その一方で、毎回高い評価を得ている張昭は過大評価だったのではないかと思うところ。
理由は以下のとおり。

・甘寧の天下二分の計の第一歩でもあり、孫堅の仇でもある黄祖を討つことに反対した。
・赤壁の戦いでは、降伏派の中心人物であった。
・魯粛を重用しないよう、孫権に讒言した。
・孫権からあまり信用されていないのか、丞相に就任できず、孫登の教育役にもされなかった。
・孫権が帝位に就いた際に、周瑜は賞賛されたが、張昭のことは「お前の言うことを聞いて降伏していたら、今ごろコジキになっていた」と言われた。

 残念ながら、これを読む限りでは、郭図と同レベル程度にしか思えない。