なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
名将の子で、幼い頃から兵法を学び、議論すれば父をも論破する。
そんな天才児がどうしてこうなった…… 誰も言わないけど王族だったのだろうか
趙姓が気になる 趙活君は以前何やってたかわからないんだよね?
いきなり無経験の人間を国家の存亡掛けた戦いに引っ張り出すとは思えないし副将はやってたのかな 初めての経験で無理だっていさめられていなかったっけ
実戦経験があったら良くも悪くも実力がばれていたような 「王族?」って言ってる人は最近どこかで見たような。
私も恵文王代の後半から孝成王代の政権構造(特に公子層の動向)について考えた際に想定した覚えがある。もちろん史料の裏付けはない。 同じ趙氏でも王族と何の関係も確認できない人物はけっこういるけどね そもそも確認のしようがない。
誰も答えられないのがわかりきってるから誰も言わないのだろう。 >>475
同年なら東周と魯はどっちが先に滅亡したのか >>485
趙姓以外に王姓っていつ誕生したんだろう 斉の田単みたいに下役人といいながら一応王族なのだろうか >>480
後漢末って中国の歴史のなかでもかなり人口が減った時期 今の中国人は当時の中国人が野蛮人だとみなしていた北方民族の子孫だよね 趙括さんは最期をみても覚悟はあったんだろうし親父や廉頗の副将として実戦積ませれば良かったのにね おそらく秦軍に半ば包囲された状況で将軍に就任したんだし
副将格の一人として戦場に居た可能性もあんじゃね? 作戦参謀官が適任で、将軍適正じゃなかったんだろうね。そういう人少なくない。 そもそも馬謖さんは参謀として功績も(襄陽記の怪しげな記述のみ) 趙括は武帝に寵愛されず衛青という師も居なかった 霍去病や(暴論 人をなめすぎなんだよ無能アホルサンチマンチョン晋三 世界中に大恥さらさせるぞ薬物中毒無礼雑魚 まぁその後も李牧が出て来て粘るんだから趙の国力はこの時代としてはかなり強大だったのは確か
まぁ国王とその取り巻きが馬鹿だとどんな優れた将軍がいても誅殺されて終わるよね
燕の楽毅ですら誅殺されそうになったし 白起「国王と取り巻きが中華戦国時代屈指の君主と名臣でも将軍を〆る事はよくあるゾ」
何度もフルボッコにされてる上に趙と違って地の利となる険阻な地形が乏しい
秦の圧力を真正面から受けながら存続している魏とかいう国を趙よりも評価すべき >>513
蕭何「キミ誰だっけ? 韓王の人かな?」 韓王信と韓信って同一人物じゃないの(´・ω・`)? 別人やぞ。韓王信の「王」ってのはあくまでも韓信と識別するための仮称で本名は韓信か姫信 >>516
そう言われているんだけど
実は同一人物説がないかと期待している
というか庶民だと学問も学べないよね?
韓信は元名門じゃないのか?
別人なら王族と同じ名前ってことだし そもそも史記に韓信は「淮陰侯列伝」として韓王信は「韓信盧綰列伝」としてそれぞれに
列伝が立ってるのに何で別人で有り得ると思うの? 項羽が韓王成を処刑すると張良は庶民となっていた成の親族である韓信(韓王信)を
劉邦に推薦して成信侯にしてもらった。その後、上将軍韓信が韓王鄭昌を降すと劉邦は
成信侯を韓王にした。
同一人物だと庶民から取り立てられて成信侯になって韓王として劉邦に従った流れと
項羽の軍から逃げてきて蕭何の引き立てで上将軍になり趙だの斉だの切り取っていく流れと
両立しないだろ。
それに盧綰と並べられてるのは漢帝国の諸侯王から匈奴に降った裏切り者という括りなので
淮陰侯に失礼だろ。 なんか当たり前のことここまで説明しないとわからないバカいるんだな
そいつに丁寧に教えてやってる奴凄いわw たとえば同時代に趙王歇っているけど、これも趙(国の王である)歇って事で、
韓王成や韓王信も同じだと思えば、わかりやすいのかね 廉頗は勝つ必要がなく、維持で長引かせれば良かった。
趙括は堂々と戦った。
基本どおりの事は出来ても、臨機応変は知らなかった。
兵法は読んでも学者でしかなかったんだろう。 白起は「兵法に通じているとうぬぼれているからこそ趙括を打ち破るのはたやすい」
と言ったんだっけか
親父のチョウシャが「あいつにだけは軍を任せてはいけない」って言ってたらしいし マジレスすると
見ず知らずに等しいであろう外国の新星を、「自惚れているから打ち破るのは容易い」と侮るのは愚将っぽい
>>525
勝つ必要はあったのでは?
趙国の意思が「長引かせれば良い」、であったならば廉頗は非難されんだろう 確かに無名の新人韓信を侮った陳余は愚将と呼ばれ続けてるもんなぁ。 >>527
1戦での勝ち負けではなく、長い目で見ての勝ちを狙ったんだと思うよ。
廉頗は前半で負けた結果、持久戦に持ちこんで守っていたからでは?
趙本国では戦って短期間で勝つことを望んでいたから非難したんでしょ。
秦はどんなに戦力つぎ込んでも、長くは滞在出来ないんだから。
趙兵を殺したのも兵糧の問題もあるから。 >>529
いや、そういうことではなく
本国が短期決戦を想定していたのなら作戦を遂行する将軍のタスクは決戦になる
仮に体力で上回る超大国に勝つべく大戦力を動員し短期決着を狙う計画であったならば
一将軍の勝手な戦術変更は許されないだろう 途中で戦術変更することは有り得ると思うけど。
臨機応変な将軍なら状況で変える事はおかしくない。
最初に作戦が決まったら何があっても作戦通りとは限らない。
状況も考えなければいけないのに。
忠実に任務をこなすだけの無能な司令官ならそうだろうけど
名将と言われる将軍が何も考えもなしにああいう戦法をとるかね?
結局守るだけで戦わなかったから批判されてるだけでしょ。
本国と廉頗とで違うだけの事。
趙括に代えて致命的な大敗したのは、廉頗が正しかったという証明。
秦は廉頗が守りに入ってからは攻めあぐねていたからね。
最初に短期決戦で出陣して、負けが続いても決戦に拘る?
名将と言われる人が、そんな事考えるのかね?
本国との考えの違いから叩かれて代えられたんでしょ。 長平の戦いの結果、秦はその後30年間中原進出ができなかった。
秦に充分なダメージを趙括は与えた。
白起だって趙括の本陣を落とせなかったのだから。 >>531
証明なんて出来ないと思うよ、絶対的情報不足の時代なので俺にしろ貴方にしろ憶測しかできん
実際の兵力はどれだけか、双方の兵站はどうなっていたか、両軍の位置関係、当時の地形・・・
ほとんど分からないのだから
あと名のある将軍だから状況を正しく捉えている、とは限らないよ
調子が悪かったりすると目先の失敗を懼れて展望のないまま引きこもって自滅するパターンもありえる
結果論で言えば廉頗は長平の10年前に状況判断を誤っている(廉頗の発言が事実であればの話だが) 状況しか知らないからね。
廉頗は失敗した経験を生かしてるんじゃない?
失敗したらそれで終わりじゃない。
失敗することも有れば成功することもある。
リスクはあって当然だろうし。
でも代えたのが失敗だったとは考えられるよ。
廉頗は状況判断できているよ。
趙括は勇んで出て行って大敗。
出てくる敵と守る敵。
秦にとってどちらが難しいか。
将の差だと思うけどね。 >>531
いや、短期決戦か長期戦かの選択は戦術じゃなくて戦略だ
戦略レベルだと戦争にどれだけの人民を徴兵したり国家予算を費やすか等が関わってくるから、現場の将軍が勝手に変更していいものじゃない
あと趙括が失敗したからといって廉頗だったら成功していたということにはならんよ
秦との国力差を考えたら、交代が無かったら廉頗が負けるかその前に国が破綻して、趙括に交代させていれば勝てたのにとか言われてたんじゃないかな 秦には大規模な増援を送る余裕があり、やろうと思えば更に遠方の邯鄲を攻囲することも可能。
この差がある限り、「廉頗ならいけてた!」にはならないのよな。
趙括は負けた、という事実が残るのみ……。 勝てば官軍って本当だよね。
織田信長とかも桶狭間ところか家督争いで敗れてたら無能扱いだっただろうし。 >>528旧秦の領土侵攻に貢献した韓信は無名の新人じゃないでしょ 諸侯は漢王の軍が章邯を破ったという認識で韓信のことは無関心では。 >>537
まあ・・・本邦の戦国くらい一次史料が豊富な時代ならまだマシなんだけどね。
別の角度からの再検討が困難なこちらの戦国は人物・事件の再評価ほぼ不可能やから。 廉頗が他国へ亡命してもまだ李牧が出てくるあたりが趙の国力だわな
まぁ奸臣とバカ国王のせいで滅亡したけど >>540
ほぼ史記の記述だけで能力が確定してる奴多いしな 白起が趙括の軍を包囲したところで、昭襄王自身が河内まで出向いて15歳以上の
民を挑発して趙の糧道を絶つべく動いてたはずなんだけどさ…
これって秦国内の壮丁をほぼ外征につぎ込んだために余力がなかったための
緊急の処置とみるか、まだ制圧間もない地域からも兵を出せるほどの底力とみるか、
どうなんだろうね >>535
それは無能な将軍なだけ。
被害しか生まないよ。 >>541そこらへんは武霊王と恵文王の遺産だなって思うわ >>543
白起の合流で弾が尽きた可能はあるかもね
が、秦国内の壮丁をすべてVS廉頗・趙括につぎ込んだってのはなさそう
そこに河内の根こそぎ動員加えた秦軍は趙軍の兵力を大きく上回る可能性が高い…
鉄道でも使って補給しないと趙括包囲している秦軍が飲まず食わずで自爆するw
戦地に近い諸侯、地域に兵を出させるやり方は古今東西よくあるし秦もやっている
>>545
李牧とその二王はそこまで関係ないんじゃ、少なくとも史料には見えない おそらく河内の一部はBC280年代には秦の支配下に入ってる、徴発はわりと普通のことなのかもしれん。
・・・長平に近い河内が戦力として計算できる時点で勝てる気がしない。 確かに秦軍を撃破するのは不可能じゃない
いくら相対的に強いと言っても前近代の軍、たとえ名将が指揮していても隙はいくらでもあるだろう >>548
それ長平から15年近くも後の事じゃないの >>550
長平から30年間東進できなかったわけですが? 優秀な将軍がいくら頑張ったところで
すぐに内部から足引っ張る奴(秦に賄賂貰ってる奴)が出て来て
謀反人にされるからなw 廉頗や李牧みたく失脚する側に、弱腰や寝返りの疑惑を払拭できない弱さがあったとも言える
臣下の足の引っ張り合い説話なんて古今東西どこにでもある
戦国時代は他人を誹謗中傷し失脚させれる奴が名臣や!(例:張儀) >>551
秦にとっても長平の戦いは、マクロ戦略の失敗だよな。
趙攻略に入る前に、
10年ぐらい戦争を避けて国力の充実に邁進していれば、統一はもっと早まっただろう。 秦は1国ずつ時間かけて滅ぼして、安定させてから次を滅ぼせば短命で終わらなかったのに。 >>556
秦がマクロ戦略を失敗してたってのはそうかもしれんが
溜めた国力を使い現実より早い六国併合を実現すると違う形で同じ失敗をすることになるんじゃ?
戦国後期の諸侯には秦を脅かす実力は既になかったので対外進出を急ぐ理由はあまりないはず
557氏が言ってるように時間をかけて占領地の不安要素を徹底的に排除し支配体制を強固にしないと危うい 秦も新興国ではないけど、古い国は体質も古いから、今の発展途上国みたいに王族と貴族ははんぱない特権階級だっただろうし、そういう足の引っ張り合いをなくして他国の人間をどんどん採用したのは大きいと思う。
外国人官僚、最高権力者が外国人。
既得権益者からしたら邪魔者でしかないし、国民感情だってよくない うーん、言いたいことは分からんでもないが
むしろ新興勢力の他国人が権益を巡る臣下同士の足の引っ張り合いを激化させたことを示唆するエピソードが多いので… 商鞅を切り捨てたけど商鞅の政策は引き継いだ恵文王と
呉起の改革を無に帰した楚の粛王という対比はよく言われるよね。 秦って中原の諸国に較べると内乱というか、臣下が君主を脅かす例が
目立って少ない様な気もする
君主が追放されただの亡命しただの弑されたのなんていまいち思いつかないし さては宮城谷ファンだな?
たしかに春秋期は少ないけど戦国期は六国と比べて目立って少ないというほど少なくは無い
懐公、少子、昭王、秦王政の時代に内乱がある、商鞅の挙兵も含めると恵文王期も >>546
武霊王が胡服騎射で趙の武の土壌を作り
恵文王が名将達を抜擢する事で新しい人材が抜擢されやすい環境を作ったのではないかなと思って ・胡服騎射→尚武の土壌(わかる)
・名将達を抜擢する事で新しい人材が抜擢されやすい環境を作った(わからない)
恵文王体制の人材登用傾向が全体的にどうであったか?李牧の出身階層は?
これが明らかでない以上なんとも 宦官の客だった蘭相如や田部の吏だった趙奢を引き上げたあたり、
そこまで門閥重視の登用に偏ってる感じでもないけど、どうなんかな
楽乗なんかも代々趙に仕えた系列じゃないだろうけど 趙は人材を登用するところまでは良かったと思うよ。
生かせなかっただけで。
三晋の中じゃ一番優れた人物が多い。
魏は序盤だけだし、韓は居たの?としか思えない。 そこは国(時代)ごとの情報の偏在という要素が大きいので優劣断言はいささか早計かと
>>567
寵臣らしき宦官のコネがあるとはいえ藺相如は抜擢と言えるでしょうね
ただ公族ないし公族の可能性がある趙氏がなかなか多いし
早くから将軍に起用され長年枢要の地位を占めてたと思われる廉頗や
戦国初期or中期から趙及びその近隣での活動が見られる楽氏は有力世族かもしれません 燕の楽毅、趙の李牧
他にもたくさんいるけど結局は王の信任がないと能力があっても活躍できないのを示してるな
逆に言えばチョウカツみたいな大した能力無くても王に気に入られれば出世する
まぁこんなのは今の日本でも一緒だし結局は人間の性なんだろう 優れた人物に仕えないと大変。
愚かと言われた景公は晏嬰を信用して、諌言も聞き入れた。
ほんとに愚かではなかった。
李牧や楽毅は恵まれなかった。 それは少々稚拙な理屈でござろう
君に異なる背景・得手不得手・山あり谷ありの臣下多数と付き合っていく能力(努力)が必要とされるように
臣には君主や他の臣下、つまり社会と良いお付き合いをする能力(努力)が必要とされる
信任や諫言の成否は君主の能力依存じゃないよ
>>572
世評に名高い頭脳派エリート趙括さんは今風に言えば
超名門校を首席で卒業、その優れた学説と鋭い舌鋒で老害を一蹴、権威ある賞を総ナメ→ノーベル兵学賞授賞
若くして国民の期待を集めるくらいの有能やぞたぶん 口だけの御用学者
って言われて終わり
職歴もない世襲の学者が労働者の現状を語るようなもん 学者ってのは議論で勝負するもの故それで無双状態だったのならば諸子百家としては有能だろう
将としては無敵に近い秦軍相手に一戦一敗するよくある記録しかないから何とも言えない感じ 父親のチョウシャと兵法論議して打ち負かしたと自慢してたって書いてるしな
要するにああ言えばこう言うって感じの今で言えばディベートだけは達者な実務経験ゼロの学者や政治家ってところだな >>574
能力だと思うが・・・。
暗君は聞き入れる耳は持たない。
自身の政治能力が低くても、聞く耳持つ人間は、結構成功する。
現代でも一緒だよ。
自分が能力あるか、臣下を見極め能力ある人物に託す。
それも才能の一つ・
聞き入れて信頼すると言うのは無能には出来ないこと。 そういう無能が部下に良い様に利用されて滅亡する例もたくさんあるわけだが
今で言えば安倍晋三とか 斉の桓公も本人は大したことないけど管仲を信頼して全て任せてたから覇者になれた。
管仲が死んだら遺言を守らずに佞臣に任せて最後は死体から蛆虫が湧くありさまだった。