☆★☆ 武 則 天 ☆★☆
中国の歴史上で唯一の女性皇帝にして、美貌と実力を兼ね備えた最強の女傑である武則天について語りましょう。 武則天は、来俊臣をどこまで使うつもりだったんだろう。
あくまで、使い捨てるつもりだったんだろうか? 始末しようと思えばボロはいくらでも出てくるし、
都合よく使って捨てるつもりだったんでね? とは言え、神龍革命の主要人物は来俊臣の死後に出世して
武則天を裏切っているから官僚への抑止力としては最後(武則天の死の寸前)まで
生かしておけば武周王朝存続に役立ったかも。 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 13:39:36 ID:SDbbDHog0
スーチンガオワーの武則天「无字碑歌」
ttp://www.cctvdf.com/j/program/cctv_detail_news.php?program_id=924&program_div_id=01
97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 22:23:39 ID:ytTibeqn0
「无字碑歌」
http://ent.sina.com.cn/v/m/f/wuzbg/ 武則天関係じゃ一番出来がいいと思う。ただ武則天マンセー過ぎるのが鼻につくかも。 187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:20:33 ID:2ypVhSdH0
どうでもいいことだが、「武則天」という呼び名が一時期流行したが、
「武」(名字)+「則天」(贈名)という組み合わせはイマイチだということで
最近ではまた学者の間では「則天武后」という呼び名に戻ったらしい。
もう、則天皇帝と言ってしまえばいいと思うけどね。
188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 19:08:14 ID:TZ1n1uAN0
>>187
謚+皇帝は言わないことはないと思うけど、やっぱり一般的じゃないんでないかい?
あれ? よくよく考えたら、謚は則天大聖皇后で皇后扱いだから武則天て廟号なし?
皇后扱いだからじゃなくて後継者が居ないからか?
謚号も随分変遷しているみたいだから、唐王朝も扱いに困りかねてたんだろうなぁ。 『女帝 わが名は則天武后』のことか?
後、日本人だと津本陽が書いているが。 「わが名は則天武后」って笑うところだよな。
あんたの名は曌だろって。 原題は「女帝」だけなんで訳者が余計なことしたみたい。
日本人にしっくりくるからだとか。
中国人がフランス語で書いたものをさらに日本語訳。
しかも訳者は仏文系の人なんで微妙なニュアンスに違和感がある。
しかし、武后の幼い頃の思い出に「かわいい大熊猫」って笑うところか? 翻訳ものは訳者が重要だよね。
ただ中国語が分かるだけじゃなくて、取り扱っている内容にも理解がないと。 趙姫=仲間由紀恵、則天武后=竹内結子、士会=矢田亜希子だよ。 >112-113
>中国語が分かるだけじゃなくて、
>取り扱っている内容にも理解がないと
とりあえず村上春樹に翻訳させてみるかwww
すっごい文章になるだろな。いろんな意味で。 >>115
武則天はもっと迫力があるグラマーな感じの美女が似合うと思う。 >>116
例の馬のエピソードでも見たんだろうな。 142 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/05/21(月) 14:34:19 ID:wWnnSoev0
<先行情報 2007年6月21日発売>
・則天武后 DVD-BOX 全10巻
(4月21日発売から変更になりました)
===============
上記はコ○ービデオのサイトより。
このメーカーが出すソフトに画質を期待しないように。
字幕はたぶんonoff出来ない焼付け式だろう。 劉暁慶の武則天だから、一昔前にNHKで放送していたドラマか? 字幕の焼き付けって手間が省けて安上がりなのかな?
やられるとすごいむかつくんだけど。 163 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/05/29(火) 02:39:21 ID:d4879f2t0
2007年6月21日発売
則天武后 DVD-BOX 全10巻
NHK BS2:1996年6月-8月放送
主演:劉暁慶(リュウ・シャオチン)
「西太皇后」「続 西太后」「芙蓉鎮」他
太宗:鮑国安(「三国演義」曹操を熱演)
セット品番 DNN-1120
全10巻 全30話 本編収録:1440分
26,250円(税込) 25,000円(税別)
カラー/モノラル/音声:北京語/日本語字幕/NTSC/片面一層/4:3
ttp://www.chinasoft.co.jp/catalog/1-dorama/sokuten/main.html
主人公は太平公主だけど、
大明宮詞っていう人気ドラマもあるね。 太平公主の恋愛と政治?って感じだとおもいますけど。それ以外に
「至尊紅顔」っていうドラマもありますよ。武則天の少女時代の話です。
笑いあり涙ありの悲恋モノです。李君羨との恋とか。李治(高宗)じゃないです。
でもいい作品ヨ。恋愛要素濃いめ。武則天役の賈静文が可愛いです。
あと「一代女皇」という武則天の全人生物語もあります。古いですが。
ていうか、武則天のホントのホントの本名は「武媚娘」です。そのはず。
「至尊紅顔」は日本語も日本語字幕ありません。中国語中級者向けです。
これのベトナム語で中国語字幕だったらいいな、という方はこちらが
いいですね。↓
「thieu nu vo my nuong」ベトナム語の中国語字幕版です。
ちなみに「lady wu mei niang」という英語版もありますよ。 >武則天のホントのホントの本名は「武媚娘」です。そのはず。
ホントのホントの本名というよりは幼名、もしくは字とでも言うべきだろうね。
大人になってからの本名は照または曌
でないと曹操のホントのホントの本名は阿瞞ですって事になるよ >>127
見てみたいが、中国語わからんし・・・
日本でも放送してくれんかな また新しく武則天のドラマを作る話があるようだし、
題材としていいんだろうね。 一度、上官婉児のドラマを作ってもらいたい。
太平公主のドラマはあるみたいだし。 私も見たことないですね。上官婉児のドラマ。
上官儀の孫娘で後に武則天の右腕の才女ですよね。容貌と頭がかなりいい人だし。
太平公主と仲良かったという説のある人ですね。姉妹並みだったとか。
武則天の本を見たんですけど。やっぱり武則天さんは自分の生まれたばかりの娘を殺して
いないらしい。『実は事故かもしれない』とか。『侍女が当時の武則天の出世を願ってやった』とか。
事故っていうのは、王皇后は子育てできない人みたいだから、公主を見舞いに来た時、
寝ている公主に気を使って布団をかけた。その時の布団が顔を覆っちゃって息できなくて
死んじゃった…と。やー…、複雑ですねー。
新しく武則天のドラマを作る話があるっ!?ヤッタ、探さなくっちゃ。
歴史の表舞台には登場しない、武則天の腹心として動いた侍女もいたのかもね。 確かに武則天の名前は「武照」で幼名が「武媚娘」でした。や、でも中国では
ほとんどが「媚娘」と呼んでますねー。私も「媚娘」と呼んでますし。なんて
いうか…こっちの方が「女の子」「美人」って感じがするんですよ。感じ的にも
可愛いし。
武則天は才人時代から多くの侍監や侍女の心をワッシと掴んでたらしいですねー…。
侍監から見ればアイドル、侍女からはお姉様。最初は皆キライよだったけど、
媚娘さん(この時はまだ照じゃない)がそこを上手く洗脳して。すごいなーー。
武則天は文・楽・武・美が全部備わってたらしく、いわゆる…天才? >>134
圧力かけて歴史を改ざんしてますから
普通にドブスだろw 『新唐書』則天皇后本紀「后年十四にして、太宗其の色有るを聞き、選して才人と為す」
当たり前だけど、若い頃は美人だったってことですよ。 >>私も「媚娘」と呼んでますし
お前がなんて呼んでようが関係ないじゃんwww 少なくとも高宗の目には絶世の美女と映ったんだろう。 まあ、後宮に入れたんだから、その程度には美しかったんでしょう。
ただ、後宮の中でどのレベルだったかと言うと事については、わからないけど。
この人の魅力は、「色」よりも頭のよさの方が大きかったのでは? うん、それもあるかも。ていうか、高宗も女の手の平で操られ〜、ていう裏人生を
送ってたんだよね。〜女に弱いのだ〜で王皇后・淑妃・武昭儀・その他多数の
女性陣に取り巻かれた生活、美女ばっかで幸せだろうけど、ある意味可哀相だわ。 もともとは太宗の後宮にいたんだよな
もし太宗が寵愛してたらどうなったかな あー、なんか最初入宮したばっかの頃は寵愛してたらしいよね。でも『武』って女が唐乗っ取る噂流れたから、寵愛ストップ〜したわけだ。
それが武才人の性格に大影響及ぼしたらしいよ。そこを高宗が武則天に惚れて摘み食い。 >>143
寵愛ストップじゃなくて、その時点でさっさと始末しておけばよかったのに。 そこそこ、うちも思った。でも、なんかどっかの道士(名前が複雑)が武則天殺したらもっとヤバイ奴が来るなんて言ったからなんだって。
でもこのおかげで周時代の国民は平和に暮らしてたんだよね。 ラストが王莽っぽい部分あるよな。
偶然の一致かもしれんが両者の立てた
王朝は互いに15年しかもたなかった短命国家だったしな。 でも政権追われて死んだあとでも、
武氏の一族が族滅されないようにしたのは偉い。 しかし、楊貴妃の最初の旦那が武恵妃の息子だったりして
やっぱ唐に祟るよな武姓の女って 祟るも何も皇室は則天皇后の子孫なんだから、
本当に祟るなら唐皇室があんなに長くは続かんだろう。
則天皇后はかなり気が強く、頭も回るが、
高宗みたいな柔弱な男が甘えたり頼ったりするぐらいだから、
包容力のある母性的な一面もあったのだろうね。 >>147
政治面では、王莽と違って武則天は現実的だ 則天の本紀を読んでるとさ、いっそすがすがしいくらいに宗室や大臣たち殺しまくっててさ。
ここまでやらんと奪権できんかったのね〜。 そりゃ他の簒奪者たちに比べても、
女性であることのハンデは凄まじいものがあったと思うよ。
だから容赦なんかしていられなかったんだろうね。 娘を殺した時はさすがに悩んだんじゃない。
母親の道を選ぶか権力者の道を選ぶか。 皇帝権の確立のためには門閥の排除は絶対必要事項。
唐朝の皇帝が長い間権威を保つためにやらなければ為らない事を
則天皇后が全てやった。
高宗や中宗が統治していたら、唐はもっと早くに滅んでいたであろう。
唐皇室は太宗と則天皇后には足を向けられない。 長女は、事故死・・・布団をかぶせてしまったとか、暖房の一酸化炭素中毒とか、
あるいは、赤ちゃんの突然死との説もあるね。
もっとも、長男や次男の件もあるが。
長男も病死だったとして、次男を自決に追い込んだのは武則天自身だが。 >>156
武則天がもっと長い時間、皇帝として権力を揮えたら、
明のような絶対的独裁権力を確立できていたかもしれないね。 >長女は、事故死・・・布団をかぶせてしまったとか、暖房の一酸化炭素中毒とか、
>あるいは、赤ちゃんの突然死との説もあるね。
それ則天武后マンセーの原百代が主張してんだけど、
明智小五郎も真っ青の迷推理だよなw
王皇后が赤ちゃんの顔にまで布団をかぶせてしまっただって?
則天武后に都合がよすぎるってのw 当時なら今と違って乳幼児の死亡率は結構高いはず、
生まれた子が当然のように全員成人するのはごく最近になってから。
武后みたいに沢山産んでたら、一人ぐらいは赤ん坊のうちに死んでても
別におかしくない。 詭弁としかいいようがない。
その一人ぐらいの赤ん坊が死んで王皇后が失脚し、
則天武后が皇后となったのだから。
はいはい、
則天武后は自分の子を殺して出世した
とってもワルーい女でちゅねー
これでご満足? 釣りに決まってるだろうに
釣りのレベルが低いというならわかるが。 162からは釣りというより見苦しさしか感じられない 本人が悔やんでないなら良いんじゃね?
子供を殺してまで手に入れたものは、彼女に何をもたらしたかは分からない。
兄弟をブチ殺して至高の座についた太宗。
子供を犠牲にして、誰もなし得なかった地位に上りつめた武則天。
二人は共に、その有した権力を使い、国を繁栄に導いた。
その功績を、倫理で無に帰することは出来ないし、
功績をもって正当化は出来ない。
もはや好みの問題じゃね? 太宗皇帝大好きな田中芳樹、則天武后マンセーな原百代、
両者に共通してるのはありえない擁護をしてることだな。 >>161
まあ、武照レベルの女だったら、たとえ事故死であっても
取り乱さず、それを悪用するぐらいの奸計はやってのけるだろう 後半が抜けたw
だから、まあ、事故死としても「ありえない擁護」とは言えないと思うよ。
武即天は、自分の野望のためには、自分の赤ちゃんだって平気で殺す女だろうけど、
今だって赤ちゃんの突然死は結構あることを考えるなら、事故死の可能性も十分にあると思う。
まあ、俺としては、事故死4割、殺人6割ってとこかな? 事故死って本場の中国で通じるのかな
都市伝説みたいな話
突然死だの、王皇后が事故で殺していただの
中国のドラマ(全30話)では普通に則天武后が殺していた事になってる
殺していたことのほうが、武則天らしい感じがするし。 そもそも中国人は日本人がそんな俗説を立てているのを知らないからw
実際、中国人に向かってそんな電波なこと言えないし。
「赤ちゃんを殺したのは武后じゃなくて王皇后だ。
殺されたのでなければ、事故死か突然死だ。
武后が赤ちゃんを殺した証拠はない。
武后は悪名をきせられた、男尊女卑の被害者だ」
中国人に、その論法ならもう何でもありと言われればそれまでだし。
突然死だの事故死だのは日本人同士にのみ通用する議論だね。
仮に事故死だとしても、親としての情より、政略的な判断を優先しただろ。
どっちにしろ、倫理的には非難されると思うんだが。
子殺ししなかったことが、免罪符になると思えない。 漫画中国の歴史の則天武后はよかったな。
最後廃立されるんだけど夫の高宗の幻影に向かって笑顔で、
武后「あなた、これでいいのですね」って終わるの。
でも、この終わり方、BSでやってた則天武后も同じだったような。
廃立された武后が昔を思い出し高宗に告白される場面を思い出すの。
高宗「もし、武媚の心の中に私がいるとしたら嬉しいよ」
この二人一緒に乾陵に合葬されてるけど、二人ともかなり複雑だろうな。 武則天の赤ちゃん突然死は通鑑にしかないだろ。
どっかの小説から拾ってきたヨタ話がひとり歩きしてるだけだよ。
『新唐書』諸帝公主を見ろ。高宗の女子は三人しかいないから。そのうちふたりは蕭淑妃の娘。
あと高宗と武則天の間の女子は太平公主だけ。 >>175
武則天は評価されて良いと思う。
確かに非難される部分はあるが、為政者としては優れてた。
ただ物語としては、人としての弱さなど、共感できるようにするから、
かえって実像からズレるよね。 >>177
徹底的に冷酷に描いてもそれはそれで魅力的だと思う。
若い頃に、そういう冷酷な道へ走るきっかけがあった、
とかいう設定の物語にしたら、説得力あるだろうし。 というか太宗が原因かな。太宗がいきなり武媚さんを寵愛中から、
死に追い詰めたから女王様まで成長したんだし。
そもそも『武氏の女が唐を乗っ取る』なんて噂流さなければ
武媚は多分ただの寵妃ぐらいにしかならなかったと思うんだよね。
や、寵愛保つために、後宮の女をハメたりするかな…。 中国の歴史では則天武后の周王朝は認められてるのかね。
唐は周を間に入れて前唐・後唐とかいったりして。 儒者にとっては消し去りたい歴史でしょ、周は。
それに唐は、周に一時簒奪されても、実質で継続性を保っていたから。 何しろ唐の中宗皇帝が復活してるから、武后の周はおままごと程度にしか見られてないよ。
歴史の年表に唐と唐の間に周ができるなんて、武后マンセーな奴でも妄想してないだろw 年表がすべてとは思わないが、たとえば(たとえが悪いが)袁術の成が年表にないのと
似たような感じで、「認めていない」というだけと思う。
皇帝を名乗った連中をすべて年表に組み込むと、えらいことになるだろうし正統性も問題視される。
ま、それでも武周が入っていないのは、やはり当時と後代の男どものメンツも大きな作用があると思う。
それに期間の短い一代限りの政権であって、そういうのを開国と認めないというのもある。 そりゃ、地方政権は認めないのが普通だろう
武周は統一政権ですよ? でも、武周の後は、その前の唐の皇帝である中宗が復璧(になるのかな?)
したわけだから、武周の前と後の唐が断絶したわけではない。
漢は、前漢と後漢では血統が変わっているけど、唐は同じ高宗の子孫だしな。 189で思い出したけど、
前漢と後漢の間には『新』があってこっちはちゃんと年表にも入れられてるよな。
やはり187が書いてるように『武周』も三国志の袁術の『成』と同レベルだろうな。
あと男のメンツは全然関係ないけどなwフェミニストもここまでくるとウザイw >>190
「同じレベル」というところに違和感がある。
>>187ではあくまでも後代の「政権を担う者」が「認めない」という話。
国家として政権として、また歴史に対する役割として
武周が袁術の成や他の地方軍閥のような低レベルと同じと言っているわけではない。
男のメンツは大いに関係あると思うよ。
しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
唐が前後仕分けでないのは、たぶん>>190のとおりと思う。 エカテリナ二世もロマノフ王朝の皇帝として考えられているからね、
それと同じだろう<武周>
皇后が一時的に皇帝位についたという扱いなのでは?
死後もあくまで、「皇后」扱いだったしね。 汝南一帯の自分の勢力範囲で独立した袁術は単なる地方政権であって公孫述の政権みたいなもんだろ。
まがりまがりにも全国に指示出せてた王莽の新ならまだしも、袁術は例えに適切じゃないだろう。
だいたい、袁術の国は『成』じゃない >男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
男女差別の視点からでしか歴史や則天武后を見れないなんてかわいそうだな。
則天武后マンセーの原百代といってる事がコピーしたかのように同じw
則天武后は男女差別の被害者だなんてアホなことを延々と主張し続ける限り、
則天武后が正当な評価を受ける事はないだろうな。
なにしろマンセーの奴らは「評価すべき」「評価すべき」「評価すべき」のみ。
だいたい男女差別なんてふざけた事が問題になってるのはこのスレだけだ。
男女差別だ、と叫び狂ってる奴らはまわりがうんざりしてるのに全く気がついていない。
則天武后の評価で一番足を引っ張っているのがマンセーしてる奴というのは笑える。
>>194
いや、残念ながら、男女差別の裏返しで武則天を評価しているわけではない。
則天武后時代ともあわせて、唐の絶頂期の現出もとである廷臣の登用が評価できる。
マンセーしていると捉えられるのは迷惑極まりないし、そちらが一心に否定する態度も
方向性が違うだけで同じこと。
評価できないならできないところを指摘し、相対的にはかりにかけるべきだろう、子供じゃないんだから。
>>193
たしかに喩えとして不適切だった。そこは訂正するよ。
しかし後代の歴史に書き加えられない事実が、どうしてもその「地方軍閥」の扱いに
似ている気がしていただけなのだ。ま、そこは改めるとしよう。
>>袁術の国は『成』じゃない
そうだっけな? 三国志をよく知らんから間違えた。
わかりやすいと思って出した例が間違えていたとは… 赤面、赤面。
ああそれと、>>唐が前後仕分けでないのは、たぶん>>190のとおりと思う。
は>>189の言うとおり
だったな。とんでもないアンカーミスしてしまった… >男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
・・・・・・ あのなぁ…
男女差別があったから武則天が「有能」だと言ってるわけじゃないと言っている。
男女差別はあったとは言っているがな。
周皇帝が正当王朝として認められなかった理由をソコに求めること自体が
間違っていると主張しているわけだ、そっちは。
では、それはそれとしよう。
だが、差別とかメンツ「だけ」とも言っていないからな。
そちらの武則天の主張をよくよく耳にしたいものだ。
むろん、ID:JbtVtZs40の言葉でね。
原百代は知らんけど、氣賀澤氏の本は読んだ。 >男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
・・・・・・
>>191>>198の言っていることが的外れだとは思わないが?
中国の歴史学者は、武則天を「武后」扱いで、皇帝として認めなかった。
認めだしたのは、戦後になってから。
もしも、これが、外戚とか李氏の傍系とかの男が、皇帝位を中宗から簒奪し、
「武周」を作り、その後、また中宗に戻ったというなら、
「武周」も「新」程度に認められていたかもしれない。
認められなかったのは、男のメンツが全てとは言わないが、
ある程度はあったと思うよ。 >男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
・・・・・・