ふと妄想してみると。

趙王をだまして無能な趙活を将軍にさせるはずが、
だまされたのは白起や昭襄王のほうではなかったのか?
わざわざ藺相如や母親まで出した工作に乗せられたような気がしてならない。

長平の戦いは前260年、
秦軍は勝つには勝ったが、結果としてその後10年以上にわたり中原進出できなかったから、
負ったダメージは深刻でないはずがない、
つまり趙活は有能だった。

戦後処理が過酷だったのは、秦軍が深手を負ったからだと容易に想像できる。
ちっとも大勝利じゃない。

昭襄王は秦の中原進出を見ることなく前242年に没している、

秦が再び中原を攻略にかかるのは前249年に韓の?陽と成皋を取った所から、
ところが2年後には、信陵君の軍に、函谷関までまたまた押し戻されてしまう。
ようやく韓が滅亡するのが、前230年、長平の戦いから30年もかかっている。