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☆★☆ 武 則 天 ☆★☆
0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/26(木) 13:43:58ID:w0u6UrQP0
中国の歴史上で唯一の女性皇帝にして、美貌と実力を兼ね備えた最強の女傑である武則天について語りましょう。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/26(木) 13:50:46ID:w0u6UrQP0
唯一の女性皇帝であることに加え、高宗の皇后時代や皇太后時代を比べると、
実質的に半世紀も中国を統治し、朝廷内の政争はともかく、内政外交共に、
ほとんど乱れがないばかりか、唐朝の版図も最大規模に拡大。
皇帝、政治家としても超一流の部類に入れてもいいと思います。
0003名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/26(木) 16:33:14ID:V3dQq19u0
政敵粛清に酷吏を用いて、後に用済みになるとそれらも粛清して
自分に泥が被らない様にした。
粛清テクニックはスターリンにも劣らない。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/27(金) 00:54:04ID:X6f4Dp+60
今の世にいたら、きつい感じのばりばりのキャリアウーマンになっていただろうね。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/28(土) 10:35:51ID:BavDBui30
>>3
酷吏を用いた恐怖政治は、よく非難の的になるけど、
あくまで政治に絡んだ人物を的にした、朝廷内の権力闘争であって、
最下層の庶民には関係のない話。
民乱の類がほとんどないところを見ると、庶民には暮らしやすい時代だったんだと思う。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/29(日) 12:01:13ID:26deI4230
でも、王皇后を失脚させるために、自分が腹を痛めて産んだ赤子を絞め殺すところが恐ろしい。
0008よいどれみら某 ◆UnCmUnUn.U
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2006/10/29(日) 17:39:39ID:zcSLopU+0
サバイバルだからねぇ。

いったん権力闘争にエントリーしちゃったらもーね。。。
呂后や西太后の例は極端だとしても敗者は、、、ガクブル
0010名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/30(月) 21:37:58ID:mh/yIKxh0
>>6
むしろ庶民にとっては武則天の密告政策は有難いものだった。
普段、自分らを搾取する悪徳地主や雲の上の存在の貴族を蹴落として
上手くすれば褒美&官吏登用の道が開けた。

この人を小説化した原百代女史は手放しで賞賛していたよ。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/30(月) 23:32:40ID:eNAY3jyj0
それまで政権内を牛耳っていた関隴貴族集団を配して、
格式の低い家から積極的に人材を採ったからね。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/31(火) 14:54:32ID:A+oh1Jup0
武則天時代に新たに登用された人材が、後の玄宗期の前半、
唐の最盛期と言ってもよい開元の治を実現することになる。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/06(月) 14:13:49ID:V8MlL4X+0
その新たに登用された人材たちの、武則天個人への忠誠度はどれくらいだったのかな?
0014名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/09(木) 14:20:53ID:mV19FHeG0
>>13
武則天退位の際に泣いて別離を悲しんだ姚崇から
飽くまでも武則天政権を過渡的な物として冷静に見ていた狄仁傑と
上下の幅が激しい。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/14(火) 19:54:41ID:yxgR08jb0
独自の漢字もいくつか使ってたよな。
「圀」とか。
他にも武則天みたいに独自の漢字を作った皇帝っていたのかな?
0019名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/14(火) 23:15:45ID:YBw/bV9U0
ぶっちゃけ李世民より実力は上なんじゃないだろうか。

そういや、李世民は武則天にもちゃんと手はつけたんだろうか。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/15(水) 22:46:31ID:FGEe++Y80
武后といえば思い出されるのが永泰公主陵墓の壁画だ。
日本の高松塚古墳の壁画によく似ているという公主陵墓の壁画を思い浮かべる。
武后は章懐太子や永泰公主などに死を命じているね。
粛清の連続という恐怖政治だが、実の息子や孫娘を殺さなければいけない理由とは何だろう。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/15(水) 23:13:42ID:3SWE8QAF0
>>4
>西のマリアテレジア、東の武則天。

これはマリア・テレジアに失礼だろう。
マリア・テレジアに唯一残酷な点があるとすれば、
売春婦に鞭打ちの刑をくらわし、存在を許さなかったぐらい。
則天武后のように酷吏や酷刑に頼るブラックなことなど考えもせず、
マリア・テレジアは啓蒙専制君主の一人として立派に国を治めている。

0024名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/16(木) 01:24:58ID:zctZD3M5O
李世民以来重要な役職を独占していた関隴集団を遠ざけ
有能な人材を多数登用したのも武則天
0025名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/16(木) 07:22:15ID:I7l2r3sB0
>>20
ありがとう。確認した。
孫休は学究肌の文人志向の人だったみたいだね。
裴松之が注としてひいた呉録に載っていたみたいだが、この行為について批判をしてたわw
0027名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/16(木) 20:57:09ID:Z3wfjH4dO
孫休さんのは単に昔の字を組み合わせた感じだけど
則天文字は明/空とか一生とか哲学的?な雰囲気があって面白いね
0028名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/16(木) 22:24:13ID:/GUB3BCZ0
高祖 ☆
太宗 ☆☆☆☆★
則天武后 ☆☆☆☆☆
玄宗 ☆☆☆☆☆
0035名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/17(金) 02:21:36ID:f7iK5D2a0
エカテリーナ2世と武后はよく似ている。

だが武后のある一面のオリジナル性は世界に類を見ないもの。
中国人独特のものだ。西洋人はかなわんかもしれぬな。
0037名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/17(金) 09:42:32ID:iRFfXZqc0
中国3大悪女の一人である呂后・則天武后・西太后
西洋最悪の悪女といわれるカトリーヌ・ド・メディチ

息子が馬鹿だったという点だけは共通してるな。
0038名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/17(金) 10:55:37ID:iRFfXZqc0
>>37
間違えた・・・

中国3大悪女の呂后・則天武后・西太后
西洋最悪の悪女といわれるカトリーヌ・ド・メディチ

息子が馬鹿だったという点だけは共通してるな。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/20(月) 18:37:55ID:BJy4P//j0
武則天の場合、利口な息子はみんな始末されてった結果バカが残っただけ。
西太后の息子若死にしすぎてバカかどうか判別つかん。
呂后の息子もバカとは言われてないんですけど。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/21(火) 21:29:23ID:OwOxPfgt0
武お嬢ちゃんの少女時代はどんな感じだったんだろう
0041名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/21(火) 23:25:46ID:k5PZRR0S0
母親は父の後妻、すでに成人した前妻の子(武后の異母兄)に侮られながら
媚娘(武后)とその姉を育てた。
武后が赤ちゃんの頃、男の子の格好をさせて人相見に見せたら
「この子が女の子なら天下を取るだろうに、男児とは惜しい事」
と言われたらしい。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/24(金) 21:00:23ID:MjhBXbDH0
謀略100なら同感だが
政治100はないだろう。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/26(日) 23:07:27ID:aa83NeyM0
上司に武則天みたいな人がいたら、きついだろうねえ。
容赦ない命令が飛んで、無能と判断されたら則追放だろうなあ。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/27(月) 00:22:01ID:mAJXpJf80
圀これ作ったってマジ?
0053名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/02(土) 12:37:27ID:Z5woXNIb0
原百代の小説に武后の若い頃はこんなじゃなかったかなーって感じで
中国の女の子の写真が載ってた。
二重で目がパッチリしてて、彫りの深い顔立ち。
今の日本で言うとそこまで美人とは言えないが、可愛いとか健康美って感じだった。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/03(日) 11:23:33ID:C4DCga500
スタイルは唐代にもてはやされたグラマー系だったんだろうか
0055名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/03(日) 17:25:53ID:LA6s3ekd0
8年ほど前にNHK・BSでやっていた中国中央電視台制作「則天武后」の配役はそれぞれハマっていたな。
武后・太宗・李治・李 責力(リセキ)・長孫無忌・
索元礼・ハイ炎 等々・・・
0057名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/03(日) 19:05:44ID:66zE3JW20
>>54
細いんじゃなかったっけ?
で、太宗の好みではなかった、と
0059名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/11(月) 00:29:40ID:dtMqiwXZ0

504 :奥さまは名無しさん :2006/12/10(日) 13:24:26 ID:Vq5CR5hD
スレ違いだけど、某中国語字幕翻訳家が
自分のブログに 劉暁慶版則天武后ドラマの字幕を作成中と書いていた。
(劉女史自身がリメイクに挑戦した最新版ではなく一昔前の、BSで
放映したことのある古いバージョンみたい)。

とりあえずDVDあたりが出るんじゃないだろうか。
出るとすればコ○ービデオな予感だけど orz
0060名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/15(金) 23:57:13ID:JEeyU0e40
吹き替えはなしだろうな。
吹き替え入れると、1話あたり100〜200万円もかかって、
ノーカットの場合は採算が合わないらしい。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2006/12/20(水) 23:59:19ID:XZXHt9vq0
康熙王朝とかと同じ扱いじゃないかな
0063名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/21(木) 11:20:04ID:Ph73ZbEd0
金庸原作の某武侠ドラマを日本語ソフト化してくれている某メーカーは、
日本語吹き替え・字幕に加えて、中国語字幕までつけてくれて原語を確認できる上、
DVDの画質クオリティが高く、現地版DVDよりはるかにいいと評判だけど、
メーカーの中の人が熱心なヲタらしいな。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2006/12/29(金) 13:23:05ID:LI+70RQ40
正月番組(録画風景)で「武則天」の主題歌を歌う劉暁慶姐。
ttp://ent.sina.com.cn/v/m/p/2006-12-29/10101390977.html
0066名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/01(月) 22:21:19ID:1s5fXtfF0
今リアルタイムで見ている。

暁慶姐御、すっげえ迫力で出てきてワクテカ(でも歌は・・・)
0067名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/02(火) 15:21:50ID:O8SaJtfJ0
劉暁慶って一度逮捕されたよね。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/25(木) 19:46:20ID:Apl9OmZU0
最近、フランス在住の中国人女性の手による
「女帝-我が名は則天武后」を読んだけど、原百代の方がずっと上だった
0074名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/25(木) 19:52:35ID:Apl9OmZU0
>>39
確かに呂后の息子は、「バカ」とは言われてはいないけど、
気が弱くてもうちょっとで廃嫡されるところだった。
そもそも、ご本人がもうちょっとしっかりしていたら、
たとえ、戚妃が余計なおねだりしたところで、劉邦も聞き入れはしなかったろう。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/26(金) 22:43:30ID:qzDO4Evy0
>>72
原百代の本じゃ、

赤ん坊の面倒などをろくに見たことも無い皇后が、善意のつもりですっぽりと
布団で包んだんで窒息死

自然死(乳児の突然死)

冬季であれば赤ん坊の部屋に暖房用として置かれた木炭火鉢による中毒死

って説があがってた。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/27(土) 12:12:41ID:mDdR+Yjy0
>>74
息子の資質云々は言い訳だと思う。
成長した息子より小さい子の方がカワイイ、賢い子に見えるもんだし。
何より寵妃にせっつかれて太子を代えるわけだから。
007774
垢版 |
2007/01/27(土) 13:06:00ID:6m5Mz3tt0
>>76
でもな、やっぱり、呂后の息子は甘いわけよ。

戚妃の子の如意が殺されないよう、自分のそばに置いた、というけど、
そもそも、まだ王朝は二代目、安定していない時期に、
どのような理由であれ、先帝が後継者にと一度は思った相手を見逃したら、
いつ、不満分子がそれを担ぎ上げてくるかわからないのに、
そういう相手を保護するというのは、ちょっと、自分の立場がわかっていないのでは?

また、その守り方にしても、ある日、狩に出かけようとし、
寝ているから起こすのはかわいそうだ、と放置して出かけて、その間に
殺されてしまったなど、詰めが甘いと思う。

そのあたり考えると、「バカ」ではなくとも、政治的手腕があるとは思えない。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/31(水) 18:23:58ID:5hqU7vVP0
権謀術数なら「六韜」と「三略」でそ。
「春秋」も謀略ネタ多いし。

そういや、ドラマの「武則天」の中で長男が「春秋」読んで怒ってたな。
「親子や兄弟が殺しあう歴史の本がなんで儒教の教科書なんだ!」とかなんとか。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/01(木) 10:28:55ID:7kSdqHe50
>>82
簫何や張良といった人材がいたんだから、息子の家庭教師もしてもらえばよかったのにw

でもさ、こうしてみると、呂后と武則天の評価の違いって、
結局、呂后の死後の漢の皇帝は、呂后の子孫ではなかった。
武則天の後の唐の皇帝は、武則天の子孫だった、って所から来てるんだろうね。

だから、呂后は、後世の歴史家から遠慮なく筆誅を加えられたが、
唐は、皇帝の直接のお祖母様、曾祖母様である方をあまり貶めるわけもいかず、
悪女・・・婦徳はなかったが、英主であった、と描くよりしかたなかったんだろうね。

まあ、俗説レベルですが。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/01(木) 21:32:07ID:qqwwF2+n0
中国の正史は、前王朝の歴史を後の王朝が書くので
皇帝の先祖とかあんまり書く側には関係なかったりする。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/03(土) 20:09:58ID:h8+xsO/m0
>>83
結局、高宗と一緒に葬ることになったしね。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/04(日) 12:06:41ID:aw5fOf5L0
>>86
皇帝としては一切認めず、あくまで「皇后」としてしか扱わなかった、
ってことだね。

でもさ、完全にその存在を抹消しなかったというのは、面白いね。
古代エジプトのハトシェプスト女王は、次代の王からその業績を
完全に抹殺されたというのに。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/04(日) 12:50:22ID:ObInEwQx0
孝とか祖先に対する観念が違うからかな。
「廃后」「廃帝」されて庶人扱いされる場合も史書には載るし。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/04(日) 20:23:30ID:CfxtORmk0
いや、武曌本人の遺言だった筈。
死後は、皇帝ではなく、皇后として葬って扱ってくれと。
だから「武則天」じゃなくて「則天武后」と。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/04(日) 23:20:25ID:0qadWPfZ0
死ぬ前の武則天ってどんな感じだったんだろう。

かなり耄碌していたのかな。
張兄弟を寵愛したあたりとか。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/04(日) 23:49:57ID:ObInEwQx0
劉暁慶のドラマだとすげーヨイヨイの婆さんになってた。
原百代も「老いては麒麟も駑馬に如かず」って書いてたし。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/05(月) 00:18:49ID:968/IW4c0
まあ、皇后として葬ってくれという遺言を残したのか、捏造wされたのか、
わからないけど、一応、唐は、皇后位を剥奪はしなかったね。
やっぱり、それが「孝」なのかね?

呂后も皇后を剥奪されたのは、光武帝のときらしいね。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/05(月) 18:26:14ID:2S0yxpz10
玄宗系李氏の始祖なんだから廃后扱いは出来ないでしょ。
でも皇后として埋葬してくれという遺言は張柬之らの捏造。
その張柬之もすぐ失脚して流刑途中に死亡したのは武則天ファンから見れば
因果応報に見える。
原百代の小説でも好意的に描かれてないからな、この爺さん。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/05(月) 18:49:13ID:f9dyP2L10
いや、遺言が捏造かどうかは微妙だと思うよ。
客観的に見て、武則天は生きているうちに皇帝の座を失った所謂「廃帝」だ。
一代で皇帝の座に上り詰めた女傑だが、同時に一代でそれを失った「廃帝」だ。

唐以前の「廃帝」も、唐以後の「廃帝」もマトモな人間としては扱われていない。
大きく分ければ、馬鹿か暴君の二種類しかいない。
(馬鹿で暴君もいるし、そうでないのもいるけれど。)

その「廃帝」である武則天さん。
「皇后として云々」は、むしろ息子への懇願にさえ思えてしまうのだが・・・。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/05(月) 19:05:36ID:2S0yxpz10
狄仁傑の進言に従って一度は廃した中宗を復帰させた時点で
「我が武周王朝は私一代で終わるのだろう」と諦めていたのかもしれない。
子の中で特に寵愛していた太平公主を皇太女にしなかったのが悔やまれる。

やはり来俊臣の進言通り狄仁傑も粛清しておけばよかったのかもね。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/06(火) 00:24:37ID:SnxzNA8v0
武姓の甥とかそのあたりに太平公主を娶わせて〜と言っても
異母兄の一族は気に食わないし、同母姉を殺っちまったお陰で
そっちの息子も始末せにゃならんかったし。
なまじ息子ばっかり産んじゃったのが災いというか。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/26(月) 23:32:43ID:THGhnWx10
来俊臣もそのへんの弱点を突いて、王朝乗っ取りを狙っていたとか。

まあ、どのみち来俊臣じゃ無理な気がするけど。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/03/01(木) 18:41:18ID:2WHOVeN70
来俊臣も欲出して武氏一族まで酷密の対象にして墓穴掘ったな。
大人しく今までどおり官僚中心に追い落としていけば宰相まで登れたかもしれないのに。
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