☆★☆ 武 則 天 ☆★☆
どうだろ?
人に恨まれすぎていたろうからね
やっぱり、狡兎死して走狗煮らるる、で用がなくなったらお仕舞いだったのでは?
しょせん、拷問係に宰相=テクノクラートとしての能力があったとは思えないし
武則天は、来俊臣をどこまで使うつもりだったんだろう。
あくまで、使い捨てるつもりだったんだろうか? 始末しようと思えばボロはいくらでも出てくるし、
都合よく使って捨てるつもりだったんでね? とは言え、神龍革命の主要人物は来俊臣の死後に出世して
武則天を裏切っているから官僚への抑止力としては最後(武則天の死の寸前)まで
生かしておけば武周王朝存続に役立ったかも。 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 13:39:36 ID:SDbbDHog0
スーチンガオワーの武則天「无字碑歌」
ttp://www.cctvdf.com/j/program/cctv_detail_news.php?program_id=924&program_div_id=01
97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 22:23:39 ID:ytTibeqn0
「无字碑歌」
http://ent.sina.com.cn/v/m/f/wuzbg/ 武則天関係じゃ一番出来がいいと思う。ただ武則天マンセー過ぎるのが鼻につくかも。 187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:20:33 ID:2ypVhSdH0
どうでもいいことだが、「武則天」という呼び名が一時期流行したが、
「武」(名字)+「則天」(贈名)という組み合わせはイマイチだということで
最近ではまた学者の間では「則天武后」という呼び名に戻ったらしい。
もう、則天皇帝と言ってしまえばいいと思うけどね。
188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 19:08:14 ID:TZ1n1uAN0
>>187
謚+皇帝は言わないことはないと思うけど、やっぱり一般的じゃないんでないかい?
あれ? よくよく考えたら、謚は則天大聖皇后で皇后扱いだから武則天て廟号なし?
皇后扱いだからじゃなくて後継者が居ないからか?
謚号も随分変遷しているみたいだから、唐王朝も扱いに困りかねてたんだろうなぁ。 『女帝 わが名は則天武后』のことか?
後、日本人だと津本陽が書いているが。 「わが名は則天武后」って笑うところだよな。
あんたの名は曌だろって。 原題は「女帝」だけなんで訳者が余計なことしたみたい。
日本人にしっくりくるからだとか。
中国人がフランス語で書いたものをさらに日本語訳。
しかも訳者は仏文系の人なんで微妙なニュアンスに違和感がある。
しかし、武后の幼い頃の思い出に「かわいい大熊猫」って笑うところか? 翻訳ものは訳者が重要だよね。
ただ中国語が分かるだけじゃなくて、取り扱っている内容にも理解がないと。 趙姫=仲間由紀恵、則天武后=竹内結子、士会=矢田亜希子だよ。 >112-113
>中国語が分かるだけじゃなくて、
>取り扱っている内容にも理解がないと
とりあえず村上春樹に翻訳させてみるかwww
すっごい文章になるだろな。いろんな意味で。 >>115
武則天はもっと迫力があるグラマーな感じの美女が似合うと思う。 >>116
例の馬のエピソードでも見たんだろうな。 142 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/05/21(月) 14:34:19 ID:wWnnSoev0
<先行情報 2007年6月21日発売>
・則天武后 DVD-BOX 全10巻
(4月21日発売から変更になりました)
===============
上記はコ○ービデオのサイトより。
このメーカーが出すソフトに画質を期待しないように。
字幕はたぶんonoff出来ない焼付け式だろう。 劉暁慶の武則天だから、一昔前にNHKで放送していたドラマか? 字幕の焼き付けって手間が省けて安上がりなのかな?
やられるとすごいむかつくんだけど。 163 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/05/29(火) 02:39:21 ID:d4879f2t0
2007年6月21日発売
則天武后 DVD-BOX 全10巻
NHK BS2:1996年6月-8月放送
主演:劉暁慶(リュウ・シャオチン)
「西太皇后」「続 西太后」「芙蓉鎮」他
太宗:鮑国安(「三国演義」曹操を熱演)
セット品番 DNN-1120
全10巻 全30話 本編収録:1440分
26,250円(税込) 25,000円(税別)
カラー/モノラル/音声:北京語/日本語字幕/NTSC/片面一層/4:3
ttp://www.chinasoft.co.jp/catalog/1-dorama/sokuten/main.html
主人公は太平公主だけど、
大明宮詞っていう人気ドラマもあるね。 太平公主の恋愛と政治?って感じだとおもいますけど。それ以外に
「至尊紅顔」っていうドラマもありますよ。武則天の少女時代の話です。
笑いあり涙ありの悲恋モノです。李君羨との恋とか。李治(高宗)じゃないです。
でもいい作品ヨ。恋愛要素濃いめ。武則天役の賈静文が可愛いです。
あと「一代女皇」という武則天の全人生物語もあります。古いですが。
ていうか、武則天のホントのホントの本名は「武媚娘」です。そのはず。
「至尊紅顔」は日本語も日本語字幕ありません。中国語中級者向けです。
これのベトナム語で中国語字幕だったらいいな、という方はこちらが
いいですね。↓
「thieu nu vo my nuong」ベトナム語の中国語字幕版です。
ちなみに「lady wu mei niang」という英語版もありますよ。 >武則天のホントのホントの本名は「武媚娘」です。そのはず。
ホントのホントの本名というよりは幼名、もしくは字とでも言うべきだろうね。
大人になってからの本名は照または曌
でないと曹操のホントのホントの本名は阿瞞ですって事になるよ >>127
見てみたいが、中国語わからんし・・・
日本でも放送してくれんかな また新しく武則天のドラマを作る話があるようだし、
題材としていいんだろうね。 一度、上官婉児のドラマを作ってもらいたい。
太平公主のドラマはあるみたいだし。 私も見たことないですね。上官婉児のドラマ。
上官儀の孫娘で後に武則天の右腕の才女ですよね。容貌と頭がかなりいい人だし。
太平公主と仲良かったという説のある人ですね。姉妹並みだったとか。
武則天の本を見たんですけど。やっぱり武則天さんは自分の生まれたばかりの娘を殺して
いないらしい。『実は事故かもしれない』とか。『侍女が当時の武則天の出世を願ってやった』とか。
事故っていうのは、王皇后は子育てできない人みたいだから、公主を見舞いに来た時、
寝ている公主に気を使って布団をかけた。その時の布団が顔を覆っちゃって息できなくて
死んじゃった…と。やー…、複雑ですねー。
新しく武則天のドラマを作る話があるっ!?ヤッタ、探さなくっちゃ。
歴史の表舞台には登場しない、武則天の腹心として動いた侍女もいたのかもね。 確かに武則天の名前は「武照」で幼名が「武媚娘」でした。や、でも中国では
ほとんどが「媚娘」と呼んでますねー。私も「媚娘」と呼んでますし。なんて
いうか…こっちの方が「女の子」「美人」って感じがするんですよ。感じ的にも
可愛いし。
武則天は才人時代から多くの侍監や侍女の心をワッシと掴んでたらしいですねー…。
侍監から見ればアイドル、侍女からはお姉様。最初は皆キライよだったけど、
媚娘さん(この時はまだ照じゃない)がそこを上手く洗脳して。すごいなーー。
武則天は文・楽・武・美が全部備わってたらしく、いわゆる…天才? >>134
圧力かけて歴史を改ざんしてますから
普通にドブスだろw 『新唐書』則天皇后本紀「后年十四にして、太宗其の色有るを聞き、選して才人と為す」
当たり前だけど、若い頃は美人だったってことですよ。 >>私も「媚娘」と呼んでますし
お前がなんて呼んでようが関係ないじゃんwww 少なくとも高宗の目には絶世の美女と映ったんだろう。 まあ、後宮に入れたんだから、その程度には美しかったんでしょう。
ただ、後宮の中でどのレベルだったかと言うと事については、わからないけど。
この人の魅力は、「色」よりも頭のよさの方が大きかったのでは? うん、それもあるかも。ていうか、高宗も女の手の平で操られ〜、ていう裏人生を
送ってたんだよね。〜女に弱いのだ〜で王皇后・淑妃・武昭儀・その他多数の
女性陣に取り巻かれた生活、美女ばっかで幸せだろうけど、ある意味可哀相だわ。 もともとは太宗の後宮にいたんだよな
もし太宗が寵愛してたらどうなったかな あー、なんか最初入宮したばっかの頃は寵愛してたらしいよね。でも『武』って女が唐乗っ取る噂流れたから、寵愛ストップ〜したわけだ。
それが武才人の性格に大影響及ぼしたらしいよ。そこを高宗が武則天に惚れて摘み食い。 >>143
寵愛ストップじゃなくて、その時点でさっさと始末しておけばよかったのに。 そこそこ、うちも思った。でも、なんかどっかの道士(名前が複雑)が武則天殺したらもっとヤバイ奴が来るなんて言ったからなんだって。
でもこのおかげで周時代の国民は平和に暮らしてたんだよね。 ラストが王莽っぽい部分あるよな。
偶然の一致かもしれんが両者の立てた
王朝は互いに15年しかもたなかった短命国家だったしな。 でも政権追われて死んだあとでも、
武氏の一族が族滅されないようにしたのは偉い。 しかし、楊貴妃の最初の旦那が武恵妃の息子だったりして
やっぱ唐に祟るよな武姓の女って 祟るも何も皇室は則天皇后の子孫なんだから、
本当に祟るなら唐皇室があんなに長くは続かんだろう。
則天皇后はかなり気が強く、頭も回るが、
高宗みたいな柔弱な男が甘えたり頼ったりするぐらいだから、
包容力のある母性的な一面もあったのだろうね。 >>147
政治面では、王莽と違って武則天は現実的だ 則天の本紀を読んでるとさ、いっそすがすがしいくらいに宗室や大臣たち殺しまくっててさ。
ここまでやらんと奪権できんかったのね〜。 そりゃ他の簒奪者たちに比べても、
女性であることのハンデは凄まじいものがあったと思うよ。
だから容赦なんかしていられなかったんだろうね。 娘を殺した時はさすがに悩んだんじゃない。
母親の道を選ぶか権力者の道を選ぶか。 皇帝権の確立のためには門閥の排除は絶対必要事項。
唐朝の皇帝が長い間権威を保つためにやらなければ為らない事を
則天皇后が全てやった。
高宗や中宗が統治していたら、唐はもっと早くに滅んでいたであろう。
唐皇室は太宗と則天皇后には足を向けられない。 長女は、事故死・・・布団をかぶせてしまったとか、暖房の一酸化炭素中毒とか、
あるいは、赤ちゃんの突然死との説もあるね。
もっとも、長男や次男の件もあるが。
長男も病死だったとして、次男を自決に追い込んだのは武則天自身だが。 >>156
武則天がもっと長い時間、皇帝として権力を揮えたら、
明のような絶対的独裁権力を確立できていたかもしれないね。 >長女は、事故死・・・布団をかぶせてしまったとか、暖房の一酸化炭素中毒とか、
>あるいは、赤ちゃんの突然死との説もあるね。
それ則天武后マンセーの原百代が主張してんだけど、
明智小五郎も真っ青の迷推理だよなw
王皇后が赤ちゃんの顔にまで布団をかぶせてしまっただって?
則天武后に都合がよすぎるってのw 当時なら今と違って乳幼児の死亡率は結構高いはず、
生まれた子が当然のように全員成人するのはごく最近になってから。
武后みたいに沢山産んでたら、一人ぐらいは赤ん坊のうちに死んでても
別におかしくない。 詭弁としかいいようがない。
その一人ぐらいの赤ん坊が死んで王皇后が失脚し、
則天武后が皇后となったのだから。
はいはい、
則天武后は自分の子を殺して出世した
とってもワルーい女でちゅねー
これでご満足? 釣りに決まってるだろうに
釣りのレベルが低いというならわかるが。 162からは釣りというより見苦しさしか感じられない 本人が悔やんでないなら良いんじゃね?
子供を殺してまで手に入れたものは、彼女に何をもたらしたかは分からない。
兄弟をブチ殺して至高の座についた太宗。
子供を犠牲にして、誰もなし得なかった地位に上りつめた武則天。
二人は共に、その有した権力を使い、国を繁栄に導いた。
その功績を、倫理で無に帰することは出来ないし、
功績をもって正当化は出来ない。
もはや好みの問題じゃね? 太宗皇帝大好きな田中芳樹、則天武后マンセーな原百代、
両者に共通してるのはありえない擁護をしてることだな。 >>161
まあ、武照レベルの女だったら、たとえ事故死であっても
取り乱さず、それを悪用するぐらいの奸計はやってのけるだろう 後半が抜けたw
だから、まあ、事故死としても「ありえない擁護」とは言えないと思うよ。
武即天は、自分の野望のためには、自分の赤ちゃんだって平気で殺す女だろうけど、
今だって赤ちゃんの突然死は結構あることを考えるなら、事故死の可能性も十分にあると思う。
まあ、俺としては、事故死4割、殺人6割ってとこかな? 事故死って本場の中国で通じるのかな
都市伝説みたいな話
突然死だの、王皇后が事故で殺していただの
中国のドラマ(全30話)では普通に則天武后が殺していた事になってる
殺していたことのほうが、武則天らしい感じがするし。 そもそも中国人は日本人がそんな俗説を立てているのを知らないからw
実際、中国人に向かってそんな電波なこと言えないし。
「赤ちゃんを殺したのは武后じゃなくて王皇后だ。
殺されたのでなければ、事故死か突然死だ。
武后が赤ちゃんを殺した証拠はない。
武后は悪名をきせられた、男尊女卑の被害者だ」
中国人に、その論法ならもう何でもありと言われればそれまでだし。
突然死だの事故死だのは日本人同士にのみ通用する議論だね。
仮に事故死だとしても、親としての情より、政略的な判断を優先しただろ。
どっちにしろ、倫理的には非難されると思うんだが。
子殺ししなかったことが、免罪符になると思えない。 漫画中国の歴史の則天武后はよかったな。
最後廃立されるんだけど夫の高宗の幻影に向かって笑顔で、
武后「あなた、これでいいのですね」って終わるの。
でも、この終わり方、BSでやってた則天武后も同じだったような。
廃立された武后が昔を思い出し高宗に告白される場面を思い出すの。
高宗「もし、武媚の心の中に私がいるとしたら嬉しいよ」
この二人一緒に乾陵に合葬されてるけど、二人ともかなり複雑だろうな。 武則天の赤ちゃん突然死は通鑑にしかないだろ。
どっかの小説から拾ってきたヨタ話がひとり歩きしてるだけだよ。
『新唐書』諸帝公主を見ろ。高宗の女子は三人しかいないから。そのうちふたりは蕭淑妃の娘。
あと高宗と武則天の間の女子は太平公主だけ。 >>175
武則天は評価されて良いと思う。
確かに非難される部分はあるが、為政者としては優れてた。
ただ物語としては、人としての弱さなど、共感できるようにするから、
かえって実像からズレるよね。 >>177
徹底的に冷酷に描いてもそれはそれで魅力的だと思う。
若い頃に、そういう冷酷な道へ走るきっかけがあった、
とかいう設定の物語にしたら、説得力あるだろうし。 というか太宗が原因かな。太宗がいきなり武媚さんを寵愛中から、
死に追い詰めたから女王様まで成長したんだし。
そもそも『武氏の女が唐を乗っ取る』なんて噂流さなければ
武媚は多分ただの寵妃ぐらいにしかならなかったと思うんだよね。
や、寵愛保つために、後宮の女をハメたりするかな…。 中国の歴史では則天武后の周王朝は認められてるのかね。
唐は周を間に入れて前唐・後唐とかいったりして。 儒者にとっては消し去りたい歴史でしょ、周は。
それに唐は、周に一時簒奪されても、実質で継続性を保っていたから。 何しろ唐の中宗皇帝が復活してるから、武后の周はおままごと程度にしか見られてないよ。
歴史の年表に唐と唐の間に周ができるなんて、武后マンセーな奴でも妄想してないだろw 年表がすべてとは思わないが、たとえば(たとえが悪いが)袁術の成が年表にないのと
似たような感じで、「認めていない」というだけと思う。
皇帝を名乗った連中をすべて年表に組み込むと、えらいことになるだろうし正統性も問題視される。
ま、それでも武周が入っていないのは、やはり当時と後代の男どものメンツも大きな作用があると思う。
それに期間の短い一代限りの政権であって、そういうのを開国と認めないというのもある。 そりゃ、地方政権は認めないのが普通だろう
武周は統一政権ですよ? でも、武周の後は、その前の唐の皇帝である中宗が復璧(になるのかな?)
したわけだから、武周の前と後の唐が断絶したわけではない。
漢は、前漢と後漢では血統が変わっているけど、唐は同じ高宗の子孫だしな。 189で思い出したけど、
前漢と後漢の間には『新』があってこっちはちゃんと年表にも入れられてるよな。
やはり187が書いてるように『武周』も三国志の袁術の『成』と同レベルだろうな。
あと男のメンツは全然関係ないけどなwフェミニストもここまでくるとウザイw >>190
「同じレベル」というところに違和感がある。
>>187ではあくまでも後代の「政権を担う者」が「認めない」という話。
国家として政権として、また歴史に対する役割として
武周が袁術の成や他の地方軍閥のような低レベルと同じと言っているわけではない。
男のメンツは大いに関係あると思うよ。
しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
唐が前後仕分けでないのは、たぶん>>190のとおりと思う。 エカテリナ二世もロマノフ王朝の皇帝として考えられているからね、
それと同じだろう<武周>
皇后が一時的に皇帝位についたという扱いなのでは?
死後もあくまで、「皇后」扱いだったしね。 汝南一帯の自分の勢力範囲で独立した袁術は単なる地方政権であって公孫述の政権みたいなもんだろ。
まがりまがりにも全国に指示出せてた王莽の新ならまだしも、袁術は例えに適切じゃないだろう。
だいたい、袁術の国は『成』じゃない >男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
男女差別の視点からでしか歴史や則天武后を見れないなんてかわいそうだな。
則天武后マンセーの原百代といってる事がコピーしたかのように同じw
則天武后は男女差別の被害者だなんてアホなことを延々と主張し続ける限り、
則天武后が正当な評価を受ける事はないだろうな。
なにしろマンセーの奴らは「評価すべき」「評価すべき」「評価すべき」のみ。
だいたい男女差別なんてふざけた事が問題になってるのはこのスレだけだ。
男女差別だ、と叫び狂ってる奴らはまわりがうんざりしてるのに全く気がついていない。
則天武后の評価で一番足を引っ張っているのがマンセーしてる奴というのは笑える。
>>194
いや、残念ながら、男女差別の裏返しで武則天を評価しているわけではない。
則天武后時代ともあわせて、唐の絶頂期の現出もとである廷臣の登用が評価できる。
マンセーしていると捉えられるのは迷惑極まりないし、そちらが一心に否定する態度も
方向性が違うだけで同じこと。
評価できないならできないところを指摘し、相対的にはかりにかけるべきだろう、子供じゃないんだから。
>>193
たしかに喩えとして不適切だった。そこは訂正するよ。
しかし後代の歴史に書き加えられない事実が、どうしてもその「地方軍閥」の扱いに
似ている気がしていただけなのだ。ま、そこは改めるとしよう。
>>袁術の国は『成』じゃない
そうだっけな? 三国志をよく知らんから間違えた。
わかりやすいと思って出した例が間違えていたとは… 赤面、赤面。
ああそれと、>>唐が前後仕分けでないのは、たぶん>>190のとおりと思う。
は>>189の言うとおり
だったな。とんでもないアンカーミスしてしまった… >男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
・・・・・・ あのなぁ…
男女差別があったから武則天が「有能」だと言ってるわけじゃないと言っている。
男女差別はあったとは言っているがな。
周皇帝が正当王朝として認められなかった理由をソコに求めること自体が
間違っていると主張しているわけだ、そっちは。
では、それはそれとしよう。
だが、差別とかメンツ「だけ」とも言っていないからな。
そちらの武則天の主張をよくよく耳にしたいものだ。
むろん、ID:JbtVtZs40の言葉でね。
原百代は知らんけど、氣賀澤氏の本は読んだ。 >男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
・・・・・・
>>191>>198の言っていることが的外れだとは思わないが?
中国の歴史学者は、武則天を「武后」扱いで、皇帝として認めなかった。
認めだしたのは、戦後になってから。
もしも、これが、外戚とか李氏の傍系とかの男が、皇帝位を中宗から簒奪し、
「武周」を作り、その後、また中宗に戻ったというなら、
「武周」も「新」程度に認められていたかもしれない。
認められなかったのは、男のメンツが全てとは言わないが、
ある程度はあったと思うよ。 >男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
・・・・・・
>男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。
IDを変えてw
↓
>認められなかったのは、男のメンツが全てとは言わないが、
>ある程度はあったと思うよ。
必死すぎw
・・・・・・
残念だが、必死なのはそっち。
ま、そちらの言い分はわかった。
それをもって訂正する気にはなれんがな。
持論を展開していただかないことには。 >ID:JbtVtZs40の言葉でね。
といいながら自分はID変えて他人を装い自説擁護w
本当に男尊女卑のマンセーブタは腐りきってるなw
>>198のID:4r6ykxoL0と>>200のID:A/zYgt9E0が同一人物なのは誰が見てもわかるよw
ひどい自作自演だなw
200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 13:40:21 ID:A/zYgt9E0
>>191>>198の言っていることが的外れだとは思わないが?
ダメだ。
あっちの世界に行ってしまっている。話にならん… 男女差別やら男のメンツって論理で展開されるとすごい違和感があるから変なのも湧くよ。
むしろ戦後の連中がそれを過剰に意識してるだけとしか思えないしね。
皇帝の産む器械であったからこそ彼女は帝位に赴くことになったというのにさ。
だいたい皇后の身で帝位についたこと自体に無理があったろう。
皇太子である息子は改姓させたって唐の血統であることに変わりはないわけで(また改姓すりゃいいだけ)、
武周の皇太子としては正当性があるのかないのかとにかくすごく変。
かといって独自の血統を残そうにも(女系の血統に説得力を見出せたかどうかも問題だが)、
どうせもうあがっちゃってるんだから無理だし。
武后自身は自分の死まで無事に武周が存続するとして、いったいどういう採算を立てて帝位についたのか。
まさか改称マニアなだけあって呼称だけ整えればなんとかなると思ってたなんてことはないよな。
とにかく王朝としては誕生した時点で当然の結果を生む重大な欠陥があって、
見方によれば変わった呼び方して変わった体制を布いて甚だしい権力を誇っただけの垂簾政治に過ぎない。
後世の史家は前例もなくどう扱っていいやら困った挙句本質を取っただけじゃないのか。 >>皇帝の産む器械であったからこそ彼女は帝位に
たしかに垂簾政治の延長上にある皇帝即位だから、それはあたっているだろうが
帝位に就きやすかったことと、成したこととは別物と思えるわけだ。
評価したいのは、その成した方。
存在や帝位に就いてしまったことからの、武則天自身の評価が辛いのは後代のことと認識している。
劉昫やあの欧陽脩ですら本紀としてまとめているし、趙翼の説があるから、武則天英主を認めもする。
実際に武則天を災いとして扱ったのがいつの頃からか知らんけど、そういう背景はなんだ?
というあたりを探りたいのだ。
この辺、認識が誤っているかもしれんから、教えていただけるとありがたい。 俺の知識は乏しいから素朴な疑問なんだが災いとして扱うのは当然なんじゃないのか?
曲がりなりにも帝位についたからややこしいことにはなってはいるが、
唐王朝において帝号は無きものにされ結果的には皇后という位置づけになったわけだろ。
それが粛清を重ね、皇族を殺したわけだからそれだけ見ればよく並べられる希代の嫌われ者呂后と大差ないじゃないか。
反面その政治は評価すべき点が多く、その影響もあり武氏とは退位後も関係が続いてるせいで余計ややこしくなってる。
評価が両極に大きくぶれるのは何の不思議もない気がするが? これでID:4r6ykxoL0には何を話しても無駄だということがわかったと思う。
なにしろ結局は男女差別に持っていってしまうんだからな。
>>208は『男女差別やら男のメンツって論理で展開されるとすごい違和感がある』と書いててこの返答。
どれほど、ああだこうだ言ってもID:4r6ykxoL0には、
『則天武后は男のメンツでつぶされた男女差別の被害者』という結論以外受け入れる気はない。
なにマジになってんだか
信者とはそういうものだろうに もはや男女差別の話はしてないが?
男女差別の話に拘っているのは>>211だろ。
まして>>211は何も識見を語ってはいない。
>>210
まぁ、だからこそ三大悪女の一人となるわけか。
皇后として本紀は立てられているが、独立した国として認められてはいない。
その辺の扱いが、一代で断絶した地方政権あたりの扱いとかぶったように
自分には見えたわけだ。周という国号が間に入り、前唐後唐とならなかった
のはなぜかのアンサーとしてね。
それは結果的に血統が続いたからということなのだろうが。
男女差別は棚の上に置いといて、宋以降の士大夫たちは、自己の権利を脅かす
ものへの記録上の表現や扱いが手厳しい場合が多々ある。
いい例が馮道とかだな。
馮道の評価は、実は武則天の評価にあい通じるものを感じる。
彼ら士大夫は、民の苦しみを軽減したことより、皇帝をあっさり挿げ替えた行為を指摘し
民を苦しめなかったことは小さく扱う(当時の士大夫としての正義だから当然だけどね)。
武則天の評価は唐よりも、宋以降の時代性によって左右されていると思えるんだ。
結局、政治手腕は認めるが、それを得るまでの手段は認めん、というところか? >>209
俺も単なる中国史好きで、史学科じゃないから、正確なことは言えないが・・・
>劉昫やあの欧陽脩ですら本紀としてまとめているし、趙翼の説があるから、武則天英主を認めもする。
>実際に武則天を災いとして扱ったのがいつの頃からか知らんけど、そういう背景はなんだ?
「英主」であったことと「災い」であったことは別だろう。
「英主」として、唐の繁栄の基本を作ってくれたのは唐にとっては「幸い」だが、
武則天は李氏のためにしたわけではない。武周や武氏のためにしたのであって、
唐の繁栄の基本を作ったのはその結果。目的ではない。
いわば、怪我の功名。むしろ、武則天の子以外の李氏は
皆殺しにしてしまったりして、李氏にとっては災いであった。
つまり、唐を李氏の血統に属するものとしてみた場合は災い、
唐を現在のような国家として考えたら、幸いになって、
武則天が唐にとって「英主」であったことと「災い」であったことは、
十分両立すると思うよ。
で、そこに儒教の婦徳がくっついて、「災い」としての面がクローズアップされるとw >それが粛清を重ね、皇族を殺したわけだからそれだけ見ればよく並べられる希代の嫌われ者呂后と大差ないじゃないか。
一緒だと思うよ
呂后もそれなりの政治的手腕の持ち主で、
後の文景の治や武帝の大遠征等の政治的・経済的基礎は呂后によって
作られたとも言われている。
ただ、武則天と違う点は、武則天以後の唐の皇帝は、武則天の末裔だったが、
呂后の後の漢の皇帝達は、呂氏とは関係のない人間だった。
したがって、唐は苦々しく思いつつも、皇帝のお母様・お祖母様に
あたる人を悪く書くわけには行かず、悪女ではあったが、英主であった
と記録に残し、呂后は、遠慮なく筆誅を加えられた、という所じゃないかな? >>213が先に書いちゃっていたね
>結局、政治手腕は認めるが、それを得るまでの手段は認めん、というところか?
そういうところじゃないのか? ID:4r6ykxoL0は自分で『男のメンツ』『男女差別』を持ち出しておきながら、
都合が悪くなったら「もうその話はしてません」、だとさw
くやしいのうw
くししいのうw
>>216
ああ、自演の疑いをかけられた人ですか。
どうもすみませんね、迷惑かけて。
まぁ、結局自分は、三国魏から脈々と続く体制、貴族制であるとかの
その最末期に現出した女帝という、今までにないものが、どう扱われ
思われるのか、というところにたいへん興味があり、
なぜ、前唐後唐とならなかったのか、という問いかけに反応しただけなんだがな。
面白い事実として、唐朝には皇后不在の期間が思いのほかあるそうだ。
これは『中国の歴史 絢爛たる世界帝国』に書かれていたことだけど
全皇后が存在した期間が72年で、唐朝300年(正確には290年)の4分の3に留まり
そのうちの23年が則天武后の時代で占められていたという。
呂后と違い、皇帝になれた側面がこのあたりにうかがい知れるようだ。
英明の憲宗が皇后を置かなかったことも疑問に思える。
これが武則天の先例を慮ってのことと思えば面白い。
皇后となるべき女性だけでなく、北族的な気風のある唐では
女性の積極性が垣間見れて、それを抑える制度がない。
では空位にしかず、ということで皇后をおかなかったことが指摘されている。
これは唐の時代性が、女性の政治関与を縛ってはいない性格に由来するもの。
儒教倫理よりも貴族的文学的性格が優先された結果とみることができる、と。
であれば、唐以降の北族でない気風の文化であった場合、武則天が
扱われた背景がどのようなものか、興味深いとは思うがね。
>ああ、自演の疑いをかけられた人ですか。
w
自作自演厨乙w いくらIDを変えようが『男のメンツ』について語っているのはお前一人なんだよw 武則天死後、彼女の子孫を頂点とした政権が続いてる。
彼らは彼女の夫である高宗の子孫でもある。
彼女の政権の前政権は、彼女の子供が名義上とはいえ頂点に立っている。
武昭の姓は『武』であるが、彼女は李治(高宗)の妻である。
妻なんだから、たとえ本人が否定したとしても、
彼女は李氏の一族に組み込まれたと考えて良い。
よって、姓が違かろうが継続してたし、実際、続いてる。
以上により武周は、一時的な王朝であるため、唐の中に組み込まれている。 ようやくまともな議論ができそう
男のメンツだの男女差別だのはもううんざり
武照は後継では太平公主を指名しとけばよかったと思う
二代続いての女帝なら所詮は一過性のものとしてかたずけられないしな
もっともその場合でさえ太平公主が唐を復活させる可能性が残るが
■コピペ奨励・人殺しが野放しに!!■
【人殺し】時津風部屋親方・双津竜順一(山本順一)容疑者【人殺し】
時津風部屋の親方ですが、17歳の少年を集団暴行の殺害し、その上被害者を中傷し
さらに隠ぺい工作までした鬼畜です。このような人殺しが角界にいては日本の恥です。
双津竜が二度と社会に出られないように皆さんご協力ください。
>>222
んー意味ないな。
わざわざ娘を立てて女帝なんて怪しげなものに拘る必要はないでしょう。
血統は変わらんのだしリスクが増すだけだと思うよ。
結局実際に行った自ら人材を引き立てて恩顧を与え勢力を固めるってやり方以外ないでしょ。
武周王朝の確立には及ばなかったが、譲位が比較的穏当に済んだ要因にはなってると思うし。 NHKの則天武后のドラマでは後継者問題で武后が大臣と相談するシーンがあったな。
武后「そなた、太平の事はどう思う?」
大臣「公主様は我侭勝手、それに公主様が帝位につけば必ず骨肉の争いが起こりましょう」
武則天ってあまり大規模な土木事業のイメージは少ないね。
仏教関係で、多少はあったけど。 確か愛人の僧がせっかく造った天堂を焼いちゃったんだったな。
もし今でも残ってたら評価も多少違ってたかもな。
西太后が艦隊にまわす金を宮殿に使ったことで当時非難を受けたが、
今ではそこは北京の観光スポットになっていて後世に遺産を残したとして評価されてる。
けど、中国人にとっては理屈はわかっていても複雑だろうな。
>>227
いや仏像に使う金は相当な額。
ある寺の明堂を建設するだけで、数億(銭か両か忘れたw結構重要なのに)注いだ。
ただ、唐代の仏教の隆盛を考えれば、それもある種の必然性が感じられる。 大規模な土木事業や、軍事的な遠征。
武則天にはあまりイメージとしては付随しないけど、
実際はなかなかのことをやっている。 まさか武則天の軍事的な遠征って高句麗を滅ぼした件じゃないだろうな。
大学入試で高句麗を滅ぼした唐の皇帝を聞かれた時に武則天だなんて答える馬鹿はいないよ。
武則天が軍事的に成功しただなんて息を吐くように捏造する奴っているんだな。
武周は他国に攻められっぱなしだってもちろん知ってるよな。 皇后のころの指導力は評価に値しないということ?
他国に攻められっぱなしはそうだな。突厥の復活がこの頃だったな。
武則天の意識が内に向けられすぎていた、というのがその主な要因。
しかし、その煽り口調はなんとかならんのかね。 >皇后のころの指導力は評価に値しないということ?
あくまで唐の高宗皇帝のもとでの賢后としての指導力だという基本的なことはおさえておいたほうがいいぞ。
そうじゃないと武則天は『軍事的な遠征』をしただなんて悪質な捏造をする奴がこのスレではいるからな。 武則天は高句麗に軍事的な遠征を行った
高句麗に軍事的な遠征を行った時の唐の皇帝は高宗
単なる言葉遊びに過ぎない >武則天は高句麗に軍事的な遠征を行った
行っていませんw
『男のメンツ』『男女差別』『武則天は高句麗に軍事的な遠征』
武則天マンセーは伝説を次々と作り出していきますなw Qさまのクイズで武則天が問題に出てたが
説明で「恐怖政治をしいた暴君」って…… >説明で「恐怖政治をしいた暴君」って……
まさしくそれが一般常識なんだがな。
厳然とした現実を自分の目で見るのは、ただただ武則天をマンセーする奴にはつらいだろうなw
田中芳樹が書いた創竜伝一巻にはこうある。
『唐の則天武后を知っているか?血を見れば卒倒するほどデリケートなおばさんだったそうだが、
生涯にどれほど多くの人間を拷問にかけさせたり殺させたりしたかわからない。
貴様はそれと同じだよ。自分の手で切り刻んだものでないかぎり、
自分の手が汚れていないとでも思ってるのか?』 田中は所詮ライトノベル作家だから作中の誰かに入れ込むことでしか歴史モノ書けない
東郷の勝利を局地戦と言いながら劉永福を英雄視するダブスタとか、本人無意識だし
もはや滑稽 劉永福を主人公とする小説ならいいじゃん。
実際に東郷は局地戦勝利の英雄だし、劉永福もそうだろうが。
それにしても、それってどこかで聞いた話だな… もしかしてコピペ? 件の創竜伝だろ?田中のダブルスタンダート。言っておくが、創竜伝の主役は劉永福じゃないぞ。
ヨッシーの素晴らしさは名将百選では陳慶之を知らなくて、後から教えた貰ったのに
その次には臆面も無く陳慶之マンセー小説(主人公マンセーしか書けないけど)を書ける厨坊さ。いい歳してね。
そして自分を啓蒙家だと思ってオウムのように「日本人は三国志しかしらない、三国志しかしらない」と繰り返す所。
彼の人に啓蒙されるのは、彼以下の厨房しかいない。>>239みたいなw よく知らんが、後から知った人物をスゲーと思うのは
別にいいことなんじゃないの?
自分はそれがよくあるがな。特に、現在調べ物進行中だけに。
それにさ、三国志とか史記あたりの「日本語で読める」ものしか知らんというのは
一面大当たりだと思うな。この板見てると、そうでない人の方が圧倒的少数という。 >局地戦
東郷の勝利は空前絶後のパーフェクトゲーム。
陸で日本如きの弱小国と一進一退が続いていたロシアにとって不愉快すぎる敗北。
逆のことをロシアがやって制海権を握ってれば日本の無条件降伏もありえる可能性。
まあその場合イギリスが自分たちの権益の為に何とかしてくれるだろうが、
日本の都合は一切配慮されないものになったことだろう。
>陳慶之
戦績だけ見れば韓信並みの化け物。
増援がないから獲得した土地を維持できなかった。
それは南朝の政権としての脆弱さだけを示すもので彼が不世出の天才であることに疑問を挟む余地はない。
ガイエ先生好みの名将がそのまま史実から見つかったんだからマンセーするのも当然だろう。
厨でなければ小説など書けない。 すごい・・・
このスレでここまで議論が活発になるとは思わなかった。
ただし、田中は銀河英雄伝説でピークだというのが俺の意見だ。 今まで「信玄・謙信最強」と思ってた人が、戦史の信長や元就を知って、急に後者をマンセーし始める痛さに通じるモンがあるな>田中
武則天関係ないけど 彼女のやった密告政治は批判されてしかるべきだ。
また、酷吏が幅を利かせたのも事実。
ただ、彼女だけがそのての事をしたワケじゃない。
唐太宗も後ろ暗い部分はあるし、康煕帝だってある。
彼らが賞賛され、彼女が非難されるのならフェアじゃない。
やはり纂奪者であり、その政権が一代限りだったのがマイナスか。 >>247
勝ちっぷりだけならそうなんだが、劉裕、桓温は一定期間は北伐して獲得した領域を維持できていたぞ
この両名は韓信以上の名将になるのか?
どうも、陳慶之は過大評価になっている気がする >>252
自分の代くらいは保持できてたら、その通りでもかまわんだろう。
当時の江南の国力で南朝が北朝に勝つのはそれくらい凄い。
しかし劉裕も桓温も政権の中でそれこそ簒奪も視野に入るような強力な地盤を持ってた。
梁武帝の子飼い止まりで終わった陳慶之よりは使える戦力と国力ははるかに上で有利。
だからその二人は「恒久的な維持に失敗した」ということで減点するのが妥当では? 田中は唐太宗の玄武門の変を必死で擁護してるからな。
先に手を出したのは皇太子とまで書いてる。
太宗が兄弟の一族を皆殺しにし、その妾を自分の後宮に入れたなんて間違っても書かない。
これに対し陳舜臣は、
『後世の史家がどのように美化しようが、太宗が兄弟殺しをした事実を消す事はできない』
って書いてる。 >Qさまのクイズで武則天が問題に出てたが
>説明で「恐怖政治をしいた暴君」って……
武則天をクイズに出すとしたら、どんな設問が他にできるかな。
女帝ということを出したらそれだけでわかっちゃうし・・・
・父帝の後宮にいて、その死後寺に入れられたが、息子の皇帝の皇后になった
・ライバルの皇后・側室を追い落とし、自分が皇后になった後、残酷な殺し方をした
・新しい漢字を作らせ、水戸光圀の「圀」がそれである
・皇帝に即位したのは、67歳のとき
・仏教を重んじ、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりとした
・晩年に美少年を寵愛した
他に何があるかな
その問題だとカルトクイズレベルだと思うぞ?
今のTV番組って、「クイズ番組」じゃなくて「クイズバラエティ」なんだから。
Qさまだって問題は「歴史上有名な女性の肖像画の名前を答えよ」だったんだから。
数字が多い程難しい扱いで武則天は8番目。一番難しいのは10番目の日野富子。
そんな簡単な問題も、一応高学歴な芸能人達は答えられない Qさまの問題文としては「中国史上ただひとりの女帝」で十分だろうね。
単独の早押しクイズなら、一代で終わったことや「聖神皇帝」「万歳通天」みたいな
かっこいいネーミングセンスなんかに触れるといいんでないかい。 238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 21:09:29 ID:3CVaEScC0
Qさまのクイズで武則天が問題に出てたが
説明で「恐怖政治をしいた暴君」って……
ハリウッドが、リドリースコット監督で、「女皇」という中国ものの映画を作るらしいけど、
ずばり武則天の映画なのかな? それだけじゃなんとも言えん
現代劇でもおかしくないタイトルじゃん 歴史ものでも、西大后だって、あるいは楊貴妃だってその
タイトルでよさそう 近いところで言うなら江青
宋姉妹とかでもおかしくないな 武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう? 洛陽は長安の陪都、大運河が洛陽までなので実は物流などに関しては洛陽の方が便利。
気候的にも洛陽がすごしやすいのでそっちで政治を取ることもあった。
遠出するのとは意味が違う。
食糧が不足した時期は、長安から洛陽に遷都、
ってのを度々やったようだけど、
実際は何人ぐらいが移動したんだろう?
恐らく数万人以上の規模になりそうだけど。
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
>>264
どれだけ遠方まで行ったかということになると
封禅の為に泰山やら嵩山に行ってる。
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
でも酷いことたくさんやったわりには大往生だったよね。
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
そういや、諸星大二郎のマンガでは、死後魔界に落ちて
魔后として魔界に君臨しているんだよなw 朱元璋って漏れ的には「魔」って印象ないな
貝塚ひろしのまんが「中国の歴史」の孤独で不幸な成り上がりものの印象が
強いせいかなw
「魔」はもっと不気味さや残酷さが欲しいな
武則天と釣りあう夫は誰だろう・・・毛沢東かな
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
>>287
武則天に謝れ
国を盛んにした大人物と国を破綻させた椰子と一緒にするな
ここから武則天の夫に相応しい男を検証するスレとなります。 >>290
その企画に対して、李稚奴が猛抗議するも、相手にされずに泣きべそ 268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
自画自賛してるけど、だれも誉めてくれないからだろ。 268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
自分に媚を売る奸臣が周りにいたにもかかわらず、
狄仁傑の諌言をきちんと聞いているあたり
政治家だな、と思ったよ
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
>>303
狄仁傑の諫言を受け入れずに、武則天が甥を後継者に選んでいたら、
どうなっただろうね?
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
>>307
事前に、徹底した唐の勢力を駆逐しておかなければ、
周は混乱が続いて、弱体化するだろうね。 しかし駆逐したら駆逐したで、その穴埋めが可能な人材を武周の名の下に
集めるのは至難の業なんで、やっぱり混乱が続いて弱体化だろうな。
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
>>311
李治の奥さんが頂点に立ってるだけ――っていうのが根本的にあったと思うんだ。
武則天なら李氏の一員。次も武氏(太平公主を含む)は有り得ない――こんな感じでは? 武即天のおかげで変な皇族淘汰でき、唐王朝長続きした説もある。 武則天に粛清された皇族を見ると、州の刺史をやっている連中が目につくけど、
あれって、地方で皇族が変に勢力を持っていたってこと? 結構レスがついてんなと思って久々にのぞいたら
変なコピペ野郎がwww
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
これはきっと、王皇后と蕭淑妃の呪いだろう。
憎らしい女のスレを荒らしてやろうという。 >>314
そういう感じだね
エカチェリーナ二世なんかもそうなんだったんだろうが、
武后の次は李氏なんだし、一時的なツナギとして大目に見よう、
垂簾政治に毛が生えたようなもの、って気持ちだったのかもね
268 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[age] 投稿日:2007/12/22(土) 17:42:05 ID:4EgplVq60
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264
地獄
>>320
武則天の志を理解して引き継げる人材に禅譲とまでは行かなかったのが
この人の限界なのかね。
武姓の人間もほとんどろくでもないのばっかりだったんだし、儒者にも
文句言わせない方法ではあると思うんだが。 >>322
それはちょっと・・・
そもそも武則天が皇帝になれたのは、皇后・皇太后だったからで、
武則天が皇帝になっても、次代はその息子で、息子や孫は李氏。
しかも、即位したときが既に65歳を過ぎていた。
だから、武周などわけわからんもんの期間はそんなに長くない、
いままで実質的な皇帝として君臨していたんだから、その延長と割り切って、
死ぬのを待てばいい、というのが、周囲の判断だったんじゃないか?
李氏以外の人間に禅譲したら、どれだけ相手が立派な人間であっても、
李氏勢力(といっても、武則天の子孫しかいなかったけど)、
黙ってはいなかったろう。 太平公主を後継者にしとけば何の問題もなかったのにな。 太平公主じゃ韋后と同じような末路になるんじゃないか?
玄宗に敗北しているあたり、武則天ほどの器量があるとは思えない。 武韋の禍
武后、韋后が嫁姑の関係というのは面白いな。
中国に橋田女史のような視聴率の取れる脚本家が現れて、
武后を主人公とした『渡る世間は鬼ばかり』みたいなのを、
作ってほしいものだ。 中宗は家庭運悪すぎ。
母親には疎んじられ、妻と娘には二人かがりで毒殺されてる。
まあ、武則天の子供で天寿を全うできたのは睿宗だけだが。 >>332
えい宗
玄宗どぼんするまでに安らかに永眠できただけでも幸せ。
>>324
浮かれてしまうと、周りがきちんと見えなくなる典型だったんだろう。 >>329
うーん、一応は平陽公主は武則天の義姉にもなるわけか >>335
平陽公主は武則天の義理の叔母でもある。 武則天の母の楊氏は隋の皇族出身・・・
ということは武則天の行動は隋の唐に対する復讐。
ドラマの最後の方で上官婉児に、そなたが女であったことを忘れていたみたいな感じの
セリフで彼女を許すシーンがあったけど、あれ良かったな。
原百代の本だと最後まで許さなかったから。
しかしドラマ→小説の順だったから登場人物がスムーズに頭に入った。
小説とドラマのイメージがかけ離れてるとも思わなかったし。
ドラマではかなりのエピソードと人物を省略してたけど話の整合性は取れてたし。
日本の大河ドラマよりよほどおもしろかった。
本場中国の人のこのドラマの評価はどんなもんなんだろう。
というか、BSでの放送はもうないんだろうか…。
第1・2話をみてないんだよ。韓流ドラマはもういいから。 上官婉児も掘り下げれば面白い人物だな。
太平公主といい韋后といい武則天の周りの女は曲者揃い。 テ・ジョヨン見てるとメッチャ出てくるねこの人。
やってる人もハマり役だと思う。 仲良くなかったら子ども5人〜6人も作らないよ
最終的にはどうかわからんけど ドラマ『皇帝・李世民』にも則天武后がでてきたな、終盤だが。 山西の田舎士族なので、もとは名門ではない。
武則天以後の武氏は、けっこうしぶとく勢力を保った印象。
武周政権の最盛期の勢力には及ばないものの
武恵妃みたいな后妃を出したり
武元衡みたいな宰相を出したりしてるので、名門となったと言ってもいいかもしれない。 所詮一代限り。太宗どころか、玄宗にも及ばない。
太宗>>>玄宗>>>武則天>>>>>>高宗 一代限り長期王朝の間の皇帝って意味では王莽に似てるな 玄宗朝あたりは武周政権色がまだ濃厚に漂ってた。
王莽とは違うんです! 玄宗は武則天の孫だし武則天が登用した人材も残ってるからな いま16話まで見たけど
急に配役変わって
メダマドコー 権力思考のある人にとっては頂点だからじゃないの?
江青だって本当は共産党総書記や国家主席になりたかったんじゃないだろうか。 上官婉児の墓発見
ttp://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=76599 武則天の影にかくれてあまり目立たないけどいわゆる武韋の禍のもう一人の人物韋后も相当のワルだったんだろ? 武則天は、その後の玄宗による唐の最盛期に貢献というか影響与えてるんだろ >>363
三田村泰助は『宦官』で長期王朝は初期に無慈悲に思える大粛清を行い支配体制を確立する必要があり、これは通常は漢の高祖や明の洪武帝という初代皇帝が行うが唐の場合は初代の高祖や太宗に代わり武則天が粛清し玄宗の支配体制の露払いしたと指摘している。 >>337
たしか隋唐演義では武照は李密の生まれ変わりで唐へ復讐したことになってたな >>347
せっかく取り戻した王朝を滅亡させかけた玄宗が武則天よりも上って言われてもなぁ
名君と言われていた時期も武則天が残した名臣達のおかげの部分が大きいし 李氏にとっては簒奪者だから悪く書かれるけど、
国は治まってたし、人材を育成したり、人事も実力主義だったりで、
三代悪女に数えられるようには思えないんだよなあ。
問題があったのは権力闘争面だけって印象だし、それもどこまで誇張されてるかって感じ。
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JK法相puzzleジュネーブ法相イケヤパート正社員グリー総合芸術自然ニコチンカフェインほぼホームデポメネージャー 美青年飼ってセクロスしまくりって時点でもう常人じゃないよな
若々しい美人じゃなかったら男のほうからすると拷問だがw 武則天が寵愛した美青年というのは
何人ぐらい居たのですか? 武則天を検索すると、額に焼印を押されるのを嫌って尼寺ではなく道教寺院のほうで
出家したってあるけど、感業寺って仏教寺院では…?
昔BSのドラマでみたときも頭剃ってたし
額に焼印を〜という説を書いてるサイトは複数あるけど、どこのサイトでも感業寺については全く触れていない
というかどこも同じ文章だし
尼になったら焼印を押されるというのもはじめて見たけど参考資料はなんなんだろう 【8世紀初頭】遣唐使、則天武后に「倭」から「日本」へ国号の変更を申請→ 則天武后、これを承認→ 以降「日本」という国号を使う
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1510822309/ 則天武后標記→実は武則天標記が正しい→やっぱり則天武后標記の方が正しい
みたいに変遷してると他所で見たけど本当? 則天皇帝でいいのにな
武后じゃ単なる妃
昔は英語で「武夫人」みたいな訳もあったらしいし・・・・
頑なに「エンプレス」とは言いたくなかったのだろうか
しかし今も一応唐の皇室の子孫は残っている。唐の皇帝って最後の最後まで武則天の
子孫。よく比較される前漢の皇帝たちは呂后の子孫ではないのとは大違い。
武則天が武則天の血をひかない李氏を絶滅させたからだがね
武則天亡き後も武氏は有力氏族としてずっと唐の中枢に残るし
呂后の死後に呂氏が絶滅した呂后とは全く異なる 韓国歴史ドラマの武則天
高句麗に出兵するも高句麗軍に何度も煮え湯を飲まされる唐軍
韓国語を話す武則天(もちろん女優は韓国人)「きぃいいいいいい」と悔しがる武則天の構図 <左遷貴族の乱>
高宗崩御から1年後に武則天から冷遇されて左遷された上流貴族達が不満を爆発させて武則天打倒を掲げて挙兵。
武則天の皇后擁立に功績のあった李勣の孫である徐敬業、徐敬猷の兄弟たちが同じく冷遇されて左遷された上流貴族たちと
図って挙兵に踏み切るも農民が参加しなかった為に兵が集まらず鎮圧される。この乱には駱賓王、韋超、顔崖も参加している。
唐の元勲の子や孫達はこの乱を支持するも相次いで敗退し。唐の建国に功績のあった上流貴族らは大きく力を落とす事となった。
<唐宗室の乱>
左遷貴族の乱から4年後にいよいよ武氏による簒奪の気配が高まる中、唐の宗室の李氏は中央に呼び出される。李氏を族滅する
気かと疑った李氏の諸王達は唐室の復権を掲げて挙兵。しかし、農民が参加しなかった為に兵が集まらず苦戦を強いられる。
また抜け駆けをした李氏の物が居て連携が取れずバラバラに戦う羽目となり各個撃破される。この乱には豫州刺史・李貞が
中心となり琅邪王・李沖、韓王・李元嘉、黄国公・李譔、范陽王・李藹、霍王・李元軌、江都王・李緒と言った李淵や李世民の
子達と言う李氏の有力な王族たちが参加している。この結果、武則天と高宗の血をひかない唐宗室の王達は大きく力を落とす事となった。 不満を抱えていた左遷組上流貴族と武氏の簒奪を阻止し唐の復権を目指す唐の宗室の諸王の
二つの反乱を鎮圧した結果武則天を止める勢力は存在しなくなった。
王莽の時の赤眉の乱のような農民一揆が発生していたら彼らにも勝算はあっただろう。
武則天は王莽よりも遥かに有能で国の統治がうまくいっていた為そのような
農民一揆は無かった。同じ周を理想としながらも理想をそのまま実現しようとした王莽と
現実に即した武則天の血が居であった。 >>380
BSで再放送やってたから1話からずっと見ている。
しかしな〜
李世民(598年1月28日誕生)
武則天(624年2月17日誕生)
で年齢差は26歳
李世民が14歳(女子中学二年生)の少女に入れ込む40歳のロリコン中年男の構図になってて
ちょっとキモかったw
太白星の「女帝武」の予言が出た時ですら16歳(女子高生2年生)ぐらいで・・・
まあビンビンが30代半ばのBBAだったからそんな風に見えなかったけどね >>357-358
俺の夏休みの宿題
録画したこのドラマ全話消化すること もし武則天が男だったら簒奪の話は置いておくとして
後の世からその治世を評価するなら漢の武帝ぐらいの評価を得てもおかしくはなかったね
突厥と高句麗を滅ぼして漢武帝の最大版図を超える領土になったんだしさ
一番「武宗」(※姓の武の事じゃないよ)と言う贈名がシックリくる君主だっただろう >>357
誰の配役が変わったの?
昨日観たが分からなかった >>366
人物鑑定だけはズバ抜けていたよねえ、本当
えこ贔屓をいろいろ言われていたらしいけど、贔屓にされるべく実力者ばかりだし 李義府の息子も李義府が失脚後に武則天から重用されてたけどあれはちょっと縁故採用の気もするが
まあまあ有能だった様子
ただ父親と違って真面目な性格で悪だくみとかには長けてなかったみたい >>377
朝鮮語だろ!
粗悪品ドラマだな、中国ドラマだと、抗日ドラマでも配音で中国が演じる日本兵も
ドラマ上は日本語音声に中文字幕だけどね。
吉林のテレビ、延吉衛視は朝鮮語チャンネルだけど。
ドラマの大半が他言語の場合は中国語だけど、蒙古素材のドラマ。
例:打仗天才忽必烈、成吉思汗など。 韓国ドラマだと武則天なんて完全な悪党だしな〜
煬帝と李世民もだが シュメールでも女王は一人だけだったなあ
そう言えば、中国には一人も女王はいないのか >>390
秦の始皇帝以後の皇帝に女は一人だけ
それより前の夏・殷・周に女王は居ない 武則天の時代はいわゆる鮮卑仏教王朝。元が遊牧民ゆえ女性の発言権が大きくついには皇帝にまでなった。 しかしそののち、王朝自体がいわゆる中原儒教に染まり、女性蔑視になってしまった。武則天の悪行は後の歴史書で散々これでもかと書かれているが、まあそんなわけである。人材登用の鋭さ、周辺国への対応等素晴らしい時代であった。 ワシはファンビンビンのファンであるから、リアル武そくてんであってほしいと願っておる。 東西突厥を服属させ、百済を滅ぼし、高句麗までも滅ぼし、日本にも勝利
前漢武帝時代の最大版図を超える大帝国を作り上げたのは武側天の時代 5年も前のにレス付けるのもなんだが。>>370美青年飼ってセクロスしまくりって時点でもう常人じゃないよな 若々しい美人じゃなかったら男のほうからすると拷問だがw 男の皇帝が108人の美女を考究に入れセクロス=当たり前 女の皇帝武側天 常人じゃない。 ハァ ? 108人美男子がいてもいいと思うが。 儒教恐ろしや。 宋の儒学者は
「“牝の豕はあわて騒いで静かにせず”ということを戒めとし、男は尊く女は卑しい。
どうして老婆(武則天の事)が閨房から出て、国家の政治を裁断することが許されようか」
とこんな感じですからな〜
朱子学と言う儒教原理主義みたいなものまで後に出る始末。武則天の評価が悪いのは
儒学者のせい。 あと中国の歴代皇帝の中で80歳を超える長寿だったのはわずかに3人しかいない
武則天もその一人
たいてい50代〜60代で死んでいるのが多い 本来80まで生きるように作られていない
40ちょっとで死ぬようにできている 後漢の皇帝とかほとんど40までに死んでいる・・・・
他の王朝の皇帝も結構早死にしている そしてその極致が、1591(天正19)年における天皇への諸国郡図の献納であり、これをもって日本全国は天皇の統治下に置かれたことが象徴的に示され、最後に、その天皇の朝貢命令に従わない朝鮮に対して「征伐」の軍を出すことが命じられた。2度にわたる朝鮮出兵も天皇の命によるものだったのだ。 屯騎校尉は旧主を尊び、節操固く心変わりしなかった。
任命を受けた後は世の規範となるよう心を尽くし、軍需担当として頼みにされ、よく任務を遂行し補給した。
王文儀を賛える コーエーの三国志14で古武将扱いで初めて武照が登場したね。能力的には李世民に及ばないけど。 武周の武則天「これより倭を日本(ひのもと)、
大王(おおきみ)を天皇と改めよ」
遣周使・山上億良「有りがたき幸せにおじゃる」
↓
勤皇大名の越後屋光右衛門
「流石は武照、人間の器がでかい
どこぞの日沈む国の天子とはえらい違いや
そや諱に周字(則天文字)の圀を使うたろ」 ニコニコ大百科「武則天」の記事にて歴史を知らないガイジ老人(UY/Scoz/G8)が発狂中でワロタ
https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%AD%A6%E5%89%87%E5%A4%A9
>>1
歴史を勝ち負け・優劣でしか考えられない歪んだ幼稚園児くん
馬鹿すぎて笑える 親もこんなゴミニート殺せよ
>>中国史と比べたらの話ね。家康が長期政権を作ったのはすごいけど家康の時代以前の中国には劉邦や朱元璋と言った家康の上位互角とも呼べる人物がいるから見劣りするだけだよ。 則天文字で有名なのは「圀」だけどもう一つ「〇」も有名
本来の則天文字の意味とは全然違うけど、のちの時代に漢数字の0(零)を表すようになった 陛下は唯一の女帝ではございません。
後魏孝明帝の女が霊太后に擁立されて1日在位しておりまする。
唯一の女帝などと僭称なさるのは、宜しくないかと愚考つかまつりまする。
頓首頓首死罪死罪。 >>406
アレは冗談でやった事だとしか思えんよな。 女優たちがトロフィーワイフとして富豪と結婚することに対して
ファンビンビン「私は富豪と結婚する気は無い、なぜなら私自身が富豪だからだ」
武則天を垣間見たw