今の軍隊や特殊部隊とかでは、20〜30kgの装備を背負って荒地を行軍する
ぐらいの訓練はやってるんだろうけど、当時はどうだったのか。
それぐらい出来て当然だったのか、ほんの一握りの精鋭だったのか。
前者ならば話はわかるが、後者ならば、そんな精鋭を五千だ一万だと
簡単に育てられるものなのか。
あと長安の設備とか人数とか全然書かれてないんだけど、
指揮官はボンクラ、兵士達は軟弱者、城壁はボロボロ、
武器防具は竹槍に普段着のみ、だったりするのか?