【三国志】呉総合スレ6
>>736
雇用主(討慮将軍)と雇われ傭兵(左将軍)
の関係が最もしっくりくる
雇われ側が位高いので横柄になるわな
しかし孫権の合肥苦戦を理由に劉璋から兵借りようとしたり
益州獲るまでは時には孫権に雇われている事を利用している 呉が内部のゴタゴタに時間がかかってその間好き勝手利用できたことで
劉備的には更に舐めてもいい相手という認識になってたろうしな もし陸遜が楚王とか名乗って独立したら、呉側は荊州を返せって言いそう >>736
韓の張良も形式的には他国の宰相だけど実質劉邦の部下みたいなものでに似た状況かと
日本が中国と対等だとネトウヨとか言い張るけど、官職貰って喜んでいたらこれは部下だよねえと
劉備と孫健は劉備の官職が孫権より高くて、完全に部下ではないけど部下あるいは協力者のような
劉邦にとっての彭越みたいなものかと、、、 実は呉は、孫権が太守で、部下の何人かも太守で官職的には同格でという奇妙な関係なんだよね
ついでに武将が寝返る時人民や兵もついていっているから、昔の領主・諸侯みたいなのに近くて
孫権さんは呉と通称で呼ばれる連中の代表みたいな感じ >>742
客将みたいな存在というならわかるが劉備が孫権の部下ってのはいくらなんでも無理だともうよw
他でもそんな説は聞いたこと無いしね
日本と中国の関係が脈絡も無く唐突に出てきてるけど、官職もらって喜んでたっていつ頃?
ほとんどの人の認識は日出ずる処の天子からは対等だと思ってるんじゃないかな >>744
都督六国書軍事とか安、征、鎮東将軍とか
あとは桓武あたりで焚書したのもそれ以前もきっと新羅王の臣下として手柄を立てたとか官職に任命されたとか書いてあったんだよ >>745
で、喜んでたってのはどこから出てきたのかな
焚書もなにもあなたの書いてることと真逆で、お隣の両国が日本に従ってたって記録は、日本にも中国にもお隣にもしっかりと残ってるんだけど
書いてあったんだよって、完全に個人の思い込みと決めつけだと自らが認めちゃってるんだけども 日本が中国から官位貰ってたのは
卑弥呼の「親魏倭王」とか倭の五王の
「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」
とか辺りでそれ以後は日本は中国の朝賀に出ても冊封を受けない関係
天平勝宝5年(753年)の朝賀で遣唐副使の大伴古麻呂が抗議して席交換させて
それ以後唐(中国)の認識も 日本>>>>>>>半島 で一貫しているから
今の南朝鮮が日本を見下しているのは日本にとっても中国にとっても
滑稽にしか写らないんだよね・・・ >>727
皇帝というか天子は「天命を受けて天下を治める者」
だから皇帝(天子)は天下での最上位者であるが
元々「最上位より上」が存在していてそこから天命を受けてるので特におかしい事は無い
でなければ始皇帝が封禅の儀式を行なったり
徐福に命じて蓬莱山の仙人から不老不死の薬貰おうとかいう行動はしない
始皇帝は「真人」を名乗るぐらい俺様最高の人間なのに 呉は1万の軍を魏を飛ばして外洋に出て遼東と往復させることができている
万単位の軍を中国史上初めて外洋で運用できたのは呉だね
これは画期的
それまでは大規模でも長江や湖での水戦だったからな
それからは元まではないよな、外洋での大艦隊の運用は >>743
孫策の代からだねそれ
孫策の場合は早くに亡くなったせいもあるけど、彼も牧にも刺史にもなってない
当時の主だった諸侯でいえば公孫瓉もだな 孫権は各武将の軍は最初は解体するつもりだったらしいけどやっぱ無理だったのかねぇ >>750
うっきうきで嵐のなか出港しようとして合利に止められたやつかな
史上初となれば浮かれるのも無理ないなw >>752
結局、陸家や周家などの有力豪族との自前の力は隔絶するほど差が付かなたっかからね
孫堅敗死、孫策暗殺と前2代が立て続けに早く亡くなり孫家の基盤が盤石になる前に10代で家を相続したから豪族との関係は振り出しに戻るより更に悪くなって反乱続き
それを支えてくれた有力豪族の解体なんてとてもじゃないけどできやしない
ここに孫権の代での限界があった そういうどこよりもクーデター起きやすかった国家体質だったのに万全かと思われた魏が真っ先にやらかしたという皮肉 >>752
昔の王が、諸侯の兵や内政をどうこうできなかったしね
諸侯を率いて戦争はできても、その兵は各諸侯の兵だし
その昔っぽいのが、呉では残っていた感じなのかな
魏とかじゃ曹爽も失脚したらもう兵隊1人も動かせなかったのにね
その感覚だと逆に日本の豊臣秀吉とか徳川家康や伊達政宗を国替えとかで
支配する領土の変更までやれているのは逆にとんでもないことだしね
日本で首相の衆議院解散権もアメリカやイギリスにすらない強大な権限とか >>739
アメリカ人のコンサルタントが見下している日本人に報酬貰ってるような?
今の中国人も南の人を悪く言えば、見下す、よく言っても自分達と違う人間な使いしてるから >>754,756
昔の風習なのかなるほど
魏に比べれば田舎らしいから残ってても無理ないね
東晋の時代になっても手を付けるのはムリだったみたいだし根深いなあ
>>750
海洋に出てこれで魏を挟み撃ちってできないのだろうか
まあ地上に上がった瞬間ボコボコだろうからムリか >>758
遼東連絡作戦は公孫淵があまりにもクソすぎたからなあ
最後の撤退作戦は見事といえるかな
魏にやられることもなく戦利品と捕虜まで連れて
全軍遼東から呉まで撤退できている 15歳以上の男子を軍民問わず全員処刑で7000人しかいなかったことから
恐らく司馬懿が率いていた4万の軍は過剰で、どう考えても逃げるしかない あっなるほど孫公淵か
遅れてきた援軍称して簒奪はすっきりしたよくあの時期まで我慢したな
そもそもあそこって友好関係になるメリットはあったのかな? >>758
秦以降みたいな直轄支配ができていないのかと
昔は都市国家の集合体みたいな感じで、王が盟主みたいなものだけど
各都市国家は、独自に政治も軍事もやるから、たまに好き勝手やっていても対応できていない
あまりの場合には諸侯を率いて戦争になることもあるけど負けたらやばいし
それに王の都市国家も頭1つ抜けていても他より少し強いだけで圧倒的じゃない >>758
呉では地方だからか、中央ではすたれた昔の銅銭とか出ているらしい >>754
孫晧でさえ陸家には気を遣っていたり
陸遜は太子を預かったり荊州を支配していたりで
三国志で諸葛亮と陸遜が一人だけで伝とかあるけど
司馬懿、諸葛亮、陸遜はその気になれば皇帝になれた最高実力者だよね 魏や晋に降伏する時に兵や民を連れて一緒に降伏しているし
これは春秋戦国時代の君主と同じである
昔は各都市国家が1つの国で、その支配者は自分の邑、城内の政治は自分でやっている
豪族連合と言われるけど、各兵士がそれぞれの豪族の支配下にあるのでは
呉は数十の君主がいる連合国家で、皇帝も彼らの兵を別の人に率いらせることもできないのでは
守りは強くても攻めは難しくなるだろう
戦争の天才がいても総大将は自由に配下にどれだけの兵を率いさせて程度さえできないのだから
各豪族に指示して配下の兵を動かして下さいとしか言えないしな
仮に命令違反があっても、傘下の兵は総大将や皇帝よりも自分の主のために動くし 要するに豪族連合ってのは
日本、ドイツ、イタリアみたいな独立国の連合に近くて
諸国の上位者みたいなのがいても日本軍は日本の司令官しか率いさせられない
魏や蜀みたいに誰々にどれだけの兵を預けてができない、拒否される
強く言いにくいし、場合によっては兵士ごと敵に寝返る だから皇帝権力がないんだよね
それに歴史上の敗者がよく南に逃げてくるからね
古代の言語がタイ語とかに近いとかも中原から逃げた夏人の子孫が今のタイ人かも >>767
むしろ蜀の方がまとまっていて姜維も1人で数万の兵に命令できるのに
呉では大軍を率いてもその兵士達のボスに間接的に命令しかできない
仮に失脚して官職を全部失っても兵士はそのボスのもの、人民も 蜀や魏は、兵権を失ったら途端に何もできなくなり、1兵も動かせない
姜維も官職を失うか、文官とかだけにされたらもう1兵も命令聞かない >>764
陸家というか呉郡陸氏の潜在力は孫家(呉郡孫氏)よりも上レベルでなく
大陸でも有数の大物名家で孫呉滅亡後も南朝六朝だけでなく
北朝や更にその後の隋唐でも栄えて唐末期でも宰相出すぐらい別格
まあ孫家は孫晷以降は表に出ず歴史に埋もれている感あるが
元配下筋の江南豪族に囲まれて楽しくやってた模様 >>772
http://kanso.cside.com/riku-ke.htm
呉郡陸氏は伝説の黄帝や舜の血を引くと云われる斉の田氏の末裔で
孟嘗君や陸賈も分家で存在する江南有数の老舗の名家
少なくとも孫堅から隆興した呉郡孫氏よりも前から多数人物輩出しているので
孫権が陸家を見出したというよりは
孫策以後断絶した陸家との仲を修復したのが孫権というだけの話 陸遜の直系は八王の乱で絶滅してるが弟のほうの一族が繁栄したのかね >>774
男系は陸遜の直系が断絶して弟陸瑁の家系が繁栄しているが
陸遜の女系は孫が顧栄ら江南貴族に嫁いでいたりで
実は人知れず続いているらしい… >>747
小野妹子が隋の返書をなくしたと言い張ったり(捨てたか隠した)
朝貢に行っているのに冊封を受けていないってのは
日産がルノーに身売りしたのにフランスの会社じゃないって言い張っているのと同じ >>775
司馬遷も娘の系統が続いているらしいよね
怪しいけど隋もその子孫を言い張っているw 江南は僻地。張昭は江南を、孫策の武力で回復したら、さっさと中央に降りたかった。 なんで呉から魏への移民が起こるのか?というのが疑問だったが各豪族の勢力争いのせいで重税だったからなのか… >>779
まあ、丞相すら冤罪で逮捕されてでっち上げ・拷問を受けたりするし
魏と呉は国境も川を渡ればすぐだし、むしろ逃亡すれば魏で優遇されるからね わかっていってるんだろうがそういう話ではなく民間人の話だ
別に将軍や豪族は逃亡してない 韓当の息子の投降が有名だがあれは本人がおかしかったしな >>781
いや、大臣すら投獄されるんだから庶民なんか気分次第でいつ拷問に遭うか分からない 遷都の際もリサイクルに次ぐリサイクルのおんぼろ宮殿だったみたいだし
国庫にはあまり実入りがなく各豪族の取り分が多かったのかなとは思うね >>779
中原が混乱して南渡した奴らは
中原が落ち着いたらそりゃ地元に戻りたくなるものよ
しかし五胡十六国時代では中原アフガン状態で
そこまで中原に戻りたがる奴居ないという… >>786
今のアフガニスタンの方が当時よりマシかと 和歌山県出身の下村拓郎様(35歳、元自衛隊)の偉大さが分からないとはお前ら許さんぞ! >>782
張温やキエンが呉の人事でめちゃくちゃやってた暗黒期に起きたことだから、真相はなんともいえんがな >>789
張温・曁艶・徐彪らが呉の人事めちゃくちゃやって失脚:224年頃
韓当死亡:226年
韓綜亡命:227年閏12月
どうみても韓綜がおかしかったとしか 私は中国生まれの中国育ちですが、日本人です。シナ人ではありません。中国には、中国銀行、中国放送、中国新聞、中国交通、中国電力など、社名に「中国」を含む多くの企業がありますが、言うまでもなくすべて日本の企業です。また中国には中国山地があり、中国自動車道が通っています。 そう言えば、呉って王を名乗っている段階で丞相とか大将軍とか任命してるんだよな
上大将軍とかいうダサい名称の上位職も
魏や漢中(蜀)は、武官の最高位でも前将軍で、文官も尚書令ぐらいにしておくのに >>797
丞相とか大将軍(上将軍)とかは
戦国時代の王の頃からあるので別に変ではない
その点では孫呉は戦国時代の諸侯王に近い感覚 >>797
陸遜が上大将軍になるのは孫権が皇帝に即位したあとじゃね 孫権を上将軍・九州伯にとか言っていたのに
どうも呉では上将軍は大将軍より下みたいなんだよね
それに九州の伯は9人いる諸侯の総称だったような
上・大将軍はなんかなあ
大司徒とかの大なんとかと上がつくの上の方が上なのかね 陸遜は荊州駐在だったが朱然や諸葛瑾とかはどこ住みだったん? >>773
陸遜以外に司馬懿も王莽も子孫でというか
斉は田氏以外の貴族が事実上いなくなって(日本の藤原氏のように)
斉公を追放して、自ら斉公に即位して、王にも認めさせたというか
国民もむしろ田氏以外の支配者を認めないレベルで洗脳されてたんだよな >>802
呉では兵士や人民を支配しているらしいから結局自分の領地に住む領主なんだよね >>802
陸遜は武昌。
朱然は江陵。
諸葛瑾は公安。 >>806
ありがとう
やっぱみんな荊州にいたのよなあ 西晋末期では旧魏領は北の異民族が南下、旧蜀領にも異民族なだれ込み
旧呉が晋王朝の移民を受け入れられたのは呉時代に山越をほぼ自国民に同化させてたから? >>809
西晋末期だけでなく後漢末期にも
黄巾の乱などで中原混乱した際に漢王朝の移民が多数
旧呉地域に避難してたからな…
それも琅琊王氏みたいな上級貴族も多数
その成功体験()が西晋末期の混乱したにも
旧呉地域に移民する原動力になったのでは
ぶっちゃけ山越の事は中原移民にとってはよくわからん存在だが
旧呉末期には山越はあらかた去勢されたペット化されてたので
五胡十六国南北朝時代の異民族の混乱時にほぼ空気状態 客家とか昔から北を追い出されて南に逃げているからねえ ハプロ遺伝子の話で南方系とかいうのを見て
これは単に中原の支配者が南に逃げたんだろうなと思った
元も北部を漢人、本来の漢民族らしい江南の人を南人として差別したらしいし
南を野蛮人扱いしているけど、歴史前から支配階級が負けて南に逃亡を繰り返したのでは二だろうか >>812
> ハプロ遺伝子
ハロプロ遺伝子、に空目しますた。 >>810
春秋時代の呉越もそうだけど
ぶっちゃけ異民族扱いしているけど遺伝的には同族なのでは
日本もほぼ親戚の相手を異民族扱いしているし 楚、呉越は近いけど長江挟んで北はちょっと違うんじゃなかったかな
元々は長江上流の四川から長江を下って楚、呉越と広がってそれが音曲文化としても比較的近いっていう どうも夏や殷も北で敗れて南に逃れてらしいし
晋や宋を見てもずっとそれが繰り返されているっポイ
だから、言語や遺伝子に南方のって言われるんだと思う >>773
>>804
既に陸績が孫策に仕えてるぞ 陸績は孫策死亡時で12〜13歳
孫策に仕えてたといっても末席で蜜柑食ってる状況 その年じゃ仕えていないのでは???
なぜミカン??? 三国志演技でも目上の人(劉備)に自分の妻を料理として差し出すって美談があったな
晩年の奸臣ぶりがなけりゃ儒家の教えの体現者としてももてはやされていただろうに、まあ料理の神様にはなっているが
あくまで明代に成立した作品での描写だから、そのまま鵜呑みにするのは危険だ。武具や服飾の描写は明代そのままの作品だし。
漢代では食人はタブーだった(王忠のエピソード)が、明代では人肉はありふれた食材だった。こうした影響は、水滸伝などの明代に成立した作品全般に見られる。 >>820
陸績は幼少ながら孫策の幕僚として出仕してたのは記録に残っている
蜜柑は二十四孝の逸話から 陸績=蜜柑 と思われ 孫権の妻の徐氏の前夫が陸氏の人物で、
徐氏は孫氏と縁続きだから
陸氏と孫氏が完全に絶縁してたとも言い難いんだよね >>826
諸説あるが孫氏も孫武の末裔で元々呉郡の豪族
階級は低いが呉氏から嫁さん貰えるぐらいの勢力
なのであまり記述されてないけど同じ呉郡の豪族の
陸氏や徐氏とも古くからの馴染みの関係だっただろうな >>826
諸説あるが孫氏も孫武の末裔で元々呉郡の豪族
階級は低いが呉氏から嫁さん貰えるぐらいの勢力
なのであまり記述されてないけど同じ呉郡の豪族の
陸氏や徐氏とも古くからの馴染みの関係だっただろうな 呉は世兵制で、各豪族が兵を各領地にて兵を養い、
皇帝の指示に従って兵を動かすというやり方を持つ。
この兵は各豪族で世襲される。
各豪族が兵を直接掌握することになり、
孫権存命時はまだまとまりがあったが、孫権晩年の二宮の乱に始まる
派閥争いのため、バラバラになっていった。 趙高は宦官でない説もあるが
そうだとすると
中人の丞相だから中丞相と呼ばれたがおかしな話になってしまう
こちらが間違いで右でも左でもないというだけの意味かもしれんが