>>371
潼関を取らなければ長安の維持は不可能とこっちは見ているから、その点で相容れないものがあるのかな。
個人的には、長安での防衛は、無理をして潼関を奪いにいくより運を恃む策のように思える。
長安は防衛面で激弱だし、取ったばかりで飛び地状態の長安で、本軍が来るまで守り通せるかというと、
夏侯楙が逃げるのと同程度、あるいはそれ以上の幸運が必要だと思うんだ。

長期的視野に立った場合、長安を得られる可能性は諸葛亮案の方が高い、と見る。
贔屓目を抜きにしても、魏延案と同程度だろう。なら、ケアができる諸葛亮案の方が順当と見る。

無論、魏延案が成功すれば、短期的に、劇的な形で魏に精神的打撃を与える事が出来る(それは後々の戦略に大いにプラスになる)が
諸葛亮案でも十分だし、なにより天秤にかけた時のリスクを考えれば、魏延案は採用されうるものとは思えない。

魏延案が、周辺の不満を持つ武装勢力の蜂起、協力を前提にしたものなら、
「魏を倒す方法」として、優れたものだ、というそちらの意見に諸手を挙げて賛同するんだが。
そうすれば夏侯楙が逃げなかった場合のケアもまだ利くし、成功時の潼関閉鎖もスムーズにいく。
ただ、これは空想の域を出ないか。

>>373
多分、俺と>>361 >>365を同一人物扱いしているのかな。
少なくとも、俺は>>368 >>370だから、彼らとは関係が無い。
別に信者への反動だから許す、ではなく、曹操の時の騒動を覚えてるから、それを連想しただけだよ。
俺は魏延案に否定的、悲観的な見方をしているから、>>364に乗っかった。
魏延が諸葛亮の北伐で大きな功績があったとは思うけど、だからって案そのものを受け入れる事は出来ない。

誤解を招かない為に含むところはないと前置きしておくが、反動が出るのは、盲信的な信者が暴れた負債、という面もある。
普通に魏延が好きな人には迷惑な話だけど、まあ良くも悪くも北伐関連はいろいろと入り乱れるから、そこら辺は割り切るしかない。