劉備の皇帝への推挙の上表に、明確な軍官としては
車騎将軍・司隷校尉の張飛
驃騎将軍・涼州刺史の馬超
偏将軍・關中都督の呉懿
鎮北将軍・漢中太守の魏延
輔漢将軍の李厳
が名を連ねている

翊軍将軍に任命された趙雲、
振威将軍の費観、
輔匡(諸葛亮時代に李厳に次ぐ軍のナンバー2)、
領軍の呉班、
夷陵の戦いで先鋒を任された張南と馮習
その他に陳到、劉邕なんかは名がない(遺っていないだけかもしれんが)
名がない軍事系としては、黄権は光禄勲をこの時点で黄柱に譲っているが、すでに漢中平定の功を認められた鎮北将軍になっていたのかは不明
軍事兼行政官としてはライ降(南中)都督・使持節・交州刺史の李恢もいる

こうした人々を差し置き、さらに李厳の上に名前がある魏延は、劉備に愛されていたことがよくわかる
魏延のあの最後がなければ、蜀志巻36は「関張馬黄趙伝」ではなく、「関張馬黄趙魏伝」または「関張馬黄魏伝」だったのだろうか