そろそろ前漢までの軍師ベスト3を決めようぜ
Wikipediaに載ってた前漢までの有名な軍師
姜子牙(太公望呂尚)
司馬穰苴
伍子胥
孫武
范蠡
孫臏
呉起
楽毅
藺相如
趙奢
張良
陳平
范増
>>100
日本人への知名度だと劉基は他の3人に比べて数段落ちるな。 >>100のでいったら
一般的というか一般人の見解なら、
1位諸葛孔明 2位太公望 大きく離れて3位張良だとおもう。
もうちょい知ってる一般的なら、張良の兵法は太公望のやつってことを考慮して、
1位太公望 2位張良 3位以下団子状態 30~50位くらいに諸葛亮だとおもう。
軍師の括りを知に依る将軍まで広げれば、
10位以内もしくはその前後に、孫武、諸葛亮なども入ってくるとおもう。
全体的には春秋戦国の人物が上位にランクインする。
儒教の影響で古くなるほど崇められるからね。
その中で、比較的近代なのに上位に名前の挙がる劉基はやっぱりすごいんだろうね。 >>103
>儒教の影響で古くなるほど崇められるからね
これが意味不明です。
春秋戦国は儒家と墨家の二大勢力がありましたが、
昔にいくほど崇められると言うのは間違いです。
誰でも崇められるわけではありません。儒家の人物だけです。 >>103
諸葛亮はいくらなんでもそこまで低くないだろ >>103
3位から30位の団子状態が気になる。
いったいどんなのがランクインいているんだろうか…
書き出して、その主張を教えてくれまいか? 言い方悪いけど事績だけで判断してる奴はダメだよ。
神話の時代に近い人物達はともかくとして、同時代に敵対する勢力の大きさ等も考慮しなきゃいけない。
三国時代のように、3つの国家が均衡しているような状況を打破することは非常に困難であり、
魏だって蜀があそこまで疲弊するまで、攻略できなかった。(ケ艾がいなかったら、時期的に言えばもっと遅れてた)
項羽なんて自己壊滅型の人物だし、楚は項羽主体で国家としては統制力が弱いものだった。
従ってそれを滅ぼした劉邦による天下統一は三国時代に置き換えて考えることは出来ないと思う。
光武帝にも同じことが言える。
ということで、前置きが長くなったが日本における名声でいえば諸葛亮がナンバーワンで、次点として太公望や張良ではないか 日本だと「孫子」というイメージ名が1位に入ってくると思うけど >>104
全面的に理解できてないようですね。
儒教の考えは「昔はよかった」です。
漢もその後の多数の王朝もほとんどは儒教国家です。
故に世間の評判は昔の人ほど高評価になります。
>>105
諸葛亮は張良のような軍師という存在でないことを知れば自然低くなります。
ですが、頭がいいってことを否定してるわけじゃないです。
知謀の臣じゃなく知将って意味で、頭の良さを比べるなら上のほうだろうと。
>>106
主張って、一般人だったころの記憶をたどればそうなるじゃない。
それとも生まれついてのヲタだったわけ?
3位以下は管仲なり劉基なり孫子なり呉子なり好きなやつ入れればいいよ。 >>109
>>3位以下は管仲なり劉基なり孫子なり呉子なり好きなやつ入れればいいよ
あなたのそれを訊いているんだが? 質問が悪かったかな…
で、諸葛亮が30〜50位くらいになるという、根拠が知りたかっただけ。
別に、誰をあげるにしても難癖はつけるつもりはないが、それを自分が知っているかどうかで、列伝を引く対象になるでしょ。
言い切る以上、列挙しても差し支えないと思うけどな…
昌、発、旦の3代に渡り信頼された呂尚はダントツ1番でしょ。徳川3代にもそんな人物はいなかった。 >>110
おいらは孔明信者だから1位に諸葛亮をもってくるお >>112 そこでふざけないでくれよぉ…
30人もの知らん人物がわんさか出てくるとワクテカしたというのに。 功績だけを見ると一地方政権の宰相でしかないからなあ>諸葛亮
しかも国難を何度か救ったというのではなく、攻勢に七度出ていずれも失敗に終わり志半ばに終わっている。
ただ忠誠心を持って小国をほとんど一人で支え続け、国力が圧倒的に勝る国に対し抗し続けたという点が高評価なのだろうか? スレ違いになるかもだけど魏晋南北朝期から候補をいくつか
後趙の張賓、前秦の王猛、北魏の崔浩、北周の蘇綽、東晋の王導、劉宋の劉穆之、南斉の楮淵等々…
知名度は低いけどなかなかの逸材揃い >>117
諸葛亮は政治家でしょ。
蜀降伏時に国家が把握していた人口わずか100万。
諸葛亮のときもそんなに大差はないでしょ。
それで遠征し国家を疲弊させたが、国家が自滅はしなかったし、
陳寿も三国志で軍事の才能はないが政治の才能があり国家の体制を
よく保持したとか書いてるじゃん。
これが諸葛亮じゃなくて張良でもハンニバルでも結果は一緒だったと思う。(軍事面)
蜀の国力が弱いことを知っていてあえて戦わなかったのはハンニバル戦争のローマのフェビアン戦術に似ている。 >>119
だから功績だけ見ればと言ってるんだけど?
それに
> 諸葛亮は政治家でしょ。
というが、それだけじゃないよ。
政治家としては国家の体裁を整える上では至らない点もあったし、何らかの新しい画期的な制度を作り上げたわけでもない。
もちろん新しいことをするだけが政治家の能力ではないし、所詮一地方政権だから体裁という点で危急にあらずということで後回しにした事もあろうけど。
そもそも諸葛亮が目指したのは管仲・楽毅のような名宰相・名将。
またこれは劉巴伝の注だが、
> 運籌策於帷幄之中、吾不如子初遠矣。若提枹鼓、會軍門、使百姓喜勇、當與人議之耳。
とあるように謀事よりも采配の方に自信があるようなことを言ってる。
実際に諸葛亮伝を見れば軍の采配には見るべきものがある。
諸葛亮は政治家だからなんてのは意味の無い言でしかないよ。
その諸葛亮をもってすら遂に念願を果たせなかったことについて、
臨機応変の将略は、自身の言うとおり、あまり得意ではなかったからであろうか?
と陳寿は推測してるのであって、これを軍事の才能がなかったと断定してると取るのはちょっと行き過ぎ。 ショクって国をどの程度の国と考えているんだ?確かに孔明を評価しないわけではないが何年も続く帝国を打ち建てたわけでも守ったわけでもない。こう考えてみ。孔明が呉の丞相だったら まぁ、諸葛亮に関しては、三戦板のがあるからここでの言及は避けるべきだな。
というのも、それらすべてスレ違い。
どういうわけか、前漢「まで」だから。
そういうわけで、春秋戦国期をメインにやるのがいいのだろう。 > どういうわけか、前漢「まで」だから。
え、それはとりあえず>>1のミスってことになってるんじゃないの?
> しかも国難を何度か救ったというのではなく、攻勢に七度出ていずれも失敗に終わり志半ばに終わっている
あれは別に失敗じゃないよ。
ストロー級とヘビー級が戦いみたいなものさ。
一発であぼんするはずが、ものすごい猛攻を見せた!
けどストロー級のパンチじゃダメージ0、そのうち疲れちゃってリタイアしちゃった、みたいな
ヘビー級の勝ちだけど、一発KOしてあたりまえなのになにやってんだよ!みたいな。
そんなすごさ。 >>125
特に意味はなし。
自分の書いたことが区別できるように。 >>112
なんだお前?バカじゃね?>>113の言うように30人出せよ、早く >>124 そうか、1は逆ギレしていなくなったんだっけ…
しかし「軍師」となると、それっぽい人物は結構少ないような。
軍政に携わっているようなのだったら、枢密使なんかのポジションもその部類に入るのかね?
あとは、〜王とか府軍をもっているのとか。
王や皇帝の側にいる顧問とかなら、翰林学士や端明殿学士とかで、より君主に影響力を持った人物が該当するかな?
>>127 個人非難はいいよ、もう。 前漢までか。なら呂尚、伍員、ハンレイ、呉起、管仲、司馬ジョウショ、孫ピン、ホウケン、孫武、孟賞君、楽穀、田単、ハン雎、季斯、ハン増、張良、韓信、陳平ってとこかな。 んー、前漢なら先ず陳余。広武君の献策を退け韓信と正面から戦うことを進言。趙を滅亡させた自己チュー軍師。フンケイの友、重耳との信頼も滅亡。って、将軍かな彼は。無難に范増辺りではどうでしょう? 呉起はどうかな?
門閥体制を強行し、富国強兵を行い楚の領土を拡大するも、悼王亡き後、門閥の恨みが爆発して殺され、結局元の門閥体制に戻った。
その後も春申君とか門閥から名将出てるから余計な事した軍師とは言えないだろうか? >>137
門閥を完全に潰したら、下の方からもっと優秀な人材がバンバン出たかもしれない。
ってな感じでどうとでも言える。不毛。 それは無いだろう。門閥の改革は親戚殺しが目的じゃない。ちゃんと王の権限を独立させ、有能な人間を適材適所に使うということ。
秦の時、秦以外の国の人間を追放しようとしたろ。あの時だって、政は惨殺までしなかった。
門閥を統べて潰すなんて考えが飛躍シ杉。 呉起は魏ではある程度は改革に成功したと言って良いんじゃない?
おかげで一応、戦国初期に魏はけっこう強かったし。
楚の場合は、古い国だから門閥が強くて、結局打破出来なかったのは仕方ないかも。
でも春申君って門閥というほどの門閥なのかな? むしろ中程度の貴族から出た改革派だったのでは。 いや、実は俺も呉起好きなんだけど流れ上ワースト3を決めないといけなくなってさ。早い話、挙げ足取り。
范増は圏内として、あと3人は必要なわけ。
でも、いいとこ突いてないか?
魏の場合もいみじくも「孫呉の兵法」と称される人ならばどうか?
楽穀の受けた田単のそれよりも稚拙な策に填まり、追われたと言えないかな? ワーストを決めるのなら、好きな人物ではあるけど范雎なんかは? >>145
君主との関係が悪化して誅殺とかいう事態になる前に、潔く身を引いて
余生を送れたからワースト3には入れないのでは。悪どいことしてたけど。
ワースト候補といえば、孫臏の引き立て役の龐涓は、軍師じゃなくて将軍になってしまうかな。
あとは、三国志なら郭図あたりか。 まぁ定義としては、
○大したことしてない
○結果的にダメだった。あるいは悪い方向にいった ○誰でも出来た
○人を踏み台、あるいは殺しすぎ
○世代交代に対応出来なかった。あるいは天寿まっとうせず
こんなトコかな
呉起は二つあたってる 前提条件として
○頭は良かった
○主君に進言できる立場まで昇級した
がないとダメだとおもうよ。 ショウカがいなければ劉邦は天下を取れなかったと思うが?
>>150
組織作りという点では並ぶものなき功だね。 楚も漢も兵士に流民が結構いたらしいから食わせてくれる方につくだろうね
漢中をまとめてからせっせと食料送ったのも勝因の1つじゃないかな このスレの軍師の定義は何?かだね
俗に言う宰相的な人物を含むのか、軍の参謀的な人なのか その辺アバウトでいいんじゃないの?もともと同じ国なんかないし状況によって国の存亡について信頼を置いていた人っつーことで。
ただ軍略家という形がここでは適当で、あるいは局地的戦闘においてのみ戦術を指南・献策した人は定義からいってズレるな。腐れ自治厨の言うスレ違いってやつ。 君主(ナンバー1)ではない。
軍事がらみの仕事もしている。
知謀に長じているとの評判。 程度で良いのではないかと。 >>155
>>19だってさ
軍事参謀という役職は近代になってから出来たのか 合従(縦)連衡(横)策を思想と取って縦横家扱いだけど
蘇秦と張儀の作戦と実行力は蒯通、諸葛亮の天下三分の計ぐらい凄いじゃん 縦横家は外務大臣のイメージが強いな
参謀長にはなれないというイメージも含めて そもそも同じ天下三分でも蒯通と諸葛亮のでは格が違う。
諸葛亮の天下三分の計は自然の要塞蜀に立て篭もろうってだけだし。
北伐の意義も曖昧だし、歴史に名を残すために行った「行事」であったことは否めない
魏が蜀征伐に晩年まで本腰いれなかったのは、あの自然の要塞に数万の兵で立て篭もられたら
被害甚大なのが目に見えてたから >>163
スレ違いだが諸葛亮の天下三分は荊州あってのものだよ。
荊州を関羽が失陥したため、より北伐に注力しなければならなくなった。
条件が変わったのに計画を大きく変更しなかった点については是非があると思うけどね。
涼州を落として三輔を手に入れることの意義が曖昧とはこれ如何に?
まあ仮に北伐が成功していても魏の天下を覆せるとこまで行けるかはわからないけどね。
ところで蒯通の天下三分って劉邦と項羽の戦いに巻き込まれず高見の見物を決め込み漁夫の利を得ましょうというものだったっけ? 三国時代には諸葛亮以上の軍師はキラ星のように居るぞ!
荀ケクラスでさえ蒯通の格上 張儀は屈原を失脚させたり、懐王を捕らえたり策謀化としての側面もあるが
秦の宰相になり魏を何度も討つ他、楚の領土を奪ったりしてる。
>>162のイメージは張儀ではなく蘇秦や蘇代のイメージだろ 周公旦は儒家によって過剰にマンセーされててどうも好きになれない 太公望の名前が挙がってるが、彼は具体的にはどのような戦略を取ったの? 伍子胥が一番だな。
漫画読んだだけでよくは知らんが、五月五日の祭りのネ申なんだろ?
「屍に鞭を打つ」という語源を作るなんてクールでカッコイイじゃないか。
陳平が二番だな。
漫画読んだだけでよくは知らんが、兄嫁に手だして物にした剛の者なんだろ?
倫理なんて糞としか思ってないところがカッコイイじゃないか。
太公望が三番だな。
漫画読んだだけでよくは知らんが、ようするにただの裏切り者だろ?
義理人情は糞としか思ってないところがカッコイイじゃないか。
>>171
申包藷?だったっけか。
伍員の幼なじみは、かなりひいちゃってそう表現したんじゃなかったか。
クールというかヒールな逸話だと思うが・・・。
蒯通の天下三分が実現された状態で匈奴が襲いかかってきたらひとたまりもなく
漢土の北半分は少なくとも匈奴に制圧されてた。
匈奴に蹂躪されたくなければ天下はどの政権であろうと統一される必要があった。
>>174
その後に今は反省しているという手紙を送ったので、人の道を外れているとは言い難い カッとなってやった、反省はしてない。みたいな手紙じゃなかったか、あれ。 確かに開き直っていると取れるな
だが特に理解できなくもないのは、現代人だからかな >>178
しかし、日暮れて道通し……、の使い方が、なかなか事が進まなくてじ
れてる、ってことなら、確かに、やっちゃった、って意味にもとれなく
ないよね。
倒行逆施の語源だったかな 伍子胥は春秋ではベスト3に入るだろうね
あとは?范蠡?管仲? 范蠡に一票!!
この人の功績や処世は後世の模範になってるんじゃないかな 狐偃 趙衰 趙盾あと鄭の祭足なんかはどうですか
まあベスト3には入らないでしょうけど >>182 いや陶朱公の方が上だろ
無一文の状態から農業で大金を稼ぐ
その大金を惜しげもなく民衆に分け与えて無一文になっても今度は相場師になって大金を稼ぐ
国の宰相になっていたら、その国は強国になっていたと思うよ >>188
うまく謀略で切り抜けられたとはいえ、冒頓に見事に釣り出されていなかったか? 魏の西河を切り取ったのは商鞅じゃなかったっけ。
それで黄河に頼った国防が可能になり国内を固めるのに大きな影響が出たはず。 >>193
魏が西河を失う時期は前330年頃で、商鞅の死後。
その前年に雕陰で戦争があり、秦軍を率いた人物は公孫衍で、対した
魏の将軍は龍賈。
魏は龍賈が捕虜となり、八万のうち四万五千の兵を失う。 >>193
河西のことかな?
この頃、商と何か土地を与えられて、公孫鞅から商君と呼ばれる。 対立勢力に対して必ずしも優勢とはいえない勢力に属して覇王たらしめたということで張良が頭一つ抜けてると思う。 張良も凄いけど陳平だってなかなか捨てたもんじゃないぞ。
漢では要所要所でえげつない策を打ちたて楚陣営に楔を打ち込んでいったんだし。
もし項羽の下で実力を発揮出来ていたら
張良と良い頭脳合戦を繰り広げていただろうな。
政治家としても超一流だし。宰相としての器量、謀略共に范蠡に負けず劣らずな感じもするしね。 陳平というとどうもこの人と被るな
賈詡ttp://www015.upp.so-net.ne.jp/hakumina/page013.html
陳平と比べるには賈詡じゃ役不足
1の中だと張良、陳平、范蠡、孫武、太公望が突出してると思う そうだね!!賈蛎じゃ役不足だな。
知略なら張良、孫武、太公望に
えげつなさ、強かさなら陳平、范蠡には及ばない。
(張良もかなり強かだが)