五胡十六国南北朝を語るスレ19
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五胡十六国南北朝を語るスレ18
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE 後漢献帝に訂正
こう見直してみると、やはり溺れている犬に石を投げる民族性であるのを感じさせるな >>773
ID変わってるかもだが、そのとおり
半ば簒奪されたとはいえ隋文帝よりは随分ましな余生を送ってると言える 頼朝は義経がいなかったら平家を倒せなかった
家康は信長が搗いて、秀吉が捏ねた天下餅をくすねた
征夷大将軍らしいのはやっぱ尊氏
九州大返し、そして湊川の戦いで大勝利とかロマンやん >>765
負けて捕虜になった英宗の方がその後マシな人生歩むて
勝ったエセン・ハーンの方が不幸な末路を辿るのが皮肉だな >>775
足利尊氏は征夷大将軍としては武闘派だが
蝦夷と戦ってないので坂上田村麻呂より下
中華に征夷大将軍が有ったら
一番相応しいのは高句麗ボコった慕容翰辺りかね >>776
EU4的に土木の変は最強イベントだけど、あっちは遊牧民がガチ結束するくせに中華はすぐミンチになる仕様なのが悲しかった 英傑でも英明でもない朱祁鎮が英宗とは
まぁ諡号や廟号などおかしな皇帝を時々見かけるのは
この時代に限らず五胡十六国南北朝時代含めてデフォ >>780
煬帝なんて
いちばん有名な楊広と
↑に付けられた陳叔宝と
あまり関係ない拓跋?那ぐらいか というか皇帝自身が諡号や廟号を選べないってのもな
日の本じゃ白河とか後醍醐とかが自分で決めちゃってるし >>782
煬帝が真っ先に「なんつー不孝な制度だよ、これ」と言うのも無理はないが
元々は物質主義へのブレーキとして他人に評価させる制度であるというのを考えると、何故あるか分かると思う
この他人に評価させる制度を息子に適用したのが太子密建だから >>779
殉死の制度の廃止は靖難の変の際わずか2歳で捕らわれて以降、実に50年以上も幽閉されていた建文帝の次男の朱文圭を解放し皇籍に復帰させたのと並ぶ英宗の数少ない功績。
ただ英宗は自分の死後の殉死は廃止したが土木の変でオイラートに捕虜になった自分を太上皇にして即位した弟の景泰帝を憎むあまり、奪門の変で景泰帝から帝位を奪って復位すると間もなく死んだ景泰帝の唐貴妃を殉死させている(これが明での最後の殉死)ので、やはりロクでもない皇帝に変わりはない。 日本だと将軍は殺されても
天皇は幽閉されたり島流しに遭う程度で殺されるケースはなかったけど
中国じゃ皇帝でも臣下・宦官・外戚によってホイホイ殺されまくりで命が軽過ぎる 日本だと地方に有力な大名がたくさんいるから天皇を殺そうものなら全国から袋叩きにされるだけだが
中国は専制君主制で朝廷が政治も軍事も全て握ってるから中央がやりたい放題できる
この違いかな >>787
中国は権威と権力の分離ができない
権力を失ったら権威も失って価値がなくなるから、生き残ることが困難
始皇帝がその基礎を作った後、曹髦殺害で不可逆的になり、西晋滅亡で極まった感じ
皇帝本人が専制するかスケープゴートにされる体制に二分された >>788
>中国は権威と権力の分離ができない
シューキンペーの今でもそうだな
独裁体制以外で中国を統治する方法は無いって誰か言ってたわ >>792
中国に限らず、大体の国がそうなのよ
表向き権威しかなさそうに見えても、裏で権力筋に根回しさせるパワーは持ち合わせてる
それを民衆が容認するか認知しない場合でしか上手くいかない 北宋あたりからやろ
この時代はまだそんなに女性への縛りはそんなにキツくない >>794
南斉の潘玉児から始まったという説もあるが一般的には五代十国の南唐から始まったというのが有力。 纏足の理想的な大きさは三寸(三寸金蓮)
チョンのチ〇コ勃起時平均三寸(9cm)と同じや >>796
同じ五代十国の南漢じゃ
男の1割が宦官という異常事態だったしな >>799
そもそも尺貫法という呼び方は厳密には日本だけ。
中国では尺斤法という呼び方をする。 >>798
劉氏の漢名乗る泡沫政権(西漢東漢除く)の中で
最も長く存続したのが変態宦官国家の南漢という・・・ >>801
イカレポンチ劉eの即位までは、負け組の寄り合い所帯って感じで結束力あったからな
軍事力が低くても下手にヘイトまき散らさないから攻撃対象にならない、というのも追い風になった
なお宦官だらけにしてからはマッハで滅んわけだが >>801
劉淵涙目
劉曜が勝手に趙に変えたから15年(趙時代含めると25年)しか続かなかった泡沫政権
こんなのに滅ぼされた西晋カッコ悪い >>788
世界で唯一Emperor(皇帝=天皇)が残ったのが日本だけなのもそれが理由だよね 欧州でも王侯貴族は血筋が良いだけじゃなくて金や権力も持ってないと
民衆から権威として見なされない
血筋が良いだけで貴種として尊ばれた日本の皇室や公家との違い >>801
・劉氏漢
【正統王朝】
214年(前206年〜8年) 西漢(前漢) (劉邦、14代)
195年(25年〜220年) 東漢(後漢) (劉秀、14代)
【泡沫王朝】
2年(23年〜25年) 漢(玄漢) (劉玄、1代)
42年(221年〜263年) 季漢(蜀漢) (劉備、2代)
25年(304年〜329年) 漢趙(前趙) (劉淵、6代)
62年(909年〜971年) 南漢 (劉陰、5代)
3年(947年〜950年) 後漢 (劉知遠、2代)
28年(951年〜979年) 北漢 (劉崇、4代)
1年(1465年〜1466年) 漢 (劉通、1代)
・劉氏以外漢
【泡沫王朝】
33年(304年〜347年) 成漢(大成) (李雄、5代)
1年(551年〜552年) 漢(侯漢) (侯景、1代)
1年(784年〜784年) 漢(朱漢) (朱、1代)
4年(1360年〜1364年) 漢(陳漢)(陳友諒、2代)
基本的に漢は泡沫政権ばかりで糞
劉裕や劉勃勃が漢名乗らなかったのはある意味正しい 1年が3つもあるの草
ちょっと前の日本の総理かよ(あと前の英国首相)
こんなかじゃ蜀漢もまだ長期政権レベルよな 唐(後唐)とか明(南明)とかでも泡沫政権あるからな…
隋はそれ自体が泡沫政権
戦国七雄で韓は以降の政権で最も人気無いのか韓名乗る泡沫政権無いが
半島で韓の国号パクられて中華の泡沫政権よりも酷い扱いに… 地方に割拠とかの弱小国家とか
統一国家でも短期政権だと泡沫の感が 隋(随)唐は春秋時代に楚に踏みつぶされた雑魚諸侯のイメージが強い >>808
割合ていうなら元がダンチになる
二回しかないけど一回目は世界帝国、二回目は清が禅譲を賜った正統王朝
一回目の華北席巻を泡沫と見なさないなら次点は(後金を清としてカウントした場合) >>812
息とか蔡とか徐とか黄とか六とかと同じだもんな隋も唐も
まぁこのスレの住民よりも中華の知識無さそうな五胡なら気にしなさそう 隋唐がそういう不可解挙動を起こしてるのは
良くも悪くも北周で漢文化の取捨選択がなされたからだろうな
鮮卑にとって必要な部分は八柱国などとして取り込み、不要なものは捨てて鮮卑帰りをしたから
いざ漢民族ぶろうとした時に振る舞い方がぎこちなくなってる
むしろ漢民族に調教された劉淵や禅譲の研究した石虎のが漢的な振る舞いができるように感じる 劉淵の場合出自が南匈奴なだけでどう見ても漢人エリート士大夫ヤンケ >>816
劉淵は反乱しなければ金日磾と比べられてもおかしくない
恵帝でなければ金姓与えてもおかしくない 劉淵は十代の頃に劉禅の隣で酒飲んでた頃が幸せだったかもな・・・(遠い目) 昭さんが呉の使者と宴会やってる時に阿斗ちゃんとヤング劉淵が一緒に酒飲んでるとか言う凄すぎる絵面
この時点では劉淵本人は士大夫として栄達する事を夢見てたんやろな >>819
八王の乱経験すれば士大夫として栄達とかいう夢砕かれるのはわかる
もし劉淵が竹林の七賢になってたらのIFも面白い 劉禅「ここは楽しく、蜀を思い出すことはありません」
劉淵(何言ってんだこのアホ…)
数十年後の劉淵「懐帝の言ってた事はある意味正しかったなぁ…」 >>821
劉聡と劉曜がドラッグ(五石散や寒石散など)をキメてオーバードーズで早死しそう 五石散や寒石散などのドラッグの危険性は
無縁な五胡でも中華支配して皇帝になると
中華に毒されて病みつき中毒になってしまう処 そう言えば宇文泰って姜維を王に祀った見たいだけどなんか接点あったっけ?
考えられるとしたら梁から蜀地方平らげた時に
姜維の話聞いて感銘受けたとかだろうけど 宇文泰が姜維大好きなのは
石勒が劉邦大好きなのと同じくらい接点ないぞ >>806
1年(622年〜623年) 漢東 (劉黒闥、1代)
という泡沫王朝もある >>825
姜維自体が異民族系であったとするなら、漢文化の否定に使えると踏んだ可能性はある
不要な漢文化を捨てて国家を束ねるため、宇文泰は使えるものを総動員してる
まあ異民族系なのは某クラスタが姜維の異民族使いが巧いことから唱えてる説だが >>820
別伝だと兵出してる記述あるし内心はともかく救う姿勢は見せてたんじゃ
劉淵さん出自はともかく育ちは士大夫だから故主(成都王)を見捨てる事の不利益は理解してる >>826
石勒の不良皇帝好きは歴史書の執筆者が無理くり重ねてるイメージ
でも、ぶっちゃけ不良皇帝って五胡の群雄でも中々みないキチガイムーヴばっかだよね。
・竹か布に「一万銭」って書いて祝儀の代わりにする
・儒者の冠に小便をかける
・敵対勢力に追われてビビって子供を馬車から捨てる
・重臣の前で愛妾とファック
・降将(黥布)の前で愛妾に足を洗わせてあまりの無礼ぶりに絶望して自殺未遂に追い込む
ダークヒーローっぽい描かれ方してる我らが冒頓単于と比較するとマジでチンピラのオッサン >>830
そりゃ良くも悪くもカラッポで周囲の奴が器として利用した結果成功しただけだからな…
プロトタイプ司馬倫
担ぐ奴と敵対者の質の差が明暗を分けた 項羽と対峙するという
いちばん肝心で誰もやりたがらない仕事を自分でやってるんだから
司馬倫と比べるのは流石に失礼だろう 劉邦=天然
司馬倫=池沼
これぐらいの差はあると思われ 担ぎ上げられた劉邦こそ「狡兎死して走狗煮らる」を恐れていたから晩年ああなった気がする >>835
それは劉邦ではなく朱元璋
前者は最初から893の親玉やってたから舎弟は従順だったが、後者は拾われた後の内部昇格+裏切りだから兄貴分を始末するのに終始した 朱元璋の子孫って今でもいるの?
清によって明の皇室は皆殺し
唯一の生き残りである朱慈煥とその一族も康熙帝によって一人残らず殺された >>840
最も有名なのは国務院総理(日本の首相に相当)まで務めた朱鎔基で朱元璋の第18男・朱べん(木偏に便)の子孫で朱元璋からは19世紀の孫に当たる。
ちなみに朱元璋は息子達に五行思想に基づいて
木偏の名前を付け、その後も木火土金水の字が付く名前を順に子孫に付けるようにしたので前記の朱鎔基は土偏の名前で、その父の朱寛しゅ(サンズイに樹の木偏を抜いた字)は水編の名前で、その子は朱燕来と烈火(炎の省略形で灬)の付く名前である。 いくら敵でも祭祀絶やすのは後味悪いが
その中で祭祀絶やされた漢劉氏や趙石氏はどんだけ 母系とか女系は結構残るんだよな
司馬氏も劉裕の粛清からしぶとく逃れて北周では皇后まで出しとる
前も指摘したけど女系母系から見ると別の顔が見えるって点ではヨーロッパの王家や日本の東北大名みたいな感じ >>844
Y染色体(つまり男)の繋がりが重要なのは万国共通であり、女系はそこまで気にされない
黄禍論での遺伝子分布も男がやり玉に挙がってるし
大航海時代での有色人種の扱いの差からも窺い知れるだろう
女系で辿るっていうのは、原初の人類を探るようになった20世紀から隆盛した
それまでは「逆玉や箔付け(とどのつまり外戚)」を説明するための意味合いが強い >>842
清もラストエンペラー溥儀には子供ができなかったので嫡流は断絶している。 一方でラストエンペラー溥儀の弟溥傑(不潔ではない)は
日本人と結婚して娘2人
長女は天城山心中したけど次女は存命で日本在住
溥傑の孫5人ぐらい居たような >>847
溥傑の妻の嵯峨浩の自叙伝『流転の王妃』のテレビドラマで主演した常盤貴子は高校の同級生に溥傑の孫(次女の息子)がいて当時(1988年)ヒットした映画『ラストエンペラー』が、その同級生の大叔父(祖父の兄)を描いたものと知って色々と質問したが答えてくれなかったが後に (>>848の続き)
後に『流転の王妃』を読んで溥傑の孫である同級生の複雑な事情を知って高校時代に答えられなかった理由を分かったそうだ。 宣統帝の末弟(?)溥任氏が数年前まで存命で紫禁城で書を書いてた。
氏は人民共和国で愛新覚羅一族の長的な立場だったと聞いたが真偽の程は如何に? 秦は族滅
漢は劉備の子孫が残ってる(他の劉氏は永嘉の乱で・・・)
晋と隋も一応残ってる
唐は自称末裔が多過ぎて何がなんやらって感じ
宋は北宋の皇族は男は海陵王によって滅殺、女は靖康の変で洗衣院へ。南宋の皇族は元より手厚く保護
明も一応いる 雍正帝
「本朝が満州の出であるのは、中国人に原籍があるようなものだ。
舜は東夷の人だったし、文王は西夷の人だったが、その聖徳は何ら損なわれてはいない」
「徳のあるものだけが天下の君になれるのだ」
明の復活を唱える思想家
「ぐぬぬぬ・・・」 >>850
溥儀と溥傑の末弟の溥任は日本の傀儡の満洲国に批判的で距離を置いていた父の載ほう(サンズイに豐)に従い兄達と違い満洲国に関わらなかったので、日本の敗戦後に漢奸として扱われず中華民国や中華人民共和国でも丁重に遇された。
兄の溥儀と溥傑には男子がいなかったので二人の死後は愛新覚羅一族の家長となり、2015年に96歳で死んだ後は息子の毓嶂が家長を継いでいる。 アリウス派のゲルマン諸国は全て滅び、
アタナシウス派を受け入れたフランク王国のみが生き残り現在のフランス・ドイツに繋がる
五胡十六国で最も漢化政策を推進した北魏がもっとも国力を高め華北を統一
郷に入れば郷に従えで特に少数の支配民族が大多数の被支配民族を統治するには
やはりそこの文化を受け入れて用いていくほかない 匈奴系劉氏は劉禹錫、河南元氏(拓跋から)は元好問が有名
後世になっても北方民族的感性の詩を作っているな
今でも匈奴系の劉氏、拓跋氏からの元氏というのは認識されてるのだろうか 隋唐なんて母系は匈奴系ヤンケ
3代続けて皇后出した独孤信さんもご先祖様は劉氏を名乗ってたんやで 漢と匈奴はバチバチだけど、
ローマとゲルマンは衝突も多かったが全てそうでもなく、
帝政初期から下級兵士や農民として帝国内へ移住するゲルマン人も多かったし、
帝国と同盟を結んだ親ローマの部族もいたりした。 >>859
漢と匈奴も完全バチバチではない
ローマとゲルマンと同じで衝突も多かったが全てそうでもない >>851
漢は劉備の子孫に限らず
劉邦の子孫だけでも数多
東漢末で劉姓数万人で現在数千万人
永嘉の乱で漢の祭祀絶えただけで
どうみても族滅には程遠い 前漢の宣帝のあたりから匈奴と和睦して匈奴の子弟が人質として漢の宮廷に入朝してたりすんだよな
人質つっても劉淵同様に将来の匈奴のリーダー候補である以上最高レベルの教育(当然漢文化の)が与えられてたろうけど 匈奴と小競り合いはあってもガチでやり合ってたの武帝だけのような気もする >>861
光武帝が前漢皇族を冷遇しまくって、族滅の価値がない地位まで貶めたのが効いてるな
後漢が無様な最期になった後も前漢皇族の血が続いていったのは因果応報だろうか >>864
因果応報と言えば北宋では冷遇されていた太祖の子孫が靖康の変で徽宗・欽宗ら、趙構(後の高宗)を除く太宗の子孫が尽く金に連行されたせいで南宋で復権したのも因縁を感じるな。 >>868
あの人口削減の誓いであるジョージアガイドストーンですらひよってるからな<漢族撲滅
インドといい人海戦術できる国というのは生存面で強い 冉閔、靳準と何考えてるかわからない奴が出てくるの怖い
靳準とか晋に天を返すと言い出した時自分でもわけわからなくなってそう 日本もそうだけど古代とか中世の人間のメンタリティって今の時代と一緒にしたらアカン
まず感情とかメンツの存在を抜きにしては語れん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています