>>145
そう。こんなもの。

という訳で勝手にまとめ。

孫策は個人的な戦闘力に長けていたが、戦略はもとより、大略的な戦術能力は、父や弟と比較しても
劣っているか、持っていなかった。
これは郭嘉の「匹夫の勇」という評や、対陳登戦にことごとく無残に完敗している点にも表れている。

また、性質は表面的には明朗で談笑を好むものの、実際には粗暴で陰湿、かつ猜疑心と嫉妬心が強い
人物であり、自ら挨拶に赴いたにも拘らずこれを無視したことを遺恨に持って陸康一族を多数殺害したり、
自分より才能も人望も篤い名士高岱に嫉妬して、冤罪を着せて処刑したことを始めとする、江東の名士・豪族一族の
大量殺害などを行い、江東はもとより他の地方の多数の名士たちの憎悪を買った(事実、孫策からの仕官の誘いを
拒んで他の群雄の元へ逃亡した名士は多い)。
後年後を継いだ孫権は江東の豪族たちの協力を得るために、兄の蒔いた災禍の埋め合わせとして、彼らに様々な特権や
孫策の娘などの「贈答品」を贈らねばならず、かつ彼らの深い政治介入を大幅に許すことを余儀なくされた。

自己の能力や人気をはなはだ過大評価して軽率で勝手気ままな行動を取り、孫呉政権の滅亡の種を蒔いた孫策こそ、
孫呉政権の歴代当主で最も暗君かつ暴君であると共に、孫呉政権滅亡の最大の戦犯である。

以上をもってこのスレは終了。
今まで書き込みされた皆様ありがとうございました。

P.S.自分は孫策大好きです。上記の総論(らしきもの)では散々ボロクソに書いていますが。