なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
名将の子で、幼い頃から兵法を学び、議論すれば父をも論破する。
そんな天才児がどうしてこうなった…… 突き詰めると一番悪いのは王様なんだよな。
歴戦の名将が消極的な作戦をとってるのに、現場のこと知らないで攻撃しろと命令してあぼーん。 そんなのは2000年後の沖縄戦でも起きてる話だからなぁ
飛行場に突撃しろとか上級司令部が督戦してたし 趙括については>>141に尽きる
孝成王の積極策の是非は難しい。戦国後期はどの国も対秦消極策でジリ貧に陥り滅亡へ加速してるし
趙は上党郡を秦に渡さない守り抜く為に大軍を差し向けた筈だったが
防衛線を下げて秦側の支配地整備・増強増援を許した上に防衛拠点もガタガタ…
最初から廉頗を外して親征or積極派の将軍を使った方が戦略と一致して良かったのかも 前哨戦で斬られた副将の茄って廉頗の一族かなんか?
廉茄とか? さあ分からんな
廉頗は四十万以上の兵で守りに入っていたのに茄が斬られた途端
王コツに砦陣地を次々に陥されてるし廉頗にとって重要な人物だったのかもね 廉頗の連戦連敗、劣勢の長期篭城で戦力低下してたとしても
趙括軍の攻撃を完封した白起軍・昭襄王の援軍
秦軍やばすぎる そもそも秦の倍以上の兵力でなぜ負ける?
王が趙括起用したくなる気持ちもわかる
俺達は後世から見てるから廉頗に任せとけばって思うけど 趙の次の代の悼襄王はその長平の合戦の失敗を生かしてなかったんだよな
廉頗と実戦経験の無い楽乗を交代させる辺りが長平での趙括との交代と似ている 楽乗って実戦経験ないどころか、長平の惨敗以降に攻めてきた
数倍の燕軍を大破してたりはするはず
閼与の前にも廉頗に次いで諮問されてたりで、趙奢の台頭以前から趙では
軍事の枢要に関わってたと思うんだけど 恵文王も廉頗(或いは楽乗)の意見を無視して
趙奢を起用、秦との決戦に臨んだわけだし
対秦関係を巡る趙国内の主戦非戦論の対立は代々根深そう 藺相如やお父さんは息子が使えねー奴なことを見抜いていたがそれ以外では国内でも評判がよかったのに
敵国の秦はどうやって超括が使えないことを見抜けたのだろうか 趙括が親父を兵法論でやりこめたって部分じゃね?
趙では「これは天才だ!」となったんだろうが秦では
「ねーよw戦場で何度もやりあったチョウシャがそんなガキに負けるわけがねぇ。
ただの理屈っぽいガキが揚げ足取っただけだろう」的な
後は廉頗の陣を全て兵法書通りに変更させた部分かな あの手の逸話は信用ならん
が、趙括の父君趙奢は田単に対して
時代錯誤な事言ってんじゃねーよ
って大軍を積極的に運用する事を正当化してる
ある意味息子に引き継がれている気がする まぁ人物評価に長けたスパイというか、懇意の識者とかがいたんじゃね? 後に郭開に賄賂を贈って李牧を殺させたし
秦の間者が暗躍してたんじゃないかな 毎回、「あの手の信用ならん逸話」とレスする同じ人だと思うけれど
田単のその話だって同じように信用ならん逸話ではないかと 田単の逸話についても
同様に信用ならんが
という意味だったり あまりにも史料が少ないから、名のある将(名将愚将)の実像に迫ろうにも、
僅かに残された、怪しげな逸話に頼らざるをえないからねぇ……戦国時代は
有名人の名前(字)すらわからないし 春秋より戦国の方が史料が少ない理由って、単に戦乱で史料が散失したからって事でいいのかな ・秦が一生懸命、七雄時代の痕跡を潰して回った事
・一応周王朝を正統に掲げた春秋の史料は後世の儒者の保護を受けた
・戦国はどうしようもない時代と考えられていたので寧ろ抹殺対象 散失と言うよりむしろ最初から記録自体されてなかったのでは 今から見返すと戦国のほうが面白くて春秋は微妙なんだがな・・・ 面白さは人それぞれだがネタの濃度ががなー
戦国時代は歴史スカスカ、宮城谷小説とか読めばわかるけど
史記読んでもネタ少ないから苦労してはる 春秋時代はまだ周の諸侯だからなんかガチで戦ってない感じが漂う
戦国時代は領土拡大のために情けや容赦の一切ない本気モードなのがしびれるあこがれる 途中までは斉も東帝を称する勢いだったし、趙も武霊王の時代は良かった。 秦以外は有能な王や部下が出てきて1代限りの興隆って感じだけど
秦は商鞅は失脚したがその後も改革の中身は継承したのが違いだろうね 恵文王は結構色々やってきたイメージがあるのに
孝成王は長平で負けたことしか功績が思いつかない 斉は楽毅にやられる直前まで歴代の君主が勢力拡大、まさに富国強兵
楚も春秋後期の不振を脱して懐王が秦に大敗するまで衝天の勢い、東西南北いずれも国土を大幅に広げた
韓魏は秦に近かったため調子良かったのは戦国前期だが中期以降百数十年粘った
趙は恵文后孝成王の初期が全盛、北方西方の民族を制し巨大な版図を誇る、上党郡さえ保持できていれば…
燕は良く分からん。ただ北方民族との戦線を押し上げ朝鮮半島に勢力を拡大した国力はなかなか
宋もわりと頑張った
総評:秦ほどではないが、どの国も進化しており他の六国とは互角に、中小国and蛮族相手ならどんどん侵略できる 七雄は春秋から順調に発展してきて
都市の大きさ兵力多さ桁違いだからね
長きに渡り興隆している印象がある
ただ秦が強すぎたんだ・・・ 連合軍で秦を攻めても函谷関まで行くと
同盟軍は帰るってパターンだよね?
結局秦以外は春秋的な考え方引きずってて
滅亡させて領土を取り込むって所までやりきれない感があるんだが 確かに領土化支配を徹底的にやる秦と比べると他国は及ばないかもな
しかし函谷関まで行く→帰るパターンはしゃーない
函谷関までは秦の植民地だが進めば本国、守りの堅さ背後を取られる危険性が段違い
合従軍は秦軍の東進を抑えて占領された旧自国領の回復するのが精一杯 vs秦限定だと力不足の一言に尽きる(秦が比較的強くない頃は楚や魏が首都近郊まで迫ったが)
六国も七雄以外の勢力に対しては滅亡併呑を平気でやってるし
まあ秦もいにしえからの大国蜀の併合は鮮やかだったけど六国併呑はてこずったけど まぁそう言うの全部含めてやっぱり「戦国時代」なんだなぁと 趙括は初陣がもっと簡単だったら名将に育ったかもしれないが
どの立場でどういう戦場に出るのが良かったのだろう 親父の戦いで副将とかじゃね?
理論と実践の違いをおやじの下で学べればだいぶ違っただろうね 北方に覇を唱えた最盛期
強大なる趙と恐れられ精兵数十万を易々と繰り出す国力を誇った訳だし
秦以外なら押し潰せるだろうな
でも趙括さん元帥はやった事無くても従軍経験はあったんじゃね?
実際そんなに若くないだろうし 従軍してたときは上官とか大将の文句ばっかり言ってたんだろうな そう考えると三国に別れる前の晋ってどんだけの強国だったんだって感じだな むしろ晋分裂後に知伯が統一したほうが強国になったよね 当時は才能は外見に表れるってまだ信じてた頃だし
趙括も見栄えは良かったのかな 朱元璋さんがこのスレを監視しています
今すぐに逃げてください >>6
記憶力抜群で戦争シュミレーションゲームの天才だから現代社会だったら東大主席合格+世界的天才ゲーマーだったかもなw
今川氏真も現代社会に生まれてればサッカー日本代表+天才芸術家
こいつらは生まれる時代を間違えたw ルール上で動くのならば優秀
ルール無視の喧嘩ではフルボッコ
そういう存在なんだろうな 世界的天才ゲーマーかと思いきや、データ分析で机上の理論考えるのだけ得意で、
実践の成績では微妙っぽい 経済学者としては優秀だが、いざ金を与えて株取引任せたら大損した
こういう事だね それは結果論だからなぁ
趙括が駄目だった訳じゃなく、白起が凄すぎただけじゃないの 実際秦側からすれば廉頗でさえなければ誰が来てもなんとかなるくらいの感じだったんだろうなとは思う 少し違うだろう廉頗のままでも相手はジリ貧でなんとかなるが
動いてほしかった動いてくれれば天才白起さんが働きやすい
それと長平より南方にいた白起が来たということは
それなりに秦に援軍がきて戦力が上がった可能性大 用兵の問題だけじゃないよなあ
どうみても兵の質事態が段違い
故服騎射の趙兵30人と、モノホンの故そのものの秦兵一人で互角ぐらいじゃないかい
戦績から見るに 王コツを舐めたらあかんな
長平の秦軍大勝利は王コツが廉頗軍ボコってる間に
上党郡の大半を秦が確保したことがでかい 趙の方が本国に近いけど山越えルートだからな
秦に兵站確保を許したのは痛手 趙括の相手が王齕だったならどういう結果になっていただろうか 相手が誰だろうと国力がダンチ過ぎるからどうあがいても秦の勝ちだろ。
長平はペナントでぶっちぎりの優勝が決まった後の消化試合みたいなもん。 後知恵で考えると、秦より強い超大国だった晋が3つに分裂したのがダメだったような気がしる
一国じゃ秦に対抗できず対立して足引っ張り合って、最後は全部滅ぼされた 「鶏口となるも牛後となるなかれ」だから、みんな君主の立場になってみたいんだよ。 まあ紙一重って奴だ
秦の脅威を魏だけで抑えれていれば
北方に雄飛した趙なんかは中原を気にせず
漠北を席巻する超大国になったかもしれないし
もう100年戦国が続けば朝鮮半島をジワジワ南下してた
燕なんかも面白い存在になったろうな >>204
晋が最大強国だったのは春秋中期まで
末期は楚や秦の方が強国 昭襄王(宣太后)、魏ゼン、白起
この人たちの六国戦力削りが異常すぎた
それまで10万前後の損害なんか無かったのに 春秋時代は勿論
戦国中期と比べても桁違いだよね
さりげなく義渠王を殺して義渠を征服する宣太后こわいぉ 韓の上党太守だった馮亭さん(趙:華陽君)
趙括さんと共に秦軍を防いで戦死してるのね 漢書:馮奉世伝より 趙括の初の実戦でいきなり無敵の白起が相手なのはいくら何でも相手が悪すぎる
まずは並の将を相手に戦って少しずつ実績を積んでいけばまだいくらかマシな結果だったかもね 韓信は指揮官としては初の実戦で章邯フルボッコだからな 例え初陣で大勝を挙げても諸葛恪みたいな例もあるからな >>215
章邯は名将だけど人材粛清されまくった末期の秦基準だからなあ
白起達とは比べられない気がする 韓信は項羽の下で結構経験積んでたと思うよ
諸葛恪は山越や対魏戦で経験豊富、東興では大勝と愚将ではないな
呉の歴史上最多の大軍を率いて北上し、東興の傷が癒えぬ魏軍と戦い大惨敗したのはアレだが
対応した毌丘倹さん手強いし 合肥って呉にとっては鬼門だよね?
過去にも張遼にフルボッコにされてたはず 趙括さんって今で言えば
宮沢喜一
鳩山由紀夫
菅直人
的な評判倒れの無能政治家みたいなもんですね
口だけ達者なのも能力かもしれませんが 抜群に無能な政治家とそれに比べればマシな政治家なら 日本は優秀な兵隊がいるだけで
昔から指揮官は無能と相場は決まってる
その兵隊さえもゆとり教育と労働市場の解放で蹂躙されて崩壊した ある意味初陣でマリアナ沖海戦に出た艦攻パイロット並みの悲惨さだな ・敵は白起
・相手を上回る超大軍だが前任指揮官の連戦連敗後なので状態は悪い
・遠征かつ篭城中なので兵站線は厳しく本国でも兵糧が逼迫
・秦王が新たに徴兵した秦の大軍が長平に向かいつつある
趙括の目標:秦軍を破り、秦が進めつつある上党郡の領土化を阻止する 前から思ってたけど
趙側は兵力を抑えるべきだったよね守りに入るなら
長平の守りは10万ほどでいいじゃん
えっ廉頗が守り切れない?そんなの知らん 前任者をディスって超括を擁護しようというんだろうがどうやったって無理ですから
あきらめなさいって 白起レベルでも城や砦ににこもられたらどうにも出来ない見本が長平 白起さんは城落としの名人だぞ
廉頗の砦は王コツが普通に攻略していってるから兵力が少なければ危ないと思うな 昭王47年
4月 趙軍の副将茄が戦死
6月 秦軍が趙の2つの砦を落とす。趙軍は部将4人を失う。
7月 秦軍が土城を落とし部将2人を捕虜にする。 廉頗更迭
無理ゲー
李信軍並みに指揮官が死んどる、王さんすごいなwww
>>237
白起は重要そう城でも(城攻めとしては)一瞬で落とすからな…… 信「俺らも結構やられたが、飛信隊の副将は死んでねーぞ!」 趙括さんて、もしかしたら廉頗軍の将のひとりとして現地にいたんじゃないかねぇ…東の塁壁の守将とかで
廉頗軍、戦死者逃亡者続出、陣地陥落で窮地! になってから趙括さんと交代まで早すぎるような気が