□ □大唐英雄列伝□ □
唐朝の建国から滅亡までに、現れては消えていった武将や豪傑など、数々の英雄たちを語りましょう。
隋朝末期の戦乱、高祖李淵、太宗李世民の統一戦争に従事した、李靖、尉遅恭ら建国の二十四功臣。
唐朝中葉期には、西域での戦いで功績を上げた高仙芝、大反乱を起こした安禄山を初め各地に割拠した節度使。
そして唐朝に致命傷となる打撃を与えた黄巣、次の五代への時代の扉を押し開いた朱温、李克用等、
唐代には英雄と呼ぶに相応しい人物がたくさん登場しました。
彼らを大いに語りましょう! 高仙芝は高麗人、安禄山はソグド人だったようだし、
唐朝は漢民族以外の異民族も積極的に登用していたから、国際色豊かだよね。
華やかさがある。 まずは隋末戦乱期の英雄にして、唐朝建国の功臣、
庶民にも親しまれた英雄である尉遅敬徳と秦叔宝を推薦。 いや、推薦じゃなく語るんでしょ。
ここがすごいと思ったことを書くべし!
で、自分は河間王李孝恭がかっこいいと思う。
唐室李氏の縁戚で、隋末唐初の群雄群盗大乱舞期では、主に四川〜荊楚の平定を担当。
部下に古今名将李靖を持ち、中原で鹿を追っている李世民を横目に見ながら華南を転戦。
李靖とのコンビもなかなか良好だったようす。
後年には李世勣も加え、江南の平定を成し遂げた。
自身は豪放磊落な性格で遊び心のある人。しかし傲慢にならず功績を誇ることもなかった奥ゆかしさもあった。 誰か詳しい人凌煙閣二十四将全員の名前を教えて下さい
お願いします テンプレもってる…w
長孫無忌、李孝恭、杜如晦、魏徴、房玄齢、高士廉、尉遅敬徳、李靖、蕭ウ、
段志玄、劉弘基、屈突通、殷開山、柴紹、長孫順徳、張亮、侯君集、張公謹、程知節、
虞世南、劉政会、唐倹、李世勣、秦叔宝 凌烟閣
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E7%83%9F%E9%98%81
房玄齢、杜如晦、長孫無忌、魏徴、尉遅敬徳、李孝恭、高士廉、李靖、蕭瑀、段志玄、劉弘基、屈突通、殷開山、柴紹、
長孫順徳、張亮、侯君集、張公謹、程知節、虞世南、劉政會、唐儉、李勣、秦叔宝
>>6
一生懸命入力しているうちに、先越されちゃったw >>6-7
おお、早速ありがとうごさいます!
それにしても錚々たるメンバーですね
自分が好きな雲台二十八将の面々と比べるとすごい個性的な人物が多いですね >>6>>7
柴紹の代わりに平陽公主入れたら?w
>>10
最近、対応したと聞いた。 薛任貴も有名、物語などで民衆にも親しまれた英雄。
太宗李世民の高句麗討伐で頭角を現した武将。 大唐五大英雄
尉遅敬徳
秦叔宝
薛任貴
高仙芝
郭子儀
>>14
高仙芝は功績も大きいけど、有名な二つの戦いで負けたし、
敵前逃亡罪という軍人にしちゃ一番恥ずかしい罪名で処刑されちゃったからな。
逃亡の罪への罰なら受けよう
金品物資を横領したというのは
冤罪だ! 鮮卑系の姓だったと思うよ。
漢人化したけど。
他に、慕容とか、長孫とか、宇文とかね。 唐代後半期には、反抗する節度使の討伐に功を上げた武将もいるよね。 憲宗の節度使討伐がもっとも熱く、有名。
憲宗は父、徳宗期に楊炎の進言から実施された両税法による、国家財政の建て直しおよび藩鎮抑制の効果を基に、そして拡充した禁軍、神策軍をもってまず
西川節度使(使府は成都)の劉闢(りゅうへき)をはじめ、夏州、滄州、潞州、易州、蔡州を鎮定し、朝廷に服属させることに成功。
さらに青州の強大な領土を三分割させ、汴州を下し、いよいよ安史の乱以降、藩鎮の兵乱の患部ともいうべき、反側の地である幽州、恒州、魏州のすなわち、河朔三鎮の仕置きにかかった。
魏博天雄軍の強兵を率いた田氏を伐ち、河朔三鎮にくさびを打ち込んだところで、憲宗は燃え尽きた。
次の穆宗の代になって、恒冀成徳軍、幽州盧龍軍の従属化にこぎつけ、唐へと服属させ平定された。
ただし、表面上。 河北の節度使連中が、一番強力だったらしいね。
安史の反乱軍の直系だったから。 >>23 河北のその三藩鎮は五代初期の軍乱にまで影響をもっている。
その中で、魏州はこの頃も強兵を編成していたけど、そのだいぶあとの五代の梁×晋争覇の折、魏州の強兵・銀槍効節都(唐のときとは違うものの、伝統は受け継いでいる)を率いた節度使が晋に付いたことから、戦略的に不利だった晋が、梁に優越するようになった。
それくらい影響力をもった地域だったのだ。 儒者はなかったことにしたがっているけどね、周朝。
史実じゃないけど、中井貴一が出ていた天地英雄という映画、
舞台が唐代。 薛任貴だな。
薛家将という物語にもなっている。
何より、絵になる。 それにしても隋末〜初唐の江南、湖北〜湖南(荊州とも言う)の群雄って激弱だな。
まだ江南の開発が十分に進んでいなくて、依然として天下の中心は、
中原だったんだね。
単雄信だっけ。好漢グループのアニキだったのになんだかんだで敵対しちゃってカワイソス。 >>30
なんだと、貴様!
楚の闞稜や王雄誕の武勇を知らぬのか。
両刃の名刀「拍刀」を持ち、一気に数人を殺したという闞稜。
膂力絶人の「小将軍」王雄誕。
両名の武勇を知らぬぬしなどに、隋末江南を語られたくないわ。 唐の李孝恭・李靖が強すぎたとか、江南が弱すぎたとかではなく、
最大勢力の蕭銑があまりにも組織として烏合の衆だったせいだとおもう。 >>27
ああいう、辺境で散った無名の英雄というものは結構いただろうな。 >>35
その語り口調、客観的に読んで自分で痛いと思いませんか?
まぁどーでも良いですけど。
ちなみに>>30では無いです。 >>40
痛き煽り有らば、更に痛き煽りを以て應ず可し。之れ二ちゃんの禮法なり。
有痛煽,可應以更痛煽。之二張禮法也。 高仙芝ももっと早く死んでたら、
名将として後世に名を残しただろうな。 >>44
けっこう問題のある人物だけど最後は哀れだな
それにしても玄宗の後半の落ちぶれっぷりはまるで別人だな 若い頃なんか、行動力もあって颯爽としていたのにね。
楊貴妃に会う前に死んでいたら、名君として名を残しただろうね。 治世の長い人物にはよくあるよな
梁の武帝も然り
皇帝職てのは月並みだが大変なんだろうな そうか、蕭衍も晩年政治を乱して亡国の禍根を残していたんだっけか。
李隆基はひとりで名君と暗君をやってのけたわけだけど、その名君のときに整備された地盤と、彼の後継者に結構有能な皇帝たちが立ったおかげで、のち100年以上も生き延びることができたんだけど
それは王朝にとって幸だったのか不幸だったのか… 若い頃の玄宗が有能な皇帝だったことは否定しないけど
「名君のときに整備された地盤」というなら玄宗よりも武則天の功績じゃないかなぁ。 そりゃ武則天の功績を否定はしていないよ。
だけど、なにもかも先人の業績というんじゃ、実際に最盛期を演出させた玄宗とその臣下に失礼だろうと思う。
科挙によって、これまで中央進出など望むべくもなかった地方からの受け口を広くしたのは武則天なので、そういうところで彼女の功績も無論大きいと言える。
しかし、実際に張説や張九齢、あるいは宇文融などを使ったのは玄宗なわけだし。
その点、名君としていいと考えるよ。 で、そのあと李林甫… はまだいいとして、楊国忠、安録山を重用したのもまた玄宗、ということで名君暗君一人二役という結果に。 >>50
だから、>49は否定していないでしょう。否定しているのは「名君のときに整備された地盤」
の部分。
玄宗って、漢の武帝のように前代の蓄積を背景に事業を行うというタイプの君主だと思う。
逆に言うと、そういった国力の蓄積という地味で重要な仕事はしていない。 確かに漢の武帝、唐の玄宗、清の乾隆帝あたりはそういう点で似たようなタイプかもしれんなぁ >>53 意外といいかも。 どっちも百貫デブだし。
しかし、安録山のほうが巨大かな、人物として。また郷里の英雄として。