡猾な人だったしな 柴栄「仏像は仏じゃないし、もし仏なら民の困窮を救う為に自分の身を犠牲にするのを躊躇わないだろ」
何も言えんわ… >>8
ローマ式の剣は刺す用、ゲルマン式の剣は斬る用
この2つの利点を合わせたのがバスタードソード 大陸だと右手に剣や矛などの武器、左手に盾を持つスタイルだが、
日本は両手で刀や薙刀・槍を持つスタイル
こういう戦闘方法の違いはどのようにして生まれたのかな? 鮮卑の大野氏説、元は漢族の趙郡李氏だが鮮卑化した説があるな。
いずれにしろ、本人達の主張する漢族の隴西李氏というのは嘘八百で、
独孤氏だの竇氏(費野頭)だの鮮卑や匈奴の血が混じりまくっている
から、仮に祖先が漢族に繋がるとしても、普通に考えて鮮卑だよな。 >>12
じゃ劉備が聖人キャラ設定で
呂布が脱毛した類人猿扱いになったんだろ 大野姓からして異世界転生した日本人が先祖と考えられる >>17
あっちは広大な戦列でドンパチやるから攻撃の逃げ場がなく、歩兵がその場で身を守れる盾及び盾を壊すピラムが発達した
これを意に介さない弓騎兵は森に阻まれてハンガリー以西に進出できなかったのもデカい
日本はそういう戦術を使わず少数精鋭のきらいがあったから、相手を刈れるリーチや威力が優先されてる
本格的に軍団VS軍団になったときにはハジキが既に出回っていて盾じゃどうにもならなかった 陳安は左手に大刀、右手に矛
冉閔は左手に矛、右手に戟
他に両手に武器持って暴れた系いるっけ? >>13
程c「劉備は危険だから殺せ」
曹操「まあ大丈夫っしょ」
王猛「慕容垂は危険だから殺せ」
苻堅「まあ大丈夫っしょ」
天丼ギャグかな? >>27
なお、陵墓は地域のゴミ捨て場として活用されている模様 >>25
劉裕とか両手剣で真三国無双しそうなイメージだが
長刀なんだよな意外だ 劉備にしろ慕容垂にしろ殺さなかったら裏切られたってのは結果論でもあって部下のアドバイスに従ってヤバそうなやつ殺してたら他の部下にまで疑念をまき散らして結束が保てなくリスクはあるよね >>30
慕容垂は降将かつ前燕討伐の殊勲だから、徳治を自称する苻堅が手を下すのは難しいだろう
身内を信用できない以上、コケない限り忠実に働く部下は惜しい
問題は性急に攻めた結果コケるどころか爆発四散したこと
慕容垂としては、他に自立気配ある前燕皇族に先手を打たれて戦力吸収されないよう、自身も立ち上がらざるを得なかった 松井先生次回は五胡十六国でどうッスかね
この手の薄い本に使えそうなネタは五胡十六国の方が転がってるッス
https://i.imgur.com/I14jQgr.jpg >>30
王猛「だからわざわざ策に嵌めて殺すための口実作ったんだよなあ…」 >>31
寧ろよくあそこまで苻堅の面倒を見たもんだ、と思う
勿論苻堅の名声を利用する腹があったのだろうけど、それにしては・・・なんだよな
そういうところが支持された所以だと思う >>17>>23
日本と同様の島国の琉球でも『るろうに剣心』の宇水が使っていたことで有名になったローチン(短槍もしくは小刀)とティンペー(盾)という大陸式だった。 >>32
そういえば今週の話で、北畠顕家が陵王を舞ってたな >>34
なんだかんだ言っても苻堅は最後まで民や兵から慕われてたから周りの「寝込みを襲って首とっちまいましょうよ」的な行為をして自分がヘイトを買うのを恐れたと考えられる 苻堅が淝水の戦いで勝ってたとしても西燕建てた連中は裏切ってそうだよな
結構慕容垂は苦しい立場か >>37
しかしそんな事宣った慕容徳が慕容氏の中で最後まで勢力保ったという… 吐谷渾は2代目から慕容姓名乗ってないからノーカン
しかし唐の時代に唐に亡命してからは
何故か慕容姓に復帰してるのな 夏の滅亡後、赫連氏の一部は北魏に服属するのをよしとしないで吐谷渾に逃げ延びた
吐谷渾は自分達を頼ってきた赫連氏を厚遇した
この赫連氏が後に吐谷渾の大貴族の一つ吐谷渾赫連氏となる >>23
その大陸スタイルと島国スタイルが激突したのが元寇か
あと織田が武田騎馬軍団を火縄銃で壊滅させたみたく、明も火縄銃で女真の騎馬軍団をやって仕舞えば良かったのにな
紅夷砲はかなり効果的だったみたいだが 赫連ってピー音だとすげえ難しい発音みたいだけど、英語だと「helian」となってなかなかカッコいいw 日本
↓
ジーベン(中世中国語での発音、現在はリーベン)
↓
ジパング(中世イタリア語)
↓
ジャパン(英語) 苻堅を殺してしまったせいで前秦残党の抵抗強めて苻登と10年近く戦う事になったのほんとババ引いた感じだよな ババ引いたというよりも地雷踏んだ感が
しかし苻登−苻崇−苻宣と続く統一北朝前秦はみてみたかった 北中国統一維持は苻堅直系じゃないと無理だろうなあ
熟食路線では無理無理 必ずしも漢民族vs異民族という簡単な図式では語れないのよな
苻堅と王猛の主従関係もそうだし、意外に元は宋の次くらいに王朝に殉ずる臣下が多かったと言うし >>50
元が滅んだ後も北へ帰らず中原に残るモンゴル人も多かったみたいだね
理由は先祖のような過酷な遊牧生活は無理とのことで モンゴル人はチベ仏で尚武の気風を失った
明と組んで女真に抗おうとするも征服される 五胡は仏教好きだし(儒教は漢族マンセー主義だからなのもあるけど)、元や清の皇帝はチベ仏にハマるのもいるし、異民族は仏教が好きな傾向
半島は高麗が滅んでからは儒教一辺倒
日本は江戸時代に儒教が盛んになったが、神道・仏教もありバランス良く色々やね 土木の変で戦死した明軍の将軍とか本人の名前はきちんとした漢人風なんだけど、親父や祖父の名前がもろモンゴル人とかなんだよね >>53
儒教は漢民族を束ねる兵法って側面があるし、神が(漢民族の)皇帝に固定されるから、異民族は使いづらい
(楊堅が儒教どっぷりなのも、異民族然の北周既得権益を切り捨てる口実にできるから)
それに対して仏教は小乗でも大乗でも異民族を排除する要素がない上に親和性があるから馴染む
(小乗なら自己研鑽による実力主義の肯定、大乗なら衆生救済による民族間の融和が代表的) >>48
長男でも駄目だったし
というか本人が元部下に〇されているんですが
これはまともに統一できていなくて一応従っているだけで >>15
銅像は溶かして銭に変えたほうがね、、、
日本も仏像作ってそのせいで銅の毒で疫病がみたいなのもあったし
そもそも仏陀が位とか否定しているはずなんだよね
それなのに寺の格がとか、大僧正だとか座主だとか、法王だとか 銅は必須元素なので全く摂らなくても身体に悪い
銅は1万年前の人類でも加工して使っていた
スキタイみたいな遊牧民族の方が先に銅使ってる説 >>54
土木の変で戦死した呉克忠と呉古勤の兄弟の父の元の名は把都(バトゥ)で、同じく戦死した薛綬の父の元の名は脱歓(トゴン)だった。
薛綬が戦死するとオイラート兵は怒りのあまり遺体を切断したが後に薛綬が元はモンゴル人だったと知ると、「これ我が同類なり。勇建なること斯くの如くあるべし」と言って嘆き悲しんだという。 >>57
規模が大きくなると、宗教も組織化しなければならなくなる
特にテッペンがいる場合は権能ごとに神性を分けたり箔付け要員が >>60途中送信しちゃった
>>57
規模が大きくなると、宗教も組織化しなければならなくなる
特にテッペンがいる場合は権能ごとに神性を分けたり箔付け要員を置いて序列を作ったりする必要がある
そうじゃないとテッペン以外等しく虫けらだから信仰が細まっていくのが不可避だし、最終的にテッペンが反逆されて崩壊(宗教色が変動する儒教がまさにそれ)に至る
日本の場合は最初からヒンドゥーと習合した後のが伝わってきていて、後からも密教のような完成度の高いものが唐から渡ってきた以上、階級が最初からあるのは仕方ない >>15
柴栄は自分で前線に出て戦うし英雄だと思うけど部下にはなりたくない典型だよねw
今の世の中生きてたら若手のイケイケ系の経営者なんだろうなぁ
自分にも厳しいけど部下にもめっちゃ厳しい 元の支配を経験して筈なのに清の支配はあっさり受け入れてる漢人
それだけ明末の悪政が酷かったのもあるか
ちなみに人口は漢人1億5千人と満州人100万程度 何せ明朝三百年、開創以来皇帝達に虐められ根性がねじ曲がり目下を虐め賄賂を求める官人達がドルゴンの支配と共にほぼ一斉に回れ右だからな。
無論、逆らうと首が飛ぶが一番デカい理由だがそれでも明への未練は袁崇煥の末路を目の当たりにしたら醒める訳で。 明末漢人勢力が史実より粘って持ち堪えると三国鼎立とか南北対立みたいな状態が長く続いて
大陸=統一イメージが大幅に後退するだろうから中国史がえらいことになりそう 王敦って王祥をいじめたり毒殺しようとしたり生の淡水魚食わされた継母の子孫なんですね 王祥が別駕として徐州刺史呂虔に仕えていた時のこと
呂虔は相応しくない者が所有すると大いなる災いをもたらすという恐ろしい魔剣を所有していたので知られていた
王祥の仕事っぷりを高く評価した呂虔は魔剣を手に取るやこう言った
「この剣は相応しくない者に災いをもたらす。しかし、貴方は三公になれる器量をお持ちだ。この剣に相応しいので差し上げようと思う」
王祥は三公など畏れ多いと断ったのだが、呂虔があまりに熱心に勧めるものだから仕方なく受け取った
果たして、呂虔が見込んだ通り、王祥は三公の一つである太保まで登り詰めたのであった >>72
魏は太保を置かなかったけど、晋になって太保を復活させている
なお、王祥は魏の時代に三公の一つである司空と太尉を歴任している >>73
晋は八公を置いたが太宰、太傅、太保は上公とされ三公の上で、三公は太尉、司徒、司空
だから王祥は魏で三公になったが、晋の太保は三公よりエライので三公扱いは不適当だ
ついでに曹魏から晋初にかけては大司馬、大将軍は三公の下であったが武帝の間に三公の上に戻された >>66
よりによって魏晋南北朝スレでそんなこと言う? >>75
明の話題ばっかの奴は、正徳帝を妊娠させる薬を作った拓文遠と判断するといい 始皇帝から溥儀まででヘリオガバルス並みのhen Taiいる? 海陵王ぐらいしか知らん
幼女とその母親交えた乱行PTやっていた むしろ始皇帝を激怒させた
ママン趙姫とチン芸偽宦官嫪毐の密通レベルの
スキャンダルのほうが >>78
五胡十六国時代に姉弟丼を食べた皇帝がいるらしいぜ >>77
ローマ帝国皇帝はネコが多いイメージ
中華皇帝(五胡含む)は圧倒的タチが多くて
極稀にいる少数のネコは奇特な変態扱い 中韓人って今でも犬猫を食べるの?
日本も江戸時代までは犬食べてたけど >>83
『はだしのゲン』を読んだことないのか?
敗戦直後の日本で軍人が野良犬を斬って肉を食う描写あったぞ。 >>80
???「我が従兄弟の生だな、けしからん!」 >>83
犬は少なくとも6年前までは食ってた
湖北省の長沙に仕事で行ってたけど普通に肉屋で出てた
くっさい中華飯の中で一番クセがなくて美味いまであった >>83
生類憐みの令で食べなくなっただけで、基本犬は普通に食べていた
戦前は飢えていたんだから、犬がいれば食べちゃう
基本、ご飯だけの食事を銀シャリと呼んで憧れるレベルなんだし この頑なにスレ違いのネタやる奴と餌与える奴はなんなんだろうな >>87
真面目な話、王猛にとって符堅ってどこまで許される存在だったんだろうな
とりあえず「南征大好きオジサン」属性は嫌いだったようだが 南征も仮に当時の東晋が末期孫呉とか末期陳なら「桀紂を放伐して暴政に苦しむ民を救う事こそ天子の仕事ですぞ」とか言って煽り立てるんじゃねえの
それか自ら遠征軍の指揮を買ってでるか 379年に広陵侵攻軍が壊滅させられてるのになんであんなに謝玄のこと舐め腐ってたんだろう
桓沖のことは高評価だったのに >>82
スレ違いだが趙伯jは猫のおかげで皇帝になれたので
一生猫に頭が上がらないある意味猫プレイ 慕容垂だけじゃなくて前燕連中までも抱えたら成功しても火種がずっとある状態だろうに >>95
だからこそ功を焦ったというのを前スレとか前々スレでも挙がってたね
符堅を裏切りたくて裏切ったわけでもない、嵌めたいわけでもないというのが伺える内容だった >>93
彭超にガチギレして自殺に追い込んでるあたり謝玄が強いんじゃなくて彭超がやらかしたと思ってたんじゃね
謝安のコネで北府軍率いてるだけの雑魚に負けやがってと思ってたらソイツが普通に有能だったという >>91
罰せられはしないけど進言も遺言も聞いてくれなかったりで
だけど劉備と諸葛亮の関係に近いと思う まあ王猛は「孔明?子房や蕭何や鄧禹に例えてくれや」とか言いそう