>>351
逃げ帰っていたら、母親や一族の命は助かっても、本人は処刑の憂き目に合うか、秦との戦いでは使えないと対燕戦へと配置替えだったかもな。

45万の趙兵が、数百の年少さんだけ帰らされて、あとは穴埋めでほぼ全滅だもん。
藺相如も重い病がさらに悪化して、多くの兵士とともに亡くなったような感じだろう…。

そんな中でも、趙の衰退を目にしながら、さらに10年余りも戦い続けた廉頗と楽乗などは大した人物だよな。