★連環の計★ 貂蝉 ★傾城美艶★
貂蝉とは、東漢末期の政治家王允の養女とされる人物。楊貴妃、西施、王昭君と並んで、中国四大美女の
一人に数えられている。
物語において創作された架空の人物との説が有力だが、史書の「呂布が董卓の侍女と密通し、その発覚を
恐れて王允に相談した。董卓打倒を考えていた王允は、この際董卓を討てと進言して呂布はそれを実行した」
との記述を根拠に、原型となった女性は実在したとの説もある。
三国演義においては、洛陽から長安への遷都を強行し、暴虐の限りを尽くす董卓を見かねた王允が、董卓を
討つために、養女である貂蝉を使って連環の計を用い、董卓とその養子呂布を仲違いさせ、最終的に呂布に、
董卓を殺させたとされている。
ttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=0709&f=column_0709_003.shtml
■知られざる貂蝉の最期:関羽に斬られる
「連環の計」の主役というべき貂蝉ですが、実は歴史書には見られない架空の人物です。したがっ
て、「連環の計」も歴史書には見られません。ただし、正史『三国志』呂布伝には、呂布(?〜198)
が董卓(?〜192)に戟を投げつけられたことや、呂布が董卓の侍女と密通していたことが記されて
います。また、王允(137〜192)と呂布がかねてから親しかったともあります。これらの記述が、
「連環の計」の話が生まれる素地となったのでしょう。
架空の美女である貂蝉は、『三国志演義』ができる以前から三国志を題材とした作品に登場してい
ます。そして、それらのうちの現存するものを見る限り、貂蝉はもともと呂布の妻であったという設定
になっているのです。よって、貂蝉が王允の「連環の計」に協力するのは、別れ別れになっていた夫
と再び結ばれたいがためにすぎません。このような設定からは夫をひたすら想う一途な女性としての
貂蝉がイメージされますが、ことはそう単純ではありません。『三国志演義』では語られませんが、貂
蝉の最期にまつわるこんなエピソードが伝わっているからです。
呂布が曹操や劉備に滅ぼされた時、呂布のもとにいた貂蝉は、保身のために劉備の義弟である関
羽の歓心を買おうとします。自分の夫であった呂布を口を極めて貶める一方、関羽・張飛を褒め称えま
した。関羽は呂布が貂蝉という美女のために身を誤ったと考え、ただでさえ貂蝉に対する印象が悪か
ったところへ、貂蝉が夫を悪く言うのを聞き、その憤激は頂点に達しました。関羽は貂蝉の不義不貞
ぶりを責め、このような女を生かしておいては禍の元になるとして斬り殺します。
このエピソードから分かるのは、貂蝉は本来悪女であったということです。中国には女性を禍の元と
する思想が古くからありましたが、『三国志演義』が成立した前後の時代も、その傾向の強い時期で
した。『水滸伝』においても女性は徹底的に敵視されています。
■様々な形で語り継がれる貂蝉物語
しかし、『三国志演義』はそれまでの貂蝉像を一変させました。彼女は最初から呂布の妻ではあり
ません。貂蝉が「連環の計」に協力するのは、別れた夫と再会するためではなく、これまで実の娘の
ように育ててくれた王允の恩に報いるため、国家を独裁者・董卓から守るためです。貂蝉は悪女から
品行方正な女性へと変身を遂げました。
この新しい貂蝉像が普及するにしたがって、貂蝉が関羽に成敗されるという物語に対する反発が
生まれたのでしょう。その後、貂蝉が関羽に斬られることのない物語も作られました。この新しいタ
イプの物語では、関羽が貂蝉を出家させたり、実は下凡した仙女だった貂蝉が天上に帰って行った
りするというラストになっています。 ■時代と共に変化を遂げる貂蝉物語
更に時代が下ると貂蝉像はより民衆に馴染みやすい存在へと変化していきます。
天上界に上った貂蝉はあるとき玉帝の命を受け、西遊記で御馴染み孫悟空の共に
付く事となり、その風靡な美貌も更に誇張して語られることなりました。
西遊記への出演は貂蝉の人気を飛躍的に高める事になり
その後、様々な民間伝承の中にもその姿を現します。
我が国の漫画に置いても「餃子」という名前で登場し、凶悪な異星人相手に
自らの身を呈してでも、世の厄災を葬ろうと粉骨した三国志演義での貂蝉を
思わせる自己犠牲精神を見せ付けています。 中国のサイトとかで見たら、貂蝉は、王允の歌女とされていることが多いね。 「呂布と貂蝉」というドラマの日本版ソフトが出る。
かなりぶっ飛んだ内容らしいけど。 >>8
そのドラマ、途中で放送中止になって
「蝶舞天涯」に改題して三国志とは関係ない話にされたらしい。
「蝶舞天涯」
ttp://www.toho-shoten.co.jp/cbook/CBookView.jsp?cbc=163697