五胡十六国南北朝を語るスレ21
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE >>216
戦争での謀や勘所はいいのでまるきり脳筋ではなさそうだが、折衝や事務は劉穆之以下に投げてたでいいのかね >>218
それじゃヤンの頭脳のあるオフレッサーやんけ
嫌すぎんぞ >>208
しかし人として決定的な何かに欠けていた・・・それが劉勃勃こと赫連勃勃という男 降将の王買徳に「あなたは後秦に及ばない。力を蓄え時期を待つのが上策かと」と痛いところを突かれても喜んで軍師中郎将に任命して諫言に素直に耳を傾けたり
マジキチな叱干阿利に命を救ってもらった恩義を忘れずに重用したりと
赫連勃勃にも数少ない美点はあるんだけどねw 王買コ諫曰:「明王之行師也,軌物以コ,不以暴。且熾磐我之與國,新遭大喪,今若伐之,豈所謂乘理而動,上感靈和之義乎!苟恃眾力,因人喪難,匹夫猶恥為之,而況萬乘哉!」勃勃曰:「甚善。微卿,朕安聞此言!」
ここ最高に意味不明で好き とりあえず中国一般社会の中で徳がありそうな行いを勧めたら喜ぶってか。
みんなに認められたい野蛮人みたい 王買徳
「人の喪に付け入るのは万乗の君のすることではない
石勒や石虎みたいな残虐非道の君のすることである」
赫連勃勃もあまり変わらんと思うが・・・ 五胡十六国南北朝スレで赫連勃勃が話題になる程度のことは当たり前なのではないのか 明とか清とかローマ(しかもどれも政体や共通点ではなく強弱談義など)で荒れるよりよほどKENZENだからな
しかも南北朝に移行前に起きた最期のドでかい花火だし >>224
意外にも勃勃は石虎のように降伏した城の民衆を大量虐殺したり生き埋めにしたりしていないんだよな
生かした方が役に立つと考えて金品や食糧や牛馬と共に略奪して統万城まで強制連行している >>229
しかし石虎も具体的に埋めたって書かれてるのは前趙の兵士と屠各の人らくらい?
鄴とか落としてるけど桃豹あたりが普通に統治してるし、石虎に降伏してる城や砦は多いし実態はどんなもんだったんだろうねえ >>229
ブリヤード共和国の発掘で分かるとおり、昔から匈奴は奴隷として他民族を使役する文化を持ってる
それを弁えているからこそ連れ去ってオモチャにするわけ
後の北方民族の鍛鉄奴隷に通ずるものがある 白起さんや西楚の覇王さまの生き埋めはその後のヘイト感情(その後反泰感情や反項羽感情が爆発)の高まりを見るにある程度の誇張はあるにしても相当数の虐殺があった事は想像できるけど、石勒や石虎の虐殺って趙人自体が憎まれたりするレベルまではいってないのでかなり誇張されてて実際はそこまでやってないのではと考えられる
せいぜいが司馬越の軍民の皆殺しとバンジージャンプ事件くらい >>229
>>231
人間が資産になる時代だからね
工業力も今とは比較にならないほど低いから殆どは人力に頼らざるをえないし >>232
司馬越残党の下りは晋の諸王だけで数十人殺ってるからな
冉閔から逃げた石氏が東晋に皆殺しにされるくらいには憎まれてると思うよ
姚襄や苻宏あたりでも一応は受け入れられてるのにさ >>234
軍勢持ったまま降ってるからな
下手に殺そうとしようものなら数万の戦闘員が敵に回ることになる
対して石氏が逃げ延びた時には内乱と冉閔による殺戮でほぼ軍勢は残ってない
そんな状態の人間を庇う義理はないということ >>229
気に入らなくても官僚がいないと行政まわらないから 石勒と石虎の子孫が誰一人として畳の上で死ねなかったのが恐ろしいよな
なんていうか虐殺した報いというかなんというか 悪因悪果なんだ
苻堅や王猛の子孫が東晋や北魏で優遇されてるのとは対象的なんだ 石琨だったっけ東晋に降り処刑されたのは
誰か劉琨だと勘違いして救う手立て無かったのか >>235
それじゃおとなしく帰順してる姚襄をいびり倒した挙句返り討ちにされた殷浩と謝万がバカみたいじゃないですか!
>>239
石氏を劉琨扱いなんかしたら墓から出てきた祖逖にぶち殺される >>238
王猛は元々漢族だし…
あと苻宏の場合はまだ前秦の勢力が各地に残ってしかも皇太子だからな。存在そのものが前秦残党の正統性の脅威になりうる奴を殺すのはいくらなんでももったいない 改めてみると後秦は前秦残党との戦いに時間かけられすぎだな
いや苻登の粘りが凄まじいと言うべきかw 東晋の「(漢族ながら趙に与していた)冉閔すら敵視した」趙アレルギーとか
「魏書」での上記に加えた病的なまでの他国へのディスりぶり
(特に東晋含めた南朝に対しては先天的基地外扱い)
とか見てると
それ以外での
当事国が相手国をどう見てたかの事例は? >>232
趙人というよりも羯族なんだけど
五胡のうち唯一族滅規模の殲滅で民族消滅してるのが羯族というのが全て
他の五胡は漢民族に融合して知らぬ間に消滅してるのに 講談社の中国の歴史シリーズの春秋戦国の巻で、表紙裏に地図があり、考古学が明らかにした文化圏が書いてある。この文化圏の範囲に合わせて、春秋戦国の国が立ったという。この文化圏の1つの大きさが、人が国を作るときの標準サイズだろう。 十六国のうち、益州を本拠にしたのは、成漢だけだ。以降は、荊州から西に進んだ東晋が併合するか、関中から南下した国が併合するかである。成漢は、再現性がない国なんだ。 >>247
十六国外なら幾つか益州本拠の短期泡沫政権有るけど 前燕は、慕容暐が皇帝のとき、前燕に滅ぼされた。国こそ滅ぼされたが、人材は前秦に取り込まれた。旧前燕の勢力は、健在だ。 仇池は益州でオッケー?
オッケーなら前秦に滅ぼされた期間以外ずっと維持された益州の長期政権ってことになるが 張蜀(374年)
譙蜀(405-413年)
程蜀(432-437年) 皇帝一人もいないんだよなあ
そもそも譙蜀以外国家と言っていいのか…? 段灼がケ艾の名誉回復のための上奏が面白い
「ケ艾は強情で性急で、上に対しても下に対してもその気持ちを害するような奴だったので、誰も擁護してくれなかったのです。全く残念なことですなぁ」
お前もその部下の一人だったけど、内心そう思ってたのか…ってツッコミはともかく、反逆者のレッテルは剥がされただけ魏延よりはマシかも知れん >>257
お前の父ちゃんの判断ミスだ!ってことになるから多少は婉曲に言わんとね
協調性が高そうではないけど 3年前にコロナは茶番って言ってたら、周りから陰謀論者扱いされたな。でも、結局コロナは茶番でした。 一年の計は元旦にありって言うけど、大地震は衝撃的でした。
今年は備えよと言う教訓かも知れませんね。😢 段灼は晋書に伝あるのに
伝の内容のほとんどが上奏文でワロタw 司馬昭とケ艾の軍事行動と徙民が鮮卑乞伏・禿髪部や羌姚氏の動向に重大な影響を与えていて興味深い
問題は西晋前期ぐらいまでは諸部落の区別が雑なんだよな 鄧艾の作った軍事施設が結構な足止めになってたらしいの >>262
少なくとも拓跋が北魏を名乗る原因を作ったのは司馬昭
匈奴のかわりの北方異民族として利用したうえ、八王末期には大単于すら与えてしまった
漢民族の甘い汁を吸いながらも中身のド腐れをしらなかったが故に、勃興から衰退、滅亡もああいう流れになったと
あと部族の区分けがはっきりしないのは、辺境のモヒカン野郎ってくくりでしかなく、細分化する必要が薄かったのがデカいかと
それが外交対象になったり王朝立てたり民族ごと移動したりで分けざるを得なくなった 司馬攸と司馬衷は一回りぐらいしか歳離れてないのか
息子が暗愚で弟が人望も能力もあって元々の本家筋となったら兄貴の司馬炎も警戒するわな >>264
司馬昭は力微のころで流石に責任を押し付けるのはちと無理がある
拓跋部を大単于にしたのなんて司馬越のころだし
オルドスから涼州方面の鮮卑・羌を移住させて対蜀戦線で使い倒したのはアカンかったけど
それにしたって羌胡(多分鮮卑)はひどいよ… >>265
無能な暗愚なほうが貴族にとって都合いいのに、司馬炎自身が貴族に白い目で見られるようなチョンボしたのも痛い
強権君主に縛られるのが嫌だ、っていう貴族に担がれて禅譲できたくせに、開口一番に贅沢禁止令(皇帝と貴族の生活水準の差別化)という空気の読めなさ
貴族としての教養はあったと思われるが人心掌握や洞察はてんでダメだった 拓跋力微とか劉豹とか
この時代の胡族は極めて長命
寒冷化で飢饉多発してたのに
もしかして宇宙人なのかw >>268
単純に正当性主張のための後付け延命
劉淵は劉豹ではなく劉宣の子供なのが濃厚 劉淵が決起する場面も劉宣が劉淵の実父だとしたら辻褄があうしな >>270
劉淵が匈奴連中のヒャッハーを抑えきれなくなるなるのも、劉宣の死とタイミングが重なる 劉宣が実父ならなんで即位しなかったの?劉淵2代目でええやん >>273
キン準や石勒、姚弋仲の論理でわかるとおり、本来異民族は皇帝になれないっていう鉄則があった
しかも後述する裏切りの前は、匈奴劉氏は簒奪の計画もなく名乗る動機もない
あくまで西晋の枠組みで生き残るムーブだった
それが本物の漢室劉氏である劉コンを近所に当てつけとして置き、劉淵の勢力を引き抜かせるって暴挙をしたあげく
大単于なんて称号を拓跋ごときに使わせて敵対させた
西晋で生き残る道を念入りに潰されたからこそ、冒頓単于を利用して皇帝号を名乗り、独立せざるを得なくなったわけ
恭順の意思が憎悪に振り切れて、滅晋大将軍になるのも無理はない しかし滅晋大将軍とか平晋将軍とか何回見ても笑うわ
こんなヘイト丸出しの将軍号名乗らせてヒャッハーすんなとか無茶や >>274
言いたかったのは304年に子の劉淵が漢王に即位し、父の劉宣が丞相に任じられたのはなぜかということ
劉宣が実父ならそっちが即位するでしょう
丞相として政治に参画していたようだから高齢で耐えられないというのもなさそうだし
そもそも漢文化に明るい劉淵が父を臣下にするようなアホな事するとは思えん 西晋は2重にも3重にも厳重に滅びの道を進むようになってる気がするわ
結果的に内乱からの異民族で滅んだけど劉淵の漢趙王朝を何とかしても次は地方軍閥が力持って終わってそう >>226
むしろシャニマスの幽谷霧子とコラボで
赫・連・勃・勃 汲古書院から昭明太子・簡文帝・元帝を扱った本が出てるけど文学史メインか…
高いし悩む これッスか
https://books.rakuten.co.jp/rb/17819624/#:~:text=%E3%81%93%E3%81%AE%E6%A2%81%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C,%E5%91%BD%E3%81%98%E3%81%9F%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82 >>276
304年時点で漢王を名乗ったのは、4年以上も司馬穎に酷使されて部下の怒りが爆発寸前だったのが大きい
一般的に戦争継続限界は3〜5年であり、それ以上経つと厭戦や不平不満で組織が崩れていく
しかも劉淵の部下の殆どが漢民族の教養を持ってないヒャッハー軍団なのに、本分である略奪もできずに使われていた
このままだと分裂・内乱待ったなしだし、酷使してきた西晋への憎悪が爆発して全てを敵に回しかねない
それをどうにか押しとどめなければならないため、体裁上の独立として漢王を称した
(あくまで王であるため皇帝と不倶戴天ではないが、西晋のラジコンではなく独自に行動するという絶妙な位置)
んで独立で押しとどめなきゃいけないのが、怒り狂ったヒャッハー軍団であるというのがポイント
力こそ全てって思想の軍団かつそれが先鋭化してる
劉宣は取り立ての逸話や劉淵との関係を鑑みると、既に70後半〜80とおぼしき老人
匈奴を治めていたとはいえ、後世において文弱と呼ばれる育ちをしていて、部下はすんなり付き従わない
となると今まで軍を率いて武威を見せてきた劉淵がトップにならざるを得ないわけ
でも劉淵にとって劉宣の存在は非常にデカいから、丞相や中外諸軍事、右賢王など様々な肩書を付けて
劉宣があらゆる行動に対して劉淵に影響を及ぼせる建前を作ったが
劉宣死後は度重なる西晋の不義理も相まって、自他ともに衝動を抑えることができず覇道を突き進まなくなった、という流れ
因みに劉宣が羌渠の子だと120歳以上生きたことになるため、ソッチ準拠だと更におかしくなるというおまけつき 追記
そもそも匈奴が漢の地に居座ることになったのは
ろくな見返りもないのに漢に軍勢を送るなどして忠義を尽くした羌渠が、身内の不満を抑えられず殺されたから
というのも忘れてはいけない要素
これで冒頓直系のオフラや呼厨泉が漢に助けを求め、呼厨泉に至っては故地に戻れないまま漢の駒になった
免官されるまでは呼厨泉の立場だったが、司馬穎拾われてから独立前までは羌渠の立場に立たされていたというのが劉淵
因果は巡る ああわかったぞ
歴史の真髄とかいうデタラメブログに踊らされたクチか
ガバガバすぎて論にも何にもなってねえよ >>283
論すら出せない輩の分際で謎の敵視
しかも藁人形論法
あいにく、このスレは寝たきりになった海原雄山に給仕するためのもんじゃないってのを知っておけ 要するに昔の有名人は長生きなんだよ
きちんと証人や記録がない限りは 何にしろ当時の伝統的な刑法を優しい方向に改正したことは興味深い。 真心がなければ、どうして損得抜きで来ようと思うでしょうか。 僕は騒動前と何ら変わらない生活を普通に送っていますが、どうしても付けざるを得ない時があれば、なるほどそれを理由に使わせてもらいます。あんなもの健康な人には百害あって一利なしですが。 >>285
まあ細胞分裂の限界の範疇(120歳)までなら科学的にはこじつけても許容できるか
アブラハムの血族は170とかやっちゃってるけど 事を述べる際に冷や汗を流して恥ずかしく思わないことはないのです。 通説では陸遜の子孫は断絶したとあるけど、3年前に北周の武将歩六孤亮(歩六孤とは陸を意味する)の墓が発見されたことにより、定説が覆される可能性が出てきた
歩六孤亮の墓碑に「歩六孤亮は陸遜の子孫である」と書かれているのが判明したからだった >>300
馬鹿なことをやってないでハローワーク行け
家族は泣いているぞ >>299
歩六孤亮が陸亮だとすると
西魏の驃騎大将軍・開府儀同三司・太僕卿の陸通の息子か
確か陸通は歩六孤氏の姓を賜ってるし
陸亮の妹は歩六孤須蜜多だから間違いないだろう
しかしそうなると定説では陸亮は陸遜の弟の陸瑁の九世孫になる
(陸瑁−陸英−陸玩−陸始−陸載−陸僑−陸政−陸通−陸亮)
定説の真偽の検証含めた続報に期待 歩六孤と普六茹って禿髪拓跋と同じ印象受ける
語源は一緒なのかね 現在鮮卑姓名乗ってる中国人あまり居ないのをみると
鮮卑も中華に吸収されて同化して負けた まるで魏は国外の出来事だから書かず、呉は国内の出来事だから書く。って風に分けているのかなと思いました。すごいなと思いました。 そして221年秋、孫権は魏王朝より呉王に封建されます。 しかし翌222年、曹丕は皇弟曹彪を呉王に封建しています。たった1年ほどで、孫権の王位は剥奪されてしまったんですね。 自国には全く支援金を出さない岸田くん…
一体何を目指しているのやら? >>305
中華民族、中国特色社会主義と戦ってる近現代の民族じゃあるまいし
鮮卑さんは中華とかいう謎の存在と戦った覚えはないから… >>305
逆に言えば鮮卑が中華民族を僭称することに
成功したとも言える 貴様~!大野氏って日本人みたいな名字だった唐王朝を愚弄する気か~! そういや李虎が大野姓賜っても子孫は
大野淵とか大野世民とか名乗らないのな…