なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
名将の子で、幼い頃から兵法を学び、議論すれば父をも論破する。
そんな天才児がどうしてこうなった…… 前近代社会の人類の平均寿命はおおむね二十歳代であり、子供を5人生んでも大人まで育つのは2人か3人というのが普通だった。 >>621
あの時代だと紙が無くて竹簡だしね、兵法書なんて宝物扱いでしょ。
現代の感覚なら数百万円って感じの兵法書暗記するぐらい読み込んでたって没落貴族の
息子だと思ったほうが自然ですよね。
張良だって韓の宰相の息子だし、諸葛亮だって出師の表では「自称南陽の耕夫」ですが
琅邪郡の豪族の一族だったらしいしね。
又潜りの逸話も、名門の御曹司が没落してチンピラに絡まれたって方が正しい気がする やたら生活力がないのもボンボンだったからと考えると納得感ある 秦の昭王というテレビを見ている。(だいぶ前銀河チャンネルで放送されたやつ) 趙括さん、かわいそ過ぎる。 全く無能。 登山家は擁護できないけど、超カツは本人の人間性に問題があったとはいえ、ちょっと可哀想だよね 馬謖が山に登ったのに理由があるとか言っている人があるけど
一応頭のいい奴が考えてやったんだから理由はあるだろって
それが水のことを考えていなかっただけで
兵法書に水は大切だと書いていない 司馬遼太郎も「項羽と劉邦」で項羽について書いてたけど、
いい生まれの人ほど人に世話されることに慣れてるから、
兵の食い物とか、寝るところとか、休息に神経が行かないんだってね
兵糧については兵法書に必ず書かれてるから考えたかもしれないけど
飲み水に関しては馬謖くん、下々がよきに計らうものぐらいに
軽視してたかもね あさま山荘の時も、実は隊員の水分補給が考えられてなくて、渇きに耐えられなくなった応援の警視庁や神奈川県警の隊員が雪を口にするって事態になった
幸い重大な事故にはならなかったけど
長野県警の隊員はさすがにこういう場面に慣れてて、のどが渇いても雪に手を出すことはなかったそうだ 休元は敵を軽んじたため、国家に損失を与え死を招き、文進は奮闘して、共にこの敗北で命を失った。
災難は一人から生まれ、広大な影響を与えた。
馮休元・張文進を賛える 張コウ軍って何万人ぐらいだったか判明してるんだっけ?
10万の蜀漢軍をボコりに来たんだから、諸葛亮本軍が攻撃してた隴西にもある程度の戦力はあるとはいえ、やっぱり10万前後の戦力はあったって考えるべき? >>617
読める字は十字もないとされているから
馬謖以外もよく見ていなかったのでは
おそらく読める文字の内、2つは王と平だろうし >>649
戦前の陸軍のむだぐちと同じ
勉強はできてもちょっとしたことに気がつかないし
後で分かっても失敗を認められないから問題ないと言い張る 、曹操は、袁紹の戦略を横取りした。
ノープランの曹操は、袁紹が死んだのをいいことに、
「河北を平定して元手とし、中原を制覇する」
を踏襲した。 張郃という武力統率が90台のまずまずの戦争屋に、 文官の馬謖をぶつけた孔明のミス
いくら知力が圧倒しても無理ゲーでしょう まあ、実際は経験値・引き出しの数を含めた頭脳で、張コウが馬謖を圧倒したわけだが 知力は馬謖が87で張郃は69、馬謖の方がずっと高いぞ それは小説をベースにしたコーエー三国志のデータっしょ
短気で、張飛との知恵比べでも負けた経緯で低めにされてるというが、
現実の張コウは呂蒙に近い司令官タイプの切れ者で
そっち基準で考えれば知力は80台後半はあってもおかしくない
逆に馬謖は気のきいたセリフで孔明を感心させたぐらいで、
実務では知力の高さを示す機会はなかったと言っていい
太守としては硬直思考で失敗してるし 一体いつから劉備が弱いと錯覚していた?
曹仁や陸遜にここぞってところで負けたうえ、小説では戦下手に書かれてるせいで弱い印象があるのかもしれないが、実際はあの時代最強クラスの戦争屋だわ。逆張りでなく 趙括の起用については、いくつかの伝承が存在してたんじゃないかな
それを因果応報譚の好きな司馬遷が、自分好みの劇的なお話を採用しただけな気がする
廉頗解任から趙括起用までの背景は、実際にはもう少し深刻でおごそかだったと思うんだが… 趙括の才能は秦にまで知られてて見掛け倒しだとバレてたって話が胡散臭いわ
范雎の謀略により廉頗を更迭させたのは事実かもしれんが
趙括に交代させるように仕向けたのは後から作られた話だと思う それねー>趙括の才能は秦にまで知られてて見掛け倒しだとバレてたって話が胡散臭いわ
この辺が寓話っぽいというか、かえって現実味が乏しく感じられる点だよね
てかこの戦いは趙と秦のがっぷり四つじゃない点が、結構忘れられてる気がする
虞卿列伝に書かれているように、魏と楚を引き込む外交的な駆け引きがあったわけで、
廉頗→趙括の交代は、この辺の外交も絡んだ政治的な事情があったんだろうな、と思う
少なくとも、
「マヌケな国王と側近がお馬鹿なボンボンを起用して、たいへん無惨な結果を招きました」
という単純な構図ではなかっただろうなあ、と でも両親と藺相如が反対してるからな
この辺まで創作とすると、趙括に関する記述ゼロにならないか? >>667
そういう親しい者だけが趙括の実態が分かっていたというのはまだ現実味があるんだよ
秦の首脳部にまでバレてたってのが怪しい 敵対してても使節の遣り取りはある
貴族間での婚姻等で国を超えた繋がりもある
秦に限らず全く諜報に無関心であるはずもない
捕虜から情報を聞き出す等もある
他国の貴族を宰相に迎えるもしくはその逆もある
史料から他国の貴族の性格や噂を伺える記述は趙括以外にもある
趙括の評判を趙が秘匿しているという様子は覗えない
勘繰り過ぎにも思うけど ここらの時代だと当時の重要人物でも記述ゼロなるのはよくあること
逆に言えばそういう時代にも拘わらず妙に詳しい説話は要注意
范雎や趙正書の件がそこそこ知られて来た昨今だし
史記ほかの趙括説話もそろそろ鵜呑みから離れるべきかもね
タイムマシンでもない限り答えは出ないけど… どっちかというと母親が息子使わないように王に進言のほうが胡散臭いエピソードだと思う
藺相如が廉頗擁護するのは理解できるが 藺相如の反対論は、たぶん廉頗を解任するやり方がまずい点を批判したんじゃないかと想像する
楽乗を攻撃した話からして、廉頗が相当の激情家だったことがうかがえるし 司令官が廉頗のままだったとしても当時の状況だと趙の敗北は変わらなかったと思うけどな
その場合は秦が趙括に司令官が交代することを恐れて宮廷工作して交代を妨げたというエピソードが残っていたかも >>672
その趙の重臣廉頗が同じく趙の重臣かつ楽毅の縁者である楽乗を攻撃するとかいうヤベー不祥事
もっと様々な説話が作られてもよさそうな事件なのに原因も経過も淡白な記述しかないよな >>673
同感>趙の敗北
というか三年も戦争してる割には、趙の首脳部がどこを落とし所にするつもりだったのかが書いてないんだよね
まさか、「上党全部いただいて、ウチがまるっとボロ儲けェ!!」なんて都合のよすぎる考え方をしてたはずがないし
もし首尾よく上党郡を総取りしたとしても、その場合秦だけじゃなく魏も黙ってないだろうしなぁ
趙と関係の深い魏の信陵君だって、さすがに国内の反趙派を抑えきれなくなると思う
個人的には、趙の孝成王が「戦後」に目の届かない、愚かしい王様だったとは考えにくいけど… この時代、勝つ&成功する以外の落としどころが提示されてないって割と普通では?
上党争奪以上の期間、斉攻撃してた燕の昭王と楽毅とかも軍事的勝利以外の方法による決着は最後まで出来てないし
強大化によって内外が動揺・緊張することの心配やその対応策を事前に用意した話も特にない 大体戦国策etcのせいで行き当たりばったり感がものすごい時代
たとえなんか理屈捏ねてても3日くらいで変節しそう 阿解又宮於然矩丹而居。曰叙圖耶。是爲離京。阿解生而異相。頭有刄角。好捉鬼[鬼+居]。乃頒蘇命遮似ァ桿禁呪二十四般之法。于今有驗也。 2012/07/21(土) 05:59:32.51 2012/07/21(土) 05:59:32.51 頭いい無能は時代問わずいるが
腸活さんは歴史のはじめの方に生まれてしまったばかりに有名になってしまったのだ 名将は負けた時のことを考えて逃げ道を確保しながら戦うから大敗はしない
その差や 秦末楚漢を経験した百戦錬磨の劉邦と漢軍すら逃げ道失って完敗するという大ポカが歴史に刻まれてる
古代中国において比類なき勝者といえる者どもでも大敗する時は大敗する、難しいものよ 白起持ってきて昭襄王が援軍持ってくるぐらいだから趙括さん秦が思ってたよりは有能だった説 「六朝時代」というと、華北と華南では別の時間が流れていたようである。しかし、密接に関わっている。 あの被災地の状況、ハワイのマウイ島にそっくりですよね...DEW? 監視社会を作る目的だけでなく、緊急事態条項を作るため、改憲(憲法改正)のためでもあります! 自由と民主主義と言っとけば全体主義にも気が付かないという 国民が馬鹿であればあるほど支配側としては楽に人々を動かせることができるとは思いますが、実際のところどうなんでしょう。