更にこの反乱の影響は海外にも及んだ。例えば、日本では天平宝字2年(758年)渤海から帰国した小野田守が日本の朝廷に
対して、反乱の発生と長安の陥落、渤海が唐から援軍要請を受けた事実を報告し、これを受けた当時の藤原仲麻呂政権は反乱
軍が日本などの周辺諸国に派兵する可能性も考慮して大宰府に警戒態勢の強化を命じている(『続日本紀』同年12月10日条)。
更に唐の対外影響力の低下を見越して長年対立関係にあった新羅征討の準備を行った(後に仲麻呂が恵美押勝の乱で処刑さ
れたために新羅征討は中止された)。

wikiだけど。