【反骨の】 魏延 【相】
>謀叛の気があったなんてなんで分かるんだ?
相に出ているから。
占術に秀でた者が言えば、これは絶対的な予言。
カラクリ的なことを言えば、諸葛亮は、
「史実」において魏延が自分の死後に暴走し、謀反の罪を着せられて死ぬことを「知って」いる。
だから魏延の武力を必要としつつも、信用はしていないし、
自分の死を予感すると手を打てるうちに打とうとし、
それが失敗したので暴走のダメージを最小限に抑える策を楊儀と馬岱に遺言する。
その結果、魏延の暴走は蜀に大きなダメージを与えることなく終結する。
というわけ。 >相に出ているから。
>占術に秀でた者が言えば、これは絶対的な予言。
演義が作られた当時は知らないが現代では受け入れがたい価値観だよね
実際今じゃ孔明の方が悪いと言われて魏延に同情が寄せられてるし悲劇の英雄とも言われてる
演義のスレじゃ孔明が一方的に叩かれてばっか >>273
今の価値観で〜云々と言われてても、
もともとの演義はそういうのが有る世界観なんだから。妖術とかもね。
吉川とか現代アレンジ版はそこらへんに科学的(?)な解釈を加えてるけど。
つーか元々、劉表のところにいたときと、長沙にいたとき、二回裏切った前科も有るんだが。
十分裏切りやすい人物だろうに。 魏延 → 朝青龍
楊儀 → 舞の海
馬岱 → 白鵬
孔明 → 貴乃花 劉備は曹操の部下じゃない。そして漢室は裏切ってない。
演義劉備が道徳的に責められる裏切りって益州入りくらいじゃないか。 >>275
その二回の裏切りはふたつとも劉備と黄忠のためだし相手の方が悪いって描写されてるからな
魏延は劉備に対しては忠実なんだよな
だから、もし孔明に劉備ほどの徳があれば魏延の反骨を抑えることも出来たんじゃないかと思ってしまう
やはりこういった物語で「徳」というのは最強の力を持つもんだ
孟達はおkなのに魏延はダメって、孔明の反骨認定イミフ その二つは完全に演義の独創なんだから、その意図するところは
魏延と裏切りを暗示させるエピソードなのは明白だろ。
そもそも「劉備に忠実」って言うけど、劉備時代にも抜け駆けやってるよ、魏延は。
諸葛亮の反骨認定なんかと無関係に、魏延のやや猪突猛進、傲慢なキャラクタはずっと描かれてる。
というかあなたの視点が良く分からない。
反骨認定は純粋に占いとして魏延が反骨の相なんだから仕方ないだろ。 でも、こうして反骨という理由付けがされただけでも、魏延はまだ救われている気がする
史実なんて目も当てられん暴走自滅だからなあ ぶっちゃけ演義の魏延に対する諸葛亮のエピソードって、諸葛亮を貶めてるよな 何でもお見通しのスーパー軍師演出したかったんだろうけど
贔屓の引き倒しかもね >>283
そのおかげで今孔明アンチが大量発生して
魏延に同情集まってファンも増えてんだからいいんじゃないのー?
痛い魏延ファンも大量発生してるが 司馬遼太郎は晩年に曹氏主役の三国志の草稿作ってたと
陳舜臣が言ってた
>>286
興亡三国志by三好徹
魏延の事はあまり描かれていないけどね。 「別冊歴史読本 三国志群雄 野望のデータ」(新人物往来社)より
・馬岱 戦闘力=8
「馬岱は孔明の遺命通り魏延の謀叛に同調する振りをした。そこに楊儀軍の何平が現れ、
「愚かな逆賊に加担した兵士達に告げる。帰順して恩賞を待て。」といった。これを聞いた
兵士達は次々と魏延を見捨てて逃亡したが、馬岱の隊だけは動かなかった。魏延はこともあ
ろうに命惜しさから保身の為に先帝劉備の仇敵・魏に降ろうかと言ったが馬岱は魏延に「ま
ず漢中を攻略し、それから蜀を乗っ取って皇帝になろうではないか。」と言った。
「孔明没後に魏延が謀叛を企んだが、その魏延をただの一撃で両断してしまった。」
諸葛亮 洞察力=10
「長沙で降伏した魏延を叛骨の相が有ったので処断しようとしたが、劉備に止められた。
だが孔明は信じて信じず、いささかも気を緩めなかった。はたして孔明が陣没すると、
魏延は堂々と謀叛を起こしたが、ただちに処断された。」
楊儀 義理=7
「劉備に取り立てられた楊儀である。孔明の遺志にも忠実であったし、不遇に関して不満
をもらしても、蜀を裏切る行為はなんらしていない。それだけに費禕が密奏するがごとき
姑息な手段を用いることができなければ義理は完全に果たしたに違いない。 長安強襲策の出典が魏側の資料であること
魏延の人格の危うさは陳寿や蒋エン、同じ戦場にいた王平も認めていること
孔明は実際に魏延を冷遇していたかどうか
魏延名将論者はこの牙城をどう崩すかにかかってる ×魏延名将論者はこの牙城をどう崩すかにかかってる
○魏延を完全に非の無い悲劇の英雄にするために関わった奴に責任転嫁する
史料否定も正当化も確かな根拠があればいいけど、
魏延オタは根拠ゼロで推測に推測重ねるからな
正史をそのまま読んでそのまま受け取っても
魏延が名将なのは明白だろ
欠点さえ受け入れられないから魏延オタはキモイ印象がある 名将というより劣化呂布な裏切り武力馬鹿って感じだな 勇将だと思うが名将とは思わないな
郭淮 費曜破った戦いだって偶然鉢合わせて戦ったって感じだろ?
まあ注目するのはその前の行軍の速さらしいけど 羌中というのは史記の注などでは隴西郡臨トウ縣の辺りとされる。
武都郡と陽平郡の境界から北上してトウ水と接触する辺りで、
のちの姜維の主戦場に近い。
魏の雍州刺史と後将軍という高官がこんな辺境まで進出している時点で
国境争奪戦以外に考えられない。
魏延を日本語での名将とも別に思わないが。
この時代の名将というのは「敵国などにも名が知られた将」というくらいの意味のようだけど。 陰平、武都攻略後に涼州へ長躯してる魏延様万歳!
陽谿の会戦って、話題にならないような・・・ 個人的に魏延は権力を握れなかった姜維といった印象
魏延が諸葛亮死後に生きていたら姜維のように暴走して国を疲弊させてただろう 劉備一派が入ってきた時点で、益州やら荊州やらにとっては疲弊させられていく未来しかなかったと思うけどね。
誰がやってもw 法正、孟達、張松らが早死にしちゃったからねぇ><
評判ほど蜀に人材がいなかったのも一因な気がするのだが tp://www.narinari.com/mobile/news_co.php?view=2007-04-7290&p=0
増長した董卓・呂布・魏延などの裏切り者がたどった末路
tp://sengoku.choice-and-order.com/02/03.shtml
馬岱は魏延と反乱を起こします…魏延が魏に降らないように
tp://www.accessup.org/jgame/7_Sangokushi_202/
呂布や魏延・糜芳など寝返り・謀反で有名な方々は忠誠度100でも寝返るほどです
tp://kanshigyoku.client.jp/jin-syoku7.htm
漢中を征圧し、蜀を滅ぼそうと目論むが、
tp://ameblo.jp/shiro13-1/entry-10183186544.html
単なる裏切り、魏延ごとき反骨だけの人物
tp://www001.upp.so-net.ne.jp/eiyutan-3594/karuta/efudassa.htm
魏に投降しようという魏延に対し
tp://www3.ocn.ne.jp/~kinnoji/batai.htm
魏延は馬岱に「魏に投降すべきだろうか?」というと
tp://www2.plala.or.jp/NA-YO/zijishaojiepeji.html
魏延の裏切りっぷりはものすごいものがあった。
1回の戦いで10回近く裏切ったからね。実際にあんな武将がいたんじゃ困ってしまうぜ!
tp://6551.teacup.com/orif/bbs/455
魏延は名将及び能力のある人物とは思えません
tp://seraphim.blogtribe.org/entry-f436ab54e4c542bc50762e91dcb08ba0.html
そして実際諸葛亮の死後魏延は蜀を裏切り魏に下ろうとし、(中略)
その時魏延が自分の武に驕り、(中略)
馬岱は悪人魏延の配下に降格させられると言う(しかも蜀の他の武将には誰もそうだとは知
らされていない。誰もが馬岱が本当に魏延の部下に降格させられたのだと思っていた)
屈辱よりも蜀への忠誠を優先させ、最後に魏延を斬って諸葛亮の最後の命令を遂行する。
西涼の武将に共通するのだろうか、義に厚い武将が西涼には多いように思う。 アニメ横山三国志や人形劇では呂布の最期が悪党にふさわしい見苦しいもの
ではなく美化された最期になっていた(なんと人形劇では魏延の最期はかか
れてない)
テレ東の三国演義はこういった改悪ではなく魏延の最期を美化することなく
きちんと史実に忠実に描写すべきだ 史実はただの自爆だけど
演義では孔明が魏延を虐げてるように描かれてるから魏延に同情が集まることも多いんだよな
昔の中国中央電視台のドラマ三国演義でも
孔明が無意味に魏延に辛くあたって虐げる描写が何度かあって魏延が辛そうにしていた
陳式が魏延に全ての罪をなすりつけるセリフもあるし、
少なくともそのドラマでは「薄幸の英雄」ってキャラ立ちだったな 魏延は犠牲になったのだ・・・孔明の犠牲にな・・・・
特に最後の方、どう見ても魏延への嫌がらせレベル
最後の反乱(?)も
魏延が蜀を制圧する、俺が皇帝だ!とかしてる訳でもないし
実質反乱でもないよなあれ、知らない人だと
単に魏延が悪い事をして危険だから処罰されたように見えるけど・・
劉備への忠誠心も高く高評価され
色々な目にあっても最後まで蜀に仕えた名将だろ
孔明、おまえチートレベルの軍師なら
もう少し上手くやれよ・・・
最初から最後まで魏延警戒し過ぎな上に批判し過ぎ
最初のあの黄忠と一緒に仲間になった時
一方的な論理で殺そうとした時からもうね・・・
>>306
蜀漢の帝紀たる後主伝では「権力争い」の扱いだから
蜀漢王朝としても一方的な反乱とは思っていなかっただろうな
ただ孤立していたから自滅したのは仕方ない
肝心の劉備がとっくに死んでいたにもかかわらず
劉備にしか忠誠心を見出せなかったのが失敗だろう
「云何以一人死廢天下之事邪?」なんて
本来蜀漢史上有数の名言だと思うけどねぇ
(234年以降の魏延じゃどうやっても成功できないけどね) >308
>云何以一人死廢天下之事邪
王平が魏延の兵に向かってした一喝と良い対比だな >>309
魏延が「状況を読めなかった」のが問題なのか
それとも「空気を読めなかった」のが問題なのか
(要するに蜀漢そのものが「諸葛亮が絶対」という価値観に支配され
劉備しか見ていなかった魏延がそれに気付かなかったということだけど)
もともと蜀漢の大義はあくまでも「漢(劉氏王朝)の復興」であって
決して「諸葛亮の理想」なんかではない
蜀漢が中興の祖とする劉備が死んでなお北伐を行っていた以上
一部下に過ぎない諸葛亮が死んだくらいで北伐を止める道義はあり得ない
だからそういう意味「だけで見れば」魏延は正しい
(もちろん総司令官=最高権力者が最前線で死亡するという状況で
そのまま北伐継続が可能だったかと言えばそりゃ難しいだろうし
そもそも234年の戦況が蜀漢に有利だったかどうかも判らないけど) いや魏延は普通に蜀漢王朝の臣としての自負で動いているだろう。
だからこそ「丞相一人が死んだくらいでなんだってんだ!」と言ったわけだから。 権力争いの中で死んだまでで、空気読めなかったとかじゃないだろう。 >>312,>>313
いやもちろん「魏延の意識」としてはその通りだろうし
ただの権力争いだった可能性も高いだろう
ただ楊儀(は劉備時代にも抜擢されているけど)や王平、蒋琬、董允等は
劉備よりもむしろ諸葛亮によって抜擢、重用された者だから
彼等にとっては「漢の大義」よりも
「諸葛亮の理想」の方が大事だったのではないかと疑っているのだが
(さすがに自分でも考えすぎじゃないかとは思うが) はいはい諸葛亮が悪い諸葛亮が悪い
みんな魏延の味方だよ その諸葛亮は魏延の味方なんだけどな。
態度からして、普通に不敬で首飛ばされてもおかしくないのに、他人の非難から庇ってやるぐらいだ。
その諸葛亮が死亡し、遺言(本物であれ捏造であれ)が作られて、諸将が認めた時点で、もう魏延は詰んでる。
魏延の思惑通りに言ったとしても、その後は上手くいかないだろうけどな。
楊戯に勝利したとして、魏延の思惑がどうあれ、単なる軍官に留まるわけがない。
高位の将軍として、国を切り盛りしなければならなくなる。漢中太守という実績もあるしな。
が、魏延の根回しの不足、調整能力の欠如は明らかだ。
蒋エン(事実上の失脚)、費イ(姜維らとの対立)ですら失敗したのに、魏延が継いだら空中分解しちまうだろ。
大体、魏延が劉備の忠臣扱いになってるのも胡散臭い。
劉備抜擢組の馬忠、張嶷や、劉備と縁戚関係の呉班すら、魏延に従ってないんだから、
忠誠云々ではなく、権力闘争による単なる暴走と見ていいんじゃないか。
大体、魏延信者が対立軸に置く諸葛亮は、劉備の忠臣の筆頭だろ。
同じく劉禅を任されておきながら、簒奪を暗に進める李厳と比べれば一目瞭然。
その時の対応や、出師の表での劉備への追慕を無視して、
『諸葛亮の理想』を『漢の大義(というか劉備の威光)』と相反する位置づけにするのは無理だよ。 君主が暗愚だったから群臣の競争や暗躍が顕著になる。 >>316
前半については同意
(「不敬」には該当しないだろうが)
魏延に務まるのはせいぜい一司令官までだろう
ただ魏延が劉備の忠臣であったということと
諸葛亮が劉備の忠臣であったということは別に矛盾しないし
二人とも死ぬまで劉備の忠臣であったと思うよ
だって両者が対立したのは「北伐の是非」といった国策の話ではなく
「北伐の戦法」という手段のことでしかないのだから
呉班だって同じ「劉備の忠臣」だからって魏延に従う理由にはならないだろう
(馬忠、張嶷は当時南中にいたから関係ない)
あと「漢の大義」と「諸葛亮の理想」を別のものとして出したのは
楊儀らにはそう見えてたのではないかと言っているだけであって
諸葛亮本人がそう考えていたとは一言も言ってないぞ >>318
調べ直したら、馬忠、張嶷は、もう北伐に関わってる形跡がないな。
こちらの勘違いだ。北伐に参戦したのとごっちゃになってた。すまない。
魏延が忠臣だという事に関しては、それが疑う余地、とされているのに反感があるんだ。
国家の重鎮が、丞相を非難する(行動の是非ではなく、人格に対して)っていうのは、
軽率と言っても仕方が無いと思うよ。
魏延の行動はお世辞にも理性的とは言えないし、劉備への忠義を言い訳に出来るものでもない。
忠臣、という言い方が妙に魏延を持ち上げている気がする。
魏延が忠臣なら、他の連中だって忠臣だろう。なんだって魏延だけ忠臣扱いで持ち上げようとするんだってね。
嫌な味方をすれば、ずっと憚られているのを勘違いした猿山のボスじゃないか。
自身の能力に対する自負が、何故劉備への忠義という理由で糊塗され、美談にされるのか、理解に苦しむんだ。
正直なところ、魏延には司令官すら務まるのか疑問がある。
記述から窺える戦術レベルでの有能さに対して、戦略レベルの考えが稚拙すぎる。
長安強襲案とか、冷静に考えればギャグとしか思えん代物だ。
性格からしても、誰かに使われている間が一番才覚を発揮できるタイプだと思う。
楊儀らには諸葛亮の理想と漢の大義の二つが別物に見えていた説は、否定も肯定も出来ないな。
ただ、創成期からだんだんと国のあり方が以降してくるのは、蜀に限らずよくある事なんで、魏延の件と絡めるにはちと微妙。
とりあえず、漢の後継という大義はブレていないしね。 訂正
魏延が忠臣だという事に関しては、それが疑う余地、とされているのに反感があるんだ。
↓
魏延が忠臣だという事に関しては、それが疑う余地が無い、とされているのに反感があるんだ >長安強襲案
蜀につてがあるかも怪しい魏人の記述は気にせんでよし 正史に従っても、潼関で合流するつもりだったとあるので、
さらに勝算がない事になるんだけど…… >>318
誰も魏延の「行動」が正しかったとは言っていないと思うけど
魏延が「劉備に対して」忠臣であったことを疑う理由はないでしょ
(記録上彼が問題を起こしたのは諸葛亮時代以降の話だから)
それに魏延が忠臣かどうかということがわざわざ言及されているのは
彼が「反逆者」扱いされていることに対する反論だから
最初から忠臣として扱われている諸葛亮らとはそもそも立場が違う
確かに魏延が諸葛亮を「怯」と公言したことは誉められることではない
でも魏延は五丈原の撤退以外に諸葛亮の命令に逆らったことはない
(これすら本当だったかどうか疑問視されている
というか魏軍から見て蜀軍の撤退が大過なく行われたことを考えれば
魏略にある魏延主導の撤退が正しい可能性すらあると思う
だって他の説だと五丈原の蜀軍内で混乱が起きないはずがないから)
長安強襲案なんてギャグ扱いされているどころか
むしろ「北伐の数少ない可能性」として扱われている
(だから王夫之のように「北伐は魏を滅ぼすためではない」という主張が出てくるのだし
逆の面で魏延が再評価されているのだろう
もちろん魏延の力で実行できるかどうかは全くの別問題だけど) >>321
亡命者は言うまでもなく
交戦している以上降伏者や捕虜は当然発生するだろうから
彼等の証言で「正しい」敵国の情報が伝わっている可能性はあるでしょ >>323
俺の考える忠臣、というのは、人物、国家に対する無私、
もしくは忠義を窺わせるエピソードのある人物、という考え方なんだ。
そうでなければ、裏切っていない=忠臣になる。ちょいと短絡的過ぎないか。
それに、魏延は忠義というよりは、自身への自負から暴走したように見えるんだ。
漢中太守任命時の抱負からも、彼の己の能力への自信が窺えるし。
それが、国家を左右する作戦に口を挟める程になって、暴走していった、と見る。
少なくとも、諸葛亮に対する反感を窺わせるエピソードはあっても、
劉備への忠義を窺わせるエピソードは無い。
劉備を裏切らなかった事、劉備に刃向かわなかった事を理由に忠臣に位置づけるならば、
魏延は間違いなく忠臣なのだろうけど、そうすると、その他大勢の忠臣が増えすぎる。
撤退に関しては、
諸葛亮の遺言から楊儀らを臨時の指導者として諸将が認めて撤退。
その上、魏延が全軍の撤退に関して、橋を焼いて阻害するという妨害工作を行ったという記述があるのに、
なぜ魏延主導という考えが出るのか、理解に苦しむ。
実際に、魏延の行動のお陰で混乱しているわけだしね。
魏延案の是非については、長文になるので、他人様のサイトだが、こちらを参考にしてほしい。
こっちが主張するより分かりやすく纏められてるしね。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/antoine_henri_jomini/35318621.html
魏延案については、魏略を信用しないパターンでも、潼関で合流するつもりだったというのがアウト。
長安を何とかして潼関も何とかするつもりですかと。何処に勝算があるのか分からない。 >>325
忠臣の意味は「主君に忠実な家来」だから
劉備に対する忠臣がたくさんいたって何の問題もないし
後に問題を起こしたからと言って忠臣であったことまで否定することはない
魏延にそれだけの自負を持たせたのは劉備なのだから
劉備に対する忠義はあったとしていいだろう
撤退に関してあなたが魏延伝(通説)を正しいとするのは結構だけど
私は魏略が正しかったかもしれないと言っているだけなのに
他人が他説を出すこと自体を「理解に苦しむ」というのはどうよ
(晋書宣帝紀によれば司馬懿は撤退する蜀軍を追撃した時点ではなく
その後蜀軍の陣営跡を見た時点で諸葛亮が死んだと判断しているし
蜀軍が五丈原に文書等を放置した理由を諸葛亮の死に求めている
魏軍の司令官の記事だから「魏軍から見て」といっていいだろう)
魏延案の再評価については多くの本では「議論されてきた」としかなく
管見の限りでは張大可氏くらいしか見つけられなかったけど
私は「ギャグ扱い」に対して反論しているだけだからこれで十分でしょ
(さすがにJominian氏はよく考察されているけど) >>326
こっちは魏延が自尊心から来る暴走でやらかしたと見るから、どうしても評価が辛くなるんだよね。
同じく自尊心が強い(と若い頃のエピソードから思われる)諸葛亮が、
劉備死後の国家にも無私の忠誠を尽くしたのとは対照的。
だから、どうしても忠臣という見方に不満が出る。とはいえ、そちらの見方も分かる。
魏延は不満を吐きつつも、指示には従ったわけだし(まあ、それも他の人間が普通に従っている事を考えれば、+要素にはならんが)
正直な話、撤退に関しては恣意的に魏略の件を採用したんじゃないか、と思える文だったから、少し攻撃的な文章になった。
いくらなんでも言いすぎだった。すまない。
ただ、前後の状況から見るに、魏延主導の撤退とは、どうしても思えない、というのはある。
蜀側の資料や、費イの行動の記録なんかを見るに、魏延主導の撤退には思えない。
というか、主導で撤退させてるのに、楊儀らにしてやられたのなら、魏延が間抜けすぎる。受け入れづらい。
やはり諸葛亮死亡による撤退に反発して、取り残されたという方がしっくり来る。
ギャグ扱いに対して反論、というのは、こちらが攻撃的過ぎた事から来るものかな。
魏延案に従っていれば北伐は成功していたと、無条件で設定する論が多いから、感情的になっていたのかもしれない。
とはいえ、正史、魏略どちらに従っても、成功の公算があまり見出せない案である以上、あまりいい評価は下せない。 >>319
驚いた。自分が前々から思っていた事とそっくりだ
同じ考えの人がいたんだな
特に「忠臣」の部分
何故いつも魏延ばかりが忠臣、忠臣と特別扱いなのか
ほんと疑問だった
正史にはとくに特別忠臣である事を示すエピソードもないのに
「劉備」と特定されてるのもよく分からない
とくにエピソードがないんだから劉備も劉禅も同じことだろう
「忠臣」「悲劇の英雄」は魏延を語る場でよく散見されるお決まりのワードだけど
だた単に史書には、有能だけど傲慢な武将が
撤退命令に逆らって楊儀に政争を仕掛け返り討ちにあったって書いているだけなのに
なぜ「忠臣」の「悲劇」なんて話になるのか >>327
まぁ私の書き方もあまり良くなかったからお互い様ということで
魏延は「自爆」しただけで「反逆」はしていないというだけで
特筆する程の忠臣ではないとするあなたの考えは正しいと思う
撤退の件については諸葛亮の謀略説まで出てきている有様だから
まぁあり得なくはないという程度に取ってもらえれば
魏延案が支持されるのは「諸葛亮は失敗した」という史実があるから
魏が油断していた最初の時に奇襲したらうまくいったかもしれない
という意味で支持されているのだと思う
(他には案自体ないし) そもそも忠臣=良臣ではないからな
臣下として本当に求められる像は社稷の臣なんだが、
仮に魏延が「劉備個人にのみ忠を尽くす臣」だとするなら、
たとえそれが劉備からみれば忠臣ではあっても、蜀という国家に
とっては害悪にもなりうるわけで 一般的に魏延といえば=裏切り者、になっていて、
それは違うだろ?と魏延ファンとしては大声で言いたいんです。
で、not裏切り者、に一番近い単語が”忠臣”なだけだと、私は思います。
正直、魏延を語る上で“忠義”が重要な単語とは、私には思えないんです。
劉備も孔明も、そんなものを持ち出す必要が無いほど、魏延を評価し、使ってくれてますから。 魏延は劉備に対してのみ忠臣、てのを熱心に主張する書き込みがあったけど、
たとえそれを周囲が認めたとして、それがどれほど魏延の名誉回復につながるの?
劉備さえよければ周りに迷惑かけようがどうでもいい魏延、
自分の子供さえよければ周りに迷惑かけようがどうでもいいモンスターペアレントと一緒じゃないか。 >>335
「反逆者」と「モンスターペアレント」では
名誉という点ではかなり違うと思うけどね
(馬鹿という意味ではたいした違いはないが) >>335
個人的にはそういうの吐き気するけどな、結局それは自己愛だから。
でも日本人はそういうのが好きんなんだよ
「八百屋お七」なんて
恋した相手に会いたいがために放火しようとした
こんな話が美しい悲恋として扱われてるんだからな
>>336
劉備を溺愛する「モンスターペアレント」で
劉備以外の他の人間にとっては「反逆者」ってことになってしまうぞ 劉備に対して忠であった、ってのはそもそも演義のエピソードから生まれたイメージだけどな。 >>338
陳寿の時点で謀反ではないという考えはあったけどね 魏延は叛逆の罪で夷三族の刑を受け、蜀漢滅亡まで名誉が回復されることはなかった。
だから陳寿は「あくまで権力争いの末での敗死であり、皇帝・朝廷への叛逆の心があったわけではない(処分は不当に重い)」
と擁護しているのであって、魏延が正しいとか忠誠だとか言っているのではない。 >>339
今は劉備個人への忠誠心の話をしてるんです すまん、なんか言葉が抜けてるな。
劉備に対して「だけは」忠であった、だった。
コーエーとかそれ以外の三国志系のファンブックに
襄陽で中から門開けようとしたり、韓玄を斬ったりとか、そこらへんがあるから
劉備にだけ忠義モノ、なんて感じのネタが有ったよなあ、と思い出してた。 >340 ショウエンが楊儀を失脚させて魏延の無念を晴らしたって伝承は有ったよね 魏延の罪を押し付けられて楊儀と諸葛亮はいつも悪者扱い
このふたりに同情するよ >>328
つかさ、魏延の当時の立場を見る限り事実上ナンバー2、
諸葛亮亡き後なら魏延の指揮下に入るのが当然。
それなのに勝手に退却したからもめたんだろ。
そして魏延の指揮下に入るのが嫌だったから、諸葛亮が生前退却命令を出していたことにして、
命令違反とか言っているようにしかみえんのだが。 >>319
正面からせめても勝てない。これは諸葛亮が証明してしまった。
双方大軍を運用するのに向いてないし、進軍すればするほど状況は悪くなる。
長安は大都市周辺には要害も多いしまともに落とすのは蜀の国力では無理がある。
なら北伐をしないか、といったらこれは諸葛亮にはできない相談だ。
なら奇襲しかない。魏延案は別に鼻で笑われるような案ではない。
>>346
当然じゃないよ。
楊儀は丞相府の事務を統括しており、印綬と官属を抑えることで諸葛亮死後の執行権をそのまま引き継げる立場にあった。
加えて司馬・護軍という実務責任者の支持があった。
魏延は丞相府に席は持っていたが、本来的に外にいる将軍であり、
ナンバー2の高官といっても、丞相府の権限を介さなければ北伐全軍に命令する正当性を持たない。
だから費イは、魏延の意思に従う振りをして「楊長史を説得しましょう」と答えた。
楊儀と費イが魏延を欺いて彼の主張を無視したのは事実だろうが、だからと言って、魏延の側に諸葛亮の後を継ぐ正当性が
あったわけではない。 身分の高さとか正当性以前に、嫌われ者の上司には誰もついてこないって事だろ。
そんな魏延をホイホイ出世させた孔明、厄介事は嫌だとへりくだってた周りも責任はあるが、
偉くなればみんなついてくると勘違いし、自重するどころか傲慢に振舞った魏延は、
いい年して大人気ないと思わざるを得ない。しかも戦乱の世で、下が上に取って代わるなんて日常茶飯事なのに。
面識があったかどうかは定かではないが、同じ蜀にいた関羽や張飛の末路をなんとも思わなかったのだろうか。 史書に無い頭の中で作られたストーリーを当然のように話す魏延オタに何言っても無駄な気がする
まともな魏延ファンにも迷惑だな
ただ、費イはもっと違うやりようがあっただろとは思う
早急に事を運ばなければならなかったから焦ってたのかもしれんが >>347
奇襲が悪いのではなく、そこに勝算が皆無なのが問題なんだよ。
魏延案の駄目さは>>325のリンク先を参照。
潼関で合流するのもどうやって? という感じで勝利の道筋が見えない。
正面から攻めても勝てないのは諸葛亮が証明した、というのも首を傾げる。
第一次北伐や第四次北伐は、なんだかんだで優位な状況は生み出せていた。
結果的に配下のミスで終わったのも同様だが、そこに勝算がない、というのはどういう事だろう。 >>350
あいつらは手始めに、コーエーの歴史ゲーとか無双あたりから入った新参者に
三国時代の名前や字(あざな)は…、一騎討ちは…、青龍偃月刀や蛇矛は…、とか
少なくとも間違いではない、当たり障りのない知識をひけらかしておいて信用させて、
そこから魏延にだけ都合のいい嘘や法螺を吹聴するんだよな。それで新参者は
「あれだけ三国志に詳しい人が言ってるんだから正しいんだろう」と鵜呑みにしちゃう。
幸いにも、俺や家族、友人は被害に遭ってないから詳しいやり口はわからんが、
詐欺やペテンと一緒だな。ネットで少し調べる程度ですぐに化けの皮が剥がれる、
騙したところで何のメリットもない、ちょっと考えればデメリットしかない意味不明な詐欺行為だが。 ここで被害妄想を語られても困る。
愚痴りたいだけならよそでやってくれ。 >>351
そのJominian氏は「史実での」魏軍の対応を基準として考察しているのだが
その史実では蜀は「揚聲由斜谷道取眉」と出発時点で行動を明らかにして動いている
(だから魏は諸葛亮本体の動きに気付かず陽動に引っかかったのだろう)
長安を奇襲することを前提とする魏延案でこんなことするはずがないのだから
「漢中の駐屯地を出発してから魏に察知されるまでの時間」も考慮すべきであって
それを無視して魏延の到達時間だけで考察してもあまり意味はない
(もちろん夏侯楙の逃亡を抜きにしても長安を落とせない可能性もあるけど
Jominian氏が魏延に有利な条件を無視しているのは事実だろう) 直從褒中出,循秦嶺而東,當子午而北,不過十日可到長安.
だから、子午谷に入って十日とかからず、という意味なんだろうな。 >>354
子午谷そのものも200km位だろうから十日では厳しいのは同じだろうけどね
(発言が本当なら威勢よく切り上げた数字なのだろう)
問題はどこで察知されるかだけど
1 沔陽又は南鄭出発時点:可能性は低い
史実での諸葛亮の動きを知らなかった魏側がこの時点で察知できる可能性は低いし
見付かっても5千人の部隊だから漢中東部の守備強化と思われる可能性がある
2 子午谷への入口:可能性半々?
子午谷全体が国境であって蜀側の入口にまで魏の部隊がいることはないだろうから
入口が魏(西城)が偵察できる位の状態なら見付かる可能性が高いし
蜀側(南郷)が完全に支配していたのなら見付からない可能性が高い
3 子午谷の中:ほぼ間違いなく見付かる
2と同じく魏側の入口まで蜀の勢力圏ということはないだろうから
余程間抜けでもない限り谷中のどこかに哨戒部隊はいただろう
その時点で長安に連絡が行くのは避けられない ttp://maps.google.com/maps?f=d&source=s_d&saddr=107%E7%9C%81%E9%81%93&daddr=
33.671783,108.667145+to:210%E5%9B%BD%E9%81%93%2F210%E5%9C%8B%E9%81%93+to:210%
E5%9B%BD%E9%81%93%2F210%E5%9C%8B%E9%81%93&geocode=FdRKBwIdfFt8Bg%3B%3BFXIG_gEdqoN2Bg%3BFXPL-wEdrIhxBg&hl=ja&mra=dpe&mrcr=0&mrsp=1&sz=10&via=1,2&sll=33.517354,108.560028&sspn=0.790004,1.226349&ie=UTF8&ll=33.591743,107.731934&spn=3.157086,4.905396&t=h&z=8
(三行合わせてから飛んでくれ)
漢中盆地の端から山脈出口までで200キロだろう。隣に出来ている西漢高速を使えば現代なら100キロで済む。
勿論、道は現在よりはるかに悪かっただろうが。
漢中-長安間って直行できるなら意外なほど近いよ。 >>325
そのブログの管理人コメントで魏延ヲタにからまれてて同情した
これだから・・ >>358
ここで紹介されて見た奴なんじゃないのか >>289
興亡三国志は好きだな
魏延脇キャラだけど >>359の言い分がよくわからんが、
ここで紹介されて見た奴なら荒らしても許される、とでも言いたいのか?
それにしても、珍しく論理的に魏延擁護されてるのに、2週間近くほったらかしとはな。
やはり魏延オタクは、物事を調べたり客観的に考える事ができずに、
都合のよい我侭や妄想でギャアギャアわめきたてる事しかできないから、
この議論の流れについてこれなかったのか。 リンク張ったからここから凸した奴がいる、みたいな事言いたいんだろ。
お前の頭もわりと論理的じゃないぜ。 どうでもいいけどここでリンク張られる前のことだぞ
コメントの日付見てみな >>361
それだと>>354以降魏延を否定する側から具体的意見は何も出ていないから,
魏延アンチは反論すらできないということになるけどいいの? 魏延アンチなんてものは存在しない
お前は幻を見ているんだ >>366
ああごめん。>>354と>>356は私の発言だ。
Jominian氏の意見よりは魏延の策に可能性があることを指摘しただけなのだが。
だから魏延を否定する側からの意見は全く出ていないのだけど。 >>364
の文面なんかは妙に挑発的だね。
>>354 >>356の文章を書いた人とは思えない。
>>365の言うとおり、魏延アンチってほどの人はいないと思うんだが。
さて、魏延案の問題点だが大別して、
夏侯楙が逃げてくれない限り、長躯後の攻城戦を控えていること。
部隊の秘匿がどこまで出来るかということ。
>>356で語られる魏延部隊の発見率がやや甘めに見える自分からすれば、この点ちょっと辛いかな、という印象を受ける。
大意については同意する。
察知後の魏中央の事後対応の速度。
(魏延の奇襲の場合だけ、甘めに見積もることは出来ないだろう
史実では諸葛亮が喧伝したことを差し引いても、時間はあまりない
疲弊した兵で長安を落とせるか)
ただし、これらの条件は、夏侯楙が魏延の目算通り逃げてくれるか、
あるいは周辺の不満を持つ勢力の協力(兵站面も)があれば、成功させられるか。
それでも潼関を閉鎖できるかどうか。潼関を抑えない限り、長安は維持できない。
魏延案は潼関で諸葛亮の本軍と合流する事が前提なわけだし。
孟達と通じる事に失敗し、討伐されていた事もマイナス要素。
蜀は、第二次の記述からも分かるが、陳倉城が修復された事すら気づけないほどの諜報力しかない。
この状況で、魏の油断を期待する魏延案が魅力的に映るかと言われると、難しいのではないかな。 >>368
>>361に対するレスだから挑発的に書いただけだけどね。
発見率については子午谷の漢中側の状況次第だから何とも言えない。
あなたが指摘する孟達の件も魏延案には不利に働くだろうし。
(孟達に向かった司馬懿が長安に来れそうにないことだけ有利だけど。)
やはり奇襲出来たとしても長安が落とせるかどうかが一番の問題だろう。
魏略での扱いからして夏侯楙が強かったということはないだろうけど,
それでも長安でちゃんと守られれば落とすのは困難になる訳で。
あと潼関の件は魏略には出てこないから,合わせて考える必要はないのでは?
いくら魏延でも5千の兵で長安+潼関を抑えようとはしないだろうから,
諸葛亮が来るまで長安を維持するつもりだったと思うけど。 >>369
>>361は魏延アンチというより、信者へのアンチに見えた。
まあ、曹操信者が暴れてた頃と同じ、反動だろう。
確かに夏侯楙が逃げてくれればそれに越したことはないんだが、
逃げなかった場合、魏の増援が到着すれば、魏延隊の全滅はほぼ確定、諸葛亮本軍も危険に晒される。
落とせなかった場合のアフターケアが効かない、というのもネックかねえ。
総合すると、どうしてもマイナス要素の方が強いように見える。
まあ、こっちが魏延案に否定的だから、悲観的に見えている部分もあるんだろう。
ただ、潼関は関中を維持する、関中を固めるのに必須の場所。これは譲れない。
長安はだだっ広い平原ばかり広がる、防衛にとんと向かない地形。
これを補うのが潼関。これを取らないと、せっかく長安を陥落させても、維持できない。
魏延がこの案を出した以上、潼関を得る事を想定していない筈がない。 >>370
魏延には自身があったのだろうけど,リスクが高すぎるのは明らかだからね。
「魏を倒せなければ滅亡しても構わない」という覚悟がないと採用できないだろう。
個人的には「魏を倒す方法」としては諸葛亮案よりましだとは思うけど。
(逆に「蜀が長生きする方法」としては諸葛亮案は優れていたと思う。)
潼関が長安を維持するために必要だという意見は分かるけど,
現に魏略の魏延案には潼関は全く登場しないし,
魏延も長安での食料の話や咸陽以西を奪取できるとしか言っていないから,
長安を確保したまま諸葛亮を待ち,長安で決戦するつもりだったと思う。
想定している魏軍の到達日数(20日以上)も長安までのものだろうし。
(まあ魏延案の可能性を考えている立場として,
明らかに成功率が0になる潼関攻略まで入れたくないというのはあるけど,
魏略には「潼関を取ること」は全く出てこないからいいでしょ。) 諸葛亮が魏延の策を退けた理由
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