【みんなで】 中国名相百選 【決めよう】
中国の長い歴史の中で登場した数多くの宰相・政治家たちの中から、
特筆に値するであろう名相百名を選ぼうというスレです。
・推挙する政治家については、その理由を述べること。
・対象となる政治家は、近世以前の武将とし、近代以降の政治家は含めない。
・対象となる政治家は、特定の時代に偏らないように配慮する。
以上の三点に留意して、中国名相百選を決めましょう。 ここでは皇帝と春秋戦国時代の王侯を推薦してもいいかな? 前漢・皇帝
文帝
傍流から即位しながら、斉王派への扱いや済北王興居の乱平定、陳平・周勃ら大臣の統御など辣腕を見せ朝廷の支配を確立
匈奴に対しても本人は攻めたかったようだが、将来の反撃のため辞を低くしてでも和を結び、国力回復を待つ長期的展望を持つ
賈宜・晁錯といった優れた人物を抜擢したように人物眼も確か
宣帝
実質霍光の傀儡として即位しながら彼が死ぬと権力を奪い返す
王道と覇道を交えたと言われる政治方針が示すように、酷吏と呼ばれる小農民保護・豪族弾圧を旨とする太守と、循吏と呼ばれる豪族に寛容な太守を使い分ける手腕は見事
また優秀な宦官を側近に独裁体制を敷き、大臣たちを統制した
桑弘羊・霍光によって回復しつつあった漢の財政をバックに対匈奴・対西域にも積極策を取り、匈奴単于を長安に入朝させるまでに至った >>76
このスレは名将スレと時代区分の仕方違うからな
時代区分テンプレ
春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の全国統一) BC202年〜36年 238年間
後漢・三国・西晋(後漢の全国統一〜西晋の滅亡) 36年〜316年 280年間
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡) 317年〜618年 301年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間 陳平マニアとして言わせていただくと
周勃はともかく強かな陳平が統御されていたかは疑問。
陳平の場合は寧ろ、統御された振りをして文帝を影から支えてた感がするけど・・・ >>105
春秋は名将探すのは大変だけど、名相探すのは楽な ぼちぼち決めていこう
春秋
・管夷吾(仲)
理由・・・五家の兵を制定、物価調節の法漁労製塩の利を設定、九府の設定
士農工商の分離(住居を別にする)、三選の法の制定
軍制の確立、結果、桓公を覇者に押し上げる
・藺相如
理由・・・和氏の璧の時の対応(秦への対応)
斉の討伐
この二人は確定 秦に対しての功績はでかいよ
長平の戦いの時、孝成王が廉頗から趙括に変えようとしたとき
反対してたよね、結果は(ry ていうかここで名が挙がってる
管仲と蕭何はとりあえず確定組でいいと思うのだが どこにでも顔を突っ込むその名の通りケッタイなおっさん。 儒教的な政策を特に評価するのか、それとも法家的な政策を評価するのかで選考がだいぶ変わりそう 後世の影響考えたら断トツで商鞅だと思うが、
保身に失敗したからなぁ・・・。 保身に失敗して下げるのは策士としての評価であって、
名宰相であることの否定とは関係ないと思うのだが。 周 周公旦
春秋 管仲
戦国 孟嘗君
秦 李シ
前漢 簫何
後漢 曹操
三国 諸葛亮
晋 王導
五胡十六国 王猛
南北朝 崔浩
商鞅一票
この人いなかったら秦の統一はありえなかったと思う
既出人物を適当にまとめてみた
ある程度推そうという意思を感じたらとりあえず入れておくといういい加減さで
春秋
管仲、鮑叔、士?、百里奚、狐偃、趙衰、目夷、趙盾、華元、孫叔敖、子産、晏嬰、伍子胥、范雎、文種、趙無恤
戦国・秦・楚
西門豹、李克、呉起、商鞅、申不害、張儀、魏冉、田文(孟嘗君)、藺相如、
趙勝(平原君)、魏無忌(信陵君)、黄歇(春申君) 、呂不韋、李斯、
前漢・新
張良、蕭何、曹参、陳平、劉恒(文帝)、劉啓(恵帝)、公孫弘、桑弘羊、霍光、丙吉、劉病已(宣帝)、?方進、
後漢・三国・西晋
劉秀、寇恂、ケ禹、宋弘、袁安、楊震、李膺、曹操、諸葛亮
東晋・五胡十六国〜隋
王導、王猛、馮素弗、崔浩、高?
唐
魏徴
五代・北宋・遼
張承業、敬翔、馮道
南宋・金〜元
なし
明
なし
清
張廷玉 元 アフマド(ものすごく悪名高いが、財政分野では天才だった)
明 張居正(なんで出てないんだ)
清 李鴻章(とりあえず挙げておく) 一応諸葛亮と曹操は強く推す。
曹操は言わずとしれた後漢の英雄。でも赤壁ではry
諸葛亮は天下三分の計により三国時代に持っていった天才。このことにより歴史を大きく変えたため。
でも荊州ではry
まぁ多少の失策もあるが、
乱世でこれだけの大業を成すのはやはり偉大だな! 名宰相なのか、それとも政治が上手いのをあげるかで判断がつきかねるんだろ。
政治が上手ければ誰でもいいという条件なら、康熙帝や雍正帝は嫌でも入りそうだ 魯粛を入れてください。
彼が蜀を保護する政策を出したから三国鼎立の状態になったわけだし。
劉備や諸葛亮がいかにすごくても、魯粛の保護無しでは、益州は取れなかったと思うな。
実際彼が死んでからは、蜀と呉の関係が上手くいかなくなった。 >>135
魯粛生存中から荊州を巡ってギクシャクしてるよ。
建安20年の荊州侵攻とかね。
> 劉備や諸葛亮がいかにすごくても、魯粛の保護無しでは、益州は取れなかったと思うな。
周瑜の方針とどちらが良かったかは仮定の域を出ないが、魯粛の方針が禍根を残したともいえる。
むしろ呉にとっては劉備が益州を取れなかった方が良かった。 >>136
確かにそうかもしれない。
魯粛としては、仲の良い政権を作って一緒に曹操と戦いたかったんだろうけど・・・
他の奴ならまだしも、劉備をやらんだのは失敗だったね。
ただ、彼が三国鼎立を作ったおかげで、三国志が面白くなったんだと思う。
魏の一人勝ちじゃつまらないしね。国を救うのに関係ないけどw
訂正
やらんだ→選んだのことです・・・。
すいませんでした。 >>137
彼らも優秀な政治家だけど……
やはりナンバーワンは王安石でしょ。 >>140
王安石も、結局のところ大きな変化をもたらすには至っていない。
その契機をつくり、後の党争を呼んだけど、劇的な変化がない。
そこは、両税法の施行で民衆を塗炭の苦しみに叩き落したが、国勢の回復を為さした張説のほうが…
(王安石とは真逆だな、コレ) 三国時代
魏
ジュンイク、司馬イ
蜀
諸葛亮
呉は張昭? >>141
だね。
革命的な政策を打ち出したりと政治家としては有能かもしれないが、政争で失脚し点が名相にはふさわしくないと思う。 >政争で失脚し点が名相にはふさわしくない
そんなケース宋の時代なら腐るほどないか?
王安石は司馬光と遣り合ってたんだし >>146
腐るほどいたからなんだと言うの?
主君の信任厚く、家臣の中で圧倒的な存在であり、国の柱石たるにふさわしい功績を残した。
名相というからには、この3つの条件は満たしておいて欲しい。
もちろん名相の中にも必ずしも条件を満たせてない人物もいると思うけどね。 最終的に失脚したのなら多いし、足の引っ張りあいが日常化している状態だったから、それ自体を、そうマイナスにとる必要はない。
どっちかっていうと、足を引っ張る方の都合が悪いから、「みんなヤツの言うとおりしていると損すぞ」とけしかける。
だから、王安石などは本来、大政治家なわけですよ。
だけど、彼の改革は急進的すぎたし、皇帝(神宗)も利権にしがみつく亡者どもを一掃したいため王安石を用いたものの
彼の改革の根本が豪族をして「痛みを伴う」改革だったので、豪族出身者-当時の士大夫はほとんどがコレ-の猛反対を喰らい、なおかつ皇妃にまで恨みつらみを言われ辟易してしまった。
それでしかたなく王安石を宰相位から転出させざるを得なかったわけです。
いつの世も、一旦固定化した権力層が自ら既得権益を放棄して、損をしてまで民衆のためになるような政策を唱えるわけがない。
王安石の政治理念は建国当初にこそ必要だったのじゃないかと思います。
で、対抗馬の司馬光は現状追認路線をひた走り、王安石がやった改革のうちそれなりに成果を出しているものまで旧に復したので、混乱を招いている。
老人の保守主義もここまでくると病的。
ちなみに、王安石は人を見る目がないことも有名だった。天才にありがちなことではあるけどね…
彼の後継者で最悪を極めているのは、なんと言っても蔡京だろう。 >>148
言いたいことはわかる。
王安石が当時にあって非常に革新的な有効な政策を打ち出したということを否定できる人はいないと思うんだよね。
ただ彼を取り巻く状況が悪すぎた。 >>149 そうそう。結局、>>141でも書いたように、当時としては名相とは言えないんだな、残念ながら。
ただ、失脚はあんまりマイナス点には入れてないんだけどね、主観としてだけど。 >>149
俺が言いたかったのは>>148に先に言われちゃったけど
足の引っ張り合いで失脚したのをマイナス要素にするのはどうかということ
>>145で君が示した理論だと同じ宋代の宰相杜衍なんかも自分は全く関係無い
婿の公金着服事件を政敵に問題にされ宰相の座を退くことになったのも
カウントされたりするのかと言いたかったんだけなんたけど
>>151
名相≠優秀な政治家と言うのがオレの考え。
あくまでオレだけに通じる定義なのかもしれないけどね。
例えば王安石が皇帝とやり合って自ら身を引いたという形なら名相と認めるにやぶさかではない。
しかし同僚との政争に敗れ、なおかつその政策を全てつぶされてしまったのでは悲劇の政治家とは言えても名相とはいえないと思う。
ただオレの定義で行くと果たしてそんなヤツ100人もいるのか?ということになりかねないからな〜w 実のところ、別に「革新的な」とか「斬新な」とかいう改革路線を行わなくても、名相はいると思うんだよね。
それはいわゆる「優秀な政治家」かもしれないけど。
100年も200年も安定した政治なんて存在しないけど、短い間だけでも豊かな期間はいっぱいあったわけで、そういう期間をもたらした政策こそ評価すべきことだと思う。
唐の貞観年間や、宋の慶歴年間なんかは、そういう意味で名相を選出できる土台じゃないかと。
むろん、そのあとで大いなる矛盾、格差社会などが表面化して、張説の両税法や王安石の新法などが提唱されないといけなくなったのだけど。
両税法は国家のため、新法は民衆のためと、目的は違うけど成功してるのは前者。
王安石には気の毒だし、個人的にも前者マンセーなんて冗談でも思わないけど、宰相としての治績を言うなら前者になってしまう。 >>152
宰相は策略家・軍師では無いのだから
政争を上手く切り抜け要素まで求めるのは酷だろな
そんな人物って陳平・張良などを含め何人いることやら・・・
呉起だって魏や楚じゃなく最初から秦に行ってれば
文句無く名相と讃えられただろうに 154の追記
あとね王安石の政策を皇帝がきちんとバックアップしてやらなかったのが
王安石にとっては可愛そうな点なんだよ
国家元首である皇帝の軸にブレがあったのはやぶさかではないし
旧法派たちが自分たちの既得権益を守る為に
国家を蔑ろにしていた事も忘れないでほしい
それに王安石は優秀な政治家だと俺は思うぞ >>155
> あとね王安石の政策を皇帝がきちんとバックアップしてやらなかったのが
> 王安石にとっては可愛そうな点なんだよ
その点こそが名相の条件にはふさわしくないと考えるんだよね。
> それに王安石は優秀な政治家だと俺は思うぞ
それは否定しないよ。
ただ優秀な政治家≠名相だと思うだけ。
優秀な政治家というのは名相の必要条件だとは思うが、十分条件ではないと思うわけだ。 >>155
>その点こそが名相の条件にはふさわしくないと考えるんだよね。
これは王安石の所為では無く皇帝に問題あるんじゃないのか?
そこらへん君はちゃんと理解してるんだろ?
>ただ優秀な政治家≠名相だと思うだけ。
>優秀な政治家というのは名相の必要条件だとは思うが、十分条件ではないと思うわけだ。
言ってる意味がいまいち食い違うように感じるが・・・
まあこれ以上話あっても意味無いみたいだしじゃあな >>157
だから名相というのは個人の能力だけでなく、良き主君を得られるか?ということも問われると思うんだよ。
この場合の良き主君というのは、要するに信頼してくれて大権を与えてくれる主君のことね。
名相とはそういった関係性込みで評されるべきという考えなのね。
それがない人は優秀な政治家とは評せても名相とは評せないんじゃないかな?
> 言ってる意味がいまいち食い違うように感じるが・・・
どこが食い違ってるように思えるの? >>153
自分、とんでもなくどアホな間違いしてますね…
両税法は張説じゃなくて楊炎だろうが。
不思議に思った方、すみませんでした。 機会さえあれば名相となれる素質を持った人はたくさんいたんだろうな。 富国強兵を成し遂げたのが名宰相なのか、それとも民を慈しんだのが名宰相なのか 北宋・欧陽脩(唐宋八大家の1人で世界史の教科書にも載るレベル。 この人は学者扱いか…?)
南宋・賈似道(能力は凄いと思う。 最初の嘘が特に。 まぁ結局駄目人間だが。)
平時:名君>名相>酷吏、循吏
↓↓ ↓↓
戦時:名将≧名将>猛将、謀将
戦時と平時を比してみれば、その立場には非対称性が存在することは明らか。
宗とか帝がつくのは名君のカテゴリーだよ。 唐:房玄齢
が入っていないのが意外。杜如晦などの優れた人物の登用を押し進めたのは彼だし、貞観の治の創業と守成での魏徴との問答は有名。魏徴を挙げるなら同時に房玄齢を挙げないとおかしい。 >唐の房玄齢
たまたま専門でないから挙げる人がいなかっただけかもよ
既出だけど明の張居正 曹操はこちらでも候補に入ってるのな
もし選ばれたら唯一の名将百選&名相百選両方に該当してる人物になるのか
他にも探せばいるんじゃない?
今は思いつかんけど。 >>169
名君であって名相じゃない。王猛が確実じゃないか? >>171
曹操が「君」と呼ばれる立場になったのは死ぬ4年前でしょ?
特に問題無いんじゃないの >>172
イヤイヤ、そういう意味じゃなくて、トップとして青史に名を残したけど、
いち政治家としては、どの程度の能力があるのか?と思っただけ。
配下の者の献策等ではなく、曹操自らが立案した政策とか知らないので、
政策の良し悪しを判断する聡明さ、先見の明とかかは、
優秀な君主としての評価ではないかと思ったんだよ。
隋の文帝とか政治家としても有能な人物もいるし、皇帝だからなしとは思ってない。
仮にこのスレ的には、名君も名相として扱うのであれば、
後漢の光武帝、後周の世宗あたりも入りそうだから、
曹操以外にも名将100選入りの名相は、結構いそう。
皇帝は入らないのであれば、まだ確定してないが、清のドルゴンも選ばれるかも。
あと、元の伯顔も可能性があるかもしれない。 ジュンイク陳群はどんなところかね?
宇文護はちょっと方向違うかな? 王朝の簒奪をした(または意図した)人は、幾ら政治家として優れていたとしても、
名相では絶対に無いと思う。
名宰相と言うのは、仕えるべき王朝が有って、それを支えて始めて名宰相だと思うから。
最近のスレの流れ読んで、名政治家と、名宰相を混同されてそうなので、書いてみた。 名宰相には忠義も要求されるということか。
馮道みたいな、忠義が天下、民に向いているような場合はどうなるんだろう。 >>178
馮道は民のために戦乱を最小限に食い止めようとした、という点では名宰相と言えるのでは? >>178
自分>>177を書いた者ですけど、自分的に馮道は、
当然百選には(と言うか十選でも)入ると思ってましたが、
確かに指摘された論法だと、自分が書いた基準だと、
馮道は名宰相じゃ無い。って事に成ってしまいますね…(汗)
ただ、>>179氏が言う様に、私欲では無く、民の為に行動をした。
と言う事で、忠義と言う面で問題が有ったとしても、
やはり馮道は名宰相の百選には入ると思います。 簒奪の意図なんかないんだからね
百人にはいらないのはおかしい人だと思う 時代別に選抜するなら諸葛亮は入るだろうな
時代別じゃなくても百選に入れてもいい宰相だと思う 取りあえず一週間以内に1000までいって消化しよう。
一日120くらいで 前11世紀:
前10世紀:
前9世紀:
前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:
前2世紀:
前1世紀:
1世紀:
2世紀:
3世紀:
4世紀:
5世紀:
6世紀:
7世紀:
8世紀:
9世紀:
10世紀:
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:
20世紀: モミモミィ〜♪
モミモミィ〜♪
オパーイ、モミモミィ〜♪ >>188
なぜ、除外なのか。統一王朝の宰相でないことぐらいしか思いつかない
ただのアンチ蜀? >>193
まあ3世紀はこいついれないで誰いれるって感じだな。
初期:曹操
中期:諸葛亮
後期:賈充 屈原を入れるのは微妙じゃね?
手腕があったか以前に、そのようなツキがなかった人間じゃん。 4世紀の名宰相候補
西晋:張華
東晋:王導、謝安
前趙:游子遠
後趙:張賓、李農
前燕:皇甫眞、慕容恪
前秦:王猛、苻融
後秦:尹緯
軍人優位な時代だから、文官オンリーとかはいないんだよなあ
個人的には、「前燕には、もはや皇甫眞しか人物がいない」と評された
皇甫眞が好きだな >>198
軍事実績はどの程度、評価に含めるのかで微妙だな
大体、一世紀に三名ならば、国を隆盛に導いた王導、慕容恪、王猛かな?
張華は、賈充をのぞいて、三世紀にいれる方に希望