周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜 陸抗 呉の軍師を語るスレ 6
>>294
実のところ長坂でコテンパンにやられたのは劉備、じゃなくて着いて来た民衆や兵の家族で
兵はかなり保全されてるから >>299
保全はされてないだろう
この当時の兵の大半は歩兵なんだから、
敵の精鋭騎兵に追撃されて味方の首脳部が騎馬で遁走した時点で、
大部分の兵は離散してしまう。先鋒だけで兵にしても民にしても殺しきれるような数ではないが、
劉備が再回収するにもかなりの時間が掛かったはず。
当時の劉備の軍が一部隊に満たなかったってのは魯粛伝にソースがあるんだけど、
関羽、リュウキの軍二万って結局赤壁でなんかしたのかな?
勉強不足ですみません。
謎多き赤壁。どんな戦いだったんだろう?
孔明の矢を集めた話は嘘にしても、連環の計や苦肉の策、法統や闞沢の活躍はほんとにあったのかな?
ごめんね、余りに無知過ぎて。 概ねはこんな感じ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A3%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
ありが惇!
物語にしても、やっぱよく出来てるね、演義って。
演義って、呉が不当に貶められてる感じがして、結構避けて通ってた。認識を改めます。
スレチなんだけど、お勧めの演義訳があったら教えてくれると嬉しいです。(変にナウい文体にしていない、原文の良さ(漢文)が伝わるものがあれば)
吉川も面白そうなんだけど、純粋な三国志演技で。
色々ごめんねm(_ _)m >>300
時間ならいくらでもあるんだよ
結局江陵まで取ったら取ったで曹操は戦後処理しないといけないからな
実際、長坂から赤壁までは数ヶ月ブランクがある >>304
長坂から同盟まではあまり時間がなかったって話じゃないか? >>291
周瑜の益州侵攻プランってのは周瑜自身の才能に頼るところが多くなってしまいそうな気がする
もちろん、周瑜ってのは頼るに足りる才能なんだけどさ
機を制して相手に不利な場所に陣を張らせる戦略眼(赤壁)、疲労した軍でそのまま城攻めして成功する統率力(江陵)
加えて部下の進言をよく聞いて採択するから独立して軍を預けるにこれほど相応しい将はいない
曹操は結局そういう武将を持ち得なくて天下を制することが出来なかったし、劉備は任せた関羽は能力が及ばなかった
時期的に考えると漢中の五斗米道と益州の劉璋が一番険悪化している時期だし、ここに呉軍が攻め込むってのは面白い
法正らも味方するかも知れないし(彼らは別に絶対劉備じゃなきゃ駄目って事はないだろう)
最初から大兵力で、相手が漢中に敵を抱えたまま、名将の周瑜が攻めるなら劉備と同じ1年かそれ以下で陥としてしまうのも夢じゃないかも知れない
問題は劉備で、これを外交力で抑えられるかというと中々難しいと思う。魯粛や孫権もキレ者だけど
さらに曹操は史実では西涼にちょっかい出して馬超と交戦状態に入るけど、周瑜益州に入るという状況なら馬超とは友好関係を維持したまま南下する可能性も大きいだろう
周瑜自身は馬超を同盟相手にしたいと考えているけど、それも上手くいくかどうか
最悪、劉備、曹操と戦うとして本国に残した兵で足りないってことはないが(絶対的不足なのは揺るがないけど、戦線を維持できない程ではないだろう。3万ほどあれば)
海千山千の劉備軍、曹操軍に誰が対抗しえるか、外にいる周瑜の動きを理解して行動しえるか、というと誰もいない。呂蒙がもっと早く育ってればいいが。
孫権には悲しいかな武将としての才能がないんだよね。これが孫策なら…… >>305
同盟の話じゃなくて長坂で兵がどうなったかだろ >>307
>>294から始まった流れのはずだが、流れが把握できてないんじゃないのか >>308
関羽、劉キの2万ってのは前提な
そんだけいりゃ十分同盟相手になる
さらに劉備が兵を糾合するわけだから
開戦までにかなりの兵が揃うって話だぞ >開戦までにかなりの兵が揃うって話だぞ
そんな話をしていたかどうか微妙だが、目算自体には一理ある。
魯粛と諸葛亮が「これから左将軍が荊州兵をどんどん集めますからもっと増えますよ」
とか半分ブラフかましたかもしれない。「保全されている」とは言わないだろうけどね オレは立間祥介訳以外の演義は読む気になれん。
これ中身は講談調で読む人を選ぶかも知れんね。 関羽の一万なんてソース見あたらないんだけど?
先主(劉備)伝にも、関羽伝にも、船数百艘としか残ってない。
となると、劉備の一部隊、数十騎と関羽の数百隻が劉備の全軍で、加えるリュウキの一万の方が圧倒的に多い。
劉備と同盟って言える数かな?
陳寿が蜀贔屓にして他(特に呉)を貶めているのは、正史 蜀書の解説に詳しい。ハイショウシの注の膨大さにも、後世、蜀を正当とせんための意図的な誇張、改竄が明らかに思う。
結局、正史にしたところで蜀を賞揚しようとする陳寿の意図に、真実は多く隠蔽されている。
だからこそ、こうして裏の裏の裏の行間を読み、自由に想像を広げる楽しみもあるんだろうけど。 >>312
諸葛亮伝も見たかい?
あと、仮に「同盟」時点では少ない兵力だったとしても、潜在的な兵力というものもある
つまりちりぢりになった兵の回収や荊州における募兵などで、今後兵力を増やすことが出来る可能性が高い
これらは元々劉表と敵対して荊州を侵略していた孫権には困難なこと >>312
呉の「国選史書」である呉書から主に採録され(他に史料がなかっただろうが)
呉歴や江表伝から注が引かれまくってる三国呉志が存在しなければ、
その意見は正しかった >>313
そういう荊州絡みの事情は大いにありそうだ
漢の血が流れていると言われている劉備のネームバリューも込みで
後々呉のために便利に使いたかったんだろう
そう考えれば、たとえ劉備が身一つだったとしても
評判さえ失っていなければ同盟を結ぶ価値はあったんじゃなかろうか >>312
もしかして>>294の人だろうか?
>>314で完全に反論できているから蛇足だが…
もしも「一人の史家の感情一つで歴史なんてどうとでも伝えられる」とか思っているなら
昔の人や社会を馬鹿にしすぎというものだ
陳寿の蜀に対する遠まわしの優遇や敬意の表現は確かに見られるが、
陳寿の頃は「明らか」と言えるほどのあからさまな贔屓ができる状況ではなかった
ちなみに三国志が正史に認定されたのは世間が蜀贔屓になるより前の時代
陳寿の蜀書がそっけないほど短いから、裴松之の注が自然と長くなったとも考えられないか?
裴松之はいくつかの矛盾する逸話があればそれらをそのまま掲載した上で
自分の意見を沿えるという公平な手段をとった人物
蜀の注の量しか理由が無いのでは「誇張、改竄が明らか」とは言えない
そこまで断定的な表現で書き込みをするなら先にもう少し勉強するか、
或いは、自分の意見に凝り固まらずもっと人の意見に耳を傾けたほうがいいぞ 普通、陳寿の蜀贔屓の根拠とするのは、楊戯の季漢輔臣賛を入れたことだな。
季漢輔臣賛の採用は他国と比べて明らかに公平性を欠くが、
(他国の賛は取り入れなかったし、賛をいちいち採用していたらきりがない)
賛に付随する形での陳寿の筆による記事は、伝に漏れた人物を知る上で重要な史料でもある。 確かに久々に蜀書を読んで、蟠ってる赤壁までの流れを参照すると、色々あれれとおもうところがあって、ちょっとばかし頭に血がのぼってしまい、言葉に行き過ぎたところがあったように思います。面目無い。
けれど、(けっして陳寿のことが嫌いな訳じゃないけれど)劉備だけを先主として、孫権は権と呼び捨てたり、劉備の妻だけ皇后とする書き方に、蜀と呉の間で(魏晋は除く)「あからさまな贔屓目が」あったかなかったと言うのは、もはや個人の感性の問題と言う気がします。
(数百の船と、劉備の兵と言って本当に良いのか、と言うリュウキの一万を軍に迎えるのが、同盟っぽくないと感じるか感じないかも、やはり感性の問題な気もします。)
バカバカしくも私は決して>>294で述べたような妄想を、盲信するつもりもないですし、私は自分の意見に凝り固まってると言われる謂れもないです。私は関羽一万と言う数に、正史の記述から多いに疑問をもったに過ぎません。
ただ、私は蜀書の井上律子さんの解説にある様に、正史の中に、既に劉備を正当と認めようとし、演義の元となる様々な仕掛けがある、と言う説にとても説得力を感じた次第です。
長坂から赤壁までは、劉側と孫側では、結構印象が違います。(劉側の赤壁は、「劉備が曹操と戦うのを孫権は助け、これを打ち破った」なんて記述がありますが、これはやはり殆ど詐称の様な書き方であることは認めて頂けるのでは?) >>317
自分は三国が公平だったとも一切贔屓が無かったとも言っていない
蜀の優遇は輔臣賛以外にもいくつもあるだろう
それらを総合するとかつて自分が仕えた国に対する義理だけというよりは
もう少し大きな優遇をしていると自分も考えている
しかしそれらの優遇は主に表現の上での扱い方だ
「意図的な誇張、改竄が明らか」だとかいうならば、
陳寿が事実を曲げた他の具体例を挙げねば論理的ではない
少なくとも、他の資料ではなく陳寿に原因があると推測できる明らかな矛盾点等が
いくつか挙がらないことには説得力が全く無い。話はそこからだ
ここは呉の軍師のスレなので呉の軍師に関わる矛盾点で頼むw 荊州東部はこの時劉備-劉g連合の所有だったのだから、
そこに呉軍が進出して戦う以上、「劉備が曹操と戦うのを孫権は助け」というのは正しい表現。
一方呉の記述を見ると、孫権伝や周瑜伝・魯粛伝では「備と伴に進み」というように書いてある。
この赤壁前後の戦力はというと、劉備軍が諸葛亮による公称2万。
周瑜が呉書では3万。建康実録では周瑜2万に孫権の後詰1万とされる。
その後の荊州戦線の分担を見ても、この場の投入戦力では極端に格差がある同盟ではない。
(地力では大きな差があったことはその後の数年の劉備の苦労によってわかる)
>劉備だけを先主として、孫権は権と呼び捨てたり、劉備の妻だけ皇后とする書き方
云々に込められた陳寿の故国顕彰の念とは別のところで、
国史というのは結局自国を中心に歴史を書くものだし、陳寿は三国それぞれに伝わる史伝を
結構忠実に書き写したのだろうと判断できる。 >>319
自分は陳寿による贔屓と言えば普通は季漢輔臣賛を取り上げるだろうと、
>>312に言いたかったんだが…どうも誤解されたようですな おっと失礼、自分より前に>>318が書き込みしているとも>>317が別人とも思わなかった
>>318
あれこれ想像するのは良いことだし、楽しみ方は人それぞれだが、
歴史である以上「感性の問題」で片付けられるものではない
本当に感性の問題だと思っていて、もし誰に同意されなくても良い、
誰にどんな意見を言われても聞く気がないのならば、こんなところに書き込む必要もないのではないか?
>>294では自分で妄想だと言ってるからけちょんけちょんにする気も起きなかったが
>>312では正史すら充分に読めていないのに、それまでのレスに対して充分なレスもせず
それらの意見を踏まえもせず自分の言いたいことだけ言い、しかも断定口調だから「凝り固まってる」と感じた
このスレや板には井上律子並に勉強になるレスも多いし、良い本も良いサイトもいくつもある
それらを読めば大方の疑問や間違いは自然と解消するだろう >劉側の赤壁は、「劉備が曹操と戦うのを孫権は助け、これを打ち破った」
>なんて記述がありますが、これはやはり殆ど詐称の様な書き方であることは認めて頂けるのでは?)
周瑜伝でも呉主伝でも「劉備と協同で軍を進め、曹操と赤壁で遭遇し打ち破った」
「劉備は周瑜らとともに追い打ちをかけた」とあり戦闘での劉備軍の活躍を否定してない
それに本人の伝では自分が主体になるのは当たり前でなぜ明らかな詐称とまで言えるのか分らない >劉側の赤壁は、「劉備が曹操と戦うのを孫権は助け、これを打ち破った」
これが何で詐称の様な書き方なのか分からないけど
関羽伝のことなら「打ち破った」じゃなくて「曹操は軍を引いた」だよ。
先主伝、諸葛亮伝では「力を併せて」だし気にしすぎじゃないか?
蜀書に限らず信憑性を疑いだしたらきりがない。 正史の記述に疑問を感じる部分があったら
まずは記述を全て事実として整合性のとれる説明ができないか必死に考える
(多くのことはそれで何らかの答えが出たり仮説が生まれたりする)
前後の記事だけでは説明できないなら正史の他のどこかに参考になる事例がないか探したり
近い時代の他の資料を当たったり、時期・地理等も考慮する
それが無理ならどこか1箇所が事実と異なることを疑ってみる
(凌統の死去年のように正史が誤って伝わる例も実際にある)
当たり前だが事実と異なると認定するには他の資料等にそれなりの証拠が必要
特に証拠となる資料もなく正史の複数箇所を疑うなら、
最初から正史なんか読まなきゃいいんじゃね?ってことになる >>318
アンタ自身がバカバカしいと認めてる妄想をわざわざ垂れ流されても失笑するしかないんだが?
それにしても呂蒙って、演技の小説だと評価低いな。
NHKの人形劇じゃ極悪人扱いwwww
やっぱ関羽を虜囚にしたのが評価を下げてるのか??
荊州奪還の功績はまるで無視? カク普を騙して零陵を陥落させたような事は実際にしているからな あれって当時の人の価値観だとどうなんだろうね?
自分は、合肥前の時間の惜しいときに無駄な血を流さず城とったんだから良いと思うけど、
人によっては卑怯ってことで評価下げる要素に数えるのかな >>330
当時的にはおk。戦には詭計を使うのは当たり前だし。 >>330
卑怯というかその後、呂蒙というだけでみんな警戒して言葉を信用しないようになる可能性があるのでメリットばかりでもない >>332
敵方は警戒するが、味方にとっては万々歳
「賊」相手なら、宴会や交渉に呼び寄せて撫で斬りしてもおkな世の中だから
「呂将軍は詭計で敵を欺いて城一つ落としたんだって」「すげーや!」だろう
味方が呂蒙のことを信用するかどうかは日頃の態度の問題 >>333
呂蒙は若い頃はともかく、将になってからは人格者だから、
味方の信用はすごくあったと思うよ。 呂蒙は貧民出身だから身内の評価は高くないはずだよ。
だからこそ呂蒙は士大夫の反発を買わないよう謙遜してたんだね。 呂蒙は孫氏に仕える士大夫の代表格の張昭からも高く評価されてるんだが。
あと、呉の人間が呂蒙を低く評価した記述は呉下の阿蒙のみ。
しかし、これも親しみ混じりだからねえ。 >>339
親しみ混じり??呂蒙伝に出てくる魯粛の態度をもう一度読んできたほうがいいのでは? まあ、単家に対する差別意識と、単家出身者に対する個人的評価は別かもしれんけどね。
しかしどれだけ個人的な信望を築こうとしても、
やっぱ単家出身者だということで差別的な眼差しは否定できなかったんじゃないかねー。
戦場で計略を使ったら、あいつのやりそうな詐術だ、とか言われたりw >>341
妄想逞しいようだけど虞翻も計略に参加してるからそんなことはないよw >>342
>>341は眼差しや陰口(?)のたとえで言ってるんじゃないか?
実際に仕事をしたかどうかの話じゃないだろ
指名するのは主に孫家で、孫権なんかは豪族より非豪族の方が使いやすかったみたいだしね なんか妄想逞しいとか言われてるけどw
>>333のような奸計を用いた場合の身内のリアクションの話じゃないの?
だから貧賤の出自だと同じことしても評価が辛くなるって言ってんだけどさ。
単家出身か名家出身かで周囲の反応がどう変わってくるかって話だから、
虞翻や張昭にどう評価されたかは名家との比較じゃないから関係ないよ。 あの虞翻が批判することなく呂蒙に従っていたんだから身内のリアクションなんて大したことないよ
名家との比較でいえば初期の陸遜のほうがよほど批判を受けてるしね
評価が辛くなるという根拠が「謙遜してた」だけじゃ妄想にしか思えないよ
カン沢も寒門出だし呉では差別意識もってる人間のほうがやりにくいんじゃない?
劉巴が呉にいたら大変そうだw なんせ張昭ですら、いかがなものかと言っているくらいだし 謙遜は評価が辛くなる根拠じゃないんだけど…。
まあ、なんかというか言葉の通じない文化圏の人って感じだな。 孫権が故人を慕って魯粛をトウ禹になぞらえて語る場面は2箇所あるんだが、
どちらも帝位に即くことを勧めたことが理由になっている。
このことからすると称帝は、呉では魯粛が最初に言い始めたことになるな。
従って赤壁戦後のおべんちゃらも史実。
それを20年後に現実にしてしまった魯粛がすごいな。 なんとなくage
この5人が一度に揃ってたらどうなってたろうな 5人揃っていれば、まず間違いなく周瑜の天下二分論に基づいて動いた可能性は高い
本拠地と荊州、益州の各方面司令官もいるし、魯粛の戦略も軍事的優位性が高くなれば
「魏呉の二大勢力化」「孫権を皇帝にする」という目的に最短距離で進むだろう 面白そうだな
5人の誰がどんな役割に付くか具体的に話してみてくれ >>354
周瑜=益州攻略並ぶに荊州都督
魯粛=孫権側近の筆頭参謀
呂蒙=荊州都督副将
陸遜=揚州都督
陸抗=揚州都督副将
こんな感じかな? 陸抗は周瑜に付けてみたいな、なんとなく
西陵での巧みさや統治能力を見るに、彼は時代が時代だったら父親超えてたんじゃないか >>356
西陵は過去に陸抗の縄張りだったから、攻防の要点は最初から把握していたかもね
永安では3万で半年攻めたが落城させられなかったし、陸遜以上かどうかは微妙 陸遜ハンパないからな
戦争軍事バリバリ、経済にも明るく統治能力高くて、外交も一手に担う
ただ対人スキルだけはどうしようもない 諸葛恪が起き上がり仲間になりたそうな目で五人を見ている。
仲間にしますか?
はい
いいえ 来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/ こいつら軍師じゃなくて将軍じゃん
軍師っぽいのなんて魯粛くらいだろ ニンニク焼き電話会談日本橋スーパーきゃべつラーメン
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東福岡国内ニュースイヤホンモラル駐車近代名瀬寒寸電子エンコ運転マナーディレクター駐車中コーンラーメン
ジェニファーナスダック沖縄風説ホテルタトゥー特許禁止mlbファミレスmlb天気倫吾蜜少勇さえず保健所警戒館中国食用猫黒塗り狭告リベンジメディアクール
JK法相puzzleジュネーブ法相イケヤパート正社員グリー総合芸術自然ニコチンカフェインほぼホームデポメネージャー >>357
永安攻めの主将は歩協では?
だから永安攻めの失敗の全ては陸抗に起因するものではないと思われ /ヘミミミ/ ``'ー-.、,ヽ丶)ヽ、
、. レ"ヾヘミミ/ ヽソノ;、ヾi
_ヽlヾミミミン -zュ、、 ´ ';ソ:|
i A;ヽミミゾ ,__,.、,、,..,、、.,、,、、..,_ /i
| | iミミソ ヽ;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i
| ヽiミソ ''、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄  ̄ /i
゙iー:ソ ,、-' |ヽ,;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i
ノソ ` = _, | '、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄  ̄
. "! ,.r===;-、, ` '′ ,'
ハ. / ヽ、 ヽ,) ノ
,r'イ ', l!、 ゙i ./ ,.'
. i | ', iゝヽ..ノ,イ /<韓国人の汚食事風景(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑) @^-^@ (大笑)
. !│ ヽ ゝ.二 '´ /.│ https://www.youtube.com/watch?v=Izm3Cccl_3w(笑)
. ! | ヽ / !、
. | | >‐‐ァ" | \
| | ,、r'" ,、r''" /
:
「日の丸」に噛み付くキチガイ朝鮮土人(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=oixXyjcBFX8
:
朝鮮寒流(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=R-6TD2nFxMQ&x-yt-ts=1421782837&x-yt-cl=84359240
:
韓国料理の劣悪さがヤバイ!「食中毒出しまくり!」と
台湾テレビ番組が報道している事実を発見! (笑)
https://www.youtube.com/watch?v=Rub2GetQqc8&x-yt-ts=1421914688&x-yt-cl=845 >>329
騙されたカク普は蜀に戻ったのに結局呉の仲間入り
騙されたカク普自体が騙されても自業自得なクズなので
呂蒙が卑怯というよりもカク普がアホなだけ カク普は一応は粘った方だろ
さっさと逃げ出した長沙太守の某と比べたら >>372
粘ったのは評価できるが
隠蕃の件は致命的に状況判断できない人物である事を表している
末路はある意味仕方ない ◆「得票0に疑義」と提訴 参院選でJAM組合員
http://www.sankei.com/affairs/news/160809/afr1608090021-n1.html
実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。三宅洋平の得票では、
豊島区ではなんとゼロ票
中央区ではゼロ票。
江東区ではゼロ票、
荒川区ではゼロ票
足立区ではゼロ票
通常、こんなことは考えられない。
慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。 >>376
策の軍師は張昭でいいのか
なんか策が攻めるときは張昭か張鉱のどちらかが城を守ってたらしいが
この二人を仲間にした策って劉備より運いいな >>377
孫策ってやってることえげつない(呼び出して斬殺とか)のに
名士受けいい気がする
と思ったけど、二張だけかな… >>378
策の部下になった人はかなり優秀な人が多かったと思う >>378
地元の呉の名士(陸家とか顧家とか)には受け良くないだろうな
しかし二張は呉の名士ではないので >>381
呉の地元の名士や豪族は重要なファクターだがそれが全てではない
他所から来た寒門と融合して呉の下骨を支えてきたのが
五胡十六国南北朝時代に生きてくる下地となったと思われ >>377
二張って劉備統治時代の徐州から流れて来たんだっけ
陳群さんもいなくなるし、劉備は魅力ないんだなあ
ところで陸績は孫策の時に配下になったんだっけ?陸遜が孫策の娘を娶ったのは記憶にあるけど、だいぶ記憶力が落ちて忘れてる >>383
策の人物の器がかなり大きいが
二張はトウケン時代じゃないの?
陳群は情勢の危うさを感じてたので仕方ない 孫策は劉備と面識のあった太史慈も配下にしているので
器がかなり大きいのは確か
太史慈は人材コレクターの曹操が声かけても配下にできない逸材 諸葛瑾ってわりと軍を引き入ってるけど采配能力は中の上ぐらいと考えていいの? 諸葛瑾って地元の豪族じゃないのに
よく兵を任されてるね >>388
地元の豪族だと勝手に兵集めて自前の兵持ってるからな
逆に諸葛瑾みたいな忠実な外様大名は孫権にとって貴重なので兵預けたくなるのは必然
しかし諸葛瑾が兵預かったのは魯粛や呂蒙が死んだ頃なので
単なる使える人材不足しているから仕方なくの感もある
厳oと違って馬に乗れたからとかいう些細な理由でかもしれないw 孫権は戦下手で多くの戦は大都督に丸投げしているのに、
何で合肥攻めだけは自ら出馬したがるんだ?
合肥攻めも陸遜に丸投げしておけば、きっと攻略してくれたろうに 陸遜はケイ州方面の担当だったけど合肥攻めしてれば陸遜なら成功したかもね
でも攻略してもその後の防衛は大丈夫だったんだろうか どうすれば孫権は天下を統一できたか?
孫権「陸遜、合肥を落とせ」
陸遜「かしこまりました」
孫権「おい魏が荊州に攻めて来たぞ 陸遜何とか撃退せい」
陸遜「かしこまりました」
孫権「陸遜、寿春を落とせ」
陸遜「かしこまりました」
孫権「陸遜、一気に許都を落とせ」
陸遜「かしこまりました」
孫権「陸遜、洛陽へ遠征して魏帝を捕えよ」
陸遜「かしこまりました」
孫権「陸遜、蜀へ遠征して劉禅を捕えよ」
陸遜「かしこまりました」
孫権「ついに天下統一したぞ!!いやあ誠に苦労の連続であった」
陸遜「・・・・・」 >>392
まるで王翦のように大軍を預け
自身は兵站を切らさず、正に将の中の将だな
正史孫権も同じようだし >>393
いや陸遜を用いない戦(江夏石陽攻め、合肥攻め、241年の大攻勢)では、
呉は失敗している 全部陸遜に任せておけばよかった 陸遜は防御的采配を優先する人だから攻めは無理でしょ
攻めだと曹操や孫策タイプになるんじゃ
そのかわり失敗のリスクもあり失敗すると損失も大きい まあ、関羽が雑魚なだけで
大規模な土地の取り合いはどの国も
出来てないからね 関羽は一将軍に過ぎないから州を任せるなんて元から無理
劉表の方がましじゃね 君主自身の軍事行動を支える参謀タイプの人材がいなかったのが孫権が軍事で何度も失敗した原因じゃないだろうか
曹操でいったら荀攸、劉備でいったら法正みたいな人材 >>398
孫策だったら周瑜や二張なんだが
確かに孫権には参謀居ないのう
まともな参謀居ないならまだ呉範劉惇趙達に占いフル回転営業させた方が