殷〜西周こそ熱い時代!!!!! [転載禁止]©2ch.net
紂王は信長系統の能力と性格してたんだと思う。だから史記とか封神演義の無能な暗君
と言うのは周が紂王を打倒したことを正当化するために矮小化したものだと思う。
甲骨文字だと積極的に東方遠征繰り返しているしかなりやる気満々。
堕落して遊び惚けてたという事は無いだろう。ただ苛烈な性格は周囲から恐れられる。
やられる前にやってしまえと思う奴も出てくる。 発達障害説もあるね、曹操も
言葉で言っても一般人に伝わらなかったりする
学歴の話はやめてくれと言っても
大学のサークルでとか高校の部活でとか >>318
いまの信長って周旋能力の化け物と認識されてるけどな…… 美化もあるけど意外に保守的って話もある
有名人は美化される傾向にあるから >>314
軍の主力が東方にいたらしいのと
三監の乱が実は遥かに激しかったらしいから
殷の中枢部は落とせても、強大な軍事力は残存、東邦諸侯もそのままなんだよね 克殷よりも三監の乱の方が大戦争だったそうだから
殷の国力がかなり温存されていたと思う
後の世で言えば首都を落とされただけで各地は健在
主力は東方に行っていたから周連合軍と戦ってもいない 三監の乱の経緯
序盤戦:周公旦の兄と弟である三監が周公旦に反乱
↓
中盤戦:武庚が周の混乱に乗じて殷の住民とともに挙兵
↓
終盤戦:異民族である淮夷族を討伐
と3段階に分けられると思う。序盤戦の頃は周王室の内紛みたいな感じでどっちも本気で相手を
殲滅しようとしてたわけじゃないから小競り合いの連続に終始してたみたい。
だがこれに殷の復興を唱える勢力が挙兵したので途中から大戦争に変わった。
最初の頃それほどまでに戦争の規模が大きくなく、周軍も適当に戦って一度撤退しているし
これは最初は相手が身内だったからだと思うね。でもそれどころじゃなくなったと。 周は短期間に三回に分けて侵攻している。一回目は本当にただの小競り合いで終わっている。
二回目からが本当に殷の残党との戦いだろう。三回目は遠くまで進攻してて現地の淮夷族
との戦いが主目的。 残党と言っても、殷の主力軍と戦わずにだったから
劉邦が彭城を落としたけど強大な楚兵はそのままってのに近い状況かと そう言えば、王子聖を旗頭にだから、殷の残党は分裂しないで1人の下になんだよな なるほどねえ
孔子が周公旦が尊崇することこの上なかったのは孔子時代の魯国が三桓による本家凋落を周公旦に習って納めようという意思表示でもあったのかも知れんね 封神演義では紂王の息子二人が登場しており武庚と微子啓の兄弟がモデルで
子供として描かれるケースが多いが実は二人とも成人らしいね。
武庚は三監の時に反乱起こして、微子啓の方は周に付いて後に宋に封じられる。 封神演義で殷侯とか言われてた息子達
王子聖をろくし聖とかろくしコウともいうから
その音が伝わったのかな >>330
武庚は紂王の息子だが
微子啓は紂王の兄だべ 封神演義だと微子啓と微子●(忘れた)の2人が兄として登場してなかった?
読んだのがずいぶん昔だからあんまり覚えてないけど何か2人いた気がする 封神演義においては微子啓と微仲ではなく仲衍でもない微子衍と
さらに紂王の伯父の微子に比干の息子の微子徳なんて四人もいる
あと殷郊と殷洪兄弟とは別に武庚はちゃんと存在してるし
殷郊は太歳が北宋あたりに擬人化して神格化された殷元帥が
元代あたりから殷てついてるから殷の紂王の息子設定ができたとかそんなんだぞ >>332
紂王が先王を文武丁としていて
殷侯王子聖も丁の子らしいから紂王の弟かもしれない 封神演義とかの物語系も含めていろいろごっちゃになっているよな〜
中国人でもだいぶ紛らわしいみたいだし
三国志演義以上に神話とか物語性が強いしね。はっきりいってファンタジーだし。
でも歴史的事実もちゃんと描かれているから完全架空でもない。 >>319
信長もずっと暴君扱いだったからね
改革的あるいは保守的な面がクローズアップされたのはつい最近 >>337
明治時代の書物では暴君扱いは既にされてないけどね 帝乙は恐らく文武丁の音だけ聞いて文武帝、ぶんぶてい、ぶんぶていい
ていいつか>?ってかんじのまちがいかもしおれn 文武丁なんて文と武を両方使うわけないだろってのが卜辞に刻まれていたわけだし まあ文が先代のって意味かもしれんけど
太丁って方が合ってそうだし
文武丁みたいな文と武を両方使うなんて間違いだろと思われたのかも まあ文が先代のって意味かもしれんけど
太丁って方が合ってそうだし
文武丁みたいな文と武を両方使うなんて間違いだろと思われたのかも
もしくは文丁と武丁よとかって意味だったりして
でも殷の紂王は先王を文武丁って一貫して読んでるんならやっぱり
文武丁が正しいんだろうな 古舘伊知郎 ズバリ! 4630万円より「コロナ予備費の使途不明金11兆を追及すべき」
://twitter.com/tospo_prores/status/1529357726299860993?s=20&t=fOnwm7XIjSUBYBS0bWKWIw
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 炎帝の子孫が武王に封建されてるってのは後世の創作かね どの時代からあれ創作されたんかねぇ
三皇五帝の子孫が封じられたのは 漢初に封じられた殷の子孫とかも冷静に考えて見つかる訳ないよな 殷の子孫を名乗る子孫だからセーフ
孔子も殷の子孫じゃなかったっけ? >>352
あれは孔子の妄想というか推察だったはず >>350
おそらく春秋後期から戦国時代だろうね
漢以後は基本的に古代を鵜呑みにするようになる 漢(蜀漢)については、記述が少なく実態はわかりにくい。
しかし、諸葛亮が漢中において兵を屯田させていること、
丞相府として開府していることから、
丞相府統括としての隋唐におけるような府兵制となっていたのではないかと思われる。
諸葛亮の蜀漢における絶対権力、
軍事上の機動性を考えると、その可能性が高い。
劉備の死後、全ての軍隊が諸葛亮の統括にしか見えないのはそのためである。 卜辞に、王 作る 三師 右 中 左とある
二十等爵の更の序列も右、中、左の順である なんかありらこちらに書いてるっぽいからただの連投荒らしだと思う 加上説じゃないけど後世に創作されすぎて実像が掴めない 科挙の勉強法から
理解して暗記するのは無理だと分かった
覚えた後でないと理解できない 夏の末裔とされる杞は甲骨文字にも登場する(多分夏の本当の名前は二代王の啓と同音の杞)
が三皇五帝の内、三皇は戦国末期で五帝が春秋中期を遡る事はないようだ。
おそらく後から何らかの伝承をまとめて三皇五帝としたのだろう。 >>363
二千年前に生きてた光武帝から見てさらに一千年前の出来事だもの
武王やら周公やら名前が残ってるだけでも凄いよ 禹=神武天皇
黄帝=天照大神
神であって人間ではない 王子聖を天子聖と書いているものがあり
天子は大子であり、大子は太子を意味する
つまり、殷では、天子は王より格下であった
正確には次の王になる人のことであった 伯夷叔斉って儒教の聖人ってことになってるけど
父の遺言に逆らって国を捨てた叔斉は不孝ではないの? むしろ主君の悪逆を止めようともしていないし
忠義に凝り固まった老人だから
嘘かもしれないけど君主が人を斬りたくなったら黙って首を差し出すのが何進の務め
紂王が悪逆でも反抗してはいけないだからね ×何進
〇家臣
主君が悪逆でも家臣は反逆してはいけないって価値観
親が毒親でもやっちゃいけないように Q 親の罪をとがめない舜をどう思いますか
A 背負って尭の治世が届かないところまで逃げろ 孝は忠より明らかに上らしいから
親と主君なら迷わず主君をやれが儒教の価値観だから
この宗教?は物凄く山賊・盗賊・極悪人であっても
日本と違って親〇しは許されない 文王の子で伯邑考だけ異質な感じが凄い
名前の意味すら謎だし 武王の弟達は皆、国名叔だから
叔は弟で、武王が仲、次男で
長男は伯だから、伯の邑である考さんか
考という領地を治めている伯、兄さんって意味じゃ? 他の兄弟を見るに伯は長男の意だろうが、邑と考に関しては正直よくわからん
両方とも諱なのか
片方は何かの称号なのか >>381
伯の字も排行(兄弟順)、名前、字(あざな)以外に色々使われて
爵位、国名、氏族名、姓(名字・家名)や覇者とかあり過ぎてね >>380
姓をつけて呼ぶか呼ばないかも色々だしね
周公旦もブオウノオトウトデナクべつしぞくせつあるしね >>385
名前の後に姓とかってのも古代にあったし
王〇とか、后〇とか、侯〇とか、君〇みたいな言い方もあるし
殷も大邑商とか天邑商とか王邑とかで
普通〇邑なのに邑〇って言うこともあるからねえ、、、 さっき書けなかったけど
英語でアルファベット3文字か4文字の略称を
ヴイ・アイ・ピーみたいに言ったりオペックみたいに言ったりで
アルファベットで読むのと続けて単語みたいに読むの両方あって
非ネイティブにはどっちにするか区別が分かりにくい
語学の勉強でそっちの人には言いやすいからそうなっているのが
非ネイティブにはこの場合はこうでと覚えないといけないのとか ついでに叔も弟の意味で言っているのと叔父の意味で言っているのがあって紛らわしい
酷いのになると大敗と書いて負けたのと
敵を大いにやぶった、つまり勝ったのと両方あるんだよなあ・・・
殷では父は父世代の全員に使われる、つまり伯父・父・叔父の区別がない・・・ >>386
上古の帝は◯帝じゃなく帝◯っていうしね 帝〇、例えば、帝雲とかもいるけど、雲の帝なのか、帝の雲なのかも分からん
帝または上帝っていうけど、全てを束ねる者だから、帝だけで最高神っぽい
帝臣とか帝五玉臣ってのもいるけど >>386
ちょっと違うけど
下って春秋中期、(百里)孟明視、西乞術、白乙丙という風変わりな三人組が登場するしな 春秋時代は(後世からみると)変な名前の人が多い
四文字もざら >>392
一文字だとシューとかジュンとかみたいなのばかりになるからじゃね もともとは長めの名前を持つ文化がわりとあったけど徐々に滅んだんだろうな 孔子に関するエピソード読んでると
お前本当に中原の人かと突っ込みたくなるような複姓複名のオンパレード 中原自体が、河を下ったり河南平原を抜けてきた征服者の植民地ですからねぇ 春秋期くらいの中原は被征服民的な存在もまだまだいただろうし
衛が蛮族に敗走して中原を逃走するような時代だし
後世よりも言語が多様そうだな >>398
公山ひかくとか叔孫なんとかとか季孫、仲孫、司家なんとかとか 孔子で気になるのは魯公が出産祝いに鯉を贈ったって逸話
嘘っぽいけど長男の名前を孔鯉にしてるんだよなあ
その時、孔子は18か9で小役人だったはずなのに
平社員の子供が生まれるから贈りものする社長ってのも珍しいのに何でだろ?
孔子の家は名門?とんでもっぽいけど実は季孫氏の子説が正しい? >>401
名門とはいえないと思うけど
系譜を信じるならそれなりの血筋で下級貴族以上の家ってことになるかな 孔子の子供が生まれた時に鯉を贈ったのはドラマとかでも出る逸話だけど
魯の君主がわざわざ下役人の出産祝いを贈るってのが何かおかしい
全員に贈っていたとしたら、かなりの負担になるだろうし
やはり、身分は低いけど何か特別な存在だったのかなあ なにかきっかけがあればあり得ない話じゃないが
まずは後世の潤色を想定すべきかと
孔子にまつわる話を創作したい人は山ほどいたろうし 孔子が魯公の愛人だったという説もありえるのではないですかな?
塚本青史なら、これに麻薬もからめて濃厚なホモのキメセクを書きそうだワァ! 壺ウヨが出す話はみんな古すぎるんだよなあ
そろそろ頭アップデートしろよ 夏の末裔とされる杞は甲骨文字にも登場する(多分夏の本当の名前は二代王の啓と同音の杞)
が三皇五帝の内、三皇は戦国末期で五帝が春秋中期を遡る事はないようだ。
おそらく後から何らかの伝承をまとめて三皇五帝としたのだろう。 王子聖を殷侯として商侯としなかったのは商の名を使わせたくなかったのだろう 周原甲骨で周方伯や王と呼んでいるのに周侯と呼ばないのは
侯は良くない意味なのだろう