戦国四君
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【戦国四君】孟嘗君・信陵君・平原君・春申君
【大侠客】朱家・田仲・劇孟・郭解 侠客行 李白
趙客縵胡纓 呉鈎霜雪明
銀鞍照白馬 颯沓如流星
十歩殺一人 千里不留行
事了拂衣去 深藏身与名
濶゚信陵飲 脱劍膝前横
将炙啖朱亥 持觴勧侯贏
三杯吐然諾 五嶽倒為軽
眼花耳熱後 意気素霓生
救趙揮金槌 邯鄲先震驚
千秋二壮士 烜赫大梁城
縦死侠骨香 不慚世上英
誰能書閣下 自首太玄経 最近思うんだけど、彼らの最後はみんなパッとしないのは
人材が枯れたからなのかな? 任侠とは見返りを求めないもの。
しかし、人材を養うのは金がかかる。
一流の人材であれば余計に待遇に気を使わなければならない。
そして、金が無くなれば人は去っていく。
人材が枯れたのではなく、失脚して収入が減ったんだろう。 信陵君が好きだ。
チェンウェンの漫画「東周英雄伝」だとマジカッコヨス 信陵君が好きだ。
チェンウェンの漫画「東周英雄伝」だとマジカッコヨス 四君最強は、何と言っても孟嘗君だろう。
楽毅を援助して大成させた手腕は、中華史上にも例を見ない。
まさに戦国魔神モーショークンだ。 >>7
>>8
四君と言ったらその二人が双璧だろうな。
でも正直、信陵君はともかく、孟嘗君はそんなすごい人物とは思えない。
まあ「史記」の場合、司馬遷が孟嘗君の領地だった所に行ったとき、
とても風紀が悪く、「乱暴な連中は孟嘗君の食客の子孫」と教えられたのと。
漢の高祖が信陵君のファンだったのが大きいかも。
まあでも、平原君が好きなやつは少ないだろうな。 平原君はその無能に見えるが中華独特の魅力なんだろうな。
諫言は聞くし調整型の宰相としては有能だとはおもうが、如何せん華がない。 孟嘗君のエピソードは史記より戦国策に多いよ
多くの孟嘗君の逸話を削ってるところを見ると司馬遷は孟嘗君が嫌いだったとしか思えない 戦国魔神モーショークン吹いた
平原君は確かにぱっとした業績はないけど
よくよく考えたらたった21人で秦軍に包囲された邯鄲抜け出して楚に行くって
ちょwwwwおまwwwww宰相wwwwwwwと芝生生やしたくなるな >>5
廉頗のとこにいた食客が良い例だよな
ところで15レス目まで全く名前の出てこない春申君はどうよ
影は薄いけど、楚を立て直した功績は立派だと思うが あわよくば、自分の子を王位に・・・・
元祖!光源氏計画かいな?
いや、呂不韋のはしりか・・・ 失敗した呂不韋かな
自分の子を云々ってあたりが似すぎてるあたり、嘘の可能性もあるが 春申君のほうがオリジナルで、呂不韋のほうがそれを元にした創作のような気がする。
そういえば、春申君が登場する「楚国簒奪」って小説あったな。
読んだこと無いけど。 ろくに働かないで、口だけ達者な香具師か・・・
食客から知恵を貰うなら役に立つだろうが。
食客を抱えるのがステータスなのかな。
今で言えば、相撲取りを囲うタニマチ 孟嘗君の所のは本当にとんでもない奴ばっかりだったみたいだがな
他の3人の所はどうなんだか。
春申君の所の荀子は食客と言って良いのか… 有名な食客
孟嘗君・・・鶏鳴、狗盗、馮驩
信陵君・・・候エイ、朱亥
平原君・・・公孫竜、雛衍、毛遂
春申君・・・李園、朱英 信陵君に食客を吸い取られてしまった平原君を応援しよう 平原君の時代には、趙に、無礼王、淋処女、連破、庁舎がいて、斎には電探(のちに趙)、燕には楽器
魏には診療君、楚には春申君。そして秦には発揮、半数がいる。
正に後期戦国オールスターズだな。 無礼王吹いたw
平原君の時代=平原君の生年〜没年
と考えると確かにその頃が一番豪華な気がする
前半には孟嘗君もいるし、秦には魏ゼンもいるしな 知り合いに戦国四君の話をしたら
「平原君ってダセえなww」とか言われたんで
誰か平原君の格好よさについて語ってください>< >>39
「平原君は身体に障害のある客も大切にしました。
そんな人物をダセえの一言で片付けるあなたはそれ以下ですね。」
とでも言っておけばおk
>>39
友達の平原(ひらはら)君の話とかでいい? 平原君は三国志の劉備に当たる人物、と説明したら厨房ぐらいは騙せるだろう 本人含め21人で秦の包囲かいくぐって楚まで援軍求めに行ったのもな 邯鄲開放のための奮迅の働き、それに信陵君とも名声を争おうとしなかったのは
やはり開戦の責任を感じていたからだろうか。
平原君の振る舞いをみていくと、潔さを感じる。長く高位にありながら
国内で揉め事らしい揉め事も起こしていない。性質はよほど良かったのではないかと思える 武人じゃなかったと考えたらどうだろう。というか政治家。 どう見ても気のいいオッサンだからな
男気溢れる気持ちのいいオッサン 人間的に一番普通なのが平原君なのかもな。
性格も素直でいい意味で「エエとこの子」みたいな育ちのよさみたいなのがある気がする。
「高く飛ぶ鳥のように得難い濁世の佳公子」だしな。
真っ直ぐで純粋な性格だったんだろう。
だからこそ人の諫言も素直に受け入れられたんじゃないだろうか。 「エエとこの子」のイメージはあるね。
平原君は母親の身分がそこそこ高く、信陵君は妾の子丸出しな感じがある。 信陵君は目下の人には腰が低いけど目上の人には傲慢な感じがする 尋秦記という、戦国時代にタイムスリップするドラマを見ているが、
信陵君は癖の強そうなおっさんだ。 >>21
ジョショの母親の話は創作らしいからな
項羽と劉邦の母親が人質取られて殺された武将(咄嗟に名前出ない)の話の >>59
訳:三国志演義に於ける徐庶の母親の話が
「項羽と劉邦」に出てくる、人質に取られた母親を殺された武将を
元にした創作らしい。 翻訳thx。
しかし、わざわざ>>21に亀レスする意味も今一つ…
根本的にスレ違いだし。 史記のマルチ視点を存分に楽しめるのが この四君の部分だと思う 戦国策とあわせて読むともっと面白いぞ
信陵君、実はすっげー短気なんじゃねえのかw というか平原君以外は全員DQN一歩手前な気がしないでもない 一歩手前どころかDQNそのものな気がしないでもない
平原君以外は 秦軍撃退というとまず信陵君を思い浮かべるが、趙のとき実際の主役は平原君なんだよな。
まあ趙奢や李談に言わせれば、公子が国に尽くすのは当然で
信陵君の義侠とは比べられないって事か
いや、その後の史記にはさらっとしかかかれていない
函谷関で秦を撃破するというのが、むしろ信陵君最大の業績なんじゃないか 中国人は義侠とか大好きだから
秦に対抗し、時には信義のために王にも背く信陵君が
最も好かれてるのは当然かもしれない。 日本人にも信陵君が一番好まれそうじゃない?
実際の知名度はともかくとして。 日本での知名度だと、孟嘗君が圧倒的だろうな。
古典の教科書に鶏鳴狗盗のエピソード載ってたし。 宮城谷昌光著「孟嘗君」に登場する白圭の生き様は天晴れ
男ならかくありたいものだ >>9
孟嘗君の領地だった山東省滕州市と棗荘市薛城区ってところに
いったことがあるけど、当地の人間は誰も孟嘗君の領地だったって
ことを知らなかった。
荒っぽいやつも多かった。
あと、棗荘市薛城区は抗日戦争時代の鉄道遊撃隊で有名だった。 春申君の墓の写真をなんかで見たが
なんで春申君ってあの殺され方で墓残ってるんだろう? 墓の中に本人の遺体が眠ってるとは限らない。
国の中心人物だったから後の時代の人たちが作った可能性もあるのでは?
あくまでおれの想像だけど。 春申君の墓は最近やたら綺麗に整備されたらしい。
孟嘗君(+靖郭君)、平原君もかなりちゃんとした墓が残ってる。
信陵君のだけえらいことに… ヤングジャンプで連載してるキングダムって漫画に信陵君出てくるかも?
と思ってたけど名前だけでなかなか出てこない・・・ 四人の中で一番簒奪の可能性が高そうなのは誰だろう? 信陵>春申>孟嘗=平原じゃね
信陵君は実力も人気もあるから簒奪しようぜーって言い出したら軽く魏乗っ取れると思う
春申君は「実質越王」だし王さしおいて楚の第一人者だし
孟嘗君は自分で国作っちゃったから簒奪はしないと思われ
平原君は性格的にない >>81
B.C.247 信陵君、五国の兵を率いて函谷関に迫る。信陵君(最後の戦)
B.C.246 秦王政が即位し呂不葦が相国となる。
B.C.245 成キョウの変(漫画内の架空)
秦のヒョウ公によるケイ陽攻め
B.C.243 信陵君、酒のため病気となり没する。
魏の信陵君はすでに讒言によって安釐王から遠ざけられて、酒浸りになってる。
秦王政の在位期には、孟嘗君と趙の平原君はすでに没していて、
秦王政とやり合ったことがある戦国四君は楚の春申君のみ。
>>83、>>85
楚の春申君は簒奪紛いのこと実際にやってる。
共犯者が裏切ったためにその余沢を受けてないだけ。
他の三君は簒奪はやってない。やりそうなんてことを語るのは恥知らずなことだ。 >>86
お約束の疑問。
春申君が考烈王に子ができないのを利用した謀略。即位した李園の甥は幽王。
負芻と哀王猶は誰の子なんだと。 李園の妹が考烈王に嫁いだ時点で子供がいなかっただけで
幽王が生まれてからは、普通に何人か子供ができたんだろうと考えてたが
そうじゃないのか? (1).子供がいなかったってのが間違いで本当は太子を定めていなかったが正しい。
李園の妹への寵愛と春申君の後押しで、悍が太子となり負芻は諸子となった。
(2).春申君と李園の企みはただの作り話だった。
(3).負芻と哀王猶の父の記述が間違っている。
(4).その他
好きなの選べ 呂不韋と秦王政との話にも似てるし
その後の始皇帝の人間不信っぷりを見てると
そういう生い立ちのせいな気もする
そっちがオリジナルで実際は(2)なんじゃねえの 無粋なツッコミを入れるとすれば。
夫婦や男女の閨房の話題を誰が史書に書きとめたのだろう。
本人間しか知り得ない妊娠した女性を主君の妃に差し出す。無理ありすぎだわな。 人のうわさだろ。
妃になって間もなく生まれた子供だから父親が怪しいって言う状況証拠。
場合によっては関係者からリークがうわさの発端の可能性もあるから、100%根拠ないとはいい気れんが
要するにすでに王と結婚してる妃に手を出して子供生ませたわけじゃなく、
孕ましたのは王に差し出す前の話だからこそ、うわさになったという話ね。 その手の話に食いつきがいいのは今も昔も変わらないってことか
背びれ尾ひれどころか胸びれもついてそうだな この時代は、史記では短編集になっているけど、まとめて長編にしたら面白くなると思うけどな
四君に、楽毅、田単、武霊王、琳ショジョ、廉簸、趙奢、白起、呂不偉
三国志演義より面白いじゃないの? 質問スマン
魏無忌の読みはぎむき?それともぎぶき? サンクス。
回答が来るのがこんなに早いとは・・・
長期戦覚悟してたよ。
ありがとうございました。 単にググって多い方を書いただけだったりするがキニシナイ 「む」と「ぶ」、両方見かけるけどな
好きな方でいいんじゃね? 一応日本語で無をブと読む為には特殊ルールが適用される必要があるのでムでいいよ
上の方で、平原君は母がエエとこの出で信陵君は妾の子丸出しとか出てるけど
そう想像すると、平原君が信陵君の客の趣味をなじったエピソードは味がでるなあ。 今夜22:25 NHK教育
知るを楽しむ・この人この世界「宮城谷昌光・孟嘗君と戦国時代・魅惑の戦国時代」 全盛期の平原君伝説
人士を好み食客を数千人集めていた
平原君にとっての人の付き合いは見栄を張りたいだけ
軽く客人を馬鹿にするだけで食客が半分に減っていく
人に謝るのは日常茶飯事
妾を庇い客人を馬鹿にする事も
それが原因で食客が去っていった
しかも慌てて妾を殺して客人に謝る始末
趙が衰退したきっかけは平原君の一言
平原君の脱税を指摘した名将の趙奢を殺そうとしたのはあまりにも有名
しかも逆に趙奢から説教されてしまう
侮ってた食客が国を救ったので人を評価するのを止めた
じつは人との付き合いは見栄を張りたいだけ
食客や兵士や義弟に助けられることなんてザラ、国を救われる事も
義弟の信陵君に「姉を見捨てるのか」と情に訴えて援軍出させた
信陵君と親しかったというだけで領地を貰えそうになった
たった21人で秦の包囲かいくぐって楚まで援軍を求めに行ったのはあまりにも有名
のこのこと秦に行って趙へ帰れなくなった
妻の前で命の恩人の信陵君を馬鹿にする事も
しかも信陵君の耳に入ると慌てて冠を脱いで謝る始末
それが原因で食客が去っていった
平原君が楚へ送った使者が要らぬことをして恥をかいた
雄弁家の魯仲連を金で引き止めようとしたが笑って流された
ちょっと王に意見を述べただけで趙兵40万が死んだ
趙が滅亡する非常時にいつもと変わらず贅沢をするというファンサービス 平原君が目立たない理由のひとつに虞卿の切れ者っぷりが目立つことも挙げられると思う。
>>115
どんな身分の人間の諌言にもよく耳を傾けて、自分が間違っていたと感じたら謝り行いを正し、秦の脅威から趙を守ってきた
この一事をとってみても戦国時代を生き抜いた傑物と見ても良いと思うのだが >>115はネタでイチローのコピペもじっただけでしょ >>117
その時代時代で法や道徳、美学などがあるから何とも言えないが現代人の英雄像からすれば
まず受けないキャラだよな
妾の件一つを取っても、庇うなら庇いきれって思うな
結局、首差し出してんじゃん
妾といっしょに土下座して客に謝りに行って許しを請うたのなら立派だと思うが
それを>自分が間違っていたと感じたら謝り行いを正しってw
保身のために媚びたって受け止める人のほうが多いと思うぜ
まあその時代を生き抜くための術ではあったんだろうが、
現代人に受け入れられるような人物ではない
戦国四君は皆、人に媚びるのが上手く、人身掌握に長けてるので現代社会においても
生き方の参考になる部分があるが、見習いたいって思えるのは孟嘗君くらいだろ
まあいつの時代も演義の趙雲みたいなエピソードを持つ英雄の方が万人受けするんだよ
>>119
一度誓った事を守らないことの過ちを知ったからこそ食客の言う通りに妾の首を差し出した
あなたの提案した行動では結局誓いは破られたままだよ 信陵君、孟嘗君>>>>>>>平原君
くらいの差があるな
彼の食客は利権に群がってただけで
平原君に侠気を感じたからじゃないようだ
仲間の潰された面子を全員でストライキして取り返しただけに思える どうしてこうも根拠の無い悪意のある解釈ができるのか理解できない
孟嘗君の食客は利権に群がってはいないのか? >>121
食客は利権に集る奴だって憑カンと孟嘗君の話にもあるぞ >>122
食客なんてものは大なり小なり利権をむさぼる輩だが
そいつらの程度に主人が合わせていいなんて理屈はないだろ。
食客を嘲笑うのは侠気に欠ける。愛人を殺すのは男気に欠ける。
殺すなら言われた時点で殺すべきだった。
被害が明らかになってから言うとおりにするなんて
みっともなすぎて面子も何もあったものではない。恥。恥。
いいとこと言えば毛遂と李同の件と、魏斉をかばったことくらいじゃないか?
晩年は成長したのかもなあ、と思うことはあるが
総じて彼は他の二人に比べてへタレのボンボンと言っていいだろう。
何が気に入らないのかサッパリわからないんだけど。 >>116
高校の同級生にも平原君はいたけど目立たないやつだったよ まあ今更言うまでも無いだろうが
食客の能力あっての四君であり、同時に四君の後ろ盾あっての食客な訳だが
どうも平原君は「自分、偉い人ですからー。それに見る目ありますからー」ってな奢りで
失敗するエピソードが多い
その時その時で過ちを正してはいるけど、その経験を生かす事なく似たような失敗をまたやらかす
で信陵君の前で失敗した時はもう挽回の機会は巡ってこなかったとさ、チャンチャンって感じ >>124
あなたの言う通りに食客たちが感じていたら、妾を切った後も食客たちは戻ってきただろうか
進言を容れて当初の誓いを守った平原君の行いに再び侠気を感じたからこそ食客たちは戻ってきたのだ
それをみっともないだの恥だのと断言するあなたは現代的な思考でのみ当時に生きた人の心を計っている >>127
春秋戦国から中国人の面子の原理は現代と大差ない。
主人と食客の関係は上下関係ではなくギブアンドテイクの契約関係。
当然、お互いの面子は立て合わなければならない。
その暗黙の了解を平原君は破った。
そもそも躄者が殺しを頼んだ理由は、平原君の価値基準が美人<食客ということだから。
その人物評価だけは受け取って空約束で誤魔化し、
後で躄者を豎子扱いしてコケにするというのは、アホでウソツキでどーしようもない。
自分の侠客としての程度を下げている。
同業者の食客が離れるのはKYな主人に対する当然の制裁。
形式的には一件落着したが、いきさつを考えれば、利権にたかり直すため以外にないな。
一般的な食客は人物でははるかに上の孟嘗君でも、あっさり見限るような人種。
平原君にだけ侠気を感じたから戻って来た、とかそんなウェットな理由になる要素はほぼない。 >>128
物事を一事のみで判断しようとすれば、孟嘗君は大量殺人鬼、春申君は王室を乗っ取ろうとした悪臣になるでしょう
食客は利権に群がっているだけだとあなたは再三言う、なるほど孟嘗君の食客は彼が利権を失えば去っていき、利権を回復すれば戻ってきた
これは利権に群がっていると見ても良いかもしれない
しかし平原君の食客は彼が侠気を失えば去っていき、侠気を回復すれば戻ってきた
これは食客が平原君の侠気に感じいったと見ることはできないのか
利権に食客が従うのならば、どうして平原君のもとを去る必要があるのか
誤解のある言い方になったかもしれないが、食客は侠気のもとにのみ集まるわけではなく、また利権にのみ集まるわけではない
彼らも生きた人であったからには彼らの動きを見ることである
平原君が過ちの後に示した行動は食客という人の心を動かしたことは事実である
あなたの言う通りに平原君がボンボンのヘタレであったりアホであったならば、閼与の戦いでは趙は敗れ、邯鄲は包囲された後に陥落していただろう
あなたは低俗な言葉を用いて不当に平原君を辱めている >食客は侠気のもとにのみ集まるわけではなく、また利権にのみ集まるわけではない
ここだけは同意かな。
利権があろうが最低限の侠気もないやつの下で働けるか、
という感じでしらけたから去った方が人情として自然。
そして一度失った信用はまず戻らない。
そのことは信陵君との一件を見れば分かるんじゃないの。
侠気を感じて戻ったならなんで再び去るのか。
それは表面を繕っただけで何も変わってない平原君に呆れてたからだ。
贔屓なしに考えれば愛人の首だけじゃ帳尻はあってない。
平原君が躄者にウソついて豎子扱いした過失は結局償っていないからな
彼が大侠に相応しい人間ならそれに対しても言うべきことがあるという認識があるはずだが
記録にないから言ってないだろうな。
なんで自分が謝らねばならないのか理解さえ出来てなかったことだろう。
愛人の首が授業料にもなってない。だから同じ失敗を繰り返す。つまりアホということじゃないか。
大昔の故人に対する低俗な表現が不当だと思うなら、
約束を反故にするようなウソツキで人をコケにして大恥を掻いた人を
信陵君にさえ手厳しい侯嬴がなんと評すか考えればいいじゃん。 >>129
>孟嘗君は大量殺人鬼
孟嘗君がいつ大量殺人を行ったんだよw
戦のあった時代に生きた者は皆そうなっちゃうだろ >>131
多分これのことだろう
孟嘗君過趙,趙平原君客之。
趙人聞孟嘗君賢,出觀之,皆笑曰:「始以薛公為魁然也,今視之,乃眇小丈夫耳。」
孟嘗君聞之,怒。客與撃者下,斫擊殺數百人,遂滅一縣以去。 鶏鳴狗盗の働きで秦を脱出して斉に帰る途中の話だな。
何ぼ戦乱の世とはいえ容姿を馬鹿にされたってだけで一県根絶やしはやりすぎだ罠。 孟嘗君が趙で虐殺を行った史記の記述はだいぶ怪しいと思う
そのようなことを行っても孟嘗君の名声に傷がつくエピソードはいっさいなく、孟嘗君が魏で亡命した際に趙も含めた対斉連合の立役者になれたのは不自然に感じる
戦国策だと趙での虐殺エピソードは無く、代わりに孟嘗君が趙に寄った際に、恵文王に邑を贈られそうになって、
それを断り、身支度をしてさっさと斉に帰ろうとするエピソードがある
史記だけだと孟嘗君はただ単に客をたくさん集めた人物的には少々小物な人間だという印象を受けるが、対して戦国策の孟嘗君は客だけでなく自身にも能力があり外交官、政治家としても優秀で人格も優れているという描かれ方をしている
史記と戦国策の孟嘗君の描き方の違いを見るに、宮城谷氏が言ってたように司馬遷は孟嘗君が嫌いだったというのはあながち間違いではないと思う 嫌いというよりも史料が集まらなかったか
先行史料でメジャーなものに書いてあるものは放置したかではないかな 宮城谷ごときが司馬遷にケチをつけるなど笑止
何様のつもりだw 戦国時代についてはケチつけられても仕方ないと思うよ、司馬遷
史記は楚漢時代に比べて戦国時代は年表が滅茶苦茶、間違った記述も多い
ついでに言うと宮城谷氏は史記について杜撰なとこもあるけど、それを補って余りある魅力のある書物だと言ってるよ 宮城谷が史記についてよく言ってるのは
司馬遷の好みが入りまくりの本だってこと
実際歴史書としては客観入りまくりんぐじゃん おまえが言うなの典型。
自分の書いた駄文には個人的好みは入ってないとでも? >>134
虐殺エピソードは無理があるよな
孟嘗君のそれまでの逸話から見てとれる人間性からしても理解し難い行動だし
理解しがたいから捏造に違いないってか?
何だその信者脳は。 どちらかといえばアンチ脳の方が目立つ
捏造というニュアンスで言ってると思うのか?
司馬遷の資料の勘違いじゃないか、程度で話してるだろ 別に信者だから、虐殺が間違ってるのではないかと言ってるのではない
前後の史記の記述と戦国策の記述などから、虐殺のエピソードには信憑性に疑問符がつくと言っている 信用できるのは「〇〇厨」とか、「ニワカ」とか言う奴ぐらいだよな。 春申君は政治家として優秀なのに
終わりが良くないとどうしても評価が下がってしまうねえ みんなものすごいストレス溜まる生き方を強いられてるよな
自分でそう演出したとは言え なんとなくこんなイメージ
孟嘗君・・・自身にも相当な知恵があり、食客のエピソードも面白いものが多い
信陵君・・・戦の天才でその活躍ぶりは英雄と言ってもよい、自身が凄すぎるためか食客の活躍の印象はあまりない
平原君・・・トホホなエピソードばかりだが、自分の過ちはすぐに詫びて改めるいい人そうな感じ
春申君・・・他の3人と違い王族でないからか序盤では知恵のある忠臣、後半はキレがなくなり女性関係がもつれて哀れな最後 平原君は行動力と素直さはあるのに頭が回らないせいでもったいないことになってると思う。 なんとなくこんなイメージ
孟嘗君・・・王から見たら傍系の従弟で位も脅かされないので好き勝手にやらせてもらっている。
信陵君・・・王位には程遠いくせに有能なので、軍事代行者として王に散々使われている。
平原君・・・王位には近くても侠者気質なので危険視されず。当人の力はさほど高くない。
春申君・・・王族でないから直情的に専横。権臣の典型。 >>136
逆だろ
現代の小説家と古代の小説家なら現代のがなんぼかマシ
大体チンコ切られた糞障害者の主観はいりまくりの記述なんて信用できねえわ
始皇帝に対する糞みたいな扱い見ても異常 あ?なんか文句あんの?俺ガキん頃アラブとかに住んでて学校が銃撃戦で俺何発か食らって
ナイフとか刺さって鉄パイプとかで殴られて内臓破裂して血とか吐いたけど
そのまま3人ボコって潰して病院で奇跡的とか言われたけど全然平気だったよw
俺ジャニーズ事務所みたいなイケメンとか目とかきれいって言われるけどお前ら
温室みかんみたいな虚弱アニメ見てるとむかつくんだよね実際 最近荀子を読んだけど荀子は平原君を高く評価してたんだな
時期的・内容的に長平後の著作の筈だけど何故か高評価 >>163
荀子も趙の出身ですし、同国の王族・著名人として多少贔屓したんでしょうかね
平原君と信陵君は「国君の宝」と称されてますが、孟嘗君は篡臣(簒奪する臣)呼ばわりw
>>164
荀首(知荘子)─罃(知武子)―朔(知荘子)―盈(知悼子)―躒(知文子)―□(名不詳・知宣子)―瑶(知襄子)
荀子は晋の荀氏=知氏・智氏の子孫との説もありますね
天下の笑いとなったという智伯の末裔だとしたら、さぞ肩身が狭かったことでしょうね…
『荀子』でも智氏のことには一切触れられていないようですし イメージ
孟嘗君・・・智謀の人
信陵君・・・万能の人
平原君・・・素直ないい人
春申君・・・最後が残念な人 平原君より兄の恵文王の方が優秀だな
人を見る目においても 恵文王は個人的なエピソードがないよな
我を通すイメージがまったくない
君主としては理想的だと思うんだが
でもまぁこの兄弟は仲いいよな
きっと恵文王は信頼して可愛がっていたんだろう
だから平原君も険なく生きられた
信陵君も兄に恵まれればなぁ >>170平原君は恵文王の息子孝成王にも信頼されてたから
信頼される何かを持ってる人だったんだろうな
その点信陵君は頭が切れすぎて君主に警戒されてしまった
しかもそういう状況を切り抜ける融通さを持っていないという生真面目さ付き >>171
范雎、蔡沢、李斯、呂不韋がいる頃に離間なんてされた日にゃ、
どこの誰だろうと失脚すると思うが。 確かに錚々たる面子だが、そいつらがすごいと言うより
本当の国難を見抜けない騙される側の王に問題があるだろ
例えば趙の恵文王ならばうかうかと騙されはしないだろうな
長平の戦いも恵文王がまだ生きていればレンパが更迭される事もなかったと思う
そもそも戦いそのものが起きてないような気もするけど >>165
荀子が知氏の子孫なら趙氏が滅ぼしたわけで、
いくら故郷とはいえ、趙の王族にはいい感情は持ちえない気がする
知氏の他にも、荀氏の本家中行氏も趙氏に滅ぼされてるしね
まぁ200年も前の話だし、著述の内容からも彼はそんな事を気にするとは全く思えないけど
知氏の子孫である自分があえて趙氏を褒める事によって、
自らの主張が客観性を持っているとアピールしているのでは?と変に勘ぐってしまった
呂不イも食客を集めてたのに何故呂不イを足して戦国五君って呼ばれないんだろ 微妙に秦の強大化に抵抗した列国の実力者みたいな意味のくくりも入ってるんじゃね やっぱ平原君のエピソードで一番好きなのは李同の話だな
位の低い李同の進言を素直に聞き入れて財産を投げ打って振舞ったことで
李同が決死隊を率いて秦に特攻してその恩に報いた
ただ、進言を受け入れる前までは平民が子供を交換して飢えを凌いでたのに
いつも通りに贅沢に過ごしてたところが平原君らしい 自身の能力のイメージ
信陵君>孟嘗君>春申君>平原君
食客の能力のイメージ
平原君>信陵君>孟嘗君>春申君 この中でも一番食客を使いこなしてるのは平原君なんだよな
劉邦は信陵君より平原君に近いと思う 戦国四君、全員を題材にしてる小説って
伴野朗の『士は己を知る者のために死す』ぐらいか
架空の主人公が食客として四君の所を渡り歩く話だったな >>183
劉邦に近いのは兄の恵文王だわ
父・武霊王や廉頗、藺相如、趙奢、平原君らの陰に隠れがちだが
子孫と比較すれば有能な臣下をよく働かせているのが分かるし
親を餓死させるような非情な一面もあったり >>185
陳舜臣の中国任侠伝もそうじゃなかったか? 孟嘗君は物真似や盗みの名人を雇ってそれが後に自分の命を救うことになるんだから
人生いつどこで何が役に立つか分からないね とても真似できないな。
いつか役に立つからと猫八を養うみたいなもんだろ。 平原君は食客を使っている感じがしないんだよなあ
食客に使われている印象がする もし平原君が能無しなら荀子があんな高評価しないだろうな。 俺が食客なら平原君に仕えたい
意見は聞いてくれるし、自分の誤りを認め謝罪するのに相手を選ぶこともない
信稜君や春申君は本人の才気が立ちすぎるし、盲甞君は結構怖そう
平原君は優しそうだから、やっぱり平原君を支えたいな >>199
わかる気がする
悪く言えば世間知らず・苦労知らずゆえに物事の表裏を洞察する力に
欠けてる面もたしかにあるけど、おおらかさというか人としてのつきあいやすさやで
いえば四人の中でも一番だと思うな
信陵君はたしかに貴賤とわずへりくだれる姿勢はわかるけど、いざって時には
覚悟を最も要求されそうで、打算がどうしても透けて見えるんだよな 信陵君はなんか理想が高そう
凄く優秀で尊敬できる人なんだけど、その志の高さについて行くのがしんどそう なんで平原君以外の3人は揃いも揃って内訌起こしてるんだ? 兄王と対立した信陵君、陰謀練っちゃった春申君、斉一国に収まらない孟嘗君と比べて
平原君は王との関係が絶妙だったからじゃね
恵文王との逸話が少なくて、主な活躍は甥の孝成王の時
長平の戦い後で内訌なんてやってられない時期ってのもあると思う 趙の場合は平原君の代わりにレンパさんが揉めた
恵文王の時分から対秦戦略が王権中枢と合ってない感じ 平原君より兄の恵文王の方がより人を知る名人のように思える 権臣なんだから仕方ないとはいえ
恵文王、孝成王、悼襄王、どの王とも上手くいってない感がある廉頗は異常 四君と関係ないけど、君つながりで
秦孝文王夫人の華陽夫人(華陽太后)って、
華陽君ビ戎と関係あるのかな?娘とか? 続柄は分からんけど血縁みたいだな
華陽夫人はビ姓で弟の陽泉君は本名をビ宸というらしい ま〜分からんけど“華陽”の由来は同じかもね。
子楚の話と陽泉君のことを考慮すると昭王期後半における華陽夫人の年齢は30歳前後
世代的にはビ戎(魏ゼン・宣太后)の孫世代だな。
にしても戦国秦は楚ゆかりの高位高官おおすぎ 白起=公孫起はどうなのかね? ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
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__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の『憲法改正国民投票法』のURLです。
ゝン〈(つY_i(つ http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ >>210
武安君白起は臣籍に降りた(秦)公族の末じゃないかな?郿の人だし 咸陽より西の生まれ
白起さん結構田舎出身だね
まあ秦の旧都はもっと西ですが
蜀郡厳道県とかいう辺境の中の辺境に樗里疾の封邑があるけど
行ったことあるんだろうか? 宮城谷さんと言えば孟嘗君だけど穣候一派も結構好きそうで、史料不足を嘆いてたな
宮城谷小説(奇貨居くべし、青雲はるかに)白起人物像(チビ、楚を執拗に苛める)はその説から膨らませたものだね
ただ戦国名臣列伝じゃ皆目見当が付かない、って書いているのであくまで小説用っぽい >>209
宮城谷さんは「荘辛」の娘って設定してるよね。
なんか資料っぽいものがあるのかな? 楚王室の姓がビなのは有名だけど、史記以前の史書にビ姓で記されている人物ってほとんどいないな
>>217
荘辛が一時期趙に居たからじゃないかな >>218
弟?(兄なってるのもあった)がビ姓だし、異人に子楚って改名させてるから、
楚人ってのは確定だよね?
どんな縁で後宮に入ったんだろうね?
>荘辛が一時期趙に居たからじゃないかな
そう言えば異人が人質として趙にいるのは不自然って書いてるよね。
実情は、安国君が人質でいたけれど、太子が死んで代わりに太子になつたので、
異人が残されたみたいな事書いてた。 >>219
あと付け加えるならば小説の事情だろうね
太子が亡くなった頃の秦にいる楚人は宣太后ゆかりの人が主流なので
華陽后と范雎を親密にするならその主流を除外しないといけない
となると秦国で活動した楚人を排除する必要がある 荘辛が趙に滞在したのは紀元前278年前後(嫁入り時期的に)辻褄は合うな。流石は宮城谷さんといった感じ。
>>219-220
有力公子の安国君正夫人ともなれば、当時(紀元前270年頃)君臨していた宣太后の一族から迎えたとみる方が自然かと、
亡命先が趙かつ帰国後秦と対立する荘辛は秦と縁が薄い。縁組相手として不適当だと思う。 亀レスすまん
>>34
>平原君の時代には、趙に、無礼王、淋処女、連破、庁舎がいて、斎には電探(のちに趙)、燕には楽器
味噌汁吹いたぞ >有力公子の安国君正夫人ともなれば、当時(紀元前270年頃)君臨していた宣太后の一族から迎えたとみる方が自然かと、
華陽后は始皇十七年まで存命とそこそこ長生き、長寿揃いの上記家族とこじつけたくなる
春申君と人質の孝烈王が秦に来て、秦楚の講和が成った時代なので、その際に楚から来た公女の可能性が高い、かも >>214
百度百科で白起調べたら秦の公子白の子孫説が載ってた
たぶん姓氏と出身地からだと思うがなかなか面白い説 2007年からあるのか、このスレ・・・
誰もいないと思うが、誰か知恵をつけてくれw
@今、岩波文庫の「史記列伝」を読んでいるんだが、史記の「本紀」とか「世家」とかは
やっぱ読んだ方が良いのかな。アマゾンで見ると、ちくま文庫とか徳間文庫の
絶版本であれば、文庫で読めるみたいだけど。
Aそれと、「史記列伝」の次に進むとしたら、「春秋左伝」?それとも「戦国策」?
Bまた、「戦国策」は昔、徳間文庫の抄訳を読んだような気がするのだが、
全訳って文庫では出てないのかな?
C史記、春秋左氏、戦国策以外に春秋戦国時代をよく知る上で参考になる本って
何かある? 俺が答えられる範囲でしかないけど、
@紀伝体である以上は、やはり列伝だけを読んでもつまみ食いの域を
出ない事実は拭えないと思う
ちくまからは訳文のみではあるけど本紀・世家・列伝・書が出てたはず
全てを抑えたければかなりの冊数になるけど明治書院しかないかも
A個人的に時代に逆らわず春秋時代から抑えていくべきとも思えるので、
やはり「春秋左氏伝」を勧めたい
こちらは岩波文庫から出ている全3巻のものは訳文のみながら索引を
はじめとして初心者にも優しい仕様で読みやすい
平凡社からも訳文のみで全1冊のものが出ていたけど、岩波文庫版には
及ばないと思う
全訳は明治書院から出ており、こちらは全訳で全4冊で、揃えるとなると
相当の出費は覚悟する必要はあるけど、こと「春秋左氏伝」に限っては
全訳で春秋の筆法を知っていくとより学べるものは多い様にも思う
B「戦国策」の全訳は明治書院から出てる
高いし全3冊ながら実にいいもの
C春秋時代は「国語」、戦国時代も含めれば「資治通鑑」や「竹書紀年」は
抑えておいてもいいように思う
前者は明治書院から全訳が全2冊、後者の2種類は漢文のみだけど
ネットで閲覧できるので探してみるのもお勧め
他にはやはり当時の風俗や習慣、通念なんかを知るために「礼記」や
「大戴礼記」は明治書院からそれぞれ全3冊・全1冊出ている
「晏子春秋」の全2冊や「呂氏春秋」なども全3冊で出ているので、時間や
余裕があるなら読んでみるのもいいかも
他に「韓非子」や「孫ピン兵法」、「孟子」や「論語」や「荘子」、「荀子」等々、
挙げていけばきりがないけど、けして読んで損にはならないかと
いいものを揃えようとするとやたらと出費は覚悟しなきゃならないかも
しれないんで、無理する必要はないと思う 俺は列伝だけとりあえず熟読すればいいと思うな
本紀とかは興味が持てれば読んでけばいいし
列伝が一番面白くて内容が濃いと思う
とりあえず列伝読めば春秋左氏伝は楽しめる
戦国策はちと難しいような気がする
あと、歴史的な事柄を知るということに関しては適してないけど
韓非子とか孫子呉子とかも読むと古代中国人の思想に触れていろいろ面白いよ
特に孫子は単なる戦術書じゃなく
戦争における政治的な意味合いだったり当時の兵隊の微妙な心理なんかもわかる
実践的な部分も多いけどかなり哲学的なものだ
最初に読みやすいものをいくつか読みこんでおけば後々の読書に役立つと思うよ >>226-227
2人とも有り難うございます。
まさかこの過疎スレで懇切丁寧な即レスを頂けるとは、マジで感動してますw
最近、春秋戦国時代に興味を抱くようになり、岩波文庫の「史記列伝」を読んでいて、
今3巻です。学生時代に途中まで読んだような気もする(?)のですが、まるで初めて
読んだような新鮮な感動を覚えなら楽しんでますw
@やっぱり、全訳で文庫だとちくま文庫、徳間文庫(いずれも絶版)しかないですね。
>>227さんの言うとおり列伝だけでも良い気がするのですが、
故事成句事典で見ると、本紀や世家からのエピソードも多いので気になります。
アマゾンのレビューとか見ると、ちくま文庫版が良さそうなので、1巻=本紀、
3,4巻=世家を古本で買おうと思います(2巻=書・表は不要かな?それと、5〜8巻は
列伝なので岩波文庫版で十分かと思っています)。
Aお勧めの通り、史記列伝が終わったら本紀などを読み、その次は「春秋左伝」に
進むようにします。本屋で立ち読みした限り、岩波文庫版は読みやすそうですね。
B「戦国策」は平凡社の東洋文庫版は全訳でしょうか?やはり絶版なのですがw、
全3巻が2,000円程度で入手出来そうなので、全訳であれば東洋文庫版でもいいかな?
とも思いまして。
C「史記」→「春秋左伝」→「戦国策」と読了したら、孫子、韓非子あたりに進もうと
思います。実家の本棚に絶版となった徳間文庫「中国の思想」シリーズが揃ってた
(忘れてたけど、多分学生時代に買ったもの)がありましたので。
・・・お2人とも詳しそうなので、今後ともよろしくご指導のほど。 >>226-227
読了してないけど、ちょっとだけ史記列伝の感想を。
最近、旧約聖書とかギリシア神話を読んでいた影響もあるのかも知れないけど、
「史記列伝」には神様が出て来ないのが気になった。
「天道、是か非か」とか、儒教的な「徳」とかの道徳律らしきものとか、先祖崇拝は
出てくるんだけど、キリスト教的な一神教も日本的な多神教も出てこない。
「今昔物語」のような仏法説話みたく、仏様を信じれば極楽浄土って考えもないみたいだ。
神話の時代が終わった、「人間の時代」ってことなのだろうか?
時流に乗れば出世するが、栄華を極めると他人の讒言に貶められ、しばしば命すら失う。
この世には人間しかいない。他人の怖さと言うか、徹底的なリアリズムを感じる。
もしかすると、現代の中国人にもこういうメンタリティーは生きているのかな?とも思う。
俺は以前、9年間3か国に海外赴任をしていた。
シンガポールにも3年ほどいたが、毎年7月の中元節の時にハングリー・ゴースト・
フェスティバルってのをやるんだ。その時、紙に書いた服やら靴やら鞄やらを燃やす。
ご先祖があの世で服や靴や鞄がないと困るからだそうだ。
その時、お金も燃やすんだよ。「冥府銀行100億$」とか書いてある「子供銀行」みたいな
偽札なんだけど、俺が「何でお金を燃やすの?」と訊いたら、中国系のシンガポール人が
「あの世で地獄の番人に賄賂を渡せば天国に行けるから。」と答えたのには驚いたw
地獄の番人すら賄賂を受け取る「人間」なんだよな。
な〜んて事を考えながら、史記列伝を楽しんでます。今後とも色々教えて下さい! >>34
まともなのが一人しかいなくて吹いたwwwwwww 3000人も食客が居たのに紹介されるのは1人、2人・・・
人物の評価は難しいと悟った平原君が一番だろう >>233
3000匹のコバンザメ紹介とか絶対地獄ゾ。。。 >>234
中国では、歴史に名を刻んでこそ全てと言う・・・
現代に於て、一朝の有名人に成るには雨後なんとやら
後世の後世(2500年後)に名を残すのは・・・ >>234
コバンザメではない、殆ど諜報員だろう
平原君で学者系の食客を書き残されているのは、
上に推挙出来る人物を重視したのだろう
信陵君の交遊関係を下に見てる ほとんど諜報員のわけないやろ
賓客クラスを除けば私兵とか壮士とかやくざの類でしょ
金の切れ目が縁の切れ目 私兵やらがそんなに多ければ、信陵君が晋鄙の所に行く時に
車1台でって事になるのかな? 君が逸話作者なら大勢で押しかけてぶち殺しました
ってするか? 信陵君が決死になっても従うのは数百名・・・
手元にあった食客は少い、色々あったかもしれんが
私兵を千人、二千も抱えるのは無理だという事 馮驩の逸話にもある様に、もともと食客は臣下でもなければ日頃の待遇への恩義に
応える義務もない
いくら信陵君が個人で私兵を催して出征しようと、食客が数千人もいようと、かといって
契約関係ですらない食客がそれに随う義務もない
むしろそこで数百人も応じただけ、信陵君の輿望は大きかったとみるべきかもな
宰相を罷免された孟嘗君の場合は、馮驩を除いて悉く去ったと云われてるくらいなわけで そういった契約、義務は明らかにされていないが
馮驩が自己紹介する場面や孟嘗君の客で自害する者も居たり
発した言葉に責任は有る
私兵やらで採用されたのは少ないだろう なんか必死だが無理な議論だな
春秋戦国の話と数字を鵜吞み
見てきたように語る
不毛な水掛け論にしかならん ・私兵を千人、二千人も抱えるのは無理だという事
四君レベルの封建領主なら人数的には可能じゃろう、そもそも最盛期で数千人ならば平均数はずっと少ないし
中国古代史料の数字は相当に盛られてはいるが当代随一の権力者たる四君でも千人雇うのは無理と断言されると文明全体がスケールダウンする >殆ど諜報員
( ゚д゚)
>賓客クラスを除けば私兵とか壮士とかやくざの類でしょ
私兵、壮士、やくざって区別が曖昧、貴族に養われているヒモ付き連中はいつでも兵に化けれる
全て私兵と見做すことも可能
>私兵を千人、二千も抱えるのは無理だという事
自邑に犯罪者、逃亡者、亡命者を大勢飼っていたとされる孟嘗君や巨大な領地を持つ春申君なら結構余裕そうじゃね? まあ封建貴族のプロパガンダ&内外情勢収集活動に携わった諜報員は少なからずいるだろうがな
全体的には近代日本の壮士的なイメージ
荒事をこなし政治(選挙)運動を行う浪人 基本的には私兵を持つ事は上が嫌うからなあ・・・
高祖が蕭何に付けた護軍(目付け)も500人か
カモフラージュの様な人材と言う所だろうか 行き届いた訓練と優れた武装を持つ近現代の兵隊とは異なり、古代兵卒の戦闘力は棍棒振り回すおっさんと大差ない
いざとなれば私兵同然の働きが可能なグレーゾーンの客を多数集める人間は上下左右から厄介者扱いされると思うよ
歓迎するのはその人物の派閥に属する人間くらいだろう
人を集める事で名を馳せた(平原君以外の)戦国四君、文信侯、長信侯がいずれもトラブったのは必然 孟嘗君も信陵君も亡命には成功してるしな
情報戦で主君を上回っているのは面白い 孟嘗君の入魏はパパ以来の諸侯としての活動と実力が寄与したと考えた方がよろしいのでわ?
信陵君は行ったきり戻らなかっただけ、もちろん情報戦が全くなかったというつもりはないが。 復帰が叶った信陵君、事実上復帰できず不安定な独立状態を余儀なくされほどなく滅亡した孟嘗君の薛。
行ったり来たりする貴族は近代主権国家成立前の前近代的体制では洋の東西を問わず普遍的にみられる。 >>254
普遍的には疑問が付く
スパイ、二重スパイが危険視されるのは洋の東西を問わず
孟嘗君も鶏鳴狗盗の時は危なかった そらリスクはあるけどね
日本だろうが欧州だろうがオリエントだろうが鞍替えしまくりの諸侯、経歴に出奔と帰参のある貴族士族なんて珍しくもなし 横山の史記しか知らないけど、
上司にするなら平原君がいいわ。
下の意見も理にかなってれば採用してくれそうだし、
他の三君に比べるととっつきやすくて良さそう。 >>259
何故春申君だけ・・・・w
舜臣君とかにしたらどっかの半島民が騒ぐからか?w >平原君の時代には、趙に、無礼王、淋処女、連破、庁舎がいて、斎には電探(のちに趙)、燕には楽器
>魏には診療君、楚には春申君。そして秦には発揮、半数がいる。
>正に後期戦国オールスターズだな。
ホントだこれだけあってて笑ってしまう はんすい、と読まれる事はあるから、そうなんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています