もはや男女差別の話はしてないが?
男女差別の話に拘っているのは>>211だろ。
まして>>211は何も識見を語ってはいない。

>>210
まぁ、だからこそ三大悪女の一人となるわけか。
皇后として本紀は立てられているが、独立した国として認められてはいない。
その辺の扱いが、一代で断絶した地方政権あたりの扱いとかぶったように
自分には見えたわけだ。周という国号が間に入り、前唐後唐とならなかった
のはなぜかのアンサーとしてね。
それは結果的に血統が続いたからということなのだろうが。

男女差別は棚の上に置いといて、宋以降の士大夫たちは、自己の権利を脅かす
ものへの記録上の表現や扱いが手厳しい場合が多々ある。
いい例が馮道とかだな。
馮道の評価は、実は武則天の評価にあい通じるものを感じる。
彼ら士大夫は、民の苦しみを軽減したことより、皇帝をあっさり挿げ替えた行為を指摘し
民を苦しめなかったことは小さく扱う(当時の士大夫としての正義だから当然だけどね)。

武則天の評価は唐よりも、宋以降の時代性によって左右されていると思えるんだ。
結局、政治手腕は認めるが、それを得るまでの手段は認めん、というところか?