【大理】雲南の歴史【南詔】
その歴史において、中国から独立していた期間も長い雲南の歴史。 南詔って、最盛期には四川の成都を占領して、
インドシナ半島のかなりの部分も制圧しているんだよね。 山岳地帯だし、今でもいろんな民族が混住している地域だから、
統治はかなり複雑だっただろうね。
地味に重要な交易路に当たっているし。 こういう雲南国家の軍事力の主体は歩兵になるのかな?
遊牧民系の国家だと、当然騎馬部隊が主力だけど、
地勢が険しいところでは、騎兵は威力を発揮できないし。
南詔は唐ともかなり派手にやり合ったから、
相当な軍事力はあったはずなんだけど。 今でも少数民族のイー族とかはかなり好戦的らしいから、
そういう部族が中心になったと思う。
雲南だから、象部隊なんてのもあったかも。 金、銀も豊富に産出したっていうし、
メコン川、イラワジ川を利用した交易もさかんだったっていうし、
結構おいしい土地かもな(現代は別にして) 中国の歴代王朝も土官や土司を置いていた地域だから、
たくさんの部族をまとめ上げるには、王の資質が要求されたんじゃないかな
ちょうど遊牧民の帝国みたいに 南詔時代は荒々しさが残っていたけど、大理時代はかなり落ち着いた感じ?
単に中原政権への姿勢から来るイメージに過ぎないか 雲南は内陸でも塩を自給できるところが、かなりの強みだろう。
雲南にイスラム教が入ってきたのっていつ頃?
大理は仏教国だし、
モンゴル人に支配されて以降? 雲南省はかつてはイスラム教徒が多かったのに、
清代に虐殺されて今はほとんどいないね。 >>6
ネパールのグルカ兵とかスイスとか
山岳地帯の軍人は屈強で強力らしいよ。
言われてみたら日本でも山岳地帯の大名は
軍隊強いの多かったし。 チベット人に本格的にゲリラ戦なんてやらせたら、
かなり頑強かもな。 >>19
ビルマ戦線で日本軍を徹底的に打ち破って追い出したのは
傭兵部隊グルカ兵だったらしい。グルカ兵は伝説が結構あるね。 唐とか、宋は本気で雲南を征服しようとは思わなかったのかな >>22
強くて征服したくても出来なかった、という考えも出来るな。
征服するには少数だし然程裕福な土地でもないし、メリット少ない、みたいな。
実際、唐はともかく、宋ごときじゃ無理だっただろうし。 感覚的にはどうなんだろう?
中国の一部だからどうにかして領土に編入した方がいいと思うのか、
しょせんはよその国みたいな意識なのか 唐より前の時代で、はっきりと中国と認識されていたのは、
四川までだろうな。 雲南、嶺南、遼東、河西はオマケみたいなもんだよな。
唐は雲南がなかったし宋は遼東、河西、嶺南がなかった。
明が漢の旧領を覆ったのは一時だけ。
それを考えるとやっぱ武帝はすげーと思う。
だが対匈奴戦線以外の指揮官は名前すら知らん俺 なんだかんだで不断的に領土を押し広げ続けているね、中国は。
ああ怖い怖い。 漢代は、中原以外の地域の領土は、実質的には点と線で繋いだような感じ。 >>29
辺境部はそうだけど、中原一帯はちゃんと面で押さえられたと思う。
四川盆地も成都の周辺に関しては。 南詔かぁ。
三塔のすばらしさは特別ですね。
そういえば、日本でも広まっている「獅子舞」は
南詔が発祥と聞いたことがあります。 楊国忠は、安禄山の軍功に対抗して、
南詔を討伐しようとするも大失敗。 楊国忠の時の南詔討伐戦は、戦いに負けたと言うよりは、
疫病で死者が続出したみたい。
こういう、南方へ行って疫病で死ぬってパターンが、
中国史には多いけど、
この疫病って、マラリアかな? 感染症より、栄養状態の悪化とか、そんなのじゃないか?