【if】孫策が生きていれば
孫劉の関係も変わってただろうし、中華の歴史も変わってたと思う
て言う事は日本の歴史も変わっていたはず
お前らどう思う? マジレスすると、君主としてはどう考えても孫権の方が有能(晩年の老害期は除く)
陸氏をはじめとする地元の名士や豪族に嫌われまくってる孫策に何を期待しとるんだ 数年後曹操などと提携した反孫策豪族連合により
孫策は一族郎党諸共あぼーんされておしまい☆
しかしその後の江南地方は豪族・異民族連中による
gdgdの覇権抗争に突入した結果、
中原の影響圏の空白地帯、または希薄な地帯となる >>3
ですよね。
それでなくても嫌われまくっている上に
更に嫌われ憎まれる事をやらかしている体たらく。 恐らく周りが敵だらけになって呂布みたいな最後になると思うわ
曹操が天下統一出来ただろう >>6
呂布よりむしろ公孫(王賛)とか源義経みたいな末路だと思う。 非道っぷりなら孫策は呂布を上回る
公孫瓚と孫策のどちらが残酷かというのは難しいが…
というか同類だから
袁術陣営(脳筋)
河北の公孫瓚
中原の陶謙と呂布
江南の袁術と孫氏
袁紹陣営(インテリ)
河北の袁紹
中原の曹操
江南の劉表と劉繇
Fight!!↓結果
河北の公孫瓚は袁紹により滅亡
中原の陶謙と呂布は曹操により滅亡
江南の袁術は曹操により滅亡、孫堅は劉表により戦死、孫策は劉繇を滅亡させるが自滅
つまり袁術陣営は全て壊滅、こいつらダメすぎる
しかし孫権により奇跡的に江南で勢力存続した
なぜなら共通の敵がいなくなった袁紹と曹操が覇者決定戦をおっぱじめ、劉表も桓階の暗躍で行動不能になった為、みんなから暫くスルーされたから… >>8
>公孫瓚と孫策のどちらが残酷かというのは難しいが…
>というか同類
公孫瓚=北方の孫策
孫策=南方の公孫瓚
というのは当方も全く同意。 孫策生きてれば周瑜のパラ1.5倍にはなるし、下手すりゃ血吐かずに生きてたかもよ
孫劉同盟も上手く行って、てか孫策 劉備の元に降り六虎将軍へ
劉備尚香も一生を添い遂げられ、新たな世継ぎも出来たかも
魏蜀の二国時代になって蜀による漢王朝復興
ほら、歴史が変わるじゃないか 10
ないないw
>>3を5000回くらいじっくり読んで
その意味を1万回じっくり客観的に考えてから出直して来い。 武将としても孫策、雑魚専疑惑あるからなあ
陳登に負けてるし
良いタイミングで死ねたのかもしれない >>11
なんでわざわざ煽るような言い方をするのか… >>13
釘を刺すつもりできつい言いかたをあえてしたが、
きつ過ぎて却って災いになる口調だった。
申し訳ない。
孫策って良くも悪くも日本人受けの良いタイプの
歴史人物(源義経とかの系統ね)だから、
しばしば過大評価される傾向がある。
その辺注意しないと。 >>15
いいんだよ
お前らの孫策観を知りたくて立てたスレだから
個人的には(孫策)過小評価されてる気がするんだけど
と言う事で、孫策生きてれば劉備と尚香も一生添い遂げられてるはずだろ
そうだとしたらそもそも政略結婚そのもながない、ってのは止めろよ 尚香はそもそも性格的に劉備と大人しく添い遂げるようには思えないんですが…
趙雲別伝では完全に悪役として登場してるし どうも軽はずみというかとにかく自分で動こうとする人だったみたいだからやっぱりどっかで死んでた気がするけど
あらゆる暗殺や事故を回避して天寿を全うしたとしたら結構な勢力圏を築いていたんじゃないかとは思う
この辺は劉?や王朗、許貢が弱かったと考えるか孫策が強かったと考えるかで変わると思うけど
ただ自分としてはいくら上記3人をはじめとした連中が雑魚だったとしても寡兵からたかだか3〜4年で江東を制したというのは相当なものだと思ってる >>18
華歆や王朗の魏での事績を考えても軍事向きの人間とは思えんけど、そこはあまり問題じゃない
孫策が短期間で江東を制圧した"かのように見える"のは、敵対勢力や土着勢力を容赦無く殲滅するやり方をとったからだよ
これでは潜在的な不満と脅威を内包したままになるので、大勢力に成長するのは無理
孫策がすぐ死んだから、そういったデメリットが露出せずにむしろ孫権に押し付けられているだけ
公孫瓚だって似たようなやり方で孫策以上に急速に勢力を拡大したが、袁紹という強敵にぶつかり負けて武威を失った途端に、膨らんだ風船が破裂して萎むように急速に衰退した
そして易京に立て籠もった公孫瓚を幽州の官民は誰も助けにこなかったどころか、むしろ袁紹に協力して公孫瓚を攻撃
支配地を敵に回すとこうなるという例なわけで、暗殺された孫策だって暗殺という第一段階で死なずともいずれこうなってただろう 孫策より孫堅の方が生きてれば大分歴史は変わったと思う 孫策ってよく過大評価過大評価言われるが
少なくともネットでは孫策は過大評価されがちって意見はたくさん見ても
実際過大評価されてるところなんてあんまりみないんだよなあ >>21
現在のネット外(書籍とか)が10年前までと比べて
孫策に批判的な(正確には「正当な評価を与える」)傾向の強い
学者・研究者が増えて来たからかな。 みんな好き嫌いは別として孫策をそれなりにキーパーソンとして捉えてるんだな(喜)
そもそも約2千年の話だから何が本当で何が捏造で、誰が実在して誰が架空か、なのはどうでもいい
今お前らが考えてる三國志観、呉観、孫兄弟妹観
つーても、実際 呉の動向ひとつで天下は変わった→孫策が生き延びてれば→その呉の動向も変わったと思います 喜ぶのはまだ早い。
キーパーソンも何も歴史的評価上では
せいぜい南方版公孫瓚、
つまり「雑魚に毛が生えた程度の奴」
「北斗の拳で言えばひでぶっとかあべしっと言いながら
爆発して死ぬ奴らに毛が生えた程度の奴」
ってことだから。 >つーても、実際 呉の動向ひとつで天下は変わった
>→孫策が生き延びてれば→その呉の動向も変わったと思います
>>8>>19を心して読むべし。
呉がキーパーソンになれたのは孫権の融和政策によって
江南土着勢力と共同し得る環境が出来たからで、
間違っても孫策の功績ではない。 まあその弟の孫権もやがて、自分の意見に反すれば功臣や名臣だろうと容赦無く左遷したり処刑したり憤死させたりする人間に成り下がるんだけどね
父の孫堅も、自分と敵対したならば刺史や太守だろうと、容赦無くブチ殺す人間だった
孫策が特異というより、家系そのものが物騒 なんでお前ら孫策嫌うんだよ
力で江東制覇したっていいだろ
小覇王だぞ
その後のフォローは呉国太様と孫権でやるわ 嫌っている訳では無いですよ?
あくまで
「小悪党の最上スペッククラスに毛が生えた程度の人物」
と歴史的な評価を下しているだけで。 孫策が焦土作戦に出たのは短期間で江東を制覇する必要があったからである程度の地盤が築ければそれなりの宥和策は採ったんじゃないかなぁ
その後の孫権時代に活躍する有能な人材を迎える眼と度量は間違いなくあったわけだしそういった人士の意見を聞かずに死ぬまで「敵は全て皆殺しじゃー」ってやる程愚かではないと思う
孫策の時代には既に周瑜・魯粛・張昭・張紘といった優秀なブレーンはいたわけだし
逆にそれだけの人材がいても(魯粛が合流したのは江東の平定後だけど)なお江東を力でねじ伏せたっていうことはそれが最も有効な手段だったと考えることもできるし >>29
>周瑜・魯粛・張昭・張紘といった優秀なブレーン
その大多数が江東以外の地方出身な件 そこはあんまり関係ないような
自分の出身地じゃないから蹂躙してもいいやっていうのは仮にも後世で智謀の士と呼ばれるような人間の考える事じゃないと思う 廬江太守の陸康(呉郡名士筆頭呉郡陸氏の家長)→孫策に一族ごと殺害される
丹陽太守の周マ(後漢を代表する名士陳蕃の故吏)→孫策に殺害される
高岱(名文家高彪の子)→民衆からの人望を孫策に憎まれて殺害される
魏騰(八俊魏朗の孫)→孫策に殺されかけるが孫策の母の自殺未遂で救われる
底辺豪族出身な孫策の成り上がりコンプレックス?
揚州の名士がとにかく嫌いだったようだ
二世三公廬江周氏の周瑜だけ例外なのはやはり幼馴染パワーなのか ・月餘,發病卒,年七十。宗族百餘人,遭離飢厄,死者將半。(後漢書「郭杜孔張廉王蘇羊賈陸列傳」)
だから孫策が陸康を攻めたのは間違いないけど一応死因は病死で一族も百余名のうち半数は飢餓で死んだそうだ
おそらく残り半数は生きながらえたのだろう
・周マは別にわざわざ狙ったわけじゃなく王朗の配下として孫策との戦いの前線に立って負けただけ
弟二人は孫策じゃなく許貢に殺されてる
・高岱の件は討逆伝の註を読めば完全に何者かに嵌められたのが分かる
・魏騰はその後孫権の治世でもほぼ全く同じことをしてるので本人にも十分に問題があったとも考えられる
多分わざとだとは思うけどあまりにも悪意を持った解釈をしすぎじゃないかい? あと付け加えるなら陸康を攻めたのは袁術の命令
ここで陸康を取り逃がそうものならその後の立場に影響が出る それでも江南土着名士連中を殺り過ぎ死なせ過ぎた事実は変えようがない訳で。
百歩譲って孫策本人に悪気は無かったことにしても、
江南土着名士と彼らを支持する民衆から総スカン食らうのは必然の結果。 >>33
いや、ぶっちゃけ渡邊氏の意見を転用してるだけで、悪意に解釈するつもりは無かったんだが
後漢書にそんなことが書いてあったとは知らなかったし勉強になったよ >>36
>渡邊氏
孫策に批判的な(正確には「正当な評価を与える」)傾向の強い学者・研究者の第一人者っすね。
あの人の分析自体は主観排斥度とか客観度が高いから評価しているけれど、
袁術派の群雄(孫策とか)についての文面は袁術嫌いがついつい高じるのか
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」な若干disり目の書き方になりがちなのが玉に傷。 お前ら凄いな、尊敬するわ
その知識、と言うかそれを得ようとするバイタリティ
そのエネルギーを社会のために使えんのか!?
ニートしてても何の役にも立たんぞ(^q^)
でも勉強になる
おれも三國志戦記2の孫策ムービー見てホルホルしてる場合じゃな(`・ω・´) とりあえず38の孫策観とか孫策への評価が知りたいのでまとめてごらん。
それと蛇足になるけど箇条書きとか段落をつける場合ならともかく、
改行のたびにスペース開ける書き方は馬鹿に見えるから控えた方が良いよ。 ごめん、改行は読んでくれる方に一呼吸入れてもらいたい、のと続けても構わない文章だど、出来ればその一文々々毎を考えて反応してもらいたい
孫策観はまたシラフの時に改める >>40
>改行の件
>一文々々毎の内容を考えて反応して欲しい
その場合でも改行のたびにスペースまで開ける必要は無いよ。
内容を考えて反応して欲しいタイミングで普通に改行すれば良い。
39に更に蛇足つけると
ゲームや小説などのみに使われる名称(「尚香」「美周郎」など)は
極力使わない方が良い。
あとは出来るだけ主観に走らず客観でまとめることと、
反論が来た時に客観的な回答が出来るように準備すること
(ソースは史書とそれに準拠した書籍など)かな。 「尚香」は元々は京劇での名前だから現地中国でも尚香で認識している人は多い
演義での「孫仁」という名前の方は妙にマイナー、まぁ尚香に比べて女性っぽくないからかね
「美周郎」の方は初出調べてみたけどいまいち分からん、多分こっちも京劇だとは思うけど
一応自分が調べた限りでは後漢書・三国志及び三国志の註には「周郎」はあっても「美周郎」は無かった
んでも個人的には相手に伝われば表記はどうでもいいと思うけどね
無論悪意を持った呼び方はしないに越したことはないけど 不必要な殺戮という意味では、明らかに皇帝即位後の孫権の方が孫策より上だろう
孫策は一応敵をブチ殺してたが、孫権の矛先は自分の配下だぞ
孫氏と江東名士の和解の象徴だった陸遜まで殺してるし 孫策(権、小妹)は孫子の末裔とされてるけど本当?
その前に孫子=孫武(孫月賓 説も?)だと思うけど孫武の記録って殆んど無いんでしょ?
【if】孫武が実在したとしたら呉王が夫差になってからどこに行ったの?
質問ばっかでごめんね>< YES → 【見つかった?】 ─ YES → じゃあ人に聞くな 氏ね
/ \
【ググった?】 NO → なら、ねーよ氏ね
\
NO → ggrks とっくにググったけど諸説あるから各々の見解を聞きたい
てかググんなきゃ質問しちゃダメって誰が決めたんだよ このカスが!
どこに書いてあるんだよこの糞が
昨日の国会で決まったんかよ
>>46目の計算機叩き割ってその勢いでお前こそ氏ねや なぜ周通みたいな小物と同じ通称なのか、羅貫中はなにを考えていたのか >>51
周通は自称で孫策は他称だからまぁいいんでない
もっとも本人には「孫策驍雄 與項籍相似」という評価は甚だ不本意だったみたいだけど
むしろ、それを知らぬはずもない当代随一の三国志フリークである羅貫中がなぜ「小覇王」を採用したのか、そっちの方が気になる >>53
参照になるかどうかは解らないけれど
孫策贔屓派の研究者の第一人者かもしれない井波氏いわく
「羅貫中はアンチ孫策」。
しかしそんな彼女は孫策の枕詞に
「江東の小覇王」なんつーのを好んで使っている訳だがw いや水滸伝の作者は正確には不明だけど
一般には施耐庵が強いぞ。
あと>>51は周通さんで検索してみると考えが変わるかも 張昭は内政官というか政治家というか智を向けるベクトルが范増とは全く違うと思うんだ
范増は計略暗殺陰謀大好きの根っからの謀臣だから
孫呉で范増のイメージに近い人物を挙げるとすると………魯粛? >>54
まー実質蜀にトドメ刺したのは荊州陥落+夷陵の敗戦だから蜀漢正統を掲げる羅貫中が孫策、ひいては孫呉に対して含むところがあっても全然おかしくはないよなぁ
それでも二宮の変とかの孫呉の恥部をばっさりカットしたのはやはり物書きとして作品の完成度を上げることを優先したんだろうかね 遼東事変+呂壱事変+二宮事変という三連続孫呉大破壊活動こそ孫権の真骨頂であって、これらが無かったら孫権ってかなり影薄くなるしな
悪玉は曹操で足りてるから孫権は空気にしてやろう的な考えだったんじゃないの >>45
孫堅が孫武の子孫を自称してただけ
劉備が劉邦の子孫を自称してるのと同レベル 劉備が劉邦の子孫を自称ってのはほぼ本当という事で問題ないらしいけどな
当時は滅茶苦茶多かったんだよ劉邦の子孫ってさ
現在は劉邦の子孫はどこにもいないから、名乗ってるやつらは完全に自称だけど 漢王朝から左将軍に任命されてるから劉備が劉邦の血をひいているのが本当であろうと嘘であろうと、漢王朝から劉邦の子孫であると認められてるって事なんだろうなあ 当時劉姓は漢帝室の裔でないと勝手に名乗れず、劉備は劉姓を名乗った罪には問われて無いので劉邦の末裔だったのは間違いないが
アホのように多かったという中山王の末裔なので有り難味はイマイチ。
もっとも後漢王朝の血筋自体が前漢からしたら傍流に近く、献帝も劉備並にどっこいどっこい。 >>62
左将軍にしたから劉邦の子孫だと認められてたってのは意味不明
ついでに言えば、劉備を左将軍にしたのは漢王朝っていうか曹操 >>45
孫策(権、小妹)は孫子の末裔説ってのはまずないだろうって見解がされてる
孫武は夫差の勝利の後、斉で隠居してたんじゃないか?子孫の孫ピンも斉だし
孫子は孫武で孫ピンのは斉孫子と呼ばれてる 孫呉ってなにか卑怯臭さがあるから好きになれん。所詮は無秩序な辺境だからだろうか。 呂布「劉備が一番信用できない」
孫権「劉備とかいう糞ペテン師」
劉備「仕方なかった 生きるため 仕方なかった」 孫武が呉から ハンレイが越から逃げ出さなきゃあの辺りも三国時代には変わってたのかな >>69
名誉創始者の孫堅も事実上創始者の孫策も
ガチ893という事実でお察し(ry 糞2ちゃんねるの創始者ひろゆきと、その子分のブラック企業みたいなもんね。
閉鎖だな。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆