【泰皇】周の後半春秋戦国4【皇帝】 [無断転載禁止]©2ch.net
出身地の長官になれないのさえ打ち破れないなら皇帝になるのなんてなおさら無理だったよね 王になれないから公になって諸侯王より位を上としたのに
結局実だけじゃなく名も欲しかったのか魏王になっちゃった 周と南蛮除くと魏が初めて王号名乗ったんだよね
それだけ強かったってことだろうけど >>694
何でも周王が魏侯でなく秦伯を覇者に任命したことに反発して
夏王を名乗ったらしい 第一は、法令を無視して私的権力の拡大を狙う重臣を摘発・排除し、君主権の強化を実現することである。第二は、法や賞罰によって、民衆の価値基準を農耕と戦闘にのみ統一し、富国と強兵を実現することである。第三は、法治により犯罪を防ぎ、社会秩序を維持して、民衆すべてに安全な社会生活を保障することである。 『韓非子』の刑罰の特性について3つ。
刑罰はその法律の明文を認識させることで予防を期待するのではなく、厳刑の執行を人々に知らしめて、同様のことをしないようにさせることを期待する。
罪を犯した人間には、確実に刑罰を実行しなければならない。そうしないと予防効果が発揮できない。
「萌芽の措置」。大事件につながる小さな犯罪・違反に対して重刑を科す。大事件を萌芽の段階で未然に防ぐことを目的とする。 韓非の思想への荀子の影響については諸家において見解がやや分かれる。
貝塚茂樹は韓非と荀子の間に思想的なつながりは認められなくはないが、商鞅や申不害らからの継承面の方が大きく、荀子の影響が軸となっているとの見解ではない。
金谷治も荀子の弟子という通説を否定はしないが、あまり重視せず、やはり先行する法術思想からの継承面を重視する。
それに対し、内山俊彦は荀子の性悪説や天人の分、「後王」思想を韓非が受け継いでおり、韓非思想で決定的役割をもっているといい、その思想上の繋がりは明らかだとしている。したがって内山は荀子の弟子であるという説を積極的に支持している。なお「後王」とは「先王」に対応する言葉で、ここでは内山俊彦の解釈に従って「後世の王」という意味であるとする。一般に儒教は周の政治を理想とするから、「先王」の道を重んじ自然と復古主義的な思想傾向になる。これに対し、荀子は「後王」すなわち後世の王も「先王」の政治を継承し尊重すべきであるが、時代の変化とともに政治の形態も変わるということを論じて、ただ「先王」の道を実践するのではなく、「後王」には後世にふさわしい政治行動があるという考え方である。 進む男性の婚活離れ
婚活する女性なんて見た目も中身も醜くて気持ち悪いだけ
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結婚相談所の職員は子供が欲しいと言わないようにと指導
子供も望めないで気持ち悪い性格の悪いおばさんと結婚する意味なんかない 見た目が悪くても、性格が悪くても、若くなくても、普通は結婚できている
まともな女性は結婚相談所に登録なんかしない 肉と乳製品の食べ合わせはNG
ユダヤ教では他にも、食べ合わせに関して禁止事項があります。それが、肉と乳製品の組み合わせです。
この禁止事項は、聖書の「仔山羊の肉をその母の乳で煮てはならない」という記述から、同じ料理に使われていなければいいというわけではなく、胃の中で一緒になってはいけないという規定があります。
チーズバーガーや肉入りシチューなどはもちろんのこと、1回の食事で肉料理と乳製品が一緒に出されたり、同じ調理器具で肉と乳製品を調理したりといったことも忌避されます。
もし肉を食べた場合は6時間以内に乳製品を食べてはいけないとされていて、逆に乳製品を口にした場合も最低30分は肉を食べてはいけないとされています。 ※日本の料理で扱う食材としては一般的ではないが、ユダヤ教の聖典 では「ラクダ」「ウサギ」「ほとんどの昆虫類」「肉食動物」「一部の鳥 類(猛禽類、ダチョウ、カラスなど)など、様々なものを食べること が禁じられている。 ・イカ・タコ・エビ・カニ・牡蠣・貝類全般
海の生き物では「ヒレとウロコのあるもの」のみがコーシェルとして認められています。イカ・タコ・エビ・カニ・牡蠣、その他貝類全般はタブーであり、口に入れないのが一般的です。
日本食では刺身や寿司、酢の物、イタリアンでもパスタやピザなどにはコーシェルではない食材がしばしば使われるため、メニューを決める際には十分に考慮しましょう。「カニカマ」のように禁忌とされる食材を想起させる食材やメニューもNGです。 インドを中心に、ネパール、スリランカ、バングラデシュなどで信仰されているヒンドゥー教。信者のなかには、禁忌とされる牛肉や穢れとされる豚をはじめ、魚など動物性の食べ物全般を口に入れない人もいます。 牛肉・豚肉をはじめ肉食全般を避ける傾向があり、とりわけカーストや社会的地位の高い人ほどその傾向は強くなります。魚介類や卵、動物性の脂や出汁にも注意が必要です。日本食では野菜の天ぷらや豆腐、日本食以外では野菜のみを具としたピザやパスタが好まれます。 「日本人は礼儀正しい真面目な民族」とかいう風潮、消える 今日、本屋で春秋戦国時代に関するムックがあったから読んでみたら
章邯が総合点数60点代で李信が80点代で、ありえねー!ってなったわ
他にもツッコミどころ満載でキングダムの映画の歴史監修の人が監修してるせいかキングダム補正が強すぎだったなぁ 史実の李信って色々中途半端な人物だよなぁ
始皇帝の統一戦争に功績があるけど、楚軍に大敗した人物として有名
この手の人物はその敗戦で戦死したり死刑になったりするのが定番だけど普通に生き延びてる 【ロシア軍】 1945年以来、見たことのない攻撃準備
://lavender.5ch.net/test/read.cgi/europa/1669515505/l50
>>713
中途半端は生き延びられるんだろう。
王翦くらい有能になると心配になる。 秦には白起っていう超有能すぎて疎まれて死ぬことになった前例があるしな
そりゃ王翦からしたら始皇帝が疑い深いとか関係無しに対策とる必要あるわ 史記などから窺える人事を見る限り、始皇帝は体制の上層部に対しては寛容な君主だった気がしなくもない
著名な臣下が大体パージされた昭王時代と異なり始皇帝時代は大臣の一族が肥え太ってる感がある
さすがに若い頃の長信侯の反乱絡みに関しては大規模な粛清を行っていますが 昌平君みたく消えた臣下たちの情報が残ってないだけかもしれんが
暴君暗君カテゴリーの常としてアレな人格に描かれてるけど
史書に記される始皇帝の具体的な暴政の対象は概ね民で臣に厳しい印象はあまりないね 学校で中華王朝の年表を
夏、殷、周、春秋、戦国、秦、漢、、、
て習うけど、春秋も戦国も周のうちだとは思うんだがな 春秋時代はともかく戦国時代は周は権威さえほとんど有名無実になって
諸侯のトップでは無くなってたからなぁ いま学校の日本史では安土桃山時代のことを織豊時代てならうし、歴史の読み方は変わっていくんよ >>720本当にただの無能なら燕や斉を滅ぼせないでしょ >>724
国力と制度と勢いの必然で李信の才ではないよ
というかそこまで圧倒的な状況で慢心してあの醜態晒したのが李信なんで無能論が出るのは仕方ない
将軍になってる、処刑されてないということから見て完全な能無しってことはないだろうけど
周囲の将軍やこの後現れる英雄達を考えたら凡夫もいいとこ >>721
滅びた王の元太子を王に即位させただけで
実質、日本が本拠地を滅ぼされて辺境で名目的に新天皇を即位させても
東京や首都圏は某国の領土になっていた感じだから >>722
それでも滅亡時の人口3万でほかからせめられることも少なく
三晋も圧力はかけてくるけど晋公みたいに滅ぼされなくて
有名無実だから残っていたからね
誰かが言っていた、周の権威が地に落ちたのが春秋時代で
地面にめり込んで忘れられたのが戦国時代ってのがあっていると思う
もっとも歴史を知る知識人なんかは周王の存在を知っていて
諸侯も王を僭称しても形式的には公だからその子も王子じゃなくて公子だし >>724
旧日本軍もアメリカとかは兵士や下士官は優秀だけど将校は無能扱いだったし
強さの秘訣も、言ってみれば命令通りに動くだけだったしね
兵士が優秀で物量があれば無能な指揮官でも勝てる
日本は企業もそんな感じで上に行くと無能になるんだけど
受験勉強もマーチぐらいが良いのはそれより上にいくと
漢の宣帝が儒者は勉強をし過ぎて馬鹿になっているというようなものだろうな
軍や大企業も幹部は少なくとも大半は試験で点を取れたえりーとだしね 学力と知性は別物よね
学歴に固執する人って知恵が貧しかったりで >>729
むしろそういう人だから頑張って学力を手に入れたような
だから下手な大学に行って高卒公務員以下の仕事とか
たまに薬学部や看護を勧める宣伝信じる人いるけど
そんなのより公務員受けるのがいい
それも不人気な所
古くて嫌な部分はあるけど年功序列だし 鄭の荘公と友好的な関係を築けていれば
周王朝を完全に失墜させた繻葛の戦いもなくて
東周はもう少し力を保てたのではなかろうか ある男が、ここ数日扉を開ける夢ばかり見るんだと知人に漏らした。知人は機転を利かせ、
新しい進展がある暗示じゃないかと言ったが、どうも扉を開けた先にまだ扉があるらしい。
翌日、男は知人にもう夢は見ないかも言った。開けた先の扉が無い夢を見たというのだ。
さらに翌日、男は深夜に心臓発作で死亡した。彼が開けていた扉は何だったのだろうか? プッチ神父の異常すぎる行動が多すぎて鳥肌を隠しきれない >>721
夏は人口くっそ少ないし王朝というのか疑問
夏は農業経済だったが文度も人口も小さい
相対的に殷になってやたら巨大な王朝性が史跡上から確認できる
周は短命的に王権だったがぐだるから春秋が始まる
でも春秋戦国は実は秦王国だけまともだけど、その他の国がそれに及ばず戦国6雄は辺境伯ではあるが王権ですらない
日本の戦国時代の辺境の豪族伯より総兵力、工業力、人口力、農業経済力が虚弱だったのが戦国6雄の現実で連合+遊牧まぜて挑んで秦王国倒せないからな
事実上の秦王国時代
とすると中国朝
殷→周→分裂東西周から西周敗北→秦王国と見たほうがいいのかも 周は全然短命じゃないぞ
西周だけでも200年以上続いてる
他にもツッコミどころ満載だな >>736
秦が飛び抜けて強かったのは戦国末期でしょ?
まともの意味がわからないし春秋~戦国期で秦以外に健闘してた国は沢山あるじゃん まあ戦国中期から秦が圧倒的に強いと考える人はそれなりにいるかと
百戦百勝とまではいかずともほとんど常勝軍団みたく語られるてるし どこまでを中期とするかによるけど、少なくとも戦国の中頃ではまだ独走状態ではないかな >>736
西周が滅んだ後、春秋時代の秦は王国じゃないし
強国であっても晋や楚の方が上だった >>741
戦国の開始を紀元前5世紀半ばにするか末にするかで変わってきますね
前者なら大体秦の恵王が立った辺りが戦国の中頃、その前後数十年を中期とすると強いけど独走ではない
後者になると斉の大敗北、続いて楚都の陥落が中期の範疇に入ってくるだろうから独走かそれに近い状態に 中期は東西二帝の終わりというか斉の滅亡寸前で終わりかなって気が 斉秦互帝は歴史的にかなり重要ポイントなのに何故か注目されないよね 秦斉の台頭(魏の衰退)から並立、そして終焉を画期とするなら、戦国中期とは張儀と孟嘗君であると言えなくもない
西洋史の中世盛期に倣って戦国盛期とでも言おうか、もっとも戦国華やかなりし頃の象徴足りうる人物
過渡的な人物としては張儀の前の商鞅、東西ニ帝の出現と均衡の崩壊を見届けた魏冉が挙げられる 戦国時代内の区分になり得る劃期的な大事件としては長平の戦いがある
キングダムの影響もあり有名になったそれ以降はそこそこ話題になるけどそれ以前は比較的マイナー
時代そのものに注目度が足りない感あるわね まあ、もっと知名度が低かったら
我々も「ここもうちょっと注目された方がいいよね」、みたいな書き込みしに来てないからマイナーすぎるのも困りものだが 有名ではまったくないが春秋戦国の名前そのものはほんのり知られていて完全に無名というわけでもない
好きな人がハマれる丁度いい塩梅 まあね
春秋戦国といっても紀元前3世紀とそれ以外で状況が違いすぎるから一括りにはできないけど
ま、よくあることだし キングダムが連載される前から春秋戦国時代はよく小説や漫画の題材にされる時代だから
三国志の次ぐらいに中国史の中で人気だと思う 三国志がずば抜けて有名でそのぶん荒れやすい
それ以外は殆ど横ばい キングダムの影響なのか「春秋戦国」時代とひと括りにされてるのを目にする
漫画が描いてるの後者のみだし、勘違いしちゃう人を生んでる気がするなー
この表記って厳密には違う様にも思うのだけど 三国志も実質は東漢末期の内乱がメインだがまとめて三国という
そういうもの 大は小を兼ねると言うからな
始皇帝の戦国末統一戦争なら20年
戦国七雄の戦いなら200年
春秋戦国の大乱世なら500年
売り文句は派手な方が効果的
東周時代と言い換えれば伝統ある括りになるしね >>756
霊帝から司馬炎まで全部三国志なので時代区分ではなく通称だな
春秋戦国も同じように通称だろう 金曜ロードショーで放送していたキングダムの映画を見たが
やっぱ秦王政の時代で秦軍が魏軍単独に苦戦してしまうのは違和感あるな >>761
キングダム2の録画を5chの実況読みながら見てたんだけど
秦を 三国志で言うと蜀と長安取ったのが秦 と例えてた人がいた
ぜんぜん違うよーと言いたかった もっと圧倒してるのに >>762王政の時代、秦は中原にかなり侵略してるし
楚の領土をだいぶ奪ってるもんな
あの時代の中華の西半分はほとんど秦と言っても良いぐらいじゃない? REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないこと でもアメリカは刑罰厳しくて何も楽しくなくて国籍取りたくない
中国人とかはアメリカ好きだけど >>769
そんな他国を圧倒してる時代の秦でも李牧には勝てなかったんだから李牧はどんだけ強かったんだよって思ってしまう
…キングダムのリーボックは知らん 新釈漢文大系の補遺編で「呂氏春秋」が出版されたけど読んだ人いる?
帯にキングダムの作者がコメント書いてたな。
新編漢文選で出されたものと内容は同一なのか、大幅な加筆修正がされているのか知りたい。 呂氏春秋は講談社文庫のショートバージョンしか読んだことないんだよなぁ
今度、全部収録されてるの読んでみるかな >>773
防衛の無敗は、モンゴルに無敗だった宋の将軍すら評価されなくて
手柄なしに近い扱いをされる でも他国を攻略して領土を得ても楽毅や韓信のように主君に疑われる >>776
そりゃ被害ゼロの完璧な防衛を行ったとしても成果はプラマイゼロでしかないからな
得られるものが無いから評価もされない 会社でも実績はこんな契約を取ったとかばかりで
未然に防いだはまず評価されない 被害を出さない功績は恐ろしいぐらい評価されない
いなくなったら国が崩壊するレベルでも そういう事考えると被害を最小に食い止めようとした廉頗が評価されずに更迭されたのも止む無しかなと思えてくる 廉頗の後任が趙括じゃなくても割と同じような結果になりそうな状況だと思えてくる >>783
防御に徹したら自分も更迭されるし
積極的に砦を出れば負ける絶望 廉頗は防衛だけでなく斉や燕などに侵攻して領土も得てるのに
あんま評価されなくて更迭されるんだから切ない >>785
それでも秦軍を打ち破れない無能扱いなんだよなあ
今でも日本人は有能な人材を無能扱いして
これができない扱い
英語が駄目で韓国語が話せても英語ができない奴扱い >>785
長平に関しては圧倒的な兵力を長期間任されてたことになってる訳だし実績は高評価だったかもよ?
連敗した王コツ戦のパフォーマンスが評価されなかっただけで ありし日の前燕を継いだのが、前燕に居場所を失った慕容垂だったというのは、歴史の皮肉です。いや、前体制と距離があったから、立て直すことが可能になったのか? 東晋が強かったのではなく、前秦が弱かったんだと思う。 苻堅の理想は、その内容に道理がなかったから、実現しなかったんじゃないと思う。ただ急すぎたという理由だけで、受け入れられなかった。 廉頗は長平の後の秦による邯鄲包囲網戦で何してたか記述が無いんだよな
やっぱり干されていたんだろうか