そろそろ前漢までの軍師ベスト3を決めようぜ
諸葛亮は演義のでも一つ下がるんじゃない?
神格化されてるのは張良と劉基だとおも >>100
日本人への知名度だと劉基は他の3人に比べて数段落ちるな。 >>100のでいったら
一般的というか一般人の見解なら、
1位諸葛孔明 2位太公望 大きく離れて3位張良だとおもう。
もうちょい知ってる一般的なら、張良の兵法は太公望のやつってことを考慮して、
1位太公望 2位張良 3位以下団子状態 30~50位くらいに諸葛亮だとおもう。
軍師の括りを知に依る将軍まで広げれば、
10位以内もしくはその前後に、孫武、諸葛亮なども入ってくるとおもう。
全体的には春秋戦国の人物が上位にランクインする。
儒教の影響で古くなるほど崇められるからね。
その中で、比較的近代なのに上位に名前の挙がる劉基はやっぱりすごいんだろうね。 >>103
>儒教の影響で古くなるほど崇められるからね
これが意味不明です。
春秋戦国は儒家と墨家の二大勢力がありましたが、
昔にいくほど崇められると言うのは間違いです。
誰でも崇められるわけではありません。儒家の人物だけです。 >>103
諸葛亮はいくらなんでもそこまで低くないだろ >>103
3位から30位の団子状態が気になる。
いったいどんなのがランクインいているんだろうか…
書き出して、その主張を教えてくれまいか? 言い方悪いけど事績だけで判断してる奴はダメだよ。
神話の時代に近い人物達はともかくとして、同時代に敵対する勢力の大きさ等も考慮しなきゃいけない。
三国時代のように、3つの国家が均衡しているような状況を打破することは非常に困難であり、
魏だって蜀があそこまで疲弊するまで、攻略できなかった。(ケ艾がいなかったら、時期的に言えばもっと遅れてた)
項羽なんて自己壊滅型の人物だし、楚は項羽主体で国家としては統制力が弱いものだった。
従ってそれを滅ぼした劉邦による天下統一は三国時代に置き換えて考えることは出来ないと思う。
光武帝にも同じことが言える。
ということで、前置きが長くなったが日本における名声でいえば諸葛亮がナンバーワンで、次点として太公望や張良ではないか 日本だと「孫子」というイメージ名が1位に入ってくると思うけど >>104
全面的に理解できてないようですね。
儒教の考えは「昔はよかった」です。
漢もその後の多数の王朝もほとんどは儒教国家です。
故に世間の評判は昔の人ほど高評価になります。
>>105
諸葛亮は張良のような軍師という存在でないことを知れば自然低くなります。
ですが、頭がいいってことを否定してるわけじゃないです。
知謀の臣じゃなく知将って意味で、頭の良さを比べるなら上のほうだろうと。
>>106
主張って、一般人だったころの記憶をたどればそうなるじゃない。
それとも生まれついてのヲタだったわけ?
3位以下は管仲なり劉基なり孫子なり呉子なり好きなやつ入れればいいよ。 >>109
>>3位以下は管仲なり劉基なり孫子なり呉子なり好きなやつ入れればいいよ
あなたのそれを訊いているんだが? 質問が悪かったかな…
で、諸葛亮が30〜50位くらいになるという、根拠が知りたかっただけ。
別に、誰をあげるにしても難癖はつけるつもりはないが、それを自分が知っているかどうかで、列伝を引く対象になるでしょ。
言い切る以上、列挙しても差し支えないと思うけどな…
昌、発、旦の3代に渡り信頼された呂尚はダントツ1番でしょ。徳川3代にもそんな人物はいなかった。 >>110
おいらは孔明信者だから1位に諸葛亮をもってくるお >>112 そこでふざけないでくれよぉ…
30人もの知らん人物がわんさか出てくるとワクテカしたというのに。 功績だけを見ると一地方政権の宰相でしかないからなあ>諸葛亮
しかも国難を何度か救ったというのではなく、攻勢に七度出ていずれも失敗に終わり志半ばに終わっている。
ただ忠誠心を持って小国をほとんど一人で支え続け、国力が圧倒的に勝る国に対し抗し続けたという点が高評価なのだろうか? スレ違いになるかもだけど魏晋南北朝期から候補をいくつか
後趙の張賓、前秦の王猛、北魏の崔浩、北周の蘇綽、東晋の王導、劉宋の劉穆之、南斉の楮淵等々…
知名度は低いけどなかなかの逸材揃い >>117
諸葛亮は政治家でしょ。
蜀降伏時に国家が把握していた人口わずか100万。
諸葛亮のときもそんなに大差はないでしょ。
それで遠征し国家を疲弊させたが、国家が自滅はしなかったし、
陳寿も三国志で軍事の才能はないが政治の才能があり国家の体制を
よく保持したとか書いてるじゃん。
これが諸葛亮じゃなくて張良でもハンニバルでも結果は一緒だったと思う。(軍事面)
蜀の国力が弱いことを知っていてあえて戦わなかったのはハンニバル戦争のローマのフェビアン戦術に似ている。 >>119
だから功績だけ見ればと言ってるんだけど?
それに
> 諸葛亮は政治家でしょ。
というが、それだけじゃないよ。
政治家としては国家の体裁を整える上では至らない点もあったし、何らかの新しい画期的な制度を作り上げたわけでもない。
もちろん新しいことをするだけが政治家の能力ではないし、所詮一地方政権だから体裁という点で危急にあらずということで後回しにした事もあろうけど。
そもそも諸葛亮が目指したのは管仲・楽毅のような名宰相・名将。
またこれは劉巴伝の注だが、
> 運籌策於帷幄之中、吾不如子初遠矣。若提枹鼓、會軍門、使百姓喜勇、當與人議之耳。
とあるように謀事よりも采配の方に自信があるようなことを言ってる。
実際に諸葛亮伝を見れば軍の采配には見るべきものがある。
諸葛亮は政治家だからなんてのは意味の無い言でしかないよ。
その諸葛亮をもってすら遂に念願を果たせなかったことについて、
臨機応変の将略は、自身の言うとおり、あまり得意ではなかったからであろうか?
と陳寿は推測してるのであって、これを軍事の才能がなかったと断定してると取るのはちょっと行き過ぎ。 ショクって国をどの程度の国と考えているんだ?確かに孔明を評価しないわけではないが何年も続く帝国を打ち建てたわけでも守ったわけでもない。こう考えてみ。孔明が呉の丞相だったら まぁ、諸葛亮に関しては、三戦板のがあるからここでの言及は避けるべきだな。
というのも、それらすべてスレ違い。
どういうわけか、前漢「まで」だから。
そういうわけで、春秋戦国期をメインにやるのがいいのだろう。 > どういうわけか、前漢「まで」だから。
え、それはとりあえず>>1のミスってことになってるんじゃないの?
> しかも国難を何度か救ったというのではなく、攻勢に七度出ていずれも失敗に終わり志半ばに終わっている
あれは別に失敗じゃないよ。
ストロー級とヘビー級が戦いみたいなものさ。
一発であぼんするはずが、ものすごい猛攻を見せた!
けどストロー級のパンチじゃダメージ0、そのうち疲れちゃってリタイアしちゃった、みたいな
ヘビー級の勝ちだけど、一発KOしてあたりまえなのになにやってんだよ!みたいな。
そんなすごさ。 >>125
特に意味はなし。
自分の書いたことが区別できるように。 >>112
なんだお前?バカじゃね?>>113の言うように30人出せよ、早く >>124 そうか、1は逆ギレしていなくなったんだっけ…
しかし「軍師」となると、それっぽい人物は結構少ないような。
軍政に携わっているようなのだったら、枢密使なんかのポジションもその部類に入るのかね?
あとは、〜王とか府軍をもっているのとか。
王や皇帝の側にいる顧問とかなら、翰林学士や端明殿学士とかで、より君主に影響力を持った人物が該当するかな?
>>127 個人非難はいいよ、もう。 前漢までか。なら呂尚、伍員、ハンレイ、呉起、管仲、司馬ジョウショ、孫ピン、ホウケン、孫武、孟賞君、楽穀、田単、ハン雎、季斯、ハン増、張良、韓信、陳平ってとこかな。 んー、前漢なら先ず陳余。広武君の献策を退け韓信と正面から戦うことを進言。趙を滅亡させた自己チュー軍師。フンケイの友、重耳との信頼も滅亡。って、将軍かな彼は。無難に范増辺りではどうでしょう? 呉起はどうかな?
門閥体制を強行し、富国強兵を行い楚の領土を拡大するも、悼王亡き後、門閥の恨みが爆発して殺され、結局元の門閥体制に戻った。
その後も春申君とか門閥から名将出てるから余計な事した軍師とは言えないだろうか? >>137
門閥を完全に潰したら、下の方からもっと優秀な人材がバンバン出たかもしれない。
ってな感じでどうとでも言える。不毛。 それは無いだろう。門閥の改革は親戚殺しが目的じゃない。ちゃんと王の権限を独立させ、有能な人間を適材適所に使うということ。
秦の時、秦以外の国の人間を追放しようとしたろ。あの時だって、政は惨殺までしなかった。
門閥を統べて潰すなんて考えが飛躍シ杉。 呉起は魏ではある程度は改革に成功したと言って良いんじゃない?
おかげで一応、戦国初期に魏はけっこう強かったし。
楚の場合は、古い国だから門閥が強くて、結局打破出来なかったのは仕方ないかも。
でも春申君って門閥というほどの門閥なのかな? むしろ中程度の貴族から出た改革派だったのでは。 いや、実は俺も呉起好きなんだけど流れ上ワースト3を決めないといけなくなってさ。早い話、挙げ足取り。
范増は圏内として、あと3人は必要なわけ。
でも、いいとこ突いてないか?
魏の場合もいみじくも「孫呉の兵法」と称される人ならばどうか?
楽穀の受けた田単のそれよりも稚拙な策に填まり、追われたと言えないかな? ワーストを決めるのなら、好きな人物ではあるけど范雎なんかは? >>145
君主との関係が悪化して誅殺とかいう事態になる前に、潔く身を引いて
余生を送れたからワースト3には入れないのでは。悪どいことしてたけど。
ワースト候補といえば、孫臏の引き立て役の龐涓は、軍師じゃなくて将軍になってしまうかな。
あとは、三国志なら郭図あたりか。 まぁ定義としては、
○大したことしてない
○結果的にダメだった。あるいは悪い方向にいった ○誰でも出来た
○人を踏み台、あるいは殺しすぎ
○世代交代に対応出来なかった。あるいは天寿まっとうせず
こんなトコかな
呉起は二つあたってる 前提条件として
○頭は良かった
○主君に進言できる立場まで昇級した
がないとダメだとおもうよ。 ショウカがいなければ劉邦は天下を取れなかったと思うが?
>>150
組織作りという点では並ぶものなき功だね。 楚も漢も兵士に流民が結構いたらしいから食わせてくれる方につくだろうね
漢中をまとめてからせっせと食料送ったのも勝因の1つじゃないかな このスレの軍師の定義は何?かだね
俗に言う宰相的な人物を含むのか、軍の参謀的な人なのか その辺アバウトでいいんじゃないの?もともと同じ国なんかないし状況によって国の存亡について信頼を置いていた人っつーことで。
ただ軍略家という形がここでは適当で、あるいは局地的戦闘においてのみ戦術を指南・献策した人は定義からいってズレるな。腐れ自治厨の言うスレ違いってやつ。 君主(ナンバー1)ではない。
軍事がらみの仕事もしている。
知謀に長じているとの評判。 程度で良いのではないかと。 >>155
>>19だってさ
軍事参謀という役職は近代になってから出来たのか 合従(縦)連衡(横)策を思想と取って縦横家扱いだけど
蘇秦と張儀の作戦と実行力は蒯通、諸葛亮の天下三分の計ぐらい凄いじゃん 縦横家は外務大臣のイメージが強いな
参謀長にはなれないというイメージも含めて そもそも同じ天下三分でも蒯通と諸葛亮のでは格が違う。
諸葛亮の天下三分の計は自然の要塞蜀に立て篭もろうってだけだし。
北伐の意義も曖昧だし、歴史に名を残すために行った「行事」であったことは否めない
魏が蜀征伐に晩年まで本腰いれなかったのは、あの自然の要塞に数万の兵で立て篭もられたら
被害甚大なのが目に見えてたから >>163
スレ違いだが諸葛亮の天下三分は荊州あってのものだよ。
荊州を関羽が失陥したため、より北伐に注力しなければならなくなった。
条件が変わったのに計画を大きく変更しなかった点については是非があると思うけどね。
涼州を落として三輔を手に入れることの意義が曖昧とはこれ如何に?
まあ仮に北伐が成功していても魏の天下を覆せるとこまで行けるかはわからないけどね。
ところで蒯通の天下三分って劉邦と項羽の戦いに巻き込まれず高見の見物を決め込み漁夫の利を得ましょうというものだったっけ? 三国時代には諸葛亮以上の軍師はキラ星のように居るぞ!
荀ケクラスでさえ蒯通の格上 張儀は屈原を失脚させたり、懐王を捕らえたり策謀化としての側面もあるが
秦の宰相になり魏を何度も討つ他、楚の領土を奪ったりしてる。
>>162のイメージは張儀ではなく蘇秦や蘇代のイメージだろ 周公旦は儒家によって過剰にマンセーされててどうも好きになれない 太公望の名前が挙がってるが、彼は具体的にはどのような戦略を取ったの? 伍子胥が一番だな。
漫画読んだだけでよくは知らんが、五月五日の祭りのネ申なんだろ?
「屍に鞭を打つ」という語源を作るなんてクールでカッコイイじゃないか。
陳平が二番だな。
漫画読んだだけでよくは知らんが、兄嫁に手だして物にした剛の者なんだろ?
倫理なんて糞としか思ってないところがカッコイイじゃないか。
太公望が三番だな。
漫画読んだだけでよくは知らんが、ようするにただの裏切り者だろ?
義理人情は糞としか思ってないところがカッコイイじゃないか。
>>171
申包藷?だったっけか。
伍員の幼なじみは、かなりひいちゃってそう表現したんじゃなかったか。
クールというかヒールな逸話だと思うが・・・。
蒯通の天下三分が実現された状態で匈奴が襲いかかってきたらひとたまりもなく
漢土の北半分は少なくとも匈奴に制圧されてた。
匈奴に蹂躪されたくなければ天下はどの政権であろうと統一される必要があった。
>>174
その後に今は反省しているという手紙を送ったので、人の道を外れているとは言い難い カッとなってやった、反省はしてない。みたいな手紙じゃなかったか、あれ。 確かに開き直っていると取れるな
だが特に理解できなくもないのは、現代人だからかな >>178
しかし、日暮れて道通し……、の使い方が、なかなか事が進まなくてじ
れてる、ってことなら、確かに、やっちゃった、って意味にもとれなく
ないよね。
倒行逆施の語源だったかな 伍子胥は春秋ではベスト3に入るだろうね
あとは?范蠡?管仲? 范蠡に一票!!
この人の功績や処世は後世の模範になってるんじゃないかな 狐偃 趙衰 趙盾あと鄭の祭足なんかはどうですか
まあベスト3には入らないでしょうけど >>182 いや陶朱公の方が上だろ
無一文の状態から農業で大金を稼ぐ
その大金を惜しげもなく民衆に分け与えて無一文になっても今度は相場師になって大金を稼ぐ
国の宰相になっていたら、その国は強国になっていたと思うよ >>188
うまく謀略で切り抜けられたとはいえ、冒頓に見事に釣り出されていなかったか? 魏の西河を切り取ったのは商鞅じゃなかったっけ。
それで黄河に頼った国防が可能になり国内を固めるのに大きな影響が出たはず。 >>193
魏が西河を失う時期は前330年頃で、商鞅の死後。
その前年に雕陰で戦争があり、秦軍を率いた人物は公孫衍で、対した
魏の将軍は龍賈。
魏は龍賈が捕虜となり、八万のうち四万五千の兵を失う。 >>193
河西のことかな?
この頃、商と何か土地を与えられて、公孫鞅から商君と呼ばれる。 対立勢力に対して必ずしも優勢とはいえない勢力に属して覇王たらしめたということで張良が頭一つ抜けてると思う。 張良も凄いけど陳平だってなかなか捨てたもんじゃないぞ。
漢では要所要所でえげつない策を打ちたて楚陣営に楔を打ち込んでいったんだし。
もし項羽の下で実力を発揮出来ていたら
張良と良い頭脳合戦を繰り広げていただろうな。
政治家としても超一流だし。宰相としての器量、謀略共に范蠡に負けず劣らずな感じもするしね。 陳平というとどうもこの人と被るな
賈詡ttp://www015.upp.so-net.ne.jp/hakumina/page013.html
陳平と比べるには賈詡じゃ役不足
1の中だと張良、陳平、范蠡、孫武、太公望が突出してると思う そうだね!!賈蛎じゃ役不足だな。
知略なら張良、孫武、太公望に
えげつなさ、強かさなら陳平、范蠡には及ばない。
(張良もかなり強かだが) >>200
つまり
賈詡>>>>>>>>陳平ってことかw >>202
いやこうだろw
賈蛎>>>>>>>>呉起>陳平≒范蠡
えげつなさ、ズル賢さなら呉起も負けてないぞ。
信任を得る為に妻は殺すは兵士の心を掴むためのあざとさ、
己の身を守る為に悼王の遺体は利用したりしてるし。 >>204
ん な こ た 知 ら ん 。
ウザコテのウザイ粗捜しになんて答えたくないw つーか奇矯よオメエのそのコテの意味といろんなスレに現われては
けったいなことばかり言ってる理由を述べろ!!!!!
わかったか? コテのオッサン!!!!! 軍師や謀臣と判別される人物
張良 孫ビン 陳平 范蠡
范増 呂尚(太公望) 先軫
史記を読む限りでは、先軫も範疇に入ると思います。
范蠡は名相と言った方がいいと思うが、
呉への策謀を行ってるしどうなんだろうなぁ?
下記の人物は軍師ではありません。
孫武 趙奢 呉起 楽毅
伍子胥 藺相如 司馬穰苴
藺相如は名相の部類だと思いますが?
あとは自ら兵を率いて戦った将軍です。
>>212
>范蠡は名相と言った方〜呉への策謀を〜
范蠡は名相であり、超一流の策士だと思います。
個人的には范蠡は陳平の春秋版だと思いますがいかがでしょうか?
(強かさとえげつなさでは両人とも甲乙付けがたいと思いますが)
孫武は呉の兵法指南役であり、軍事の最高責任者。
闔廬の命令で自ら兵を率いて戦ったとありますから、将であり軍師であると思われますが。
お前ら、范雎忘れてるだろ
戦国時代を実質的に収束に向かわせた秦の軍師だぞ 陳平も宰相経験者で、張良も宰相やってたこともあるよね
現代日本語で言うところの軍師的な活躍をした人間を挙げているスレなんだろう?
違うのかね
范雎は遠交近攻と穣侯失脚ばかりが目立つけど、戦国七雄の内実質的に三晋を滅ぼしている
韓を南北に分断して独力での存立を不可能にした
趙と長平を争い情報工作で廉頗を更迭させ一気に衰亡させた
魏を徹底的に討ち果たして秦に入朝させ中原を制圧した
これらの情報工作が無ければまだまだ戦国時代は続いていたし、
燕によって一敗地に塗れていたが復興しつつある強国斉、
国家のポテンシャルとしては秦をも凌駕する大国楚があって三つ巴になっていただろう
>>216
陳平は軍師から後に宰相に昇格した人。
張良は韓の宰相で貸し出しという形で漢の軍師及び相談役?をやってた人。
范雎は遠交近攻を上奏して宰相に抜擢された人で、
あくまで秦の宰相として国家戦略を打ち出していっただけで軍師ではないと思うが・・・
范雎も功績から宰相に昇格しただけで、それ以前にも以後にも軍師としての役割果たしてるじゃん
軍師だの宰相だの参謀だのの定義にこだわらんでいいとおもう。要は「すばらしい軍略を行使した人物」だと思うがな。
よって1位太 公望 2位 士会 3位 楽毅
燕の楽毅。当時の大国 斉の首都を占拠。 歴史的に彼以上に武功のあるものがいるのかというくらいである。
次に士会。当時、兵法などまともにない時代にかの?の戦いにおいての撤退指揮は神がかってるとしかいえん。
士会がいなければ天下は楚の荘王にとられていただろうなと思う。
最後に太公望。八百諸侯の頂点に立つゆるぎない大国 商(殷)を滅亡(後の宋につながるが)まで追い込んだ
軍略、手腕は諸葛亮でさえ無理だったのでは、とおもう。詳しくは忘れてしまったが、
一部有力諸侯の離反かつ包囲網作戦、ゲリラ作戦、緻密な情報戦、世論を味方につける等、当代にも通ずる戦上手。
以上、歴史的な背景も考慮して個人的に順位づけしてみた。マンガと小説だけが情報源だが各史の史実の相違を解決せぬ以上
しょせん歴史など誰にも分からぬこと。是非もなかろう。
>>220
一見いい事言ってる様に見えるが、それ全部宮城谷作品じゃん!!
小説で活躍してないから、張良先生・陳丞相・陶朱公・孫子は論外ですか。そうですか・・・
袋叩きにされる前に史記ぐらい読んで出直しな。 范蠡はやはり凄いと思うな
滅亡寸前だった国が覇まで唱えた国をその長所を助長する事によって
滅ぼすなんて他に例を見た事無いのだが
>221
史記も横山マンガだが読んだよ(4,5回読み返したよ) 赤龍王もな(てかこっから入った) あと左志伝も書籍で読んだよ。
だがな、おまえもどうせ横山マンガの史記読んでゆってんだろうけど横山先生のときはまだ日中友好条約が結ばれてなくて
今ほど分かってなかったのだよ。 宮城谷先生の作品をいち小説と位置づけるなら史記もまた司馬遷のいち小説になるわけだ。
かつ史記は他の文献との相違がはげしいってこともご存知なのかな?
ちなみに張良も陳平もはんれいもPHPの文庫本の小説を読んだよ。孫子にいたっては何冊読んだか分からん
(ほとんどがビジネス書的なものや孫子の兵法の解説書だったが)
当然われわれが束になっても及ばぬほどの英傑たちだがなぜ選ばなかったのかを説明するよ。
まず張子房。 この人はたしかに軍師かもしれんが戦略家という側面のほうが秀でてるとおもうぞ。
まともに戦を指揮して活躍したと聞いたことがない。おそらく戦においては韓信のほうが上ではないか?
劉邦の危機を幾度も救った功績(鴻門の会や桟道の焼き払いなどな)があるからどちらかというと相談役だと思ってる。
そういう意味での三傑なら管仲も挙げねばならぬ。だから挙げなかった。
次に陳平だが、たしかにこの人の軍略の才は誰もが及ばぬところがある。しかしどこか黒田官兵衛に似たものを感じる。
離間の策や呂氏を討滅した手腕は見事だったね。ベスト3に挙げようかとも考えたがやめた。
自分の印象ではダーク過ぎるからである。どんな手を使ってでもという所に徳の低さを感じる。もし自分が君主なら
陳平がおそろしてくたまらない。
つぎにはんれいですか。 この方は単に時代背景やそのときの状況で除外した。
呉も越も国力にそれほどの開きがあると思えなかったからである。プラス夫差が伍員の言うことを聞かずに勾践を殺さなかったからいいものの
殺されててもおかしくなかった。普通、殺すか死ぬまで幽閉されてるところだ。
最後に孫子。 恐らく孫武を指してるのだろうが正直かなり悩んだ。だが決定的にこの人の活躍はかなり謎に包まれてるから除外した。
難点を挙げたが当然彼らはいずれも劣らぬ名臣だと思っているよ。
221は宮城谷作品と軽んじた言いようだったが俺のなかで宮城谷昌光>司馬遷 だ。
情報収集の正確さ、見識の高さ いずれにおいても上だと思ってる(時代が違うといわれればそれまでだが)
ここの人たちの見識の高さに舌を巻いたものだが中には君のような人もいるんだね。
君の言う袋叩きはまるで虎の威を借る狐のようだよ。
君の言いようは宮城谷先生より見識が高そうだが一体どれほどのものかどうぞご披露してください。 >221
追伸、君はなにも知らない。
一つ、おれ個人の意見のレスを「全部宮城谷作品じゃないか」と、批判的な言い方をした。
君のいいようは当代随一の見識を誇る宮城谷先生に比肩するかのようだ。
(実のないものを虚という。 実の言がないことを虚言という)
一つ、陳平、張子房、はんれい、孫武を挙げたがなぜ彼らを選んだのか意見や説明がなかった
(かつ彼らの小説は短編ながら出てるのに出てないといった)。
一つ、自分の見識の低さや暗愚が故にここの住人たちの見識を当てにして「袋叩きにされるまえに史記ぐらい読んで出直しな」といった。
君はなにも知らない。もう一度、横山作品の史記からすべて読み直すことを薦める。つぎに司馬遼太郎の項羽と劉邦を薦める。
つぎに宮城谷作品の中国史に関わるすべてを三遍よむことを薦める。つぎにPHPから出てる君の挙げた張良、陳平、はんれいを読むことを
薦める。最後にここのスレを三遍読み返すことを薦める。君はなにもしらない。
壮大な釣りか、そうでなきゃ中二病患者なんだろう
PHPの二流小説を読んで自慢げになってる子を初めて見た >>226
ハゲドー 病気持ちの厨房みたいだけど一応釣られておくかw
それにしても大丈夫かねこの宮城谷信者(゚Д゚)
俺も宮城谷作品は好きだがちゃんと史記も左伝もモノホンの孫子、呉子どころか殆どの兵法書、
戦国策、論語、老荘、孟荀、四書五経、挙げたしたら切りが無い程読み漁ったし、
項羽と劉邦、横山作品も当然読破済みww
日々読書に勤しんでるしなこれでもなんか文句あんのか?ゴラァ!!
俺が「全部宮城谷作品じゃないか」と言ったのは
お前が挙げた三名が小説のタイトルと一致するからだ(しかも主人公じゃん主体に書かれて当然)
俺からすると小説の主人公でなきゃ評価出来ないみたいに感じたからだけどなにか?
太公望、士会、楽毅を俺は悪く言ってないし、
第一お前は軍師、参謀の本質をわかってんのか?
陳丞相はあのえげつなさがいいの。
楚陣営に楔打ち込んだ時や美人画の策も彼が人間の心理を巧みに付いた策略、
呂后でさえ欺いた頭のキレ、策略だけでなく、左丞相にまで上り詰めた政治家としての能力。
どれも俺は好きだ。
張良先生は戦下手だが壮大な戦略を打ち建てる能力では誰にも負けないだろう。
秦攻略も彼の力が大きいし、項羽を彭城へと遷都させてるなど功績も多数有り、
漢帝国の骨組みを創ったのも彼の功績だし、皇太子問題も後腐れの無い形で見事解決してる。
(高祖も納得せざるえなかったし)
軍師、政治家としては超一流。
陶朱公こと范蠡は策士、政治家てしては陳丞相の先駆けと俺は思っている。
>>222の言う通り滅亡寸前だった国が覇まで唱えた国をその長所を助長する事によって、
滅ぼしたのは彼の凄いところだろう。 美女を送りこみ君主を駄目にするなどえげつなさも中々なものかと思うし、躊躇うコウセンを諫め呉にとどめをささせたのも彼の力。隠遁後商人として二度も成功してるし、マルチ過ぎ。
孫武は登場から引退までが鮮やか過ぎてその存在すら否定された偉大過ぎる兵法家。
楚を滅亡寸前まで追い込んだ類い稀なる用兵能力、著書に示している論理を見事に証明したし、進退も鮮やか。
上記の四名に共通するのは優れた功績を残しながら見事な処世術を見せた点。
これは策士にとってかなり重要なことたぞ。
それと生き恥をさらしながらも史記を完成させた司馬遷にもっと敬意を払え、そして侮辱したことを謝罪しろ!!
最後に一言、老子は小賢い知恵をひけらかすのは愚かな事だといってるぞ
よく覚えときな坊やw あの可愛そうな坊やは軍師、参謀は汚れ仕事しちゃ駄目なんだって。
俺は汚れ仕事をこなすことこそ本質だと思ってるのさ
それがなにか? ベスト3って難しいな…。実際会ってみたわけでもないんだから。処世術を身に付けていた范蠡は賢かったと思う。呉越の国力の差は勾践が捕えられた時に決定的になった。種に5千ばかりの兵を残させ、カイケイに戻ってきたあとの富国強兵は目覚ましいものがある。 宮城谷信者のアホがなんかほざいてるみたいだな
ここは住人が少ないからいいけど他の板なら完全に叩きに叩かれてるはず
宮城谷>司馬遷マジでそう思っているならかなりの重傷
いやいや賑わってますなぁ〜。
かつて2ちゃんねるを知って間もない頃、なぜに三国時代のスレばかりなんだ? 前漢以前のスレはないのか!?と、思ったもんだw
さて早速だが、宮城谷先生や司馬遷の名誉のためにゆっておくが
宮城谷>司馬遷といったのは人間として比較した訳ではないぞ。そんなもの比べようもない。
あくまで史実の正確さのことを言っている。君は本気で2000年も前の歴史学者が書いたもののほうが
現代のそれよりも正確さに於いて上だとおもってるのか?
確かに現代では散逸してしまった文献を司馬遷が持っていたかもしれないことや各地方を訪れて自分の足で見聞してきた情報を
現代の宮城谷先生が知り得ることもできないだろう。しかし同時に科学も歴史考証学も発達してないわけで
2000年前の人間がそれより1000年も前の歴史を現代の人間より正確に知りえたとは思えない。
司馬遷を侮辱したから謝罪しろと君はいったが俺は彼に謝るようなことはなにも言ってないよ。侮辱もしてないむしろ尊敬している。
腐刑に処せられてでも己の信念を貫きとおした司馬遷の執念は人間技ではないと思う。心から尊敬する。実際にいれば師事を請いたいほどだ。
当然マンガの史記も好きで今でもふとしたとき読み返したりしてるよ。
そんなこと当たり前だと諸卿に怒られるかもしれないがここの大前提は
「歴史とは不完全なものであり文献による史実の相違が解決せぬ以上、誰にも分からぬことであり軍師三傑を決めるのはあくまで個人の主観に依る」
のではないのか?
君や司馬遷、その他の君が挙げた英傑たちを否定したのではなく
あくまで個人の好みとしてあげたベスト3なのになぜそうつかっかる?これが釣りってやつでつか?w
おれは正直に宮城谷先生の作品が大好きだし自分の歴史観の中心といえるが
君は横山先生か司馬遼太郎先生の作品がすきなようですな。詳しく述べてる部分が
楚漢時代のものであったりはんれいは史記でしょうなぁ。横山先生のあのマンガですな?まさか原文の史記ではあるまい。
君は自分の中でなにが根幹となってるかを言おうとしないがその時点で君がどれほど潔い人間か伺えるよ。
さて、張良について君とおれは同意見のようですね。戦略家として超一流。 しかし、ここの板にあがってる人物の全てが超一流ではないか?
ベスト3を決めるのは誰しもが困難と分かるほどの才の持ち主たちではないか?時代背景や状況が違うといえど・・・だ。
それと君が読んだ文献の戦国策までは分かるが論語や老荘?軍師ベスト3板で哲学書?
それは君の言う
「老子は小賢い知恵をひけらかすのは愚かな事だといってるぞ」なのかな?
老子は本当に言いことをいうね〜。その論法だと君も含めここの住人ほとんどがおろかになるわけだが。
君にもう一度言うがここのスレを三遍読み返してくれ。誰がだれを批判し、こうなったのかを。
孫武についてだがもっと詳しく知っていることを述べてみてくれないか?俺は詳しくは知らない、マンガの史記に載ってる程度しかな。
楚の首都を陥落させたときたしかに居たであろうが詳しい描写は史実にないのではないか?もしあったとしてもその書物の歴史的価値はいかほどのものだ?
歴史書というものはその時、そのときの王朝に都合よく書いてあるものではないのか。だれが一体間違いのない真実だといえる?
君は宮城谷先生の空想と司馬遷の空想はどちらかが大きいのか正確に知り得てるのか?
あの時の戦いではごししょの描写は知っているが孫武がどうしていたのかが分からない。
それプラス勾践と初めて戦うときに呉軍は負けてるいるよな?そのときのケガが元でこうりょは死んだよな。そのとき孫武はどうしてた?なぜ負けた?
そしてなぜ呉を去った?すべてが謎に包まれてるんじゃないか?これが孫武を選ばなかった理由だ。
文句を言ってるんじゃない。彼の残した文献は後の我々に多大な影響を及ぼしたし現代でも通用する書物として西洋にまで信者がいるほどだ。
彼の功績は古今東西、比類するものはない。そんなことは分かってる。だが孫子は謎が多すぎるから選ばなかったといったんだ。
陳平を選ばなかった理由は陰謀に於いては右に出るものがいない稀代の謀略家だとおもうが実際の戦で上手かったのか?と問えばこの軍師三傑板に挙げれなかった。
俺も汚いことが必要なときがあるのはわかる。陳平のような鬼謀を巡らせればいいなと夢も見る。
しかしあくまで定義を広げて謀略という評価も加えて・・というのであればもっと候補を挙げたくなる。楚の荘王 管仲 藺相如 范雎 蘇秦 魏?....あまりに広義すぎてキリがなくなる。
さらに陳平は士会や狐偃のような忠誠心や心術の爽やかさを感じられない。本当に劉邦が苦しいときに身を投げうってでも・・・というのであれば張子房のほうが勝るとおもう。
だからおれは陳平をあげなかった。
国力についてだが確かと呼べる文献も資料もないから言い切ることはできんが呉越の国力の差と商周の国力の差を心の中で比べてみて
どう考えても当時の商周のほうが開きがあると感じたんだよ。
君は士会や楽毅の文句を言ってないといったがおれもだよ。君が挙げた全員、尊敬してるし好きです。彼らを手本として少しでも
いいから向上していきたい気持ちだよ。
最後に虎の威を借る狐がもう1匹現われたみたいだが文句なら誰でも言える。せめて君のベスト3を挙げろ。
君は論議するに値しない。 わかりづらくなったであろうから再度言うがおれが挙げたベスト3は軍略において素晴らしかった三傑です。実際に兵馬のいる戦に於いて
その才を発揮したであろう三傑です。真実は天のみぞ知る。 こんな場末の掲示板で必死に自己主張するのは止めろやw
1太公望
2管仲
3商鞅
番外で韓非 片や記録を残すために書いた本
片や売るために書いた本 全部読んでみたけどホント頭痛がします。
そもそもスレタイの趣旨自体が所詮一個人の主観の述べ合いに過ぎないのだから、
大多数の支持を得たいと欲するなら表現に気を付けた方が良いだろう。
ちょっと突付かれただけで動揺しすぎ。気を付けた方が良い。
あとブレーンとかスタッフとして登用されるような連中は基本的に鬼畜外道ばっかだよ。
私腹を肥やすかどうかは別としてね。
キミの思い描く虚像と実際の彼らの実像とはかけ離れているんじゃあないか?
人間性などブレーンには不要。
必要なのは雇い主の勝利の為の道具としての実用性だ。 権謀術数って人を巧みに欺き騙す為の謀だろ? 謀略に綺麗も汚いもないだろ
お前の中では司馬遷は物見遊山したことになってて、宮城谷昌光はタイムマシーンでも持ってることになってんのか?
太公望呂尚
張良
孫武
これでも文句ある?
まあ別にお前と討論などしたくないし、妄想と偏った愛で語るなと言いたい。
痛すぎるよお前w まあ2chで叩かれたからなんだって気もするが、過疎ってんだから多少いいんじゃないのw WDBdQlQe0が自分の都合の良いように解釈してる件 張良を推す流れが強いけど、私は韓信に一票入れたい。
同時代、張良と范増を比すると前者が上とされがちだけど、戦略眼として
范増は張良にひけを取らないと思う。上に立った人物の差が大きい。
張良が項籍に仕えてたら、范増と同程度の活躍だったと思う、ただ死に方は違ったかもしれないけど。
で、張良と范増に比べ、韓信の方がより有能に感じる。
張良がいなくても、韓信がいれば漢は時間はかかっても楚に勝利しただろうが、
韓信のいない漢で、張良の軍略をもってそこそこの将軍が軍を率いて、
楚に勝利できたかは疑わしい。
兵権があるから実際戦って偉いというわけじゃなくて、韓信は兵の調練から
攻め行く国の順番や時期にも考察していて、現場に強いというだけでなく
土台の戦略眼も相当あった。(戦略眼だけなら張良が上とは思う)
そこに、戦術面も機知に富んでいるところを足せば、トータルの軍師能力として
この時代では韓信がトップなのではないかと思う。
韓信は確かに有能だが壮大な国家戦略や平定した後のグランドビジョンを持ち合わせているかなぁ?
一応斉を統治してるけど中華全土を束ねられるかは疑問だね。
まあ張良とは根本的に役割が違うからどちらが優れてるとは比べることは出来ないし。 「壮大な国家戦略」はあったと思うよ、張良レベルではないにしても。
「平定した後のグランドビジョン」は無いだろうね。
でもそれは韓信やここで言う軍師の仕事じゃなく、君主である劉邦の仕事だろ。 >>247
張良の仕事は大規模な宣伝戦略だろ
ナチのゲッベルスみたいなさ
韓信は軍師じゃなくて戦略も理解してる将軍じゃん? >>247
韓信は中国のみならず世界軍事史上の名将ですよね?
軍師・参謀の類とは別次元な人物
張良は軍事どころか諸問題、果ては韜晦まで謀れる偉大なプランナー
例え項籍が主君でも張良の手腕なら范増の様な結果にならないと思います。 陳平は決して敵に回したくないタイプだな。
現に彼を手放した項羽は陳平の策で自陣営をガタガタにされた訳だし、
えげつない策略を考える能力は范蠡に負けず劣らずな感じがする。 >>252
ミクロな謀略なら当時右に出るものはいないんじゃない?
ただそれが出来たのも、一時とは言え項羽に仕えて内情と人となりについて詳しかったお陰だろう
ポンと置いて、さあ謀略しろと言っても中々難しいかもしれん 軍師として三人を選ぶなら、太公望、張良、陳平だなあ。
太公望は実在が微妙だから、代りに入れるとすれば孫武あたりかな。
基準は、主君に天下を取らせたってこと。孫武は著書が後世に絶大な影響を与えたあたり。
主君を選ぶ目、主君に選ばれる器量、その主君が天下を取る器ってことも合わせて名軍師だと思う。
諸葛亮は政治家や一軍の将としては優秀だったろうけど、劉備に仕えちゃったあたりでもうダメ。
逆に言えば、彼が張良や陳平ほどの軍師なら、劉備が天下を取ってたかも知れんし。 近代で言うところの実戦上の「参謀」として功績が大なのは誰? >>258
どの戦いでどういう作戦案を立てて自軍を勝たせたかが記録に残ってる人としては、斉の孫月賓かな。
参謀=自分で軍の指揮を取ってない人限定ね。 実績でいくと陳平、韓信、孫ピンかな?ハンレイも捨て難いけど・・
司馬ジョウショや孫武や姜子牙は功績が伝わって来ないからよく分からん 呂尚に関する具体的な事績が記された資料ってないのかな? 張良は実績以上に、生き方とかそういうところが魅力的だからね。
軍師としてこうあって欲しいという理想像みたいな感じで。 張良の功績に凄みが感じられないのだが教えてくれませんか? 私の意見だと張良が中国史上最高の軍師。彼に知力で勝る人はいないと思う。張良が活躍した楚漢戦争時代が中国史のハイライトだしね。 >>268
誤) 楚漢戦争時代が中国史のハイライトだしね
正) 楚漢戦争時代が史記のハイライトだしね 史記でも戦国時代の入り乱れたぐちゃぐちゃの戦いの方がおもしろい >>251
亜父とまでいわれた范増を追放するような主君を持ったらどうしようもないと思うが
実際張良は劉邦避けて仙人になろうとしたし殺されないようにするのが精一杯だろ 軍師ていう定義が曖昧だな。俺の中では范蠡が最高の理想だな。
後世へ制度への影響すらも残した商鞅は最高クラスの軍師(トップ補佐官)
だろう。韓非子がその次点。
寇恂なんかは、能力的には張良の智謀、韓信の用兵相当のレベルを
兼備した理想的軍師と思う。さらに戦国の縦横家並の外交術と保身術すら
備えているぞ。
残念ながら後漢だが前漢を新まで含め新が完全に消滅する前に誕生していた
という意味では入るぜ・・・
藺相如と孫臏と張良と蕭何足したくらい有能だ。
范増は書かれてることが少なすぎて実務能力がわからん。
>>447
寇恂ってすごいね。各分野に於ける才能マルチ過ぎ!!
まだまだこれからって時に病死したのが悔やまれるが…
張良は若い頃始皇帝暗殺たくらむなどけっこうやんちゃなとこがあるのが人間臭くて好きだな
劉邦に仕えてからはそういうエピソードないけど 軍師の定義か
野暮な話になるが、軍師の語句が文献上現れるのは後漢初期で
群雄の私設官職として名士を参謀に据えたのが始まりらしい
軍師の定義を官職に限ったら魏延みたいにおよそ参謀から遠いイメージの者が入る一方で
司馬光も軍師と呼んだ太公望みたいな参謀の代表格が外れるから難しい このスレじゃ太公望がベスト3によく入れられてるんだけど
どの作品読むとやったことわかる?
宮城谷氏? >>279
ほぼ同意。孫子はやはり入れるべきだろ
世界的に名声がある。 >>291
孫武は兵書を書いたりしているがじゃあ孫武は軍師なのか?
歴史的には軍師じゃなかった
彼は優秀な将軍だったのだよ 呂尚
管仲
張良
でFA
呉子は軍師としてそいつらより落ちる。
孫子に至っては軍師ですらない、とのこと それ言うなら管仲も軍師というより宰相として功績上げた人物だろう。
公子糾の軍師としては失敗してるし、桓公の軍師は鮑叔。 >>293
管仲は宰相兼将軍兼外交役だけど軍師とはちげぇわな 細かい軍師の定義は忘れたが、
トップに抗礼(対等の付き合い)を取らせるのが当然なレベルのマンセーのされ方で
生徒に覇権を取らせて、終わりを全うした軍師は
中国の歴史上でもその三人だけらしいんだが。 太公望は軍師じゃなくて同盟者
管仲は宰相兼将軍兼外交役であって軍師じゃない >>296>>298
史実の太公望がそうなんだろうというのは分かるが、
管仲がどう軍師と違うのかよくわからんのだが。
そこまで丸投げしてたら演義孔明とほとんど変わらんじゃん。 >>299
孔明は劉備の軍師やってた時期もあるが、管仲は桓公の軍師だった事はない。
鮑叔の推挙でいきなり宰相に抜擢されたからな。 >>300
わざわざ答えてもらって有難いが、
桓公や鮑叔が斉の大戦略を立案したなんて話は聞いたことがないんだけど。 春秋:管仲、范蠡
戦国:孫臏
西漢:張良
のうち三人でいいだろ。 鮑叔牙曰、「臣幸得従君、君竟以立。
君之尊、臣無以増君。君将治斉、即高傒与叔牙足也。
君且欲覇王、非管夷吾不可。夷吾、所居国、国重。
不可失也」
とあるが。これで鮑叔が軍師というのは頷きがたい主張。
管仲が軍師でないなら鮑叔も軍師ではないだろう。 >>305
誰もそんな主張してないから
>これで鮑叔が軍師というのは頷きがたい主張。
ぶっちゃけた話、前漢までには軍師なんていないし >>306
>誰もそんな主張してないから
>>295がいるじゃん。
>ぶっちゃけた話、前漢までには軍師なんていないし
ポストとしての「軍師」はそうだろうが、
ここでの意味は違うだろ。 違わないなぁ
ツンデレという言葉が生まれるまではツンデレはいなかった
軍師というポストが出来るまで軍師はいなかった 15〜16世紀までにアメリカ大陸は存在していなかったが
現在アメリカ大陸と呼ばれる大陸は存在している。
ツンデレという言葉が出来るまでにもツンデレ的な性格のキャラはいた。
軍師というポストが出来る以前から軍師的な仕事をしていた人間はいた。
類型化の為の言葉が死語と化してからも、
同様の機能を持つ人間は今後も存在し続けるだろう。
よってその結論は間違い。 >>309
アメリカ大陸は発見されるまでアメリカ大陸ではなかった
つまり発見されるまで「アメリカ大陸」は存在してない
後にアメリカ大陸と呼ばれるものがアメリカ大陸と呼ばれるようになる前から「アメリカ大陸だった」と考えるのは重大な錯誤だな
さらに大陸は過去から現在に継続して存在しているので同一存在の過去もアメリカ大陸と呼ぶのは判り易いが
後に軍師と呼ばれる人たちと同じような事をしている人が過去にいたとしてもその人達は軍師という言葉が出てくるまで継続して存在してるか?
大陸と人を混ぜ合わせて語るのは大間違いだね
前漢までの人が軍師だったと主張するのはおかしい >アメリカ大陸は発見されるまでアメリカ大陸ではなかった
>つまり発見されるまで「アメリカ大陸」は存在してない
>後にアメリカ大陸と呼ばれるものがアメリカ大陸と呼ばれるようになる前から「アメリカ大陸だった」と考えるのは重大な錯誤だな
>>309読み直せ。どう読めばそんな無意味な指摘をする必要がある。
>さらに大陸は過去から現在に継続して存在しているので同一存在の過去もアメリカ大陸と呼ぶのは判り易いが
>後に軍師と呼ばれる人たちと同じような事をしている人が過去にいたとしてもその人達は軍師という言葉が出てくるまで継続して存在してるか?
>大陸と人を混ぜ合わせて語るのは大間違いだね
>前漢までの人が軍師だったと主張するのはおかしい
俺は現代での「軍師」だの「ツンデレ」だののイメージで過去の人間を語っている。
その定義が発生する以前の「プロト軍師」なり「プロトツンデレ」を
「軍師」や「ツンデレ」のカテゴリに包括しても、何らおかしくはないね。
現在では「軍師」という言葉が死語と化したが、
「アメリカ大陸」と呼ばれる「某大陸」が15〜16世紀以前にもなおあったが如く、
「参謀」等としてその情報処理と企画の機能は継承されている。
組織における人の役割は今も昔も大して変わらない。
その前提で語ることが、一体どうしてそれほどまでに「分かり辛いこと」になるのか? 現在では軍師という言葉が死語と化し、前漢までの時代には軍師という言葉がない。 >>311
じゃあ過去の人達は参謀とか謀臣とかだ
その時代に有った呼び名で称える事には些かも躊躇はないが
「軍師」でない人を軍師だ軍師だと持て囃すのはどうかと思うな ぐん-し【軍師】
1:主将に属して、軍機をつかさどり謀略をめぐらす人。
2:(比喩的に)巧みに策略・手段をめぐらす人。
さん-ぼう【参謀】
1:高級指揮官を補佐して作戦・用兵その他一切の計画・指導にあたる将校。
2:転じて、計画・作戦を立てる人。
ぼう-しん【謀臣】
1:はかりごとを立てる臣。はかりごとに巧みな臣。
2:主君に反逆する臣下。 >>313
新末東漢初以前に烏合之衆はいなかったが、
現代人の俺たちが、それ以前の時代の統制の取れてない集団を
烏合の衆と呼ぶことになんら差し支えはない。
そういうのにまでケチをつける気なのか?
軍師のポストにはついてなくてもそのワークをしていると認定されれば
軍師扱いでも構わないだろう。
それ以前の時代の小説を書くとかならその言葉を使うのに注意しなければならないだろうが、
どうかと思うなと言われても何と答えればいいのか分からん(汗
スレタイは読めないのか? >>315
じゃあ何で歴史上の人物で現在の警察と同じ働きをしてる人を警察って言わないのかなぁ?
そりゃ当たり前だ、だって警察じゃないんだもの
同様に軍師軍師というのは不適当だね >>316
火盗改や与力・同心をその時代の警察と呼ぶことに何の違和感があるのだろう?
軍隊と警察が未分化の時代は汎用性の面で軍隊と一括して呼称するから何ら問題はない。
あなたの主張は結論を急ぎすぎているか、説明が足りていない。 >>316
わかりやすく括弧書きで補足説明する場合は多いじゃない。
しかし当時の用語を用いるのが時代考証なわけで。
とは言っても、そこまで神経質になる必要もないことだと思うがなぁ。
柔軟な思考力で容れてやればいいことなんじゃないの?>軍師
ただ、「一概に軍師といっても云々」という薀蓄は否定しない。
つうか、それは前置きとして必要だとは思うがね。
その流れで、それに近い働きをするもの〜 とかで発展させれば、
知識の足りない人も、理解できる方向に持っていけるんじゃないかと思う。 >>317
それで何で違和感を覚えないのか疑問でならないわ
江戸時代の警察なんて変で変でしょうがないよ
江戸時代には他の諸々の機構があった
警察という組織はなかった
両者の役割は似ているところもあれば違うところもある
ということじゃないかね?
>>318
むしろ「ナントカの軍師」ってのが「我が子房」とか「今の周亜父」とかその手の呼び名なわけで
前漢までにいないものを何故語るのよ? 軍師的な人間を軍師として扱うことの何が変で変でしょうがないのか理解出来ないな。
辞書に書いてある程度のうすっぺらい定義でしか語ってないし、
それを意図的に無視した上で、
「前漢までに軍師はいなかった」と何度も連呼されても困る。
俺は一単語の用法に汲々とするより言葉の文脈を理解する方を優先した方がいいと思うが。 >>19読むと軍師なんて言葉創られたのは最近みたいだが >>320
そんなに気に食わないならおまえがここに来なければいいだけの話だ。
偉そうにいちゃもんつけて粋がってんじゃねえよ。 まぁそうカッカするない。
では、このスレのみに通用する「軍師」の定義づけするとか、そういう方向でいかないか?
軍事のみならず経略に際しての、指導者への助言係。
それに類した役割を担った者を語る、ということで。 軍師スレはたいがい定義でもめて話が進まないな
>>1の時点で決めておけばまだマシなはずだが
官職としての軍師は確かに後漢初から南北朝までに限られるし
途中から監察官みたいになって世間一般の軍師のイメージから離れていくから
参謀としての仕事振りをネタにしづらくなるわな
司馬光も太公望や李左車を軍師と呼んだわけで
官職を無視して参謀を軍師と呼ぶ用法は昔からあるんよ
個人的には官職としての軍師オンリーのスレがあってもいいが
ここでは軍師=参謀でいいと思うよ >>325
その用法が「我が子房」と似たような使い方だって指摘してんだけど
参謀ってのも実際のところは官職なわけだしそういう誤解を招く用法はよくないね そろそろ和光同塵という言葉を心掛けてくれや。
趣味板レベルでそんなような言葉狩りをしても意味ないだろ。 哲学者談義で盛り上がってる途中にもこう述べそうだな。
「哲学は西周の造語。18世紀以前の人間に哲学者なんて一人もいない。
”グレコローマン時代の哲学者”なんて変で変でしょうがない。
妥協してもphilosopherと呼ぶべきだ」と。
空気読めてますか? >>329
軍師は何かの訳語ってわけでなく単純に官職
哲学は日本にそれまでなかった概念に対して新たに作られた訳語だろ
そうやって論点を摩り替えようとするなんて真面目に議論する気ないね?
「空気読めてない」じゃなくて「俺の意に背いてるの理解してる」ってちゃんと言えばいいよ >軍師は何かの訳語ってわけでなく単純に官職
ポストとしての意味はそうだろうが、
ここで使われてる意味は違うだろ。
ぐん-し【軍師】
1:主将に属して、軍機をつかさどり謀略をめぐらす人。
2:(比喩的に)巧みに策略・手段をめぐらす人。
↑の意味で使うことが
どう変で変でしょうがないのかkwsk説明してくれや。 >>330
むしろ論点をずらして「俺の意に背いてるの理解してる」
を言ってるのはあんたの方に見えるが
また軍師が日本発の概念というのも初耳だよ
軍師も謀臣も参謀も大して意味は変わらない
それで軍師だけNOというのは明らかにあんたのエゴだろ >>332
エゴ?
エゴは軍師じゃない人を軍師だと言いたい君たちじゃあないか もうやめとけよ。
この板の住人のレベルの低さを晒すだけだ。 >>333
日本語化された漢語の現代での用法を制限したいなら
↓にケチをつけた方がいい。
三省堂
ttps://www.books-sanseido.co.jp/cgi-bin/contact/index.cgi
岩波書店
ttp://www.iwanami.co.jp/aidoku/index1.html 辞書って「過去にそういう使われ方した事がある」ってだけで間違った意味を正しいものとして載せてたりするからさ
辞書はあくまでも目安に過ぎないよ その誰でも目にする機会のある目安を、基準にすればいいだけではないのか?
そこまで頑なになるようなことなのかねぇ。
【官職】軍師スレッド【限定】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1223912478/
住み分ければ不毛な争いは起こるまい
そもそも「前漢までの軍師」スレなんだから
包摂派と官職派とは相容れなかったんだよ ちゃうちゃう
自分いちおう中立派のつもりでいてる
あくまで穏便に解決したかったから立てただけ
これ以上揉めるのは無しで頼む 293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 19:10:38 ID:OytCN/6Q0
呂尚
管仲
張良
でFA
呉子は軍師としてそいつらより落ちる。
孫子に至っては軍師ですらない、とのこと
294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 01:18:28 ID:dAzLZHRu0
じゃあ、面倒くさいんでそれで
ここらへんからやり直しでよろ。 呂尚→軍師ってより羌の頭領・周の同盟者
管仲→軍師ってより経済政策・外交政策に秀でた政治家
だと思うんだが
孫子呉子はそのレスでも出てるように将軍だしねぇ
張良だけは純然たるブレーン的な役割果たしてるが活動範囲が軍事に留まらず内政外交にまで多岐に及んでるから
やっぱり軍師というのは躊躇われる >>344
じゃあ誰が軍師だよw
創作のイメージに毒されすぎじゃね? >>345
いないんじゃない?
むしろ軍師という創作などによって作られた虚像に当てはまる人は居ないって結論でもおかしかないと思うよ そ、そうだったのかw
つまりこのスレいらんということでFA? 孔明のどこをどう見たら優秀な戦術家じゃないのか理解に苦しむが。そもそも自らを管仲・楽毅に比していることから分かる通り彼が目指したのは名宰相・名将だよ
劉巴伝の注に
> 運籌策於帷幄之中、吾不如子初遠矣。若提枹鼓、會軍門、使百姓喜勇、當與人議之耳。
とあるように謀事より采配のが自信あるよ的なこと言ってるし。実際の戦績見れば戦術レベルでの勝利は多い 字面だけ読んだら同感だが、
当時の劉巴の置かれた状況を考えるとイヤミにしか聞こえない罠。
宣帝紀の諸葛亮評を見る限り、
陳寿の「然連年動衆、未能成功、蓋応変将略、非其所長歟!」どころではなく
「亮志大而不見機、多謀而少決、好兵而無権、雖提卒十万、巳墮吾画中、破之必矣」と、舐められ切ってるレベル。
晋書は懐疑的な見方をされることが多いが、司馬イの諸葛亮への認識を考える上では参考になる。 第一次北伐 本人戦わず退却
第二次北伐 城攻めやってたら敵本隊が来たので退却しつつ追撃してきた王双撃破
第三次北伐 陳式とかが武都、陰平奪取
第四次北伐 司馬懿フルボッコ、張コウ射殺
第五次北伐 睨み合い中に陣没
特筆すべきは第三次第四次かね あとまあ本人の伝だから当然なんだが損害出した負け戦自体はほとんど無いよね。最初の北伐くらいじゃないか。 張良のどこがすごいかあんまよくわからん
韓信とショウカだけでいいんじゃね??って思う
衛青とか士会、屈庸
この辺は軍師じゃないの?? 衛青は将軍
士会は将軍かつ政治家
屈庸は政治家
軍師とは言い難い >>353
張良がいなかったら劉邦は関中に入ることすらできなかったぞ。
秦軍に手こずってる間に項羽に先を越されてた。
もし項羽に先んじることができてたとしても秦宮の女にうつつを抜かした挙句項羽の大軍に叩き潰されて終了。 軍師にも戦略家と戦術家の二つのタイプに分かれるのかな というより、張良のような基本が大方針を策定する型と、
陳平のような随時に局所で修正していく個別事項対応の型に分けられる感じ
これとて大雑把な分け方ではあるにせよね 一家に一人ほしいのは陳平で、でかい仕事するときにほしいのは張良だな >>357
うん 一番勉強ができて常識人で自滅しないタイプか?フィクサーというかアドバイザーというかそういう感じするね
陳平は頭も当然いいけどもっと具体的に…コズルイ感じか
魅力的だ
頭脳派の使用者=二代目以降
肉体派の使用者=創業者、準創業者
頭脳派の側近=大臣、参謀
肉体派の側近=用心棒
頭脳派の代理人=大臣、司令官
肉体派の代理人=前線指揮官
頭脳派の労働者=役人、参謀
肉体派の労働者=兵士
中国の軍隊においては伝統的に
頭脳派の代理人≧肉体派の代理人>肉体派の労働者という感じ。
前線指揮官が司令官を兼ねるケースもあるにはあるが、
シビリアンコントロールに反するので粛清されるケースが多い。
生き残るには引退するかクーデタしかない。
使用者の側近が、代理人の監視役として随行するようなケースを
含めて「軍師」と呼ぶのだろうか。
総じて、肉体派は非常に使い勝手がよくない。 韓信を軍師ということにしないとニワカ認定されるのか・・・
遅レスながら驚いた 亀だが>>310の公孫竜っぷりに吹いたw
純粋な軍師っての難しいな
将兵を指揮して作戦を実行する能力も併せ持ってると将軍としてのイメージが強くなってしまうし(韓信や楽毅)
内政手腕にも秀でた人だと宰相としての色合いが強くなってしまう(管仲や范雎)
縦横家連中も智謀や事績でここに名前の挙がっている者に劣るとは思えないが見向きもされない
まとめると
王侯将軍らに助言できる立場でありながら兵の指揮権は持たず国の運営にもノータッチ(あるいは無能)を貫き通し
軍略、作戦の立案に限って後世にまで残るような輝きを放った人物ってことか
そんな奴いるか? >>310が官職としての軍師と参謀としての軍師を分けろと言ってるのは間違ってないけど
「前漢までの軍師」ていうスレタイで官職としての軍師は話題にしようがない
要は来る所を間違えてる
で参謀としての軍師といってもちゃんとした定義がないから噛み合わない話が延々と続く >>366
国の運営にノータッチたって国の運営の範囲は広いからな
まあ張良が一番近いなそれだと。
逆に言うと初期の張良って存在が「軍師」の方向性に影響を与えたのかもしれんな。
始皇帝以来皇帝が続いたみたいに。
縦横家は確かに功績的には軍師に近い。というか兵家か。
墨子の逸話なんかも兵家の空気が濃厚にあるし、諸子はそういう要素を含んだ奴も多いな {ヽミ∧
彡彡 .\
彡彡 .● ヽ
彡 ( \
_────___──../ /ヽ ヽ
/ / ./ ./ ヽ o丿 鬱だ死のう
彡彡彡 ./ / │
彡彡彡彡 |ゴールドシップ/ │
彡彡彡 / .. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .ヽ、 ヽ ノ
彡彡 ノ / ̄ ̄` ヽ 、 `、 ノ \
彡 / / `、 / ` ー 、 __ヽ ヽ ヽ 、
/ / / / \ 丶` - 、 `、
/ ./ / / \ `、 \\
././ | / \ 丶 ヽ ヽ
___/./ | | ヽ`、 `、`、
/ |__/ | | `、ヽ、 tニゝ
 ̄ """"''""'"" ヽ 、ヽ
tニゝ 来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/ 名前がかわいいから過小評価してたわ陳平さん
普段はそんな女癖悪くなかったろうに、アニキの嫁さんと懇ろ とかやっちゃったことも
以後2200年間いた数多のの歴オタ喪男から嫌われるポイントだったんだろうな ニンニク焼き電話会談日本橋スーパーきゃべつラーメン
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間抜けは除外した方がいいと
思うんだよな
伍子胥とか韓信とかさ 一番軍師らしいのはやっぱり孫武と孫濱だと思う。
それ以外の人はどっちかってゆうとオールマイティに力を発揮したって感じかな。
ただ、横山光輝の漫画読んでると、范増が一番すごいと感じる。范増の人を見る目はハンパない。 1位張良 項羽という強敵をやぶり劉邦を皇帝にした
2位范レイ 勾践を見事覇者にしたが、相手が夫差という二流の敵という点で張良に一歩落ちる
3位孫武 活躍は他の軍師と比べると劣るが、孫子の作者補正で 軍師と将軍を兼ね備える韓信がダントツの軍師だと思う。
無敗だし。 >>376
范増は結局陳平に負けたようなもんだからなー
陳平可愛がっときゃ自身の失脚は無かったろうに