五胡十六国南北朝を語るスレ20
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五胡十六国南北朝を語るスレ19
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE それに元々中華の中原限定としても、各地言語が別言語レベルで
春秋戦国以来筆談が各地での交流手段として後世まで有効な世界だから
文章読解をある程度レベル無い事には、簡単な通達すら伝達理解出来ない。
だから学習施設は必須だったんだが、如何せん中華の言語に用いられる文字数が
現在でも世界最大で基本的な千字文ですら千字で、更にそれを組み合わせ文章を作り理解するんだから
結構難易度高いんよなー
今尚その問題は完全解消出来てないし。 >>618
部族も鼻息ひとつで吹き飛ぶような貧乏部族で
奴隷堕ちも必ず飯が食えるからって理由らしいけど、実際は違うんか? すまん、奴隷堕ちした方が必ず飯が食えるからわざと堕とした と書きたかった >>619
中央政府の支配を強く受けないための軍閥化(リトル政府)を作るのが必要になり、人員を調達したかったというのが実情
これまた名士や豪族が任官制度で与党にねじ込む犬を教育したのと手法は同じようなもの
>>622
帝国繁栄後も簡単に族滅されるくらいの木っ端だからな
石勒の由来もテュルクだし、個別の民族と見なされない雑多な異民族の一つでしかなかった
それが帝国まで作ってしまう英雄だったから区分しなきゃいけず、情報不十分だけどとりあえず羯として区分されたって感じ 元代は科挙が停止されてたけど色目人などイラン系官僚のおかげでなんとか行政運営できた >>617
寺子屋と比較して家格での足切り厳しいのに目を瞑れば整備されてたと言えるな() UPLIFT プレミアム・サービスのお知らせ
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最後まで御精読いただきありがとうございました。 >>
明初の10年ほどは科挙が停止されていたので、その間の官僚の任用は既に任官された者の推薦で行われた。
しかし胡惟庸の獄が起きたため推薦制の弊害をのそくによるにん (>>628の続き)
推薦制の弊害を除くため科挙が復活し以後は清末に廃止されるまで続いた。
ちなみに太平天国でも科挙は行われた上に中国史上、空前絶後の女性の科挙も行われた。 太平天国は天草島原の乱のデカいバージョンというイメージ 日本にとって中国が先生だったのは唐代もしくは宋代まで
元明清も大国という認識はあったが、それ以上でもそれ以下でもなかった
見下すようになったのは日清戦争に勝って以降 李靖が李淵にとっ捕まった時、50前で郡丞とかぱっとせんな
よくあれだけ活躍できたものだ 李靖は出自も悪くなく科挙にも受かってるのにあのキャリアは謎
相当性格に癖があったんかね >>622
史書に記されないぐらいの弱小放牧部族なら普通では
石勒のスキルは生粋の奴隷では考えられないぐらいのものばかりだから
漢民族の教養に疎くて文盲なだけで
小さい時から拘束されて鞭で打たれた最底辺でないのは確か 劉淵は光武帝の方が近いんじゃね
敗軍を迎える時に喪服で出迎えた的なエピソードみてても育ちの良さが目立つ
儒者の冠にションベン垂れる不良皇帝とは違うわな 劉邦の初期メンは秦の官吏がいるから行政能力あるのまだわかるんだけど、石勒十八騎、特に前半八騎の当たり率やばいよね
チンピラ8人集まったら王陽・支雄・夔安・桃豹おるんやで 石勒と石虎の子孫が軒並み非業の死を遂げているのが因果応報というかなんというか >>641
朱元璋の初期メンバーに徐達、湯和というスーパーな人間がいたし英雄とそういう豪運もあるのか >>643
初期メンバーどころか牛泥棒やらかした仲間、らしいからな、その二人はw
まあ運ってそういうもんだよなあ >>644
その二人の少年時代は「さすが重八の兄貴!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!」という少年時代のディオに心酔するガキと同じ存在だった。 >>645
牛も国も実質そんなに変わらん糞味噌同じ
人名で王牛も王国もいるのと同じ 欧州の王族は婚姻しまくっててほぼ親戚同士
日本の皇室も藤原(のちの五摂家)は勿論、織田・徳川、更には薩摩隼人や百済の王族の血も入ってる
中国も前王朝の一族は基本皆殺しにされるものの傍系は見逃されるから今でも子孫はいる 本当に皆殺しにされたのは高麗の王氏くらいかな?
李成桂によって皆殺しにされた
韓国・北朝鮮に王姓が全くいないのはそのため 史書にはっきりと家系断絶したと書かれた後趙石氏が例外中の例外なのであって
普通はたとえ直系が滅んでも傍系は生き残るもんなんだよな
楊堅に虐殺された北周の皇族も傍系の虞国公宇文興の一族は助命されて生き延びている >>649
高麗王の末裔である開城王氏は現存しているよ
李氏朝鮮の迫害から逃れて別の姓に改姓した高麗王の傍系が後に王氏に復姓している
現在では、中国から帰化した人達も含めて王氏は韓国で25,565人いる 劉裕以後の「禅譲」も劉裕から変わった、という認識はないんだろうね
直系とそれに近いところは危ないから消すが、かなりの傍系でも
二王三恪は守ってるだろ、と
しかしとうとう中国、朝鮮、ベトナムで禅譲させて直系を生かした(傍系でも)
のでまた取り返されたって例はないんだよな
東晋、南宋などが挑戦したが統一王朝が一部分になって再統一ってことも出来ずじまいだった 日本の古代だと幼児は見逃していたが、頼朝・義経の平家滅亡大逆転があったせいか、それ以降男なら幼児でも○すようになった
>>651
意外とバレないもんなのね 俺等の友達にも実は劉邦や蕭何レベルがいるかもしれない 劉邦からいい部分を削り取ったような奴はいるんだけどなぁ〜 陳叔宝や万暦帝や徽宗から悪いところ取っても
何が残るんだろ 徽宗は芸術方面の特に優れた感性程度は残るだろ。
陳叔宝は音楽と歌「だけ」やらすならまだ多少は。
万暦はいよいよ張先生が居ないと全然ダメ。本当に箸にも棒にも掛からない。 陳叔宝は詩、徽宗は書が優れていたな
万暦帝は・・・ >>658
>万暦帝は・・・
紅衛兵にガソリンかけられて燃やされる芸 >>657
『本草綱目』の献上を受け大いに絶賛し出版への便宜を与えるなど、中国本草学への寄与は大きいし後の江戸時代に本格化した日本の本草学へ間接的に寄与したとも言える。 万暦帝は“ニートでもこんなに長く皇帝で居られる”と体現してみせた!
働きバチのように散っていった短命皇帝の愚かさを我々に教えてくれた そら平和な時代の統一王朝だからこそ出来たんやろ
五胡十六国や五代十国で同じようなことやったら他国に攻め込まれて終わり 秀吉の戦国オールスター軍を追い返してるからやはり腐っても大国なんだよな明は 元を中華の統一王朝とするなら北元と明で南北朝時代、って思ったら
このスレですでに出てたのね
北元は北方民族の東晋、南宋みたいなもんなんだが >>663
スレチだが日本が退いたのは偽装降伏に引っ掛かったのと兵站の壊滅によるもの
特に後者は朝鮮の扱いを誤った結果取り返しがつかなくなる体たらく
ヒ水でも分かるが、兵力を維持できるインフラがないと僅かなきっかけで自壊するのよ もし「日本史謎の時代」にあたる五胡十六国時代に倭で大陸に攻め込むような勢力が居たらどうなっていただろうなあ
朝鮮半島で止まったか、どさくさに紛れて大陸に進出して一つの国(植民地、拠点)くらい作れたか
いろいろ日本史を考えると、やはり当時の日本も分裂状態だったんだろうなあと想像できる、もし統一されていたらきっとこんな展開をしていたと思うから
まあただ強壮なんだけど兵站を無視するのもまた日本の軍隊の伝統ではあるが・・・ >>650
たまに思うんだが石勒があんなに頑張らなけりゃ血統ごと皆殺しにされることもなかったんだろうなあって
人間万事塞翁が馬というが石一族の末路はその最も極端なケースかもしれん >>666
神功皇后の三韓征伐は実のところどうなんだろうね
五胡スレ的には高句麗が前燕にボロ負けしてる
後に隋唐の侵攻をはね除けるほど強くなるが、内通者出てあぼんなんよね >>669
なんだかんだで高句麗止まり、だろうねw
東晋を狙えたらワンチャンありそうだけど、多分船舶技術が追いつかなくてこれもポシャwって感じに思える
東晋の水上戦の力ってどうだったのかね、桓温の成漢征服あたりが最高水準にあったのか >>669
高句麗は後燕ともやってるしその時は後燕をボコってたはず
広開土王の頃だからやたら強かった 石勒も石虎とあんまり変わらないよなあ
10万人規模の大屠殺をやってるし
石氏が逃げ込むなら拓跋氏がいちばん生存確率が高かったんじゃないかな
もっとも、爾朱氏は羯の後裔説がある >>671
広開土王が戦ったのは庶人天王死んだ後のボロキレ以下の残りカスだからなあ
後燕が元気だったころには慕容農にボコられてるよ
>>672
宇宙大将軍も羯族説あるし雑胡の何でも箱扱いされてるよな 苻訓英の思いつきで高句麗攻めて
一応勝ってたけど
慕容照が苻訓英ちゃんと2人で勝つとこ見たいから待ってて
とか無茶言ったから奇跡的に高句麗が逆転勝ちしたんだよな 高句麗・渤海には生き残ってほしかったな
まぁ生き延びたとしても後にモンゴルというバケモンが出てくるからいずれにせよ詰みルートなのが悲しい 高句麗・渤海には生き残ってほしかったな
まぁ生き延びたとしても後にモンゴルというバケモンが出てくるからいずれにせよ詰みルートなのが悲しい >>671
高句麗が強くなったのもあるがそれ以上に後燕が弱体化
慕容垂が生きてた頃は拓跋珪ボコれるぐらいだったのに
慕容垂が死んだら十年も経たず高句麗にボコられるぐらいに
まるでサッカーW杯でブラジルやアルゼンチンをボコって2014年優勝したのに
W杯最多得点王クローゼが引退したら弱体化して十年経たずに
日本にボコられるぐらい弱体化したドイツ代表みたいな 庶人天王は自ら親征して高句麗を撃破して遼東を奪還している ネクロフィリア慕容照も普通にしてりゃ勝ててた
てかあんなクソミソな状況でも高句麗相手に善戦できる慕容一族はやべえな
西燕もそうだし。 戦術的に強いやつが続々と出てきても戦略的、内政面に卓越していたのが慕容恪くらいしかいない
それが慕容氏の限界なんだろうな むしろ格の強さが尋常ではなかったがために外交的な努力を怠った節もある 治安の悪さでいえば足立区だったけど、今は埼玉に外人が増え過ぎてむしろこっちの方が危険では? 慕容熙も庶人天王から「叔父上の勇猛さはかの成武帝(慕容垂)に匹敵する」と評される猛将だったんだよな
ただし「惜しむらくは大略(優れた知略や器量)に欠けている」とも評されたけど 前評判だけの見掛け倒し慕容会の話題にはならない・・・ 慕容垂の強さはマジで異常だからなあ
自分は死にかけの老いぼれな上バカ息子が外征戦力溶かした直後という最悪の状況で拓跋虔倒して平城奪うのはマジで意味わからん
流石の拓跋珪もドン引きだったろうな 自らが裏切った苻堅の末路も悲惨だったが苦難の末に再興した燕の軍勢が最後の最後で潰滅させられて自分は寿命でどうすることもできずに最後を迎えることになった慕容垂も劣らず悲惨よな 後期五胡時代って輿入れが多いな
後燕に苻氏が行ってたりするし特に初期の北魏
政略結婚で共存を図ろうとした面もあるのだろうか
それでもすぐに実家と戦争になり、滅ぼされ‥日本の戦国時代のようだ 慕容会の乱や蘭汗の簒奪など相次ぐ内乱で国力がズタボロになったにもかかわらず、契丹と高句麗を大いに撃破して、北魏に一歩も引かなかった庶人天王ってすごくね? >>689
闇堕ちしたヒーローみたいやな
死に方も悲壮やけどかっこいい >>690
重傷を負いながらも反乱軍を自ら殲滅して、動揺する周囲を一喝して落ち着かせた後に、立ったまま息絶えたんだよな 淝水の戦いの戦いで前秦が勝ってたら姚萇は前秦の統一に貢献した功臣として生涯終えてただろうけど
慕容垂はどうしてたんだろうね。 不勉強が服を着て歩いているといわれる俺は
ごく最近までハンとハーンが違うって知らなかった 遊牧民の酋長の称号が単于から汗になったのもこの時期か 汗若しくは可汗をハンやハーンと発音するのは知られてるが
単于って何て発音してたんだろ。 >>696
テュルク諸語の「天」がなまって漢語で「単于」になったと考えられる >>691
なんか五胡南北朝の君主の中で一二を争うほどカッコいい死に様だな 庶人とはどんな思いで名乗ったのか慕容盛
自虐的な意味だったりして
宇宙大将軍とはまた逆な謙遜した名前だな イタリア人にとってのローマ、中国人にとっての西安は
日本人にとっての京都みたいな感覚かね? 中国人と交流あったけど日本でいう京都は洛陽だと表現してた
ベトナム人にとっての京都はフエだそうだ 慕容盛は生まれるのが遅すぎたね
まあ人心わからなそうなタイプだから恪がいる時以外だと人間関係でやらかして排除されそう >>700
もしくはヒッタイト万能説に基づくゼウス→ゼウ→単于 >>695
>遊牧民の酋長の称号が単于から汗になったのもこの時期か
汗の起源・・・慕容宝戮して後燕簒奪したのに
皇帝名乗らずに大単于名乗った蘭汗(慕容盛の舅)
なら面白い 劉淵は冒頓単于から約500年くらい後
今もボルジギン氏は続いてるし、チンギス以降ハーンはボルジギン氏でなければいけないという「チンギス統原理」ができた
それからしたら「攣鞮氏統原理」みたいなのが匈奴にもあったわけだな
独孤氏まで入れたら800年くらい続いたことになる
単于号に関しては対抗関係にあった鮮卑や氐、羌も使ったのが面白い
北方では中華の皇帝みたいなブランド称号化しつつあったということやね ゾロアスター教とマニ教はイスラムによって死滅させられた(アラー以外は全て邪教邪神悪魔という発想、ただしユダヤ教とキリスト教は同じ啓典の民だから見逃す)
ササン朝の王子が唐までいって援軍を求めたが結局実現しなかったな ササン朝の王子の一族の子孫は唐の貴族と婚姻して血を残したんだよな・・・
その人気ぶりは肌白くて大人気だった奴隷時代の慕容部みたいな カーバ神殿の神々の像は全て破壊されたし、バーミヤンの仏像も破壊されたし、
現在でも「カミハアッラーダケ!ココニカミサマハイナイカラオガムナ!」とか言って神社破壊するし
ユダヤ教やキリスト教など一神教には排他的傾向があるのは仕方ないにせよ
イスラム教は特にそれが激しいから他宗教との共存は厳しいのかもな・・・ 宗教で思い出したけど
北魏時代の大乗の乱怖すぎやろ >>713
因みにこれは選民の逆説である「聖絶」まんまである
今まさにガザで行われているホットな話題 神道は日本オリジナルよね
中韓には神社も初詣もおみくじも鏡餅も太陽神や八岐大蛇の話もなくて神道の元になった文化はなさそうだし 李鴻章「和服を捨てて洋服を着るのを恥ずかしいとは思わないのですか?」
森有礼「そちらこそ漢民族の伝統の服を捨てて満州族の服を着るのは恥ずかしくないですか?」
漢族の李鴻章はこの返しには答えづらかったろうな…
ちなみに漢服を着た乾隆帝の肖像もある
清は中華に憧れるが、それでいて少数の満州族で大多数の漢民族を支配するという問題に常に悩まされていた王朝だった >>719
正月だから頭がパー・・・もといオメデタクなっているのだろう。 今年は
王敦の乱鎮圧から1700年
宋文帝即位から1600年
破六韓跋陵起兵から1500年です。
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