戦国四君
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【戦国四君】孟嘗君・信陵君・平原君・春申君
【大侠客】朱家・田仲・劇孟・郭解 侠客行 李白
趙客縵胡纓 呉鈎霜雪明
銀鞍照白馬 颯沓如流星
十歩殺一人 千里不留行
事了拂衣去 深藏身与名
濶゚信陵飲 脱劍膝前横
将炙啖朱亥 持觴勧侯贏
三杯吐然諾 五嶽倒為軽
眼花耳熱後 意気素霓生
救趙揮金槌 邯鄲先震驚
千秋二壮士 烜赫大梁城
縦死侠骨香 不慚世上英
誰能書閣下 自首太玄経 最近思うんだけど、彼らの最後はみんなパッとしないのは
人材が枯れたからなのかな? 任侠とは見返りを求めないもの。
しかし、人材を養うのは金がかかる。
一流の人材であれば余計に待遇に気を使わなければならない。
そして、金が無くなれば人は去っていく。
人材が枯れたのではなく、失脚して収入が減ったんだろう。 信陵君が好きだ。
チェンウェンの漫画「東周英雄伝」だとマジカッコヨス 信陵君が好きだ。
チェンウェンの漫画「東周英雄伝」だとマジカッコヨス 四君最強は、何と言っても孟嘗君だろう。
楽毅を援助して大成させた手腕は、中華史上にも例を見ない。
まさに戦国魔神モーショークンだ。 >>7
>>8
四君と言ったらその二人が双璧だろうな。
でも正直、信陵君はともかく、孟嘗君はそんなすごい人物とは思えない。
まあ「史記」の場合、司馬遷が孟嘗君の領地だった所に行ったとき、
とても風紀が悪く、「乱暴な連中は孟嘗君の食客の子孫」と教えられたのと。
漢の高祖が信陵君のファンだったのが大きいかも。
まあでも、平原君が好きなやつは少ないだろうな。 平原君はその無能に見えるが中華独特の魅力なんだろうな。
諫言は聞くし調整型の宰相としては有能だとはおもうが、如何せん華がない。 孟嘗君のエピソードは史記より戦国策に多いよ
多くの孟嘗君の逸話を削ってるところを見ると司馬遷は孟嘗君が嫌いだったとしか思えない 戦国魔神モーショークン吹いた
平原君は確かにぱっとした業績はないけど
よくよく考えたらたった21人で秦軍に包囲された邯鄲抜け出して楚に行くって
ちょwwwwおまwwwww宰相wwwwwwwと芝生生やしたくなるな >>5
廉頗のとこにいた食客が良い例だよな
ところで15レス目まで全く名前の出てこない春申君はどうよ
影は薄いけど、楚を立て直した功績は立派だと思うが あわよくば、自分の子を王位に・・・・
元祖!光源氏計画かいな?
いや、呂不韋のはしりか・・・ 失敗した呂不韋かな
自分の子を云々ってあたりが似すぎてるあたり、嘘の可能性もあるが 春申君のほうがオリジナルで、呂不韋のほうがそれを元にした創作のような気がする。
そういえば、春申君が登場する「楚国簒奪」って小説あったな。
読んだこと無いけど。 ろくに働かないで、口だけ達者な香具師か・・・
食客から知恵を貰うなら役に立つだろうが。
食客を抱えるのがステータスなのかな。
今で言えば、相撲取りを囲うタニマチ 孟嘗君の所のは本当にとんでもない奴ばっかりだったみたいだがな
他の3人の所はどうなんだか。
春申君の所の荀子は食客と言って良いのか… 有名な食客
孟嘗君・・・鶏鳴、狗盗、馮驩
信陵君・・・候エイ、朱亥
平原君・・・公孫竜、雛衍、毛遂
春申君・・・李園、朱英 信陵君に食客を吸い取られてしまった平原君を応援しよう 平原君の時代には、趙に、無礼王、淋処女、連破、庁舎がいて、斎には電探(のちに趙)、燕には楽器
魏には診療君、楚には春申君。そして秦には発揮、半数がいる。
正に後期戦国オールスターズだな。 無礼王吹いたw
平原君の時代=平原君の生年〜没年
と考えると確かにその頃が一番豪華な気がする
前半には孟嘗君もいるし、秦には魏ゼンもいるしな 知り合いに戦国四君の話をしたら
「平原君ってダセえなww」とか言われたんで
誰か平原君の格好よさについて語ってください>< >>39
「平原君は身体に障害のある客も大切にしました。
そんな人物をダセえの一言で片付けるあなたはそれ以下ですね。」
とでも言っておけばおk
>>39
友達の平原(ひらはら)君の話とかでいい? 平原君は三国志の劉備に当たる人物、と説明したら厨房ぐらいは騙せるだろう 本人含め21人で秦の包囲かいくぐって楚まで援軍求めに行ったのもな 邯鄲開放のための奮迅の働き、それに信陵君とも名声を争おうとしなかったのは
やはり開戦の責任を感じていたからだろうか。
平原君の振る舞いをみていくと、潔さを感じる。長く高位にありながら
国内で揉め事らしい揉め事も起こしていない。性質はよほど良かったのではないかと思える 武人じゃなかったと考えたらどうだろう。というか政治家。 どう見ても気のいいオッサンだからな
男気溢れる気持ちのいいオッサン 人間的に一番普通なのが平原君なのかもな。
性格も素直でいい意味で「エエとこの子」みたいな育ちのよさみたいなのがある気がする。
「高く飛ぶ鳥のように得難い濁世の佳公子」だしな。
真っ直ぐで純粋な性格だったんだろう。
だからこそ人の諫言も素直に受け入れられたんじゃないだろうか。 「エエとこの子」のイメージはあるね。
平原君は母親の身分がそこそこ高く、信陵君は妾の子丸出しな感じがある。 信陵君は目下の人には腰が低いけど目上の人には傲慢な感じがする 尋秦記という、戦国時代にタイムスリップするドラマを見ているが、
信陵君は癖の強そうなおっさんだ。 >>21
ジョショの母親の話は創作らしいからな
項羽と劉邦の母親が人質取られて殺された武将(咄嗟に名前出ない)の話の >>59
訳:三国志演義に於ける徐庶の母親の話が
「項羽と劉邦」に出てくる、人質に取られた母親を殺された武将を
元にした創作らしい。 翻訳thx。
しかし、わざわざ>>21に亀レスする意味も今一つ…
根本的にスレ違いだし。 史記のマルチ視点を存分に楽しめるのが この四君の部分だと思う 戦国策とあわせて読むともっと面白いぞ
信陵君、実はすっげー短気なんじゃねえのかw というか平原君以外は全員DQN一歩手前な気がしないでもない 一歩手前どころかDQNそのものな気がしないでもない
平原君以外は 秦軍撃退というとまず信陵君を思い浮かべるが、趙のとき実際の主役は平原君なんだよな。
まあ趙奢や李談に言わせれば、公子が国に尽くすのは当然で
信陵君の義侠とは比べられないって事か
いや、その後の史記にはさらっとしかかかれていない
函谷関で秦を撃破するというのが、むしろ信陵君最大の業績なんじゃないか 中国人は義侠とか大好きだから
秦に対抗し、時には信義のために王にも背く信陵君が
最も好かれてるのは当然かもしれない。 日本人にも信陵君が一番好まれそうじゃない?
実際の知名度はともかくとして。 日本での知名度だと、孟嘗君が圧倒的だろうな。
古典の教科書に鶏鳴狗盗のエピソード載ってたし。 宮城谷昌光著「孟嘗君」に登場する白圭の生き様は天晴れ
男ならかくありたいものだ >>9
孟嘗君の領地だった山東省滕州市と棗荘市薛城区ってところに
いったことがあるけど、当地の人間は誰も孟嘗君の領地だったって
ことを知らなかった。
荒っぽいやつも多かった。
あと、棗荘市薛城区は抗日戦争時代の鉄道遊撃隊で有名だった。 春申君の墓の写真をなんかで見たが
なんで春申君ってあの殺され方で墓残ってるんだろう? 墓の中に本人の遺体が眠ってるとは限らない。
国の中心人物だったから後の時代の人たちが作った可能性もあるのでは?
あくまでおれの想像だけど。 春申君の墓は最近やたら綺麗に整備されたらしい。
孟嘗君(+靖郭君)、平原君もかなりちゃんとした墓が残ってる。
信陵君のだけえらいことに… ヤングジャンプで連載してるキングダムって漫画に信陵君出てくるかも?
と思ってたけど名前だけでなかなか出てこない・・・ 四人の中で一番簒奪の可能性が高そうなのは誰だろう? 信陵>春申>孟嘗=平原じゃね
信陵君は実力も人気もあるから簒奪しようぜーって言い出したら軽く魏乗っ取れると思う
春申君は「実質越王」だし王さしおいて楚の第一人者だし
孟嘗君は自分で国作っちゃったから簒奪はしないと思われ
平原君は性格的にない >>81
B.C.247 信陵君、五国の兵を率いて函谷関に迫る。信陵君(最後の戦)
B.C.246 秦王政が即位し呂不葦が相国となる。
B.C.245 成キョウの変(漫画内の架空)
秦のヒョウ公によるケイ陽攻め
B.C.243 信陵君、酒のため病気となり没する。
魏の信陵君はすでに讒言によって安釐王から遠ざけられて、酒浸りになってる。
秦王政の在位期には、孟嘗君と趙の平原君はすでに没していて、
秦王政とやり合ったことがある戦国四君は楚の春申君のみ。
>>83、>>85
楚の春申君は簒奪紛いのこと実際にやってる。
共犯者が裏切ったためにその余沢を受けてないだけ。
他の三君は簒奪はやってない。やりそうなんてことを語るのは恥知らずなことだ。 >>86
お約束の疑問。
春申君が考烈王に子ができないのを利用した謀略。即位した李園の甥は幽王。
負芻と哀王猶は誰の子なんだと。 李園の妹が考烈王に嫁いだ時点で子供がいなかっただけで
幽王が生まれてからは、普通に何人か子供ができたんだろうと考えてたが
そうじゃないのか? (1).子供がいなかったってのが間違いで本当は太子を定めていなかったが正しい。
李園の妹への寵愛と春申君の後押しで、悍が太子となり負芻は諸子となった。
(2).春申君と李園の企みはただの作り話だった。
(3).負芻と哀王猶の父の記述が間違っている。
(4).その他
好きなの選べ 呂不韋と秦王政との話にも似てるし
その後の始皇帝の人間不信っぷりを見てると
そういう生い立ちのせいな気もする
そっちがオリジナルで実際は(2)なんじゃねえの 無粋なツッコミを入れるとすれば。
夫婦や男女の閨房の話題を誰が史書に書きとめたのだろう。
本人間しか知り得ない妊娠した女性を主君の妃に差し出す。無理ありすぎだわな。 人のうわさだろ。
妃になって間もなく生まれた子供だから父親が怪しいって言う状況証拠。
場合によっては関係者からリークがうわさの発端の可能性もあるから、100%根拠ないとはいい気れんが
要するにすでに王と結婚してる妃に手を出して子供生ませたわけじゃなく、
孕ましたのは王に差し出す前の話だからこそ、うわさになったという話ね。 その手の話に食いつきがいいのは今も昔も変わらないってことか
背びれ尾ひれどころか胸びれもついてそうだな この時代は、史記では短編集になっているけど、まとめて長編にしたら面白くなると思うけどな
四君に、楽毅、田単、武霊王、琳ショジョ、廉簸、趙奢、白起、呂不偉
三国志演義より面白いじゃないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています