五胡十六国南北朝を語るスレ21
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>210
オフレッサーが時代と合致したパターンといえる>劉裕
政治能力クズではあるけど本人はそれをしないから大丈夫だし >>216
戦争での謀や勘所はいいのでまるきり脳筋ではなさそうだが、折衝や事務は劉穆之以下に投げてたでいいのかね >>218
それじゃヤンの頭脳のあるオフレッサーやんけ
嫌すぎんぞ >>208
しかし人として決定的な何かに欠けていた・・・それが劉勃勃こと赫連勃勃という男 降将の王買徳に「あなたは後秦に及ばない。力を蓄え時期を待つのが上策かと」と痛いところを突かれても喜んで軍師中郎将に任命して諫言に素直に耳を傾けたり
マジキチな叱干阿利に命を救ってもらった恩義を忘れずに重用したりと
赫連勃勃にも数少ない美点はあるんだけどねw 王買コ諫曰:「明王之行師也,軌物以コ,不以暴。且熾磐我之與國,新遭大喪,今若伐之,豈所謂乘理而動,上感靈和之義乎!苟恃眾力,因人喪難,匹夫猶恥為之,而況萬乘哉!」勃勃曰:「甚善。微卿,朕安聞此言!」
ここ最高に意味不明で好き とりあえず中国一般社会の中で徳がありそうな行いを勧めたら喜ぶってか。
みんなに認められたい野蛮人みたい 王買徳
「人の喪に付け入るのは万乗の君のすることではない
石勒や石虎みたいな残虐非道の君のすることである」
赫連勃勃もあまり変わらんと思うが・・・ 五胡十六国南北朝スレで赫連勃勃が話題になる程度のことは当たり前なのではないのか 明とか清とかローマ(しかもどれも政体や共通点ではなく強弱談義など)で荒れるよりよほどKENZENだからな
しかも南北朝に移行前に起きた最期のドでかい花火だし >>224
意外にも勃勃は石虎のように降伏した城の民衆を大量虐殺したり生き埋めにしたりしていないんだよな
生かした方が役に立つと考えて金品や食糧や牛馬と共に略奪して統万城まで強制連行している >>229
しかし石虎も具体的に埋めたって書かれてるのは前趙の兵士と屠各の人らくらい?
鄴とか落としてるけど桃豹あたりが普通に統治してるし、石虎に降伏してる城や砦は多いし実態はどんなもんだったんだろうねえ >>229
ブリヤード共和国の発掘で分かるとおり、昔から匈奴は奴隷として他民族を使役する文化を持ってる
それを弁えているからこそ連れ去ってオモチャにするわけ
後の北方民族の鍛鉄奴隷に通ずるものがある 白起さんや西楚の覇王さまの生き埋めはその後のヘイト感情(その後反泰感情や反項羽感情が爆発)の高まりを見るにある程度の誇張はあるにしても相当数の虐殺があった事は想像できるけど、石勒や石虎の虐殺って趙人自体が憎まれたりするレベルまではいってないのでかなり誇張されてて実際はそこまでやってないのではと考えられる
せいぜいが司馬越の軍民の皆殺しとバンジージャンプ事件くらい >>229
>>231
人間が資産になる時代だからね
工業力も今とは比較にならないほど低いから殆どは人力に頼らざるをえないし >>232
司馬越残党の下りは晋の諸王だけで数十人殺ってるからな
冉閔から逃げた石氏が東晋に皆殺しにされるくらいには憎まれてると思うよ
姚襄や苻宏あたりでも一応は受け入れられてるのにさ >>234
軍勢持ったまま降ってるからな
下手に殺そうとしようものなら数万の戦闘員が敵に回ることになる
対して石氏が逃げ延びた時には内乱と冉閔による殺戮でほぼ軍勢は残ってない
そんな状態の人間を庇う義理はないということ >>229
気に入らなくても官僚がいないと行政まわらないから 石勒と石虎の子孫が誰一人として畳の上で死ねなかったのが恐ろしいよな
なんていうか虐殺した報いというかなんというか 悪因悪果なんだ
苻堅や王猛の子孫が東晋や北魏で優遇されてるのとは対象的なんだ 石琨だったっけ東晋に降り処刑されたのは
誰か劉琨だと勘違いして救う手立て無かったのか >>235
それじゃおとなしく帰順してる姚襄をいびり倒した挙句返り討ちにされた殷浩と謝万がバカみたいじゃないですか!
>>239
石氏を劉琨扱いなんかしたら墓から出てきた祖逖にぶち殺される >>238
王猛は元々漢族だし…
あと苻宏の場合はまだ前秦の勢力が各地に残ってしかも皇太子だからな。存在そのものが前秦残党の正統性の脅威になりうる奴を殺すのはいくらなんでももったいない 改めてみると後秦は前秦残党との戦いに時間かけられすぎだな
いや苻登の粘りが凄まじいと言うべきかw 東晋の「(漢族ながら趙に与していた)冉閔すら敵視した」趙アレルギーとか
「魏書」での上記に加えた病的なまでの他国へのディスりぶり
(特に東晋含めた南朝に対しては先天的基地外扱い)
とか見てると
それ以外での
当事国が相手国をどう見てたかの事例は? >>232
趙人というよりも羯族なんだけど
五胡のうち唯一族滅規模の殲滅で民族消滅してるのが羯族というのが全て
他の五胡は漢民族に融合して知らぬ間に消滅してるのに 講談社の中国の歴史シリーズの春秋戦国の巻で、表紙裏に地図があり、考古学が明らかにした文化圏が書いてある。この文化圏の範囲に合わせて、春秋戦国の国が立ったという。この文化圏の1つの大きさが、人が国を作るときの標準サイズだろう。 十六国のうち、益州を本拠にしたのは、成漢だけだ。以降は、荊州から西に進んだ東晋が併合するか、関中から南下した国が併合するかである。成漢は、再現性がない国なんだ。 >>247
十六国外なら幾つか益州本拠の短期泡沫政権有るけど 前燕は、慕容暐が皇帝のとき、前燕に滅ぼされた。国こそ滅ぼされたが、人材は前秦に取り込まれた。旧前燕の勢力は、健在だ。 仇池は益州でオッケー?
オッケーなら前秦に滅ぼされた期間以外ずっと維持された益州の長期政権ってことになるが 張蜀(374年)
譙蜀(405-413年)
程蜀(432-437年) 皇帝一人もいないんだよなあ
そもそも譙蜀以外国家と言っていいのか…? 段灼がケ艾の名誉回復のための上奏が面白い
「ケ艾は強情で性急で、上に対しても下に対してもその気持ちを害するような奴だったので、誰も擁護してくれなかったのです。全く残念なことですなぁ」
お前もその部下の一人だったけど、内心そう思ってたのか…ってツッコミはともかく、反逆者のレッテルは剥がされただけ魏延よりはマシかも知れん >>257
お前の父ちゃんの判断ミスだ!ってことになるから多少は婉曲に言わんとね
協調性が高そうではないけど 3年前にコロナは茶番って言ってたら、周りから陰謀論者扱いされたな。でも、結局コロナは茶番でした。 一年の計は元旦にありって言うけど、大地震は衝撃的でした。
今年は備えよと言う教訓かも知れませんね。😢 段灼は晋書に伝あるのに
伝の内容のほとんどが上奏文でワロタw 司馬昭とケ艾の軍事行動と徙民が鮮卑乞伏・禿髪部や羌姚氏の動向に重大な影響を与えていて興味深い
問題は西晋前期ぐらいまでは諸部落の区別が雑なんだよな 鄧艾の作った軍事施設が結構な足止めになってたらしいの >>262
少なくとも拓跋が北魏を名乗る原因を作ったのは司馬昭
匈奴のかわりの北方異民族として利用したうえ、八王末期には大単于すら与えてしまった
漢民族の甘い汁を吸いながらも中身のド腐れをしらなかったが故に、勃興から衰退、滅亡もああいう流れになったと
あと部族の区分けがはっきりしないのは、辺境のモヒカン野郎ってくくりでしかなく、細分化する必要が薄かったのがデカいかと
それが外交対象になったり王朝立てたり民族ごと移動したりで分けざるを得なくなった 司馬攸と司馬衷は一回りぐらいしか歳離れてないのか
息子が暗愚で弟が人望も能力もあって元々の本家筋となったら兄貴の司馬炎も警戒するわな >>264
司馬昭は力微のころで流石に責任を押し付けるのはちと無理がある
拓跋部を大単于にしたのなんて司馬越のころだし
オルドスから涼州方面の鮮卑・羌を移住させて対蜀戦線で使い倒したのはアカンかったけど
それにしたって羌胡(多分鮮卑)はひどいよ… >>265
無能な暗愚なほうが貴族にとって都合いいのに、司馬炎自身が貴族に白い目で見られるようなチョンボしたのも痛い
強権君主に縛られるのが嫌だ、っていう貴族に担がれて禅譲できたくせに、開口一番に贅沢禁止令(皇帝と貴族の生活水準の差別化)という空気の読めなさ
貴族としての教養はあったと思われるが人心掌握や洞察はてんでダメだった 拓跋力微とか劉豹とか
この時代の胡族は極めて長命
寒冷化で飢饉多発してたのに
もしかして宇宙人なのかw >>268
単純に正当性主張のための後付け延命
劉淵は劉豹ではなく劉宣の子供なのが濃厚 劉淵が決起する場面も劉宣が劉淵の実父だとしたら辻褄があうしな >>270
劉淵が匈奴連中のヒャッハーを抑えきれなくなるなるのも、劉宣の死とタイミングが重なる 劉宣が実父ならなんで即位しなかったの?劉淵2代目でええやん >>273
キン準や石勒、姚弋仲の論理でわかるとおり、本来異民族は皇帝になれないっていう鉄則があった
しかも後述する裏切りの前は、匈奴劉氏は簒奪の計画もなく名乗る動機もない
あくまで西晋の枠組みで生き残るムーブだった
それが本物の漢室劉氏である劉コンを近所に当てつけとして置き、劉淵の勢力を引き抜かせるって暴挙をしたあげく
大単于なんて称号を拓跋ごときに使わせて敵対させた
西晋で生き残る道を念入りに潰されたからこそ、冒頓単于を利用して皇帝号を名乗り、独立せざるを得なくなったわけ
恭順の意思が憎悪に振り切れて、滅晋大将軍になるのも無理はない しかし滅晋大将軍とか平晋将軍とか何回見ても笑うわ
こんなヘイト丸出しの将軍号名乗らせてヒャッハーすんなとか無茶や >>274
言いたかったのは304年に子の劉淵が漢王に即位し、父の劉宣が丞相に任じられたのはなぜかということ
劉宣が実父ならそっちが即位するでしょう
丞相として政治に参画していたようだから高齢で耐えられないというのもなさそうだし
そもそも漢文化に明るい劉淵が父を臣下にするようなアホな事するとは思えん 西晋は2重にも3重にも厳重に滅びの道を進むようになってる気がするわ
結果的に内乱からの異民族で滅んだけど劉淵の漢趙王朝を何とかしても次は地方軍閥が力持って終わってそう >>226
むしろシャニマスの幽谷霧子とコラボで
赫・連・勃・勃 汲古書院から昭明太子・簡文帝・元帝を扱った本が出てるけど文学史メインか…
高いし悩む これッスか
https://books.rakuten.co.jp/rb/17819624/#:~:text=%E3%81%93%E3%81%AE%E6%A2%81%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C,%E5%91%BD%E3%81%98%E3%81%9F%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82 >>276
304年時点で漢王を名乗ったのは、4年以上も司馬穎に酷使されて部下の怒りが爆発寸前だったのが大きい
一般的に戦争継続限界は3〜5年であり、それ以上経つと厭戦や不平不満で組織が崩れていく
しかも劉淵の部下の殆どが漢民族の教養を持ってないヒャッハー軍団なのに、本分である略奪もできずに使われていた
このままだと分裂・内乱待ったなしだし、酷使してきた西晋への憎悪が爆発して全てを敵に回しかねない
それをどうにか押しとどめなければならないため、体裁上の独立として漢王を称した
(あくまで王であるため皇帝と不倶戴天ではないが、西晋のラジコンではなく独自に行動するという絶妙な位置)
んで独立で押しとどめなきゃいけないのが、怒り狂ったヒャッハー軍団であるというのがポイント
力こそ全てって思想の軍団かつそれが先鋭化してる
劉宣は取り立ての逸話や劉淵との関係を鑑みると、既に70後半〜80とおぼしき老人
匈奴を治めていたとはいえ、後世において文弱と呼ばれる育ちをしていて、部下はすんなり付き従わない
となると今まで軍を率いて武威を見せてきた劉淵がトップにならざるを得ないわけ
でも劉淵にとって劉宣の存在は非常にデカいから、丞相や中外諸軍事、右賢王など様々な肩書を付けて
劉宣があらゆる行動に対して劉淵に影響を及ぼせる建前を作ったが
劉宣死後は度重なる西晋の不義理も相まって、自他ともに衝動を抑えることができず覇道を突き進まなくなった、という流れ
因みに劉宣が羌渠の子だと120歳以上生きたことになるため、ソッチ準拠だと更におかしくなるというおまけつき 追記
そもそも匈奴が漢の地に居座ることになったのは
ろくな見返りもないのに漢に軍勢を送るなどして忠義を尽くした羌渠が、身内の不満を抑えられず殺されたから
というのも忘れてはいけない要素
これで冒頓直系のオフラや呼厨泉が漢に助けを求め、呼厨泉に至っては故地に戻れないまま漢の駒になった
免官されるまでは呼厨泉の立場だったが、司馬穎拾われてから独立前までは羌渠の立場に立たされていたというのが劉淵
因果は巡る ああわかったぞ
歴史の真髄とかいうデタラメブログに踊らされたクチか
ガバガバすぎて論にも何にもなってねえよ >>283
論すら出せない輩の分際で謎の敵視
しかも藁人形論法
あいにく、このスレは寝たきりになった海原雄山に給仕するためのもんじゃないってのを知っておけ 要するに昔の有名人は長生きなんだよ
きちんと証人や記録がない限りは 何にしろ当時の伝統的な刑法を優しい方向に改正したことは興味深い。 真心がなければ、どうして損得抜きで来ようと思うでしょうか。 僕は騒動前と何ら変わらない生活を普通に送っていますが、どうしても付けざるを得ない時があれば、なるほどそれを理由に使わせてもらいます。あんなもの健康な人には百害あって一利なしですが。 >>285
まあ細胞分裂の限界の範疇(120歳)までなら科学的にはこじつけても許容できるか
アブラハムの血族は170とかやっちゃってるけど 事を述べる際に冷や汗を流して恥ずかしく思わないことはないのです。 通説では陸遜の子孫は断絶したとあるけど、3年前に北周の武将歩六孤亮(歩六孤とは陸を意味する)の墓が発見されたことにより、定説が覆される可能性が出てきた
歩六孤亮の墓碑に「歩六孤亮は陸遜の子孫である」と書かれているのが判明したからだった >>300
馬鹿なことをやってないでハローワーク行け
家族は泣いているぞ >>299
歩六孤亮が陸亮だとすると
西魏の驃騎大将軍・開府儀同三司・太僕卿の陸通の息子か
確か陸通は歩六孤氏の姓を賜ってるし
陸亮の妹は歩六孤須蜜多だから間違いないだろう
しかしそうなると定説では陸亮は陸遜の弟の陸瑁の九世孫になる
(陸瑁−陸英−陸玩−陸始−陸載−陸僑−陸政−陸通−陸亮)
定説の真偽の検証含めた続報に期待 歩六孤と普六茹って禿髪拓跋と同じ印象受ける
語源は一緒なのかね 現在鮮卑姓名乗ってる中国人あまり居ないのをみると
鮮卑も中華に吸収されて同化して負けた まるで魏は国外の出来事だから書かず、呉は国内の出来事だから書く。って風に分けているのかなと思いました。すごいなと思いました。 そして221年秋、孫権は魏王朝より呉王に封建されます。 しかし翌222年、曹丕は皇弟曹彪を呉王に封建しています。たった1年ほどで、孫権の王位は剥奪されてしまったんですね。 自国には全く支援金を出さない岸田くん…
一体何を目指しているのやら? >>305
中華民族、中国特色社会主義と戦ってる近現代の民族じゃあるまいし
鮮卑さんは中華とかいう謎の存在と戦った覚えはないから… >>305
逆に言えば鮮卑が中華民族を僭称することに
成功したとも言える 貴様~!大野氏って日本人みたいな名字だった唐王朝を愚弄する気か~! そういや李虎が大野姓賜っても子孫は
大野淵とか大野世民とか名乗らないのな… 西魏・北周の胡姓賜与って結果的に胡族の氏族ロンダリングになってね? >>314
大野世民って現代日本にいそうな名前だな 大野元吉さんいそう
というか「おおのもとよしさん」で普通に変換された >>317
漢人でも六鎮に赴任・流された人はいるし、西魏が名門漢人にも胡姓乱発したからもうわけわかんないね >>317
そりゃ漢化を拒んだ異民族を大正義弘農楊氏が皆殺しにしたわけだからね
ウッチカイの抵抗とかまさにそれ >>321
無茶苦茶だなあ
周朝の忠臣尉遅迥が逆賊楊堅を討伐しようとしたが時利あらずして成し遂げられなかっただけやぞ
あと迥をカイって呼ぶことある? この発見は、かつて普遍的に受け入れられていたことの根幹を揺るがすものである。ワクチン産業が築き上げてきた礎石、すなわち抗体の不可欠な役割は、麻疹との闘いにおいて、これまで信じられてきたほど重要ではないのである。
抗体がなくてもウイルスを排除できるのであれば、抗体は不可欠ではないという論理が成り立つ。この考え方は、論理学の基本原則と一致している: オーストリアの著名な哲学者であるカール・ポパーが示唆したように、普遍的な声明は、たった一つの真正な反事例によって反証されうるのである。 麻疹の発疹は、体の免疫、特にキラーT細胞免疫が麻疹ウイルスと効果的に闘っていることを示す重要なサインである。T細胞免疫は、粘膜バリアを越えて体内に侵入するウイルスと闘う上で極めて重要である。 同様に、ワクチンで生成された抗体は、私たちの身体に害を与えたり、自然免疫を妨害したりする免疫反応を引き起こす可能性がある。このような免疫調節異常は、ワクチン接種後の非定型麻疹や関連合併症の一因となる。
麻疹に対する考え方とは対照的に、伝統的な中国医学(中医学)では治療に対するアプローチが異なります。中医学の理論によると、麻疹は子宮内で発生した「胎児毒素」が妊娠中に赤ちゃんに移行し、後に発疹や水疱として身体に現れると考えられている。
発疹が完全に表れていることが、子供の完治と免疫には不可欠である。カナダのジョージアン・カレッジで中医学を教えるジョナサン・リウ博士によると、「中医学者は、麻疹の発疹が体幹から手のひらまで完全に広がるように、主にシミシフゲ根茎(生脈麻)とプエラリアエ・ロバタエ根茎(葛根)という薬草をよく使います。この目標を達成することは自然回復を意味する。" 深刻な脳の問題との関連性の可能性
麻疹ワクチンに使われている弱毒化されたウイルスは、脳にも影響を与える可能性がある。
麻疹ウイルスには免疫抑制作用があり、神経系に合併症を引き起こす可能性がある。麻疹感染後の重篤な脳疾患は亜急性硬化性全脳炎(SSPE)であり、脳脊髄液や血清中の抗麻疹抗体の量が異常に多いのが特徴である。
SSPEは麻疹に感染してから数年後に発症することがあり、思考や運動が徐々に障害され、最終的には昏睡状態に陥り死に至ります。 1967年以来、麻疹ワクチン接種後に脳に関連した問題が報告されている。その後の調査では、脳組織の炎症である脳炎に焦点が当てられました。 各国のレトロスペクティブ解析を含む観察研究では、麻疹ワクチン接種後に脳症または脳炎を発症した症例が報告されている。麻疹ワクチンに関連した脳症の発生率は、100万回接種あたり約1〜11例と計算されている。 2003年、アルゼンチンの研究者たちは、1998年の麻疹流行時に生後6ヶ月から10ヶ月で麻疹にかかった8人の子供たちを調査した。彼らは1年以内に麻疹ワクチンの初回接種を受け、4年後にSSPEを発症した。 脳には広範な組織障害が認められ、血液と脳脊髄液には高濃度の抗麻疹抗体が検出された。脳組織におけるこの異常に高いレベルの抗体は、麻疹ワクチンを潜在的な要因としてさらに調査することを必要とする不穏な警鐘を鳴らすものである。 大野治、大野旦、大野賢、大野顕、大野隆基、違和感ないてか、唐の皇族は下の名前も日本人みたいだね。 >>333
違和感なさすぎて草
読み方まで字面から伝わってくる 後趙の末路は石勒石虎以外に優れた人物が一族から出なかったのが原因なの? >>333
この中に大野智リーダーが混じっても違和感ないな… >>337
あの目が逝っちゃった写真を思い出した
五胡十六国時代は酒に溺れたり丹毒に冒されたのはいても阿片塗れになった人はいなかったよね? 病気が快方に向かうとき、最後にもう一度、悪化したかに見える症状がある。これを瞑眩という。 前向きに発展しようと思えば、必ずその過程でさまざまな苦難と葛藤がある。それは他人から見れば見苦しく見えるかもしれない。しかし、それを恐れて現状で止まっていては何の発展もない。 毛利元就に滅ぼされた陶氏の通字がどうやら弘っぽくて系図見ると陶弘○がいっぱいいる
こっそり陶弘景を紛れ込ませても違和感なさそう まー阿片が毒物と認定されたんは明の李時珍以降だから一応ノーカンやな 曹魏や前燕にボコボコにされてた高句麗が
後に隋唐の攻撃をはねのけるほど強くなるとはな 子供に締め付けしまくるとその反動で痛みを知らない無敵の人になるからな… そんな高句麗も唐に攻められてあっけなく滅亡
以後蓋馬高原を大きく越えた朝鮮王朝が興る事は無かった >>352
苻洪苻生親子や宇文邕そして張居正に聞かせたいお言葉 孔明は軍事家としては?が付くけど
政治家だけじゃないよね
内政力は、ずば抜けてる色んな所から入り込んできた、あの状況の蜀でまとめ上げている力や、蜀の細道、道具開発等々
外交力よりも、内政力でしょうね 百歩譲って諸葛亮が天才ではないとすると、
この時代の殆どの人が凡才かそれ以下っていう事になるけど? 天才っていうのは、天賦の才、努力ではたどり着けない才能を持つ人物の事。
諸葛亮は宰相として間違いなく天才だが、
軍事に限ると、特に目立つような行動も功績もなく、軍事の天才とはとても言えない。 何だいつもの荒らしか。
>>354
万暦帝が「君臨すれども統治せず」となったのは張居正のせい? 陳寿には用兵の才能はなかったと酷評されたけど蜀を滅ぼした時に孔明の兵書や軍制を収集・研究させてそれを馬隆らが対異民族戦に応用したという記述があるから戦った敵側からもリスペクトされていたんだよな 唯一大負けしてるといえる第一次北伐の理由が人選ってのがな
人選も用兵のうちというならマイナス評価だし登山家のせいといえば別になるし 尚書の梅陶は親しい曹熾に書を送った時
「陶公(陶侃)の神のような機略と優れた見識は魏武(曹操)の如しである。
忠順にひたすら勤労に励んだことは諸葛孔明(諸葛亮)のようである。
陸抗を始めとした諸々の人物でも彼に及ばないであろう」
と絶賛した。 >>364
事実上の開祖である宣帝が諸葛亮ヲタクだから何の違和感もない
アメリカでオルグして染め上げられた政治家が、売国政策に何の躊躇いもないのと一緒 >>353
滅亡後の相当大規模な高句麗遺民の強制移動や亡命から在りし日の強大さが垣間見える
敵が唐だけなら新羅がやったみたいに退けて勝ち残れたかもしれんが
四方に敵を抱えた上に内乱じゃさすがの高句麗さんも無理ゲーですわ >>369
いやここはイケメンも歪んでるから... >>372
蘭陵王は20人の美女を前に
1人しか選ばないという♂としては問題人格者 つか蘭陵王こそ高家で一番歪んだ人間
と考えた方が辻褄が合うw
(もうなんだか分からん) 高歓の人格破綻はあまりきかないから正室の婁昭君が変な血をもってるのか >>375
慈愛諸子,不異己出とか言われる割に高洋に対しては明らかに当たりキツイからな
明らか毒親 >>375
おいおい馬車から落ちた息子(高澄)を弓で射殺しようとしたクズエピソードがあるでしょうが 宇文泰息子は出来がいいのにな
正確には高歓の息子や孫も出来はいいの多いんだけどさ。。。 >>375
高歓の側室の子供は概ねまともなんだよな
明らかに婁昭君の血筋がおかしい 婁昭君って良妻賢母みたいな評価されてるけど実像は違ったということ? >>383
独孤伽羅とかも良妻賢母扱いされてるが実像は…
子供の育ち具合で判断するのが宜し >>385
ゴキブリとドブネズミならどっちが下等なのかみてえな問い 劉宋のおかげで後漢書や世説新語や三国志裴松之注
が現代我々読めるのを考えると劉宋かな
北斉人でこれぐらい有益な書物を保護した皇族居ないだろ 史書を保護どころか自身を護るのすらままならなかった。 花見は日本オリジナルの文化かな
中韓に花見の文化はないよね? >>393
朝鮮は知らんけど中国では桃の花を愛でたんじゃなかったっけ?
少なくとも昔は 中国は桃や牡丹。他は仏教関連が多い蓮を愛でる習慣があった位か。
勿論樹の花や草花を表現区別するのはちゃんとしてたが愛でる花見となるとほぼの三つ。
朝鮮は木槿や梅を好む傾向があったが花見をしてたかどうかは俺は知らん。 >>393
魏徴の歴史家としての功績は認めるが
鉅鹿魏氏は代々歴史家多いが北斉の皇族でないし
一族の中には「穢史」と貶されてる『魏書』書いた魏収が居たり
魏徴自身も隋唐時代の人で生まれた時には
既に北斉滅亡してて北斉と直接関係ない人だからな・・・ >>396
すまん素で魏収と間違えた…
魏書は文宣帝が関わっているので…文宣帝にもでき悪いなと思われたらしいが 北斉の体制がボロボロだったのを物語ってる出来だからな→魏書
とにかくマウント取って優劣を示す必要があったというのが筆運びから分かる
北魏が腐った原因(漢化の進行で鮮卑と漢のイデオロギー衝突したあげく収拾つかない)をそのまま引き継いだ末路 一流の学者を集めて『晋書』を編纂させたら『旧唐書』の著者の劉昫に「晋書はデマ誤記だらけで程度の低いゴシップまみれだ!大体、歌詠みだの詩人だのに歴史書を書かせんな!美文を書けばいいってもんじゃねえ!なんで一丁前に評論家ぶってんだ!史書は真実をありのままに書くものだろうが!」とぼろくそにこき下ろされたでござる…… ワイは一平の正体が気になるわ
色々経歴が怪しいって聞いて草やった 聖人かどうかは知らんけど
一向に英語を覚えようとしないあたり根は普通の野球部員なんやろうなと思うわ
真面目なら長谷川や菊池みたいに日本時代から英語の勉強するだろ 結果論として違法な胴元に金払う上で
それが大谷の意思だとしたら大谷が悪いんだが
しかし正直言ってガチ被害者だしまぁキレるのも分かる そもそも肩代わりしてうっかり違法なマフィアの口座に振り込んじゃったって話は最初大谷信者がいかにも大谷なら有り得そうと言ってたじゃん😅 TwitterでOhtaniで検索したら大谷ガチで嫌われとるやん
全米が大谷に熱狂とか言うてたのになんで嫌われとんねん 真面目で努力家なら英語ぐらい勉強するだろっていうツッコミすら許されなかったのは異常だよな
で、結果がこれやん
同じアメリカにいる錦織八村渡邊は当然としてMLSにいる吉田らサッカー選手も話せるぞ
ゴルフ松山はド下手糞だけどちゃんと勉強してることは報じられてるし 古代中国人は白人だった
今の中国人は北方民族の子孫、トルコ人 >>411
まー荒らしだろうな
ここに来ての日銀利上げもハイパーインフレの仕込みだし、崩壊前のアメリカの死に物狂いをこんなとこでも見せつけられてる感じ >>401
なお、『旧唐書』は真実をありのままに書きたいのが昂じて資料丸写しな模様…… でもそういう場合、引用先を明示してくれると逸文扱い出来るから
文献使いの学者としてはごっつう助かるのよ。元文献の内容の変遷や上限を見つけやすくなるから。
でもまあ王朝の公式見解としての正史としては、それではアカンと。 >>413
玉石混淆の資料丸写しなだけで全く真実ありのままになってないのが泣ける…
コンセプトは解るが酷過ぎて褒めようがない 『旧唐書』は資料を丸写ししたり晩唐に近くなるほど内容が薄くなったりと致命的な問題があると大不評だった
宋になって編纂された『新唐書』は、詔勅の文章勝手に古文に改変したり、欧陽脩をはじめとする執筆者の主観丸出しで客観性に欠けるなど、歴史書として問題があると指摘されている
今では『旧唐書』の方が史料的価値が高く歴史書として優れているとされている コピペと言えば張賓とか苻雄みたいな忠臣が死んだ時にお決まりのように「天は我に天下統一させるつもりはないのか?どうして○○をこんなに早く我から奪うのだ!」を言わせるのはちょっと笑ってしまう >>418
まあ張賓や苻雄はマジで替えの効かない人材だからな…苻雄の奮戦がなければ前秦多分滅んでたし 『旧唐書』『新唐書』どちらも日本(倭)に関する記述がいいかげんだが
「倭国伝」と「日本国伝」2つ書いてる『旧唐書』よりは
『新唐書』の方がスマートではある >>418
慕容恪にはそのお決まりのテンプレが無い模様・・・ 庶人天王「徳で統治するなど生ぬるいのよ。人民は法と刑で律するべきなのだ」 >>427
慕容暐は発言とかはちょいちょい格好良かったり高潔さを感じさせたりするんだよな…まあ結果は伴わないんだが
母親が猜疑心キチガイで慕容評とかいう佞臣もいて周りに苻堅と桓温がいて即位したのが十歳の時とかハードモードすぎですわ >>428
妹と弟もエラい目に合わされるしな
かわいそう なぜ慕容氏はここまで優秀な人材を輩出しながら華北を平定出来なかったのか?
なぜ拓跋氏に遅れをとったのか?
というのをネアンデルタール人優秀説あたりと絡めるといい論文書けそうw
優秀だからすべてOK、じゃねえのが世の中なんだよなあ 慕容垂からは追諡されず、慕容徳から幽とか最低クラスのやつ付けられた慕容暐 >>432
傍から見れば母親と奸臣に惑わされて優秀な叔父を亡命に追いやって国を滅ぼした暗君だからねえ…
そういや西燕の皇帝や庶人天王からも追謚されてないんだよねこの人 慕容儁の系統を否定したあと後燕はともかく西燕が追諡しないのはなあ… 慕容沖追諡してないのか
ケツ以外もガバガバなんだな 西燕はバタバタしてるうちに別系統の慕容永になっちゃったししゃーない
…と思ってたら慕容泓・慕容沖は追諡されてるのか 宇文邕の顔が復元されたけど、なんともいえん感じだな 五胡十六国の君主で幽と追謚されたのは慕容暐の他には成漢の廃帝幽公李期ぐらいなんだよな
しかも自分を廃した李寿に執拗に祟りをなして狂死に至らしめたという身の毛のよだつ逸話のある
そんなヤツと同じ謚号って…… >>437
有能そうだけどパワハラやってそうな顔でもある >>437
額が狭くてエラが張ってて吊り目…顔の濃ゆい感じが胡族感あるな >>437
どことなくイメージ通りの顔なのは人物評を正確に記してるって事なのかなw うむ、現役の中共中央政治局委員にいてもおかしくない
大陸の支配者の顔は古来あまり変わらないのか >>449
つべで「赫連勃勃のお墓」で検索すると素人のおっちゃんが撮影したらしき動画が出てくる
赫連勃勃のように美形とされていた人物の顔は特に気になる
現代人からみても美形といえるのか 美兄醜弟の典型とされる高兄弟か・・・
兄弟でそうなる科学的な根拠みたいなものがあるんかね?
まあ業績に関してはどちらも臭と言えるけど 石勒はイメージ的にいかにもマチズモ感溢れる面じゃないと説得力が >>449
石勒の墓は所在不明になっている
というのも、崩御する際に城門から数十の棺を運び出して、墓の所在を分からなくしたから
いくつか候補地があるけど決定打になっていない 遊牧民族は墓を作る習慣がなかった
人里離れた地に穴を掘って棺を入れて、子山羊(子羊とも)を殺して一緒に埋葬し、墓石や墓碑の類いは一切置かなかった
墓参りに行く際は、子山羊の親山羊を連れて行き、親山羊が悲しげに鳴いたら、そこで祈りを捧げる
親山羊が死んだらどこに埋葬したか分からなくなるので、もう墓参りはおしまいとなる >>450
「平安美人」というパワーワードがあるよねw
>>451
兄貴たちや甥っ子たちは美男子美少年揃いなのに醜男として有名なリチャード三世とか・・・・
>>453-455
死生観が出てるね
土葬で揉めてるイスラムの人たちに聞かせてあげたいわ 本来のイスラムというかアラブは砂漠に埋めて墓参りしなかった世界。
預言者のムハンマドとか聖者の墓は崇敬の対象になったけど、他の俗人は王公から庶民まで
砂漠に埋めてハイ御仕舞いな世界だった。
だがこのイスラムが東に広まるにつれ、火葬は地獄で焼かれてるみたいだから厳禁、水葬は航海中以外は基本禁止
砂漠は東にいくとある所ばかりでないので、結局そこの土に埋めて墓を営むように変化した。 >>453
慕容徳も同じような話があるよね
よく知らんやつに掘り返されて旗印にされた挙げ句井戸に投げ捨てられたり、
頭痛がするとか難癖付けられて暴かれ川に投げ捨てられたり、
そんな憂き目に遭うなら立派な墓はない方がいいのかもしれない >>458
だからこそ埋葬場所の隠蔽って言うのはこの地域において最高峰の孝行になるのよね
秦漢より前の遺跡や遺物がイマイチなのも、その後の代で盗掘されて副葬品が鋳つぶされたりしてるからだし
テムジンに至っては埋葬に関わった人間を皆殺しにして秘匿したくらい極まってた ツタンカーメン「僕ちんの墓だってずっと見つからなかった、なんてことはなかったんだしね」 >>458
首級を道端で焼却処分にされて墓すらろくに建ててもらえなかった後趙の新興王石祇が何やら言いたそうにしています…… >>458
頭真っ赤な奴に暴かれた末にガソリンで丸焼きにされたり >>455
羊の寿命は長くても十数年だから
胡族には四十九回忌とか不可能なのか… >>463
あれは劉少奇に陪葬されたようなものだから
>>464
両脚洋? 五胡十六国の人物ならトチ狂った姚萇によって損壊された苻堅の遺体もなかなか… トチ狂った姚萇の死に様(チ〇コ腫れて大量出血)も悲惨ぞ
そういや姚萇は苻堅より7歳年上とは意外 変な死に様が史書に書かれてしまった君主達
李寿…即位してから僅か5年で廃帝幽公に呪われて祟りに怯えながら狂死
赫連勃勃…雷に打たれて死亡(諸説あり)
慕容盛…重傷を負うも反乱軍を自ら殲滅して場を落ち着かせてから立ったまま死亡
司馬曜…側室に冗談で「お前もババアになったから用済みな」と言ったもんだから、間に受けた側室に布団蒸しにされて死亡
蕭鸞…病とメンヘラが昂じて調度品から衣服まで赤で備えて病平癒を願うも効果なし、早死にしてしまう
姚泓…処刑されるや、建康周辺の草木が枯れ果てるという恐ろしい怪異をなした。異説では、処刑直前に怪異をなして山中に逃げたとも。妖怪か? 高澄の「料理人にパワハラ→その料理人にぶち殺される」が抜けとる 今は赤眉軍も孫殿英軍もおらんし中華民族の五胡人民ですみたいな顔しとけばマルクス・レーニン・マオ朝の今上も襲ってはこないはず…
>>456
確かリチャード3世は10年ほど前にお顔復元&改葬されて劇的に尊厳回復?してたような気がする >>468
姚泓君そんなパワーあるなら後秦が滅びる前に使えよ
あと何度見ても孝武帝の死に方がひどい 話の流れぶった斬って恐縮だけど慕容垂の息子に慕容倭奴って人がいるんだけど「倭」と何か縁のある人なのかな?
命名規則明らかに違うよね?ひょっとして母親が倭の出身とかってあるのかな?
>>470
当時の「せむし」とかの表現が見事当たってたとかいう復元結果じゃなかったっけ?
この間顔が復元された武帝も実は肖像画結構いい線いってる説あるし昔の言い伝え侮れないものあるよね >>471
李寿の死に方も大概ひどい
即位して数年後に祟られて狂い死にってなんだよ… >>468
【南朝にて生き永らえた亡国君主】
李勢(成漢、347-361年)
張天錫(前涼、383-406年)
【南朝にて処刑された亡国君主】
石琨(後趙、352年)
慕容超(南燕、410年)
姚泓(後秦、417年)
姚泓が南朝祟りたくなるのはわかるが
前者と後者の扱いの差が不明 南朝へ亡命した王族といえば
菩薩皇帝が北魏の亡命王族を武装させて
2度ほど故国を乗っ取らせようとしたけど >>477
李勢は劉禅ムーヴ見習って投降したから桓温も大徳ムーヴで応えた
張天錫は天子を称してないから王公として寛大な沙汰となった
そのほかは天子僭称したあげく身の程弁えてないから殺さざるを得なかった
厳罰に処さねば政はつとまらん、という義時ドクトリン 北朝(特に前秦や北魏)も結構亡国君主受け入れているが
処刑された亡国君主も以外と多い >>477
東晋からしたら姚泓は帰順しておきながら裏切った姚襄の一族だから許す道理はなかった >>482
姚襄は被害者というかとばっちりみたいなもんなのに >>482
桓楚残党を支援したから絶許リスト入りしたんじゃないかな 東晋というより劉裕の意向じゃないんか
謝安なんて前秦皇族の投降受け入れるわ救援要請に兵送ろうとするわ後趙と比べて甘々の対応だった 苻堅の一族は五代十国時代でも「礼儀を知る人たち」と言われてるところからして東晋でも「敵とは言え一角の人物。無碍に扱ってはいけない」と思われていたものと考えられる 最新DNA研究で北周の武帝の顔復元とな
news.yahoo.co.jp/articles/f7e382777b27319c49f7f9c7f82edaf7154d92ca 東晋としては寛容な名君と誉れ高い苻堅を弑殺した裏切り者の孫を許すわけにはいかなかったんだろうな
もしも受け入れたら世間の謗りを浴びて政権の威信がガタ崩れになりそうだし >>488
×東晋
〇陳郡謝氏
謝安の評価のソースが苻堅しかないから、とにかく凄い奴だったという待遇にしなきゃ体裁が保てない
某バンデラ崇拝に近いものがある >>488
滅後秦のときには苻宏が桓玄について劉道規あたりにぶち殺されてるし誰も気にしなそう >>490
永嘉の乱で劉秋や劉恂がぶち殺されても誰も気にしていないので
基本的に中華の人は易姓革命でオワコンになった王朝や皇族は
建前上では二王三恪で祭祀は守るが基本的にゴミ以下の扱いと思われ 虎吉「ヒャッハー!名族がなんだ?漢人がなんだ?力が正義よ、ガハハハハ」 >>491
後周の柴氏に最後まで礼節を尽くした宋は異例中の異例。 >>494
北朝鮮も李氏朝鮮のことはボロクソに言っている。
その一代前の高麗のことは南北統一の際は高麗連邦共和国としようと韓国に提案したくらい高く評価しているが。 趙匡胤は柴栄の下でどんどん出世するんだからすげぇわ
あのおっさんちょっと仕事出来ないとすぐキレるんだもん >>496
すぐキレるのは趙匡胤も大概なんで
受け継がれるパワハラスピリッツ >>495
順治帝「前代は悪、前々代は転じて正義」 >>486
そういや苻堅の一族の嫁貰ってるの結構多いな
色白で美人確率高い慕容氏なら嬉しいのだが
苻堅の一族の美人度が気になる… >>499
ブサイクだとしても別に妾作ればいいからへーきへーき
独孤皇后「舐めるなッ!オスブタッ!」→妾を撲殺
北条政子「舐めるなッ!オスブタッ!」→妾の家に放火
まあこんなパターンもあるんやけどなブヘヘヘヘ >>499
パパの苻雄は醜形貌頭大而足短
あまりにも酷い 独孤伽羅はパパが容姿に優れてるみたいだから本人も美人だったはず
美人で優秀で気が強くて嫉妬心も強い嫁さん
楊堅何が不満だ 国をNTRのは難しくはない
しかし、上司の娘と過ごす夜ほど恐ろしいものはない
と言ったとか言わないとか・・・・ 法事でお経を見る機会があって
「梁天子」というワードがあったから気になって調べてみたら
やっぱ梁の武帝のことなのな 正信偈は正確にはお経ではないらしい
曇鸞は北魏〜東魏の人らしい 中国の専制の元祖は始皇帝の秦だけど、ロシアの専制の元祖はビザンツ?それともジョチ・ウルス?
ルーシ諸国の頃はそこまで強権的ではなかったし インドは始皇帝が現れなかった中国って感じがする
マウリヤ朝とムガル帝国以外殆ど分裂状態だし >>505
武帝のことと知っちゃうと急にありがたみがなくなるなあ >>508>>510
中華料理店でフランス料理出せと言われても叩き出されるだろ >>513
ID:mEUD2pXEOはフランス料理店に、わさび醤油を持っていって使った北大路魯山人のような奴だろ。 フランスの太陽王ルイ14世の最も好きな調味料は醤油
なのでルイ14世は中華(胡族)の王とも看做せる >>511
というか過剰なまでに仏教推進してたのも事実だしな
あの石勒石虎ですら仏図澄を重用するほどだし 世界三大料理
中華料理とフランス料理は分かるがトルコ料理?ケバブ? >>519
儒教は前提として漢民族以外クズ(夷狄)というのがネック
んで頂点は皇帝(無論漢民族の)って決まってる以上、それを覆せるロジックがないと正統性が損なわれる
恩寵の逆説や前提知識の差でのマウントも厄介
それに対して仏教は民族に対して平等で広めやすく、異民族間の共通のイデオロギーとして使えるし
漢民族の文化に対しての防波堤にもなれる
惜しむらくはそれを異民族ではなく漢民族(菩薩皇帝)が体現して大失敗したとこだろうか ビックコミックで朱のチーリンというのが始まってた
主人公は姜維なんだけど重要人物として同年輩の羌族の姚宇というのが出てくる
ひょっとして姚萇のご先祖様だったりして
ちなみに一話目の冒頭に儒教による漢民族と異民族の区別が書かれてた
話変わって馬超って羌族の血が流れてるとされてるけど末裔はどうなったんだろ? 姚弋仲の父親の柯回が伐蜀に従軍している
都督隴右諸軍事のケ艾の節度下だろうね
晋書載記だと戦功で鎮西将軍になってるらしいがさすがに嘘だろう >>507
曇鸞は浄土宗の開祖なのに日本ではほぼ無名・・・
達磨(ダルマ)は日本では有名なのに曇鸞と同時期の
南北朝時代の人なのは日本人ほぼ知らないという・・・ >>516
ゲルマン系の諸王国(アリウス派)は全て滅んだが、フランク王国(アタナシウス派)だけは生き残った
五胡十六国の中でもっとも漢化した北魏が華北を統一した
少数の民族が圧倒的多数の他民族を支配するにはやはり郷に入れば郷に従うしかない
ヴァンダル王国や元朝はどちらも内輪揉めが酷く、更に現地の文化を軽視した支配体制だから短命だった(アタナシウス派弾圧、科挙廃止) >>522
そういえば姚一族って後秦滅亡後どうなったんだろ
一部は北魏に逃れ出世したみたいだし今でも子孫いたりするのかな 姚弋仲南安赤亭羌人也。其先有虞氏之苗裔,禹封舜少子於西戎,
世為羌酋。其後燒當雄於洮罕之間。
現代中国で姚姓は51番目に多い姓で約570万人
呉興姚氏(姚察etc...)と南安姚氏(姚弋仲etc...)
の子孫が多いらしいので今でも傍流なら確実に子孫居そう >>532
51番手で570万人って・・・・
日本一の佐藤さんでも180万人だぞ・・・・ >>533
日本より中国は姓のバリエーションが少ないからな
帰化で新しい姓を手軽に造り出せる(玉鷲など)のが特殊っていうのもあるが 諸葛、司馬、公孫、慕容
改姓で拓跋は元、完顔は王になってるけど
半島人も元は日本人みたいに複字姓だったが、新羅あたりから中国真似て単字姓になった 中公新書から
「殷」
「周」
「隋」
「唐」
は出版されているんだが
「晋」
は出ていないんだな。
入手が容易で(絶版になっていない本で)晋(特に東晋)の通史となるとどれがいいんでしょ? 司馬の攸ちゃんはみればみるほど微妙な立場だな
炎と司馬衷の丁度間ぐらいの年齢だし
どうあがいても粛清かクーデターしか道がなさそう >>535
そもそも周や漢ではそれなりにあった気がする複字姓の存在感が漢人王朝や中共の漢族に継承されてなさそうだしな
なんか相性が微妙なのかもしれん、漢文と複字姓が… >>537
単に司馬炎が暗君で佞臣の讒言鵜呑みにしただけの悲劇のような >>540
次男相続の天命を作ったのが司馬懿と司馬昭であり
佞臣の讒言しか信じられないような状況を作ったのは他ならぬ司馬炎自身なのが皮肉
統一してからの乱痴気はもはや言うまでもないが、即位前の経歴も即位〜統一までの実績も中々酷い
そりゃ粛清せざるを得ないくらい輿論が司馬攸に靡くわと そういや
前秦の苻氏とか
西秦の乞伏氏とか
後秦の姚氏とか
春秋戦国時代の最終勝者と同じ国号なのに
なんで国姓を「嬴」に改めなかったのか 夏王朝の王様の弟が匈奴の祖先になったとか無理あり過ぎる設定 >>536
西晋の範囲であれば福原啓郎『西晋の武帝 司馬炎』(白帝社)がよくまとまってるし電子版で読める
でも東晋の範囲をカバーしてる書籍は思い浮かばないな… 秦は地域名でもあるから採用する意味はあるだろうけど姓はあんま関係ないし…特別名乗る価値のある字でもないだろうし… >>543
桀王の息子に夏后淳維がいた
夏が滅びると淳維は一族を率いて北の地に亡命した
この淳維こそ匈奴の先祖だという 氏はともかくとして姓って改められるのか?
それに姓って普通男性は名乗らないし
始皇帝の「嬴政」表記はいつももにょる 未だに歴史本や雑誌なんかで見る「韓王韓王信」表記に比べれば 王侯の姓を表記ないし呼称しまくる現象はチャイナ産の古代歴史モノでも流行ってますね
個人的にはこまかいことは別にええやんって感じなんだけど
今や三国志系をぶっちぎって中国史モノの頂点に君臨するキングダムの斉王、王建王は作品が偉大過ぎるだけにちょっと気になる >>543>>547
西周の武王の曾祖父の古公亶父の長男・太伯の末裔が開いた国が日本だと言うのも、かなり無理がある設定だな。 >>542
宇宙大将軍様に
なんで国姓を「劉」に改めなかったのか
と言うぐらいの失言 >>543
劉淵の先祖が(匈奴に降嫁させた)前漢の公主だった、
と比べると? フン族=北匈奴説
柔然=アヴァール説
信憑性ある? 柔然「ヒャッハーwwwww」
北魏「おのれ蛮族め!」
劉宋「あれはお前らの昔の姿やで…」 趙宣之をググってみると
何故かナイツ塙が先頭に出てくるのな… 創作で菩薩皇帝をイケメン(内面含めて)&有能に描くとその後の劣化ぶりが無残になる典型
https://i.imgur.com/aR1230c.jpeg 創作は人気商売である以上イケメン化はやむを得ないが…
チャイナ美男子=背中に垂れるロン毛から離れられないのは何故なのか…
そこに肖像画と冠があるじゃろう? 60位で亡くなってたら南朝最高の名君として称えられたろうに長命過ぎて晩節を汚してしまった >>562
清・乾隆帝「68歳で死んだ朕は丁度よかったのか。」
南宋・高宗「55歳で譲位した朕も丁度よかった。」 最初の皇帝「十全老人並みに碌なこと書かれてないのにもうちょっと長生きしてればとも言われる朕」 菩薩皇帝どうなんだろうな
後継者争いで結局国はボロボロになってそうじゃない?
宇宙大将軍が引き金か菩薩皇帝の死が引き金かの違いで >>562
48歳で亡くなってる苻堅の晩節汚しはもっと悲惨
蕭衍は捨身始める前に昭明太子に帝位譲って
思う存分仏教信仰してれば 隻眼の皇帝ってこの時代の蕭繹と苻生くらいか?
ふたりとも強烈なコンプレックスの持ち主よね 孫権、司馬炎、李隆基
晩節がアレなのはやっぱこの3人かな
そして海陵王は石虎の生まれ変わり 蕭衍は死因餓死なのが凄いわ
何もなければ100近くまで生きてそう 梁の皇帝は餓死に圧死に溺死にろくな死に方してないな >>569
孫権司馬炎は反乱起こされてないしマシな方なんじゃ
つか二宮の変はそれこそ東晋時代なら陸遜が建業まで兵を出して孫権を隠居させるか土下座させてたはず
なんだかんだ言っても家臣の頭をきっちりと抑え込んでたのはさすがよ >>568
元祖独眼竜・李克用は即位していなかったか。
息子の後唐の荘宗・李存勗によって太祖と追合されてはいるが。 >>575
田中芳樹「奔流」のコミカライズ
原作とかなりキャラは変えてる >>568
蕭繹と苻生との後世での評価が雲泥の差で泣ける
苻生は蕭繹みたいに本の虫になっていれば…
いつの世も酔っ払いには厳しい世界 >>577
苻生の記録は不自然なほど少ないうえに残っている記録も改竄された疑いがあると指摘されているんだよな
洛陽伽藍記に「苻生は思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった。暴君という汚名を着せられてしまっている」という評価が載っている 苻生は軍事面での功績が大きすぎて度を超えた!暴虐に書くしかクーデターの正当性ができなかったんだろう 陳舜臣先生も「苻生の暴虐エピソードは盛られ過ぎ」とか指摘してたな 一方で仏教保護してるのに洛陽伽藍記でも暴虐を否定して貰えない石虎…
クズ貴族なのに何度も洛陽伽藍記に登場する石崇… 苻生の治世中、前秦は一度も侵略行動を起こしていないんだよな
敵に攻め込まれたら返り討ちするという程度で、捕虜を穴埋めにすることはなかった >>577
內積猜忍,外崇矯飾とか言われるし書の五厄に数えられるし割と散々じゃない?
顔之推くんはなんか褒めてたけど焚書をどう思ってたんだろう >>577
內積猜忍,外崇矯飾とか言われるし書の五厄に数えられるし割と散々じゃない?
顔之推くんはなんか褒めてたけど焚書をどう思ってたんだろう 「俺は沢山の書物を読んで学んだのにこういう状況になってるじゃねえか!!」←焚書
なんか現代にもこういう人いそう ローマ帝国時代は下級兵士や庶民までも文字を読めたが、西ローマ滅亡後で文字が読み書き出来たのは教会の神父だけ
中国は西晋が滅んで五胡十六国時代になっても漢族知識人は勿論五胡も読み書き出来た
この違いを説明出来る人いる? >>587
身内で争うとか胡族を呼び込むとかした後の末路を史書から学べなかったのか ・五胡は漢民族ありきの国家運営にかまけたのに対し、西欧は酋長制を更に階層化しただけの閉鎖的社会が続いた
・政治と文学が混濁している中国に対し、ローマは政治と文学が乖離(むしろ衆愚化の道具)していた
・中国は文明に依存するプロパーの人数が桁違いに多いが、ローマは雑多な民族の集合体で共通のイデオロギーがなかった
・中国は域内の統一が至上命題であり文化圏の包含に勤しんだが、ローマはベネチアやビザンチンとして逃げ延びた
大体こんなとこか
改めて考えると、不必要な機能は消滅するという自然の摂理によるとこが、東西を大きく分けたな
識字が統治に必要なビザンチンでは、当時の記録からして割と識字率は良かったようだ ・中国が製紙の発達により文章の伝達や保存が可能な紙が大量に生産されたのに対して、
西欧はエジプトから輸入していたパピルスが途絶えると、製造に限界がある羊皮紙しかなかった。 藩校や寺子屋みたいな教育施設があったから日本は江戸時代の識字率が高かったという
清はそれまでの王朝と同じく上流階級や金持ちは老師を家庭教師として雇ったり、その人の元へ通ったりとするが、庶民は放ったらかし…その結果が今の簡体字
朝鮮も同じくで、ハングルも世宗が漢字を読めない庶民向けに作ったもの >>592
しかもそのハングルすら普及しきらず20世紀でもローカル文字が20種類以上あったとかいう修羅の国だからな
不完全に写した結果文体が変わったアルファベット派生よりも酷い 空白の4世紀
邪馬台国が30程の国を支配(宗教的権威で統治)→大和王権による統一国家(武力で支配)
墳丘墓→巨大な前方後円墳
戦乱が終わり環濠集落も姿を消す
弥生時代にはいなかった牛や馬の登場
中国の歴史書にはあるが、記紀では存在しない邪馬台国
騎馬民族征服王朝説?
邪馬台国が大和王権に進化?それとも大和王権が勃興して邪馬台国を併合した?
そもそも邪馬台国は九州?近畿? >>594
DNA解析で否定されてるもんをいつまでこの基地外は嘯くのだろうか >>588
>>590
むしろ地中海と周秦漢とかいう地勢も気候も隣接地域・勢力も違う二つの世界の割りに大差ないんじゃないか、という気もする
西ローマ滅亡後の西欧を大雑把にチャイナに当てはめると西域とか南越とか内蒙古になりそうだし >>596
それどころか西欧が五胡、アナトリアが東晋てな具合の地勢よ
唯一の国家という思想が厳格だった中国と、そもそも征服地だらけで他国という存在がありふれた(がゆえに支配の及ばない地域を容認した)ローマ帝国っていう差がデカい
仮にローマ帝国でユダヤ教が勃興してたらチャンコロになってただろうが、ギリシャから多神教ラーニングしてたのが功を奏した
あと倫理コードや行動ルーチンは東西を問わず文明レベルに応じて一定のタイミングでアップデートされてるから
文明発展への阻害がなければ地勢の差はそこまで影響を及ぼさない
(五大欲求や枢軸時代を参照) >>584
書の五厄込みで王夫之とか司馬光とか儒者からの評価散々だな蕭繹
でも侯景倒した分込みで何之元とか虞世南とか
孫呉系貴族からの評価マイルドになってる感が カールの戴冠(西ローマ帝国の復活)や神聖ローマ帝国とか見てると中世でもローマの権威はしっかり残ってるかなと
ビザンツ帝国については滅亡したその日まで自称は「ローマ帝国」だった >>598
そりゃ先祖の行為を見習う+中途の偉業を引き継ぐのが孝として尊ばれる世界にあって、先祖の行為をリバースエンジニアリングできなくする焚書は非難されて然るべきよ
(見習うべきものがない=どん詰まり)
アレキサンドリア図書館と知恵の館の焼失は、そうでもない世界だった+ヴァカチンとユダヤにとって都合いいから近代まで許されてたがな 【悲報】スレタイ、ホラッチョだった【南北朝はジョガイジョガイ】 >>576
「奔流」は漫画化するのには良いチョイスだと思うわ
主人公の陳慶之をはじめキャラ立ってる人物ばかりだし
メインの話である鍾離の戦いも漫画映えすると思うわ 鍾離の戦いは南北朝最大の戦いだからもう少し注目されてもいいかな
北魏の元英、楊大眼や梁の韋叡、曹景宗などの武将は >>599
国家の重心をあまり南に移さなかった五胡北朝隋唐みたいなヤツじゃね?フランク王国は >>605
時代を問わず南北分かれてる時は武力的には北側が圧倒していて南は局地戦で戦術的な勝利はおさめられるけど基本圧迫されるという理解でいいのかな? 大規模な戦役の割に鍾離の戦いの知名度が低いのは
この戦いが歴史を大きく変えた戦いじゃないからって気がする
負けた側の北魏もこの戦いが原因で衰退したわけでも無いし勝った側の梁も勢力を大きくしたわけでも無いしな 淝水の戦いは文字通り歴史を変えた戦いだからな
もしも前秦が勝利したら天下統一が成って歴史が大きく変わった可能性が高かった >>608
参合坡みたいに後の趨勢を決めてしまったような戦いではなく、大規模な衝突ってだけだとね
北魏梁両国の趨勢を語る上で外せないイベントだったらしょっちゅう語られるだろうけど
この時代で語られるのはあくまでも国の存亡とその趨勢だからね >>611
どの時代でも国の存亡の可否はデカい
この時代に限った話でも、勝率や戦果なら石勒より石虎のが上だが
石虎は敵を滅ぼす大一番の戦いで敗北(劉曜,慕容恪)するのに対し
石勒はいくら負けても復活するし大一番では勝つところから
石勒のが強く感じるのと似てる 秦、新、西晋、隋
短命の統一王朝
一番まともなの秦か? 秦はChinaの語源になってる説なので・・・
しかし秦(Qin)、新(Xin)、晋(Jin)、清(Qing)なので
実は南朝陳(Chen)がChinaの語源ではないかと思えてくる 秦は「初めて中華を統一した事」自体前代未聞だったしな >>615
あれで中華世界の枠組みが出来上がったからな
その功績のデカさは始皇帝ペルシャ人説や呂不偉ユダヤ説といったもんが出るのでも分かるとおりよ
短命統一王朝の中で抜群のハズレは西晋だろう
秦(前漢)、新(後漢)、隋(唐)と違い、思想を換骨奪胎した中長期的統一王朝が現れなかった
後継といえる東晋なんて、反西晋イデオロギーに傾いた時に強く、親西晋の時は惰弱て散々な推移ののち劉宋以降の腐敗体制に行き着いたってオチだし 炎「だってぇ、名族とかいううるせえ奴らが言うこと聞いてくれないんだもん」 始皇帝の事業は今で言ったらEUを統一国家にするくらいの偉業やからね >>617
まあ西晋は後漢~曹魏の延長国家とも言える 皇帝がうるせえから言うこと聞かなくていいよう河内司馬氏が名族代表として担ぎ上げられた
っていう事情を炎はマジでわかってなさそうなのがなぁ
後漢曹魏だけでなく、前漢太祖と武帝の遺した呪いまで引き継いでる王朝って感じ >>614
古代と現代では同じ漢字でも発音が異なっているから現代の発音で考えても、あまり意味がないと思う >>616
蛮族にヒャッハーされて中原から追われて南遷という点では
西晋は北宋と大して変わらないのだが
素人目にも西晋と北宋は全然別物にしか見えないのが(ry 西晋(に限らんけど)は皇帝しのぐ権力握る→ヒャッハーなパターン何回やってんねんっていう
諸葛亮みたいなやつの方が特殊って誰かいってたけどそうだよねってなる >>623
あんだけ謙譲した霍光すらも最終的に族滅したって前例が響いてる
即座に逃げる、殺される、段階的に逃げる、簒奪するの選択肢しか残されなくなって、西晋の場合は大多数が簒奪をゴールラインに示した結果、終わりなき闘争に行き着いた
唯一それを否定した乂(越は簒奪の大義名分がないため除外)もスタートラインが恵まれてた甘ちゃんに過ぎない 桓玄がとっとと簒奪したのは
パパの桓温が禅譲しようとして周りに時間稼ぎさせられて
タイムオーバーになったのを反面教師にしたからだろうな >>624
霍光は海昏侯を廃した前科があり、親族が宣帝の許皇后を毒殺してしまったから、死後に族滅されたのは自業自得だったりする
史書では海昏侯が暗愚荒淫だからやむなく廃したとあるけど、実際のところは海昏侯が霍光の言いなりにならないほど聡明であり、海昏侯の側近が霍光を除こうとしたからだという説が浮上している >>625
焦った結果軍功が足りないまま簒奪しちゃって結局破滅するのホンマ… >>626
まあ嫁毒殺が響いてるわな
でも許皇后の産んだ子(元帝)が宣帝が遠ざけてた儒者や士大夫を重用して結果としては王莽さんの簒奪コースになるんだから歴史のピタゴラスイッチ感半端ない >>627
なんだかんだ言っても
劉裕→長安奪還
蕭道成→劉帰藩の反乱鎮圧
菩薩皇帝→東昏候を弑逆
これと比較すると明らかに武功が足りてないんよな
劉牢之も勝手に自滅しただけだし >>628
あの馬鹿については太子の頃から分かっていたのに廃せられなかった
これが霍一族への恨みの大きさを間接的に表してもいるわけだしな
法の人とされる宣帝の行った“情の裁決”ってのがどれだけ重くのしかかってくるか、人の性を感じるわ >>623
諸葛亮は晴耕雨読のニートから仕事の虫で過労死
中華歴代皇帝でも偶に仕事の虫は居れど
それなりに権力弄んだり珍味楽しんだり後宮でヒャッハーしたりで人生楽しんでる
諸葛亮に関しては部下の仕事迄自分で裁決し
粗食で嫁舞祭組と人生何が楽しいのかわからん
五胡南北朝どころか中華のは歴史上ほぼ皆無の
変態中の変態なので特殊どころか唯一無二の変態 そういや誰か作家が諸葛亮を「三国志演義では清廉潔白で仕事に忠実で暗愚な皇帝に尽くした
忠臣中の忠臣として描かれてるけど珍しく不思議なことに実際の人物も概ねそういう人物だったらしい」
みたいに評してたのがいたな、司馬だったか >>629
とはいえあそこからすぐ滅ぶのはわけわからん
劉裕がおかしいでいいのか >>633
甲家の権益を侵すとどうなるかの見せしめみたいなもん
国自体の権限やリソースが弱いから、甲家に担がれる≒激強リソースが加えられる劉裕のが遥かに強かった 考えてみたら六朝トップの孫呉も初期は孫堅孫策の武勇ありなとこあったし、しょっちゅう人殺してる描写のある孫策も(直接殺人をやった描写が正史三国志にあるの孫策くらい)地元豪族には丁寧な態度とってるから腕っぷしの強いチンピラをインテリが神輿として担ぎ上げるのは六朝のテンプレかと想像される
(初代でインテリ層は菩薩皇帝くらいだし) >>634
まさかとは思いますが、この「甲家」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか
あなたの病気は悪化しています
あり得ません。専門家の意見を聞くまでもないことです >>631
苦役で自身が傷つくことを誇りに思ってる異常者(おそらく情報提供者は徐庶)だからな
儒教的な視点からも常道を外れてる特異な存在
>>635
漢自体が、お山の大将をインテリがおだてて暴力装置に使ったとこから始まってるからな
自由には責任を伴うって言葉と、それに対するゴール(責任取らずに自由を行使する立場)は昔から真理であるというのを知らしめている
こう考えると王敦王導はエグい両建て成功したなって感じ >>639
ジェンガの達人
関わったもんをボロボロにしながら美味しいとこを持っていったり生き残る能力が高い
宣帝なんて人間不信の小僧のお気に入りになったおかげで、政治センスないのに事実上の君臣最高位の録尚書事だからな
その後も州大中正制定や子孫の皇帝廃位&惨殺&筆曲げ強制、同族殺し、清談の腐敗、贅沢のための我尽などで全方位壊してるあたりマジで凄い
悪貨が良貨を駆逐した 酷い言われようだが
司馬氏は元々軍事系の家系なのに
『司馬法』『史記』『子虚賦』『続漢書』『史記索隠』『資治通鑑』
などの文学史学系で結果を残した事は同じ軍事系の琅邪王氏よりも優れる 司馬氏は居るのに
司空氏とか司徒氏とかほぼ聞かないのは謎 >>645
司徒とか司空なんていうのが置かれるようになった頃には単姓がデフォだし
そこら辺と並べる大司馬は司馬氏のルーツではない >>645
司空は古来から存在する複姓だが元代には蒙古人や色目人も名乗るようになったので明代になると唐や宋や杜といった単姓に変える者が多かったので中国では少なくなった。
却って唐末の黄巣の乱を避けて新羅に移住して帰化した者の子孫は司空の姓のままだったので現代の韓国や北朝鮮にも複姓としては比較的多く存在する。
2000年に韓国で行われた調査によると司空は133位の約4300人で韓国の複姓では南宮(約18000人)・皇甫(約9100人)・諸葛(約4400人)に次いで4番目に多く、現代の韓国でも財務部長官を務めた司空壱や大邱高等裁判所長を務めた司空永振や韓国プロ野球の斗山ベアーズに在籍した司空よう(火編に華)といった人物がいる。 呉三桂が李自成よりドルゴンを選んだ理由とは
同じ漢民族とはいえ下賤出身者に従うくらいなら、辮髪にして異民族に従った方がマシってことか
てか五胡の髪型ってどうなん?漢族みたく総髪?それとも蒙古や女真みたいな辮髪?
北魏までいくと絵画を見る限り漢服総髪になってるけれど >>648
南匈奴あたりはもう漢人と区別つかない格好してたんじゃね
劉淵ファミリーあたりはエリート士大夫の格好してたろうし 戦国趙の武霊王辺りから漢人も胡服着たりして
文化融合し過ぎて漢人も胡人もあまり違い無さそうな
とはいえ近代のチャイナドレスは満服なので
漢胡に完全に染まってない文化も残ってたり 霊帝は確か胡服(半袖短パン)好んでて(ソースは後漢書五行志)大臣たちがそれに追従して真似したとか草なんだな
北斉時代に漢人が鮮卑の貴族に媚びて琵琶習ってるのを嘆いたた顔之推=センセイもお嘆きになろう 胡服は西洋に伝わった一方
漢服であるほぼ絶滅で残念
まあ機能性考えると残当 >>656
この時代を最終的に完結されたのが十全老人様と考える見方もあるw 漢族「夷狄が中原を支配する資格なんてねーよww」
雍正帝「舜は東夷の人だったし、文王も西夷の人。徳があれば夷狄でも中華たりえるんだお!はい、論破」 >>629
これみると桓玄も北伐すれば良かったのにと思ったが
武功の為に北伐しても桓玄が姚興相手に勝てたかというと謎
桓玄こいつ王敦と同じ内弁慶の臭いしかしないからな 慕容部とかは徳こそが大事、徳があれば蛮夷だろうが関係ない論を展開するのに
劉淵の「俺は漢の血もひいてるから俺こそ漢の正当後継者」論はやはり強い >>662
その慕容部から「徳など実にくだらなくて生温い。民は法と刑罰で律するべきだ」という苛烈な法家思想の庶人天王を輩出したんだから皮肉なもんだ >>662
慕容部は漢民族を家畜化してる段階で既に徳を騙る筋合いないのがポイントよ
現代の資本家や古代のパトリキ、豪族らとさして変わらない
そんで前秦への降伏後の分裂を見るに上っ面だけだったというのも証明されてるのが何ともスイート >>662
人徳云々は劉淵も「禹王は西戎、文王は東夷だ。出自は関係なく徳をもっていれば聖王になれるのだ」つっとるから
ただ劉淵は漢王朝の義弟ポジションに加えて本人がエリート士大夫だから説得力が段違い >>662
どちらの論もわかるがどちらも天下統一できなかった
で「朕は天子なのに自由がない」という恐妻家が天下統一するとは
泣ける >>666
旦那の楊堅よりも(十二大将軍の中で11位)嫁の独孤氏(八柱国5位)の方が身分が上なんだ
悔しいだろうが仕方ないんだ >>668
事実「二聖」と言われてるんだ
旦那より身分上でしかもオヤジの独孤信は楊堅のオヤジの楊忠の上司なんだ
さらに宰相の高熲のオヤジも独孤信の家人で独孤姓を名乗ってた時期もあるほどなんだ
これで調子こかなかったらどうかしてるんだ 高熲て本貫から高歓の同族と思われるのに
北斉皇帝貴族と違い奢侈乱行の気が無いという
渤海高氏の一族としては珍しい変態 今電子化された福原哲郎「西晋の武帝 司馬炎」を読み直したけどやはり嫡流や直系が途絶えすぎよな
司馬師→男子が産まれずに司馬昭の息子(司馬攸)が祭祀を継ぐ
賈南風→男子産まれないのに愍懐太子司馬逸と揉めて殺害し結果としては司馬倫に決起させる口実を与える
司馬逸→3人しか男子作れずその息子3人も二人は倫に殺されて残り一人も302年に病死
こんな有様じゃ公権と私権の区別もできず「あいつが専権振るえるのになんでオレが……」と吹き上がる連中が出まくる(それかそれを煽る側近)わな にしても倫太郎の勘違いぶりはなあ、文字も読めねえくせに・・(曰く「全部孫秀のせい」) 強化版司馬倫の司馬穎さん
なまじ人材も人望もあるせいで取り返しのつかない事をしてしまう >>673
軍事力欲しさにフリーの劉淵GETしたはいいが酷使したのは致命的だわなぁ
次点でいい子ちゃんの司馬乂に政治させなかったことか
司馬穎は単なるノータリンなら良かったんだが、行動力と出世欲がカンストしてるから手に負えない >>672
同じ無学文盲でも武陵王司馬晞は桓温が忌避するほどの剛毅な猛将だったにもかかわらず謙虚な人柄で褒賞を与えられても決して受け取らなかったのになぁ… >>675
倫と違って識字障害とかなんじゃないのん? >>671
司馬氏は嫡流直系は断絶気味だが
傍流は蝗の如くなので
石勒が滅しきれないぐらいの司馬氏王族数多 魏呉蜀どこにもいる諸葛氏
西晋や五胡十六国・南北朝では大人しくしてるね 五胡十六国時代でそれなりに有名で事績がある諸葛氏
諸葛長民しか思い浮かばない 孔明の養子の孫・諸葛顕は東晋の時代まで存命で王羲之と交流があった 東晋初めまでの諸葛氏は名士な感じなのに、東晋末の諸葛長民は粗野で野蛮な軍人って感じ
この頃は弘農楊氏もそんな感じになってるけど 諸葛長民はアレ過ぎて諸葛氏のどの系譜からも外されてるが
諸葛亮の子孫の可能性もあるのを考えるととても楽しい 要するに五胡十六国時代になると諸葛氏は華北が所轄ではなくなる、ということだな >>686
おーい山田くん、>>686の座布団全部持ってって! 丞相の孫が粗暴な軍人って王鎮悪が真っ先に思い浮かんだw >>688
むしろ仲達の子たる司馬倫が文盲かつ粗暴という >>689
司馬倫は司馬懿が死ぬ前後に生まれたガキって説もあるからな
ろくに教育されてないからこそ周囲の助言が必要不可欠になり、転じて御輿に使われてる
これは後の司馬穎と似ていて、担ぎ手と正統性の違いで比較的長生きできた
対して司馬熾は政権強奪や劉聡へのおフェラ豚っぷりを見るに、曲がりになりにも独学してたのが逆効果になった例だろうな 七男司馬駿が232年生まれで炎が236年生まれだから年下も十分あり得る >>691
むしろ炎よりひと回り以上下の可能性も十分にある
宗師(八達起源の司馬氏の年長者)の立場に他の家の子孫ばかり選ばれてるとこからも、少なくとも司馬亮以降の司馬懿直系<他の系列の息子や孫世代って年齢層なのが分かるが 司馬炎=236年生
司馬倫=不明(240年生説あり)
司馬懿の6男司馬榦、7男司馬駿が232年生なので
司馬懿の9男司馬倫が司馬炎と同年代の可能性は高い
司馬懿の子供全員字が「子*」なのは面白い その司馬懿の兄弟の字も全部「◯達」だしな
なんか拘りでもあったのか? 蕭衍の子供が次男以降は世○なのに蕭統だけ徳施なの気になる 宇文泰の子共も字が〇〇突なのに3男の宇文覚だけ陀羅尼
これは世子だからかな 元帝・司馬睿の子の字は『道○』
明帝・司馬紹の子の字は『世○』
成帝・司馬衍の子の字は『○齢』
簡文帝・司馬昱の子の
孝武帝・司馬曜の字は『昌明』
司馬道子は字も同じ『道子』
孝武帝の子の
安帝・司馬徳宗は字も同じ『徳宗』
恭帝・司馬徳文は字も同じ『徳文』 どんぐりで書き込めない
のはある意味五胡十六国時代よりも酷い >>698
劉備に憧れてるかどうかは分からんが劉禅に懐帝と諡を贈ってるし
蜀漢をある程度は意識してたのは事実だろうな そら献帝劉協にも蜀漢が贈った諡号である「愍帝」って読んでるからな ファッションとしても、そういうのをやるくらいには当時から劉備と蜀漢って人気あったのね その割には劉備の子孫はほぼ族滅に追い込む劉淵一味… >>703
そら「兄(漢王朝)の仇である曹氏司馬氏を弟(匈奴)が討つ。司馬氏は懐帝(劉禅)に虜囚の恥辱を与え漢王朝の社稷を絶えさせた。その恥辱を晴らす」って建前だから当然曹氏司馬氏に滅ぼされた蜀漢の劉備は持ち上げますわ >>704
???「証人は消せ、為政者の鉄則だ!」 >>705
その割には曹操を高評価する劉淵一味(石勒除く)… 漢好きなのは劉淵だけじゃないのか
と思うぐらい旧漢皇族劉一族虐殺したり
わざわざ漢名乗ったのに漢捨てて趙になったり 石勒の高祖リスペクトも底辺から這い上がった高祖劉邦への共感もあるけど、それ以上に匈奴漢の正当な後継政権アピールと考えられる ゲルマン人はローマの文化に染まらなかったが、キリスト教はすんなり受け入れた
五胡は中華文明や儒教にアレルギー反応を起こしたが、仏教はすんなり受け入れた
一神教と多神教の違いはあるけど何か通ずるものがありそうだ 漢趙は劉淵とそれ以降みたいな
劉聡くん素行悪すぎる >>712
あれは西晋の腐敗貴族の真似してたんじゃないのん?
劉淵の後見人的な立場の王渾の息子の王済も皇帝に人乳で育てた豚食わせたりと大概な奴だったし、ああ言う連中の振る舞いばかりみてたらそら悪影響受けるわな
だいたい恵帝にしてから雑に退位させられて復位しても一服盛られて死亡とかなんだから劉聡からしたら「まあこいつら雑にあつかってもいいか」的なムーヴになるんや というか漢族の悪習を廃止するどころか真似してしまう時点で(ry
スレチだが後唐も遼も金も元も清もやらかしたしな 中華文明という名のブラックホールに取り込まれていく人々・・・・ 子貴母死で外戚の専横は防げたが、皇族同士の血で血を洗う争いとか北魏からもろに中華王朝的弊害が出てくるね…
>>714
清は明を反面教師にして宦官を重宝しなかったのが功を奏した
あと太子密建で皇位継承争いを防いだのも良き
清に暗君なし 話の流れぶった切ってしまって恐縮だけど今発売中のビッグコミック
チーリン 魏延と郭淮が登場
宗像教授 鉄勒・丁霊の考察
こんなかんじ 武闘派公家はやはり藤原隆家、北畠顕家、一条房基の3強なんよな >>716
宦官って皇帝から権力を奪おうとする輩への防波堤だからな
宦官=悪ではなく、皇帝と挑戦者(外戚、官僚、貴族、宗教指導者など)の抗争で国が荒れるのが悪よ
清はとにかく満州民族の結束でそれを防ぎ続けたのが功を奏したし
衆愚化した明の功績にただ乗りできたのもデカい >>712
劉淵は血が匈奴なだけで中身はバリバリの士大夫だからな
生まれと漢民族ロジックを使いこなしたからこそ、漢永続論に則って行動してる
劉聡はそこら辺の知識が欠けてたからキン準反目の原因になったし、劉曜に至っては「趙王石勒」を認めないために国号変えたりと、漢民族ロジックをかなぐり捨ててる それこそ高祖リスペクトで「石勒よ堂々と趙の王と名乗れ」と言えば良かったんや >>720
「西晋の武帝 司馬炎」を読み直してみるとやはり曹丕が宦官の政治任用を禁止にしたのはアカンかった
士大夫の支持を取り付けるためとは言えあれじゃ皇帝が手足縛られてるようなもん >>720
趙高「せやね」
十常侍「まったく」
黄皓「はい」
宗愛「そうよ」
王振「ふむ」
劉瑾「うぃ」
魏忠賢「うむ」 >>724
チミら挑戦者として皇帝侵食しとるんやで(ニッコリ) 日本だと天皇は最悪島流し程度だけど、中国だと皇帝でも外戚・宦官風情に普通に容易く殺されてるからな
あと敗れた者の逃亡先だが、北のモンゴル高原や、東の朝鮮・日本に逃げるのはよくいても、
西のチベットやカザフスタン方面や、南のベトナムに逃げるのはあんまりいないんだよな >>720
結束なんてないよ
八旗は堕落して使い物にならんくなってたし、満州族でさえ満州語を話せなくなるほど漢化していた
清は順治と三世の春という皇帝ガチャ4連発大当たりがデカいよ >>724
黄皓ってそいつらと並べられるほどの大した悪でも無いだろ >>728
劉禅と姜維の対立の板挟みになった連絡役だからな
演義ベースだと絶対悪扱いだが、正史だと詰め腹切らせるだけのロジックもない奴だった >>728
>>729
単純に阿斗ちゃんからしたら自分の言うとこ聞きそうでなおかつ仕事できそうだつただけやからね 馮太后、則天武后、西太后
北魏・唐(鮮卑)、清(満州)
胡族王朝では女傑が出る法則 西太后は女傑なれど軍事費を自身の浪費に使う等
清朝で珍しく一二を争えるほどの無能ぶりのおかげで
日本は日清戦争勝利できたのはありがたい
写真のおかげで美人に程遠い橋爪功(渋沢栄一)系BSが
後世に語り継がれるのか可哀想だが
逆に馮太后や則天武后を写真で見たかったのはある >>732
漢族王朝の皇后は後漢の光武帝の陰皇后や明の洪武帝の馬皇后ら女傑と言うより良妻賢母タイプが多いな。
たまに前漢の呂后のような例外もいるが。 呂后ってある時期まで良妻賢母である時期以降はっちゃけたイメージがあるけど
読んだ創作物の影響かな 古今東西
佞臣・奸臣だと思われたのが実は諫臣・忠臣だったり
その逆だったりするしな 石虎「いくら何でも盛られ過ぎだろ」
海陵王「だよねー」 残虐非道な暴君とされているのに洛陽伽藍記で「思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった」という真逆な評価をされている苻生 石虎の息子はなんでことごとくクレイジーなんだ
それをはるかに超えるヤバイ奴に滅ぼされるけど 姚弋仲だっけ?
石虎に「お前の教育が悪いから息子は争うし庶民は苦しんでる」ってはっきり言ったの >>740
そう
石虎に必要だったのは姚弋仲みたいに対等に渡り合える奥さんだった
後継者問題も、頭パーな奥さんによる二転三転と、強引な手段でしか収拾しない石虎の合わせ技によるとこがデカく
子供も教養を覚えない上で強引な手段を見習った結果ズタボロ 石虎の最初の夫人郭氏は石勒が仲人をしただけあって賢婦と名高く、石虎も一目置くほどだった
しかし、側室の鄭桜桃(どういうわけか美少年とされることも)が讒言したため、郭氏は無実の罪で誅殺されてしまった
もしも郭氏が生きていたら、石虎の死後わずか数年で滅亡することはなかっただろう 石虎もそれほど暴君じゃないだろうけどな。
在命中に国が滅びてないからね。 それどころか荒廃が蔓延して弱小国家しか産まれないor外敵にかっさらわれるっていう腐敗国家テンプレにならず、うまく遺産を取り入れた前秦前燕が繁栄して雌雄を決したわけだからな
曲がりなりにも死後まで国土を戦場にすることはほぼなく、賊も蔓延らせなかったのが功を奏してる >>743
始皇帝と同じで死後数年も持たず国崩壊して滅亡なので
自身の治世は恐怖で国を保っただけの暴君扱いされても致し方ない >>738
苻生と同じく仏教保護したのに洛陽伽藍記でも擁護してくれなかった石虎… 秀吉に似てるよね。石虎
後継者問題の失敗。
土木工事を起こしたこと。
大規模な戦争など。 >>746
石虎と苻生は親子以上の年の差なのに
治世の時期は数年しか離れてないのは意外 ジャニーズの騒動とか見てるとどれだけ巨大な帝国を築き上げても独裁権力者が没してしまえば一気に崩れ落ちるくらい脆い状態になるんだなって思った >>750
儒学者の前でそれを言ってのけた庶人天王って色々すごすぎる 孫皓、司馬衷、石虎、劉c、蕭宝巻、高緯、宇文贇、陳叔宝
北も南もやべーのばかりで劉禅が相当マシに見えるな・・・ >>752
単なる暗君の先代を倒したものの、石虎を真似してハイパー暴政をしいた李寿も忘れずに 暗君:ただの無能
暴君:能力はともかく迷惑な存在
ひでえ君主ってのはこの二つに大別できるだろうな
前者の代表はやはり晋恵帝衷、ただこれは歴史に埋もれたのも多い、あとここで必ず上がる万暦帝って実はかなり微妙なんだよなあ、一応ここに分類されるが。とにかく何も出来なかった連中だな。
後者の代表は始皇帝や武帝の類だろうな、我らが虎吉もこっちに入るだろう。勃勃も当然ここ ここで菩薩皇帝ってよく見るけど正しくは皇帝菩薩だったような気も >>750
ただし徳なき法は世界を腐らせる
資本主義も科学的共産主義もまさにこの道を辿ってる 庶人天王「徳とかいう甘っちょろい考えが人を腐らせ犯罪に走らせる。だから周公旦は役立たずな徳を振りかざして裏切られて泣き言を抜かすのだ。この乱れた世こそ人を法と刑で律しないといけない」
さすが、犯人を拷問なしの尋問するのが生き甲斐で、十日に一回は裁判長として法廷に立っていただけある 庶人天王様…
『魏書』では「庶民大王」
『晋書』では「庶人大王」
でどれが正しいのか禿げそう >>757
皇帝大菩薩vs宇宙大将軍
東映まんがまつりかな? >>760
少なくとも、天子を騙っていい器ではない、と判断されていたのは伺える 『晋書』も庶人天王には「父母兄弟によく仕えたが逆境を過ごし、文武の官の地位を保全し、自身の輝きを隠して仇敵を殺害した。自分を罰して高慢になることの危うさを避け、身のこなしが軽い乱世の好人物であった」と好意的なんだよな >>760
『晋書』は唐の太宗の貞観22年(648年)に完成しているので太宗の諱の世民を避諱して「庶人大王」と記したのだろう。
他にも『晋書』は唐の高祖の祖父の李虎の諱の虎を避諱して石虎を字の石季龍と記している。 >>765
崑崙奴はインド〜東南アジアの肌の黒い人種を指すから
アフリカーナとは限らない フビライの絵に黒人が描かれてるね
オスマン帝国では黒人の宦官を使っていたようだ
黒人奴隷でいえば西欧諸国の悪行が有名だが、アラブ世界でも黒人奴隷を使っていた
去勢させたからアラブ人と黒人の子孫がいないだけ モンゴル系が故地に残ったものもいるのに対し、テュルク系はマムルークとして全て中東世界に移動してしまった
この違いは何だろう? 王莽「今日からお前は『匈奴単于』ではなく『降奴服于』だ。あともう王ではないから金の印も回収、代わりに木の印を使え」
匈奴「あ゛あ゛?」(反乱) そして下句麗
鮮卑については元から字面がかなりアレなんでこれ以上は下げようがない 大蒙古国皇帝奉書
朝廷「蒙古って…モンゴル人達ちゃんと意味分かって使ってるのかな?」 ちなみに今のモンゴル人に蒙古って書くとめっちゃ嫌がる
蒙古タンメンもダメ ソ連のお情けで独立させてもらった三等国のくせに生意気だな Chinaは良いのになんで支那はダメなん?同じ意味だけど 777ラッキー
西欧では666はサタンの数字、日本では4は死と音が同じだから不吉とされたが、中国でもそういう縁起の悪い数字あるの? >>778
そりゃ暗くて古い=時代遅れって意味だからな
ダウン症のダウンてのも、実はモンゴロイドのこと指してるし
未だにそういうのが罷り通ってるのが現実 漢民族は長子相続が基本原則だが、遊牧民は必ずしもそうではない >>777
中国でも四は死と同じ発音(スー)だから縁起の悪い数字とされていて、ホテルなどで801、802、803、805と4を飛ばして番号付けしているところもある。 >>771
貴様~!柔然を「蠕蠕(ぜんぜん)」や「芮芮(ぜいぜい)」と言い換えた太武帝を愚弄する気か~! >>782
台湾が四を避けてるのは知ってた(九は特に何も)けど中国でもそうか 武廟六十四将に高長恭がないだと⁈
他の時代・他国の将に比べても見劣りしない活躍はしてると思うんだが… >>783
柔然「ヒャッハー」
北魏「蛮族め」
劉宋「それお前らの昔の姿だからな…」 >>784
マカオのカジノにも4番台が無いところがあるから中華圏に共通して四は演技の悪い数字のようだ。 宦官って
1 志願者
2 罪人
3 異民族の捕虜
の3パターンだけど、
3について高麗・朝鮮人、契丹人、女真人、モンゴル人、ベトナム人、チベット人は聞くが、は日本人の宦官は全く聞かないな
白村江の戦い、元寇、倭寇、朝鮮出兵など中国の捕虜になった日本人も結構いるのに 西晋が異民族の傭兵で、唐が節度使で滅んだ轍を踏まないよう
明は全て漢民族99%の国軍でモンゴル人や女真人の傭兵はいなかった? >>788
孝文帝@北魏「怒らないでくださいね。あんたらって中華名乗ってるけど最初の皇帝は親の名前もよくわからず読み書きもできない腕っぷしだけが強いだけのチンピラじゃないですか」 >>791
土木の変の戦死者見る限り本人漢人でも親父や祖父がモンゴル人とかは普通におる >>794
それって降伏した帰化したモンゴル人やその子孫でしょ
野生のモンゴル人や女真人を明代中後期で傭兵として用いたことはあったのかなと まぁそれ言ったら五胡も西晋の段階でちょこっと漢化してるか >>798
不要な能力は消えていく、というのは科学的に証明されてる真理よ
文学でシノギを得なきゃ暮らせない世界であれば必死に覚えるが、それがなくても暮らせるなら覚えない
無学な貴族層が存在するのは西晋以降の腐敗のバロメーターでもある なんか>>795公を見ていると、虎吉とかが全盛期の冉閔(当時の石閔)ってこう何かあるたびに「スレ違い」って言いながら悶々としていたのかなあ
と想像出来てなんかえらく惨めに思えてきたw 司馬一族は無能でも政治力は何故かあるからタチ悪い
謝安を追いやった司馬道子とか 『魏書』島夷劉裕伝では、バクチで財産を使い果たしてしまい、
字もほとんど読めずに周囲から呆れられ、借金も返さずすさんだ生活をしていたとしている。 (国史事件からも分かるけど)鮮卑族ですら漢字読めるのに >>804
『魏書』だから信憑性が怪しいけど、劉裕は貧しい出自から無学で字がほとんど読めなかった、とある
また、劉穆之から「字が下手なら一枚の紙に六、七文字くらいの大きさで堂々と書けば良い」とアドバイスされたことから、かのナポレオンと同じく悪筆疑惑がある ありがとう
教養が無いのは疑わないけど魏書かー罵詈はフカしてそうだな
有名な字下手話でも一応書けてるし全くダメってことはないんじゃないかね 皇室に生まれた意思疎通はできる軽度知的障害や発達障害とかどう生きてたんだろ >>808
王義之さんの居た時代だから字の上手い下手はかなり重要だったと思う
悪筆は文盲レベルの批判があったかも
今でも重要と聞くね >>809
世話係がいるだろ
というかおまいらが知ってるパターンだろ >>809
東晋の安帝なんか弟がヤングケアラーだったな >>784
日本では残さずに食べることが、中国では少し残すことがマナーだけど、台湾はどっちなん? >>813
宴席料理なんかでは中華と同じで少し残す
総菜料理(自分が好きな量と種類を頼むセミセルフバイキングみたいなあれ)の時は
出来る限り残さない、多く残したら持って帰る 明も日本と同じくスペイン・ポルトガルと交易あったのになんで鉄砲を大量輸入しなかったんだろう?(紅夷砲という大砲は輸入してた)
アレ使えばモンゴルだろうと女真だろうと長篠の戦いでやられた武田騎馬軍団みたく蜂の巣に出来たのに >>815
作家の陳舜臣が『日本人と中国人』で書いていたが昔から中国人は日本人に比べて個人的な修練による練達を必要とする武器より、あまり扱いが複雑でない武器の使用をの好んでいたそうだ。
例えば古代から中国で使われていた大型で複数人による扱いを必要とする弩は中国で多様されたが、日本では既に奈良時代に中国から伝えられていたのに日本では弓に比べ、あまり使われず僅かに途轍もなく大きい物を表す”超弩級”という言葉が残されているくらい。
つまり中国と日本での弓と弩との扱いの違いが明末に、それぞれ鉄砲と大砲に置き換わったと言える。 >>815
そもそも鉄砲に騎馬軍団が突っ込んで壊滅とか創作やぞ (超)弩級ってドレッドノート級の略で戦艦の話じゃなかったか 鉄砲より弓の方が扱いが難しいってアンゴルモアで習った ライフル銃出るまでの銃とクロスボウってどっちが精度高かったん >>822
少なくとも安土桃山の頃には、ライフリングない銃>>>>>>>>>>>>クロスボウだったのは判明してる
使うための道具一式さえあればクロスボウの出る幕はないんだろう
五胡十六国でも、コンポヂットボウが使えない勢力の苦肉の策みたいなのが弩だし >>823
さんきゅう
あんまりまっすぐ飛ばないのかクロスボウ 弩は春秋から火器出るまで重装騎兵ぶち抜ける主力兵器じゃん
複合弓の苦肉の策ってのはどっから出てきたのか知らんが弩級といい変な妄想湧き過ぎやろ 後秦を滅ぼして長安を陥落させた劉裕が真っ先にやったのは、捕らえた姚興の娘を妾にして大っぴらに寵愛した事だった
それを聞きつけた謝晦は血相を変えて「人心定まっていないうちに滅ぼした国の公主を無理やり妾にするのは徳に悖る行為です」と諫めた
劉裕はハッと気付くや姚興の娘を解放したのだった
後に、唐の朱敬則は、劉裕はこのように徳に悖る行為をしたから、国を長く保つ事が出来ず功臣の子孫が貴顕として残っていないのだと論じた 劉裕は長安攻略したのはいいけどその後はグダグダすぎて清々しすらある
仲間割れの末赫連勃勃にいいようにやられちゃって >>826
朱敬則君さあ李世民様の前でもそれ言えるの? >>825
つまり軽騎兵が主になるこの時代では資源の無駄遣い…とw >>830
×重装騎兵"だけに"有効
◯重装騎兵"にも"有効
春秋からずっと使われてるって言ってんだろ
無駄遣いなら戦車や戈みたいにとっとと廃れてるよ
あと慕容部とか禿髪部は早くから鉄騎使ってるけどどの時代のこと?スレタイわかる? >>831
ボウガンはバカでも使えるから残ってるんだろ
んでご自慢の鉄騎をぶち抜くボウガンの話まだか?
あと何故「鉄騎」なんてワードになってるかも理解してるか?
まじで呆れる
こういうのがしたり顔で「超弩級」とか広めるんだろうな 兄貴の李建成さんはボロクソに書かれながらなんだかんだ優秀ではあったみたいな感じなのに
弟の李元吉君は嫁さん奪われた上にボロクソのままなんだけど >>833
簒奪などがあった場合、ボロカスに貶す相手と共に、称える相手も居ないといけない。ただ貶すだけでは支持されんからな。
前者は元吉、後者が健成及び親父ってわけ。この選び方は結構絶妙だと思う
劉裕が失敗したのはこのあたりじゃねえかな、とも思うが >>833
李建成の娘(聞喜県主李婉順)と天可汗さんが仲良かったってのもあるんじゃ
天可汗さんは建成の息子は全滅させたけど娘は殺さず親代わりとなって嫁入りさせてる
ちなみに李婉順は漫画「長歌行」の主人公のモデルでもある >>834
劉裕はバック(王氏とか謝氏)が前王朝をリスペクトする意味がないって意向だったからな
罪家のくせに権益潰して皇帝集権考えた桓氏、太守クラスが関の山なのに勘違いして西晋以降やらかしまくった司馬氏に対し、リスペクトなんてする気概もなかっただろう
それで信望得られなくても責任は皇帝持ちっていう心持ちの影響は少なくない あの3000年の歴史が認める悪の中の悪、悪王の中の悪王レジェンド紂王でさえ本人は時々微妙に評価されてる
それなりに大きな役割を果たした人の全否定徹底ってのは案外難しいのでは?李淵に関してはなんと言っても王朝の開祖だし
(ソ連のように)創業者の悪口を許したり信仰を捨てた体制は終了のようなことを現代中国大陸の覇者も昔言ってたそうな
まあ李建成さんは本人と男系が皆殺しにされて十分ボロクソだけどね… >>837
紂王暴君説は捏造された疑いが強くなっている
孔子の弟子でもっとも優秀とされている子貢も「彼の悪行は言うほどではなかったが、悪をなしたために悪評全てが彼の責となったのだ」と疑問を呈している
それどころか人を生贄に捧げる儀式を残酷だと廃したのは紂王だったのが最近発掘された甲骨文字の文献から明らかになった
甲骨文字の文献から紂王は暴君どころか心優しい性格で精力的に政務をこなす勤勉な王だったのが判明している
あれ?なんか苻生が洛陽伽藍記で「思いやりのある心優しい性格で無闇に人を殺めたりしなかった」と評価されているのと似ているような… ちょうど、北周(季蜀)北斉(曹魏)梁(孫呉)の勢力なんだなぁ
https://i.imgur.com/lt7ViiF.jpeg
(三国志14PK追加シナリオ「235年1月 秋風越えて」より) >>838
暴君に仕立て上げるテンプレみたいなのがあるんだろうな >>841
子貢は弁舌だけでなく政治家としても極めて優秀で「史記」貨殖列伝に載るほどの資産家だった
死後、西南財神・端木賜という道教の財神として広く祀られた
司馬遷も「史記」仲尼弟子列伝で圧倒的に長い記述で紹介している
その才能は師である孔子をも上回るとされ、当時から孔子の弟子で一番優れている者として真っ先に挙げられるほどだった
最愛の弟子が顔回なら、最優秀の弟子は子貢といっていい >>832
極東の島国だと…
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A9#%E6%97%A5%E6%9C%AC
スレチになるのでリンクだけでも >>836
ただその皇帝の皆様が揃ってアレなのはどうなんでしょうね、劉宋って・・・・ 『南史』を編纂した李延寿は「劉裕は後継体制が不備なままわずか2年で崩御した。このため劉宋は短命になった。悲しいかな」と評している
南宋の葉適は『習学記』で「劉裕は名将であったが、長安を短期間で失陥する失態をやらかし、晋の二帝を簒奪の末に弑殺した。なんら恥じる事がなかったのはいかがなものか。劉裕を誤らせた劉穆之の責任は極めて重い」と非難している
『三十国春秋』を編纂した梁の武烈世子蕭方等に至っては「劉裕は、怨みに報復するとはいえ、些細な過ちを許す度量に欠ける。君主としていささか狭量なのでは。これでは短命に終わっても当然だ」と切り捨てている 劉裕の晩年は安禄山のように体調悪くて己の死期を悟ってたんじゃないの?と思う
息子がまだ若いから、自分がやれる事はやって息子に受け継がせたかったけど寿命が持たなかったようにみえる >>846
葉適先生は劉穆之がどんだけ嫌いなんだよ 数世紀にわたって繁栄した大帝国は
始祖が軍事・政治・健康・後継者に恵まれてこそ成立しえたな >>848
九錫にこだわったあたりが癪に障ったのか、食い道楽だったのが気に入らなかったのか・・・
寧ろ劉穆之の死で軌道修正が効かなくなった、って方が正解じゃないかなあ、と思う 隋は2代目が35歳で継ぐの結構理想的なムーブな気がするな >>848
葉適先生も好悪に正直なところは好感持てるが史家としては(ry
清史以降AIが編纂するようになったら好悪差し込まなくなるのは少し寂しい >>852
司馬史観じゃねえけど、人が意思を持って作ったものって妙に説得力持ったりするからね >>853
魏収先生「では、私の渾身の傑作『魏書』も説得力があるのですな!あなたの伝記を特別に無償で素晴らしいものにしますよ」
李百薬先生「ゴホゴホ…。駄作と叩かれたそれがしの『北斉書』も説得力があると…。ゲッホゲホ…。風邪薬飲まないと…」
裴松之先生「当然であろう!『三国志』は俺の注釈があってこそだからな!ただし、賈詡と陸遜、テメーらゴミクズはダメだ!」 >>853
意思を持って作ることで生まれる不完全性こそが、後世での伸びしろになるからな
完璧だとそれ以上は求められないことで誰も触れず見捨てられ消滅するし
単純な能力不足での不完全性はケレン味がなく心を束縛できない
内容をある程度知った上でキャッチーな脚色をすることへの需要や魅力は、スポーツ賭博のハンデ師に近いものがある >>856
まあ都市伝説とか陰謀説の根源はこれなんだよな
この時代もそういう不完全な魅力の集合体だしな
実際の虎吉やボーボー、文宣帝がさわやかナイスガイだったかもしれんしw >>838
甲骨文字でも擁護されない夏桀王…
洛陽伽藍記でも擁護されない虎さんに似ている 甲骨文字を使った人たちが桀王を擁護する理由無くね? >>859
寧ろ甲骨文字を使った殷人からすると前代の夏の最後の桀王が暴政していなければ、殷が取って代わる正統性が無くなるから尚さら擁護できないな。 何千年も前から紂王は言われるほどひどくないんじゃね?って言ってる人が居るのが面白い
煬帝が再評価されてる所もある感じか >>862
画一的な情報統制への反発ってのもある
ネットワークが発達したから、思考能力のある人間は、押し付けられてる正義や常識を疑う機会が増えた
そこに伝統的手法(昔の寓話や史書に現代への非難を込める)が加わることも少なくない 紂王は桀王のパクリ
マリーアントワネットは司馬哀のパクリ >>867
崔暹の未亡人李氏の話の事じゃね?
そういや直江兼続は上杉鷹山公が名誉回復するまでは
奸臣扱いで高洋と変わらんぐらいの低評価だったような >>847
石製ベッド壊さなくても数年寿命が伸びる姿は想像できない劉裕
洛陽長安陥して興奮してそのまま鬼籍入りしてた可能性も >>869
そのほうが南朝の中流〜下流にとって幸せだったというのが皮肉よな
劉裕以上に使いやすくて暴力と従順さを兼ね備えたラジコンガイジが見当たらんから、権益より改革って勢力が盛り返す希望が持てる 果たして東晋が存続することで劉宋や南斉より優れた統治が行われただろうか・・・?
・・・いやどっちも“優れてはいないだろ”は置いておいてw >>872
そいつらなら仮に統一しても短期で瓦解して再び分裂状態に戻るだろうな。 前秦は苻堅王猛コンビの後継次第な気が
結果論として苻堅の寛容さ緩さは批判されがちだけど、隋みたく族滅しまくってヘイト満タンになって息子(煬帝)がつけ払われてる場合もあるし 苻堅の息子たち残党を率いてよく戦ったけど政治力はありそうな感じでもないしな
あの王猛の孫にも政治力酷い奴いるけど 結果論でこの時代なら北魏系統が正解なのだが
北魏初期に武川鎮系統が天下統一するとか予言者でもわからないだろう 北魏、遼、金、西夏、清は漢化してしまったが、元だけそうならなかったのはなぜだろう?
だからこそ百年も続かなかったんだろうけど >>878
元(蒙古)の場合は南宋を征服する前に西アジアの先進文明に接していた為、先進文明は中華文明しか知らなかった鮮卑・契丹・党項・女真(満洲)と違い中華文明を相対的に見ることができたので漢化を抑えられたから。 >>876
それどころか
代とかいうその他大勢の弱小勢力が(以下略 >>879
あとは生活において中華に依存する必要がないってのも強み
統治者側が少数で生活を多数派の異民族に依存すると、接触するごとに影響を受けてしまい、最終的に飲み込まれる
欧州が欧州たり得るのも、そうなるまえに征服地で殺し尽くしたり傀儡に間接支配させて欧州の文化を保ったから 元は江南を失陥したら速攻で終わったな
あと皇族同士の争いが西晋と並ぶほど酷い 元は国家運営しても基本的にシステム化された収奪しかしてないからな
収奪する相手の真似なんてする訳がない イスラム帝国もオスマン帝国もペルシャ人官僚使ってなんとかなってて、元もペルシャ人(色目人)を用いていたがダメやったね >>884
そういや某所で「秦の官僚制はペルシャの盗作だ」って言説を見たのを思い出した ローマ人「文明良いよー」
ゲルマン人「ウホホホww何それ美味いの?w」
神父「神を信じなさい。さすれば救われます」
ゲルマン人「はい」
漢族「文明良いよー」
五胡「ウホホホww何それ美味いの?w」
僧侶「仏を信じなさい。さすれば救われます」
五胡「はい」
洋の東西を問わず蛮族は文明を拒否するけど、神仏はあっさり受け入れる法則 >>883
ゲルマン諸国家はアリウス派であり殆ど滅んだ
フランク王国だけはアタナシウス派に改宗して現地のローマ人を支持を得たから唯一生き残りそれがフランスに繋がっていく
郷に入れば郷に従えってことだな >>889
そもそも宗教自体が
殿様の命令を聞かない連中に殿様以上の存在を作って言う事聞かせるための物だしな >>882
西晋は皇族同士の争いで混乱したあげくに北西から匈奴族の漢に攻められて南東に落ちのび東晋となった。
元も皇族同士の争いで混乱したあげくに南東から漢族の明に攻められて北西に落ちのび北元となった。
どちらも南東と北西の違いはあれど皇族同士の争いで混乱したあげくに異民族に攻められて落ちのびた先で延命したのは共通している。
ただ東晋は劉宋に簒奪されるまで曲りなりにも100年存続したが、北元は藍玉が率いる明軍にブイル・ノールの戦いで大敗し、わずか20年で滅んでしまった。 北元て後金に滅ぼされる1635年迄続いたのでは
東晋も二王三恪で502年迄零陵王として存続してる 武家のトップが京都を本拠地にすると堕落して弱体化するね
平氏政権も室町幕府も >>879
イルハン朝はイスラム化したけど、ジョチウルスはキリスト教化しなかったし、元朝は漢化しなかったね >>898
イルハンはグルジアのアホの負債を背負った状態でスタートだから、最初から財政破綻してた
そこで現地民に頼らざるを得ず同化ていう>>881に近いパターン
近隣のジョチは最有力家系+財政しっかりしてた上、間接的な関わりを貫いたから、モスクワに裏切られるまでかなり丈夫だった >>897
2代約30年で滅亡と考えると成漢よりも下の五胡十六国平均未満レベル 隋や豊臣は短命だったが、唐や徳川幕府は長期安定政権になったね >>902
日本の三英傑を中華の皇帝に擬えると五代・後周の世宗(柴栄)が織田信長、北宋の太祖(趙匡胤)が豊臣秀吉、北宋の太宗(趙匡義)が徳川家康とよく言われる。
尚、明の太祖・洪武帝(朱元璋)は一人で日本の三英傑に匹敵する事業を成した傑物だと作家の堺屋太一は高く評価している。 脱線しまくってるので話戻すが
五胡の中で
突厥可汗国やオスマン帝国を築いた突厥や
モンゴル帝国を築いた蒙古になれそうなのいたか? >>904
あの頃は寒いから誰もモンゴル平原に居たくなかったんだよ・・・・ >>904
石勒石虎とか赫連勃勃とか
もう少し軍隊多くて漠北を拠点にしていれば可能性あるが
哀しいかな中華に染まってしまったのでなれなかった >>906
漢民族にも異民族にもコアな部分で譲歩をした胡漢融合であるとこは、その後の勢力には見られない特殊性があるからな
後継に失敗せず民草の考えも妥協に傾いてたら、割とまじでユーラシアに跨がる先進国家ができてたと思う 赫連勃勃の子孫は消えてしまったのかと思ったら赫連子悦とか南北朝期に出てきてるんだな
慕容氏は慕容紹宗、慕容三蔵は知ってたけど
五胡時代のようなパワーはないけど南北朝の動乱期に再び活躍が見られる
今に残る慕容姓や赫連姓は彼らの子孫なんだろうね うろ覚えだが慕容氏は涼のどっかで皇后になってたりで謎
天竺から嫁貰った方が近いぞ >>910
いや、北朝の代表国家北魏であるんだが
拓跋珪(道武帝)の皇后が慕容宝の娘だよ
そこから文成帝までは后妃は苻氏、慕容氏、赫連氏、沮渠氏、馮氏、劉(匈奴)氏ありで
五胡各国のメンバーがが勢ぞろいだよ
後宮の様子を想像するだけでも面白いわ ひとつの民族に対して女子供含め皆殺しっていうのは案外少ないからな
大規模にやってたのは英米くらい
あのナチスすら女子供は労働力や国力として丁重に扱ってた 五胡は通婚重ね過ぎて皆親戚で
現代欧州王室よりも親等近すぎる >>913
AGOの反面教師とユダヤ蚕食によって薄まったからな
それと五胡の場合は主流家系が頻繁に変わるから、悪影響(いとこ同士や甥おば婚による遺伝子プール枯渇、悪性遺伝子のホモ化)が出にくく、欧州より大分ましに思える 金、西夏、西遼、ホラズム、アッバース朝、大理、南宋など
モンゴルに抵抗した国は悉く滅ぼされたが、高麗だけ見逃されたのはなぜ? 拓跋嗣の母は匈奴系劉氏なので北魏は女系で匈奴でもある
拓跋国家って鮮卑ばかりが強調されるけど匈奴系も多く含んでいる
河南元氏全体だと五胡のるつぼ >>911
中華版ドラマ大奥とか北魏舞台で作れそう 日本や朝鮮には宦官の制度は輸入されなかったな
てか宦官なんて百害あって一利なしだし普通に女官使えばええやん 西欧だけでなくアラブでも黒人奴隷を使役していたが
白人と黒人のハーフがいるのにアラブ人と黒人のハーフがいないのは
黒人奴隷を去勢させていたため
オスマン帝国では黒人の宦官がいた ビザンツ帝国にも普通に宦官いるぞ
しかも自宮するものが絶えなかったから禁止令何度も出してた 外戚政治は…と思ったら摂関政治こそ外戚政治そのものじゃないか
外戚の専横を防ぐシステムってのは日本では考案されなかったな
楊堅の例とか子貴母死制度とか平安貴族たちは知らなかったはずはあるまいに
皇后とその他側室というわけじゃなく、皇后と中宮の実質複数の皇后並立とかも
藤原道隆に北周の知識があったのかとか、興味は尽きない 日本では武士が、西欧では騎士が力を持ったけど、中国朝鮮では尚文軽武で武人階級がとことん貶められてるんよね…
儒教の影響か 中国朝鮮だと中央が政治だけでなく軍事も独占していて権臣が皇帝国王を弑殺とか珍しくもないけど、
日本は各地方に力を持った大名が多くいるからもし天皇が暗殺されるようなことがあれば有力大名に上洛されて誅殺されるのは必定だからな
後醍醐天皇暗殺未遂事件とかあったがあれは例外中の例外
将軍クラスでいえば義教とか義輝とかやられちゃってるけどね >>921
宦官って言ってみれば外戚や権臣に権力をおびやかされた皇帝の最後の懐刀みたいなもんだから、藤原氏とか言う外戚が大勝利した日本にはそら根付きませんわな その最後の懐刀にぶっ刺されてる皇帝がゴロゴロいるわけだが >>918
朝鮮は中国から宦官の制度が輸入され存在した。
韓国の歴史ドラマによく出てくる内侍(ネシ)と呼ばれる緑色の官服を着た者がそれで、李氏朝鮮では自国で使用するだけでなく明や清に輸出もしていた。
越南も中国に支配されていた時代に宦官の制度が輸入され独立後も近代まで使用され続けた。
女真(満洲)の金や清も本来は宦官は存在しなかったが中国を支配することになり当時の中国では消滅していた家内奴隷に代わる存在として宦官を使用し、やがて後宮が拡大していくにつれ宦官の使用が急増した。
日本は『日本書紀』の雄略天皇(5世紀末)の頃に”官者”という宦官を指す記述があるので古代には中国から宦官の制度も輸入されたと考えられるが、日本が律令制度を取り入れた時期の唐の刑罰に宮刑(去勢する刑罰)が無く、また遊牧民族が存在しない日本では去勢技術が未発達だったので宦官の制度は定着せず廃れたと考えられる。 貴族官僚宦官丸ごと殺った朱全忠はやっぱすげぇ奴だなw そのスレ的には子貴母死が一番優れているということでいいのかな
私情で骨抜きにされたせいで国が傾いたわけだし 江戸時代になると追い腹は禁止になった
忠臣二君に仕えずも江戸時代から
戦国時代は二君三君に仕えるのはざら 中国史だと司馬一族や劉裕みたいに簒奪するのが普通であり、むしろ諸葛亮みたいに忠義を貫くって方が珍しいのよ >>927
国家元首から隷属民まで
一匹残らず駆逐しないと意味ないわ カルタゴ人は全てローマ人の奴隷になったというけどどうなんだろうね? >>935
その筋ではローマ背乗りしたとのこと
スキピオがハンニバルと同じように粛清対象になり失脚したのも納得いく え?
ローマ人って殲滅されたの?
(こんなでっかい餌放り込んで終了はないだろw) ローマ人が死滅したのが正しいなら
鄴人も死滅しているだろう 西はゲルマン人と
東はギリシャ人と混血したろ
ついでに漢族も鮮卑と混血しただろ 漢族×五胡=漢族
漢族は数学でいうと0(ゼロ)みたいなもんだ 信長が義元に負けたり美濃攻略に失敗した世界線だと、毛利が東進して京を抑えて天下取ってた?
でもあの輝元じゃ心配だな… イギリス人
ケルト人+ローマ人+アングロサクソン人+ノルマン人
フランス人
ケルト人+ローマ人+フランク人+ノルマン人
スペイン人
ケルト人+カルタゴ人+ローマ人+ゴート人+アラブ人
イタリア人
ローマ人+ゴート人+ヴァンダル人
ロシア人
スラブ人+ノルマン人+モンゴル人 間違えた
イタリア人
ローマ人+ゴート人+ランゴバルド人 >>932
周公旦の時代の人からすると
どうしてこうなった 周公旦の時代ってキッチリ放伐した上で前の王朝についてあること無いこと悪評をでっち上げて自分らの正当性を後世に伝えろってことかな 庶人天王「役に立ちやしない徳を振りかざして刑律を軽んじた周公旦などカス」 周礼が秦漢以降にまでどういう影響を与えたかというのは多くの学者が研究している
共通しているのは権力行使の制限を明文化した事でルールの詳細の維持ではなくて支配者と官吏達がルールに基づいた行動をするという考えができた事が重要だという点
特に軍権、軍事裁判権に関する職制は秦、漢、魏、晋以降六朝随唐まで根強く残った 周公旦の75世孫や77世孫が清の五経博士になっとる
本人死後に慕容熙に息子殺された庶人天王は周公旦を笑えないだろう それでも庶人天王はブレないと思う
清々しいほど女性関係に淡白で、身内への情よりも法律や刑罰を重んじる、苛烈な現実主義者だから
刑罰が重すぎるという訴えも「君達が法を犯さなければいい話だ。たとえ私が法に反したら、私は私に迷わず極刑を下す。私はその覚悟でいる」と一蹴したという恐ろしい逸話があるほどだし レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。