劉表まで袁紹派に入れていいなら、
「袁術派」はまず公孫サンとその影響下の各人物。勿論その一時期の劉備
孫堅・孫策と呉景・孫賁ら親族
公孫サンと同盟関係にあり袁紹と戦った黒山賊
武帝紀には陶謙の名も挙がるが時期的に怪しいところもある。少なくとも袁術が揚州に移ってからは険悪になった
陸遜の父の従兄弟で呉郡陸氏の宗主だった廬江太守陸康(不和から攻め込まれて敗北)
陳登ら下ヒ陳氏の有力者の揚州刺史陳ウ(王禹)(揚州に逃げ込んできた袁術を拒否して敗死)
廬江周家の者で周瑜の従父の丹陽太守周尚
曹操と戦った豫州西部黄巾族の何儀や劉辟
直接の連携の記録は無いが、董卓政権下で協力者として疑われた太尉張温、
曹操政権下で以下同文の太尉楊彪
他には初め曹操の献帝奉戴を妨害したとされる董承、
東城長魯粛や予章太守諸葛玄(諸葛亮の叔父で亮も任地に身を寄せていた)なんて名もある。

他にもそれっぽい人間は多いが、何しろ皇帝を僭称して悪名高い人物だから、
魏に仕えた人間の経歴からはぼかされていることが多い。
呉側の記録では比較的正直に書いてある感じ。