五胡十六国南北朝を語るスレ21
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE 司馬攸と司馬衷は一回りぐらいしか歳離れてないのか
息子が暗愚で弟が人望も能力もあって元々の本家筋となったら兄貴の司馬炎も警戒するわな >>264
司馬昭は力微のころで流石に責任を押し付けるのはちと無理がある
拓跋部を大単于にしたのなんて司馬越のころだし
オルドスから涼州方面の鮮卑・羌を移住させて対蜀戦線で使い倒したのはアカンかったけど
それにしたって羌胡(多分鮮卑)はひどいよ… >>265
無能な暗愚なほうが貴族にとって都合いいのに、司馬炎自身が貴族に白い目で見られるようなチョンボしたのも痛い
強権君主に縛られるのが嫌だ、っていう貴族に担がれて禅譲できたくせに、開口一番に贅沢禁止令(皇帝と貴族の生活水準の差別化)という空気の読めなさ
貴族としての教養はあったと思われるが人心掌握や洞察はてんでダメだった 拓跋力微とか劉豹とか
この時代の胡族は極めて長命
寒冷化で飢饉多発してたのに
もしかして宇宙人なのかw >>268
単純に正当性主張のための後付け延命
劉淵は劉豹ではなく劉宣の子供なのが濃厚 劉淵が決起する場面も劉宣が劉淵の実父だとしたら辻褄があうしな >>270
劉淵が匈奴連中のヒャッハーを抑えきれなくなるなるのも、劉宣の死とタイミングが重なる 劉宣が実父ならなんで即位しなかったの?劉淵2代目でええやん >>273
キン準や石勒、姚弋仲の論理でわかるとおり、本来異民族は皇帝になれないっていう鉄則があった
しかも後述する裏切りの前は、匈奴劉氏は簒奪の計画もなく名乗る動機もない
あくまで西晋の枠組みで生き残るムーブだった
それが本物の漢室劉氏である劉コンを近所に当てつけとして置き、劉淵の勢力を引き抜かせるって暴挙をしたあげく
大単于なんて称号を拓跋ごときに使わせて敵対させた
西晋で生き残る道を念入りに潰されたからこそ、冒頓単于を利用して皇帝号を名乗り、独立せざるを得なくなったわけ
恭順の意思が憎悪に振り切れて、滅晋大将軍になるのも無理はない しかし滅晋大将軍とか平晋将軍とか何回見ても笑うわ
こんなヘイト丸出しの将軍号名乗らせてヒャッハーすんなとか無茶や >>274
言いたかったのは304年に子の劉淵が漢王に即位し、父の劉宣が丞相に任じられたのはなぜかということ
劉宣が実父ならそっちが即位するでしょう
丞相として政治に参画していたようだから高齢で耐えられないというのもなさそうだし
そもそも漢文化に明るい劉淵が父を臣下にするようなアホな事するとは思えん 西晋は2重にも3重にも厳重に滅びの道を進むようになってる気がするわ
結果的に内乱からの異民族で滅んだけど劉淵の漢趙王朝を何とかしても次は地方軍閥が力持って終わってそう >>226
むしろシャニマスの幽谷霧子とコラボで
赫・連・勃・勃 汲古書院から昭明太子・簡文帝・元帝を扱った本が出てるけど文学史メインか…
高いし悩む これッスか
https://books.rakuten.co.jp/rb/17819624/#:~:text=%E3%81%93%E3%81%AE%E6%A2%81%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C,%E5%91%BD%E3%81%98%E3%81%9F%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82 >>276
304年時点で漢王を名乗ったのは、4年以上も司馬穎に酷使されて部下の怒りが爆発寸前だったのが大きい
一般的に戦争継続限界は3〜5年であり、それ以上経つと厭戦や不平不満で組織が崩れていく
しかも劉淵の部下の殆どが漢民族の教養を持ってないヒャッハー軍団なのに、本分である略奪もできずに使われていた
このままだと分裂・内乱待ったなしだし、酷使してきた西晋への憎悪が爆発して全てを敵に回しかねない
それをどうにか押しとどめなければならないため、体裁上の独立として漢王を称した
(あくまで王であるため皇帝と不倶戴天ではないが、西晋のラジコンではなく独自に行動するという絶妙な位置)
んで独立で押しとどめなきゃいけないのが、怒り狂ったヒャッハー軍団であるというのがポイント
力こそ全てって思想の軍団かつそれが先鋭化してる
劉宣は取り立ての逸話や劉淵との関係を鑑みると、既に70後半〜80とおぼしき老人
匈奴を治めていたとはいえ、後世において文弱と呼ばれる育ちをしていて、部下はすんなり付き従わない
となると今まで軍を率いて武威を見せてきた劉淵がトップにならざるを得ないわけ
でも劉淵にとって劉宣の存在は非常にデカいから、丞相や中外諸軍事、右賢王など様々な肩書を付けて
劉宣があらゆる行動に対して劉淵に影響を及ぼせる建前を作ったが
劉宣死後は度重なる西晋の不義理も相まって、自他ともに衝動を抑えることができず覇道を突き進まなくなった、という流れ
因みに劉宣が羌渠の子だと120歳以上生きたことになるため、ソッチ準拠だと更におかしくなるというおまけつき 追記
そもそも匈奴が漢の地に居座ることになったのは
ろくな見返りもないのに漢に軍勢を送るなどして忠義を尽くした羌渠が、身内の不満を抑えられず殺されたから
というのも忘れてはいけない要素
これで冒頓直系のオフラや呼厨泉が漢に助けを求め、呼厨泉に至っては故地に戻れないまま漢の駒になった
免官されるまでは呼厨泉の立場だったが、司馬穎拾われてから独立前までは羌渠の立場に立たされていたというのが劉淵
因果は巡る ああわかったぞ
歴史の真髄とかいうデタラメブログに踊らされたクチか
ガバガバすぎて論にも何にもなってねえよ >>283
論すら出せない輩の分際で謎の敵視
しかも藁人形論法
あいにく、このスレは寝たきりになった海原雄山に給仕するためのもんじゃないってのを知っておけ 要するに昔の有名人は長生きなんだよ
きちんと証人や記録がない限りは 何にしろ当時の伝統的な刑法を優しい方向に改正したことは興味深い。 真心がなければ、どうして損得抜きで来ようと思うでしょうか。 僕は騒動前と何ら変わらない生活を普通に送っていますが、どうしても付けざるを得ない時があれば、なるほどそれを理由に使わせてもらいます。あんなもの健康な人には百害あって一利なしですが。 >>285
まあ細胞分裂の限界の範疇(120歳)までなら科学的にはこじつけても許容できるか
アブラハムの血族は170とかやっちゃってるけど 事を述べる際に冷や汗を流して恥ずかしく思わないことはないのです。 通説では陸遜の子孫は断絶したとあるけど、3年前に北周の武将歩六孤亮(歩六孤とは陸を意味する)の墓が発見されたことにより、定説が覆される可能性が出てきた
歩六孤亮の墓碑に「歩六孤亮は陸遜の子孫である」と書かれているのが判明したからだった >>300
馬鹿なことをやってないでハローワーク行け
家族は泣いているぞ >>299
歩六孤亮が陸亮だとすると
西魏の驃騎大将軍・開府儀同三司・太僕卿の陸通の息子か
確か陸通は歩六孤氏の姓を賜ってるし
陸亮の妹は歩六孤須蜜多だから間違いないだろう
しかしそうなると定説では陸亮は陸遜の弟の陸瑁の九世孫になる
(陸瑁−陸英−陸玩−陸始−陸載−陸僑−陸政−陸通−陸亮)
定説の真偽の検証含めた続報に期待 歩六孤と普六茹って禿髪拓跋と同じ印象受ける
語源は一緒なのかね 現在鮮卑姓名乗ってる中国人あまり居ないのをみると
鮮卑も中華に吸収されて同化して負けた まるで魏は国外の出来事だから書かず、呉は国内の出来事だから書く。って風に分けているのかなと思いました。すごいなと思いました。 そして221年秋、孫権は魏王朝より呉王に封建されます。 しかし翌222年、曹丕は皇弟曹彪を呉王に封建しています。たった1年ほどで、孫権の王位は剥奪されてしまったんですね。 自国には全く支援金を出さない岸田くん…
一体何を目指しているのやら? >>305
中華民族、中国特色社会主義と戦ってる近現代の民族じゃあるまいし
鮮卑さんは中華とかいう謎の存在と戦った覚えはないから… >>305
逆に言えば鮮卑が中華民族を僭称することに
成功したとも言える 貴様~!大野氏って日本人みたいな名字だった唐王朝を愚弄する気か~! そういや李虎が大野姓賜っても子孫は
大野淵とか大野世民とか名乗らないのな… 西魏・北周の胡姓賜与って結果的に胡族の氏族ロンダリングになってね? >>314
大野世民って現代日本にいそうな名前だな 大野元吉さんいそう
というか「おおのもとよしさん」で普通に変換された >>317
漢人でも六鎮に赴任・流された人はいるし、西魏が名門漢人にも胡姓乱発したからもうわけわかんないね >>317
そりゃ漢化を拒んだ異民族を大正義弘農楊氏が皆殺しにしたわけだからね
ウッチカイの抵抗とかまさにそれ >>321
無茶苦茶だなあ
周朝の忠臣尉遅迥が逆賊楊堅を討伐しようとしたが時利あらずして成し遂げられなかっただけやぞ
あと迥をカイって呼ぶことある? この発見は、かつて普遍的に受け入れられていたことの根幹を揺るがすものである。ワクチン産業が築き上げてきた礎石、すなわち抗体の不可欠な役割は、麻疹との闘いにおいて、これまで信じられてきたほど重要ではないのである。
抗体がなくてもウイルスを排除できるのであれば、抗体は不可欠ではないという論理が成り立つ。この考え方は、論理学の基本原則と一致している: オーストリアの著名な哲学者であるカール・ポパーが示唆したように、普遍的な声明は、たった一つの真正な反事例によって反証されうるのである。 麻疹の発疹は、体の免疫、特にキラーT細胞免疫が麻疹ウイルスと効果的に闘っていることを示す重要なサインである。T細胞免疫は、粘膜バリアを越えて体内に侵入するウイルスと闘う上で極めて重要である。 同様に、ワクチンで生成された抗体は、私たちの身体に害を与えたり、自然免疫を妨害したりする免疫反応を引き起こす可能性がある。このような免疫調節異常は、ワクチン接種後の非定型麻疹や関連合併症の一因となる。
麻疹に対する考え方とは対照的に、伝統的な中国医学(中医学)では治療に対するアプローチが異なります。中医学の理論によると、麻疹は子宮内で発生した「胎児毒素」が妊娠中に赤ちゃんに移行し、後に発疹や水疱として身体に現れると考えられている。
発疹が完全に表れていることが、子供の完治と免疫には不可欠である。カナダのジョージアン・カレッジで中医学を教えるジョナサン・リウ博士によると、「中医学者は、麻疹の発疹が体幹から手のひらまで完全に広がるように、主にシミシフゲ根茎(生脈麻)とプエラリアエ・ロバタエ根茎(葛根)という薬草をよく使います。この目標を達成することは自然回復を意味する。" 深刻な脳の問題との関連性の可能性
麻疹ワクチンに使われている弱毒化されたウイルスは、脳にも影響を与える可能性がある。
麻疹ウイルスには免疫抑制作用があり、神経系に合併症を引き起こす可能性がある。麻疹感染後の重篤な脳疾患は亜急性硬化性全脳炎(SSPE)であり、脳脊髄液や血清中の抗麻疹抗体の量が異常に多いのが特徴である。
SSPEは麻疹に感染してから数年後に発症することがあり、思考や運動が徐々に障害され、最終的には昏睡状態に陥り死に至ります。 1967年以来、麻疹ワクチン接種後に脳に関連した問題が報告されている。その後の調査では、脳組織の炎症である脳炎に焦点が当てられました。 各国のレトロスペクティブ解析を含む観察研究では、麻疹ワクチン接種後に脳症または脳炎を発症した症例が報告されている。麻疹ワクチンに関連した脳症の発生率は、100万回接種あたり約1〜11例と計算されている。 2003年、アルゼンチンの研究者たちは、1998年の麻疹流行時に生後6ヶ月から10ヶ月で麻疹にかかった8人の子供たちを調査した。彼らは1年以内に麻疹ワクチンの初回接種を受け、4年後にSSPEを発症した。 脳には広範な組織障害が認められ、血液と脳脊髄液には高濃度の抗麻疹抗体が検出された。脳組織におけるこの異常に高いレベルの抗体は、麻疹ワクチンを潜在的な要因としてさらに調査することを必要とする不穏な警鐘を鳴らすものである。 大野治、大野旦、大野賢、大野顕、大野隆基、違和感ないてか、唐の皇族は下の名前も日本人みたいだね。 >>333
違和感なさすぎて草
読み方まで字面から伝わってくる 後趙の末路は石勒石虎以外に優れた人物が一族から出なかったのが原因なの? >>333
この中に大野智リーダーが混じっても違和感ないな… >>337
あの目が逝っちゃった写真を思い出した
五胡十六国時代は酒に溺れたり丹毒に冒されたのはいても阿片塗れになった人はいなかったよね? 病気が快方に向かうとき、最後にもう一度、悪化したかに見える症状がある。これを瞑眩という。 前向きに発展しようと思えば、必ずその過程でさまざまな苦難と葛藤がある。それは他人から見れば見苦しく見えるかもしれない。しかし、それを恐れて現状で止まっていては何の発展もない。 毛利元就に滅ぼされた陶氏の通字がどうやら弘っぽくて系図見ると陶弘○がいっぱいいる
こっそり陶弘景を紛れ込ませても違和感なさそう まー阿片が毒物と認定されたんは明の李時珍以降だから一応ノーカンやな 曹魏や前燕にボコボコにされてた高句麗が
後に隋唐の攻撃をはねのけるほど強くなるとはな 子供に締め付けしまくるとその反動で痛みを知らない無敵の人になるからな… そんな高句麗も唐に攻められてあっけなく滅亡
以後蓋馬高原を大きく越えた朝鮮王朝が興る事は無かった >>352
苻洪苻生親子や宇文邕そして張居正に聞かせたいお言葉 孔明は軍事家としては?が付くけど
政治家だけじゃないよね
内政力は、ずば抜けてる色んな所から入り込んできた、あの状況の蜀でまとめ上げている力や、蜀の細道、道具開発等々
外交力よりも、内政力でしょうね 百歩譲って諸葛亮が天才ではないとすると、
この時代の殆どの人が凡才かそれ以下っていう事になるけど? 天才っていうのは、天賦の才、努力ではたどり着けない才能を持つ人物の事。
諸葛亮は宰相として間違いなく天才だが、
軍事に限ると、特に目立つような行動も功績もなく、軍事の天才とはとても言えない。 何だいつもの荒らしか。
>>354
万暦帝が「君臨すれども統治せず」となったのは張居正のせい? 陳寿には用兵の才能はなかったと酷評されたけど蜀を滅ぼした時に孔明の兵書や軍制を収集・研究させてそれを馬隆らが対異民族戦に応用したという記述があるから戦った敵側からもリスペクトされていたんだよな