190年前半くらいの群雄諸侯の上下関係はそんなもんだったみたいだね。
二袁や公孫サンのような有力者は外の州に刺史や太守を多く任命したが、
現地に派遣したらもはや支配力は殆ど効かなくなったようだ。
田楷や曹操のように独立行動をしたり、事態が変われば陳ウ([王禹])のように裏切ったりする。
「袁紹派」や「公孫サン派」のような緩やかな色づけ、対等ではない盟友関係というところだろう。

ただ、孫堅は袁術指揮下の攻撃軍をほとんど一手に指揮していたが、
政治経済的基盤は完全に袁術に依存していたようだ。